国籍。 - 2006年02月24日(金) バイトは8時間勤務である。 そのうち1時間はランチ休憩。 その日入る売り場によって、一時半からだったり二時からだったりと、 時間はまちまちで、同期の子たちと一緒にランチを食べることもままならない。 なので、たいていお昼は一人で行く。 緊張から開放されて「ほっ」とできる時間。 もちろん、喫煙できる店を選ぶ。 一昨日の昼はチーズバーガーとナゲットを食べた。 昨日はチーズバーガーとスープ。 今日はエビバーガーとクラムチャウダー。 そういえば、先週も 火曜日、水曜日はチーズバーガー。 木曜日と土曜日はフィッシュバーガーとナゲットで、 気がつけば、ここんとこず〜っとハンバーガー屋でハンバーガーばっかりである。 アメリカ人かよ。 おしまい。 ... 揺れる心。 - 2006年02月21日(火) 私のバイト先、というかパート先には、 社員6人に対してパートが60人強もいる。 もちろん、シフトがあって、いっせいに勤務するわけではないのだが、 それでも半数以上は出る。 店舗は決して広くはないので、信じられない人数だ。 年齢層は30代後半から50代後半まで。 すべて女性だ。くせ者だらけの。 私は女子高、女子大育ちだが、女だけのこの独特の空気には、 改めてうんざりである。 その上、社員がまた意地悪。 中でも特にいただけないのが、まだ20代後半の若僧にして、 やたら威張りまくる、目、鼻、眉が糸で吊ったようにツンと上がっている おかっぱ頭の、通称「コケシ女」と、アパレルにいがちな 全身黒のプリーツ服で決めた、50代の「太ったラッコ女」である。 働いて、まだ2週間だが、この環境から逃れるべく、 早くも仲の良いTさんと辞めるタイミングを模索中だ。 昨日も風呂でお湯につかりながら、何を理由に、いつをタイミングとして、 サイナラ!するか、考えてみた。 そして、ふと、頭に浮かんだこと。 それは、例えば、あと2週間で、とか、一ヶ月、二ヶ月で辞めたとする。 そしてその後、私が窃盗か何かで捕まったとしたら、 ワイドショーでの私に対するコメントが 「職を転々とした挙句」 という何だか不名誉なものになってしまうということである。 おしまい。 ... 契り。 - 2006年02月10日(金) ここしばらく日記を書くことができなかった。 実は先週、突然バイトが決まって、今週から出勤だったのである。 そして、今日で4日目。 帰り際、6人の同期の中で一番仲良くなったTさんがため息をついた。 「あ〜あ・・入ってみないと、会社ってわからないもんだよね〜」 仕事は販売の仕事である。聞けば「あ〜、そこね」というような、 わりと評判の良さげな店なのだが、 その仕事内容や自給より、何より、社員がイケナイ。 社員である店長は50代と思しき、「目の細いお蝶婦人」といった感じの女性である。 お嬢様っぽい、ちょっと、一本ネジの足りない、あさっての方向を見ているような 感覚の人で、私達バイト連中は言動に首を傾げるばかりだ。 応募前、事前の募集要項にはもちろん「時間、曜日応相談」と書いてある。 私達は面接時に、入れる曜日、時間帯などを記入する「希望シート」を 書かされたのだが、それはあくまで軽い、「とりあえず書いてね」ぐらいの ニュアンスだった。 だが、初日の講習会の日、みんな、それぞれ自分なりに詰めた「最終希望」を 告げようとすると、驚いたことに店長が 「何故ですか?あなた、面接の時に書いたシートではそういうお約束じゃなかったでしょ?」 とか言う。 前出のTさんに至っては、面接時に軽く、「日によっては遅番でも・・・」 と言ったのが最後、いつの間にか、店長の中で「遅番超希望!」になっていて 結局、毎日遅番になってしまった。 それは例えば、デート中に男が 「いつまでもこのまま一緒にいたいね」とつい言った言葉を 舞い上がった女が「プロポーズされた・・」と勝手に思ってしまうのと良く似ている。 あの軽く書かされたシートが生活のリズムを狂わせるような 重い「契り」だったなんて。 どうして、面接が私達雇用される側ばかりなのだろう? 世の中に、雇用する側を面接する制度があってもいいと思う。 おしまい。 ... 母の願い。 - 2006年02月02日(木) 新年の2日から仕事だった旦那は、もう1日には東京に帰り、 妹夫婦も3日に帰ってしまったため、年明け早々、 私は実家でひとりになった。 新潟は例年にない大雪で、外に出るのも躊躇われるぐらいだったから、 自然と家の中、母との会話も多くなる。 あの日もそうだった。 夕方、母のいる台所に行くと、彼女は、 韓国語教室の宿題を食卓でやっている最中。 私は夕刊を開き、目を通しながら、その真剣な様子にチャチャを入れる。 老眼鏡の隙間から時折上目遣いに、母は私を見、 笑ったり、適当に相槌を打っていたのだが、しばらくして、 突然、何の前ぶれもなく、自分の手の平を私の手に重ねてきた。 私を見る、母の瞳は柔らかだった。 重ねられた手の温もりがじんわりと優しい。 私も静かに母を見つめた。 「お母さん・・」 なんか、そうしみじみ思った瞬間だった。 彼女がゆっくりと口を開いた。 「頼むから、家にいる時も眉毛だけは描いとくれ」 おしまい。 ... 下着。 - 2006年02月01日(水) 皆さん、もしお時間があれば、昨年の9月15日の 日記をご覧になっていただきたい。 内容は「下着泥棒」であった。 私の可愛い水色のパンティー盗まれた話である。 その時の私の怒りと恐怖は物凄いものがあった。 だが・・ パンティーがあった。 引越しの際、ダンボールに下着を詰めていたら、 タンスの奥から水色の、明らかに盗まれていたと思っていた下着が 「やあ!ひさしぶり!」みたいな感じで出てきたのである。 盗まれてなかったと判った瞬間、「ほっとした・・」というより、 女として見放されたような気がしたのは、自分でも不思議な感情であった。 その日、帰って来た旦那に早速そのことを言った。 「あのさ〜・・下着あった・・・」 それを聞いた旦那の瞳は・・・ だからよせって。 その「おまえのなんて誰も盗まね〜よ」というような眼差しは。 おしまい。 ...
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