猫がいなくなったのは、丁度3年前のこのくらいの時期だった。 2〜3日、彼女の姿を見ずに過ごして、はてと思ったのを覚えている。 動物の癖に、どこか抜けていた彼女は臆病者でもあったので、 屋根裏や納戸に隠れてしまうことも少なくなかった。 そういったこともあって、とりたてて騒ぐことではなかったのだが、 あまりにも彼女の痕跡が見つけられなかったのが疑問であった。 「きっと今回は遠くまで行ってしまったんだろう」 また、どこぞに遊びに行って犬にでも吠えられて蹲っているのだろう。 そのように考えても見たが、少し胸騒ぎがしたように思う。 …いや、あまり考えてなかったのかもしれない。 今になって“そういえば”と思っているだけかもしれない。 ただ、不意に怖くなって彼女を探しに行ったのは確かだ。 私が所用で何日か出かけることになっており、その前に彼女の無事を確かめたかったのだ。 「ねこ、ねこ」 といつのまにやらついてしまった彼女の名を呼びつつ、 私は家の中や、裏の堤防、店に面した表通りを歩いた。 夜分のことだったので、目の悪い私にはちょっとした苦労だったが、 それよりも安心したいという気持ちの方が強かった。 そして、ちょうど家の後ろ半分、倉庫になっている部分の脇で、私は猫の声を聞いた。聞いた、と思う。 それは切羽詰ったような声にも、ただ返事をしている声にも聞こえた。 私は何度も彼女を呼んだ。 そうすれば、彼女は出てくることもあったし、同じくらい出てこないこともあった。 出ておいでと私は何度も何度も呼んだのだが、この夜も彼女は出ては来なかった。 いやだな、とは思ったが次の日には遠方への出発を控えていたので、 私はそこであきらめて眠ることにした。 猫は私としばしば一緒に寝るのだが、その夜も彼女は姿を現さなかった。
幾日かして、私は帰ってきた。 旅行の間も猫がいないことは私を不安にさせていたので、 まず家族に「猫を見たか」と聞いた。答えは否だった。 餌場を覗けば、彼女の皿は綺麗に片付いていた。 こっそりと彼女が帰ってきていたのかもしれない。 近所の野良猫に食べられたのかもしれない。 私はまた家の裏手、川沿いの堤防の上を彼女を探して歩いた。 このころには私の胸には嫌な予感が常に存在していた。 いっそ神にすがる思いで馬鹿な賭けをした。 「もし、もういなくなったのなら振り返った瞬間に何かの兆しがある」 その時の私は川を背に立っていたので、振り返る先は川だった。 私は振り返った。 何も起こらなかった。 だが、なんともいえない奇妙な予感がした。 その時の景色は今でも覚えている。 薄い灰色の空、灰色というよりもうすく汚れた白い空。 日の暮れる“夕暮れ”になる寸前で、すべてがうっすらと白かった。 私の視界の真ん中から左にかけて、鳥の群れが飛び立った。 …私は賭けに負けた。
何日もしないうちに、彼女は見つかった。 やはり、というべきか。 声を聞いた側の隣の家、その屋根の上で死んでいたそうだ。 隣の小父さんが教えてくれたので、父が引き取ってくれていた。 私は仕事をしていた。 帰って彼女の姿を見るのには時間が必要だった。 大きく膨らんでいて虫が湧いている、と父が言った。 寒い日だったが、前日の雨でそうなったんだろうとも言っていた。 見るのが怖かった。死んだ近しいものをみるのは初めてだった。 父についてもらったが、私があまりに震えるので父が手を握ってくれた。 彼女は、濁った目をしていた。 ダンボールに入った彼女を運んで、私は穴を掘った。 仕事が終わった後だったので、どんどんとあたりは暗くなっていった。 途中から懐中電灯を用意して掘り続けた。 穴を掘る私の横で、ダンボールはときおり音をたてた。 腹が割けているというのを聞いて箱ごと埋めようと思っていたが、 固い地盤にあたってしまったのであきらめた。 大事にしていた服を一枚敷いて、その上に猫を落とした。 そのころには妹も一緒にそばにいてくいれていた。 最後に、彼女の額をなでてやった。
盛った土の上に大き目の石を置いて、裏にあった花をさしてみた。 手を合わせてみたが、何を思えばいいのかわからなかった。 ただ、謝ることだけはできないと思った。 私は彼女を見捨てた。もっと探しておけば助けられたかもしれない。 最愛だ大切だといっておきながら、助けられなかった。 あの声は彼女のものだったかどうかもわからない。 でも、苦しかっただろうな、とか痛かっただろうなと思った。
それが一昨年の11月7日。 祖母のなくなる一月前だった。
------------------------------------------------------------------------ 祖母の三回忌で、そろそろ区切りをつけようと思いまして。 思い出しつつ書いております。見苦しくてすみません。 ちょっと厚かましくなって自分自身も許してあげたので、 まぁ、ふんぎりつけようかなーと。
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