最強の星の真下

2002年11月29日(金) 出発十数時間前。

あああ、土曜日出発なのにまだ荷造りひとつしていない。
しかも本日も終電午前様。しかもしかも、くだらない理由で。

せっかく午後様で家に辿り着けそうだったのに、帰宅途中会社に財布を忘れた事に気付き、電車を乗り継いで引き返した。
そして終電。
何をやっているのだ、私。

預金カードもクレジットカードも本日おろした現金も全て忘れて、一体何処に旅行に行く気なのだ・・・途中で気付いて良かったよ、全く。
いや、気付いて引き返せる時刻に帰途についていて良かったと言うべきか。

昨日の朝も今朝も、私の顔を見るや、母が熱心に、いかにも高価そうなユ○ケルを「飲んで行ったら〜?飲んでいった方がいいと思うわよ〜?」と私に勧めた。
それを、効果が切れた後がしんどいから、とすげなく断ったバチが当たったのか?
それ以前に、そんなにユン○ルに頼らないとマズそうな顔に見えたのか?!

・・・だったら○ンケルなんて要らないから、観光場所の計画案を代わりに立てておいてください、お母様。その方がどんなに助かるか・・・うう。
まだ初日のプランすら立てていないのに。
フリープランのツアーなのに。
初日は土曜日なのに〜〜・・・。


まあ何にせよ本日締め切りの仕事は終わらせられたので良しとしよう。
最悪、明日午前中も仕事かと覚悟していたからなあ。


さて明日は早起きして荷造りしなきゃ。



2002年11月28日(木) 旅行準備「非」万端。

何にも何にも全く全然準備をしていないのに、明後日海外逃亡予定。

いや、ツアーの申し込みだけはしてあるけれど。
やってあるのはそれだけ。
どうする気だ桂蘭。
フリープランツアーなのに、親を連れていくのに、まだ初日のプランすら立てていない。

それ以前に、荷造りはどうするのだ。
・・・明日に賭けよう。
とはいえ今日も終電なのに、明日準備が出来るのかは、果てしなく疑問。

まあ寝るのは飛行機の中で出来るし、プランも飛行機の中で立てられるし(本当か?)、ジャングルに行く訳でもないから足りない物は現地で調達出来るし、良しとしよう。



健康診断に(社会人になってから)初めて引っ掛かった。
要精密検査の通知が届いた。
くくう。それでなくてもやる事多いのに、またもう一度健康診断か・・・。

むか〜し、中学生の頃に、一度健康診断に引っ掛かったことがあるのを思い出した。
その時は心電図だった。その頃の私の心臓は反応が鈍かったらしい。
今回は血液検査だ。
まあ心配は無さそうな項目だけど。精密検査って、何をやるのだろう。
何か目新しい検査が待っているのかなあ。
受ける暇が惜しいと思いつつ、反面ちょっと楽しみでもあるのだった。



友人の病状が悪化した。
物を食べられなくなってきたらしい。
心配だが、でも私に出来るのは話を聞くことだけだ。
後は快方に向かうのを、祈る事しか出来ない。
こういうのは、辛い。



今日は終電だったのに、帰り道見掛けたどこかの飼い猫と戯れて余計に帰宅が遅くなった。
人懐こい猫で、ちょっと相手をして、さてじゃあまたね、と立ち上がったら「もっと構え」「帰っちゃ駄目」と私の行く手を阻んで足にじゃれつかれた。
無理矢理歩こうとしたら、進行方向に何度も寝転がって進路妨害。
踏み出そうとした足に擦り寄る。
横に動くと、さささっとその進路に移動する。
・・・徹底している。
いやはや手強かった。



2002年11月25日(月) 辛い時。

辛い、と感じる理由。

流されずに同じ場所に錨を降ろして真っ直ぐ立ち続けようと努力するのは、しんどい。

友人が弱っている時に、確固たる存在として、手を伸ばせばいつでも掴まる事が出来るような存在として、在るのは、たまにしんどい。

長い物には巻かれて厚顔になればしんどく無くなる。解っているが、それが出来ない、する気もない自分を改めて認識する時、そんな自分が、少し辛い。

それでも何とか自分でいてしまえる自分が、ちょっとだけ、辛い。




この日記があって良かった。



2002年11月24日(日) 無題。

つらい。




本日の弱音。



2002年11月21日(木) 職務経歴書と人材バンク。

職務経歴書の原案を練る。
原案・・・というより、原稿かな。
今までの職務を振り返り、手掛けた事とその時期を順に書き出すだけだけだから。

幸い、わざわざ大仰に書かなくても淡々と手掛けた仕事を事実のままに書き並べていけば、それなりに売りの多い経歴書になる。

我慢の限界を突き抜けたら、即募集をかけてやる。


募集とは勿論、職の募集である。(人材の募集に非ず)
今は実に便利な事に「人材バンク」というものが存在する。
これに登録される方法は2パターンある。・・・以前書いたかな?まあいいや。
一つ目は、自分からバンクに応募する。
二つ目は、バンクから声が掛かる。

昔は『ヘッドハンティング』などはずっと上のポジションの人を補充する為に、他社の人材に仲介業者が直接交渉するものだったようだ。
が、今は転職希望の人間の職務経歴書を見て「これは売れる!」と思われるものがあったら、希望にマッチした人材募集のカードを持っていなくても自社バンクに登録させるべく声を掛けてくるところが結構ある。
そしてバンクはその人材の希望に近い条件で、募集をかけていない会社などにも話を持ち込んでどんどん売り込みをかける。

こういうの↑もどうやら『ヘッドハンティング』の一種と見られているらしい。言葉に何となく違和感があるが。
私の転職はこのパターンだった。


自分からバンクに応募しても、売りがない、または得意分野(業種)とかけ離れている、などの場合は登録をお断りされる事もあるらしい。
お断りされないまでも、職を一つも紹介してくれない、条件の非常に悪い職ばかり紹介される、という事もあるようだ。
しかし売りが無いという事は、イコール市場評価額(報酬額)が低いという事なので条件の悪い職を紹介されても仕方がないのかもしれない。
バンクも信用商売なのだそうだ。

おいおい、出した希望と全然違う人を紹介してきたよ・・・という事が度々あると、そのバンクが持ってくる話を会社側が聞こうとしなくなってくるらしい。
まあ当然だ。
逆に、条件の良い会社にいい人材を沢山紹介すると、どんどん出入りしやすくなって話もまとまり易くなる。
条件の良い会社なので、話がまとまった時の成功報酬も大きい。

条件の悪い会社は成功報酬も少ないので、初めからあまり良い人材を紹介しないのだそうだ。人材が勿体ないから。


と、人材バンクのコンサルタントさんが言っていたのだから本当なのだろう。


・・・備えあれば憂いなし。
準備さえしておけば心も広くなろうというものだ。精神衛生の管理は自分でしないとね。



2002年11月20日(水) 外為相場の話。

目覚まし時計が壊れた。
限りなく朝に弱い私にとっては致命的である。明朝は試練の日となりそうだ。


ドルが上がった。銀行株急落の所為だとか。
明日は補正予算案の発表があるらしい。
・・・補正予算は組まないとか何とか、小泉さんが言っていたという話は嘘か・・・?
へーほーふーん。
ということは、この内容次第で円相場が反発する・・・かもしれないのかな?
「株式市場を反映した外為相場になっている」とか何処かで読んだ。
でも株安傾向に変化はなさそうだし、あちこちの会社、年末に向けて業績の下方修正とか出そうだし、特に東京電力が大変だろうし。

・・・そういえば今冬、電力供給大丈夫なのか?
真夏ならまだともかく、真冬に電力供給カットはキツイ。凍える。
でも、きちんと管理手順書に沿って安全管理しなかったツケを消費者に払わせたり、まさかしないよねえ、天下の東電サマだもの。

閑話休題。
そんなこんなで円ドル相場はまだまだ熱いようですな。
まあその方が見ていても愉しいのだけれど。
素人なりに動きを推測してあーかな、こーかなと想像して(予想とは口幅ったくてとても言えない)楽しめるのがいい。
そして当たるとなお愉しい。

今現在、ユーロ結構なスピードで上昇中。何だろう?
経済ニュースか外為ニュースを見に行こう。


それにしても、自分が外貨預金を出来るようになったというだけで、外為相場がいきなり身近になった。
興味を持つのが学習の近道って、本当なのだなあ。



2002年11月18日(月) ドル。

風が強い。寒い。
・・・木枯らし一番かな?

そろそろ手袋を出そうかなあ。
そういえば去年父から誕生日プレゼントに貰った革手袋を、まだ卸してなかったっけ。今年はあれを使おうかな。


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今日は久々に少しだけ為替の話。
外貨預金が出来るようになったのはいいが、先日から中東戦争の脅威が何たら、とか、経済政策発表がどうとか、と、円ドル相場が荒れている。
・・・怖くて手が出せませんがな。といいつつ手を出すのが私。
しかし底はどこだ〜っ天井はどこなんだ〜っと思っているうちに乱高下するので、手を出したものの、売るに売れず買うに買えず。
しかも12月初旬にまた中東関連で動きがある(査察の話だったかな)とかで、ドルが熱い。というか、ドル相場、実にスリリングである。
下手に手を出すと、この寒いのに手に汗握るような展開になりそうだ。

ふ。も少し様子を見よう・・・。



2002年11月16日(土) 頭痛外来。クリスマスカード。

劇を見てきた。
サードステージ『今度は愛妻家』。
実は相当涙もろい私は、劇を見てぼろぼろぼろぼろ泣いた。
その所為で今は頭が痛い・・・。

どうして泣くと頭が痛くなるのか仕組みはよく解らない。
が、いつもの事なので慣れているのだ。しかし慣れている癖に今回は頭痛薬を持って行くのを忘れてしまった。
自業自得の頭痛なり。

恐らく緊張性頭痛とか、そういう類のものなのだろう。と思う。刺激で血管が収縮して起こるとか何とかそういう頭痛。
頭痛外来に行かねば行かねばと思うのだが、昨今流行のいわゆる「ペインクリニック」と頭痛外来が一緒くたに分類されているのを見るにつけ、病院を選ぶ気も行く気も失せてウンヶ月。
そりゃあ確かに腰の痛みも頭の痛みも「ペイン」だけど、作用機序が全然違うのに同じ診療所で扱うのか?本当に同じ分類で同じ医者がカバー出来るのか?頭痛薬をくれて終わりなんじゃないのか〜?!
どうも疑いの眼で見てしまう。
・・・自分の健康は自分で守らなくてはならないのだけれどね。


クリスマスカードを購入した。
海の向こうの同僚達に今年は大変お世話になったので「部署向け」のオフィシャルなカードではなく、それぞれ一人ずつに個別にカードを送るつもりなのである。
そうすれば家に持って帰って貰えるし。来年もしっかりお世話になるつもりだし。
日本ライクな美しいカードをごそごそ手当たり次第に漁って買い込んだが、足りないかも。

思えば今年は随分多くの人達と仕事をした。
もともと転職の動機の一つに、もっと現場や他部門との接触のある部署で仕事をしたい、というのがあった。

それまでは、本当に限られた人達の中で、一人一人別のテーマで研究を進める、という環境だった。
それでも成果が上がれば他部門との折衝や現場での助言、社内ミニ講演なども行えたが、2年、3年でようやく成果があがるかどうか、というペースの中では、そんな機会は稀だった。2回くらいか。
というか、部署内でそういう事を出来たのは私が最初だった。それくらい成果が上がっていなかったのだ。

私の興味の対象は、専門分野だけでは無かった。
組織の動くさまをもっと知りたかった。
異なる部署がどのように有機的に結びつき、どのように情報が流れ、どのようにプロジェクトが進行し終了するのか。
その中で自分の仕事のポジションはどのような位置を占めるのか。

全体を知った上で、その一部分として働きたかった。

それでいながら、担当製品の全てを知りたいという専門分野への拘りもあった。

そして今の職を得た。
上司に恵まれていない職場だったのは大誤算だけれど(笑)。


海の向こうの同僚達とは、随分いい関係になってきたと思う。
心から、日頃の感謝をカードにして彼らに送りたい、と思う。
その気持ちを家に持ち帰って貰えたら素敵だな、と思うのだ。


・・・さて頑張ってカードを書かねば・・・筆無精の私にはちょっとした苦行。



2002年11月15日(金) 白耳義での話。

本日終電までかかって仕事を片付けたので週末は休める。ふふふ。連休だ。素晴らしい。

今年度の査定があった。
今年を振り返ってみると、しみじみ怒濤の一年だった。もう自分でも手がけたのを忘れかけている仕事が沢山あった。
態度が大きいせいか、今年入った新人くんに私が去年入社だと信じて貰えなかった。
一年365日って、速いけれど長いものだなあ。


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道を聞いてきたタクシーの運転手さんの話・・・は以前書いたし。
今日は、路上で会った人の話を書こう。小ネタである。

以前白耳義に旅行に行った。英語が「非」堪能なのでツアーである。
自由行動の時間、ショッピングに出た。
と言っても殆ど散策である。
友人と2人、広場に向かう道を歩いている時、夫婦と思しき2人連れの白人さんに声を掛けられた。
「すみません、○△へ行く道を教えてくれませんか?」(←英語)
・・・。
「ごめんなさい、私たち旅行者なんです」(←一応英語っぽい)
「そうですか、すみません」

EUの本拠地、白耳義である。どうひっくり返ってみても明らかに東洋人の私に、何故道を聞く。
しかもしかも現地の人(の半分くらいかな)は仏蘭西語が公用語らしいのに英語で話しかけるか。

実際、私が本屋さんで画集を買い求める時も、店員さんが私の拙い英語を解さず往生した。
私が何とか片言英語で説明しようと頑張っていたら、近くにいた親切な、いかにも教養のありそうなビジネスマンらしきおじさまが英語と仏蘭西語の通訳に入ってくれた。

そんな場所で東洋人に英語で道を聞くか。人通りの多い広場近くだったのに。そんなに道を教えてくれそうに見えたのか。
いまだに謎である。

・・・亜米利加人だな、きっと。

その後、一緒にいた友人によってこの話が他の友人達に披露され、「海外ですら道を聞かれる桂蘭」という認識がしっかり定着してしまったのだった。



2002年11月14日(木) クリスマスの準備。

今日は朧月夜だった。

眠気に負けパソコンに頭から突っ込みそうになったので本日は早めに撤収した。ので、夜空を見上げる余裕のある、穏やかな家路となったのだった。

睡魔に襲われてままならないが、そろそろクリスマスカードの準備を始めなくてはならない。・・・と先週から思っている。
早くしないと時期を逸して間抜けな事になってしまうので、今週末こそはやらねばならぬ。
海の向こうの同僚達に、こういう時にこそきっちりご挨拶をしておかなくては。こまめさが大事。

しかし眠い。

せめてカードをこの週末に買っておこう。そうすれば会社でも書けるし。伊東屋に良いのが沢山置いてあったから、あそこで買おう。
亜米利加のお人達はいかにもじゃぽねすくな雰囲気の物が好きらしいから、やはりカードは富士山か美人画だろうか。
欧羅巴のお人達は、地味で美しいのが好きなようだから・・・桜?

そう。何故かクリスマスカードに桜柄があったのだ。
季節感が皆無である。
こういうのを送ると、桜は秋か冬に咲くと彼ら勘違いしないかな・・・。
極東だから何でもありなのか!冬に桜が満開になるのか!さすが不思議の国ニッポン!とか思われたりして。
・・・でも勘違いさせるのも面白いかも(笑)。



2002年11月13日(水) 変質者の話(苦手な方は読まれない方が宜しいかと)。

本日も午前様だった。。。


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路上で遭ったイカレた人。

以前、学校からの帰りの夜道、路上で道端に停まっている車に乗った男の人(おじさん)に呼び止められた。
「すみませーん・・・」
最初は私に声を掛けているとは思わずに通り過ぎようとした。
「あのすみませーん・・・」
?私か?辺りを見回すとどうも私以外に人影がない。
あ、これは申し訳ない私だったのか。
「はい?」
「わたし脳性麻痺で、ちょっと手を貸して欲しいんです〜・・・」
「何ですか?」
「ちょっとちょっと(手招き)」

「(自分の陰茎丸出しのズボン指差し)これ、チャック挟まっちゃって・・・上げるの手伝って貰えませんか・・・?わたし脳性麻痺で指が上手く動かなくて・・・ホラ手がこんななんで(自分の手を見せる)・・・これから△○の方に行かなきゃいけなくて・・・お礼しますから、一万円!」
「・・・これから△○の方に行くのなら、この道を真っ直ぐ行って突き当たりの大きな通りを左に曲がるとすぐの所に交番があって、いつもお巡りさんが常駐していますから、そこでお願いしたらいかがですか?通り道ですし」
「いやホントにお礼しますから!変な事しませんから!何だったらお金今、道路に置きますから!」
「・・・交番ならお金払わなくても大丈夫ですよ。失礼」
さっさと車を後にした。

小さな小汚い陰茎振り立てて「変なことしません」とは随分ふざけた事を言うおじさんである。既にしているだろうが。
一点の曇りもない見事な変質者である。
いい年をして恥ずかしくないのか。というより、一応人間の形をしている生き物として恥ずかしくないのか。

これは正真正銘、全くの実話である。世の中には色々な人がいるものだ。




・・・は!
もしかしてこんな事を書くと成人向けに強制移動になるのだろうか。
変質者話は成人向けだろうか。
少々心配になってきた。もし強制移動されたらこの話は削除しよう。



2002年11月12日(火) 海の向こうの人達。

「桂蘭凄く忙しいんだね」

海の向こうから同情された。

亜米利加のお人達は、日本人言うところの『察する』のが苦手だとか出来ないとかそういうのを期待するのは間違っているとかはっきり言わなきゃ駄目なんだとか、そういった事を色々散々聞かされていたが、どうやら私は運がいい。

この一年と少し、海の向こうの声も顔も知らぬ何人もの担当さんと一緒に仕事をしてきたが、こちらの状況に配慮してくれない人は2人だけだった。
Superb!

どうやら彼女は私が別の仕事で他のグループの担当さん達と連絡を取っているのを知っているらしい。
こちらの進捗を聞かなくてはならない時はいつも「急かしている訳ではなくて、確認だけ」と親切に書き添えてくれる。
・・・進捗を聞くと私がいつも謝るからかもしれないけれど。

総体的に、男性の担当者達はあんまり『察して』行動する事はないようだ。
というか相手の状況を想像する、或いは相手の(メールの)言葉から推量する、という事をあまりしないように見受けられる。
こんな所に男女差が顕れるのだなあ・・・。

英語が堪能ではない私にとっては、女性の担当者の方が仕事がとてもやりやすい事は言うまでもないのであった。
そして来年入る予定の新しい仕事も女性相手だ。やはり私は運が良い♪



2002年11月09日(土) 深夜道端レッスン。

眠り眠って一日が終わる。
・・・本当は仕事行かなきゃいけなかったのだけど。明日一日に賭けましょう。

今週は毎日午前様だった。
でもちょっと面白い事があった。日記を書くとかそんな暇もなく眠りに落ちていたので今頃書く訳だけど。

真夜中帰宅途中に、男の人に駅の乗り継ぎを聞かれた。・・・英語で。まあつまりはナンパなのだ。
日本に5年もいて、家の最寄りが目黒でこの乗り継ぎを知らない訳があるまいよ。いやこのあたりは話していて判った事なのだけど。

律儀に携帯で乗り継ぎを調べて教えたら、飲みに行こーよー飲みに行こーよーと言い出した。・・・この外国人さんは元気だ。
ふざけるな。私は仕事で精神力も体力も摩耗しきっているのだ。そんな余力をどこから振り絞れと?

とも思ったが、相手は英語の人である。終電までまだ間もある。私も寛大な気持ちになった。何故か?勿論「ここはひとつ無料英会話レッスンだ!」の下心からである。
まあ彼の英語は訛りがきついが聞き取れない程ではないし、無礼と言うほど礼儀知らずでもないし。私も得るものがあるのなら、それは決して無駄な時間ではない。うむうむ。
・・・ナンパで英語圏の人間が有利な点その1だ(笑)。

しかし勿論飲みにもお茶にも着いていく気は更々ない。
延々立ち話20分英会話。聞くところによると彼はバングラディシュ人で、日本人の奥さんがいるそうだ。そうか、では彼の英語はバングラディシュ訛り・・・?初めて聞く訛りである。なにしろ英会話スクールにバングラディシュ訛りの先生はいない。

そして英語と日本語交えての家庭の愚痴モードに突入。その人はお姑さんと同居で家に帰っても夕食の準備もされていなくて、猫が5匹(彼日本語で言うところの「5つ」)もいるそうだ。ほほう。
数の数え方ってもしかすると英語圏の人には難しいのかも。
「アレルギー」を英語発音したら分からなかったらしく、日本語発音で「アレルギー」?と聞かれた。ふむ。
どうやら彼はこの単語を日本で学習したと思われる。
朝の8時半から夜の8時まで働いてるよ、と凄い不満げな顔をしていたが、私の労働時間はもっと長い。しかも家から職場までが遠いんだぞ!20時で確実に終わるならいいじゃないか!!・・・世の中下には下があるのである。彼もそのあたりをよく弁えるべきであろう。

あれやこれやを微妙〜に学習してさっさと帰宅したのだが、面白かった。これなら余力を振り絞ってもいいかも。


私は元々よく声を掛けられる方だ。どうしてなのかは分からないが。
ナンパだけでなく色々ある。道を聞かれる、のが特に多い。セールスは殆ど無いが。
でも今回のパターンは珍しかったかも。英語の人でも、ナンパなら日本語で声をかけてくるのが大半だったし。

今度、今まで私を道端で呼び止めた人達の話でも書こうかな〜。



2002年11月05日(火) 外国語訛り。

数日にわたって誕生日プレゼントを各所から戴く。今年最も心にヒットしたのはアクセサリー。[Cさん、ありがとーう!(私信)]
年に一度、いくつになっても愉しい時期である。
・・・どこからも一個も貰えなくなったらさぞ淋しかろうなあ・・・。


さて。
何度も出てくる英会話ネタで、今私が最も僻んでいるキーワード。
「ドイツ語訛り」
英文を読み上げるエクササイズでネイティブの先生に指摘を受けた。
どこが?!と尋ねたが、どこがと具体的に言うのは難しいがネイティブは分かる、のだそうだ。

桂蘭は勿論ドイツ語は話せない。かろうじて
「あいんす・つう゛ぁい・どらい・ふゅあ・ふゅんふ」
「だんけ」
「ぐーてんたはく」
「あーふう゛ぃーだーぜーえん」
「ぐーとなはと」
「しゅわるつかっつぇ」
程度を覚えてはいるが。しかしそれを言えば広東語だって
「どーつぇー」
「んーこい」
「ねいほう」
くらいは覚えているし、北京語だって
「いー・ある・さん・すー」
「にーはぉ」
は何とか言える。フランス語なら
「あん・どぅ」
「めーしーぼくぅ」
だけだが。イタリア語なら
「うの・どぅ」
「こんめすた」
「ぼんじょーの」
「ちゃお」
「あどまーに」
「ぐらーつぇ」
「しにょりな」
「すくーじ」
とか。挨拶ばかりだが、それが重要。

で、どこで何がどうなったのかドイツ語訛りの英語。
・・・がっくり。



2002年11月02日(土) 理想的な休日。

今日は、久しぶりに休日の外出を満喫した。

朝になっていきなり母が「今日はちびた達が柿もぎに来る」と言いだし、泊まるのかどうかも分からないままに慌てて土産をあれこれ引っぱり出した。
お母様。前もって分かっているのだから、早いうちに言っておいて下さい。どーーーして人の出掛けに言うかな。

しかも家に帰ってみれば弟一家今日は泊まりだった。なんだ・・・。

ちなみに「柿」とは我が家にある私の誕生記念の柿の木だ。第二子である弟の時は等閑にされ、木は植えて貰えなかった。第二子の悲哀(笑)。
ちびたの木は、誕生の記念に植えた訳ではないのだが我が家の花梨の木という事になっている。
花梨の蜂蜜漬けは喉に良いので風邪の時私が愛用している喉薬である。
「花梨を植えよう」「花梨を植えよう」と連呼してようやく植えたのだが、その植えた時期がちびたの誕生に近いうえ、彼もよく風邪を引くからちょうど良かろう、と、ちびたの誕生樹という事にしてしまった。

そのちびたは段々クチが達者になってきた。
母や父はたまに来る孫を際限なく甘やかすのだが、私は彼の言動に対して甘やかしをしないのがよく解っている。
母や父には癇癪を起こしてみせれば自分の我が儘を通せる、と知っている素振りを見せる。が、私が「駄目だ」と言うと我が儘主張の声が急に小さくなる(笑)。
このあたりの単純さ、やはり3歳児はかわいいものである。わはは。

それでも何処かに行けば子供向けの珍しい物や地方の産物、私の気に入りの菓子などを必ずちびたの土産に買って来ているので、一応「おねえちゃんに、我が儘は通せないが可愛がられてはいるらしい」という認識を持っているようだ。
うむ、良い傾向である。その認識を今後60年くらいは保持するように。それから、いくつになろうが「伯母さん」などと呼んだらもう二度とお土産は買ってこないから、覚悟しておくように。


さて本日は久々に目の保養をしてきた。
朗らかな美人さんと一緒に素晴らしい美術品や趣味のいい品を見ると、心が和むなあ。日々の汚れが洗い流されて、荒廃した精神に美容クリームをたっぷり補給された気分である。
これで残りの連休も心愉しく過ごせそうだ。

来週は怒濤の1週間になることが今もうすでに判っているのでこの連休でせっせと心の洗濯をしなくては。染みになったら落ちないし、早めの処置が肝心。



2002年11月01日(金) 松井。

今日は朝から驚いたなあ。
まさか松井がFA行使するとは思わなかった。

はっきり言って、彼も大リーグに挑戦してもいいだろうに、とはかねがね思っていた。
が、松井の今までの義理堅さから言っても、野球人としての言動から言っても、このまま「ミスタージャイアンツ」への道を邁進するのかと。思っていたのだけど。

いやはや思い切ったものだ。頑張って欲しいものである。

ふふふ。これで心置きなくアンチ巨人に徹することが出来ようというものだ。
松井。彼だけは、憎き巨人の選手ではあるがご贔屓だったのだ。何と言っても野球に対する姿勢が良い。実に真摯である。力もある。奢らずファンを大事にする。
本当に日本の球界でピカイチのいい選手だった。
惜しまれるが、まあ仕方がない。米国行っても頑張れ〜根上町民!

しかし一つだけ気になる事がある。ご当地の北國新聞のことである。
巨人が勝とうが負けようが、雨が降ろうが嵐が来ようが、何があろうと松井記事。松井に始まり松井に終わる、あの新聞。
・・・果たして来期は番記者をUSに送り込むのか・・・?予算はあるのか?

北國新聞から「放っとけ!」と言われそうな興味だけれど。


さて。明日から三連休である。
あわやこの連休も仕事かと思われたが、何とか逃れる事が出来た。
・・・この連休は予定がきっちり詰まっているのだ。仕事で潰してなるものか。

予定が詰まっているのに、こんな時刻まで夜更かしをしていたら、来週の健康診断で引っ掛かるかも。

健康で思い出した。
先日、献血をしようと思ったのに、針刺しがあまりお上手でない看護婦さんだったので検査用採血が出来なかった。
その日朝ご飯を食べていないから血管が細くなっていて採血出来なかったと言い張られたが、私は知っている。
私の片方の腕の血管は、栄養状態が良くても睡眠が足りていても血圧がどれだけ良好でもどんなに縛っても、浮いてこないのだ。
今までの数ある経験からしても、この血管に刺せるかどうかは看護婦さんの腕次第。
他人の所為にしていないで、我が身を振り返ったら如何でしょう。

・・・善意で献血しようとしたのに、採血出来ないのを私の所為にされてちょっとムッときたのであった。最高に血圧状態が良好な日だったのに〜。あんな日はもう二度とあるまい。ふう。


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桂蘭 [MAIL] [深い井戸の底]

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