母のタイムスリップ日記
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先日 娘が「毎日 料理してる」って言っていた。 時折 作った料理をメールで送ってくれたり...。
直ぐ近くに100円ローソンがあって そこで食材を買って作っているみたいである。 ところが 調理しても美味しくないものがあるという。 それは おしょうゆを使った料理らしい。 どうにもたまらん。家で使っているしょうゆに近いものって 何処のメーカーだろうというのだった。 帰りに家のしょうゆを持たせた。 満足できたのかな?
気まぐれで調理する事が一年に一回あったかな? それが 自力で作るようになったのだから ま 自立も良かったと思う。
夫は 最初は電話も出来なかったが「誕生日に電話して上げたらいいんじゃない」といったら もう 週末になると「お母さんが帰ってこいっていっている」と幾度も電話しているみたい。 人をだしにしてなんてこったい♪ あたしゃ 帰って来いなんてよう言わないんだから。
娘のことは さておいて 今日の母。 昼前に施設に着くと深く眠り込んでいた。 昼食の時間になるところだったので トイレ誘導し「小」を排出してテーブルについた。 ゆっくりと食べ始めたけれど 深く眠り込んでいたのが影響したのか 食べ進まない。 「美味しいでしょ」というと首を横に振った。 ちょっと寂しげなお昼ではあったので「そうか」とは思った。 でも 施設なのだから仕方ないよね。 時間を掛けて ご飯を3分の1残して食べ終えた。 おかずがなくなったので仕方ない。 こんなことなら何か持ってきておけば良かった。 今日は 珈琲のみ持参で昼食を持ってきていなかったのだ。
その後 水分補給したり 口腔ケアをしたり トイレ誘導したり...。 ケアの予定表をみると 今日は 9時から30分の介助のあと 3時の入浴まで介助なし。夕方は 6時に介助のみ。
入浴介助が1時間の予定なので この間なら相手して戴けると思って家に戻って食事。 洗濯物を取り入れて お茶を飲んでまた母のところへ。
食事が始まる前にトイレ誘導した。 それから ゆっくり介助。 夕食は 順調に進んだ。
食後 口腔ケアとトイレ誘導していたら 職員が見えてバトンタッチ。 その間にそうっと施設を後にした。
最近 つくづく考えてしまう。 母の誕生日だけれど「おめでとう」の言葉だけ送って まだ プレゼントしていない。 明日は 知り合いの方に頭髪カットしていただく予定。 あさっては また別のことで通院予定。 一段落してから ゆっくりとお祝いをしてあげたいな。
2009年03月30日(月) |
いろんなことが見えた1日 |
骨折の検査のため通院。 母が何処から出発するかが最初の課題だった。 母の状態で通院するとなると体力勝負が目に見えている。 夜間の介護をして通院となるとかなり疲労するだろうと予測できた。 ふらふらしながらの介助になると母も不安だろうと思った。 だから 施設発に決めたのだった。
朝 支度をして母の所に向かった。 朝食は いつも通りの様子で母の食事が始まったばかり。 出る時間も昨日のうちに施設には伝えてあったのだが…。 予測では 食事が後半で残りを介助して着替えと排泄誘導して出られると思っていたが…現実には食事介助からとなってしまった。 ある程度予測できていたので 水分を準備してて良かったと思った。
食事を終えてトイレに誘導したら 職員が「トイレ誘導と口腔ケアの時間です」と見えた。母の出発は 9時20分と伝えていたのだが トイレ誘導が9時から半までという。 そしてこの誘導に入らないと 訪問介護がなかったことになりますが…といわれてしまった。 施設に迷惑になるのなら仕方ないかと職員に誘導して頂きながら こちらは 合間に着替えをしてもらった。 口腔ケアというか入れ歯は既に外して 手入れ中。 母のために負担にならないようにさっさと準備しているのに この流れが思わぬ障害となってしまった。 本当に不自由。 いつも 家族が代行できている時で 施設側の介護と重なったら 介護した事にして構わないから…といっているのだが そうは行かないらしい。
もたつきながら 何とか9時15分には玄関に着いた。 でも荷物を持って母を両手引きしている時には 職員の手助けはない。この時間は 施設のプランで行けば 職員は母についている筈なんだけれどね。一旦 トイレ誘導が済めば それでOK? いや 職員を責めているのではない。 職員は 言われた通りの事をしているだけだから。
外に出ると夫が待っていてくれた。 朝 早めに出勤して 指示出ししてここまで来てくれたのだ。
少し渋滞に巻き込まれながらも1.2分の誤差で病院に到着。 車から降りた母をみて 守衛さんが車椅子を準備して走って見えた。 様子で直ぐ判断してくれたのである。 職務とは言え 本当に機転が効く。 施設とはシステムが違うのだから同列で判断はすることはないけれど...でも 介護者にとって必要なことを考えて準備していてくれる事のありがたさ...。
受付を済ませて 待合室で待つこと2時間ちょっと。 待ち時間は 看護士さんが教えてくださったので 途中トイレ誘導したり お散歩に出たりできて助かった。
順番がきて 母を両手引きで診察室に入った。 医師は その様子をみて痛みはない様子ですねといい 更に母を動かして 様子を探っていた。 更に 1番気になる部分の事を尋ねるときちんと見られて「問題はありませんね」と言われた。 それから「レントゲンで大丈夫みたいですね」ということで 検査。
レントゲン検査は 控え室で待っていた。 叫び声は聴こえなかったので さほどのこともなかったのだと判ったが... 出てきた母は「わぁ〜ん」と泣いた。 「おっかなかった」とポツリ。 知らないところで1人になった数分が 怖かったのだ。 「ごめんね」と謝った。 立ち会ってくれた看護士さんが「あら 明日が93のお誕生日ですね」「背が高いのですね」とあれこれ母に話しかけてくれていた。 瞬時にそこまで書類から読み取る方は 珍しい存在である。
検査の結果を診察室で伺った。 「骨折はみられません。血管が太く硬くなっているので それが骨折に見えたのだろうと思います」と説明があった。 「以前なら 更に2週間後検査という事になったのですが 今はその必要はありません。強い痛みが出るようでしたら 再度通院ください」と言われた。 母に安堵の笑顔。 本当にこの雰囲気を掴み取る感覚は 何なのだろうなぁ〜。
それからの母は 更に笑顔アップ。 会計を済ませてタクシーを呼んでいる時 母のそばで母の名前を呼んで話しかけている老婦人がいた。 「?」と思って母の所に行くと...。 待合室で母の名前を呼ばれているのを聞いて名前を知ったようだった。
「あなたは 娘さんよね。あれだけの接し方が出来るのは娘しかいないと感じたの。おかあさん 足が長くて スマートで...いいわね」と話された。こちらが話すまで母が認知症とは気がつかなかったみたいだった。「この病院でも認知症の検査が出来るみたいなんだけれど 怖くてね。物忘れが多くてちょっと前のことも思い出せないのよ」と話された。
「私は医者じゃないんで絶対とは言えないけれど 認知症ではないと感じますよ。それに 今は 認知症を遅らせる薬もありますし必要以上に心配なさらず 安心のために診断を受けられた方がよいと思いますよ」と伝えた。 「そうなんですか。安心しました。今度受けてみようと思います。ありがとうございました」と。
タクシーが病院前に着いて乗り込んだ。 母も私もお腹ぺこぺこ。 途中駅までタクシーで移動して お蕎麦屋さんに入った。 夫から電話が入っていたので メールでタクシー移動するから大丈夫と連絡した。
そこでとろろの入るおそばを食べた。 茹でたての冷たい蕎麦なのに 母はきちんと噛み切って食べられた。 食事中は満面の笑顔で...。 やっぱり 昨日の噛まなかった母とは大違い。 これは 病のせいとか歯の不具合とはおそらく違うと感じるのだ。
病院内でも 水分補給や排泄はきちんと出来た。
お腹も満たされて 我に返り施設に電話した。 「あ 昼食はいらないのですね」といわれて連絡してない事に気がついた。
それから またタクシーを拾って施設に戻った。
今日1日で いろんな事が見えた。 これが 在宅で就労して介護しているとしたら かなりの負担。 在宅で介護している人は 介護した上に 準備や戻って家事が待っているのだ。本当に負担が強いなぁ〜。 施設側も よく考えてみると自前のデイに通所の時は 送迎のバスまで施設の職員が手伝う。 が よそのデイ通所の人をみているとよそのデイの職員が室内まで送迎をしている。 母のデイの人は エレベーターのところまで。 通院の家族には 全く手伝いはなし。
おそらく言い方次第なのだろうけれど...。 家族は やっぱり言い出せないよ♪
取りも直さず 母に骨折がなかったということは 母にとって、施設の職員にも私にも「良かった」という事だけは確か。
帰路 地域の整形外科に立ち寄ってお借りしたレントゲン写真を返した。診察については 病院から地域の医師に返信してくださると説明を受けた。
夫が久しぶりに休日。 でも放置して母の食事介助に出かけた。 1時には戻ってお昼にするから…と言い訳しながらである。
母は 居眠りしていたが起こしてトイレ誘導。 「小」がばっちり。 「大」も気になったが 職員に確認して食後でいいかと勝手に決めてしまった。
配膳された食事を始めると母は口を開けてくれるが 噛まない。 生憎長いもも切れていて…ピンチ。
夫の食事間に合いそうもないと思って 携帯を手にしたら弟からの着信履歴が残っていた。 「何かな?」と思って電話をしたら 今こちらに向かっているとの事だった。弟の娘も同行しているということだった。
母に「長男が来るって」といったらちょっと顔がほころんだ。 が食事は 口に溜まる一方で仕方なく居室に入って入れ歯を外して 指で食べ物を書き出した。 それから 再度チャレンジしたけれど変わらなかった。
職員がパンならどうかと 自分のパンを差し入れてくれたが変わらなかった。
弟が苺を持って到着。 職員が苺をカットしてくれたので一切れ口に入れたが全く噛まない。
ギブアップである。 居室で暫く様子をみてたら トイレ誘導で職員がみえた。 そこでお任せしたが 空振り。 でも職員に「大」の確認を取ったら4日目に突入だという。 そこで 職員が居室を出た後「大」の誘導。 これがうまくいって それから笑顔を取り戻した。
お腹も空いてきたので 母を連れて我が家に向かった。 家について みんなで昼食を摂ると母もちゃんと食べ始めた。 水分も飲めた。 そんな時娘から電話が入った。 姪っ子に出てもらったら「?!」の娘。
娘も加わり賑やかに食事。 でも弟の帰る時間と母の夕食もあり施設に送ってもらった。
娘と姪っ子は母を送りながらドライブして家に戻り 早々に帰路に着いたらしい。
程なく 施設の夕食。 家ではパクパク食べたので大丈夫だなと思って長いもも準備しなかった。でも 昼食の時のように噛まない。 この差はなんだろう? 丁度食事介助に職員が入るといってくれたので その間にとろろを求めてスーパーに走った。
その間にゆっくりと母の食事が進んでいた。 でも超スローペース。 長いも+オクラで半分ほどの残りを食べ終えた。
母のメッセージが捉えきれない。 ひょっとしたら…と思うこともあるのだが 何ともいえないし…。
とりあえず夕食は残さず食べ終えた。 入れ歯を外してソファーに座ってもらった。
娘が迎えに来てくれて 家に戻った。
弟は あさっての母の誕生日のお祝いに何か買ってあげようと思ったらしいのだが…それも叶わず帰って行った。 目を三角にして食事拒否する母が 家に戻ったら満面の笑顔を見せる。そして何の問題もなく食べ始める姿に その落差を初めてみたと思う。 1日の中で見せる表情の違い 確実に意志があって返事しているとよくよく判ったようだ。 姪っ子も久しぶりの対面だが その様子に驚いていた。
夜になって 生あくびばかりでてくる。 明日は 骨折の検査を受けに専門の病院にいく。 ちょっと遠い。 タクシーを予約しようと思っていたら 夫が「送っていくよ」と言ってくれた。母の身支度は居室に準備して来ており 後はお茶や軽食を準備して…。 もう あくびパクパク。今日は もう 眠りますわ。
今日は地域のイヴェントの予定日。 昨夜準備を考えながら 何も出来ないまま眠ってしまった。 明け方 目覚めて母の顔が浮かび それから眠れなくなってしまった。 イヴェントには 母と共に参加しようと思っていたので 連れて出て何が起きるか…それが大きなプレッシャーだったのである。
今朝 夫を送り出して あれこれ準備を始めた。 夫には 母のことで頼みごとをした。 自分の親のことなので あまりあれこれと頼むことは気が引けるので 最近は 殆ど頼んでいない。 兄弟が動かないのに 何故自分が…と受け止められることもかなり面倒。
気持ちを立て直して 今日のことは 今日のことで…と思う。 朝から 昼食を挟んでのイヴェントで母の見守りに協力してくれる人もいるという事だったのだが…。 母の負担 自分の負担を考えて見た時 これだけ悩むのは「無理」という事だろうと判断して 施設に昼食介助に行けないと連絡した。
母の事を守ろうとする時 出来ない事を他人に押し付けて勝手な事をしていないだろうか 本当は自分で出来る事ではないかという想いがいつも心の奥にある。 これが 介護者の大きなストレスとなってしまう。
医療だって 介護だって ちゃんと保険料を収めており 診察料だって利用料だって支払っているので問題はないのだけれど なかなか割り切れない。
いつもなら 気分転換を図って切り抜けているのだが 今回ばかりはいろんな事が絡み合い やってもやっても何か頼りなげで…。 重たい気分が続いている。
今日のイヴェントの関係者は 介護仲間や事情を知っている方がスタッフなので心置きなく迷いや悩みを打ち明けた。
この日記は 誰が見ているか判らないし 関係者の目に留まってしまい思わぬ方向に動き出す事は 自分以外の方に影響する事もあるのでかなり慎重に記している。 いずれ 気持ちの整理ができてその結果を冷静に書ける時がきっと来るだろうと思っているのだが…。
イヴェントは 順調に進み 一番最後に あるグループホームの映像が流れた。 その時に流れた歌声が哀しみを誘う旋律で 歌詞は聞き取れなくとも音だけでつう〜んと来てしまった。 舞台の袖で 顔を上げたり涙をぬぐったりしてやり過ごそうとした。 映像が終わると締めの挨拶の役があり 涙目で出るのも気が引け 本当に焦った。 何かきっかけがあれば 泣き出しそうな自分を毎日感じていた。
映像が消えて 進行の方の言葉を聴きながら 大きく深呼吸して話すことをまとめて気持ちの切り替えをして 感謝の言葉と共に挨拶が出来た。
夕方 茶話会と懇親会がある。 これまでの経緯とこれからもあるので 今日は夕食介助を諦めた。 施設に電話をして様子を伺い 夕食介助をお願いした。
母のことでは 気になることがいっぱいで 放置してしまったという思いが強い。自分の詰めの甘さを詫びながら1日を過ごした。 誰かのせいではなく 選んだ自分が1番悪い。
2009年03月27日(金) |
ちゃんと出来ているのだけれどねぇ〜 |
いよいよと認知症後期高齢者の典型的な症状が生じてきていて 迷いどころである。 介護仲間が 電動のエアマットを使ったほうがいいよとアドバイスをくれた。
これまでも ちょこちょこと考えていたけれど それは先々懸念されるかもと福祉機器展等でも念入りに見学程度。
今 現実に直面するとやはり「母にとってベストは何?」と探しまくる。
人には「困難に直面すると焦って力むけれど 焦らずにね…」なんて言うけれど まぁまぁ 連日あれこれと調べまくっている日々。
いろんな予防策を取ってきたつもりだったけれど この年齢だと抗しきれないないのかなぁ〜。 ここまで持ってくれたと思うべきか。
施設で母の前で 母の状態の話をしていたら またぽろっと涙を零した。 名指ししなければ 誰のことか判らない。 でも 母の顔を見て名前いうので 自分の事だと気がついて それも身体のことを言っていていると感知してしまうのである。 言葉を発せないけれど 敏感である。 本当に心配性な母の相変わらずの部分である。
病院での様子等を職員に伝えた事があるけれど 職員が実際にみるのは初めてだろうと思う。 いや 以前の職員は見ているかな? 言葉は話せなくとも 言葉は届いているとつくづく感じる場面である。 このままを受け容れて行くつもりだけれど…。
この先 日記をどうしようかなと思う。 でも これから先の様子を知りたいと思う人もいるのだろうと思う。 何に向かって どう向き合っていくか…。 介護者の迷いも含めて…。
ちょっと重たくなってしまった。 母の面会時 ビーチボールでキャッチボールをした。 ちゃぁ〜んとキャッチして 返球してくれニコッと笑顔を幾度も見せてくれた。歩行も両手引きだけれど 歩ける。 ご飯も普通食を完食。トイレ誘導で待ってましたとばかりに出してくれる。今日もちゃんと出来ていたんですよ♪
昨日 地域作りに関わっている方から「チラシを作らなくては…でも面倒なんだよね」と言われ 引き受けてきた。 昨夜のうちに作って 朝 ファクシミリで送信。
昼前 会の仲間が集まって あれこれ相談。 ついでに 母の様子を伝えて 感想を伺った。 検査する事のリスクだってあるという感想もあった。 午後 会議が入っているので 仲間と昼食を摂り 電車に乗って移動した。
あるイヴェントの会場の下見。 その後会議。
そこで仲間に今の母の様子を伝えて 感想を伺った。 「高齢で認知症があっても手術が可能」という意見に 初めて出会った。勿論 課題はリハビリ。 母の気力を維持できるかも気になるところなのである。
後期に入って 介護者の判断で左右されていく事に重い責任を感じている。
でも 今回の母のことで あれこれ地域の事情も見えてきた。 これも 母のおかげである。
「判らない事は聞いてください」といわれても 判ってない事が何であるかが判らないって よくある話。 感じた時に どうしていくべきかを考えるチャンスでもある。 1人では動けないけれど 仲間と考えて個々の情報を集めてみる事だってできる。
会議から戻って そんなことをある方と電話で話した。 「はなさんの話されていたことが ようやく判りました」と今回の群馬県の火災のことについて話された。
地域作りをなさっている方が ファクシミリ調子が悪くみられないということだった。 チラシを作れたのでパソコンをお持ちだろうと思って 伺うとメールアドレスをお持ちで添付資料も開けるという事でメール添付で送信。 全く 初めから気がつかないおっちょこちょいである。 そこでパソコン談義。 わが身もパソコンでは ほとほと手を焼き 四苦八苦してきた経緯があり「何事も経験を積んで覚えるしかないのですよね」と。
誕生日を迎えた娘にメールを送ったら「ゴミ捨てに出たら 雪舞っていたよ」と。家を出た娘 順調に早起きしているみたいだ。 帰宅した夫も会社に向かう時雪の舞うのが見えたらしい。 私だけ見られなかったのね。残念!
母は 機嫌よくすごしていた。 食事もきちんと食べ トイレ誘導もジャストミート。 歩行もできて…。
骨折の話を療法士さんに伝えてたら これまでの様子から手術するリスクの方が大きいのではないかと…。 母を取り巻く人や周囲の方の人に尋ねてみると殆どの方が同じ考えである。
一応 別の病院での予約が取れ 最悪手術でも入院対応の取れる日に検査することになった。
夕方 地域の方と役所と今後のことについて話し合い。 地域もいろいろ動き始めている。
今朝は少し冷え込んだ。 この調子だと桜もゆっくり咲きそろい長く楽しめそうな感じ。
お昼前に施設に着いた。 車椅子で眠りこけていたが深い眠りではなく 「立ちましょう」というと軽々と立ち上がられる状態だった。 「最近 起きると直ぐからおかちゃん おかちゃんと泣かなくなったよ」と入所者の方が教えてくれた。 おそらく 一時の不安感や不調を乗り切り始めているのだろうと感じている。笑顔も多くなった。
トイレ誘導 昼食介助はいつも通り。 昼食後 歯磨き。 少し時間が掛かったが 綺麗にできた。
午後 登録している事業所の集まりがあるので出かけた。 いつも10人足らずの参加者しかいないのに 今日は倍以上の参加者がおり 男性の方も多かったのにとても驚いた。 地域の中が少し変化しているのかも知れないと感じた。 今後の事等 いろいろの意見が出た。 そういえば 母の食事介助を依頼した時「男性でもいいですか?」と確認されたなぁ〜。 以前は 男性ボランティアは 碁の相手とか草取りが多かったのになぁ〜。 母の介助に当たって下さっている方と隣り合わせとなって あれこれとお話できた。
集まりが済んで その足で母のところへ。 夕食介助。 歯磨き介助をしていたら6時から介助に入りますというので トイレ誘導してホールの椅子に座って貰ってそうっと施設を後にした。 5時半には お布団が敷かれ 着替えがセットされていた。 やっぱ 施設の夜は長いんだなぁ〜。 家に戻っている時には 7時過ぎに夕食だから…。
そうそう 昨日のことで失敗を思い出した。 車椅子を二人で押して歩いた後 母に車椅子に座って貰い進み始めた。 暫くの間 足を置くステップを下げ忘れていた。 その間 母は 地面に足が着かないように上げていたのだった。 一瞬ヒヤッとしたが よく踏ん張ったなと思った。 咄嗟の判断力があるんだと驚いた。 施設に戻って居室の椅子に座った時も足を10センチは浮かせていた。
以前の母は お掃除の時などそうやって足を上げて協力してくれたものだが最近は 殆ど上げなくなっていた。 それに 骨折?といわれたのに…きちんとできたんだよね。 不思議だな
2009年03月23日(月) |
通院してみたけれど… |
朝 施設から電話があった。 ドキッとしたけれど これまでの様子から気になっている事の連絡で 1度整形外科で診察を受けてみる事にした。 お互いに 認識できていた事で 私も毎日気をつけてみていた。 何時通院しようかと思っていたので 背中を押して貰った。
母の所に行く前に 整形に立ち寄って診察券を出した。 施設に着いて 身支度を整えてちょっと考えた。 タクシー利用か車椅子か? 桜の花もほころび始めたので 車椅子で向かう事にした。 12時頃が良いと言われていたので 何とか間に合うだろうと思った。
トットコ車椅子を押す事30分。ほぼ予測通りに整形に到着。 急いでいたけれど 桜の木の下で車椅子を止めて見上げる時間は取れた。 母には 何の説明もしなかったけれど 身支度を整えたら「外出」を感じ取り 期待感溢れる表情となった。 着いた先が医者とは気がつかなかった。 「これから 足の痛いところを検査するけれど きっとレントゲン検査で痛いことはしないから安心してね」と3回ほど伝えた。
順番が来て レントゲン検査となった。 技師が手際よく体勢を整えてくれて無事3枚ほど撮影できた。 母も多少の不安の様子は見て取れたが これまでで1番安定してたと思う。
医師は 「写真を見ながら骨折していると思われます。MRI検査をしてみないと断言できませんが…。 骨折ですと手術が必要です。ボルトで止める必要があります。 骨はかなり弱っています。」と。 「病院とか指定がありますか?」と聞かれて こちらの希望を伝えるとその事に返事はなく 近隣の病院名を言いだした。 「認知症で 93歳という年齢で 対応して貰えないのでは…」と言うと 「そういうこともありますね。でも そこが1番定評があり技術力もあります」と断言なさった。 「はい」と返事したら「MRIについて 係りのものが説明しますので…」と言う事になった。
話が落ち着いて 母の目を見たら涙でウルウルし むせってた。 アッ そうだ。母は こういう時状況を読めるのだった。 手術と言う言葉きっと堪えたんだろうな。
この時医師の前にいたのだが…。 「脱水で噎せたのでしょう。水分補充なさってください」と言われた。 水分不足はない。何時だって水分は準備しているし 今日だってちゃんと準備したし幾度か飲んで貰っていた。 「診察室に入る前に飲んでいたの看護士さん見ていたでしょうに…」と言いたかったが 言っても始まらないので「はい」と返事しお礼を述べた。 診察室を出る時に「大丈夫よ。心配要らないからね」というと深く頷いていた。
説明の方が見えて話をお聞きすると 近隣の病院ではなく更に遠い病院を言われた。 バス便も週2回ありますと言う事だった。 おそらく提携のある病院なのだろう。
少し迷ったが 母の性格 今の状態で何がベストなのか考えてからにしたかったので 別の病院にこちらで連れていってはいけないかを確認した。係りの方が 確認してくださり「そこならいいですよ」と言われた。
医師の対応の事をあれこれと言うつもりはない。 医師だって精一杯考えて下さっているのが判るから。 ここで 娘も 母も 私も 確実に助けていただいているのだから…。
頭の中でぐるぐると考えた。 先ず MRI検査の必要性と実際に可能か? また ボルトで止める手術をするリスクと このままにして歩行できなくなるリスクとどっちが良いんだろうか? そんなことを考えた。
会計を済ませて 整形外科を後にした時 あちこち当たってみてから判断するのが良いだろうと腹を決めた。 母にとってベストの道を探るしかない。
さて 整形を後にして 先ずはトイレへ。 施設を出る時に「小」。あれから1時間半ほど経過。 身障者用のトイレで きちんと排出。タイミングばっちり。
そこから 昼食。 おすし屋さんか洋食屋か迷ったが 品数の多い洋食屋さんへ。 二人で別々の物を注文した。 目の前で焼いてくれるので 母は キッチンに立つ人と天板を交互に見つめていた。
焼きあがった物を口にするとニコニコ笑顔。 「美味しい?」と聞くと 頷いていた。 一人前のランチをぺロッと平らげた。デザートのアイスクリームやお茶もお変わりしてた。 久しぶりに 食事介助で充実感を得られた。 やはり 美味しそうに食べる姿で介護者は元気を貰えるのだなぁ。 今月末に誕生日だから 前祝できて良かったわ♪
1時間足らずでお店を出て 再度トイレ誘導し「小」 それから外に繰り出した。 来る時も風が強くて私のコートを掛けた。 帰りは更に強い風で…コートを脱いで母に掛けた。 手袋もしっかりはめたのに…直ぐ脱いでしまった。 コートで腕から手まで覆って…。
施設近くになって 空の車椅子を二人で押して歩いた。 一キロ弱。無理はいけないと思い 車椅子に座ってもらったら「わぁっ!」と泣き出した。もう少し歩きたかったのかなぁ〜。
施設に戻って 着替えを済ませてトイレ誘導。 やっぱり「大」少量と「小」
今日もトイレ誘導のタイミングはばっちり。 母も安心しているのが伝わってきた。
「車椅子を押してなんて 大変でしょ」と言われたけれど もっともっと大変な事を経てきているので 自分にとってそう辛い事ではない。 疲労もない。…と強がってみても 明日に疲れが出るのかな? 自転車で戻って 夕食の支度をしていても疲労感はないからきっと大丈夫だろう。 食事している時のやわらかな母の表情が エネルギーとなっているのだろうと思う。
群馬県渋川市の有料老人ホームの火災で亡くなられた方のご冥福を心より祈ります。
火災のニュースは 火災の起きた翌朝に知った。 ネットで目にした施設の理事長の姿をみて こんなに高齢の方が…とちょっとショックを受けた。 そして なぜ こういう施設を立ち上げられたのか気になった。 まだ 犠牲者の報道や火災の原因等が主体なので そのうちに新聞で検証してくれるといいなと思っている。
朝日新聞の報道を読みながら 近所に住まわれている他の施設に勤務する方やご近所の方が救出に協力なさったという事に 少しホッとした。 墨田区から入所しているという報道に どういう経過で入所に至ったかがある程度想像できた。
今朝の朝日新聞の報道で やはり家族との断絶状態の人が多かったのだと知った。このことは 施設だけの課題ではないのだ。 家族の了解を得る事が いまの時代必須になっており 家族が拒否した場合は行政が担当する事になると記憶している。 手続きだって簡単ではない。 急を要する場合 すんなりと行かず本人が本当に困ると思う。
地域に住めなくなった経緯 近隣の施設に入所できなかった経緯がとても気になる。
おそらく 墨田区や渋川市に限った事ではないだろうと想像できる。
親族や家族や地域の人が 関わってくれる人はまだまだいいのだ。 今も行き場を失っている人がいるだろう事 哀しいけれど そこに入所するしかなかった現実をしっかり受け止めておこうと思う。 近隣だって ひょっとしたら高齢化していて助け合いどころじゃなかったのかなぁ〜。
施設の運営の責任はある。でも 施設だけの問題と決め付けず 地域の暮らしぶりや近隣の施設事情 国の施策も絡めての検証報道をして欲しいと切望する。
さて 本来の日記に。 早目に施設に向かった。 強い風で自転車のハンドルが取られそうな程だった。 母はソファーに座って左傾斜で眠っていた。 「少し前まで起きていたんですよ」と入所者の方が教えてくれた。 声を掛けたら 顔を起こしてにっこり。 「立ちますよ」と伝えて介助し立位。 今日は 調子は悪くはないと感じた。
トイレ誘導し「小」笑顔を貰った。 それから 居室で体側伸ばしと足の屈伸。
ホールで昼食。 「今日は 食べやすそうですよ」と施設長。 拒否なしで60分かかって全量摂取できた。
食後 口腔ケアをしてトイレ誘導。 「大」「小」排出。 「大」は久しぶりに健康そのものだったのでホッとした。 お腹の状態がいいと笑顔も多い。
トイレ誘導で職員が見えたが 既に済んだ事を伝えて 手引き歩行やボール遊びをお願いした。 職員がトイレ誘導や食事介助だけの関係ですごすよりも 楽しい体験を積んで欲しいと願うから。 そこから見える母の姿を基本に介助に当たって貰えたら嬉しい。
夕食介助は来れないかも知れないと伝えて家に戻った。
家でぶどう棚を解体した。 「冬の間にお願いよ」と夫に頼んでいたけれど なかなか腰が上がらないので…。 後に緑のカーテンを施したいので 作業を進めるためにはぎりぎりの時期にきているので致し方ない。
2009年03月21日(土) |
桜の開花に元気貰って |
娘は 花粉症でクッションクッション 鼻詰まりの声でなかなか記し強い状態。いつもより強い薬を服用した事もあって 眠気をもようしたようだ。 一泊した娘は 今朝 自分の住まいに戻っていった。
お昼に余裕を持って施設に出かけた。 行きの道 桜並木で「開花する?」と見上げた。 いや 驚いた。 気温の上昇で 硬かったつぼみがすっかり膨らんで濃いピンク色をしていたのだった。更に良くみると なんと数輪は白っぽいピンクとなっていた。
施設について道すがらの桜の花の様子を伝えて「いよいよですね」と話題にした。 母をトイレ誘導するとジャストミート。母も笑顔を見せてくれた。 やっぱり 嬉しいんだよね。 朝食で汚れたカーディガンを着替えて貰って ホール内を歩いて貰った。立ち上がって暫くは左に傾斜し足のバランスもうまく取れなかったのだが…。歩いたり 左体側を右側に伸ばしたり 左足の膝の屈伸を試みた。 多少の痛みはあるようだが 母は頑張ってくれて歩行も大分改善できた。
その後昼食介助。 今日は 昨日より状態がよく やはり昨日はお腹の調子が影響していたようだ。 食事が済んで トイレ誘導したら ジャストミート。 母 にっこり♪ その後 みんなで歌っていたら トイレ誘導の時間。 トイレ済みなので 口腔ケアと歩行をお願いした。
その間に一旦施設から家に戻った。 遅めの昼食を摂り 施設から運んだ洗濯物を洗濯機へ放り込んで ベランダの洗濯物を取り込んだ。 夕食の下ごしらえをして再び施設へ向かった。
昨日は 居眠りをしていた母だが 今日は眠らずにソファーに座っていた。立ち上がりも良好で歩行も安定。 トイレ誘導したら ジャストミート。笑顔のプレゼントを受けた。
また室内歩行。 今度は 外に出られると言う期待があったみたいだ。 午前中は 足取りがおぼつかなくて不安げだったのだが…。 でも夕食始まるので致し方ない。 食事介助に入るので お散歩が思うように出来ない。 この辺 何とか解決を図りたいなぁ〜。 昼食介助を外食にしてみるとお散歩兼食事に出来るのかも…。
入所したてのころは 母を連れて家に戻り 入浴して食事して戻ることも容易に出来ていたのだが…。 今は とても難しいなぁ〜。
出来なくなっている事を嘆いてもみても始まらない。 今 出来る事をもう少し探ってみよう。 ちょっと考えていることもあるし…。
夕食は 職員が介助してくれた。 食事前に意識もはっきりしていたので 何とか食事もできた。 同じ職員が介助できそうな気配だったので お任せした。 職員の介助を受けながら 真向かいに私が座っているってミョウチクリンな塩梅の母と私。
私の隣では 嚥下が難しくなっている方が食事中。 ご家族が介助に見えている。 ごぼごぼと咳き込む時には おせっかいの手を出したりしながら…。
母が職員に頼り始めたのを機にそうっと施設を後にした。
そういえば 朝白っぽいピンクのつぼみが 夕方施設へ向かう道すがら咲いていたのです。 予報ぴったりです。 数輪なので 全体が咲きそろうまでは あと少しの日が必要でしょう。
2009年03月20日(金) |
食事介助は 孫の出番! |
昼食の始まる前に…と思って母の所に向かった。 食事の前のトイレ誘導と食事が始まりますよという導入に時間を取りたかったから。
施設に着くと母はソファーに座って深く眠っていた。 今朝は 立位も大変で朝食も半量やっとと言う事だった。 みると目も少し腫れており 手も浮腫みがみられた。 目じりが赤くなってなっていた。
トイレに誘導する前に「アッ」と思ったので 取替え用のトレーニングパンツやパット等を先に準備した。 きっと早朝からお腹が気になって 立つ事も嫌だったのだろう。 訴える力がないこと また施設の事情で致し方ないことだが 母にとっては辛い時間だったろうと思った。
おそらく母は 「出そう」という思いをキャッチできて我慢している筈。 これは もう直感でしかないが でも間に合った時の嬉しそうな表情から容易に想像できる。
パットに付着物ありだが 残りはトイレで排出できた。 結構長く掛かった。 この様子だと相当辛かったのだろう。
昼食が始まり ゆっくりと介助。 時折拒否も見られたが 何とか全量摂取。 それから 1度家に戻った。
部屋の片付けがあるからと娘はやってきた。 一緒に昼食を摂り 暫くして夕食介助に出向いた。 送るだけの娘だったが 気になるらしくお「おばあちゃんに逢って行く」という施設内へ。 そこで 夕食介助。 私と娘を交互に見ている母。 似ているからねぇ〜。年の差は明らかだけれどね。
入所者のご家族が他にも見えた。 合計すると5人。 いずれも娘と孫。 もう1人のご家族のお孫さんも「初めて…」と言いながら おばあちゃんの食事介助をなさった。 少しずつ こうやって関わりを方を学べる…。 高齢者にとっても孫世代にとっても貴重な時間である。
夕食介助を終えて そうっと施設を後にした。
2009年03月19日(木) |
♪よいこらしょ どっこいしょ♪ |
昨日 書き忘れた事。 施設のケアマネと話しこんでいる時 母は隣に座っていた。 途中で おやつの時間となって職員が母におやつ介助してくれようとした。だが 母はおへそを曲げてしまって 口を開かなかった。
私が話し込んだことで置き去りにされた感があったのだろう。 同席していたケアマネや施設長や私を睨んでいた。 「怖い顔」とケアマネや施設長は 驚いていた。
認知症と言えども 関心を寄せられないとこんな風に怒りを表現できると言う事をケアマネに知って戴けたと思う。 この所の母の様子の変化は こういった事も影響していたのである。
自分の記憶を辿れないのだから 寄り添ってくれる人の存在がないと寂しくてたまらないだろうと思う。
夕方 母に「さびしいの?」と聞いたら深く頷いて しがみついて泣いていた。
今日は 母のデイサービス利用の日で 夕食は ボランティアの夕食介助をお願いしてあるので 溜まった家事を片付けた。
菜園の土を天地返し。 これがなかなかの力仕事で…午前中3時間掛けてふらふらと家に戻って昼食。 この所の暖かさで心配だったが ほうれん草にとうは立っていなかった。 近くのグループホームへ 数束を届けた。 先日スーパーで買い物している時 ホームの方を見かけたのでまだ食事支度の出来る人がいるんだと判ったから。
午後再度菜園へ。 午前中は油断して帽子を被らなかったらかなり日焼けしたのでしっかり帽子を被って出かけた。
残りの所の天地返しをして 腐葉土を混ぜた。 生協で購入した腐葉土なので一袋の量が少ない。 だから 軽い筈なのに やけに重たかった。 腐葉土の袋の下に なんと苔だま用の土が4袋入っていた。 注意力がないんだなぁ〜。
作業しながら ラジオでWBCの中継を聴いていた。 お国ぶりの野球事情が見える試合だなぁと思った。
いやはや 菜園からの帰り道の足腰の重いこと…。 最近は 自転車で施設へ数回往復し急な坂道を登っているのでけっこう鍛えているつもりだったけれど たいした事もないのだな。 夕食の支度を始める前にストレッチで身体をほぐして置いた。
リハビリの日。 お弁当と母の飲み物・果物を持って施設へと向かう。 自転車日和。
桜並木を見上げると花芽がぽこぽこ目立つようになってた。 予報では 21日開花とか。 まだ 1週間は先のような気がするのだが…。 一足先に こぶしが満開である。 沈丁花の香りも漂っている。 そうそう 今日鶯の初音を耳にした。 先日はガビチョウの声も耳にした。 春色モード…♪
施設に着いて 母を居室に誘導。 昨夜 「大」が出たとのことだった。 それでも パットに「大」が付着。 「小」はジャストミート。 それから暫く トイレに座ってもらって様子をみてた。
明日のデイの準備(連絡帳や衣類を揃える) そのうちに 昼食となってお弁当を食べながら介助。 母はスパゲティー 時間内に食べ終えた。 その後口腔ケアとトイレ誘導。 パットに「大」付着。それから少量排出。
リハを終える頃にはzzzz♪ 暫くして 職員がトイレ誘導。 「眠っていますが…」と言いながら居室に入ると母モソモソ動いた。 「アッ 大丈夫です」と言う訳でトイレ誘導。 直感で急ぎと判断。 ジャストミート。 更に「大」排出。 職員が驚いていた。 母は 入眠中でも「小」の時には目覚める。
さて 今日はケアマネからケアプランについての説明を受ける日。 目覚めた母を隣に座ってもらって一緒に聴いて貰っていた。 率直に判らない事を説明して貰い また可能なケアプランを探った。 大枠では理解できたが…。 まだまだ細かい事は判らない。 ただ 施設の生活は 介護保険を利用して訪問介護と有料老人ホームの枠で支えると言うシステムだと言う事。 だから ケアプランだけでは 母の生活は見えてこない。 有料の部分では 緊急時等の介護の保障はない様だった。 出来る限り 本人や家族に判る様に説明して欲しいとお願いし 前向きに検討くださるということだった。 更に来年度介護保険の利用料があがり サービス形態に変化があるかもしれないと言われた。 その時には 判り次第説明くださるようにとお願いした。 不足の分は ボランティアやNPO法人の介護事業所にお願いする必要があるからである。
さて 介護保険の認定調査の部分の妙なところが改正されるとのニュースを読んだ。 3月中を目処に市区町村に説明があるようだ。 先日マイケアの島村さんも言っていたけれど 介護保険改正をするのは厚労省で 「おかしくないか」と問えば「おかしくない」と言うのだが個々に介護のお話をすると本当に理解のある普通の考えだったそうだ。この差って 何処で生じるのだろうと話されてた。
認定調査に関しては「一次審査では個々の状況で漏れてしまった事も2次審査で特記事項が有効になる」と先日 あるケアマネから伺ったばかり。 介護仲間にマニアル作りでもしようかと考えていたのだが…。 最近 介護保険を更新した仲間が軽くなったと話されたいたのだ。 認知症の実態をうまく伝えきれないのだろうと思ったから。
何はともあれ 調査項目の記入の仕方の変更されると知ってちょっと安心。
母は少しずつ落ち着いてきたように感じる。 母の変化の要因が見えてきて 何が必要かを考えられるようになったことでようやくである。
これまでも幾度か書いたが 私の慢心で辛い思いをさせてしまった。 母は こちらの疲労をはるかに越える不安だったのだろうと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいである。
排泄のリズムも元通りに捉えられるようになり 母の安心した表情が見えるようになった。 食事も何とか一時間でほぼ全量摂取できるようになった。
それでも母の不安はまだ消えていないようだ。 肩を抱けばしがみついて涙を零している。 でも不満げな表情は消えつつある。
トイレの手すりに手を誘導してあげれば 自分の力で立ち上がる姿に自発の動作をしたいのだと感じている。 出来る限り 母の意思に添えるようにと思い 今後の事をあれこれと考えている。
お昼前に施設に出かけて 夕刻まで。 入浴の具合等も見せて戴きながらあれこれと考えた。 「入浴介助 こちらで介助しますよ」と言ったら「職員が二人で介助する事になっています」と言われた。 だから見学させて戴いたのだが…。 ちょっと焦る。 我儘だけれどリフトを使いたくない。他にも訳があるんだけれど…。 食べる事と比べれば そう重要なことではないかな。
あ いけない また愚痴のオンパレードになりそうだ。 折角良い方向に動いてきたのだから…。
それにしても…混乱期に話を聞いてくださった方 解決方法を探ってくださった方 現実を整理する方策を考えてくださった方 多くの方に支えて戴いてきたのだ。ほんとうにありがとう♪
家に戻ったら 先日話を受け止めてくださった医師が 病院の担当者を通して電話を下さった。 本人と家族の都合の良い時に いらしてくださいと言う事だった。
お彼岸近くとなって 利用者さんのお墓参りに同行。 相変わらずピンシャンとなさっている。
長年のコース お花を購入するお店はいつも決めてあり トットコ歩かれる。「目は見え難くなって 足腰も…」といわれるけれど 90歳と言う年齢を考えると 素晴らしい体力である。 階段だって ささっさと上られて…。
途中新しいお店が出来ていると「ちょっと覘いてみよう」と好奇心も旺盛。用がないと思うとさっさとお店を出る。
道すがら 施設のお話をしてくださった。 認知症の方も受け容れている施設である。 先日 認知症の方も一緒に入浴なさったそうだ。 その時に石鹸を食べる方だったらしく 職員が「この人石鹸を食べてしまうから…」と言われて 手を押さえつける手伝いをなさったと言う。 話を伺いながら まくら言葉に「施設の方は 大変なお仕事なさっているのにあんなに大変なこともあるし…」と同情的。
実際その場に居合わせてないので適切なのかは判りませんが 石鹸を食べると判っている認知症の方なら 近くに石鹸を置かなければ良いのではないでしょうか」と話した。 認知症の人に責任はない。 病ゆえに出来ないのだから 周囲にいるものが配慮すればいいことなのだと思う。 「あそういうことだわね」と納得なさっていらしたところをみると広さも充分にあって そういう工夫が出来れば避けられると感じたのだと思う。
3時間半ほどで今日の活動は終了。 その後家に戻ってから 廻り切れなかった所を順繰りに廻り 溜まっている仕事を片付けた。 それから 母のための情報を集めるために出かけた。
今日一日で片付く事ではないので また用事ごとに順繰り向き合っていこうと思う。
お昼の介助に母のところへ出かけた。 今日は 床清掃日で 別のフロアの方も見えていた。 母を居室に誘導。 職員が今朝 室内を両手介助で廻ってくださったそうだ。 歩行は やや後ろ体重気味だが 何とか歩けた。
居室に入ってトイレ誘導。 トイレサインがありジャストミート。 更に「大」を尋ねると頷いたので しばらく待ったら予告通り。 言葉はないけれど 意志の疎通は出来ていると感じた。
程なく昼食となった。 時折口を閉じてしまったが 時間内に食べ終えた。 歯磨きをして デザートを取った。
母に「一人ぼっちで寂しい?」と聞くと頷いた。 「いるからね」「任せてね」というと しばらく考え込んでいた。 でも 理解できたようだ。 やはり「ひとり」という思いが常に母の心を占領しているのだなと思い知る。
居室でビーチボールのキャッチボールをした。 キャッチできるが返す事が難しい。 それでも 何回かキャッチできていた。
身体介護のみに留まらないで欲しいとお願いして 大分母も落ち着いてきたように思う。 「おかちゃん」と言う言葉も大分少なくなっているように思う。 でも 時折みせる唇を突き出している表情に まだ足りないものがあるのだろうと想像できる。
1度家に戻って 夫と昼食を摂って 夕方にまた施設へ。 今日は 明日入って下さるヘルパーさんが見えるのだ。 清掃なので 夕食時は別のフロアで。 更に室内歩行をし トイレ誘導し食事開始。 ヘルパーさんも見えて…。 90歳までお母様を在宅で介護なさったと言う方で 語りかけもはっきりとなさっていらした。 母の様子をみて「年齢の割りに若くみえる」「普通食なので吃驚」としきりに感心なさっていた。 介助の様子を見て それから試しに介助くださった。 母も話しかけに頷いていて ヘルパーさんも返事を貰えて嬉しいといってくださった。 時間内ぎりぎりで食べ終える事ができた。 この所 状態が良くなってきているし 夕食は割合ペースもしっかりしているように思うので良かったが お昼はどうだろうな。 食事の前に充分時間を取っているのだが ヘルパーさんは限られた時間だから…。
今日は 娘のマンションの大家さんに挨拶に行く予定なので 職員とヘルパーさんにお任せして 施設を後にした。
家に戻って支度をして 電車に乗って出かけた。 駅徒歩1分と言っていたけれど 道順を聞いてなくて 近くのコンビニ当たりをうろうろ。 すると自転車に乗った高齢の方から道を尋ねられた。 「私も良く判らないのです。コンビニで聞かれた方が良いですよ」と伝えた。 携帯で娘に電話し行き過ぎてしまったと知った。 それから 想像しながらスタコラさ。 マンション近くで娘が下りてきてようやくたどり着いた。 大家さんは お留守だったが 帰る直前に戻って見えて無事ご挨拶も済ませて 家に戻った。
いよいよ 独り暮らし開始の娘である。 娘は 感謝の便りを置いて出て行った。
家の片付けも完全ではないので 今週戻ってくるとのことだし…。 親元を遠く離れて暮す人を思えば お互い ずっと楽な筈だ。
引越しの荷物を運び出す日の娘。 少し前から マンションの契約をしたり 家財をあれこれ探して運び込み始めていた。
自立の1歩なので 極力手伝わないようにと最初から意識していた。 勿論 娘も親の力を借りるという意識はなかったが…。
仕事で朝帰りが続き 可哀想かなとも思い始めたが 母の介護を抜く訳にも行かなくて とうとう何にもできなかった。
今朝もいつも通りに 母のところへ行こうとしたら「私も行く」と娘。 母は ソファーにすわり両膝の間に頭を挟むほどに前のめりになって眠っていた。 娘が声を掛けてもなかなか目覚めなかった。 それでも 顔を上げた時には ニコニコ笑顔を見せてくれた。 立ち上がりは 困難だったが 何とか立ち上がって居室に 歩いて移動した。 それからは パッチリ目を開けてニコニコ笑ってくれた。 笑顔がこんなに長続きしたのは 本当に久しぶり。
娘は 母の様子を次々にカメラで写していた。 娘が帰る時に 玄関まで送って行った。 しきりに手を振る娘にだんだん下唇を突き出して不安そうな表情となり しまいには涙を浮かべていた。 ふと 母が元気な頃に私たちが帰省して 帰る段になるといつも涙を零していたなぁと思い出した。 今でも 別れは辛いと感じているのだなと思った。 それだから 私もいつも母に「帰る」といえないのだけれど…。
施設では その後昼食が始まった。 今日も良いペースで食べられた。 食事の時間 いつも居眠りが始まるのは気温の影響はないかと気になっていた。だから 今日は ちょこっと窓を開けて気温を調節してみた。みんなが寒いと感じない程度の調整。 それが影響したのか たまたま良かったのか 60分足らずで食べ終えた。 口腔ケアをして 水分を更に摂取し トイレ誘導して 室内歩行。
今週は 水木金土と母に接する人が多かった。 それが 母の状態が改善されたのだろうと思う。 人に拠っては そこまでしなくとも…と思うのだろうけれど 接し方で改善できるなら やはり寄り添っていたい。 思い込みと思われる方もいるのかもしれないのだけれど…。
落ち着いているので そうっと施設を後にした。
家で娘と遅い昼食を摂った。 二人で「眠いね」と。 娘は「少し寝たら」といい残して 作業を始めた。
「手伝うよ」といったら「大丈夫」というので ちょこっとお昼寝。 昨日からカタカタと身体に震えを覚えていた。 「寒さ?」と思っていたが 布団に入って眠ったら震えが消えた。 疲労の信号が身体から発信されていたことは自覚していたが 震えもその一つだったのかな?
夕刻 娘の友人が大きなワゴン車で見えて 荷物を詰め込む。 テレビや鏡等の梱包 テーブルの持ち出し等を手伝って 6時ごろ送り出した。
ちょこっと息抜きに お便りの返事を書けないでいた友人に電話をした。電話の向こうから 新たに再スタートした職場で奮闘している元気な友人の声が聴こえた。 お互い 身体に無理は利かなくなっているけれど でも取り組んでいる事で喜びを見出せることは幸せだよねと言う話になった。 取り組んでいる事は違うけれど 困難の中で覚える幸せ感は格別だと…。
NPO法人の事業所の方が母の訪問介護の契約に見えるので早目に母の所に向かった。
今月は 利用者さん訪問が2回入っていて それを外すわけには行かない。 母が家にいた頃からずっと活動しており この活動が自分にとって気分転換になっており 更に学ばせて戴いている貴重な機会だと感じてきているからである。 母の食事介助をその事業所の方にお願いするのだ。
紹介されて 私には記憶がなかったが 仲間から情報を得て私も1度お会いした事があるとかすかに思い出した。
お会いした時 そのことを告げたら 記憶に残っていない様子だった。 もう20年前のことであるから無理もない。
施設に着くと母は車椅子に座ってテーブルに着いて頭を垂れて居眠り。今日は 立ち上がり 歩行が困難だと報告を受けた。 直ぐ車椅子から立ち上がって貰って両手介助で居室に入った。 この行動は 職員にとって気分の良いものではないだろうなといつも思ってはいる。 でも 母との約束がある。 職員に同じようにしてくださいと言わないけれど 私には約束を守る義務があるので 許して貰うしかない。 悪意ではないと伝わっていればいいのだけれど…。 この辺が 職員と家族の微妙な立場の差。 職員と同じようにしたら 今度は私がやるせない気持ちになってしまうのだから…。
トイレ誘導後 左傾斜が強いので 肩を抱いて右側にゆっくり延ばしてみた。「痛い!」と母は半泣き。 今がチャンスと思って 母にゆっくり話した。 左側に傾いているので このままにするとだんだん左側を動かし難くなってくること。今 少し痛いけれど 頑張れば少し改善できると思うこと。出来る限り歩きたいなら 痛みを少し我慢して見ないか? 話している間 じっと私を見つめて聞き入り 静かに頷いた。 了解を得たと感じた。 それから幾度か右側を伸ばして見たが 「痛い」とは言わなくなったので受け止めてくれたのだと思う。
訪問があるまで多少の時間があったので 外履きに履き替えて外出してみた。 車椅子から立ち上がる時には 立ち上がりも歩行も不安定だった。 でも外に出る頃には 母が私の両腕に掴まるだけで歩行できた。 ただ 今日は風が強く「寒い」といったので 少し歩いて引き返した。 気がつけば 母はしたズボンを着用していなかったのだ。 「これじゃ 寒いよね」と謝った。
程なく 事業所の方が見えて説明を受けて契約した。 ホールでは 昼食が始まったのでホールに移動した。 そこから 食事の様子を見ていただく。 今日は うどん。 何だか いつもより量も多くてちょっとびっくり。 少ないと感じる時もあるのだけれど…。 これを60分で食べられるかと心配になったが ほぼ全量を食べることができた。 途中 事業所の方と話し始めたら 母居眠りしそうになった。 食介のリズムって大事なんだとつくずく感じた。 話しかけ 確認は 母にとって必須だ。
その後 事業所の方は 歌を唄ってくださった。 そのうちに母は 確実に手でリズムを取るようになった。 笑顔は見えないけれど 確実に快の動作が出来た。
居室に移動して 口腔ケアとトイレ誘導をしたがその様子も見てくださった。 更に居室でも歌ってくださり 母は信頼しきった表情をしていた。 でも この方が訪問くださるわけではないのだが…。 個別にびっしりつけば ここまで改善できるのだな。 お正月家ですごした時もそうだった。
事業所の方が帰られて 施設のトイレ誘導の介助。 残りの時間でボール遊びをしてくださった。 母が声を立てて笑っていた。
その後 私も一時的に家に戻った。 夫が会議で着替えをして出かけるといっていたので仕方がない。 洋服はアイロンを掛けてつるしてきたのだが…。 気温次第で選ぶようにして置いたのだが…。 家に あと一息と言うところで夫の車が角を曲がっていくのが見えた。 夫を自立させてないのは 私なんだなぁ〜とつくずく感じた。
洗濯物を取り込んで夕食の支度を途中まで。 夕食介助のため施設へ。 夕食が始まっていた。 職員とバトンタッチして 夕食介助。 母はしっかり覚醒しており 食事も軽快。 55分ほどで食事が済んだ。 その後 水分補給。
口腔ケアを済ませて トイレ誘導しホールの椅子に座ってもらう。 興味が他に移ったのをみてそうっと施設を後にした。
今日の収穫は 母の意思確認が出来た事。 やはり 生活の質の維持は 母の意志なんだ。 それを出来る範囲で支えるのが私の役目なんだろう。 多少の気まずさは 仕方ないんだなぁ。
2009年03月12日(木) |
どうなるんだろう介護保険 |
母は 今日はデイ利用の日なので 夕食が気になるがちと面会をお休みしてある会議へ。
新年度から始まる介護保険の実態のお話が聞けると言うので 介護仲間にも伝える必要性があって出かけた。 お話してくださるのは マイケアプランネットワークの島村さん。
会議の参加者は それぞれの介護者の会の方。 今日は お休みも多かったが それでも熱が入った。
介護保険の話に皆さん絶句。 多少前知識はあったが 考えられない事が多々あり本当に絶句。 聞いたばかりの話を書くには 消化しきれていない分 表現に難しさを感じるが…。 本人や介護者は 特に初期の方や後期になっていると非常に困難な状態になるのではないかと思う。
一つ事例を挙げるなら。。. 認定調査の時に ベットに寝たきりの人は 全介助が必要だと思うが 改訂版では 起きないので自立とされるそうである。
みんなであれこれ考えているうちに 厚生労働省は 認知症の理解を深めるキャンペーンをする傍ら 介護保険では 全く逆の方策を採っているねということになった。
昨日の会議でも 癌の人の緩和ケアがあるように 認知症の人にも緩和ケアが必要であり そのケアは 意思表示しにくいので個々に寄り添えるケアを目指すと注釈がつく予定である。 でも 介護保険では そういう部分をそぎ落としていく事になる。
介護保険の行く末が非常に気になってくる。 医療面では 認知症の理解が深まりつつあるのに福祉面では 後退してしまっているのは何故だろう。
認定調査も軽くなってしまう傾向が強まりそうだと言う。 初期の介護は 介護者が疲弊してしまう時期なのに 軽く判定されたら 介護者負担が重くなるばかり。 協力者のいない介護者は とても心配。 終末期 介護の必要性が高まる。 介護保険枠をオーバーしたら全額負担となり 必要な介護を受けるしかない。 経済的に恵まれない家族は 家族が介護するしかない。睡眠もとらずに介護に当たるしかなくなりそうだというのだ。
ここまで書いて 認知症の介護をなさっている方はどう受けて止めているかとあちこち見てみた。 が 介護者自身が介護保険改定について触れているところは見当たらない。 判っていても 仕方ないと受け止めているから書かないのだろうか? それともまだ 理解されていないのだろうか?
2009年03月11日(水) |
箸は正しく持って 挟めるのだけれどなぁ |
お昼に間に合うように施設に向かった。 今日もきっとソファーに座って左側に傾きながら首をうなだれて寝ているのかなと想像した。
以前は 左傾斜するのでソファーの左側に寄せて座らせて貰っていたが 今では そういったことに気配りしてくださる方は見当たらない。 深く眠っている風だった。 ちょこっとゆすったら 頭を上げたが直ぐに頭を下げた。 何時間こうやっていたのだろう。 お元気な方は デイ利用日で 母に話しかけてくださる方もいない。 キッチンに洗い物をしてくださる方が1人。 介助する方なので仕方がない。
母に「立ちますよ」と伝えて 立ち上がってもらう。 手だけでの介助では立ち上がれなかった。 肩を抱いて ようやく立ち上がった。 が膝を曲げてしまって安定しない。 母の場合 まっすぐに立て直してあげると不安がらない。 不安定ながら肩を抱き居室に移動。
直ぐにトイレ介助。 既に出ていたが どうやら止めていたらしく残りをトイレに。 食事の始まる前に 覚醒して貰わないと…。 そこで 足首をくるくる介助で動かして貰った。 お次は 膝の屈伸。 痛そうな表情をしたので「歩きたいよね」「歩いてトレイに行きたいよね」と話しかけてみた。 すると深く頷いた。 「じゃ ちょっと我慢してね。動かしておかないと歩けなくなるから…」と言ったら 以来 痛い表情は見せなくなった。 しっかり覚醒できて歩行も安定した。 さっきの歩けない状態が嘘のように感じる。
ホールでは 他の方の食事が始まっていた。 テーブルに着くのが 他の方より10分遅く。 実際に食事開始は更に10分遅れた。 ボランティアに入ってくださる事業所の方が見えたのである。 母に自己紹介してくださったが 何がおきているのかは母には理解できていないようだった。当たり前だけれど…。 それから ゆっくり介助が始まる。 母に箸を持って貰った。 自力の食事の誘発の意味もある。 箸を持った母は ミートボールを挟んで口に運んだ。 ちょっとかじってお皿に置いた。 丸いミートボールを箸で挟めるなんてたいしたものなのだ。 今日はたまたま口まで運べたけれど いつもこうとは限らない。 覚醒していると出来ることなのだ。
箸の持ち方もしっかりしていて 物も挟めるのに口に運んで行けない認知症の症状である。 だから 出来る限り箸を持たせたいのである。
今日は 順調に食べられた。 食べやすい食材でもあった。 だから ずっとみていた事業所の方には「いつもこうではないですよ」と伝えた。 他にも 覚醒の大切さと食べはじめのスローテンポ等 状態にあわせての介助が必要だと伝えた。 こういった話は 施設の職員にこれほどはっきりと伝えた事はない。
私の性格と認知症の症状をよく理解してくださっているからこそ話せるのである。お互い媚びることもなく 臆する事もない。
食事が終わって居室に移ろうかと思った頃 療法士さんが見えた。 事業所の方も顔見知りである。 ちょこっと様子をみて事業所の方は帰られた。 リハビリの間に今日の夜行われる会議の資料の読み返しをしようと思っていたが そうも行かなかった。 リハが済む頃には 母はzzzz。 その間に 明日のデイの支度を整えた。 そこへトイレ介助に職員が見えた。 起こしたら トイレのサイン。 母も急いでいたらしく ちゃちゃっと起きてトイレにまっしぐら。 少し我慢していたのだろう 遅れ気味だったがジャストミートだった。 職員もわかったと思う。 便座からの立ち上がり介助を見ていて介助の仕方をアドバイス。 母の力を引き出す方法である。 「はぁ ご家族のやり方の方が楽だね」と。 常々そう思っていたのだが 指示通りに動いているのを無視するわけにも行かなくて言わないでいた。 若い職員も立ち上がり時に苦労なさっている場面を幾度か見た。 母も不安がるのだが…。 職員の負担の軽減+母の力を引き出せるという一石二鳥なんだけれどねぇ〜。
帰るのを前に 持参したジュースを250cc飲んで貰い 残りは職員に託した。 夜 会議があるので 夕食介助を諦めて家に戻った。 この所 夫の帰宅が少し早めで 夕食の支度の必要があり急いで支度。洗濯物も取り込んで 駅までチャリを飛ばし電車に乗り込んだ。
会議には医師も見えるので 会議の始まる前に 地域の嚥下や摂食障害の検査の出来る所はあるかと確認してみた。 1人の医師が その分野は まだ仕上がっていなくて。。病院に戻れば判るのでお知らせしますよといって下さった。 そこへもう1人の医師が見えて「うちでできますよ」とのこと。 と言う訳で 近いうちにお訪ねする事にした。
今日は 1日母の事を考えてくださる方々とお話できて胸のつかえが下りた感じがした。 施設の方も考えてくれない訳ではないが…。 微妙な距離感を感じるのである。 おそらく 本人や家族の支え方に若干の違いがあるからだろうと思う。
そうそう 今日 医師が「食べ物を滑りやすくする入れ歯がある」と言われていた。会議の始まる寸前の話で 聞きそびれてしまったのが残念だ。
2009年03月10日(火) |
足りないところは 出来るだけ補うだけだわ♪ |
娘は 朝まで仕事に追われ帰宅せず。 と言う訳で 夫を送り出してスタコラサッサと母のところへ。 他の方は 食事なさっていたが母は食事を終えてた。 即 トイレ誘導。 ジャストミート。それから「大」も。 整髪して歯磨きをしてもらおうと思ったら 職員が排泄誘導に見えたので 口腔ケアをお願いした。 職員が準備している間に 円柱型の回転ブラシで歯根と舌の口腔ケアを施した。 再度職員にお願いし 時間が残っているので室内歩行の介助をお願いした。 職員には 母の介助の仕方を伝えた。 母は 介助する者の腕や肩に掴まれるので こちらからの力は要らない。転倒しそうな時支えられるように触れる程度に介助して欲しいとお願いをした。母の残存能力を引き出して欲しいのである。
寝ている時間や座っている時間が長くなってしまっているので筋力が落ちてしまう。 プラン通りだと間違いなく筋力が落ちるのは間違いない。 内心 毎日 地団太を踏んでいる。
その後 居室で水分補給。300cc。
それから 急いで家に戻って 洗濯の続きと持ち帰った母の洗濯物を洗って干した。
時間内に食べ切れなかったら 引き続き介助するので下膳しないように依頼してきた。 施設に着くと 母は俯いてうつらうつら。 施設では この状態を傾眠と言う。 職員とバトンタッチして 直ぐトイレ誘導。 待っていましたとばかりに 音を立てて「小」 母に笑顔が戻った。 食事を居室で摂る事にした。 いつも長いもを刻んで預けてあるが出ていなかったので 一回分を取り出した。 それから順繰りに食べて…眠ることなく頭を上げて食べられた。 介助の方法が違うのだ。 気がついて貰えないだろうしなぁ〜。
昼食後 歯磨きトイレ誘導。 それから 更に水分摂取。200cc. 水分摂取は 施設で準備するものにプラスしているものである。
それから 再度 家に戻った。 昼ご飯を摂って 菜園に出て葱やほうれん草等を収穫。
ぎりぎりに 洗濯物を取り込んで お茶を飲んでおやつ。 それから 再度施設に走った。 夕食前に トイレ誘導等をしたかったので早目に。
施設に着いて直ぐにトイレ誘導。 また音を立てて「小」 やはりタイミングは間違っていない。 家ですごす時と同じ。 施設なので そのつど対応なんて無理なのはわかっているけれど…。 こちらで把握している通りなので何とも悔しい。
夕食はやはり1時間を要した。 食事の終わる頃ケアマネが見えたが 6時に米の配達と宅配をお願いしたので今日の説明は無理と伝え 母の介助。 全量摂取できたので 入れ歯を外して投薬。
それから 急いで家に戻って夕食の支度。 そこへ食事介助をお願いしていたところから電話があった。 こちらがどうしても介助に行けない日に介助してもらえる事になった。 これで 2ヶ所の事業所と私とで食事のカバーが出来ることになった。
母が入所したのは グループホームだったが…。 なんだかなぁ〜。 役所の広報にも募集が掲載されていたんだよねぇ〜。 後にも先にも こんなことはないんだけれどねぇ〜。
2009年03月09日(月) |
みんなで作って食べたほうとう! |
施設に出かけて 母のフロアの家族と入所者でほうとうを作って食べた。これまでも みんなで作ったことがある。
今回 施設形態が変わり どうしたものかと迷った。 施設の食事の支度の邪魔にならない形で 家族だけで実施すると言う事で受け容れて戴いた。
材料は こちらで購入して鍋と火力を施設からお借りした。 以前やった時は 母も野菜の皮むきも出来たし他の方も 麻痺があっても協力してくれた。 が 今は協力できる入所者はすくない。 それでも お手伝いできる人には手伝って戴いた。 作業が出来ない人にも出てもらって お話したり野菜に触れて貰ったりしながら作業を進めた。
一時間ほどで出来て 食べられる人にはおやつ代わりに食べていただく。誤嚥のおきやすい人には スプーンの先にちょこっと汁をつけて舌でぺろぺろなめて頂いた。 普段 口数が少ない方が結構おしゃべり出来た。
母は みんなの様子を見ていたが 隣で人参を切り終えた人を見て 人参に手を伸ばして取って 手渡ししていた。 言葉は全く出ていないけれど 状況を見てそうやったみたいだ。 この行動で 言葉はなくとも気持ちが通じているのだなぁ〜とつくづく感じ入ってしまった。
熱いほうとうは ちょっと食べ難そうだったけれど でも少し冷めたらうどんをするすると吸って口の中に運んでいた。 最近 こういうことも出来なくなっていたが 美味しいものはちゃんと食べられるのだなあと嬉しかった。 やっぱり 諦めないでいよう!
沢山作ったので 他のフロアの入所者や職員にも食べていただく。 でも 夕食時の事を考えると迷惑だったかなと思うけれど…。 食べる事もだけれど 作る喜び 匂い等 普段味わえない経験も大事だと自己満足している自分もいる。
家に戻ると留守電チカチカ。 なのに容量がいっぱいで受け切れていなくて 慌てて折り返し電話した。食事介助のボランティアさんが見つかりそう。 介護保険は訪問介護で目いっぱい使っているのでオーバー。 全額負担はきついので ボランティアやNPO法人で対応して貰おうと思って 探っていた。 どうやら 何とかなりそうでホッとした。 勿論 私もこれから更に面会が多くなり介助する。
受けている役目を果たしながら しばらく踏ん張るしかない。
お昼めがけて施設へチャリを飛ばした。 休日の夫には 事情を説明して戻ってから昼食を作るからと伝えた。
母は車椅子に座ってトイレサイン。 立位して貰って 車椅子を片付け トイレ誘導。 既にパットに出ていたが トイレにも「小」「大」排出。 タイミングが良かった。 実は 昨日もタイミング通り。 悪いけれど 施設の誘導を待っていられないので母を優先すると決めた。意思表示が出来ないのだから せめて気持ちよく過せるようにしようと決めた。 職員の誘導には 別のことをして貰えばいいことと割り切る事にした。
昼食になり 食事介助。 少し遅れながらも何とか全量摂取できた。水分も足りない事を見越して300cc摂取してもらっておいた。 それから歯磨きを済ませた。 13:30からトイレ介助が入るはずなので そこはお任せにして家に戻った。 夫と昼食を摂り 夕食の支度を途中までして 洗濯物を室内干しにしてまたチャリを飛ばして施設へ。 夕食の少し前。 ソファーにうなだれて座っておりトイレサインを出していたので 直ぐにトイレ誘導。 そこへ職員が見えて「介助の時間ですので…」と言われたので後は任せた。 「トイレサインがあったので出ると思いますよ」と伝えるとしばらくして「ちゃんとでましたね。サインってどんな風なのですか?」と聞かれたので説明した。大概間違わない事も伝えた。
居室で又水分摂取。100ccほど。 食べる前に 少し飲んでおくと喉を刺激して 母に食べるという予告が出来るような気がしてきている。 それから「食事だって 食べてみる?」と聞くと頷いた。 食べ始めは ゆっくりだったけれど でも後半は早目になった。 やはり 食事と意識するまでに時間を要しているような気がする。 時間は掛かったけれど 全量食べられた。 ついで さらに水分摂取100cc。
これで 摂取量は満たされているだろうと思う。 食事までの間に 今日はホール内を何回か歩いたし…。 母の場合 歩けば 腰が軽くなるのは目に見えて感じる。 じっと動かないとどんどん腰が重くなってくるのである。
朝の覚醒が悪いと言われた。 でも就寝が何時で 離床が何時かが把握できていない。 家にいる時 離床が遅れたらとんとんと起こしても深く眠ってなかなか起きなかった事を考えると離床のタイミングがあるような気がしているのだ。このタイミングがずれると日中もウトウトするように感じている。 まだ憶測の域であるが…。
訪問介護の食事介助 夕食にまとめて60分は可能だという返事を戴いた。 後は 昼食介助に通い 行けない部分は個人的に依頼して確保する事で食事の時間を確保しようと思っている。 でもこちらも週明けにならないと答えが出ないんだよね。 他の可能性も出てきたので それも探ってみようと思う。
今日は 施設を2往復したが 全量摂取できたし水分も補充できたし 夕方には笑顔もみえたので ホッとした。 足りないけれど でも気になっている部分を補えたので本当に気持ちが軽くなっている。
実は この数週間 どうにもならないことで焦り自分の体調を崩してずっと薬を服用していた。 何となく解決策が見えてきた頃から 体調が戻ってきて 今日は薬なしでも大丈夫みたいだ。
夕食後 おばから電話があった。 電話の向こうで「私半身不随になって歩けなくなった」と。 脳の疾患かと慌てたが 骨粗しょう症 圧迫骨折。 まだ若い…と思っていたが…。 でもコーラスをしていただけあってデイではスターらしい。 書道もたしなんでいたのでそれもデイで花形。 コーラスと書道の時以外は ベットで横になっているらしい。 職員が ベットのそばにテープレコーダーを置いてくれ「千の風にのって」を覚えられた事 それをみんなの前で披露できたこと等を話してくれた。母の様子を聞かれた。 「普通食を摂って 両手で介助だけれどお散歩もしているよ」と言ったら「お前が一等賞だ」とお褒めの言葉を戴いた。 「いや 母も頑張っているし 母も喜んでくれるから出来る事だから…」と伝えた。
出掛けに立ち寄るところがあって 母の所に着いたのは12時を少し廻っていた。 その上 施設近くで介護仲間と出会って立ち話。 それでも 食事介助できるかなぁ〜なんて思ったが 既に済んでた。
職員に「残量は?」と質問したら「完食です」と。 後で気になって「量は?」と確認。 「多めに盛り付けました」と。 それを信じるしかない。
居室に入りトイレ誘導。 パットはずっしり重かったが さらに出た。それからちびちびと少量「大」 職員に確認すると夜間帯にも出たそうだ。 緩めである。
訪介の時間をチェックした。 ちょうどその時間だったので 排泄誘導は終えたばかりなので母とボールで遊んで戴いた。 「上手に出来るんですね」といっていただき 母もるんるん。 こういった会話は 母にとって嬉しい事である。 居室に置いてあるボールをすべて出して遊んで貰った。 手のひらに収まるスポンジボール・フェルトで作ったもの・お手玉・穴の開いたプラスティックのボール・水が入ってフニャフニャボール・ミニサッカーボール・ビーチボール等。 それらをみながら 母と歩んできた道を改めて思った。 以前のようにダイナミックに遊べないけれど 今日も辛うじて片手でキャッチできたりした。 動体視力もまだしっかりしているのだなぁ〜。 職員も驚いていたけれど 私も感動した。
訪介がすんで お散歩に出た。 施設の車椅子を借りた。 出来たら 通院したいところもあった。 でも外に出たら 母が寒そうで 近くを廻る事にした。 時折 車椅子から降りて一緒に押して歩いたり…。
道路を横切る時には車椅子に乗ってもらう。 渡り切らないうちに信号が点滅してしまうから…。 そしてファミレスに入った。 昼食を飛ばしたので 私は食事。母は飲み物。 おそらく500ミリ近くを摂取した。 ファミレスでトイレ誘導し「小」が音を立てて。 それから施設に戻って直ぐに「小」をいい音を立てて。 3分も立たないうちにまたトイレサイン。 「?」と思いながら母に確認すると頷く。 「そうかな」と空振りでもいいかと思い直して誘導。 確かにしっかり出た。 水と見まがうほど透明なものだった。 ここまで摂取できれば 心配がなくなるということなんだなぁ。
程なく夕食。 少し介助したら「介助はいります」とのことで 職員にバトンタッチ。 本当はこちらで介助するつもりだったが お任せする事にした。
そうっと施設を後にして 途中介護仲間ともう一ヶ所立ち寄って話し込んだ。
食事介助の手を何処に頼むか あれこれ探り中である。 介護保険は施設で満額使いきっているので飛び出せば全額負担となるので出来れば避けたい。 それでも 手頃感でやっていただける所も教えて戴けた。 いずれにしても土日は無理なので週明けとなるんだろう。
2009年03月06日(金) |
判らないけれど判った事 |
お弁当を持って母のところへ出かけた。 程なく昼食。 食事介助をした。 母の食事が済んで後片付けした後に ご家族が見えた。
今日は 入所者の方の親戚が見えると伺っていたので カメラを持参した。カメラの腕はないけれど 記念撮影をさせていただく。 最後の面会かも知れないとお聞きしてたので 顔を拭いて 乳液とクリームを塗って紅を差して差し上げてた。 衣類の汚れも落として…。
その間 母を椅子に座って貰っていたのだが 母の表情が硬くなってきているのに気がついていた。 「ちょっと待ってね」といいながら 少し時間を費やしすぎた。
ようやく 介助して立って貰った時臭った。 「しまった!」 トイレに入った時職員がトイレ介助の時間だと見えた。 途中まで介助し職員に任せた。 私が最後までやっても良かったのだが 介助の時間なので…。 緩めで 母に「ごめんね」と謝った。
それから 手洗いして歯磨き。 それから さらに水分補給。 その後別の入所者と唄った。 「歌はわからない」といっていたが「雨」シリーズで唄っていたら 自分から雨の歌を思い出して唄い出せた。 「すごいね。覚えているじゃない」といったら「そうだったね」とにっこり。
おやつの時間となり その後 室内歩行。 何回かホール内を歩いた。
トイレ誘導を済ませてホールに戻ると「食事の時間と口腔ケアで30分介助します」と。 ここで初めて 母の食事介助と口腔ケアで30分だと知った。 食事を切り上げたのは そういうわけだったのだ。 「口をあけなかったから」というが 現実には30分介助で切り上げられたのである。 この数年 母の食事時間は1時間ちょっと。 それでは 食べきれる筈もない。 そこで事情が飲み込めてきた。 母のお尻が赤くなってきているのも栄養面で足りていないという事も影響していそうだ。 帰ろうかと思っていたが 思い直して「食事介助はこちらでします」と伝えた。 職員は「それではお掃除に入ります」と言われた。 でも良く考えれば 昼過ぎの時に消毒までして綺麗にしていただいているのだ。 そのことを伝えて 母とボール遊びをお願いした。 これまで 時折遊んで下さっていたので取り組みかたも理解していただいている。
夕食の始める前に 施設長に「摂食障害があるのに30分出切り上げる事は困るので こちらで食事介助し出来ない時には ボランティアさんに依頼してよいでしょうか」と質問した。
「ケアマネが来ているので直接聞いてください」と言われた。 食事介助を始めたらケアマネが見えたが 途中でストップする訳には行かないので食事の終わるまで待っていただく。 「7時から役所で会議なんですよ」と言われた。
急いでこちらの意向を伝えて了解が得られた。 60分の食事介助をすると 他の介護を削る事になりますとの説明もあった。 これから依頼するので直ぐに見つかるとは限らないのだが…その分は 出来る限りこちらで介助するしかないだろう。
全ての事に納得しているわけではないが とりあえず緊急処置。 まだまだ 見えていなくて判らない事がある。 一つ一つ解明するしかない。 ケアプランは見せていただいているが 在宅のもの違い 非常にチェックしにくいと感じている。
システムが変わり これまで出来ていた事が出来なくなると具体例を挙げて説明すべきではないのかなぁ〜。 「判らない事があったら いつでも質問してください」と以前言っていたけれど…。 変わったことが見えないのだから質問のしようもない。
「いやぁ もう面会のたびに切ないですよ」と話したら「こちらだってそうです」というけれど 何だかなぁと思う。 「役所の指導で 在宅でもそうするのだからここでもそうしなさいと言われた」というけれど 在宅では家族が補充できるけれど 施設では出来ない。 食事の自立が出来ない人を 時間になったら切り上げるのなら 栄養状態が悪化しても それは 決まりだから仕方がないという論理である。そんな介護保険なんだろうかなぁ〜。 一人暮らしで認知のある人は 介護保険のみで生活を支える事は無理ということだろう。 それに面会のない家族に そうなった説明を同じように話すとしたら 食べる量が半分になるなんて気がつかないだろう。 そしてやせて 体調が悪くなったとしたら病の進行と受け止めるのかなぁ〜。どうにも 理解不能。
でも ようやくちょっと見えてきた。 そんなこと 変わると言うときに気付くべきなんだろうか?
お日様が顔を出したので 雨に濡れてしまった洗濯物を出した。 それから 次の洗濯。 ようやくからりと乾いた。
その後パソコンで作業。 出来る時に少しずつ取り組んでいないとなぁ〜。
母のことで 施設からもデイからも特に連絡が入らなかったので 無事デイ利用が出来たのだろう。
夕刻買い物に出た。 先日も本局に用事があって出かけ デパートに立ち寄ったが 人がいないのに驚いた。 今日も一駅先のデパートにおしょうゆを購入するために出かけたのだが…こちらもやっぱり人がいない。 地元のデパートの方が人がいるような気がした。
定額給付金を手にした人がいるようだが これで消費拡大するのだろうか?
母は今日も指を折って数えた。 療法士さんも目撃した。 今日は 先日のように万という単位はなかったけれど…。 何を数えていたかは判らないのだが 前後に言葉があった。 それらを繋ぎ合わせる事は出来ないけれど…。 数とはすっかり縁がなくなったと思っていたけれど…。不思議だわ。
昼食の時にも「ご飯食べようか」と昼食開始のご挨拶をしたら 「まだ 腹くつくて くだぐない」(まだ お腹いっぱいで食べたくない)と発した。 うぉ〜 施設に入ってからは聞いた事のない言葉だわ♪ それも ちゃんと話し言葉になっている♪
情けないが 時間の制約がある中では そうも出来なくて 少し置いてから食事開始してしまった。 本人の支えになれない自分に嫌気がさす。
大本の責任は私にある。 行動に移せない自分に腹立たしさを覚える日々なのである。
おまけに今日は 膀胱炎を思わせる尿。 看護士さんに確認して頂き「水分不足気味ですので配慮します」と言っていただけた。でも「こちらも配慮します」とは伝えた。 けれど おやつの時には 湯飲みに半量のお茶のみ。 その前に 準備したもので水分を補ってはいたけれど…。
施設内にもっと重篤の方がいて 大変らしい。 家族としては 心もとない対応である。
夕方までに トイレ誘導2回してタイミングが合った。 一回目ほどに強いものではなくなったが でもまだ危うい色だった。 帰る前に 水分摂取を心がけて貰おうとプリンやら飲み物を購入して 職員に手渡した。
夕食介助は 職員に任せたが 夕食開始 母は4時10分だった。 空腹を感じる前の食事。 「ひとりひとり介助するので この時間になります」と職員は言った。
今の状態を あちこちベテランの専門職の方や母と同じ形態の施設で仕事している方に問い合わせてみているのだが「エッ」と聞き返される。 もう1歩 踏み込んで対応を考える時に来ているように感じている。 「施設側に言ったもんがち」になることは避けたい。 解決策のヒントが浮かんできている。
介護者の会の日だった。 医師のこと 施設のこと 終末期のこと かなり際どいところでの話で予定時間ぎりぎりまで話し込んだ。 お天気も悪く 他にもう一つの家族会もあって参加者は いつもより少なめだったが 深く熱い介護者の会となった。
いろいろの工夫の情報交換。 それを個々に合う形で取り入れる。勿論 医師や専門職の方と相談しながら理解を得て行きたいところである。 介護者が 話し合いに加わるには それなりの学びと情報がないと専門職の方に伝えきれない部分がある。
今日の事例の中で 自立で立ち上がると危険なのでベルトで拘束。 夜間帯もかなり拘束があるらしい。縛りに近い拘束だった。 拘束外で対処できないかを具体例を挙げて説明して 専門職に質問してみるようにと伝えた。 地域で良いと言われる場所でのお話である。 家族の同意を得て対処しているのだろうとは思うが 相当数いるらしい。他にもギョッとするような話があった。 安全のためとか責任を終えませんという手の説明を仕方がないと諦めないで他の方法を考えて貰えないかと尋ねて見ることは大事だと思う。
先日の朝日新聞にも 延命治療についての実際の調査結果が載っていた。 専門職の方にも悩みが尽きないだろうと想像が着く。 ある方から 夫婦で心疾患が起きた時には 息が絶えるまで救急搬送をしないと約束していると聞いた。医療職の方である。 でも実際には 出来ないだろうねと付け加えられた。 誰にも一度は訪れることだが 難しい課題だ。
他にも場外で 施設で働く方の現実のお話を聞けた。 介護の仕事の低賃金に参ることはないけれど 対処の仕方で「これで本当にいいのか」と悩みストレスを感じるという話を伺った。 家族は 現実を知らずに施設にお任せになっているので そこも辛いのだそうだ。 実は この話他でも伺ったことがある。 退職の陰にそういった原因があるの?
昼食に滑り込むように施設に着いた。 「〇さん たべましょ」と母に呼びかけている声が聴こえた。 今日も 食べたがっていないのだなぁ〜。
車椅子に座っており口を開かない母がいた。 「タッチします」と伝えて 車椅子から通常の椅子に移動。 それから トイレ誘導。 最近 車椅子に座っている時は パットとオープンオムツをつけて その上にトレパンをつけている。 日中3重装備ってなぁ〜とつくづく思う。 トイレに誘導すると パットから溢れてオープンオムツに沁みていた。 何回分?と思う。 お尻が赤くなっており 一点がちょっと傷になっていた。 こういったことは 殆ど起きた事がないので母はさぞかし辛かった事だろうと思った。託していることに心細さを感じるのは 母も私も同じ。
手洗いを済ませて食事介助。 今日は 飲み込みが悪い。 こうなると入れ歯が悪いかとも思うが 調子よく食べる時もあるので入れ歯のせいではないだろう。 どうやら眠そうである。 下手をすると目を瞑って寝てしまう。 入所者のご家族が 母にふるさとの話を振ってくれた。 その時には 目を輝かせて頷いて反応していた。
時間は掛かったが 何とか全量摂取できた。
その後トイレ誘導し ホールをゆっくり歩く。 足の痛みがあるようだ。 昨日痛み止めを服用していないという事だった。 看護士さんと話して 痛み止めの服用をお願いした。
居室でちょっと休息。 他の方はおやつタイムだが 母は遠慮させて貰った。 食事が済んで間もないし 夕食の時間に響きそうだったから。 でも水分は欲しいので お茶を戴く。 持参したたんかんを剥いて半分食べて貰った。 ジュースも150ccほど飲んでもらった。
それから またホール内を2周した。 この間 職員のトイレ誘導もあった。 洗浄だけで終わりそうだったので 赤いところを確認していただき薬を塗布して貰う事にした。 職員は「このくらい」という感触だった。 「母は こういうこと少ないですよね」と聞いてみた。 すると「そうですね」と。 想像だが 他の方はもっと酷くなっている人もいるという事なのだろう。
歩ける人はまだいいのだが…立位や歩行の出来なくなった人は 辛い状態だろうな。 そして 面会している家族は どの辺まで理解できているだろう。 こういうことが起きないようにするために必要なことは何かを理解できているだろうか?
夕食の時間が近くなり 娘も転居の準備のため休んだので 後ろ髪を引かれながら施設を後にした。
家人 休日モード。 娘は 転居の準備と称して 友人と古本屋にお出かけ。 出かける前にちょっとした古本屋談義。 買値は叩くけれど 店頭に出る時の値段をみて「何だかね」という話や 本を本として扱わないような振る舞いに嫌気がさすという話等。
売値が付こうが付くまいが 捨てきれずに手元に残していたものがゴミ同然の扱いを受ける事が 何とも哀しい。 昔の古本屋さんは ああいう扱いはしなかったと思うのだが…。 扱いの悪いのは チェーンだから? 昔読んだ本を捨てきれない言い訳が その辺りにある。
家に篭って 特別何をする訳でもなく過した。 なんかすっきりしない1日だった。 洗濯物の乾きも悪い。 考えれば お天気もすっきりしない1週間だったなぁ〜。 体調も最悪だったが 多少よくなって来ている様に感じる。
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