母のタイムスリップ日記
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お昼の介助に間に合うように滑り込んだ。 食べている人がいるのに 母の食事はない。 ミキサー食の人もいない。 まだ 食事が始まっていないのかとほっとした。 が「食べないので 下げています」と職員の説明。 母は下唇を突き出して 非常に不満げな表情をしており 言葉を掛けても一瞥するだけで表情は硬いままだった。
先にトイレ誘導することにしたら 食事が運ばれてきた。 「トイレ介助します」と伝えてトイレ誘導。 パットは濡れており少量排出。 「大丈夫」と聞くと ニコッと笑顔を見せてくれた。 ようやく 認識できたようだ。 そのうち「大」も排出。 それから手洗いをして ギュッと抱きしめてからテーブルについた。 食事の始まりは 定刻より45分遅れ。 この位の時間の方が良いだろうと思った。 母の口の中には 介助されたご飯が入っていた。
でもゆっくり介助始めると何の問題もなく食べてくれた。 食事の時 何が起きたのだろう? 若しかして 排泄だったかもしれないと感じた。 言葉には出来ないが 母には意志がある。
食後 再度トイレ誘導して お散歩に出た。 足が痛そう(痛いと訴えた)だが 少しがんばって貰って 近くのファミレスまでエッチラ オッチラ。 久しぶりのこと。 しばらくぐるっと周囲を見回たしていた。ストローをつけてシュガー抜きのアイス珈琲を吸わせてみた。無反応。 仕方ないので コップの水を飲んでもらった。 プリンが来たので ちょこっと介助した。その後 再度ストローを口に入れてあげたら キュッと吸いこんでいた。 これ以後は ストローで飲めた。 プリンだって食べた。 私は 昼食を飛ばしたので軽食をお願いした。 そのおかずを口に運んであげると ちゃんと噛んで飲み込む。 やはり 食べたくないのではなかったのだろう。 何か 母にとって不都合なことが起きたのだろうなぁ〜。
ファミレスで休息後 トイレ介助の時間に間に合うように 施設へ戻った。
更新前に かなりの部分を削除した。 もう少し 整理してからにしようと思う。
あ〜 明日から3月だわ♪
今日のお天気みたいな 心身状態。 こういう日は 書き始めると負のスパイラルに陥りそうだ。 だから ちょっと休んでおいた方が正解かも。
昨夜は 夕方から 集まりがあって出かけた。 家に戻ったのは 9時過ぎとなっていた。
今朝 パソコンでの作業をしながら 母のデイに「行く・行かない」で迷っていた。作業を終えてから出かけてみようと決め トットコ作業した。 印刷しようと思ったらインクが足りそうもないと判った。
インクを購入に出た足でデイまで出かけてみることに変更し 行きの道は娘の車に乗って駅まで。 そこでインクを購入した。 売り場で 偶然 介護仲間とばったり出会った。 お互い 同じメーカーのインクだった。
仲間もきっとご家族に面会に出向かれる時間と思われた。
母の通うデイには 連絡は入れていなかったが 以前見学させて頂いた時 直でも大丈夫と話されていたので…。
食事の済んだフロア。 見渡すと車椅子の方が2名くらい。 認知症の方もおいでだが まだまだお元気な方たちばかりだった。 「定員もソロソロですが 木曜日は車椅子対応の方は少ないのですよ」と説明を受けた。
最初は「何しに来たのかな?」的な雰囲気が多少あった。 週1回 それも重度の認知症なので…。 母の飲み残しのお茶を飲んで貰い 相談員さんとお話をして切り上げようかなと思って帰り仕度を始めた。 すると デイ担当の方が「おしゃべりタイムからお遊びタイムに入ってみようか」と皆さんに話された。 「私も仲間に入れてください」とデイの利用者さんにお願いをして一緒に遊ばせて戴く。 母はニコニコ笑顔。 30分近く みんなで言葉遊びを楽しんだ。
お次は DVD観賞とか。 その間に 母に室内歩行をしてもらった。 「しっかり歩けるのですね」と職員が驚かれた。 「これくらい歩けるなら 歩行訓練して差し上げたいですね」と看護士さん。 入浴介助下さった男性介護士さんに「おかちゃん」「やんだ」「すんな」って叫ばれませんでしたか?と尋ねると「おかちゃんって何ですか」と聞かれた。これまでの経緯を話して 「今は 困った 不安 そういった思いを伝えるための手段になっているように感じています」と伝えた。 そう話しただけで「あそうかぁ〜」と理解して頂けた。 トイレ誘導もしてみて 看護士さんにも実際のところを見て頂く。 「なるほど ここまで出来るのですね。工夫できることがあったら 取り入れてみます」と皆さん 理解してくださった。
勿論 今日は調子が良い日で 悪い日はこうは行かないということも伝えた。
遅くならないうちに デイを後にした。 気持ちが重く 見学することに若干気持ちが引いてしまっていたが 出かけてよかったと思った。
とっとこ歩いて 一つ先の駅まで歩き始めた。 銀行で用を足す予定だった。 が 途中で同行者を得て 初めての道をご一緒させていただくことになった。 ここに住み始めて40年近く経ったこと。風景も随分変わったこと等をお聞きしながら 歩いた。
駅近くなった所で別れて 農協に立ち寄り 野菜の種を購入。 そうそう 今日は結婚記念日。 これから ケーキを焼く元気もなくて美味しいケーキ屋さんに立ち寄り 夫へのプレゼントやお花を購入して家に向かった。
夫 今日は夕方家に戻って 準夜仕事に出る予定なので 大急ぎで準備。 支度が整った頃に帰宅してきて やれやれといった感じ。 夫 花を見つめて「娘の誕生日?」と。 「いいえ」 「あっ そうかぁ〜」だって!そんなもんです。我が家の場合はね!
さすが3日続けて 2つの用事が重なると身体の内外に疲労感が残っている。 でも作業は残っているのだなぁ〜。
2009年02月25日(水) |
昼夜逆転?それとも… |
お弁当を作って母の所に向かう。 施設に着くと昼食の配膳が始まっているのに 車椅子に座って テーブルの上にクッション2枚を重ねて居眠り中。 職員が 昨夜から これまでの様子を伝えてくださった。 昨夜は 痛み止めを使わなかったとの事。 その結果かどうか 夜間目覚めて「おかちゃん」「おかちゃん」と幾度も泣いていたそうだ。つまり 良く寝ていないということ。
朝食もあまり摂れていない状態だったらしい。
話を伺ってから 母に幾度か声を掛けたが 微動だにしなかった。 仕方がないので 母の首筋をマッサージ。ちょっと痛がり目を開けたが直ぐに目を閉じて頭を下げた。 今度は 両肩に手を添えて耳元で「〇ちゃん」と呼んでみた。 すると頭を下げたまま「はい」と返事してくれた。 これを数回繰り返しながら 母の名前を呼んでみると返事の回数が増えてきて 顔を上げて私の顔を見つめて 頷いた。 「トイレ?」と聞くと頷いた。 そこで車椅子のまま居室に入って それからトイレ誘導。 これがジャストミート。 この誘導で目覚め始めていると感じた。
もう大丈夫かと思ってテーブルに着いて食事介助した。 食べ初めたので「美味しい?」と聞くと頷く。 ゆっくりと食べて貰っていたので 療法士さんが見えてしまった。 半分も食べていないので 食事は居室のテーブルに下げて 一時中断してリハビリを受けた。 母はここまで一言も発していなかった。 リハが始まると直ぐに寝入ったようだった。
リハが済んでしばらく寝入っている母に声をかけた。 何とか目覚めてくれて「起きるよ」と伝えて上体を起こし立ち上がって貰い着席。 直ぐに食事介助再開したが 頭が眠っているようで口は開いてくれるが 噛む事はなかった。 仕方がないので 指で食べ物を掻き出し入れ歯を外した。 お刺身があったので これなら入れ歯がなくとも食べられると思って口に運んだ。ゆっくりと噛み始めた。 ある程度噛めるようになったので 口腔内が空になったのを確かめてから入れ歯を装着。 そこからは 順調に食べられた。 そのうちに笑顔も取り戻した。
今日に限って ご飯の量がいつもの倍量。 だから 半量は残して貰った。副菜は全量摂取。 水分も昼食からおやつまでの分は しっかり摂取。
居室からホールのソファーには 歩いて移動。 その後は何とか目覚めていた。 夕食の時間が近くなり そうっと施設を後にした。
明日はデイ通所。 支度を揃えてテーブルに載せて職員に伝えてきた。
普段の生活の変化が影響していることも考えられる。 落ち着くのは もう少し先かなぁ〜。
2009年02月24日(火) |
みんなでワイワイ針仕事 |
「はなさんのお願いじゃ 仕方ないなぁ〜」とかなり消極的に参加してくださった男性人。
今日は 介護者の会の登録団体とのコラボで 簡単な小物作りの交流会。 男性の方のために 裁縫の基礎のコーナーを設けた。
奥様が認知症を発症すると大方の男性は 調理や針仕事に戸惑われる。 食事は最悪コンビニがあるけれど 針仕事はねぇ〜。 小物作りを教えて貰う換わりに こちらは介護のお話を提供。 ゆくゆくは ここに本人も参加して頂けたら…との思いもある。 何事も 一足飛びには行かない。 地道に1歩づつ。 一般の方にも 病の理解を戴ける良い機会として貰えれば それもまた嬉しい。
30名弱の参加者。 受付を済ませて見えた男性は まだまだ この雰囲気のハードルが高そうだった。 「悪い事しちゃったな」という思いでいっぱいになった。 手芸は苦手という方も 仕方なく参加という方もいらした。
準備くださる会の方と事前準備の時に「難しくないもので…」とお願いしてあった。 講師は ベテランの方。特に 色合いを丁寧に考え しかも残り布等を有効に使われる方。
先週の準備の打ち合わせをしている時に作品を見せて頂き「大丈夫だろう」と確信していたが それでも不安が残っていた。
男性は当然 裁縫の基礎と予想していたが 1人は本当の手芸を選ばれた。桃の根付作りだった。
もう1人の方は腕カバーのゴム通し。両手分で4ヶ所にゴムを通して仕上がるもの。 縫い代を通過する時にかなり苦労なさったが 余裕を持って仕上げられ ふたつ目の針山を選ばれてチャレンジ。 ペットボトルの蓋を使うものである。 これも時間内に上手に仕上げられた。 他にも ボタン付けの工夫と止め方について困っていると質問なさって解決できたようだ。
桃の根付を作られた方も 綺麗に仕上げられた。 これは 奥様の所に飾って差し上げると話されていらした。
参加くださった ほぼ全員が 一つは作品を仕上げられた。 糸通しの道具の使い方や特殊性を学んだりもできた。
ほぼ全員が 100パーセント楽しめたと話しておられた。 勿論 男性も含めて…。
女性の方は 家に帰ってから試してみる…と作り方を聞いて帰られる方もいらした。 80歳を越えれている方3名。70代後半の方3名ほどもいる。
手芸の後は茶話会でワイワイ。 話が途切れる事がなく 時間を忘れるほどの2時間半となった。 次に繋がりそうな感触だ。
今日の日記も ここに書くものではないけれど とりあえずメモ代わり。
遅れ気味に施設に向かった。 玄関口には 新規と思われる車椅子の入ったダンボール等がいくつもあった。
昼食も済んでゆったりしている時間。 1人のご家族が 面会に見えておりホールから 歌声が聴こえた。 数人が集っており それぞれ穏やかに過されている。 唄いたければ 唄い その場を離れるも自由 テレビも見られている方もいる。 母はその中でニコニコと笑っていた。 久々の超ご機嫌な笑顔を見せていた。冗談だって通じる。 昨夕から 痛み止めを服用している効果だろう。 もっと早く服用させればよかったな。
母のそばに お人がいると安心。 母自身も そう感じているだろうことを容易に想像できる。 面会のご家族がいるってとても在り難い。
入所者のお一人も「ほら おかちゃん来たよ」と母に教えてくれる。 母は その人の思いやりをどの程度受け止めているかはわからないけれど 優しさに包み込んで貰っている。 母が 個々にお礼を伝える事はできないので こちらからお礼を伝えている。
母をトイレ誘導した時 突然に「一万 二万 三万」と指を折って数えだし 驚いてしまった。 さて 一万匹? 一万本? 一万人? 一体何を想像して数えたのだろう? お金なら 万単位で数える機会も多いだろうと思う。 でも 認知症となってからの母の金銭の単位は 銭なんだよねぇ〜。 トイレ前に 数に関する話はしていなかったしなぁ〜。 楽しそうだったんだよねぇ〜。
今日は 書き留めて置きたい事が多々あるのだけれど…。 1番驚いた事をひとつ。 そろそろ帰ろうかなと思い始めた頃 別のフロアに入所している方が 近所に事務所を構えている私の知人と共に母のフロアに見えた。 「ワッ 徘徊か」と慌てて知り合いのところに駆け寄った。
職員は 引継ぎ中で 見知らぬ人に連れらた入所者をみて入所者の知り合いと一緒に母のフロアにみえたのかと思ったのではないかなぁ〜。
案の定 事務所を訪れたらしかった。 私も詳しくお聞きしていないので判らないが 確か事務所を訪れたと言っていた。 「帰りたくない」と言われたが 「一緒にいきましょう」と連れてきてくれたそうだ。
知り合いを外まで送って行き お礼を伝えてからそのフロアをみたら玄関が全開。 車椅子納入業者さんが 出たり入ったりしていた。
遠くに移動する前に 声を掛けて頂き 機転を利かせて貰えて本当に良かった。 本人の命に関わるし 施設の責任にも問われるだろうし…。 職員は 危機回避できたことをどの程度理解しているだろう。 何時頃に施設を出て どのくらいの時間を経過したのか 相手に迷惑をかけなかったか?怪我等ないか等確認は 見ている限りなかった。 一般的には 職員は そういった確認はしないものなの?
2009年02月22日(日) |
「ふぅ ふぅ ふぅ」と |
施設に出向くと今朝は 起床時立ち上がりが最強に困難だったと言われた。 看護士さん二人で 打ち身等があるかを みたけれどそれらしきところはなかったということだ。
一緒に再度 見たけれど 何処にも異常と思われる所はなかった。
最近 後ろ体重で立位する。 歩く時も後ろ体重。 痛みはあるだろうけれど 場所を特定できない。
これまでも 時折似たようなことが起きていて 痛み止め服用で治るというパターン。 今回も それで様子をみることにした。
トイレ誘導し トイレで「大」排出。
その後 幾度かのトイレ誘導で 膝のところに痛みがあるようだった。 けれど これとて後で別の場所を「痛い」という可能性大である。
歩けないわけではないが ちょっと辛いかもしれない。 そんな訳で お散歩はせず 室内歩行。
おやつも食べて お茶も飲めて…。 夕食前に そうっと施設を後にした。
まだしばらく様子見だなぁ〜。 今日は 2月3日 ふぅふぅふぅと2がみっつだわ♪
娘 どうやら自立の道に動き始めた。 ようやくである。
「若年認知症を地域で支える輪を作ろう」という交流イベントに参加してきた。
今日は 地域の仲間と一緒に参加した。 うちの地域には まだ若年認知症の家族会がない。 近隣では ボチボチ始まっている。
地域で若年認知症の会の立ち上げがあるとしたら 支援できることは…という思いも在って参加した。
過去に 地域で役所の方も含めて会の模索をした。 若年と高齢者の同時支援はかなり大変という若年認知症の会の関係者から指摘があって 見送った経緯がある。 その頃は 高齢者の家族会が立ち上がって間もない事もありそれだけで目いっぱいという現実もあった。 今でも 実態はさほど変わっていないのだが…。
だから 今すぐ 行動に移せる訳ではないのだが でも種まきを始める時期にあるだろうと感じている。 役所の方には 折に触れて伝えている。 地域包括の方とも 時に話したりしている。
今日のお話の中で 若年の方が 地域包括やケアマネに頼らないという調査の実態が浮かび上がった。 介護保険=高齢者という図式があるからだろうか?
認知症という症状を呈する様々な病がある。 個々の病には それぞれ特徴がある。 その上 人としての希望はそれぞれ異なる。
それらを満たすために どうしていけばよいのかなぁ〜。 ぼんやりと見えてきているけれど 地域でどう具体化していけばいいのかなぁ〜。
弟が母のお金を借りる時に「担保」に置いて行った株券とゴルフ場の会員券。 お金が戻ってきた訳ではないが たんす株券にして置く訳にも行かず返した。
というと「さぞかし…」と思われる方もいるだろうが そんなことはない。 もう紙切れ同然のもの。 それでも必要というので 送った。
紙切れ同然とは言っても 証書なので書留にして…。
この1.2週間 娘は内示 内示と騒いでいた。 もう いい加減 忙しい部所から外れたいと思っていたのだ。
今日が内示の日。期待に胸を膨らませてご出勤の娘だった。 大きな移動がありそうという噂もあった。
が 娘は移動なし。 また 忙しい日々が続きそうな気配濃厚。 今度は 移動になった人の仕事を誰が引き継ぐかも気になりだしている様子。 ボスは休暇に入っており 移動するのはボスか等とまことしやかな噂が流れているそうだ。
さてと母のところへは 用事を済ませてから向かった。 着いた時には 困ったさんの顔で…。 トイレに誘導してみるとわっと泣き出した。 「大」「小」がジャストミートだったのだが 出るたびに「あ〜ん」と泣き出すのだった。 「ここは トイレよ。良かったね。ちゃんとできて」といっても止まらない。 幾度目かで「偉いよ ちゃんとトイレでできたものね」と褒めたら 静かに頷いた。
それから手洗いと歯磨きをして お茶を飲んでもらって おやつを摂って…。そのうちに ようやく安心した表情になった。 笑顔を見せる事はないのだが 落ち着いた様子だった。
母を見ていると本当に寂しそうで 不安そうで…。 親不孝しているなぁ〜とつくづく感じる。 話せない辛さ 受け止めてもらえない寂しさがあるのだろうと感じている。言われていることは きちんと伝わっているんだなと思うことがしばしばある。けど 傍にいなければ キャッチして上げられないんだよね。
今日 施設で面白い場面に出会った。 ご主人が面会に見えて 外出の折 ご主人が奥様のカーディガンのボタンをはめておられるの時のこと。 「さっさとしてよね」と言われた。 私は てっきりご主人が言われたと思ったが 逆だった。 奥様は きっと「服装なんてどうでもいいから モタモタしないで早く外出しましょう」と思ったのでしょう。 そういえば 以前ご主人が「うちのやつは いつも命令調で偉そうなのです」と話されていたのは こういう場面だったかと感じた。
今は ご主人 そういった言葉も穏やかに受け止められてニコニコと対応なさっているのですが…。 これが 在宅で毎日こういうことが起きていたら 多少腹も立ったりすのだろうなぁ〜。
お昼前に 菜園に出て作業。 厚手のトレーナーで ちと寒い気がしたが 作業しているうちに汗が出てきた。 先日は 手豆ができた。 夫が「軍手した?」といっていたので 今日は軍手をつけた。 今度は 違うところに豆が出来た。なかなか 難しい。
夕方まで 何とか踏ん張って作業。 まだまだ 耕すところは残っている。 冬場を越して ヤーコンを収穫。 育ちが悪い。肥料が足りなかったかな?
掘り返した土からみみずが出てきた。 以前は カブトムシの幼虫が出てきたものだが…腐葉土が足らないかなぁ〜。土をもっとふかふかにした方がよさそうだ。
夕食にヤーコンのきんぴらを作ったが 甘みが少なかった。 今年は 土の手入れ念入りにしないといけないなぁ〜。
母は デイに行った筈。 今日は どうだったのだろうなぁ〜。 気になったけれど 夕方から施設に向かう気力は出なかった。
2009年02月18日(水) |
どうすべきかなぁ〜。 |
今日の朝日の夕刊に鉄道会社のマナーポスターを命令調からソフト路線に変更されつつあるという記事を見た。 命令調でも効果がなかったということもあるらしい。 鉄道会社のみならず あちこちに命令調の張り紙がある。 個人的にはこの手のものが好きではなくて うんざりする時があった。 あるバス会社の車内に「下りる時には バスが停車してから…転倒して急ぎの方の迷惑になります」というものもあった。
この手のポスターを不快と思う人は 私だけじゃなかったのだなぁ〜。 いろいろ問題も多いのだろうけれど 少なくなってくれることは嬉しい。
今日は リハビリの日なので早めに出かけた。 トイレ誘導には間に合わなかった。 おそらく 既に出た後だったのだろう。 母は 笑顔を見せてくれた。 職員とバトンタッチして食事介助。 こちらも持参したお弁当を食べながら。職員がお茶を淹れてくださる。 施設に置いてもらっているオクラと長芋がご飯の上にかけられていた。 施設だとどうしてもご飯の上にのってしまうのだなぁ〜。
今日は ちょっと食べ難い食材のせいもあり 残量あり。
職員のトイレ誘導になってから トイレのタイミングが合わない。 それも仕方がないのだろう。今日も食後の誘導は ずしりと重かった。 ん〜!
何だか いろんな事が入所者に合ってないケアプランのような気がする。 改善は 難しいのだろう。
家族が介助すると訪問介護が成り立たないって言われた。 介護保険の請求できず 施設の運営に響くのだろうし…。 手が出せなくなっている。困った。
療法士さんが見えてリハビリ。 痛いと訴えのある足に張りがあるという。 整形に行っても湿布薬が出る程度だろうと話されていた。 1度整形に行った方がよいのかな?
リハが済み職員のトイレ誘導が終わってから おやつと昼の残りのものを食べて貰った。 鼻汁も青っぽい。軽い風邪の症状もあるのだろう。
その後のトイレ誘導で「大」「小」排出できた。 母に「困っている?」と聞いたら 頷いた。 そうなんだよね。みていても判るくらいだから母は もっと困っているんだろうね。
明日はデイ。 デイの支度をしてきた。 他の方は 職員が準備なさっている。 出来る限り 着用しやすい衣類や靴にしたほうがよいだろうと思い 選んでいる。 自分がするなら 少しおしゃれも考慮するけれど 支度する人の事をおもうと出来る限り楽に出来るように…と思ってしまう。 替えの下着と靴下。トレパンとパット。バックはパンパンとなった。
在宅の頃のデイ通いは 連絡帳とちり紙ハンカチのみだった。 病の進行を感じている。
「出来る事も出来ない事も含めて自分なんだ」といつも言い聞かせて過している。時に 自分に対してゆるゆるの時だってある。 それを否定しないで行こうと思っている。
でも どっかで負い目を感じ 焦ったりする。 気持ちが落ち込んでしまって だましだましなだめている。 何の根拠もなく「だいじょうぶよ」と呟く。
今が そんな時かもしれない。 昨夜 母が思わしくないと聞いた仲間から 電話を戴いた。 …母が深刻な状態ということではないですから… しばらく 話しこんだ。 ちょこっと気持ちが和んだ。
すっきりとした気持ちにはなれないけれど 迷い道の途中だから仕方ない。
今日は 朝から菜園に出向いて作業しようと思ってた。 が予定を実行に移せなかった。
午後には 介護者の会とコラボして手芸や裁縫の基本を学び 介護者からは介護の話…そんな企画の最終打ち合わせがあった。
参加費はダイソウ並み。 リサイクルのものを使って 企画の材料を揃えていらした。 この準備時間の労力に感謝感謝。
初企画だが この仲間の輪に認知症の方も一緒に…と思っている。 だから 一回限りにならないようにと思っている。 講師となってくださる方にお会いした。 介護者の想いを知るために 地元の介護者の会に出かけて見られたそうだ。心配りに感謝。
オクラを茹でて刻み 長いもも刻んだ。自分の分のお弁当を作り 母の所に向かう。
昼食が遅れ気味で 丁度母がソファーから立ち上がるところだった。 職員が両手介助で立ち上がって貰おうとしたら 足を上げて全体重を職員に掛けていた。 「ありゃ しまった」と 一瞬思った。 別の職員が立ち上がって介助してくれ 何とかテーブルに着いた。 この時 母のことよりも職員に申し訳ないという思いが強かった。
食事介助は こちらでさせて頂いた。 拒否はしないけれど 食べ方がスローモーション。 冷静に考えて そうかと思い当たった。 母が足を床に下ろさず腰を上げようとしないのは トイレだ。
「認知症の人が いつもと違う時には 殆どの場合原因がある」と先日 精神科医のお話を伺ったばかりである。 母と歩む道のりの中 感じ取ってきた事で心強い言葉だった。
しかし 気がついてもトイレ誘導するのは 憚れた。 出来ない訳ではない。 「母だけ勝手させて貰っていいのか」という思いが 踏みとどまらせてしまうのである。 特に 他の入所者の方の排尿アクションも気がついてしまって その方はそのまま食事続行なのだから…。 この所 そういったことが苦しくて仕方がない。
お弁当を食べながら 砂を噛むような味気なさを感じていた。 折りしも 入所者の家族(いずれも娘ばかりのみ)がその場にいた。 少しおしゃべりをしていたけれど 心ここにあらずの状態だった。
何とか食事を終え 食器洗いのお手伝いを済ませて母のトイレ誘導した。やはり パットに「小」。直ぐに音を立てて「小」次に「大」 これでは ゆっくり食事も出来ないのは当たり前である。 「ごめんね」と謝った。
それから 歯磨きと整髪と手洗いをしてホールに移動。 ゆっくりとホール内を歩いた。 足取りは重いが 歩ける。
昼食のお茶とデザートは 個人の器に移してあるので ゆっくりと食べたり飲んだりしてもらう。
トイレ介助の時間となり その間にドラックストアに走った。 アロエエキスを購入。
戻ると「ソファーに座って貰っています」と職員。 また ホール内を歩いた。 今日は 全体でおやつを食べた気配はない。 「こりゃ 水分摂取量が足りないなぁ」と感じ お茶を淹れて 持参したおやつを食べて貰った。 乳酸飲料も…。
そうこうしている内に夕食の時間が近くなった。 そこで トイレ誘導した。 今度は「小」が音をたてて。 水分摂取が いつもと違うためこうなっているのだろう。
今日は 夕食介助も…。 薬も含めて 1時間弱。
途中まで記録して あるサイトに飛んだ。 1時間掛けて食事することの功罪が書いてあった。 母の場合…と思う。 以前は 食べやすいものそして冷めても美味しく食べられるもの そういう工夫を以前は積んでいた。 今は していない。 でも出来る事なら そうしたいと思う。 在宅なら 母の食べやすいものを考えて献立するし 少量ずつ器に盛り付け食べ終えたら暖かいものを足して 一食分食べて貰うようにする。そうやって1時間掛けるだろうし 実際 かけた。 刻みにすると ちゃんと食べられるというデータも読んでいる。
でも いろんな事情を鑑みて 母の表情をみながら対応するしかない だろうなぁ〜。
書きたいことは いっぱいあるけれど もう少し時間をかけようっと。
ゆっくりとした朝食を家族3人で摂ってから スタコラサッサと ひとりで菜園に出かけた。
直ぐに草取り。 夏ほどの成長はしてないが あちらこちらに草が…。 半分ほど草取りを済ませてから 穴掘り。 60センチ位掘って 干からびた野菜の茎等を細かくして 土に戻して 掘り返した土を戻した。
次のところも同じような作業。 素手でスコップを持ったので 豆が出来てしまった。
疲れすぎないように手加減しながら 全体の4分の1程度掘り返してお昼過ぎ。 汗を拭いていたら 娘が夫を連れてやってきた。 作物をみて「わぁ〜い」と騒ぐ。 冬の間は 一度も来てないものね。 家の食卓には 何回も登場しているけれど 仕事に追われて それどころではなかったのでしょう。
娘は 会社へ日曜出勤。 夫は せっせと作物の収穫。 冬野菜は そろそろ収穫しておかないと 直ぐに塔が立ってしまう。 ジャガイモの植え付けを 今月末に…と思っている。
夫が知り合いに持っていくとのことで 袋に詰めていた。 我が家の分も収穫して…我が家に戻った。
お昼は とうに過ぎていて 大急ぎで昼食。 朝から「歩きに行くよ」と言っていた夫。 時間を確認して 大急ぎで片付けて散歩の支度。
昨日よりは 気温が低いけれど 今日もコート要らずの日和。
二人でいつものコースをトットコトットコ。 しかしねぇ〜 穴掘りで足腰に影響が出ていて…。 夫もこの所 朝の徒歩はかなり加減していて 辛そう。 「今日は 半分で引き返そうか」なんて話しながら歩いた。 川の合流地点で ちょっとベンチタイム。 一呼吸置いて 80歳を越えたと思われるご夫婦が隣のベンチに「といこらしょ」と腰を下ろされた。 夫は「立ち上がるときは われわれも『どっこいしょ』ですよ」と言ったら お二人が笑っておられた。 それから 少しおしゃべり。
年のこと 仕事のこと等。 お話がお好きなようで 切れ間なく話し続けられた。 少し途切れたところで「そろそろかね」と立ち上がり別れを告げ また トットコトットコ」
休憩が長すぎて気が抜けてしまって いつもの半分で切り上げることにして最寄り駅から電車に乗って戻った。 2時間半のお散歩となった。
朝5時に夫を送り出して また眠ってしまった。 気がつけば お日様が顔を出していた。 昨夜は 南風が強く 家が揺れ寝つきが悪かった。 とはいっても いつの間にか眠っていたのだから 贅沢だわね。
デイサービス利用の契約の手続きのため 母の所に出かけた。 母は 視線を向けない。 「やぁ〜」なんて風に手を上げたりもしない。 表情を変えることはなかった。 下の入れ歯をふがふがさせて 食べかすが見えた。
「こりゃ 昼食 苦労が多かったのだろうなぁ〜」と想像できた。
居室に誘導し ギュッと抱きしめた。 そのうちに「おかちゃぁ〜ん」と泣き出す。 「具合悪い?」「頭痛い?」「お腹痛い?」と矢継ぎ早に聞いてみてしまった。母の呼吸に合わない問い方。 だから うんともすんともない。
こちらも連日で「疲れたなぁ〜」って感じだった。 でも よくよく考えれば 母の方がずっと不自由なんだよね。 慌てて「ごめん ごめん 1番困っているのは 〇ちゃんだよね」と言ったらじっと私を見つめていた。
それから ちょっとずつ 心を開いてくれた。 デイの職員が来るまで少し時間があるので トイレ誘導 手足の爪切り。その後 歯磨き。 後片付けを始めたころに来訪された。 契約の際には 施設長も同席して頂く。 4人に囲まれて「なにやら話しているぞ」風に それぞれの顔を見ていた母。人に囲まれていると安堵している風である。
手続きが済む頃には 職員の方に笑顔を見せられるほどに落ち着きを取り戻してた。
その後居室でおやつ。 食べる様子を見ていたが 特別辛そうでもなく拒否もなく食べてお茶も飲み終えた。
おやつ後 トイレ介助に職員が入ってくださった。 そこで 居室で過している方のお部屋を訪ねた。 施設に着いた時 ちょこっと覘き「しかめっ面をしているな」と思ったが やっぱりしかめっ面だった。唇が乾燥している様子なので オリーブオイルを綿棒で塗って差し上げる。 それから 新規の綿棒を白湯で濡らして 唇の裏側をそうっと拭く。 たったそれだけのことで 目をぱちりと開いて笑顔を見せてくれた。 だから 手指や甲や平をそうっとさすって 手首を揺らして 無理のない範囲でひじを伸ばす。 その間 ずっと笑顔。ギュッと結んでた口も開いて…。
それから もう1人の方の部屋へ。 布団をもそもそと動かしていた。 「こんちわ」というと口をモグモグ。 「少し起きてみようか?」と上体を起こして差し上げたら「みえる みえる みえるよ」と。 目やにがついているので ティッシュで拭いて差し上げたら「ありがとう」と一言。
手をマッサージしてうちに口の周りも目立たないけれどガサガサしていることに気がついた。ペーパータオルで そうっと拭いて差し上げたら「ありがとう 嬉しい」と。 まだまだ 言葉も通じるし人を見る力も持っておいでだと感じた。 母より意思表示ができる。
母がトイレから出た様子なので ホールに戻って暫く様子をみて 外出。とはいっても 施設の周辺をお散歩程度。
今日は 夏を思わせるお天気。 下ズボンを着用させるのを忘れたら「この辺が…」と腰の方に手をやって「さむいんだよ」と教えてくれた。 でも歩き始めるとそれも気にならない様子だった。 「戻る?」と聞くと暫く考えてから首を横に振る。 「歩ける」と聞けば 頷く。 コンビニまで出かけて 戻ってきた。 さすがに施設近くになると前傾気味の歩き方だった。 「良く頑張ったね。ありがとう♪」と伝えたら 頷いていた。 外出は 気持ち良さそうだけれど…けっこう しんどいのだろうな。
施設に戻って トイレ誘導後手洗いをして ホールの椅子に座る。 夕食の少し前で みんな揃っていた。 食事まで気分を緩めようかなと思って みんなを誘って歌を唄う。 童謡から歌謡曲まで数曲メドレー。 認知症のある人もない人もみんな歌え 笑顔を見せてくれた。 母も 少しリズムを取っていた。
今日は そこまで。 母の表情も悪くないので そうっと施設を後にした。
帰路 ケーキ屋さんに立ち寄った。 今日はねぇ〜。 店先で 歯科医の奥様と出会った。 「先日は どうも すみません」 「どうですか?」 という事で ちょこっと話して「通院 もう少し様子を見てから…」と伝えた。
昼食に何とか間に合うように滑り込んだ。 長いも効果は まだ見極め切れない。 以前程ではないのかないようにも見えるけれど 噛んで飲み込むまでは少し改善されていると思う。
今日の昼食との比較には 少し無理がある。 「大」を背負っていたのだ。 職員とタッチした時に気がついたが…全体のことを考えたら出来なかった。でも 自分がそうだったら どうあっても走ることを思うと 母には悪い事をしたと思う。
食後 介助の時間となり職員にバトンタッチ。 これもね 私がしてあげたかったんだよね。 なかなか 厳しい。
母を待つ間 入所者の方と歌を唄った。 「何を唄いましょうか?」とお聞きしたら 「大人の歌?」「小さい時のうた?」と聞かれた。 認知症中期の真ん中辺りの方。 これまでになくきちんと分類しようとする言葉に感動を覚えた。
それから「小さい時のうた」にしたが 唄っているうちに 歌えない人の様子を見ながら「短い歌の方が唄えるみたいね」と配慮された。
母のいる間にも唄っているのだが リズムも取らなかった。 「ゆるめ」だったので お腹が気になっていたのだろうか? かなり不安げな表情だった。
遺憾と思って居室に入ってギュッと抱きしめた。 暫くして 言葉が出てきた。 架空の言葉ではなかったが 一文字違いの単語から想像をめぐらす程度である。 それでも 言葉が出るだけ良かった♪
おやつまで一緒に過して 夕食前のトイレ誘導の時にそうっと施設を後にした。
夜は会議。 明日は デイサービスの契約日である。
春一番が吹き荒れた。 菜園もそろそろ手入れの時期。 さぁ〜踏ん張り時だわ♪
2009年02月12日(木) |
ふと思い出して。。。 |
午後一で集まりがあるので 母の所にほんのちょこっと立ち寄った。 母のまぶたが少し腫れていた。 以前のような酷い状態ではない。
母の所に立ち寄ったのは ふと思い出してあるものを届けたかったからである。 食事に要する時間が長くなっているので 改善を計ってみようと思ったのだ。
以前にも こういったことが起きた。 その時に メカブや長いもを使ってみたことを思い出した。 あの時 気がついたら「やや時間が掛かる」というところまで改善できた。今回もそれで解決できないかと思ったのだ。
メカブは メーカーに拠って 大きさがまちまちで かたい時もあるので今回は避けた。 長いもをすりおろそうかとも思ったが 噛む事も大事なので細く千切りにした。 母は まだ咀嚼ができるので…。 これで 少し様子をみて見ようと思う。
ネットを使う時の文字入力に不具合があり ちょっと面倒。 故障かな?
つらかった。 そして考えさせられた。
責めるつもりはないけれど…。 でも…。
認知症後期に入ると 言葉も消えるし 言われている事は聴こえても言われた通りに出来ない事は多々ある。
言葉には出来ないけれど 精一杯発信している。 本当に出来ないのか 対処は本当に間違いないのか?
仕事は 楽ではないし時間との戦いだろうと容易に想像できる。 日ごろの労力に対して感謝している。
責任は 制度の欠陥で 人ではないのだから…。 本人も家族も 誠実に伝えてもらえれば 必ず理解してくれると思うのだが…。
自分の家族ではないけれど 思い出すと 涙が溢れてくる…。 今日は 母のことよりも別の人の方が気になって…。
母もイマイチだった。 母も甘えたいのだ。 ギュッと抱きしめて「頑張ってくれて ありがとう♪」と言ったら ビェ〜ンと泣いてしまった。 今 心細いんだよね。 母だけでは ない。 人が優しくして貰っているだけで 嬉しそうなんだ。 それが 手に取るように伝わってきた1日だった。
夫の誕生日。 日ごろ 放ってばかりなので さすがに今日だけはねぇ〜。 デパートに立ち寄り プレゼントを購入し 赤飯を炊いて ステーキ焼いてサラダを作り 根菜もソテー 諸々。
家人は皆仕事。 夜も更けてからのお祝いとなった。
利用者さん訪問。 朝「外出時間が決められているので 少しゆっくり来て下さい」と電話があって いつもより遅めに伺うことにした。
寒い中 利用者さんは 庭のお掃除を始めていらした。 私はいつも通りお掃除に入った。 でも暮らしていないのだから 汚れもすくない。 利用者さんの了解を得て 綺麗なところは飛ばしてお掃除。 いつもより30分短縮。 利用者さんは 2時間と書くように言うのだが それは気持ちだけ受け取り 1時間30分を活動時間とさせていただいた。
記録を書きながら 有料老人ホームの暮らしを伺った。 「私ね 認知症の方とも話すようにしたのよ。だって生きてきた時代が一緒でしょ。昔の話なら記憶に残っていて お互いに話せて 塩梅がいいのよ」とニコニコ笑ってお話くださった。 目がきらきらしていた。 認知症とは ほんとにご縁のないしっかりとした方である。 日付だって9日?10日?と迷う私に「10日と思います」ってしっかり言える。 温かなお話を伺い こちらも気持ちよくなった。
家に戻るとデイの相談員さんから電話を戴く。 デイの契約についてのお話だった。 こちらから 刻み食のことについて相談してみた。 話をよく聞いてくださり 初回でご本人も本調子ではなかったかも知れないと受け止めてくださり 一口大に切って対応してみると言ってくださった。 こちらからは 状態を見ながら負担過ぎないかも考慮してくださいとお願いした。
その連絡を施設に電話で連絡した。 その時に今日の母は 入れ歯を外しご飯もいつまでも溜めていて飲み込まないと伝えられた。 やっぱ 入れ歯が合わないかと急遽 歯科医に連絡して午後に予約を入れてもらった。混んでいる中 受け容れて下さった。
施設にチャリを飛ばして行って 通院の支度を始めた。 トイレ誘導している時 施設長が見えた。 その時 気になっている母の左太ももの赤い発心を二人で見た。 こすれたり 触れたりすると非常に痛がる。
随分前に帯状疱疹の時と似ていると伝えた。 施設長は違うかも…というので あれこれ話してみて 1度罹り付け医に通院してみる事にした。 歯科には 事情を伝えてキャンセルした。
タクシーに乗って通院。 施設を出る前に小さなキンツバを食べさせたら 手に持って自分で食べれた。
医師に通常のお薬と帯状疱疹の薬を処方して頂き施設に戻った。
施設に戻って程なく夕食が始まった。 母の食事介助をしてみた。 少し口に溜める傾向にあるが 一時間で 普通食を完食。 にこやかな笑顔も戻った。 朝は とてもこんな状態ではなかったという。
入れ歯外しや口に食べ物をいつまでも溜め込んでいる時って 必ずしも口腔とは限らないという事は過去の母の様子から学んでいる。 歯科医は明日明後日とお休み。 食べられるときもあるってことは 何を意味するかなぁ〜。
食後 入れ歯を外して歯磨き。 その後は テレビの前に座って過して貰った。 いやぁ〜 とっぷり日の暮れた東の空に大きな満月が出ていた。 しかしなぁ〜 何とも辛い帰り道となってしまった。
施設の窮状も想像できのだけれどね。 家族としては もう少し個に即した対応を希望したいし…。
2009年02月09日(月) |
スキンシップとお散歩で… |
お昼前に施設に出かけた。 何だか 状態がよくないように感じた。 うなだれて 無表情。名前を呼んでも 見知らぬ人を見るような視線。金曜日も面会時間は いつもより短かった。 土日は 依頼されたことがあって行けなかった。 3日も開けてしまうとこうなってしまうのかなぁ〜。
トイレ誘導すると「大」「小」排出。
手洗いをして 昼食介助。 食事は 飲み込みが悪かった。 これが デイの時に起きた状況なのかと思った。 でも 1時間かければ食べられた。 人参スープは 口にすると嫌な顔をしていたので止めた。 でもお茶等は全量摂取。
食後 歯磨きをしてトイレ誘導後 私の昼食を兼ねて外出した。 寒いので近くの中華料理屋さん。 そこでワンタンメン。 麺もワンタンもチャーシューもスープも 食べられた。 昼食の不足分は補えたと思う。
それから足を延ばして コンビニまで。 帰路は 足が重くなって2センチの段差でも難しい時もあった。 止まって「膝上げてみよう」というと意識してくれて 何とかできた。
介助の時間に間に合うように戻って みんなでおやつを食べた。 夕方から 用事があるので おやつ後そうっと施設を後にした。
母の様子は スキンシップや会話で大分改善できた。 ニコニコ笑顔も見えた。言葉も増えた。 ちょっと高いところのハンガーにタオルを掛けていて 手を伸ばしたら「あんな高いところ」といい。次に「わぁ〜」「もうするな」と母の感じたことを言葉に出来た。 「えらい」「頑張りやさんだ」「ありがとう」の言葉で 何回か涙を零してた。会話に飢えていたんだろうなぁ〜。
認知症の進行と共に 気持ちを支える事が凄く必要になってくるように感じている。
夕方 介護を学ぶ学生さんと「連携」について考えた。 地域の連携 介護・医療等の連携。 90分 あれこれと考えた。 若い方の気持ちにも聞けて収穫だった。
家に戻ったのは 10時を廻っていた。
昨年 地域の方と共に認知症の理解を深めて貰う劇団を作った。 今日は 2度目の講演。 年が明けてから 毎週 練習を重ね みんなで シナリオもチェックしてきた。
今朝は 最終チェックのため 午前中から舞台を使って立ち位置等を検討した。 大ホールでは初めてである。
みんな 力が篭って熱演。 大成功。 私 演じていないのですが…。 手話通訳も入った。
今回のことでも 随分多くのことを学ばせて戴いた。 母の認知症発症をきっかけにして 多くのことを学び 体験させて貰っている。 これも 母あればこそ。
明日は 急遽 依頼されたことで 夜 外出予定。 急いで資料作成する必要があり 母のところは出かけられなかった。
あれ こっちの日記に書くことじゃなかったかな。 ま いいか。
2009年02月07日(土) |
ギャップを埋めるには… |
ある学会に出かけてきた。 個人的に 精神科医と看護なさる方々と話しこんだ時のこと。 認知症でおやつにするめを出した時 ビールが飲みたいと言われたらどうするかと。 一同が ビールを飲ませてあげるで一致。 本人が気持ちよいと思えることは 出来る限り取り入れてあげたいという事だった。
歩行が危うくなってきた時 安全を優先するか リスクも仕方ないにするか…。 現実には判断が分かれていると精神科医は言った。 けれど 自分としては歩かせるほうを選択するということだった。
私自身も同じように考えている。
でも…。 家に戻ったら 施設のケアマネから電話があった。 デイ事業所の利用判定結果のお知らせだった。 利用にあたり 限定事項があった。 ・歩行はデイの間に時間をとって行うが 基本は車椅子対応。 ・入浴も車椅子対応。 ・食事は刻み対応。 の3つの条件が受け容れてもらえるなら利用可。
まだ 事業所からは連絡はないのだが これから直接来るだろうと思う。
一応 条件は受け容れて 今後こちらの思いや現状を伝えて調整できればいいなと思っている。 聞き取りの段階でこちらの意志は伝えており それが絶対ではない事も伝えてあるのだが…。
これまでも 幾度か考えていた。 もし 在宅に戻ったとして 果たして地域にこちらの希望を受け容れてくれるデイはあるだろうかという疑問。 おそらく 今はない。 だとしたら 1人で踏ん張るかヘルパー利用しながら 在宅となるのだろうな。 それで踏ん張れるかと幾度も自問自答を繰り返している。
デイや施設で対応しきれない状況は理解しているつもり…。 後期に掛けてのサービスの貧しさ…。 嘆いても仕方ない。 机上で考えていても始まらない。 理解して貰える様に訴え 譲歩できる事を考えて 試行錯誤するしかないだろう。
母との約束 何処まで実行できるのだろうなぁ〜。 理想と現実のギャップは厳しいなぁ〜。
急に新規の通院介助の依頼が入った。 明日は 用事もありその準備も整っていないのでわざわざ開けて置いたのだが…。 他に依頼できる方がいないから私に来た事は想像できたので 受ける事にした。
事前の資料を読ませて頂き特に問題もないだろうと思った。
約束の時間に出向いて事業所の方と訪問。 タクシーを呼んで 病院まで同行。 待合室で待っている時 しきりに目をこすって「目が痛い」「目を開けていられない」と訴えがあった。 そして 病院の帰り そのまま眼科に通院したいと言われた。 眼科の場所も言えるし 休診日も言えた。いつも 1人で出かけているのだから心配要らないとも言われた。 活動は 家から家なので 事業所に確認した。 事業所は「話が違うけれど 痛みがあるなら放置できないわね」という事で了解を得た。ご家族には 事業所から連絡するという事だった。
検査を受けてから説明を聞いてくれということだったので 検査室から移動して担当科の窓口に移動した。 暫くすると名前を呼ばれた。 窓口に行くと 説明の日は10日と予約票が出ているはずだといわれた。「手元にないようなので…」と伝え 再度予約票を出していただく事にした。
それからが大変。「タクシー代はいつお支払いするの?」というのだ。 タクシー代は 本人が支払っているのだ。 「あなたへの支払いは?」と言われた。 「家に帰るのにタクシーを呼ばなくちゃ」とも。
そう MCIか既に発症していると感じた。 幸い 先の眼科の話は記憶には残っていない様子だったので 一切触れず 自宅に送り届けた。
家に着いても「目」の事は 何も言われなかったのでホッとした。
それから つらつら考えて今年初め この人とバスターミナルで出会っていると確信した。 「〇×に行きたいのですが 何処で待てばよいのでしょうか」と聞かれ発着所のところまでお連れした。 「引っ越してきたばかりで 良く判らないのです」と話されたのだ。 そして 発着所のところまで来ると「そうそう ここです。まちがいありません。ありがとうございました」と言われたのだった。 その時 買い物の荷物はなくて この方はなぜ外出していたのだろうと不思議に感じたので記憶に残っていたのだった。
家に戻って事業所の方に 細かい説明をした。 本人が判り難い場所に 今日の会計報告と予約票を袋に入れて置いてきた旨を伝えた。
家に戻って休息してから 母の施設に向かった。 デイのお試し利用で昼食代を持たせるのを忘れたので職員に立替えて貰ったこととデイ帰りの様子も見ておきたかった。 それに着替えの始末もある。 入浴後 下着を替えている筈でそれがバックに戻って来ているだろう。 それを取り出してくれるということは 先ずないだろうと思ったのだ。 そういった諸々のことがあった。
母はニコニコと手でリズムを取りながら食事していた。 今日は普通食で職員も張り付いていた。 昨日放置されていた方もきちんと介助を受けておられた。
職員から バトンタッチして母の食事介助をした。 ずっと笑顔のまま。 食事後 トイレ誘導。入れ歯を外して着替えを済ませ 口腔洗浄は職員に託して家路に着いた。
宅配の再送を頼んでいるので遅れるわけには行かないのだった。 家に戻ると利用したデイから電話が入っていた。 こちらから電話すると 今日の様子を細かく説明してくださった。 送迎バスに乗り込むとき拒否が起きた事 デイの仲間の体操を見学の折も楽しそう。食事は 噎せて主食は食べられなかった事 入浴は車椅子で 洗髪は少し嫌がったけれどおおむね大丈夫だった。その後みんなと遊ぶ折 母は打楽器を持って参加したこと等の報告があった。 こちらも 送迎の乗車拒否のことを伝えるのを忘れた事 食事も口に食べ物が入っている間に水分を摂ると噎せやすい事 噎せると口を閉じるが 落ち着くとまた食べてくれる事 いつも60分かけて普通食を食べている事 今日の夕食も45分程掛かった事等を詫び方々報告させて戴いた。 1時間かけて聞き取って戴いたけれど伝え忘れがあったなぁ〜と反省した。
2009年02月05日(木) |
託したのは私だしなぁ〜 |
午前中菜園に出かけて 大根・ほうれん草・葱等を抜いて すたこらっさと家に戻った。 手入れは 来週 きっとやるから…と自分に言い訳した。
大根の皮をむいておでんの仕込み。 起き抜けに 昆布やかつおだしは 作っておいた。
それから パソコンの作業の続き。 お昼を食べてもなお続く作業。
夕刻になって 明日のデイ利用が気になり 支度をするため施設に向かった。 朝は 気温が下がっているだろうから 下着も準備してあげたいし 入浴もするのだから下着の着替えも要るだろう。 デイで入浴は 初体験の母。 とはいっても 施設暮らしなので入浴介助は受けているので…。
施設では 夕食がほぼ終わっていた。 が母ともう1人は 食べかけのまま 一人で食べることも出来ずにいた。 冷え加減の食事が 更に冷たくなってしまっている。 それでも 何もいえない入所者。
本当は明日の準備するつもりだけだった。 居室に入って 準備して戻っても二人は其のまま。
母は普通食のはずだが 茶碗をみるとおかゆ。おかずは刻み。 冷えたおかゆに刻みの副菜がのっていて それも途中で介助放棄状態。 何だか 切なくなってしまった。 母の介助を済ませて その後もう1人の方の食事介助をさせていただく。 途中から 職員がありがとうございましたと見えたけれど もう水分と気持ち食材が残っている頃だった。 通常なら 5時半には 母のトイレ誘導の時間の筈だが 誰も来ない。 最近はいつも せっつかれていたのに どういう訳だろう?
そうそう おやつ時のお茶がテーブルに其のまま放置。 水分不足が風邪や便秘の誘発に繋がると思うのだが…。
夕食後トイレ誘導し「小」を排出。 居室のゴミの中に誰が使ったのか 使いかけのマスクが捨てられていた。 ゴミ箱には ゴミが入ったまま。
その後手洗い 歯磨きを済ませて 明日の朝の支度を書いたメモを書いて職員に渡して よろしくとお願いした。 施設に着いた時「明日はデイ利用ですので」と伝えたら「エッ?」と驚かれてしまった。連絡は何処までしてあるのだろう?
施設の体系が変わったといってもなぁ〜。 忙しいのは良く判るのだけれど…。
食事の事 水分補給の事等 気になっていた。 ちゃんと最低摂取できているんだろうか? ひょっとして 必要な事も出来ない状態になっている訳じゃないよね。
冬になって インフルエンザの予防のため加湿器が導入された。 丁度母の居室の前においてあるのでついつい目が行くのだが 見るたびにタンクの水が空っぽのサインが出ている。 もう3日は 水の補充をしている。 補充できないなら 加湿器を置くこともないんじゃないのかなぁ〜。
母はテレビに見入っている間にそうっと施設を後にしたけれど…。 実は 食事途中の儘だった母 立ち上がろうとしていたんだ。 職員はフロアには居なかった。 また転倒してしまわないかととても不安を感じた。 「職員が離れる時はソファーに移動させてください」とお願いしての怪我だったわけで それも 怪我から10日経過したくらいなのだ。 危機意識って どれくらい考慮して貰っているんだろうなぁ〜。
帰り道 「ごめん ごめん」と詫びながらペダルを踏んで居るうち 涙が個零れてきた。暗闇だから誰にも見えないし…。
リハビリの日のため お弁当を作って母のところに出かけた。 行きの道で介護仲間にばったり出会った。 最近ご家族が胃ロウ設置なさったばかりの介護者。 ご高齢なのに 毎日 病院に通われておいでだ。 今日は その帰り道だった。 少し立ち話をして別れた。
施設に着くと母が1週間ぶりに笑顔で迎えてくれた。 まぶたの腫れも大分改善された。 「もう 大丈夫そう」と感じた。 入所者のご家族が見えていて「ちゃんと戻っていくのね」としんみりと話された。 今 その方のご家族は 誤嚥が激しく難しい時期に差し掛かって居られる。でも 関わる事の大切さも感じておいでの様子だった。
ご家族は 食事介助なさっていた。 やや前傾で召し上がって居られたがそれでも噎せていた。 職員も関わり ご家族とあれこれ試行錯誤。 この方 時折 自然に前傾になる時がある。 今日見ていて気がついた。 介助する人は 無意識にスプーンを本人の口元に運んであげる。 でもスプーンを前で止めると口をスプーンに近付けるのである。 つまり食べたい意志があって 自力でスプーンのほうに前傾するのである。それを伝えて 家族と更に様子を見た。 やっぱり そうだった。 それから 喉のころころが収まるまで待ちながら ゆっくりと介助したら噎せは大分減った。 ご家族が 何気なく「私にも介助できるのね。工夫するってこういうことね。何だか とっても嬉しい」と話された。 こちらまで幸せな気分となった。 母もニコニコと笑って様子を見ていた。 本人に寄り添っている姿を見ている入所者は とても安堵なさっているように見えた。 「ほら 後ろに行かないでって言ったでしょ」と強く促す言葉は 本人のみならず他の方にも悪影響が出るものだなぁとつくづく感じ入ってしまった。
リハはいつも通り受け その後トイレ誘導し「大」を排出でき 安心した。
夕方から この所水曜恒例の地域の方との打ち合わせがあり出向く用がありそうっと施設を後にした。
実は トイレ誘導の後「いぐんだぁ いぐんだぁ」(行くんだの意)と母から言われズキンと胸が痛んだ。 家に帰りたい 一緒に家に行くという精一杯の訴えである。 この1週間ちょっと連日面会だったので 母は置いて行かれる記憶が溜まっているのだろうなぁ〜。 「あとちょっと待ってね」と心の内で詫びた。
昨日 歯科医に出かけた折「保険証提示」と言われた。 咄嗟に カード型の保険証をイメージして「ない」と思った。
家に戻って探してみても見当たらない。 散々探してから 保険証が変わったことを思い出した。
デイ利用のため 介護保険証といわれた。 いつもの場所にない。 これも慌てた。 施設に電話した折 預けてないかを確認すると家に戻っていると言われた。 思い直して 別の場所に仮り置きしていた事を思い出して探し当てた。
何だかなぁ〜。
昼前に施設に電話して 朝の食事の様子を確認した。 今日は 調子が良いとのことだった。 夕方 入れ歯を持っていくことにした。
午後は 介護者の会。 今日は 参加者がチョイ少な目。 今日くらいのほうが みんな程よく話せる。
会が終わって 後片付けを免除して貰って 歯医者にまっしぐら。 少し待って 診察室へ。 直したところをきちんと説明してくださった。 更に直したいところがあるので折をみて通院してくださいと言われた。 医師は 合わなくなってひびが入っているかも知れないと診断された様子だった。 でも見ている限り 合わなくなっている感じはみえなかったのだが…。
入れ歯には もう一本ワイヤーを入れて強化されていた。 内側を直すと歯茎に当たるようになると困るので 外側からメンテして下さった様子。 入れ歯って ほんと微妙だから…。
入れ歯を受け取って 自転車を飛ばして施設へ。 夕食が始まっていたが 母は待っていた。 それから 普通食介助。 相変わらずゆっくりだけれど とても機嫌よくとんとんとリズムを取りながら食べていた。 入れ歯が当たる様子もなくてホッと一安心。 暫くは 要観察だわ。 医師も当たっているところが 白く口内炎のようなものが出来ないかを見ていて欲しいと指示してくださった。
午前中 恵方巻きの下準備をしていたので寿司酢を作って酢飯を作って 巻くだけれど…。 よくよく考えると恵方巻きを作るようになったのは 最近の事。 豆を炒って いわしを焼くだけが節分だったのだ。 気ぜわしい時には 面倒が先に立ってしまう。
昨夜 ネットのニュースで浅間山に噴火注意報が発令とあった。 今朝 ラジオから噴火というニュースが…。 新聞を取りに門まで出たら 辺りがしろっぽい。 霜でもないし 雪でもない。 「あれぇ〜」と思っていたら どうやら火山灰が飛んできていると言う。 ベランダは ざらざら。 洗濯物を干して良いものか 少し悩んだが お日様に当てたいので… ちよこっと干して中に取り込んだ。 門前は さっと水で流した。
午前中 歯科医に電話で問い合わせをした。 母の入れ歯 ひびが入っているからである。 金属が入っているのでパッカリと割れてしまわないだろうと勝手に思い込んでいるのだが…。 考えれば この入れ歯は母の生命を支える大事なもの。
これから先 入れ歯を新規に作ることは無理だろうと思う。 本人を連れないで見ていただけるかを聞いてみた。 「見て判断するので持ってきてみてください」とのことだった。
それから やおらキッチンに立ち 母の食事を作った。 今日の夕方 入れ歯を持っていけばよいだろうと思ったのだ。 明日の朝食と昼食を柔らかいもので対応して貰っておけば切り抜けられそうな気がした。
舌でつぶせる位柔らかく煮た サトイモ ニンジン かぼちゃ。 それぞれを 煮たり 和えたり カマンベールとレンジでチンしたり オニオンスープのもとや温泉卵を作ったりした。 2回分の食事なら間に合うだろう。
遅い朝食を娘と食べようとした時 チャイムが鳴った。 介護仲間だった。 糠漬けをつけたから…と運んでくれた。 この方 70歳を越えた男性。 数日前「もっていくよ」と言ってたのだけれど「わざわざいいよ」といったのだが仲間が漬けたと聞き「戴きます」と言い直したのだった。 奥様が元気な頃は 家事なんてしなかったけれど…と話してた。 貴重な頂き物だった。 早速食べさせて戴いた。美味しいのでびっくりした。
昼過ぎて家を出たが 途中まで行ってから 作ったものを持たずに来た事に気がついてUターン。 時間のロスが勿体無かった。
施設に着くと2家族が面会に見えていた。 母は新聞を手で丸めていた。 それが出来るだけ改善しつつあると感じた。
ご家族の1人が「もう1歩という感じだね」と言われた。 職員は「今朝は食事できなくて 昼ごはん遅れて食事介助した」と言われた。
遅い昼ごはんを食べた後は 調子も回復していると言う事だろう。 でも 昨夕4時から 昼まで食べていないと言う事だ。 ちょっと焦る。 おやつを摂ってから 暫く室内歩行したり…トイレ誘導したり。 夕食介助してみたが ちゃんと食べられた。
「昨日は『おかちゃん』と何回も呼んでいたから『直ぐ来るよ』と言ってあげた」と新しく入所者なさった方が教えてくれた。
夕食後入れ歯を外して 歯科医へと運んだ。 緊急対処してくださると言う事で一安心。 でも 本来は本人を連れて診察が決まりとなっている。 いずれにしても後日母を連れて通院することになっている。
もっと早く対処して置くべきだったなぁ〜と反省。
夕食を準備しながら 従姉妹にお見舞いの電話を入れた。 浅間山のほうに住まいしているから…。 ところが「家の方には火山灰降っていないのよ」と。 本当に直ぐ近くだけれど 風の向きで降らなかったと。 でもご近所の人は 噴火の振動を感じたそうだ。 地震の揺れと噴火の揺れは違って…と話された。 何事もなくて一安心。
一昨日 会社で数十分寝て1日仕事して 帰宅したのが午前零時の娘。今日も仕事という事で 連続勤務が続いている。 限界ぎりぎりだろう。 1人で起きられる状態ではない。目覚ましをセットし忘れたり 布団の中に入れてしまったり…いやはやという日々である。
夫は夫で早出が続き 食事の時間もそれぞれである。
その上 母の状態もよろしくなくて 連日の施設通いとなっている。
水曜日に愛チャリを駐輪場に一泊させ 翌日取りに寄ったらパンクしてた。それまで 何ともなかったので てっきりいたずらされたと思った。 昨日は雨降りだったので 今朝 自転車屋さんに立ち寄った。 「パンクだと思うのです。一泊したらこうなっていました。自分で治そうと思ったけれど 気力がなくて…」と愚痴っぽく話した。 おじさん さっさとタイヤを外しながら「空気詰め手抜きしてましたね」と話された。 中のチューブを取り出してチェックして「これは いたずらじゃないですな」と言われた。 と言う事で 自分の不注意でパンクさせてしまったのでした。 疲れ気味だとついつい人せいにしまうなぁと反省。 あっという間に修理が終わって 自転車で母の所に向かった。
母は 笑顔で迎えてくれた。 でも職員の話しに拠れば 夕食後から調子悪かったみたい。 布団に誘導したら 直ぐ眠りにつかれたようですといわれた。 でも昨日は 寝てないのだしお散歩もしている。 眠って当たり前のところもある。
今朝は調子良かったという事は ぐっすり眠れたと言う事だろう。
ソファーから立ち上がってもらって室内歩行。 職員の書類の置いてあるところまで歩くと「新しいものだね」と一言発した。今朝 卸したばかりのバインダーだと言う。 「あたりだって」というと「うん」と言わんばかりに頷いていた。 「〇×△▲」と母の名前を読み上げたら「んだな」(そうだな)と。 調子が悪いのに いつもよりちゃんとしているところもあり驚いた。 職員も目をぱちくり。 「さ また歩くよ」と言ったら「やんだ」(いやだ)と拒否。 意志表示は健在と見た。
それからトイレ誘導して 昼食。 昼食を始めるタイミングで俯いてしまった。 寝ているわけではない。その証拠に 箸を持たせれば ちゃんと持てるのである。 俯いているので 食事介助も時間がかかった。 昼食には 2時間近く要した。 ご飯のみ半量残したが おかずやお吸い物・お茶は全量食べきった。
食事中 トイレ介助の時間となって誘導して貰う。 戻って食事の続き。
その後 歯磨きをして貰った。 これら全て終了。
午後に地域作りの講演会があるので 滑り込んだ。 いいお話だったけれど睡魔との闘いだった。
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