アータン三宅の何でも聴いてやろう
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2008年06月15日(日) |
グールドだけ聴いてりゃ幸せかも |
こうなったら、≪グレン・グールドしか聴けねぇ≫病で、かまわないか。 20代に一度かかった病気が再発。しかもすでに末期の様相を。 80枚組買ってしまおうかな。抗がん剤その他で財布が空っぽだけど。 考えてみれば、音楽マニアなんて、自分の健康を質に入れてでも 欲しいブツは手に入れずにはいられない哀れな生物なのだ。 「迷ったら買え」あるいは「とりあえず買っとけ」という座右の銘の 重さはマニアなら誰でも理解できるはず。 クラシックのピアノだけCDラックから全部消えて、グールドの80枚組だけが 骨壺のように鎮座している様は相当に神々しい。マジで考えるか。
グールド自身も語ってるけど、≪ピアニズム≫なんてものは、 ホントにもうどうでもいいと思うのね。 その辺で勝負したい奴にはさせておけばいいのであって、 とりあえず、僕はどんどん≪ピアニズム≫から遠ざかっていく。 たまたまピアノが上手だから、それを選んで演奏するだけで 目的が音楽的であろうとする何物かでありさえすれば それでいいんじゃない。楽器を演奏することを見せちゃ、聴かせちゃ駄目だと そう思うわけ。音楽を聴かせなさいよと。たとえばショパンやリストのピアノ曲が そのような≪非ピアニズム≫では表現しきれない、ピアノでなければ駄目だという 音楽であるのなら、そんなものは捨てればいいわけで、いつまで経っても 若い天才がリストやショパンでサーカスをしてたりするけど、無意味じゃね?
グールドの仕事に対する回答としての、アファナシエフの仕事が評価されているけど。 ピアノ協奏曲での彼の失敗が、彼の屹立した個性の証しであるのは 当然なのだから、CDを買うのはバカバカしいと思わなきゃ。 云うまでもなく、アファナシエフは≪ソロ・ピアニスト≫(実にジャズ的な言い方)なのだから ソロで活動しなければいけない。協奏曲を吹き込むのは、天才の余裕というよりも 策士、策に溺れる的な落とし穴に自らが落ちてしまったということかな。 あのピアノにオケがついていけるはずもないし、元々付いていくつもりもないと思う。 絡み合わない面白さを楽しむにしては、オケはあまりにも真面目な銀行員のような集まり。 しかも、ベートーヴェンだし(笑)。これからのアファナシエフは狂ったようにバッハを弾いてみそ。 「平均律」を超えて、もっとオルガンみたいなピアノで、ドローン効果満載の カンタータのトランスクリプションとかさ。キワモノを極めるみたいな。 グールドの≪非ピアニズム≫主義に対抗できる初めての非≪グールド的ノン・ピアニズム≫主義が 完成される、予感がするのだが、そんなアドバイスに耳を貸すような常識人じゃないから。 アファさんは。嫌い。
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