小さい頃は 「浴衣なんて、普段着もしないものをわざわざ夏祭りの特別な時だけ来て、 可愛らしいふりをして、おしゃれして気分よく騒ぐ、なんて、 媚びた真似ができるものですか!」 と思っていました。
けれど、今になってみれば自分が 浴衣を着てその時だけのおしゃれをして歩きたい、と思えることを 気分良く感じられます。
去年は家にある浴衣を何着かチェックしたのですが、 どれも古くて、染みがあったり、 私は背が高いので、丈が短すぎたり。 そのうち、一枚を選んで着ました。 古い柄だけれど、生地がさらさらで、白っぽくて粋なもの。
だから今年は新しいのが欲しくて買いに行きました。 今は沢山の柄がお手ごろ値段で手近なところで買えるのがいいですね。
今年は何回かこれを着て、どこかに行く予定です。 そういう、他愛ないけれど普通の楽しみ方って、 大切なことだなあと思う、夏の日々なのでした。
冷静且つ沈着、と自分のあるべき姿を描いて成長して来た。 だから、まさか、自分が……
ヒステリーを起こすだなんて、 考えてもいなかった。
けれど、まあ一度体験してみなければ分からないことなんて沢山あるので、 これもその一つだったと自分では思っている。
他愛ない、いつものぶつかり合い。 のはずだった。 ただ、ストレスがたまっていた私は それ以上言葉を聞きたくなくて奇声を上げた。 そこから、自分でストップをかけるまでに時間がかかった。
ま、簡単に言えばそういうこと。 ずっと続く長い叫び声じゃなくて、 何度も、何度も、息を吸い込んで改めて叫んだ。
「精一杯の抗議」だとか、そういう形容をぼんやり考えていた。 呆気に取られている相手を見るのも、少し気持ちが良かったし…。
叫んでいる最中には、別視点で冷静な私もいて、 取り敢えず叫び終えた後の満足した私も居たのに、 精神に体がついてこなかった。 手足がしびれた。 呼吸が整わなかった。
それを新鮮な気分で受け止める自分も居た。 (…ヒステリーってこんな感じなのね、こう思って叫んだりするのね…)
ヒステリーって、精神の安定のために肉体を酷使することなのだろうか、 とほんのすこし考えたりもする。
過呼吸の症状が収まったのはかなり時間が経ってから。 これが「過呼吸」なのね、とも初めて知ったこと。 自分の身体のことはなかなか分からない。
私は本読みだから、本で学んだだけ、のことが沢山ある。 漢字の読み方とか、類推の意味とか、 ……だけじゃなくて、現象とか、体調とか病気のこととか。 そういうものも文字でだけ、想像でだけ知っていることが多くて、 今回は私のそういう世界を、やっぱりほんの少し広げてくれたなあ と思うわけです。
大丈夫、なんですけどね、ぜんぜん(笑) まともに生活しています。 きっとこれからも、嫌なこと嬉しいことがいろいろあって、 いろんなことを覚えていくのだなあと思うのでした。
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