今、銀色夏生氏の『島、登場。(つれづれノート10)』を読んでいます。 ありていに言えば彼女の出版用日記です。
私は、銀色夏生氏の初期の言葉綴りがとても好きで、とても素直だなあと思っていました。 『つれづれノート』シリーズも好きで(エッセイや随筆などは大体好き)、たまに飛び飛びに読んでいます。 子育ての様子や、今日何を食べたとか、なにを観たとか、そういうごくごく個人的な動きを、 ごく淡々と綴っているだけなのに、なんとなく魅かれてしまうのです。 銀色氏は、私が好きなタイプの女性じゃないだろうなあと、感じることはある。 少し自分と考え方が似ていて、その考え方に対して自分より真っ直ぐな人って、なんとなく不安に思えるから……だと思います。
彼女の魅力的だと思うところは、人に惚れやすいところ。 と、いうか…… 誰しも自分が好きなタイプの人、自分を好きになってくれる人、なんとなく合う人、そういう人が好きだけれど、 そのことに対してとても素直な感情を持ってらっしゃるのでは、と考えています。 苦手、嫌い、好き、そういうことをパッと直感で感じて、それに素直に従う傾向が…見えるような気が……。 そして、恋愛をもひとつの「対人関係」と完全に割り切った形で捉えている雰囲気が、好きです。 私もそうあれたら、と思っているので。 否、違うか……恋愛は対人関係のひとつの形であり、その他の対人関係を超越するほど強いものではない。 と考えていたし、そう思っているし、そうあるものだと思っていた…と言う方が近い。
なのにそうは行かないのが恋愛、なわけです。 なぜそう行かないのかすら不思議です。
「恋愛」について考える時、私の脳裏に浮かぶのは3つの恋愛。 ・小学生の時、3年近く好きでい続けた相手がいました。 ・数年前、何もせずに手放してしまった思いがありました。 ・そして今、おそらく一番しぶとくて大切で、形は全く違うのに綺麗に収まる(ような気がしている)恋愛を抱えています。
どうしても、忘れられないのは数年前の未発達な恋愛。いつまでも引きずっている。 それは、当時の相手のことがいまだに好きで、忘れられないというのとは根本的に違う。 その感情のありようを認められなかった自分を、今でも引きずってしまう。 そんな自分であったことを愚かしく思う。 ただ、最後に友人としての手も伸べられなかったことを後悔している。
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