徒然なるままに…
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体力的にも精神的にもかなり限界に近くて、困ってしまう。 頭がぐわんぐわん痛むのは、別に低気圧のせいというわけでもなさそうだし。 単なる5月病か。もう6月だけど。
いくらしんどくても人前に出れば無理をしてでも元気そうに振る舞ってしまう。 しんどそうなところを見せて、「どうしたの?」と聞かれても、答えようがないから。 原因となる明確な「何か」があるわけでもないし。あるいは色々とありすぎて答えられない。 「大丈夫?」と聞かれたところで、「今この瞬間は大丈夫だけど、この後どうなるかわからない」 なんて本心で答えたら、相手が困るでしょ。私だってそんなこと言われたら困る。 だったら「大丈夫」と答えるしかないじゃないか。
本心を伴わない言葉の虚しさ。 最近こんなのばっかりだ。
手を繋ぐことに対して特に執着のない私が、「あ、手を繋ぎたいな」と自然と思った午後8時半。 ぼーっとしていたら、勝手に繋いでしまいそうだった。
吉本ばななの『キッチン』を読んだ。 実は今まで『キッチン』に対して偏見があって、それで吉本ばななの作品も読んだことがなかった(確か)。 今使っているテキストに出てきたのと、割と最近「ほぼ日刊イトイ新聞」で吉本ばななの姉のハルノ宵子が 糸井重里と対談していたのがきっかけで読んでみたら、予想外に良かった。 (ちなみにほぼ日は吉本ばななの父親の吉本隆明ともつながりが深い。)
偏見を持っていても、いいことは何もないなぁ。 これからは毛嫌いせずにもうちょっと色々と幅広く読んでみようと思う。
最近毛の生えた生き物に飢えている。 猫をもふもふしたい。
新ジャガを皮付きのまま少し多めの油でじっくり揚げ蒸し焼きにしたら ほっくり香ばしくて美味しかった。 また作ろう。
元彼からメールがきた(今までも用事があればメールしてたので珍しくない)。 「週に○コマはきつかった」みたいな内容(コマ数は授業数のこと)。 今週はいつもより余分に授業しないと駄目だったようだけど、私としては「だから何?」と言いたくなる。 「大変だったね、頑張ったね」と言ってほしかったのかもしれないけど、あなたがいくら大変だろうともう私には関係ないし、興味ないし。
恐らく私にメールしてきたのは、彼女に言ってもその大変さを分かってくれないから。 自分の頑張りを実感をもって認めてもらいたいが為に私にメールしてきた。 長い間一緒にいたから、こういう気持ちの流れが手に取るように透けて見えてしまう。
用事もないのに、単に言いたいことを言うためだけにメールされてもねぇ。 そういうことをする関係は既に終わりにしたでしょ。 と思いつつ、色々言うのも面倒なので「お疲れ様」とだけ返事しておいた。
3月末から4月にかけてこの人のことで色々苦しんだのが嘘のよう。 「好き」の反対は「無関心」。 確かに。
毎週金曜は大阪の南の方へ。 晩ご飯を食べずに帰って、家に着くのがだいたい22時半。 結構しんどい。
先週初めて会って今日会うのが2回目だった人に「実は…」と切り出され、何事かと思ったら、 私がその人の知り合いに非常に良く似ていると。 こういうことは人生3度目。 その1:友達のバイト仲間が私にそっくり@熊本 その2:友達の小学校時代の先生が私にそっくり@熊本 そして今回が3度目。
私の顔が単によくある顔なのか。 世の中には自分のそっくりさんが3人いるとよく言われるけど、私の場合もっといそうな感じ。
10日と13日は書類の締め切りだった。 もうぐったり。 まともに寝られなかった。
なんかしんどいなあと思って熱をはかったら38度近くあった。 風邪の症状は全くないし、なんなんだこれは。 昼間の暑さが体の中にこもっているのか。
昨日から一睡もせず。倒れそうだった。
今日は知っている人にも、見ず知らずの人にも、たくさん助けてもらった一日だった。 私が死ぬ思いをして書いた書類を提出しに行ったら、書類に不備が見つかって「ぎゃー!!」となって 頭を抱えて半泣きになっていたところを、見ず知らずの男性二人があれやこれやと助けてくれた。 何度もお礼を言ったけど、それでも足りないくらい。
最近の私の精神状態の異常さに気づいたのは、元指導教官ただ一人だった。 怒られた。 そんな余裕なくやっていたら、そのうち心と体のバランスを崩すぞ、と。 もう既に崩れている、とは言えなかった。
違う。 私が今感じているのは単なる「絶望」ではなくて、「産みの苦しみ」に伴う絶望だ。 何も生み出さない、破滅的な絶望ではない。 絶望から逃げずに、目を背けずに考えを深めれば、良いものが生まれてくる。 絶望が深ければ深いほど、私は素晴らしいものが生み出せる。 私にとって、絶望は研究する上で必要な要素なんだ(やっかいだけど)。
今後数年の研究生活が、この数週間、数日間の頑張りに凝縮されているんだから辛いのは当たり前だ。 何を勘違いしていたんだ、私は。
私の研究生活は常に死と隣り合わせだ。 深く考えるとき、少し方向を間違えば私は自分を殺してしまう。 体はともかく、心は既に半分くらい殺してしまったかもしれない。
2013年05月02日(木) |
ほんの数秒の晴れ間。 |
夜の7時頃に家に帰ってきて晩ご飯の準備を始めた。 冷蔵庫から使いかけの玉ねぎとピーマンを出して、包丁で切ろうとする前のほんの数秒。 色々なものから解放されてものすごく晴れやかな気分になった。
なんだ、この気持ちの軽さは!生きていることが楽しい!
すぐに(3秒くらいかな)晴れ間は消え、元通り。なんだったんだ、あれは。
気まぐれに希望の光を見せるのはやめてくれ。 お陰で私は絶望の深さを知ってしまったのだから。
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