いぐすり - 2005年01月28日(金) このタイミングで実家に帰ることになった時点で、予測はしていたのだけれど。 やはり胃薬が必要なレベルまでぶり返したようだ。 アパートで一人なら、多少苦しくても誰も見ていないし気にしないが、実家では基本的に居間にいることが多い。 それで、少し苦しいのは我慢しているのだけれど、ごはんは何でも食べられるわけではないし薬も飲む、となると、気づかれるのは当たり前だ。 そしてその理由が、「実家に帰ってきたから」なんて、もちろん言えない。 前回の不調の理由も、やはり言えるわけがない。 さて、どうしたものか… - 近くにいたらよくない - 2005年01月26日(水) あれが一段落したら次はこっち、になるであろうことは、最初から…というか、身体がおかしくなった時点でわかっていたことだった。順番通りに考えなければならないというだけのことだった。 今のわたしには、なっつに迷惑をかけずに生きていくことは、できないらしい。 彼が何を考えているのか、わたしにはわからない。 自分の何が彼の迷惑なのか、わたしにはわからない。 ただ、迷惑をかけているということだけが、わたしにもわかる。 わからないことをわかろうとしているかと問われれば「わからない」と答えるだろうし、このままわからなくていいのかと問われても「わからない」と答えるだろう。 もう、彼なしで生きていくことは、考えられなくなってしまった。 でもそれは一緒に生きていきたいという意味ではない。そこから既に、おかしい。 だから、「ある意味」誰よりも大事だ、と思っても、全てはそこで止まってしまう。 なに?「ある意味」って。なに? 困ったときに頼ればかならず助けてくれるから、だから大事なのだとしたら、本当に最低だ。そしてそうだとしたら、ひとには偉そうなことを言っても、自分だって、何年も前から何も変わっていないということだ。 そうなの? そうかもしれない。 わからない。 たぶん、何かが大きく、間違っている。今でも。 そしてわたしのそういうところが、きっと彼を、苦しめている。今でも。 でも、それに確証はない。それすら、間違っているのかもしれない。 わからない。 そう。 彼の言葉がわたしに響かないということはないだろう。 もしも響かないとしたら、それは関係性の問題ではなく、わたしがその言葉を理解できないだけだ。 そして、もしも彼が思っていることをわたしに告げたら、今のわたしはきっと壊れるのだろう。彼はそこまでわかっていて、だから言わないし言えないのだろう。 わたしはこれまででルール違反を犯しすぎている。 やはりもう、近くにいるのはよくないような気がする。 やり直すには、もう遅い気がする。 電話越しに、あのひととはまたやり直しだ、と呟いたら、「やり直せるならいいじゃん」と彼が言ったのは、あれはもしかしたら、わたしたちのことなのかもしれない。 - 話をしました。 - 2005年01月24日(月) 先週は、パソコンを立ち上げてもメッセには登場しないようにしていたのですが、今日は試しにずっとオンラインでいてみました。 すると、彼も昼間からずっとオンラインだったのですが、話し掛けてきませんでした。 この一週間ずっと逃げていたのは、やはり話をしたくなかったからで。 でも今日オンラインにしても話し掛けてこなかったのをみて、 わたしが彼と話をしたくないと思っていることに気づいたんだろうなあ、と思いました。 とすると、こちらが話し掛けない限り、あちらからは話し掛けてこないでしょう。 それなら、もう、彼と話してもいいだろう、普通に話せるはずだ、と思いました。 特別な話はなかったのですが、それでも、メッセやメールで話すのではだめでした。 当たり前です。 それで電話をしてみたら、留守電でした。 どうしてるかなと思っただけで用事があるわけではないからコールバックの必要はない、と言いました。 それでもやはり、30分後にコールバックがありました。 最初の声の感じは、予想通りで。 それでも、最後にはそれなりの明るさがあったように思います。自惚れかもしれないけど。 でも、わたしだってだてに何年も見てきたわけじゃない。 わたしが彼を避けていたことに関して、彼から、「こっちから話し掛けられる筋じゃないと思った」という言葉が出てきたので、安心しました。 そうだね、もう少しで、わたしも完全にへそを曲げて素直になる機会を逃すところだったけど、大丈夫だったよ。ちょっと、危なかったね。あともう一回アクションがあったら、たぶん、だめだった。 言いたかったことの一つはもう言う必要がなかったから言わなかったけれど、あとは全部言ったような気がします。 決めたことが本当でも、迷うときもあるだろうし、うまくいかないこともあるだろうと思います。 でも、自分でもそれはわかっていても、目の醒めるような瞬間、ここから先はきっと間違えずにいられる、と思う瞬間は、やはりあるのです。 迷ってしまうから、同じことを何回も思うのだけれど、そのときはいつも本当に、目の醒めるような思いなのです。 それは、わかる、と思いました。 また、最初に戻ったような気がします。 それはきっと気のせいで、本当は戻ってはいないのだろうと思うけれど、それでもたぶん、いろんなことを、もう一度やり直さなくてはなりません。 やり直したら、違うものができるのかもしれない。 わたしの中のいろんな気持ちも、消えてなくなっています。 それでも、消えてなくならずに残ったものを、信じるしかないのでしょうね。 わたしがそうしたいのなら。 - すこしこわいんだ - 2005年01月22日(土) ある人に きいてみたいことがあって 話をすることができそうなのだけれど 質問文を考えても どうにもしっくりこない。 わたしの聴きたいことはそういうことだったのかなあ 何か違う気がする と思うのだが 何をどう尋ねれば答えが得られるのかは わからない。 ただ話をすればそれで何かが見えるのかもしれないけれど そういう話し方のできる相手じゃない。 でもたぶん この機会を逃したら きっとこの先ずっと 話さずに終わるのだろう それは間違いない。 だからここで話さなかったらきっと後悔するって わかっているけど 話すのはやっぱりすこし こわいんだ。 - Life goes on … - 2005年01月20日(木) 身体のほうは、回復とはいかないまでも、ある程度のものが食べられるようになっています。書いたことで少し楽になったのと、あと他にいくつかのありがたいことのおかげです。 これまで分けて考えていたのですが、たぶん、彼のことだけだったら、ここまでひどくはならなかったんですね。違ったんですね。彼のことだけなら、お酒を飲んだり、友だちと話をしたりしながら、時間もつかって、自分で少しずつ解決していけたのでしょう。 こころに引っかかったもうひとつのことは、なっつのことだろうと思います。 今わたしが彼に対して思っているのと同じことを、なっつも、以前、わたしに対して思ったはずなのです。 連絡してこないでほしい、会いたくない、自分が好きな人とうまくいかないからといってこっちに甘えるのは、もう止めてほしい。 でも、誰よりも心配してしまう。 なっつはあのとき、わたしがぜんまい仕掛けの人形のように働いていた時期だけは、かろうじて相手をしてくれました。でもその後は、見事なまでに、わたしを避けました。 彼がわたしに会いたくないこと、というより、話もしたくないと思っていることは、かろうじて相手をしてくれていた時点からわかっていました。今度こそ、もう終わりなんだろうな、愛想を尽かされたんだろうな、と思いました。 後になって、といってもそれほど後のことではないのですが、なっつはこう言いました。 「なんでオレがこんなにすり減らなきゃいけないのかって思ったら、お前が嫌になった。でも、仕方ないんだよなってわかった。避けてる時点でお前のこと気にしてるんだし、その気持ちまでは否定できないんだよ。」 その後しばらくの彼の行動は、ある種の反動だったのだろうとも思います。 だから、今度のことで、自分がいちばん会いたいのはなっつだということ、彼がわたしの何かを楽にしてくれることはわかっていたけれど、今わたしが苦しいのと同じように彼を苦しめたのはわたしなのだから、彼に対して、自分が何をどう思っているかを言ってはいけないような気がしたのです。そうしたら、会いたいとか、苦しいとか、そういうことも言ってはいけないと思ったのです。 でも、准さんからメールをもらって。 「我慢しなくていい」という文字を見たときに、なっつに言ってもいいのかな、と思いました。時間が経って、彼もわたしも、あのときとは違う。 なっつも今は著しく体調が悪く、動ける状態ではないので、それも気になってはいたのですが、でも、本当のこと、本当に思っていることを少しだけ、話してもいいのかなって。 「謝らなくていいよ。片意地張ったらそれだけ損するから、機会があるなら素直になったほうがいい。オレは今動けないからなあ。」 たったそれだけの返信でしたが、それを見て、今度のことで初めて、涙が出ました。 ずいぶん楽な気持ちになりました。 准さん、ありがとう。 そうですね。あのひとは頭の悪い人じゃない。どう言うのがいちばんいいかとか、どういう態度を取るのがいいかとか、そういうことを考えるのは止めにします。間違ってますね。わたしの気持ちで、もう隠すことは何もないのだし。素直に伝えるのが、結局いちばん伝わるのだし。 ただ、もう少し、時間が必要な気がします。もしも土曜日に仕事先で会ってしまったら、意地を張ってしまうような気がします。 もう少し、放っておいてほしいのです。 - ごめん。ごめんなさい。 - 2005年01月19日(水) これだけはどこにも出してはならないと思って我慢してきましたが、もう無理です。書くのは誰のせいでもありません。誰も悪くない、わたしがひとりで我慢できないのがいけないんです。ごめんなさい。 日曜日の朝から今日までを思い返したとき、月曜日の午後と昨日の夜に食べたもの以外、自分が何を口にしたのか、はっきりとは思い出せません。憶えているのは、誰かと一緒に食べたもの。 ひとりで食べても、身体が受け付けないのです。液体以外は全て、拒否反応です。ここまでひどいのは今までありませんでした。 B1の冬、必死になって別れ話をしたあのときも、B2の冬、一瞬誰も信じられなくなったあのときも、B4が終わる春、ゆうと別れたあのときも、気分は今よりずっとひどかったような気がするのに、身体に出ている反応は、今のほうがずっとひどいのです。みんながわたしを見て安心したような顔をするけれど、中身はいちばんひどいようなのです。わたし自身も、どれだけひどいかはよくわかっていないのです。 せめて涙が出てくれたら、少しはまともになれる気がするのに。誰に何を話しても、ちっとも泣かないのです。 身体がこうなるのには慣れています。小さい頃からのことだし、こういうときに何なら入って何が入っていかないかもわかっています。どこを超えたら病院に行かなければいけないかもわかっています。そんなことよりも、今さらこんなふうになる自分に腹が立つのです。そして、きっとわたしのことなど露ほども考えていないだろうあのひとの状態を耳にして、彼を心配している自分に気づくとき、ますます悔しくなるのです。 なんで?もう全部認めたはずなのに。弱さとか。意地とか。あのときプロポーズを断ったのはあのひとに出会ってしまったからだとか。そういうこと全部。 ここで今さら身体がこんなふうになったら、後悔してしまいそうだ。あっちを選べばよかったと思ってしまいそうだ。それだけは嫌なのに。どうしても捨てたくない意地なのに。 その意地があるから、生きてきたのに。 誰かが何とかしてくれることではありません。性質の悪いことに、心配してもらっても、頭では嬉しく思っても本当のところでは、その手を振り払ってしまうでしょう。そこまでわかっているから、これは出してはいけないと思っていたのに、我慢できませんでした。ごめんなさい。わたし以外の誰も、悪くありません。 - わからないことだらけに逆戻り - 2005年01月16日(日) わたしの希望は何なのか、と、本人も含めた三人から尋ねられた。 ふたつある。 ひとつは彼が変わること。彼自身も本当のところではわかっているはずのことを、自分できちんと選べるようになること。 ふたつめは、わたしが彼と一緒にいたいということ。 今はどちらも無理だ。 最初に尋ねられたとき(奇しくもそれが本人からだった)、手厳しい意見も参考にして、このふたつのうち、どっちが最初にくるのだろう、と考えた。 確かに、彼にとっては望ましくないこの状況に、どこか安心した自分もいることを、否定することはできない。下手をすれば、わたしの中では、むしろ彼女がこの状況を生んだ張本人、いちばんの悪者だ、ということになりかねない。たぶんそれは違う。誰かひとりだけが悪い、ということはない。 でも、やはり、ここでも繰り返し書いてきたように、わたしは今の彼と一緒にいたいわけではないはずだ。彼と一緒にいたいとだけ思うのなら、方法は、いくらでもあると思う。 もちろん、「いつかきっとわたしが」という希望があるから、彼のためにできるだけのことをしたいだなんて言えるのだ、という指摘はもっともだし、否定はしない。 けれど、仮に彼が望んだとしても、今の状態で一緒にいるのは間違いだと、はっきりわかる。 もしも、もしも間違いじゃなく一緒にいる方法があるとしたら、それはきっと、ゆうとわたしと同じ関係を作ることだ。そうとしか思えない。そしてそうしたら、きっとわたしは彼を嫌いになってしまう。彼を許せないだろうと思う。彼もわたしを嫌いになるだろう。 それはわたしの望みではない。それだけの覚悟は持っているけれど、彼にはその覚悟に応えるほどの気持ちはない。だから、それはわたしの望みではない。 でも既に、わたしは彼に弱音を吐けなくなってしまっている。ゆうがかつて、そうだったように。 どうして、彼の弱いこころに、わたしまで負けてしまったのだろう。あんなふうに、夜中に一人、冴えた目で豆電球を見つめるようなことは、もう二度としたくないと思ったのに。あのときの自分は、いったいどこにいってしまったのだろう? たった一度でも「どうでもいい」という言葉を出してしまったら、もう二度と、現在進行形で乗り越えることができなくなる。そうすると、乗り越えるのには本当に多くの時間を必要としてしまう。だから絶対に「どうでもいい」と言いたくない。諦めたくない。 わたしの調子が悪いときは、なっつの調子も悪いことが多い。今回はきっと会えないだろう。原因は違えど、この見事なまでのシンクロ具合には吃驚するばかり。 べつに何かしてほしいわけじゃない。昔みたいに、将棋倒しのようにして、なっつと一緒にいたくなるわけじゃない。そうじゃなくて、ただ会いたいだけだ。会って、何をするでもなく、しばらく近くにいたい。たぶん、それで、何か大きく、救われる。それも、逃げなのだろうか。なっつを利用していることに、なるのだろうか。 - 人の歩みを止めるものは、絶望ではなく諦め - 2005年01月08日(土) 話がわかればわかるほど、ひどいと思う。ずるいと思う。 でも、 聞きたくないことばかり聞かされるのも、 こころをしっかりもっていたいのに見事に乱されるのも、 ぜんぶ、ぜんぶ、仕方のないこと。 だから、あなたのように、 「なんでかき乱されなきゃいけないんだ」とか 「なにを信じればいいのかわからない」とか そんなふうには思わない。 だって、好きなんだから、仕方ない。 でも、そうやって割り切って考えられることと、 へこまない、ということは、 まったく別次元のこと。 自分の出した結論に従うために理性で堪えるのは、 それなりに、いや、相当、しんどい。 わたしの言葉が伝わって、「わかって」も、 それが感覚として理解したのとは違うということは、 知っている。 昔のわたしがそうだったし、 あなたを見ていればわかる。 だから、あなたに根気よく向き合わなければならないことも、 理解できる。 けれどそれは、ゆうが昔わたしに言ったように、 こちらがどれだけ相手を「見捨てずに」「我慢できるか」が 勝負になってしまう。 ひとりでいることの意味をわかっていないあなたから、 「きみのおかげでなんとか壊れずにやっていけてる」 なんて聞きたくない。 それが、捉えようによっては傲慢以外の何ものでもないことは、 わかっている。 それでも、もしもこのままこれがずっと続いたら、 わたしはきっと、我慢できない。 自分の抱えなければならないつらさに、 きっと耐えられないだろうから。 そんなふうに思っているのに、 間違えずに向き合うことが、できるのだろうか? 本当にあなたに必要なことを見極めて、そしてきちんと、 伝えることができるのだろうか? あのとき、どんどん傲慢になっていったゆうの姿は 今でもしっかり憶えているし、 それが仕方なかったことも、今はわかる。 わたしのせいだ。 だからそこに関しては、ゆうは間違っていない。 そして、ゆうから離れなければ、 ゆうの言っていることはわからないと思ったわたしも、 間違ってはいなかった。 でも、 離れなければわからないなんて、 やっぱり皮肉なこと。 今回超えなければいけないのが そこなのだとはわかるけれど、 超えられる気がしない。 - やさしかった - 2005年01月03日(月) また新しい年が始まりました。 元旦に引いたおみくじには、根をしっかりはりなさい、と書いてありました。 12月のあたまに引いたおみくじは、自分が気づいていないだけで今は幸せですよ、という趣旨だったけれど、今回は違いました。がんばれ系ですね。大吉は大吉でも、自分次第ということでしょう。 12月21日になっつにあげたクリスマスプレゼントを、この日ようやく、しっかり見ることができました。すごいなあ光ファイバー。自分であげたプレゼントの、意外なきれいさにびっくりした、三が日最終日。 何か特別なことをするでもなく、ただなんとなく一緒にそこにいて、テレビを観たり音楽を聴いたりだらだらとお酒を飲んだり、「スキーペアジャンプ」のDVDを観たり。(甥っ子最高!) それって一人でやっても同じのんびり、同じ楽しみなのですが、そんなときに一緒にいて違和感のない人、何もしなくてもそのまま同じ空間にいることに満足できる人というのが、そうそういるわけではないのだと、また思いました。11月の終わりにも、同じようなことを思ったのだけれど。 でも、少なくとも今、これを相手に言うのはルール違反だし、言わなければならなかった時はもう過ぎ去ってしまったし、何より当時は気づいていなかった。 べつに苦しくはないけれど、なんだろう、この感じ。 -
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