これも時期は前後すると思うが、まだ十代だった夏に2年連続で海水浴へ繰り出した。
高校を卒業してすぐの夏は、ここで書いたように、嶋さんに対する自らの処遇を考えている時期だった。そんな折に舞い込んできたタケダの誘いで鎌倉へ行くことになった。 実は当日のことについては余りよく覚えておらず、もちろん嶋さんとの因果なども含めた私の心の内の状況など説明のしようもないし、それが正確にこの年のことだったかすら記憶の中では特定できないでいる。
早朝からラザとタケダの3人で電車を乗り継いで鎌倉駅に降り立ったのが10時頃だっただろうか。天候に恵まれて午前でも陽射しは強く、同じ目的の人間の列が断続的に海岸まで連なっていた。
思い出せることは波が比較的強く、そのせいで妙にはしゃいでいる自分がバカみたいだったことと、早めに切り上げて帰宅の途に着いた列車内で泥のように眠りについたことくらい。 私が世間を厭世的に見て自分の位置から一線を引きたがる心境の中に彼ら友人たちも同じ存在として埋没しなければならないその矛盾に、私はとても申し訳ない気持ちでいた。今振り返るから分かることなのだが、それはただ単に私の判断に誤りがあっただけだった。どうしようもなく自堕落な考え方を続けていた無気力な自分が、その自分に打った楔を忘れてはしゃぐことができたのも気を許せるであろう人間が側にいたからである。それはその後10年以上を経過してもなお続いている人間関係が証明している。
逆に私の中で消えてしまった人間関係もあって、タケダたちと行った次の年は当時のそんな友人たちと一緒に車で伊豆まで出かけたのだった。当時よく遊んでいた勝くんと幼なじみのFである。 あの日はまだ日の昇らない暗いうちから出発して、海岸に着いたのは早朝だった。海の風はまだ冷たくて、海の家で仮眠していても最初のうちはゴザに丸まって眠っていた。あの時は私が早々に飽きてしまって、昼過ぎには2人を促して早々と帰宅の途についたのだった。私以外はひと夏のアバンチュール的なものに思いを馳せていたようだが、それなら私を誘った時点で大失敗だ(笑)。
あれから10年ぶりくらいに行った海水浴が彼女さんと娘さんの3人で行った伊豆旅行だった。それほどの時間が空いたのは、自分が痩せているため肌の露出が多い水辺のレジャーに消極的だったことが主な理由ではあるが、本当のところは単に人間関係が希薄になっていっただけのことだ。いや、自分でそうしていっただけのことだった。気付いた頃には恋愛に急ぎすぎる自分がいて、保険もかけずに玉砕を繰り返すようになった(笑)。とてもじゃないが海水浴に誘い出すまで至らないのである。まあそんな姿は自分を裏切れない様であるので特に悔恨を感じてもいないのだが、目の前の関係の保守を望むだけなら他にやりようがいくらでもあることは分かっていた。長いこと私はその方法を実践しなかった訳だが、ようは出来なかったのである。それは私が私だからだ、ということを教えてくれたのが彼女さんだった。
今年も海水浴を予定している。今から心待ちである。
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