ずいずいずっころばし
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自分の部屋にいると落ち着いて色々な世界が広がり湧いてくるような気がする。 小さな狭い部屋である。おまけに雑然としている。しかもうるさい。ジャズががんがん聞こえたり、クラシックの調べが聞こえたり、髪の毛振り乱してピアノを弾いていたりする私がいる。無線機から外国語がピーピー、ギャーギャ、ノイズと共に聞こえたりもする。 夜中にそっとこの部屋を覗くと、あんどんの油をなめていたり、包丁をといでいたり、鶴が機を織っていたりする・・なーんてことあるわけない。 しかし不思議な素敵な部屋だと私だけが思っている。 設計段階ではこの部屋は小間の茶室になるところだった。天井も凝って、がまで組んだかけこみ天井とするか、編み込み模様のような網代天井にする予定だった。 しかし、最後の段階で私がその計画をひっくりかえした。 一言。「書庫にしよう!」 私の一言は雅な茶室計画をくつがえしてしまった。 三度のご飯より本が好きな私は書庫を持つのが夢だった。そしてついに書庫となり、ピアノルームとなり、無線室となりパソコンルームと化した。いつしか誰ものぞかない、足を踏み込まないサンクチュアリとなった。 無線機の前に座って海外の局とおしゃべりを楽しむ。ヨーロッパの局が束になって呼んでくる。 それが済むと江戸期の祇園南海の「詩画の歌」を読む。曰く、「詩の云う能(あた)わざる所以をもってその体を尽くし、画写すあたわざる所、詩もってその解を得る」 さっぱりわからない。どうやら「三体詩」についてのべているような・・・。 あれ?またまた面白い詩を見つけた。 Coleridgeの“Ancient Mariner”だ。
The horned Moon、with one bright star Within the nether tip. 三日月の下弦のうちに、 星ひとつ照る。
科学者から否定されそうな句である。 しかも奇々怪々な言葉に満ちている。 このAncient Marinerにおいては骸骨船が海を走り、その上に立つ「死」の肋骨を通して夕日が見えるとある。 Coleridgeが描く世界は超自然的で奇抜で大胆なところが好きだ。
They hear, see, speak, And into loud discoveries break As loud as blood.
この詩について誰かと話してみたいなあ…・ などととりとめもなくこのサンクチュアリで独りごちる。 さて、 サンクチュアリとひとからげに言ってしまったけれど、それはいったい何だろうか? 人は日々雑駁に過ごす中、静かに内なる声を温め、熟成させる時と空間が欲しくなるものだ。それは沈思黙考の中から見いだすことも有れば、書物の人となっているときにでも、それらに自らを投影し、その打ち返す波のなかに自己を見いだすこともある。 サンクチュアリとはそんな自らを見つめる空間のことなのだろう。 静かな時のまにまに漂って、なにものにも犯されない時空のたゆたい。 雑然とした小さな私の書庫というサンクチュアリから今日も発信する。 「何か素敵な本はありませんか?」と
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