自由意志 - 2004年09月30日(木) 「わがままだし気分屋さんだし。俺はいつも振り回されてるよ」。 また出てきた。「振り回す」「振り回される」という言葉。そして確かにわたしは我儘で気分屋だ。 でもわたしは、自分に都合よく動いてくれる人が好きなのではない。 いわれもないのに、あれを買って、とねだって、もしそれが目の前でぽんと買われたら、却っていやだ。 奢ってくれるんだったら朝まで飲んでもいいよと言い、互いに承諾して朝まで飲んでおきながら、いざ帰る段になると自分も財布を取り出す。そういうことだ。 振り回されていてそれが本当に嫌なら、自分は振り回されている、などと言ったりはしない。 それにわたしだって充分振り回されている。 きみが原付を持っていたら家に来てと言ったよと言われ、深夜2時に、歩いて二時間の道のりを想像してどうやって行こうかと本気で考えたわたしが少しも振り回されていないと言うなら、もちろん話は別だが。 - もう全部止めたいという、台詞。 - 2004年09月28日(火) それにしても似ていると思う。 よくそう思うのは、集団の中での在り方を観察しているときだ。 たとえば昨日のような小規模な飲み会で、興に乗ってくると、いつの間にか話題の中心で発言している。 わたしがそうしているときは向こうは黙って聞いているし、向こうがそうなっているとき、わたしは黙って聞く。そして時折二人で会話すると、みんながそれにくっついてくる。なんだろう、この感じ。 あとは今日のようなときだ。 昨日から、今日はへこむことになるだろうと言っていた。そのことを考えたくないから、倒れて寝てしまうくらい疲れたい、と。少しの時間でも、そのことを忘れたいと、そう言っていた。何かあると不眠にくるのは一般的だとしても、抱える苦しさの吐露の仕方にはやはり人それぞれに特徴がある。そして、あのひとのそれは、わたしのそれとよく似ている。 だから、今日は必ず連絡があるだろうと思って待っていた。 でも、向こうは連絡するまでに激しく逡巡するだろうとも思った。 きっと深夜になってから、連絡がくるのだろうと考えた。 思ったとおりだった。 夜にわたしが帰宅してPCを立ち上げたときには向こうも既にオンラインだったが、話し掛けてはこなかった。 わたしは連日の行動から体力的に限界を感じていて、このままアクションがないのなら寝てしまおうと思い、日付が変わる頃にはサインアウトしてしまった。 でもたぶんそれでは終わらないだろうという予感もした。 だからお風呂に入ることもせず、ベッドの上で溜息をついていた。 当然、寝てしまったらしい。 携帯が鳴ったのは一時間後だった。 今は29日、朝の6時。 一時間程度の睡眠でも比較的使い物になるのは助かるが、後で必ずダメージがやってくる。 おそらく今晩は熱が出るだろう。既に身体は熱い。この感じのときには必ず発熱するのだ。 あまりにもたくさんのことを考えたので、却って何も出せない。 わたしはこのひとと、どうなりたいのだろう? - make a telephone call - 2004年09月24日(金) 比較的遅めの時間になってから、先輩であり友人であるところの大さんと、久々に電話で話をした。 わたしの携帯が変わってから一ヶ月。 それでも、新しい連絡先を教えていない人のほうがずっと多い。 連絡しないでいるとどうなるのか、少し試してみたかったのだ。 サークルへの連絡はMLにメールを一通送るだけで済んだし、ある程度の頻度で連絡を取り合っている友人・知人には既に連絡済みだ。 伝えていない人のなかに、ネット上で頻繁に会える友人が数人含まれているせいもあって、実際のところ、これといって不都合はない。 不都合を認識するのは、「何か」があったときでしかないのだろうと思う。 もちろん、友だちというのはそういうものではないと思うから、このまま連絡しないということは、ないのだけれど。 さて、わたしにとって大さんが大事な友人であることに違いはないが、あちらは社会人、こちらは学生では、会話の頻度はそう高くない。 だから連絡先が変わったことを、伝えていなかった。 突然携帯電話にかけるわけにはいかなかったが、メールがしたいわけではなかった。だから家に電話してみた。 誰に対してもそうだが、予告なく家の電話にかけるときは、何か特別な用事があるわけではない。 なんとなく話がしたいだけ。 ただそれだけだ。 久しぶりに聞いた大さんの声は元気そうで、仕事が充実していることを容易に想像させた。 わたしのほうも、抱えているいろいろな問題の話をしたが、悪くない雰囲気を醸し出していたようだ。 とても安心した。 昔。四年前だろうか、知り合って間もない頃、大さんと話すといつも喧嘩のようになった。 当時わたしはひどい有様で、取り巻くすべてのものごとに対して、かけらほどの誠実さも持ち合わせていなかった。 大さんはそんなわたしにとても苛立っていて、何とかしてわたしをまっとうな在りように戻そうとしてくれていた。本来のきみはそんなんじゃないはずだと、あの頃よくそう言われた。 そういう言葉は当時のわたしにはうざったく感じられて、どうしてそんなことを、しかも出会って間もない人に言われなければならないのかと噛み付いたりもした。 でも大さんと話すことは止められなかった。 何度言い合いになっても、少し経つとまた会話を交わしていた。 このままではいけないと思う気持ちが少しでも残っていたからだろうが、今思うと、わたしよりも大さんのほうがずっと大変だっただろう。 プライドが高く強情なわたしと踏み込んだやりとりをしようとする、その徒労感の果てしなさは、想像に難くない。 今日は久しぶりに、家の電話でゆっくり話ができて気分がいい。 大さんとのことでは、思い出す事柄も多くなってきたが、付き合いはまだまだこれからだ。 わたしはこれから、どれだけの人を、「忘れずに」いられるだろうか。 - こないだ、夢を見てね。 - 2004年09月22日(水) 「わかったけどさ。あいこちゃん、それきちんとゆうくんに言ったの?」 ―言わないよ。あのときはそんなこと言える状況じゃなかったもん。 「でも言わなきゃわからないでしょう?」 ―それ言うくらいだったらさっさと別れてたよ。 「そうかい。じゃあ、仕方ないじゃん?」 ―理屈ではわかってるんだよ。でもなんだよ。 それに、色紙。メッセージなんかいらない。 何が書いてあっても、絶対素直に受け取れない。どうしても嫌だ。 「相当わだかまってるなあ。…でもどうにもならないだろ?」 ―うん。ならない。 「じゃあ、俺に言っても仕方ないだろ?」 ―うん。 「あいこちゃん」 ―はい。 「俺にその話をしてね、きみの気持ちが済むならね、いいよ。でもね。 俺は、何を信じたらいいのかなって思うときもあるよ。 他の人には話せないから俺に話すんだろうけどね、そういう話を聞くと、 あいこちゃん自身の、俺に対する言葉の信憑性が下がるんだ。 …ああ、ごめん、疲れてる。 今のはなんとなく言っただけだから、深く気にしないでほしいんだけどね」 ―いや。そうだと思うよ。今そう言われたからあわてて言うわけじゃないけど、 わたしもそのことはずっと考えてたんだ。 結局どうしたいのか、わかんなくってさ。 「いや、ほんと、いいよ、ごめん。深く考えないで。学会帰りで疲れてるんだよ」 ―…わかった。 それにわたしの考えがまとまってないのに、この話をしても意味がないよね。 ごめん、ずっとコンビニの前だよね。 「そうだよー、高校生じゃあるまいし、こんな夜に、 コンビニの前でずっと座らせてんなよ、俺は家に帰るぞ」 ―うん。 「少しは気が済んだか?」 ―はい。ありがとうございました。 「よしよし。元気だせ。まあまた話聞くから。起きてるときはな」 ―うん。じゃあね。おやすみなさい。 「じゃあな。おやすみ」 「あー、オレはこないだお前の夢を見た」 ―あら。どんな夢? 「なんかまた駄々こねてた」 ―まじで。何て? 「忘れた。それで”あーあーまたかよ”とか思ってたら目が覚めた」 ―え、じゃあなに、お願いはきいてくれなかったわけ? 「おう」 ―そっかぁ。 まあきっと大したことじゃないよ。 遊びに行きたいのになんでいないの家にいてよとか、 そんな程度のことじゃない? 「まあな。駄々こねるのもいつものことだし」 ―そそ。 「そうそう、じゃねーよ。まあもう諦めたけど」 ―ふふ。じゃあ来週、気が向いたらね。 「おう。気が向いたらな」 ―うん、また連絡する。暇がなければそう言って。 「ああ。じゃあな」 ―じゃあね。 ナイトメアの話。 夢は終わるが、目の前にある世界は終わらない。 でもこっちが現実だ。 - それじゃ伝わらない - 2004年09月20日(月) ショートピース!に行ったら、ヨウさんは携帯を忘れてきていた。 それで会った途端に、「俺に連絡したりした?」と尋ねられた。 「まさか、しないよ、同じ時間に来るかどうかもわからないのに」と答えた時点で、わたしは既におかしかったのだろう。 それで、ヨウさんはちょっとへんな顔をしたのだろう。 次は、入れ替えで待っている間の会話だった。 苦笑いしながら言われた。 「今日はなんだか絡むなあ」 ―そう?そんなに違う?いつもは? 「いつもは、そうだなあ、もっと可愛げがあるな」 ―可愛げかぁ。今日はいつも以上に可愛げがないのね。おかしいかな? 「うん変だよ。テンションがおかしい。てか高い。どうした?昨日の郡山はどうだったの?」 そうかおかしいのか。 確かに、会った瞬間から、自分で言葉を選んではっきり話しているのではなく、言葉が勝手に転がり出てくる感覚があった。 そしてヨウさんは、わたしが郡山まで行ったことの意味を、おそらく最も理解しているだろう人だ。 でもヨウさんが相手なのだから、出てくる言葉は全て、ある程度以上本音なのだろうと思った。 だとしても、不必要にテンションが高いということは、何か防衛本能が働いているということだ。 そう考えると、言いたいのに、簡単には言えないことがあった。確かにあった。 そのせいだ。 しかもヨウさんは、会ってすぐに、今日はお父さんに呼ばれているから夕食はお父さんと食べるのだと言った。 わたしとゆっくり話している時間はないということだ。 それできっとわたしは、ここで話すことではない、と思ったのだろう。 と、いうよりは、始まってしまったのだろう。 「言わないくせに、わかってもらいたい」という、あれが。 結局、いつものように片平キャンパスまでくっついて行ってしまった。 途中でヨウさんが「親父のほう断ろうか?」と言ってくれたので、もういいや、と思った。 そのうえ弁解めいたことも少し聞こえてきたので、悪いことをしたなという気分になった。 もしここで、シャツの裾を引っ張って何か言ってしまったら、きっと後悔する、と思った。 途端に、きちんと話せるようになった。 これだったら、少ししか話せなくても、きっと伝わる。よかった。 これ以上、誰かに言えることは、もうない。 - まったく、 - 2004年09月18日(土) あっちもこっちも病院通いとはどういうわけだ。 ヨウさんもなっつも、そしてわたしも、薬を飲んで生活している。 互いに何の薬なのかは、誰も誰にも言わないけれど。 月曜日になれば、ショートピース!でヨウさんに会えるだろう。 明日の話ができるだろう。 きっと聞いて欲しくなるだろう。 でもヨウさんのことを話す相手はヨウさんしかいない。 困った。 まったく、あっちもこっちもふさがってるとはどういうわけだ。 - いまは9月だから。 - 2004年09月15日(水) もう3年前のことになるが、わたしは昔、携帯電話に「パオロン」の小さなマスコットをつけていたことがある。 「パオロン」が何なのか、わかるのは中日ドラゴンズが好きな人だろう。ごちゃごちゃ言わずにリンクを貼らせてもらおうと思う。これだ。 もちろんわたしが自分から進んでパオロンのマスコットをつけたわけではない。 誰からもらったものなのかは、言わなくてもいいと思う。 けれどそれは、彼がわたしに渡したもののなかで唯一の、対のものだったのだということは、書いておこう。 その見慣れたパオロンのマスコットが、身近にいる別の人の携帯電話からぶらさがっているところを見たのは、たしか先週の今日だったと思う。 わたしのつけていたマスコットと違ってストラップとしての役割をしっかり果たしそうなそれは、デザインこそ違っていたが、先にくっついたピンク色のマスコットそれ自体は、まったく同じものだった。 彼女がそれをつけている理由は、二つ考えられる。 でもこういうことは、自分にとって都合の悪いほうに捉えるのが普通だろう。 つまり彼は今回もまた、対になるものを持っていると。 さてわたしのパオロンはどうしたのかという話だ。 あれは簡単に外れるマスコットだった。ボールチェーンが緩かったのかもしれない。 何度となく外れては、すぐにわたしに拾い上げられた。 彼とうまくいっているときもいっていないときも、パオロンはわたしの携帯電話にくっついていて、何ヶ月も彼と会話もせず連絡も取らず、わたしが彼を着信拒否にしたときですら、それは携帯にくっついていた。 でもそんな状態が終わりになるのはわかりきったことで、わたしは決心したことを友人に話そうと思って、夕飯を兼ねて居酒屋で飲みながら話をした。それは冬の終わりだったと思う。 そのとき、それまでパオロンが外れたときと同じような感触があったのだけれど、わたしは気に留めなかった。 彼に関するいろいろなことが、そのとき本当に、どうでもよかったからだ。 その日、わたしのパオロンは本当にいなくなっていた。 昨日の朝、夢を見た。 件の彼女の携帯ストラップを見て、さらに彼のストラップが色違いなことを確認したのだろうと思う。 他にも何か言いがかりをつけたかもしれない。 彼女に向かって大きな声でなにやら言ったところで、自分の声で目が覚めた。 寝覚めが悪いとはこのことだ。 たぶん、話がえらく飛んでいるように感じられるだろうけれど。 院試はきつかった。 就活はきつくなかったけれど、院試はきつかった。 最初から隣に誰もいないのなら我慢できることだったけれど、隣にいるはずの人はどうしていないんだろうと、本気でそう思った。 それならいないものと思おうと考えた。初めからいないのだと。 そうでもしないとやっていけないと思った。 しばらく後からこれを知った彼は、なぜか怒った。 もうとうにわたしとやっていく気が失せていたはずなのに、それでなぜ怒ったのか、わたしには今でも理解できない。 もし仮に、院試に直面していたあの当時に、そばに居てほしいなどと口にしても、それはできないと返答したはずなのに。 今年、院試でずいぶんと疲労したように見える彼は、少しでも、あの当時のことを思い出しただろうか。 あのひともあのときは院試できつかったんだろうと、ほんの少しでも、思っただろうか。 子どもじみていることはわかっているけれど、今思っていることがある。 どこでもそうだろうけれど、サークルを卒業する人には、残る部員たちからメッセージが贈られる。 気の早い話だが、わたしに贈られるであろう分のメッセージ、彼にだけは書いて欲しくない。 我ながら自分の気性にはほとほと呆れかえる。 前から思っていたことではあるけれど、実際にそうしてもらうために誰かに何かを言うのは、もちろん容易なことではない。 卒業までにはまだあと半年ある。 ゆっくり考えてもいいだろう。 でもこの気持ちは、そうそう消えるものではないことも、よく知っている。 - 「そう、よくある名前だろ」。 - 2004年09月09日(木) このところ同じ人物のことを考えている日記が多いですが、 今日はその人と 出会った頃の話をしました。 四年半前のことです。 この人に会わなかったら わたしの大学生活も ずいぶん違ったものだっただろうと 本当にそう思います。 ―ねーねー 「ん?なぁに?」 こういうところが好きなんです。 ただそれだけの、話です。 - 不毛な片思いとジャズフェス・そしてわたしらしさ - 2004年09月06日(月) 数日前になるが、学部時代の同期から携帯に着信があった。 留守電まで入っていたが、よく聞き取れなかったので後からかけ直した。 肝心の用件は既に解決していたので、自然に互いの近況報告をした。 こちらがひとりで酔っぱらっていたのと、向こうも飲み会の最中でややテンションが高めになっていたせいで、ここ3ヶ月のことをかいつまんで話してみる気になった。 わたしがもっとも望んでいたことが現実になったおかげで、もっと苦しくなったのはわたし自身だ。 だから自分を持て余している。 ならば、いちばんかわいいのは自分自身だと思っていると、認めなければならないのか。 それがわたしらしいということなのか。 訊いてみたかった。 電話の相手は、ジャズフェスに顔を出せるかもしれないと言う。 あのときと同じ曲を練習し、記憶から消えない日付から目を逸らせずにいるわたしは、何を求めて晴天を祈るのか。 遂行すれば何かが終わるのか、それとも始まるのか。 晴天は果たして本当に晴天なのか。 そしてあのときそこに在ったわたしらしさとは何だったのか。 見てもらえたら、わかるような気がする。 秋を飛び越して、冬になったに違いない。きっとそうだ。 - あいもかわらず - 2004年09月02日(木) 週末の予定のことでいくつかの電話があった。 ひとつはすんなり決まり、もうひとつはいったん決まった後にキャンセルになった。 キャンセルになったことで思いがけず会話ができたので、相手の様子を知ることができた。声が違う。何かあったのだとすぐにわかる。 そして「やっぱり何かが変わった」と感じているのは、わたしだけなのだろうか。 お盆の頃の日記に、だいじな人と喧嘩をしたと少しだけ書いた。 わたしが放った一言で相手は傷つき、そのせいで喧嘩になった、というのが間違いのない捉え方だろう。 でも、わたしにも、理由はあった。 今回のことで性質が悪いのは、わたしが「相手を傷つけた」と中途半端に理解していることだ。 つまり、わたしはどうしても、自分の言ったこと(思っていること)を撤回できないのだ。 わたしがそう思っていることを知って相手は傷ついた、そのことに対しては本当に悪いと思っている。けれどその発言自体を撤回することが、どうしてもできないのだ。だってそれは嘘になってしまう。しかも、口にしないでいたのならまだしも、口にした以上、取り消すことができなくなってしまった。 相手はそれでもいい、仕方ないと言う。わたしがそう思っていることには腹も立つ、が、そう思っているんだから仕方がない。思っていることは撤回する必要もないし、言いたいことを言ったんだからそれでいいじゃないか?と。 それはつまり、わたしを傷つけた相手の言葉もまた、撤回できないものだということだ。 なにか違う。 わたしはこう思っている、でもあなたはそう思っていない。平行線を辿っているのは目に見えている、それならそれでいいじゃないか… これではゆうとの喧嘩と何も変わらない。あの不毛な、破綻の予感に満ちた喧嘩と何も変わらない。わたしはそんな関係を築くためにあなたと向き合ってきたわけじゃない。 最初から一人相撲なのは百も承知だ。 でもわたしがほしいのはありがとうなんて言葉じゃない。 いろんなことを、仕方ないと思って納得してきた。 それは全部、ひとつの理由からだった。 でもその理由がなくなった今、この先はどうやって納得していけばいいのだろう。 今日のBGM:「鏡」桑田佳祐 ”向こうが泣いたら親友同士の愛は錯綜する” つまりそういうことです。 -
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