やっぱりね。でも。 - 2005年02月27日(日) 詳しい経緯は面倒すぎて書けないのだけれど、 やっぱりね。 だから、メールのやりとりがあったことは言わないほうがいいような気がしますって言ったんだけど。 やっぱり、こうなると女のひとのほうが鈍いんだなあ。 もちろん、わたしも含めて。 でも、わたしにとって、会ったことも話したこともないあいさんという人がどんな存在だったか、これまでどれだけ、ほんの少しでも話ができたらいいのにと思ってきたか、そういうことまで否定されるのは、きつい。 バイトをしていくうえでの劣等感の根本にはあいさんがいること。 わたしが入ってすぐに言われたことと、5年経ってここまで評価ももらってもそれを越えられないでいること、そして卒業して6年経ってまだ、あんなにも彼女の口にのぼるあいさんの、存在の大きさ。 それは、プライベートな部分とは無関係だ。 でもだからと言って、プライベートな部分を抜きにして考えるわけにはいかないのもわかる。わたしの中であいさんの存在が大きくなったことには、プライベートな問題も関係あるからだ。 そして、わたしはあまりにも多くのことを、しかも多方面から、知りすぎている。フェアじゃない。 どうすればよかったのかな。 わたしはあいさんと話ができたらいいのにと長く思ってきた。 そして、あいさんと話すのに、避けてはならないだろうと思われる話題があった。自分のことも言わないと、フェアじゃない。 でもそれを経由させることで、嫌な思いをする人がいる。 じゃあ、とその人に内緒にしてやりとりするのも、やはりフェアじゃない。 このあと誰も傷つけないためには、もう一度レスポンスがあったとしても、わたしが動かないこと、それしかないだろう。 でも、わたしを縛っているものを解いてくれるのはあいさんだけで、わたしがそのことで苦しい思いをしてきたことは、どうすればいいのだろう。 わたしよりも向こうのほうがずっと苦しいのだから我慢しなさいと、そういうことなのかな。 そうなのかな。 - このまま、 - 2005年02月21日(月) 話もしないまま、ここを出て行くことになるのだろうか。 それとも離れたら、何か違うものが、見えるのだろうか。 彼がわたしのことをいつも心配してくれていることは、わかっている。 わたしはそれで満足すべきなのだろうか。 このままだったら、わたしが彼を忘れてしまいそうだ。 - 嫌悪感の、見えない理由。 - 2005年02月15日(火) 自分が、誰かだいじな人のことをどう思っているか、どう考えているか、そして自分はどうしたいのかを、その相手に向かってきちんと言わなければならないときというのは、確かに存在する。ものすごくだいじな相手なら、なおさらきちんと言わなければならない。 でもそれは、やはりここぞというタイミングでなければ、本当の、じゅうぶんな力はもたない。 逆に、タイミングを誤って放たれた言葉の周りには、何か負の雰囲気を纏ったものが、漂ってしまう。 タイミングを誤っている時点で、純粋な気持ちではなくなってしまっている。 他人の出した言葉を見て、そう思ってしまった。 なにか気持ち悪い、と。どうしてこんな言葉がここに出てくるのだろう、と。 でもそれは、自分にも言えることだ。 彼女を責めるのなら、それと同じかそれ以上、わたしは自分を責める必要がある。 自分はこれまで、そういう「気持ち悪い」言葉を、いくつ出してきたのだろう。 ここに書くぶんにはまだいい。 いや、本当はよくないのだけれど…でも今は、まだ、いい。きちんとわかるまで、何かを決めてはいけないから。 誰かのことが大事だとか信じてるとかそういうことを、間違ったところで口にしてしまうのは、本当にそのひとのことを大事に思っているのではないような気がする。 そう口にすることで、自分は相手を大事に思っているんだと思い込みたいだけで、本当は相手よりも自分を大事にしているだけのような、そんな気がしてしまう。 ただ、本人としては、間違いなく、相手を大事に思っている。そのつもりだ。 そしてたぶんそこに、大きなヒントが在る。 わざわざ信じてって 自分から言わなきゃ 人を裏切ることもないのに わざわざ信じてなんて 自分から言わなくても 信じてもらえるのが 格好良いでしょう でも無理だね 君は嘘吐きだもの 槇原敬之「迷わない羊」より。 アルバム「太陽」に入っている曲だから、この曲を初めて聴いたのは学部二年の冬、4年前だ。わかるような、わからないような感じだったのを憶えている。言葉として、言っていることは理解できた、けれど感覚としては理解できなかった。 今なら、感覚としても理解できていると思う。 ただ、自分が誰に対してもそうせずにいられているかという問いに対しては、答えることができない。 今でも誰かを、「気持ち悪い」言葉で、縛り付けていないだろうか? - すきま風 - 2005年02月09日(水) ものすごい勢いで、自分が冷たい気持ちになっていっているのを感じる。 その一方で、それは、自分が彼を案じている気持ちの裏返しだということもわかる。 じゃなきゃ、こんなところにあれこれ書いたりしないはずだから。 つらい、きつい、やりたくない、逃げたいというような言葉のほうが、よっぽどましだと気づく。 これらの言葉には、簡単に言ってしまえば、基本的には共感して、必要な場合にはアドバイスを考えればそれでいい。 でも、あんなふうに根本からひねくれられたら、もうおしまいだ。 そしてこころの鋭い欠片を辺りに撒き散らしているのがわかって、自分もその欠片を浴び、ますます、彼を嫌いになっていく。気持ちが冷たくなる。 嫌いになんかなりたくないのに。 出会ったこと、いくつもの会話は、それだけで、わたしにとってはじゅうぶん幸せなことなのに、たぶんそのことも、向こうはわかっていないんだろうな。 このままだったら、それすらも、過去形になってしまう。幸せだった、と。 なんにもわかってない。 「あなたがわたしに向かって」自分だけがつらいみたいなことを言うことは、してはならないということも。 つらいのは自分だけだというような顔をしていることにすら、気づいていないのだろう。 あなたが、もしも、このままなら、きっと、わたしを忘れるだろう。 今度はもう撤回しないし、謝らない。 だってあなたは既に、わたしを、忘れかけている。 それをわたしが嫌だと思う気持ちも、かつての半分くらいになってしまった。 もう、いいよ。 まだ、よくないんだろうけど。 だから、書くんだろうけど。 でも、もう、いいよ。疲れちゃった。 - また、朝までだ。 - 2005年02月07日(月) これは…ひどい。 「何とも思ってない」なんて嘘だし、自分でも、あれは嫌だこれは嫌だって言っているのに、最後には「別にそれでどうこうということはないよ」。 こうなると、言いたいことが十あったとして、中の一つが伝われば上出来だ。 しかもわたしは今日、最初に失敗してしまったから、もう、今日のぶんは無理だ。 それは、諦めたけれど。 価値観の違いからも生じる、わたしにとっては聞きたくない言葉がディスプレイに並ぶのを見るのも、そしてそこに広がる闇に何を言っても無駄だとすぐに諦める自分も、どちらも嫌だ。 また闇が広がるくらいなら、もう話したくない。 でも、きっとこれは、既に横たわってしまった死体のようなものなのだろうと思う。 この輪の中の誰と誰のあいだにも平等に横たわっている、死体。 たぶん、その大きさは、それぞれで異なるのだけれど。 - メイル・で・滅入る。 - 2005年02月01日(火) 月曜日には戻ると言ってあったのだけれど、なっつから、「秋田はどう?」というようなメールがあった。 彼はあるときから、わたしには「なんとなくメール」をしてこなくなったので、それはとても珍しいメールだった。もう帰ってきていると言うと同時に、18時半をまわっていたのと本当におなかが空いていたのと二つの理由で、「おなか空いた」という、わたしの口癖を送ってみた。 すると「そか。おかえり。何食う?」と返ってくる。食べに行くつもりがあるのか、ただきいてみただけなのか量りかねて、「街で食べて帰ろうと思っていたけど、食べに行くなら行きたいところがあるよ」と返してみた。 返ってきたのは、「いや、ただ聞いてみただけ(._.;)」という文字だった。 タイトルは単純な、そしてとてもなっつ的な遊びであって、実際のところ、べつに滅入っているわけではない。 でも、昨日帰ってくる高速バスの中で、やはり今できるだけすぐに会いたいのはなっつであること、そしてそれはかなり高い確率で無理であることを、ずっと思っていた。 きっと、いちばん簡単なことから片付けていけばいいのだろうけれど、何が簡単なことで何が難しいことなのかも、よくわからない。もう、きちんと向き合って話をすることすら、許されてはいないような気がする。 -
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