2005年12月29日(木)
電子メイルアドレスを住所代わりにプレゼントやら贈り物やらを贈れるサービスがあるといいなとずっと思ってたんだけど流行っていないだけなのかぼくが知らないだけなのか未だにお目に掛かったことはない。
似たようなサービスでろじぱらの「ウェブ投げ銭」の説明にあったアドレスへの投げ銭というのはイメージが近い。
たぶん近いうちにAmazonとかがやると思うけど(希望的観測) ぼくがネット上の友達(だれでもいい)にプレゼントを贈りたいと思ったとき贈ることは可能だろうか?と考えた
(というか厳密には逆で今の時代、現実で会う友達ですら携帯電話の番号やメイルのアドレスは知ってても住所を知らないことは多々ある。それに気付いて年賀状が送れないと言うぼくのような人間もいるだろう(いないか、いないよね。))
一番はじめだけ相手方のアドレスに「プレゼントしたいって奴居てAmasonに住所登録してくれたらこれからも贈るけど?」ってメイルが来て〜 みたいなサービス。もちろん商品はAmasonのショップのものしか贈れないのがネックだけど。
同様にメッセージカード(年賀状)を電子メイルアドレスで現地に贈ってくれるサービスないかなぁ。 いや本当に何人かわからない人が。。。
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2005年12月27日(火)
最初に断っておこう。 題名は本文に一分一厘も関係ない。
面白くない、 面白くないのは何が原因のなのか? たぶんもう少し賢かったら、若しくは何に対しても興味を持てるのだと思う。
パソコンというのは凄い道具だと思う。 特にWin機。やりたいと思ったことはなんでもできるようにできている。
逆説的に言えばパソコンという幻想に憧れてこれを持った人間に対しては何も与えてくれないのだ。 今までの機械は違った。ライトであれば照らしてくれ、計算機であれば即座に計算し、電子辞書は紙のそれ以上に軽く素早く検索可能だ。
機械化によってもたらされたのは効率化である。
携帯電話は既に電話としての能力を維持していない。 それは電子メイルに取って代わられた。
電話は相手の時間を指定しなくてはいけない。 が、メイルであればいつ見ても問題ないのだ。
それは一見便利なことだろう。
便利であるべきなのだ。
紙媒体に書いて切手を貼り わざわざ投函するよりも。
時が経てば消えてしまう。 そんな刹那的な電子のメイルの方が
短い時間の中で笑い泣き驚く、 新々人類の僕らには。
お似合いなのだ。
そう信じたい。
この日記とかいい文章を打つとき。 しばしば一行あけの文章にして自分に幻滅する。 ぼくが感銘を受ける文を書く人が 多く一行あけを利用するだけであって、 一行あけだから感銘を受ける文章なのではないからだ。 それはアイドルの真似をする中学生のようなもので なんとなくそれを感じると腹立たしくなって改行を全て消して 一行あけを消していく。 すると今度はわざわざ消していくのもあほらしくなって そのままにしようとする。
いやどうでもいいこと。 たまに書きたくなる。 そんなときだって。 だれであっても。 そんあんとき。 あるだろう?
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2005年12月26日(月)
日記に日付を入れたら、 なんだかそれが刻印のようで、 なんだかそれが肌に押した印のようで、 こう、気分が悪くなった。
無機質な数字の羅列。 またはじまる、平穏と加速にまみれた日々。
次はまた訪れるのか、
次まで自分は居られるのか。
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2005年12月11日(日)
いつもと同じ風景、同じ部屋。 今日も目が覚めた。 ルームメイトはまだ寝てる。 何も変わらない日常がはじまったのに 昨日からぶくぶくという音は途絶えたまま。
たぶん、そのうち窒息死。
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2005年12月05日(月)
愚民どもがー!! と叫びたい。
ヒトリダトサムイ フタリガイイ サンニンイジョウハ アツクルシイ
ウルセー!
病んでるな…。 椎名林檎とか聞いたら死ぬかも。
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