母のタイムスリップ日記
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2007年05月31日(木) これから...

「あとちょっと手助けがあればなぁ〜」
そう思う時がある。
普段は 何とかなっているのだけれど…。
定期的に介助に入って貰うというほど大袈裟な物でないのだ。

介護保険で家事援助が切られつつある今 このあとちょっとの手助けが介護者にずっしりとのしかかっている事はないのだろうか?

施設に託していても思うのだから 在宅で介護なさっている方はもっと頻繁にそういった思いをしている人が多いのではないかと思う。

こんな風に書き出したのは 介護仲間からのお便りからふと思ったのだ。
介護仲間は 一緒に介護なされてきたご主人を亡くされて ご主人のお母様を1人で介護なさっておられる。
ご主人がなくなってから 会に足を運ぶ回数は減った。
その方が 「家族にもなかなか頼めなくて…」と書いてあったのだ。
いつも 前向きに「まだ頑張れまぁ〜す」と笑顔を見せていた介護仲間なので きっと踏ん張っているだろうとは思うけれど…。

家族に頼むのも気がひけて ヘルパーに依存するほどでもなくて…。
そういうことって 結局のところ1人の介護者が請け負ってしまうのだろう。
みんな そういった事を抱えながら過ごしているんだよね。

昨夜 旧知の友人と久しぶりに電話で話した。
施設で仕事なさっている方である。高齢者の施設ではないのだが…。
仕事先の施設に職員の欠員が出来て 募集をかけたが応募者が居ないというのだ。
これまで こんな事はなかったそうだ。
その分 職員が被ってオーバーワークの日々という事だった。

私の住む地域の施設でも 募集をかけても人が集まらないと耳にしている。
ニュースで 海外(主にアジア諸国)から介護士さんを募るという耳にしてもいる。

どうなってしまうのだろうな?
介護を受けたい人はこれからどんどん増える。
今 介護している人は「子供に同じような苦労をかけたくないから施設へ…」と言うけれど介護者の成り手がいなかったら難しいだろう。
家族に頼るにしても 近くに家族がいたらサービスは受けられないし…。

ほんとにどうなって行くのかと心配になってくる。


2007年05月30日(水) 風邪かな?


昨日 弟に電話した。
借り上げている所の家賃の支払いがあるからである。
請求書を取りに弟は立ち寄った。
母の土日の様子を伝えると「言ってくれればいいのに…。今度は言ってよ」
会社の人が待っているので 昨日はそこでおしまい。
別れ際「ワラビ 来ているから明日朝 届ける」と言ってた。

仕事に出かける時間が何時か聞いていなかったが とうに出かけただろうと思われる頃「〇さ〜ん」と玄関で呼ぶ声がした。
「いやぁ〜 飲みすぎて すっかり遅刻。大遅刻だわ」
「おふくろの所に行こうと思うけれど どうやって良いのか判らなくて。また変なこと言われたら嫌だし…」
「行く時は電話くれれば 一緒に行くから」と言って見たものの 釈然としない思いが残った。
弟は直ぐ車に乗り込んで仕事に向かっていった。

最大に私の許容範囲を広げれば 弟は母の認知症初期のあれこれのダメージが強いから仕方ないと考えるべきなのだろう。

でもなかなか そんな風に割り切れない複雑な思いが生まれている。

午後リハビリに間に合うように母の所に出向いた。
母はソファーに座ってぼんやりしていた。
トイレに誘導すると「いやぁ〜」と言う。
汚れているのだろうと感じた。
暫く 便座に座って貰って排泄誘導。
緩めのものだった。腹痛も出てきている様子だった。

リハが始まり スムースにリハを受けられた。
後半では寝入ってしまっていた。

母におやつを分けて 飲み物をテーブルに置いて 買い物に出かけた。
母のお腹に塗るハッカオイルを求めた。
家に戻れば在庫は有るのだけれど仕方ない。
戻ってお腹に塗ってあげたら大分改善された様子だった。
母自身が何かをしてやり過ごす事は出来ないのだものねぇ〜。
月曜日から 胃腸薬が出ているのでそれを中止してほしい旨を職員に御願いした。
便の緩みの原因はなんだろう?風邪?

買い物に出た時 もう雨が降り始めていた。
洗濯物を干した儘だった事を思い出して大急ぎで家に戻った.

そうそう 弟が今朝運んできた蕨を母の所にも運んだ。
夕食に食べたかな?


2007年05月29日(火) アホと言わずして なんと言う?


午前中にパソコンの作業。
仕上げた文書を印刷しようとしたらプリントされない。
以前に教えて貰った手順で操作しなおすが 駄目。
印刷枚数も多いので 直った時に倍の数が印刷されても困るので 印刷をキャンセルした。
以前に これで失敗した事があるので…。

しかし トラブルは忘れた頃にやってくる。
前の操作を忘れてしまい アチコチ触れてしまう。
きっと 余計な操作をしたのだろう「プリンターを外す準備が出来ました」なんて告知されて吃驚してしまう。
自分で何をどう操作したのか覚えて居ないのは 致命的である。
かくして パソコン万年若葉マーク付を露呈してしまった。

急ぎの印刷なので 夫の会社に資料を添付メールで送って頼む事にした。
ヤレヤレである。
焦ってしまうと ほんとお手上げになる。

午後 母の所に出かけた。
丁度 排泄誘導中で 職員とバトンタッチした。
すっかりご機嫌の母。
昨日も落ち着いていたという事だった。
水分補給だけは いつも通りにした。

最近 ユメルちゃんの調子が悪い。
以前 おかしかった時は電池切れだったので 先ずは電池を入れ替えることにした。
在庫がないので近くの家電店に母と散歩がてらでかけた。
母の足取り調子よい。途中「見てみなさいよ」と建物の隙間に引っ張り込まれたが 同意すると直ぐ歩み始めた。
別に 変わったことがある場所ではなくて エアコンの室外機が置かれているだけのところだった。室外機が気になったのかな?
電池を購入してから 公園に立ち寄る。
公園の近くで新築中の家がある。そこで作業している人が気になったらしく「ほら あそこ」と。「そうだね。仕事しているんだね」と答えると…。
「いなくなった」という。
みると作業員の方が家の中に入られたのだった。
その場の会話が少しできるようになってきている。
感情を込めるというより 見たままを話すと言った所だ。
それでも 言葉が復活している事は嬉しい。

風も強く「さむい」と言うので 直ぐ施設に戻った。
ユメルちゃんに電池を入れ初期登録もしたけれど 反応がない。
やっぱり故障みたい。
初期登録の言葉は話せるのになぁ〜。

今日は 故障が重なるな日だ。

家に戻って 釈然としない気持ちになって再度パソコンに挑戦。
同じ事を繰り返してみても やっぱり駄目。
ふと 思い出して コピーを取って見た。
プリンターはびくともしなかった。
原因はプリンターと初めて気がついた。
基本の基ではないか!!!

と言う訳で 今度はプリンターをチェック。
電源を切って 用紙を取り出してみたら…紙詰まりだった。
紙詰まりを改善したら ちゃんとプリントできた。
これを アホと言わずしてなんと言うかな?

夫はちゃんと依頼した印刷物を持って帰宅した。
「ありがとう」とは言ったが 単純ミスとは言えなかったぁ〜。


2007年05月28日(月) ヤレヤレだわ。


 ここ数日の暑さが嘘のように思える気持ちの良い日だった。
今日は 溜まった書類の整理をして 遅れていた手続きもようやく済ませた。

外出ついでに ネックレスの修理も出して元に戻せた。
細いネックレスが留め金のところで切れてしまって使えなくなっていた。
ネックレスをしている事を忘れて ガッと着替えてしまって切れてしまったものばかり。ガサツなんですよね。

さて 母の吐物を受け止めてくれた帽子。
直ぐに洗って乾かしたが臭いが取れない。
粉の漂白剤を溶かしたお湯に暫く漬け置きしてみたがそれでも消えなかった。帽子から滲んで衣類も少し汚れたのだが 洋服の方は1回の洗濯で大丈夫だったのに...。

今朝 再度洗ってから 強めの仕上げ剤に浸した。
少し臭いは治まったが あと少し。
乾いてから 試供品に貰った強い香りのトワレのスプレーを思い切り拭きかけた。使わないで放置するほどの強い香りのものでようやく解決できそうだ。こんな使い方をするなんて考えもしなかった。

ヤレヤレである。
今回の事では 対処の仕方 行きずりの方の手助け 医療のあり方 いろいろ考えさせられた。


2007年05月27日(日) ちょっと待ってよ!


 この所体調優れず「何処が悪いのだろう?」とグズグズした思いをしていたが...。 昨日の母の事でそんなこともぶっ飛んでしまった。

ずっと腰も痛かった。
母の介助のせいだろうと思っていたが 今日は腰の痛みも強くない。

夜も痛くて幾度も目覚めていたのに...。
昨晩は痛みを感じなかった。
精神的な事からの痛みだったのかな?
それとも ストレッチ体操で改善されたのかな?

いつも疲れてしまってストレッチ体操してなかったのだけれど 腰の痛みが続くので再開したばかりだ。

昨夜は 2階には上らずに階下の部屋で寝てもらった。
トイレの最終誘導後 4時に一度交換して 次は6時。
6時の時はトイレ誘導した。
それ以後は 起床してダイニングで過ごしてもらう。
7時ごろには朝食開始。
調子よく食べた。食後が不安なので気をつけて様子を見ていたが特に変わりなし。熱もない。

それから ゆっくりとバスに乗って通院。
診療所は少し混んでいたが...程なく診察。
医師は 降圧剤で血圧が下がりすぎたかのかも知れない。
今の血圧は数値としては正常なのだが 高血圧の母には低いという事かも知れないと言われていた。
胃腸の調子が弱っていたかも知れないねとも言われた。
今日も正常値の血圧だった。
昨日は緊急のお泊りなのでいつもの薬も頂いてない。
だから降圧剤も服用していないのにいつもより低いのだった。

水分も大量に摂取しているので尿量も多く 足の浮腫みも見られなかった。
便秘もしていないので便秘が嘔吐を誘発したとは考え難い。

診察が済んで薬も頂いてから 昼食の買い物をしようと思った頃から穏やかだった母に変化が出た。
買い物のためレジに並ぼうとすると「あっちに...」と歩き始める。
「あっちが〇△×...」と突き進もうとする。
「直ぐ終わるから待って」と制しても 振り切って突き進む。
レジに並べないと店員さんに伝えたら 別のレジで緊急対応してくれた。
その後も「あっち」と言い始めて 振り切って1人で歩き始める。
もう 体が傾いていて何時バランスを崩して転倒してもおかしくない状態でスタスタ早足で1人歩き始めた。
「見守って放っておこうかな」とも思ったが 転倒の危険があるのでもう 母の後ろからお急ぎで着いていくしかない。
母の何がそう駆り立てているのか...特別変わった事もなく 母の意思を制止していないし 言葉掛けも特に問題となるようなこともなかったのになぁ〜。強いて言うなら 気温が上がっているので暑かった事くらい。
暑いと結構興奮するので...。

「ごめんね。ありがとうね。」と母の耳に心地よい言葉をかけて鎮まりを待つ。何がいけないかのかなんて判らない。ただただ こちらに非があると謝る事しかない。
結局のところ 理解できないところが自分の非なのだから...。
ここで怒ったり 説得したりしたら火に油を注ぐ事になることだけは過去の経験から学習させてもらっている。

以前ならこうは行かなかった。
認知症ならでは行動と理解はしていても 腹が立って 怒らないまでもかなりイライラしていたのだから。
今は 何処かでおかしくてならない。
馬鹿にしたおかしさではない。
そこまで駆り立てる気持ちは何だろうと考えると「すごいなぁ」という思いのおかしさである。

「ありがとう」という言葉が母の行動にブレーキをかけたようで「いや こっちこそ」と謝り事態は収束した。

それから「お腹空いたね。はよ帰ってご飯食べよう」と言うと更に落ち着いた。いつもより早い朝食だったので 空腹だったのかもしれない。

食後 処方された薬を服用してから 施設に戻った。
施設長に 再度経過と医師のお話を伝えた。

施設長が「午前中に戻らなくて良かった」と言った。
きっと何か忙しい事が起きたんだなと感じた。
実際 早朝に入所者の1人が天国に旅立たれたようだった。
母のフロアの方ではないのだが...。

やはり 昨夜は家に泊めて正解だったのだなぁ〜。
何が原因か判らないままだとしたら 職員だって両方に気遣いしなければならなかっただろうし...。

おやつの介助をしてからそうっと施設を後にした。





2007年05月26日(土) 母ちゃん 真っ青


 良いお天気。
昨日 一昨日と母に面会してなかったので大急ぎで母の所に出かけた。

母は絶好調の笑顔。
職員も「朝から とてもご機嫌なのですよ」と言われた。

昼食が始まろうとしていたが 外出して昼食を摂る事にした。
何処か初夏のめぐみを受けられる所に出かけようかなぁ〜なんて思ったりしながら バスに乗った。
駅に着くまでご機嫌は変わらず。
デパートに入るとケーキ屋さんの前で「食べたいな」と言った。
腹ごしらえを先にしておこうとレストラン街に行く。

くるりと廻って自然食品の店に入ることにした。
おすし屋さんに入ろうとしたら混んでいて諦めたのだ。
土曜だもんね。混雑は仕方ない。

自然食品の店はいろんな種類のものがあるのでいろんな種類を少しずつ食べれば良いと思ったのだった。
「けして 美味しい店ではない」という事は頭を過ったのだが...。

調子がいまいちはっきりしない自分は 途中で食べる意欲を失う。
けれど母は結構食べていた。
最後の薄めのお汁粉は自力で嬉しそうに食べていた。
珈琲を飲んでいたら「自分も飲む」というので母にも珈琲を頼む。

「おなかいっぱい?」と聞くと頷いたので「良かったね」と店を出た。
その後折角デパートに来たのからと階段を使ってフロア移動。
休息をはさみ 通りがかりの2歳の子と遊んだりした。

トイレに誘導して健康な物を排出でき ルンルン気分。

また階段を使って下へ下がるあたりから 母が汗をかきだした。
少し前から私も汗ばんできていてハンカチで汗を拭いたばかりなので 母の新陳代謝が良いのだなと嬉しく感じた。
が 階段を下りた頃より「疲れた」を連発する母。
休んでいるのになと思いながら 疲れたなら休もうとエレベータの前のベンチに座ってエレベーターが下りてくるのを待った。
エレベーターが来たけれど乗るのは無理だった。
汗が吹き出てくる母。
手に触れるとひんやり冷たい。
さっきまでポカポカ立ったのに...。
顔を見ると唇の色が血の気が引いて真っ白。
「おかちゃん おかちゃん」と連発。
心配が頂点に達した頃「嘔吐しそうな気配」
思わず母の帽子を取って口元へ。
昼食分全て帽子の中へ。
嘔吐の始まった時通りがかった人に「お店の人を呼んでください」と御願いした。
店員さんが来るまで時間がかかった。
ひょっとして「脳?」と思った。
だから暫く安静の方が良かった。
店員さんが見えて確認して「警備員に連絡しますから」と立ち去った。
静かにしているので通り掛かりの人もきずかないので助かった。

「大丈夫だろう」と言う思いと「ひょっとしたらこのまま意識がなくなったら...」と言う思いとが交錯。
「外出しなければ良かった」「おすしにしておけば良かった」と言う思いも交錯。

嘔吐も落ち着いた頃警備の方が車椅子を運んできてくれた。
休憩室を借り母に横になってもらった。

考えれば保険証を持ってきていない。
いつも携帯しているのに今日に限ってである。
罹り付け医に行く事も考えたが近くに医師会の会長のクリニックがあるのでそこに御世話になることにした。
丁度寝息を立て始めた母を警備員さんに御願いしてクリニックに走って診療申し込み。
更に 家までタクシーを飛ばして保険証を取りに戻った。

その間 母は寝入っていた。
戻って声をかけると目を開き「ここは何処?」って感じの表情。
これなら安心かもと思い車椅子でクリニックへ。
警備員さんが車椅子を押してくれた。

程なく診察。
血圧を測り ひと通り経過を伝えて 嘔吐止めの注射を打っていただく。
明日通院するので座薬は断った。
おそらくもう大丈夫だという感触。

お茶とアイスと豆腐を購入してタクシーに乗り込んだ。
「今夜は家に泊めよう」と決断。

家に着き 施設に電話。状況と外泊を伝えた。
一連のことが済んで 母がいまいち口数が少ないように感じた。
「ひょっとして...」と思ってトイレに誘導すると出てしまっていた。
きっと嘔吐したときではないかと思う。
さっぱり綺麗になったところで ようやく一息ついた。
「どうしちゃったのだろう」と呟く母。
「え〜状況が何となく判ってそういう言葉を発せるなんて快挙じゃわ!」

食欲ないようにみえていたが 時間の経過とともに笑顔が戻り そのうちご飯も定量食べ始めた。

「眠くないよ」とニコニコ笑顔の母だったが 10時を廻った当りから眠気が出た様子。
歯磨き洗面を済ませて 就寝してもらう。
直ぐにzzz。

いや もうおかちゃん真っ青の1日だった。




2007年05月25日(金) 活動日

利用者さん訪問。
利用者さんの都合で前回の活動はお休みだったので久しぶりの訪問となった。
利用者さんは ソファーに座ってレース編みをなさっていた。
「昨日 旅行から帰ってきたのですよ」とお話下さった。

直ぐにお掃除開始。
でも大概の場所が綺麗です。
大きなお宅で使わないお部屋もあるせいでしょう。
まだ掃除しきれて居ない場所を選びながら拭き掃除。

利用者さんは雨で家の中でレース編みなさっているので 私の行動が見えるらしい。
拭き掃除していると「そんなに頑張らないで下さい」と言われる。
「何処も綺麗なので手を出す所がないのですが 手の届かない所を少しずつさせて頂いてます」と伝えた。

1番多くの時間を過ごすお部屋は 多少の汚れがありホッとした。

今 編んでいるレース編みは 作品展に出展なさるそうだ。
本を手に編んでお出でだ。
母も編み物が大好きだったが 目数が数えられられなくなってからは小物専門。
その小物も 今では出来ない。
もう目数より 編み方を思い出せない状態である。
それを思うとお元気な利用者さんはお幸せと思う。
「元気だから幸せとは限らないのよ」と利用者さんは以前笑ってお話くださったから 幸せの感じ方は人様々なんだろうけれど…。

「一回お休みしたから 7月は3回御願いしますね」と言われた。
「用事がある時は 訪問します」と返答。
「勝手にお休みしたから申し訳ない」と言う思いがあるようなんだけれど…。
休む事は迷惑ではないと説明しても なかなか理解して頂けないのでそう言うしかなかった。


2007年05月24日(木) 庭仕事...


 今日は植木屋さんの来る日。
朝もはよから パッチン パッチン。

気温がうなぎのぼりなので 10時とお昼には冷茶を差し上げる。
同じ事業所に登録している方である。

1番大型の木は 先日自ら剪定したので中型と小型の木のみ。
後は例の茶毒蛾の消毒を済ませた椿。
茶毒蛾は 消毒後の抜け殻の毛からも皮膚炎を起すのだ。

金木犀は「秋に花が咲かないよ」と言われた。
それでも強行したのは 金木犀の花後はきっと忙しくて無理だと判断したからである。ちょっと寂しい気もするが仕方ない。

植木屋さんが剪定している間 畑に出向いてサツマイモを植えつけた。
ついでに水遣りと草取りと収穫。
ほうれん草は 小さいのに もう花芽が付いてた。
種まきが遅かったんだなぁ〜。

戻ってから 庭に下りて草取り。
蕗が葉を広げていて その下の草は取り損ねていたので蕗を刈りながら草取りをした。
タオルを頭に載せて帽子を被って紫外線避けしたのだが もう 今更遅いっていう感じだ。
母との散歩でかなり日焼けしている。

3時にアイスのおやつと珈琲。
程なく 剪定は終了。

植木屋さんが帰ってから また ひと仕事。
隣のお宅へ枝を伸ばしている木もあるのでそれらを剪定。
植木屋さんはブルーシートを広げて作業していたが 家にはない。
だから その処理も結構手が掛かる。

全て終わったのは 六時過ぎ。
専門の人を頼んでもこの調子なので 1人でやったら一日では終わらなかっただろう。

1日何回着替えた事か。

ようやく家の周囲がさっぱりした。


2007年05月23日(水) 今日も快調


 リハビリの日。
施設の入り口に掃除の道具が立てかけてあった。
今日は 業者さんが入って一斉清掃日なのだろう。

エレベーターを降りると下のフロアの方がエレベーターを待っていらした。
午前中は下のフロアの掃除。
これから上のフロアの掃除と母のフロアの掃除だろう。

母はとてもご機嫌だった。躁状態。
トイレ誘導し 排尿。
その後手洗い 歯磨き 洗面。
そして療法士さんを待った。

療法士さんがみえてリハが始まる。
母はニコニコしながら幾度も身体を起した。
療法士さんと役所の人の話になった。
それぞれ個性があり 良い所 不味い所 ざっくばらんなお話をした。
見解は同じだった。
そのうち 母は眠ってしまった。

リハが済んでもzzzなので ホールに出てみんなと歌を唄う。
歌集を手にして唄う。
歌は みんな共通して楽しめるのでいざこざもない。
人口密度が高いので 出来る限りトラブルは避けたいから。

そのうち母も目覚めたので 母も加わって歌を唄う。
歌に飽きる人も出たので 手遊び。
♪夏も近づく 八十八夜...♪
手遊びは 得意な人と不得意の人と差がある。
乗らない人は 大概不得意。
だから 無理をせずにやりたい人だけのお相手をさせてもらう。
母は 好きなので楽しめた。

母のフロアのお掃除が始まる前に お散歩に出た。
掃除は時間がかかると思ったので遠出しようかなとも思ったが無理はしないで近くのファミレスでフルーツとドリンク。
ファミレスで機嫌が変化。
会計を済ませてトイレに行くと出た後だった。
機嫌の変化の原因はこれかな?

店を出てお散歩を続けた。
空を見上げたり木々を眺めたり 野菜スタンドに立ち寄ったり。
その後ドラックストアに入って キダチアロエエキスを購入。
花屋さんの店先を眺めて公園で一休み。
小山を上って下りて 施設に戻った。
施設に着く頃には 少し前のめり状態。

まだ掃除が済んでいなくて 上のフロアに行って職員に託した。
母の目の前で別れは あまりしてないので少し不安が走った。
案の定「この人の家に...」と言い出す。
「ちょっと買い物してくるから待ってね」とさよならした。
只今 体調不良なので連れて帰るには無理があるので止む無し。


2007年05月22日(火) ため息の連続


 昨日母の所に出かけた時 入所者の1人が浮かぬ顔をなさっていた。
気になったので「どうなさいました?」と背中を撫でてあげた。
すると その方は 私の両腕をそうっと撫でてくれて「ありがとう♪」と言われた。
何か気になることがあるとも言われていた。
「そうですか 早く解決するといいですね」と話したら「ありがとう」とにこやかな顔に戻った。
そして「もう いいわ。ほんとにありがとう」と。

この仕草 母も時々してくれる。
そうっと撫でてくれるのだ。
入所した頃は 肩に触れただけで身構えた方だったのに いつの間にか何かが伝わるようになった。

直後 職員が「実は今朝 トイレ誘導で拒否にあってちょっとあったんです」と言われた。
そういう訳があって 浮かぬ顔だったのだなぁ〜。

その後で 職員が「入浴してもらおうと思うのだけれど大丈夫かなぁ〜」と言われた。
「機嫌は直っているから大丈夫と思うけれど 拒否があったら無理にせずにトライしてみたら良いのでは...」と伝えた。

コインランドリーに言っている間に うまく誘導できたようで入浴成功。
入浴中にご主人が見えて「入ってますか。そりゃ良かった」と笑顔を見せてくれた。
5年入浴しなかった方なのだ。
お風呂上りもニコニコとご機嫌で「よかった良かった」だったのです。

さて 昨夕 介護仲間からメールが入っていた。
介護保険のことあれこれ探っているのだが 情報を得たようで「時間があるか」と言うメールだった。
今日 おちあって逢った。
そして 2人で大きなため息を何回もついた。

介護保険の行く先は真っ暗である。
裕福な人は 介護保険を使わずとも暮らしていける。
介護保険枠をオーバーした時は 全額負担で出来るだろう。
でも ギリギリで暮らしている人は無理。

何を言いたいかと言うと...。
生活援助が次々切られて 介護する人や軽度の人はアップアップ状態となる。埃で死ぬ人は居ないから 掃除は切り捨てだそうだ。
これまで週4回利用していた人が半分に切られている現実。
確かに 少し甘えすぎていた人はいたと思うから そこが切られるのは仕方がない。

でも 認知症との境界線にいる人をどうやって見極める?
認知症なりかけの頃は 普通の生活の維持がどれほど大変か。
それが維持できなかったら 進行は早まる。
介護する家族もまだまだ混乱の最中である。
病の進行は早まるだろう。
とすれば 介護度の重い人が増えてますます保険料の支出が増えて国は大変じゃないの?
現場の人は判っているだろうけれど...。

これに違反してサービスを受給させると 業者の免許取り消しになるのだし。そうなったら困るだろうし...。
利用者側から考えても 事業所の消滅は非常に困るし...。

他にも困ったことがいっぱいだわ。
こんなことなら措置の時代の時のほうが良かったかも。


2007年05月21日(月) キャー!!!!


 母の所に出向く。
昼食が済んでゆったりしている時間だった。
母は超ご機嫌。
職員が「さっき排便がありまして 今日は入浴したほうが良いように思います」と言われた。
居室に誘導すると 母はトイレのノブに手をかけた。
とても珍しい行為なので そのままトイレに入った。
パットに少し便が付着していたので 清拭した。
小が出た。
昼食の食べ物が着ていた服に付着していたので着替えてもらう。
ついでに 全部着替えた。
汚れた衣類がロッカーに積んであったので タオルも加えて近くのコインランドリーに出向いた。
その間 母入浴。
途中 浴室に行くと気持ち良さそうな表情をしていた。
母はリフトに座って入浴していた。

その間に鉢植えのカーネーションの花がらを摘んで水遣りをした。
職員が 母がカーネーションを口に運びそうになったというお話をうかがった。また 花びらを箸で摘んでいたとも言っていた。
異食行為?と受け止めている様子だった。

お風呂から上がった母に居室で水分補給し アイスクリームとプリンを食べてもらう。美味しそうだった。
入所者が遊びに来たのでアイスクリームとプリンを半分こ。
母もその方もお互いを気遣いながら食べていた。
つまり 2人におなじ物があると判って食べ始めたのだった。

その後 ホールでみんなとおやつになったので その間にコインランドリーへ行き 洗いあがった物を乾燥機に入れ直し 施設に戻った。

母のおやつが済んでいたので 今度は母を連れてコインランドリーに行く。
「風がつめたい」と言うのだが「戻る?」と聞くと首を横に振る。

水分補給しながら乾燥が仕上がるまで待った。仕上がった物を取り出すと母は畳もうとして衣類を手にした。
一枚だけ畳めた。

施設に戻って収納し 家路に急ぐ。
実は 昨夜 ご近所の方から電話が有った。
この数日 我が家に何回かお見えになったという事だった。
この方は 最近ご主人を亡くして1人暮らし。
お庭の事はご主人に全てお任せしていたらしく 水仙の花後の手入れが判らなかったので聞きに見えたので 手入れの仕方のメモを渡していた。
しかし どれが肥料なのか判らないという事で訪問したという事だった。
それで 今朝 その方のうちを訪れ 肥料を確認しまきかたを教えて差し上げた。その時草も目立ってきたので膝が曲がらない方の為に草取りも。
抜き終わった時「椿がね枝先が枯れてきて」と言われたので 様子を見たら...。
なんと茶毒蛾がうようよ。
さっきまでその下で草取りをしたばかり。
「ギョエイ!」
家に消毒スプレーを取りに戻ってシュッとひとふき。
その後 近くに立ちいらないように注意した。
出入りの植木屋さんが居ないというので こちらの植木屋さんに電話をして夕方 急遽来てもらう事にしたのだ。

その訪問に間に合うように帰宅したのだった。
が 帰路思いがけない人に出会って立ち話。

少し遅れて帰宅したら植木屋さんの姿はなくて間に合わなかった。
それで我が家の椿を改めて見てみると なんと我が家にも茶毒蛾がいた。
キャーである。
急いで植木屋さんに電話してSOS発信。
電話の向こうで植木屋さんが笑っていらした。
「他人の家より じぶんちの方が大変じゃないですか!」
という事で明日の早朝消毒してもらう事になった。

別の家の椿は大丈夫かと「見たほうが良いわよ」と声を掛け見てみると...。
そちらの家もいるではないか?

今年は茶毒蛾大発生だわ。

我が家のも気になったが まだ青々していたと記憶しているので直ぐに確認せずに母の所に向かったのだった。


2007年05月20日(日) ミニ旅行

本日帰宅。
明日 更新します


2007年05月19日(土) ミニ旅行

 
 故郷の仲間と旅行
韮崎へ。
後日編集します。


2007年05月18日(金) もれなく...


 午前中に 母の所に向かう。
午後 外せない予定があり 明日も出かける予定。
排泄の事や健康状態を確かめておきたかった。
具合が悪そうだったら 予定変更。

母はとてもご機嫌だった。
トイレ誘導したら どうも排泄あったかなと言う感じだったので職員に尋ねると早朝にあったという事だった。
尿を見ても綺麗。
という事で予定通りに動く事にした。

食事前に ちょこっとお散歩に出た。
玄関の前で見送りしてくれた入所者をみて「あ 可哀想」と母。
お散歩の時何処まで判っているのだろうと感じる事があったが 外出できない人がいる事を可哀想と思う気持ちになれると知り 少し驚いた。
休みなしで歩き回ったら 施設に戻る頃には疲れて 前屈みが少し強くなった。

食事介助を途中まで その後職員にバトンタッチして予定の場所に出向いた。
4時間近く 介護者の方とお話して帰路に着く。

その足で ようやく美容院に出かけた。

この数日 腰に痛みが走ってなかなか苦しい状態だ。
私の認識不足で背中で母を起しているから腰は大丈夫見たいな気持ちでいたが どうも背中で受けるから腰に痛みが来る事を知った。
つまり 介護者に多い腰痛の悩みを もれなく体験する事となった。
日にち薬で随分緩和されたが これから十分注意しなくてはいけないと感じた。



2007年05月17日(木) 介護保険改正の余波は?


雨が降って寒いので着こんで外出したら 汗ばんできた。
それなのに 帰宅する頃には また寒くて...。
ラッシュの電車に揺られて家路に着いた。
こんな季節に体調を崩すので注意しなくちゃ。

ちょっとした頼まれ事で出かけた。
そこで介護保険の話や認知症介護の事をざっくばらんに地域の情報交換。

家の地域でも同居家族がいるところでは 家事援助が削られ始めている。
この件について 事業所に問い合わせてみると 介護保険利用が削られて困って利用したいという人がなだれ込んできているという事だ。
事業所も今ギリギリまで来ているという事だった。

介護保険外の有償介護ボランティアは様々あり 他の地域でも同じようになだれ込みが始まっているようだ。

確かに「甘えすぎ」と思われる人は 考慮の余地が生まれて家族が介護を受け持つようになったという事も現実にはあるようだ。
家の地域では認知症の介護をしている人は まだ強く影響していないと言ってたが でも把握しきれて居ないかもしれない。
認知症初期と言う微妙な時期の介護している人がどうなっているかと気になっている。

家族が介護に回れる余地のある人は良いのだが フルタイムで仕事しているにも関らず家事援助をカットされている人も出てきていると聞く。
そもそも介護保険は在宅介護をする為のもので それも介護される人が家族に遠慮しないで介護が受けられるための保険だったんだよね。
それが根幹から変化してきてようだ。

現実に在宅で介護真っ最中の人や認知症初期の介護する人には介護保険の変化と言うものにまで目を配る事はなかなか出来ない。
だから 判っている者がどういう不都合が生まれて来ているかを検証すべきなんだろう。

そして何より 財源が厳しくなるから...と言う触れ込みは広く浸透していて
ある程度は仕方ないと受け容れてしまうのが大概だ。
そして介護者がどんどん追い込まれているような気がしてならないこのごろである。

今日 当事者のための介護保険があるが 介護者のためのケアマネって出来ないかしらねと言う話になった。
在宅で踏ん張ってる介護者 通いながら介護する介護者。この部分は置き去りである。

介護保険対象年齢で保険利用に至らない人は ボランティア等で介護保険料の軽減を図るという案が浮上している。
例えば 本来家族の面倒を見るべき人がボランティアをして軽減を図るという事だってありえるのではないかという話にもなった。

話は尽きなくて それ以外にも施設の状況も話題になった。
それは また 次の機会に。

介護の話は さておいて 昨日・今日と珍しく故郷の友人から相次いで電話があった。
それぞれの場所で介護だったり 手伝いだったりでモヤモヤしていたがようやく落ち着いたとのことで「ところではなのお母さん元気にしているの?」と聞かれた。
まるでこちらが少し凹んでいることを見越したような電話だ。
友人はネット環境にないので「今」を知らない。
ありがたい電話だった。


2007年05月16日(水) 毎度の事ながら 爪切り


 リハビリの日なので母の所に行く。
母はソファーに座っていた。
私をみると「やぁ〜」っていう感じの表情。
居室に誘導して歯磨き。整髪。
その後トイレ誘導。既に出た後だったが 更に排尿があった。

リハの体勢になって療法士さんを待った。
リハが始まった。
療法士さんが 「最近 病院や施設からリハビリの依頼が増えました。施設にも療法士はいるようですがPTの出来る人が居ないようです。病院も施設もいろいろ事情があるように感じます」と話された。
事情とは 施設側の事故の責任をとってという事 また 個人のPTに限るよう。
それは 提携先の病院との兼ね合いもあるというような話だった。

リハビリの重要性が認められたという事もあるのだろう。

母の腰の辺りに張りがあるとまた言われてドキッとした。
でもリハで取れたという事だった。

リハの終わる頃に母は寝入った。
そこで 入所者の方とおしゃべりをしたり花に水をあげたりした。
母の日以来 鉢植えが増え 水遣りが追いついていない。

そうこうしている内に居室から母の声が聴こえた。
居室に行きトイレ誘導。排尿できた。
「散歩行く?」と聞くと「外に行く」と言う返事。
寒くないように支度して外出。

今日は 風が強いので母は寒がった。
けれど「戻る?」と聞くと首を横に振ったので散歩を続行。
遠出はやめて 近くの公園でひと休み。
そこで持参したおやつを食べてもらう。水分も摂取。
その後爪切り。
今日の母は 爪切りを怖がった。ゆっくりと反応を見ながら手足の爪を切った。

それから遠回りして施設に戻った。
施設では3時のおやつ。
おやつの食べ終わるころ そうっと施設を後にした。
3日ぶりにスーパーで買い物をした。


2007年05月15日(火) 余波


 我が家の家族の心がユラユラしている。
やはり 気持ちよく受け容れるって難しい。

ユラユラもそのうち自然に吸収されるでしょう。
これまでそうだったように…。

昨夜 途中まで書いて寒気がして 布団にもぐりこんだら 朝まで眠ってしまった。
いろんな思いを書き込んでいたが ぴったりした表現が出来ずに断念。

昼 パソコンで作業をしていたので そのせいもあるかもしれない。
根が続かないなぁ〜。

午前中は畑に出向いた。
先日 夫は草取りをしたと言っていたけれど どうやら夢の中でだったらしい。草も伸びていた。

葉ものをおろぬいていたら 小さな黒い虫を発見。
みると結構いるのだった。
これまで木酢を使って忌避していたが 菜園にまだ持ってきてなかった。
仕方なく 軍手を使い葉をゆすって 虫を振り落とし 一匹一匹潰した。

殺虫剤を使う時はあまり意識しないのだが...手でつぶしていたら「作物のためだから ごめん」と虫に言い訳している自分がいておかしかった。

無農薬栽培をする農家の人は 虫を見つけたら潰すというが 家の菜園みたいな具合には行かないだろうから大変だろうなぁ〜と改めて感謝。

草取りもして 雨が降り出したので早々に引き上げた。


2007年05月14日(月) 息子が癒した?

 昨夜 就寝が遅かった母は 5時までぐっすり。
5時過ぎたあたりで「おかちゃん」と呼ぶ声が聴こえて トイレ誘導。
無事トイレで出来た。顔をあわせるとニコニコ。
其れからちょこっと水分補給して 再度布団へ。母は直ぐ 寝入った。
こちらは もう眠れないが それでも疲労回復のため 暫く横になっていた。
「スタンバイ」というラジオからの声を合図に置き出す。
夫は早めに出勤と言っていたので 大急ぎで朝食の支度。

夫は「あいつは 一生あのままだなぁ〜」と呟いた。
昨日 母を介護できない悔しさを 私のせい 父のせいと言い切ってきたのが夫の耳にも届いていたのだ。
もう 我が家では 誰が悪いなんて事も殆ど話題にも上らない。

夫を送り出してから母を起した。
食卓テーブルに着いた時に「ねぇ〜 昨日 〇と△来たよねぇ〜」と聞いてみた。
「ここにだよね」と母。
「楽しかった?」と聞くと頷いた。
母の記憶に残っていると感じた。
それだけで 昨日の時間を作ったことが報われる思いがした。

母に食事を出して 洗濯機を回した。
洗濯機と食卓を行ったりきたりしながら 自分も食事。

娘を送り出してから 母に入浴してもらい洗髪。
その後 浴槽のお湯を抜きながら身体を念入りに洗いシャワーで流した。

湯上りは気持ちよいらしく スッキリした表情だった。
水分補給 トイレ誘導をして 昼食。

それから 罹り付け医に通院。
バスにも乗れてトラブルもなかった。
午後一で診察を受けるため30分とちょっと待合室で待っていた。
医師が見えて「〇ちゃん」と母に声を掛けて診察室へ入られた。
母の診察は1番目。
「昨日 息子が着ましてね。良い母の日となりましたよ」と伝えると 血圧測定していた医師が「息子さん効果かね。やっぱり長男かな」と言われた。
久しぶりに血圧が普通。 そりゃ ほんとに良かったわ♪

診察を終え 薬を頂いてからTeaタイム。
おやつを頂いてからタクシーに乗って施設に戻った。

エレベーターの前で職員とばったり出会う。「お帰りなさい」の声に母も穏やかに挨拶。
帰宅中の話を伝えると「〇さんにも息子さんにもよい時間で良かったですね」と喜んでくれた。
ホールに入ると入所者のご家族が見えていた。
そこでも帰宅中の話となった。
「喜ばれたんだったら 良かったね」と母に声をかけてくださった。

周囲に喜んで貰えると「良かった」という気持ちの裏打ちされたようでホッとする。

昨日 母の日のプレゼントなし。手土産なしの弟たち。
それでも インターホンの故障は直して貰った。
「お金にならない仕事はしないから 家では何もしない」と自慢げに言う弟。
「母の介護費用も負担して介護しているけれど そんなこと言わないよ」と喉まで出掛ったが 言っても始まらない事は言わない事にした。

何でも 人のせいにしている弟に「おじちゃん その年になっても やっぱり人のせいなの」と娘が冗談ぽく語りかけた。
「うるさいんだよ。お前はお母さんそっくりだから…。お前は お母さんのフィルターで見ているからな」と答えていた。 
でも説得力に欠けているんじゃないかなぁ〜。


2007年05月13日(日) 母の日


 朝食が済んで後片付けをしている時に弟達がやってきた。
それから 夫とあれこれ仕事の事を話して 夫が仕事に出た後1日の流れを決めた。

今日は母の日。
夕食は 我が家でとなった。
母は先日我が家に泊まったばかりなのだが 今日も流れで我が家に泊まる事にした。その方が 弟たちも母と向き合ってゆっくりできるだろうと思った。

弟達は 仕事に必要な物があるのでそれを買いにでかけ ついでに弟達の食料も購入。

買い物を済ませて母の所に立ち寄り 我が家へ連れてきた。
母は施設では機嫌よく 我が家についてもにこやかだったが 排便トラブルでご機嫌悪化。
その内にお腹も空いてきて機嫌はなおらない。

弟は 母を置いて1度アパートに荷物を置きに行く。
会社の人に食料を置いてくるのだ。

その後 娘が弟たちを迎えに行く。

夕食会が始まった。
母は飲む席が好きでないので ダイニングに移動してもらい酒席とは切り離した。

母の食事介助は 娘が担当してくれた。
私はゆっくり母と向き合って食事。

暫くして アルコールの入った長男がやってきて母に語りかけた。
その後次男がやってきて母に語りかける。

次男が 以前入浴介助して母に痴漢呼ばわりされた事を思い出してポロリと語る。
長男は 俺が面倒見ようとしたのにこいつが連れて行ってしまった。と愚痴をポロリ。

それぞれが認知症初期の時にダメージを受けていたのだ。
同じような思いをこちらもしていたという事には 全く気がつかないのである。自分たちだけが 苦労したという思いがあるのだ。

酔った勢いで 昔の話をあれこれ愚痴られる。
結局の所 長男はあの時代の儘の気持ちを引きずっているのだ。

よくよく考えれば 介護に向き合っていると愚痴より先に日々の変化への対応となり 同じ場所に留まっていられるわけはない。
向き合わない分 そこで時間が止まってしまっているのだろう。

母はお腹が満たされると弟たちに話しかけられて嬉しそうだった。
親子の確認と言うよりも ガップりに母に向き合って話しかけてくれるのだからニコニコ笑顔が絶えない。

私達家族は 母と距離をおいた。
弟たちと母の時間だから。

以前だったら「トイレ介助もしない 食介もしないで...」と思うところだが
もう そういう気持ちは卒業している。
母が楽しめれば それが1番だもの。

なんだかんだ言いながら 11時過ぎまで母は弟達と楽しんでいた。
話が尽きない様子だが 明日の事もあるので「もう帰りなさい」と娘が車を出して送っていく。

それから 母をお風呂に入れた。
すっかり遅くなったので サッと身体を洗って上がり パジャマに着替えてお布団へ。
暫く起きていたが 遅い時間だから程なくzzz。

お膳立てをしてようやくの母の日。
長男は繰言を言ってポロリと涙を零した。

「母が元気でありがとう」なんて殊勝な事を言える弟たちではない。
弟達は これまでの空白を埋めるかのようにあれこれ語りかけていた。

いろいろ 書き留めたいこともあるけれど すっかり疲れてしまって書けないわ。おそらく書いた所で 弟やその家族の愚痴になるのだろうから 書くなという事なんだろうと思う。

母に取っては 良い日だっただろうと思う。


2007年05月12日(土) 強風の後は...


一昨日 昨日と強い風が吹いて なすの苗が心配だった。
ナスの苗は無事だったけれど 晴天続きと強い風で元気をなくしていた。
水遣りをして 葉ものをおろぬいた。
大根の芽が出てないのが気になる。何処に種を蒔いたか記憶に残っていない。
水菜・西洋からし菜・ルッコラ・小松菜・春菊は サラダに出来るくらいに育っていた。
未だだなと思うのはほうれん草だった。
お隣の畑には一足先に立派なほうれん草。
丁度お隣の方が見えて ほうれん草をたんまり頂く。やわらかそうなほうれん草だった。
草取りも気になったが ひとまず引き上げてきた。

家に入る前に気を見上げる。
気になっていた庭木。
結局 家に入らずに木に登った。
パッチン パッチン。
数ヶ所剪定を始めたら幅5ミリ長さ2センチの毛虫に出会う。
「これくらいなら我慢できる」と作業を続けたが 鋏を移動させる度に毛虫。
「ヒャー!駄目だわぁ〜」と地面に降りた。

家に入り 植木屋さんに電話。
奥様が出られて「今 出先で…戻るのは来週。来週でよかったら電話します」と言われた。
その時は「御願いします」と受話器を置いた。
家に入ってくる事はないにしても 来週までには 毛虫ももっと大きくなる筈。
悩んだ挙句 タートルネックセーターを着こんで 長袖のシャツを着て 滑り止めつきの軍手。 頭にはシャワーキャップをかぶって 鋸と鋏を手にして再度木に登った。
しかし高いところは2階の屋根に届くくらいなので 脚立では無理。
それで長いはしごを架けなおして またチャレンジ。

こういう時 こども時代の木登りが役に立つ。
この場面を母が見たらきっと「やめなさい。危ないよ」と連呼するに違いない。

ご近所の人がやってきて「誰かと思ったらあなただったの?」とひやひやしながら見守ってくれていた。あらかた終わって降りるとパチパチと拍手されてしまった。
毛虫怖さで ちょっと樹形なんて考えずにバッサバッサと切っただけ。
もう坊主に近い。最近の流れの剪定の仕方だ。

娘が食事の支度をしてくれていた。
朝頂いたほうれん草で お味噌汁を作ってくれていた。

食後 切り落とした枝を束ねた。
これも一仕事。

強風で葡萄の棚が倒れたのが一昨日。
夫に頼んだが まだ手付かずなのでこれも片付けることにした。。
そのためには 添える支柱がいるので 娘に車を出してもらって百均に行く。
今時の百均は園芸用品まであるのだから すごい。

買い物を済ませて家に戻ったのは夕方。
其れから せっせと作業に入った。
棚は結構重いので立て直す所までは娘の力も借りた。
其れから1人踏ん張っていたら 夫が帰宅。
夫は電動ドリルを使ってやってくれた。
暗くなる前に何とか終了。

しかし夫は作業しながらプリプリしている。
棚の傾きが気になるようだ。
そんなこと怒ってみたって始まらないのになぁ〜。誰が悪い訳ではないのに。
怒りついでにこっちにまでとばっちり。
これがあるから 夫に作業を頼みにくい。

しかし 片付け終えると夫の機嫌は直ぐ戻る。

夕食の支度を大急ぎでした。
弟や夫は明日お休みという事で 食事会と言うか飲み会は明日に延期。
弟は 母の日の明日 母に会いに行くと決めたようだ。


2007年05月11日(金) 延期


午前中の内に 夕食の下ごしらえをして 母の所に向かった。
今日は施設の母の日である。
行事が始まる前にお散歩しようと思い 少し早めに出かけた。

これまで行事と言うと職員が事前にお手伝いの御願いがあった。
が最近は 事前の話もなくて家族としては「?」の状態。
どういう趣旨で行われるかの説明がないので 何をすべきかも判らない。

踏み込むのも憚れて 少し後ろに下がり気味。

一昨日気持ちが落ち込み気味の母だったが 今日もやはり沈み込んでいる。
季節のせいもあるのかも知れないと思う一方で 体調が気になっている。

ただ 血尿の時は機嫌が良かったので 一概に言えない。

トイレに誘導すると 既に出た後。
でも 更に出た。

行事が始まるまで時間が有るので 持って行ったお茶を飲んでもらう。
嫌がらずに飲んでいた。

飲むことに関して 最近気がついたことだが 噎せそうになると自覚するようで そういう時はグッと口を閉じる。
噎せそうという事を察知できるのだろうな。

お茶を飲んで着替えをして貰って お散歩にでた。
足取りは軽いが 気持ちは弾んで居ないのが伝わってくる。
自信がないように見える。

施設の周りを一回りして戻った。
それから 程なくして行事が始まった。

お茶とケーキを配り 前もって作ったカードを渡した。
歌を唄う訳でもない。

記念写真を撮る。

行事が終わっても 母の機嫌の悪さは変わらなかった。
トイレに誘導するとまた出た後。
排泄の事で機嫌が悪いのかな?

排泄後 少し言葉が復活。機嫌も戻り始めたが 本来の母ではない。

着替えをしてホールのソファーに座ったらテレビを見始めた。
夕食の支度をする為 急いで家に戻る。

食事の支度を夫に電話すると「来客があり戻れない」という事。
弟の所におかずを届けた。

ちょいお疲れ。
もう少し書きたい所なのだが連日 就寝が遅く外出も多く眠くて続かない。
明日に回すことに。


2007年05月10日(木) 欲しいひとこと

朝 昨日電話した事業所の方から 返事の電話があった。
ケアマネは きちんと複数の施設に当たっているが 受け入れ施設が見つからないということだった。しかし これまでご家族が語られている事とケアマネさんのお話が少し違っている。
ご家族の聞き方が悪いのか ケアマネの説明が不足しているのか?
ケアマネは 家族がわかるようにきちんと説明しているのだろうか?
責任者は そこまできちんと確認なさったのだろうか?
ご家族は 普段のお話がしっかりなさっており 会話も理解できる方なのになぁ〜。
今日 介護仲間と逢ったので 昨日の「エッ?」と思った話をそのまま話して反応をみた。
やはり 私と同じ感想を持たれた。
まだ 途中なので書けないが 根も葉もないことではないと判ったらアップします。

弟達が来ました。
今回の仕事は 長男がこちらに住んでいた時勤務していた会社の社長さんの紹介だという事だ。
弟からは 何も連絡がなかったので 外出する前に確認の電話を入れた。
するともう既に高速に乗っており夕方前に着くという事だった。

午後には 役所の方に会う予定が入っていたのだが 向こうの都合で今日はキャンセルとなり助かった。
でも もうひとつの約束があるので 急いで出かけた。
打ち合わせをして その足で弟の住むアパートにカーテンを運んだ。
初めて入るその部屋の窓はワイドで 通常の一軒より広かった。
「しまったなぁ〜」と思うけれど 数ヶ月の仮住まいなので有る物で我慢してもらう事に。
見渡してみたら ふたつの和室に照明がついていなかった。
都合の良い事に 歩いて1.2分のところにリサイクルショップがあることを思い出し でかけてみた。
ありましたわ。見渡してみると随分いろんな物が置いてありました。
閉店時間を確かめて 店を出て家に戻った。

家に戻って遅い昼食をとりながら パソコンでレジュメを作っていたら電話が鳴った。
弟が 仕事場からこちらに向かうという事だった。
今度は パソコンを使ってナビがわりである。
弟がこちらに住んでいた頃とは大分様変わりしているので迷うらしい。

約束が延期になって良かったわ。
こんな仕事が待っているなんて考えもしなかった。

迷いながらも1時間足らずで我が家に着いた。
仕事場と家までの道を確認するため パソコンで地図を引き出した。
其れから アパートに向かう。
荷物を降ろして リサイクルショップに出向く。
購入後 不用になったら買い取ってもらう事も確認。
リサイクル法があるので いろいろ面倒。

その後 利用しやすいスーパーへ案内。
買い物も無事済んでアパートに戻ると夫が入り口にテレビを置いていってた。

もう すっかり日が暮れしまい 弟に家まで送って貰った。

今日の用事は済んだので やれやれと夕食の支度を始めたら「ガスが使えない」と電話があった。明日 ガスやさんに点検してもらう事にして今夜は風呂なし。
でも歩いて数分の所に銭湯がある。
そこを知らせておいた。

本来なら 家でお食事と言いたいところだが 私から言い出せない。
何しろ 母を放置 借金返済もまだ。
そういう状態で 私流を通せるはずはない。

そこへ夫から電話があり「明日 我が家で夕食会をしましょう」という事だった。
 
そういう事 弟達は何処まで理解できているだろう?
そして 義妹からも連絡なし。
聞けば 姪っ子も 今 こちらで仕事中だという。
「どうなっているんだろう?」と思うけれど 自分の家の事ではないので口にチャック。

ただ 今日同行した末弟は 3日後には帰るというので「母の日なんだから ちゃんと顔見せて行きなさいよ」と言っておいた。
しかし「お母さんは どう?」のひとこと欲しいのになぁ〜。

母の昨日の尿が気がかりで 電話が来るかと思っていたが静かに過ぎた。
明日は 施設の母の日の行事があるので出かける予定。


2007年05月09日(水) 曇り気味だわぁ〜

リハビリの日である。
施設に着いた時は 母は 食事も済んでソファーに腰掛け英語の本を手にしていた。
昨日のような笑顔はない。かといって苦痛と言う表情でもなかった。
時間がないので 直ぐにトイレ誘導。
手を取れば 多少の表情変化が見られるのだが 今日はない。
なされるが儘と言った所である。

トイレに座ると程なくして小が出た。勢いはない。
「?」と思って 見ると何となくよどんでいる様な感じ。
母はしきりにお腹を擦るので職員に排便を確認した。
出てないようだった。少し踏ん張ってもらうが空振り。
でも表情が冴えない。
トイレから出て 持参したお茶を300ccほど飲んでもらう。
結構 飲む。喉の渇きを感じているか それとも体内の異常を感じているのか?

ホールから療法士さんの声が聴こえたので 急いで準備をして 母に横になって貰う。
「今日は 少し様子が違いますね」と療法士さん。
「そうなんですよね。先日 腰が張っていると言われて その後血尿が出ました。やはり
前触れだったのですね」と伝えた。
「今日は首が少し硬いです。揉み解しておきましょう」
「様子が違うのは 首のせいでしょうかね?」
「少し眠って よいほうに変化してくれると良いのですが」
しかし 今日は「おかちゃん」と発して眠りそうもない。
それでも 揉み解しは気持ち良さそうである。
ぬいぐるみを手にして 自分の揉み解している場所を同じように解していた。

リハの終わる頃になって少し寝入った。
これで良くなってくれるならいいなぁ〜と思ったけれど 目覚めても冴えない表情。

トイレ誘導したら小。
結構出るのでホッとした。

その後 母の日のカードにつける写真を撮るというので 整髪し着替えた。
新しい服だが あまり興味を示さなかった。
これじゃ 笑顔じゃないなと暫く遊んでみるが 俯くばかりである。
手遊びも終われば 直ぐ下を向いてしまう。
職員がデジカメを持って居室に見えた。
母には 今回 顔に粉を叩いて 強めにルージュを引いてあげた。
鏡を見せた時意識していた。
「今日のお天気 良くないので笑顔は無理みたいです」と伝えた。
それでも 念のため「写真を撮るから良い顔してね」と伝えた。
母には確実に伝わったと感じた。
姿勢を正してくれるのだが 笑顔にはなれない。
下を向いては 顔を上げるの繰り返しだった。
職員も踏ん張って 母の注意を引くようにしてくれたが無理だった。

数枚撮影して職員は仕事に戻った。
その後 私もデジカメを手にしたが笑顔は撮れなかった。

母が立ち上がるので ひょっとして思ってトイレ誘導。
大が出た後だった。
母の表情が固くなったので「ごめ〜ん 気がつかなかったよ。悪かったね。勘弁ね♪」というと母は首を振った。ゆるめだった。
でも これでひと安心。
追加の便秘薬使わないで良かったわ。
笑顔になれないのは このせいだったかとも思ったが その後も曇った表情が続いた。

さて 今日はエッ?と思うことがあった。
昨夜 介護仲間から電話があった。
少し配慮不足のケアマネさんに担当してもらっている方がいて ご家族が零されていた。「ケアマネ替えたほうがいいよ」介護仲間は みんな勧めいてたのだが 「いいよ」と言われて替えられなかった。
でも 家族が白内障の手術をしなければならなくなって ショートを御願いしたが「毎月 探していますが満床で」と言われたという。
それを聞いて 心配した介護仲間が私にSOS発信して来たのだった。

この件に関しては 今朝 関連する事業所に電話をして 調整を頼んだ。
それでも 万が一見つからない場合を考えて 母の施設長に心当たりを聞いて見た。

この先が エッ!という事なのだ。
1度 書いて見たものの やはり自分できちんと調べてみてから この事はアップしようと思う。


2007年05月08日(火) 暑かったわぁ〜


 朝 介護者教室の打ち合わせのため出かける。
タイムスケジュールや細かい事を打ち合わせた。
申込者がいつもより速いペースで集まっているという事だった。

打ち合わせが終わって その足で昨日行けなかった銀行に出向く。
ついでに母のオムツの代金を振り込む。
最近 「しなくちゃ」と考えただけでしたつもりになってしまい 失敗してしまう事があったので すべき事は伸ばさないで...と肝に銘じている。
認知症の始まりか...なぁんてね。
でも「自分はならない」なんて考えて居ない。
認知症にならないなんて保障は何処にもないのだから。

家に戻って昼食を摂り 母の所に向かった。
今日は優秀で家からテクテク外出2度目だ。

施設に着くと母はニコニコ笑顔。
先に居室に掃除機を掛けた。ついでにホールにもかけた。
Gパン姿で掃除機を掛けていたら 本部から見えた方が職員と間違えて声をかけてきた。「すみません」と謝られてしまった。
「施設に溶け込んでいるってことですね」と笑ってしまった。

そのご職員と話をする。
母がよくおしゃべりするようになったことを驚きながら教えてくれた。
また 良く立ち上がって歩く事も。
職員と話している間も立ち上がり歩いていた。

入浴を嫌っていた方が 暴れることなく入浴できたこと。
連休に自宅に帰られて ひと晩泊まってきたこと。
ご家族が自信を持たれて これから月一で家に連れて行きたいと言われたこと等を話してくれた。

自宅に戻られた時 ご自分で箪笥から衣類を取り出して整理したり 着替えたりなさったそうだ。
在宅時には かなり辛そうで「疲れます」と怒り気味のご家族だったのだ。

「よくここまで頑張ってくれましたね。ありがとう♪」と伝えた。
職員も自信を深めたようすだった。
「こういう事があるから 辞められないのよね」と笑っていた。

家族も同じである。
「もう 駄目かも」と思っても元気を取り戻すとほんとに嬉しくなるのだ。
それまで苦しい状態だったのに すっかり帳消しになってしまう。

母と散歩に出ようとしたら ご家族が見えた。
「家に帰られて良かったですね」と声をかけると「え〜」と笑顔を見せてくれた。自信に溢れた笑顔だった。
入所の直後は憔悴しきっていらしたのに...。

「調理する時目を離せないので...それが気がかりです。温かい物を食べさせたいし...」と言われた。
「今は インスタント味噌汁も改良されて良くなっていますし 出来合いのものや 出前を使って無理をしない方法をとれば良いのではないでしょうか?」と言うと「そうですね。無理しないことですね」と言われた。

一緒にエレベーターを降りて それぞれ違うコースで...。
母の足取りは軽かった。
花屋の前では 「きれいだな」と声を上げた。
機嫌が悪いと「早く行こう」と立ち去ろうとするのだが...。

その後ドラックストアに入りアイスを購入。
信号を渡り 農家の無人スタンドへ。
ここでも野菜をゆっくり眺めていた。
更に歩いて公園のベンチで一休み。これが初めての休息。

アイスを食べて お茶を飲んで ゼリーを食べて...。
気温が上がってかなり暑い。汗が出るほど。
たっぷり水分補給してから 施設に戻る。

施設には 別のご家族が外出先から戻って見えていた。
母のトイレ誘導後少しおしゃべり。

母はテレビを見ているので そっと帰宅。
ご家族から 家まで送っていただく。

今日のトイレ誘導で 排便が少し。あと少し きっと明日になれば 出ると思う。出て欲しい。
明日は 漢方薬持参だなぁ〜。


2007年05月07日(月) 「ありがとう」と「ごめんなさい」


連休も終わり 家人たちも仕事へと出かける。
今日は 利用者さん訪問の日だが 利用者さんの都合で別の日に振り替えとなった。

先に銀行廻り。
弟が借りるアパートの場所を確認のため 出かけてみた。
途中 お店に入って すっかり長居をしてしまった。
あれやこれやと母のもの私の物を試着してみる。
母は私よりちょっと大きめ。でもほぼ同じなので 試着して緩みを見ながら...。
小さなお店だが おそらく1時間以上いたんじゃないかなぁ〜。
でも 収穫ありで...良かったわ♪
しかし かなりの量になってずっしり思い。

地元の農家の市のある日で そこで野菜を買ったら 次の銀行に行く気力を失う。なにしろ 電車で一駅先なのだから...。

そこで 百均に出かけて衣類収納の袋を数点購入。
大荷物を持って家に戻った。

こんなに長い時間地元で買い物って ほんとに久しぶり。

家に戻り遅い昼食。
その後 夫の衣類を整理した。
母がつぎあてしたシャツがでてきた。
もう 襟まで擦り切れてしまっていた。

母がこちらに暮らし始めたころの事だ。
認知症の初期。
娘の家と言う認識は半分程度。従姉妹の家だと半分思ってた。
「私 居候させてもらっているのだから 何か仕事言いつけてください。繕い物はないのか?」と毎日聞いてきた。
そこで処分しようとした夫のシャツを引っ張り出し 渡した。
「これに合う色の生地はありますか?」といわれ再度探し渡す。

かぎ裂きの出来たシャツをつぎあてをしてくれたのだった。
夫がすごい感激して そのシャツを好んで着ていた。
「素敵な事だよ。貴女には 出来ないでしょう」と夫は言うのだった。
そのシャツを襟の擦り切れるまで愛用したのだ。

今日は これを処分する事にした。
ここまで着倒したら シャツもそして母の労に対しても十分でしょう。

捨てようとしたものを生き返らせた母。
自分に出来る事に取り組んでくれた母。

あの時 つぎの当たったものなんて 今時着ないと思っていた私。
母が針仕事に専念してくれれば 静かになるし...と思っていた私。

思い出のいっぱい詰まった擦り切れたシャツ。

今 母は針を手にしても縫うことも出来ない。
取っておこうかと瞬間 迷ったが捨てることにした。
「ありがとう」と「ごめんなさい」と心の内に仕舞い込んだ。


2007年05月06日(日) 涙が溜まる 涙が出る!


 昨夜 私の就寝時に母を起してトイレ誘導。
起した隙に少しパットをぬらしたようだ。
でも残りはトイレで。

布団に戻るとすぐzzzの母。

5時ごろ母の「おかちゃん」と言う声で目覚める。
トイレ誘導。
パットは少し濡れ 残りはトイレで。

また 母はzzz。

次の目覚めは7時。
起床してお茶を飲んでもらう。
其れから着替えて階下へ。

布団から起こす時 自分の体の何処で母の重さを受け止めているかを探ってみたら背中みたい。
背中ってどうなんだろう?実際は腰なのかなぁ〜。
私の介助なんて2晩位のものだから さして痛みは残らないけれど...。

今日もご機嫌の母。
朝食だってしっかり食べた。勿論 介助は必須。
でも自力で食べるように箸は持って貰う。

食後 暫くして腹痛があったようだ。
暫く トイレに座ってもらうが大は空振り。
でも 出そうな気がするようでトイレから動く事はなかった。

その後 入浴。
今日も浴槽に入る段になって拒否。
歌を唄ったり足にお湯を掛けたりしながら 何とか入浴できた。
入ってしまえば気持ち良さそうにするのだが...。

昨夜身体を洗ったので今日は洗髪。
洗髪を始めると暫くして「涙がたまります」と訴えてきた。
「ごめん。耳に入らないようにするから勘弁ね」と言うと頷く。
でも直ぐまた「涙がでるのです」と訴える。
「ごめんね」と謝ると頷く。
この繰り返しが 洗髪が終わるまで続いた。
シャワーで流せば時間短縮できるが ミニタオルにお湯を含ませて流すので時間がかかる。耳や目にお湯がかかることを極端に嫌がる母だから仕方がない。

母とそんなやり取りをしている時 昨日の降車拒否の時に言った母のことばを思い出し苦笑してしまった。
母に「ごめんね。でも降りないと困るのよ」と声をかけた時「謝って 何でもしてしまうのでしょ。あんたは!」と怒ったのだった。
怒る時の言葉って ほんとに真実をついていて「良く見ているなぁ〜」と感心してしまった。そして そういう時には きちんと話せる。

振り返れば こういう押し問答は 在宅時には良くあった。
ただ 入浴の時はなかった。
身体を清潔に保つ事を理解出来ていて 我慢していてくれたと思うし入浴が好きだったから...。
入浴拒否と言うよりも洗髪拒否が出るようになったのは 施設に入ってからである。最初のうちは 我が家で入浴し施設に戻る事も出来たので 何とかできたが 骨折して以来から 怪しくなってきた。
私も少し強行するようになった事もあるし...。
だから 私の失敗でもある。

在宅時は 押し問答の果てに「家に帰ります」と宣言して外に出た。
「これから 日が暮れるから明日にしたら...」と言っても「交番で宿を紹介してもらうからいいんです」となってしまうのだった。

後ろから 隠れるように追いかけて母が立ち止まるまで歩かせた。
どっちへ行くか判らなくなり 立ち止まる。
そんな時は 涙をいっぱい溜めて俯いて立ち止まっているのだった。
声をかけても 悔しさも残っており そこから家に戻るまでは あと少しの時間が必要になるのだった。
こちらも感情の揺れがあって 直ぐに折れなくて...。
苦しい時間だった。
母も我慢。私も我慢。
泣きたいけれど グッと堪える日々だった。

今の母には 外に飛び出す気力はない。
瞬間怒っても 持続しない。
そういう意味で たまらなく辛くなる瞬間はなくなった。
でも 忘れていけないと戒めている。
こちらの気持ちを優先させている事実だけは いつも変わりないのだという事を。母が我慢させられているという事を。
だから 直ぐに謝る事にしている。
その謝り方も 母は見通している事を改めて知ったのだった。
おそらく 謝っても嫌がることを通してしまう事を感じているのだろう。

言葉にしたくても出来ない現実。
母の置かれている現状は痛いほど良く判る。
「涙が溜まる」は「やめて欲しい」と言えない代わりの言葉なのだ。

それでも 救われるのは 風呂上りに着替えて頭を乾かして綺麗に仕上げると満足げに鏡を見る姿である。

「押し通したけれど でも良かったのね」と慰められるのである。
勝手な思いだけれど...そういう事だろうと思いこみたい自分がいる。

入浴後は 昼食の準備。
母はテーブルの上のチラシに目をやって なにやら音読していた。
母にはご飯を準備して先に食べてもらい 家族には焼きそばを準備していた。焼きそばを盛り付けてテーブルに載せた。
すると お皿から母の小皿にせっせと焼きそばを運んで食べていた。
「美味しい?」と聞いても黙々とそばを食べていた。
「食べたかったんだよねぇ〜」と夫。
母はそれにも答えず 黙々と食べていた。
在宅の頃 焼きそばも母の苦手だったんだけれど...。
昨日もソーメンのお澄ましも美味しそうに食べていた。
苦手だったのにぃ〜。

家の味を思い出したのかな?

雨が大降りになる前に夫に施設まで送って貰った。
施設は いつも通りの時間が流れていた。
テレビ横に座らせて荷物を収納。
良いお天気で 洗濯物も乾いてよかったわ♪

昨夜 私が家事をする時テレビのある部屋で夫とテレビを見た母。
テレビ画面に見入っていた。仮装大賞だったと思う。
母にとって 我が家は 拒否されず 怒られず 自由に移動できる空間があるのだろう。
歩く事だって安定している訳でないので 見守る者は 転倒の危険がないかのアンテナを張り巡らす事が第一条件。


2007年05月05日(土) ふふふっ!


昨夜は明け方までぐっすり。
4時過ぎトイレタイム。
少し大変だけれどトイレ誘導した。
寝起きなので慎重に誘導。
母はニコニコ笑顔。
無事排泄。でも パットは濡れているので替えた。
パットの尿は色がなかった。安心できた。

お布団に入る前にお茶を飲んでもらう。
その後またスーッと寝入った。
それで こちらもまたひと寝入り。

母はご機嫌で目覚め 朝からニコニコ。
食欲もあり 一足先に食事を始めて みんなが終えても未だ食べていた。
一応介助して食べたのだが 更に自分で食べていた。

暫くして テーブルに突っ伏す。
「トイレ?」と聞くと頷く。
トイレ誘導しても痛そう。
「出るの?」と聞くと頷く。
母をトイレに置いて 10分くらい 洗濯機とトイレの間を行ったりきたりしていた。そのうち 無事排出。緩めだったがきちんとトイレで出来た。
やったぁ!
その後 腹痛は続いたが 排泄はもうなかった。良かった。
ひと晩で赤い爛れも綺麗になっていた。
入浴と薬の効いたのだろう。

その後も尿意を察知しながらトイレ誘導。
利尿剤が効いているので いつもとリズムが異なり少し失敗はある。
母もきがついているようなのでプライドを傷つけないように替えて行った。

夕方近く美容院に出かけた。
娘が車で送ってくれた。
連休でお店は空いていた。ラッキー!
洗髪は何とかご機嫌を損ねないでしてもらえた。
少し短めにカット。
パーマは毛先にギリギリ残る程度。でもさっぱり出来た。

お店を出てテクテク歩く。
スーパーに入ってお買い物。その後別の店にお買い物。
「迎えに行くよ」とメールが入ったが バスで戻る事に。
乗るまでは 良かった。
最寄の停車地で降りようとしたら頑固に降車拒否。
ほんの5分足らずの間にお天気が変わった。
「次で降りますから発車してください」と運転手さんに伝えた。
「次降りるよ」と母に伝えるが 機嫌戻らず。
次の停留所で少し待ちながら 少し強引に降りてもらう。
「手伝う事あったら言ってください」と乗客の1人が言ってくれた。
感謝して 降りた。

降りて歩き出せば もう機嫌は直っている。
あの降車拒否は「疲れた」のサインだったのかなぁ〜。

家までの距離が少し伸びて余計疲れると思うが そんな事は通じる筈もなくて...。母はその時嫌だったら それが全てだから仕方ないんだよね。
歩く距離が延びる事だって 母には判らない。

家に着くと娘がリビングに侵入禁止と言う。
どうやら お祝いの支度をしてくれているみたいだ。
娘がキッチンに立つなんて ほんとに久しぶり。
「包丁持てたっけ?」 (苦笑 怒られるかも...)

随分前から「何が食べたい?」と聞かれたけれど 希望を伝えたのは今日の昼。「うなぎ」にして貰った。

土用の丑の日だって上までなのに 今日は奮発して特上。
それも母の分も含めて4人分。有難い事です。
他にひじきのサラダに 肝吸いまでついて...。うふふふ。みんな笑顔!
母も食べる速度が速くて 夫が驚いていた。

その後 ケーキ。ろうそくまでついていた。
母と一緒に火を吹き消した。

母は食べ放題。ほんとに良く入ると驚く。
でもお腹はいっぱいと仕草で表現していた。

今日はお節句なので菖蒲湯。
母も入浴。
入る時 今日もちょっと拒否があった。
が何とか湯船に入って 上がって身体を洗った。

どうやら今日は眠いみたい。
歯磨きをして少し水分補給して就寝。10時半だった。
今もzzzzである。

今日は私の誕生日。
メールを頂いたり 嬉しい一日だった。
母が寝入ってから メールの返信。
今日私があるのは母のおかげ。
だから 母に感謝する日です。
娘も祖母に感謝してくれました。
「あんな 痛がりやで怖がりやのおばあちゃんが よくまぁ〜出産してくれたわ」と感謝なのだそうだ。ふふふっ。


2007年05月04日(金) 我が家へ


 施設に母を迎えに行く。
入所者の方とテーブルを挟んで歌を唄っていた。
母は殆ど唄えない。でも 手を触れ合ってくれていたのでニコニコしていた。
1人の方は昨日 自宅へお泊りの様子だった。
高齢なので 結構大変ではないかと思うが 頑張って連れ帰られた御様子だ。

職員に薬を頂き 身支度を整えトイレ誘導。
便が付着していた。
断続的に出ている様子に見えた。お尻が真っ赤で痛がっていたし 便も緩い様子だった。
「あ〜面会を飛ばすんじゃなかった」と思うも後の祭りだ。
入浴したようで シャンプーの匂いがした。

娘の車に乗って我が家へ。
家について暫くの間は 不安な様子だった。
でも暫くすると落ち着いてきてニコニコ。

しかし 良く立ち上がる一日だった。
排便の関係もあると思う。
夕食まで4回は便が付着していた。
綺麗にすると痛がるので 洗い流して拭いての繰りかえし。
爛れたところには薬を塗布。

生協の荷物が届いてテーブルに苺を置いていたら 取り出して食べていた。
食べても一粒くらいなので 洗ってお皿に乗せて置いたらつまんで食べていた。

夕食前も頻繁に立ち上がるので 流し台で台布巾を洗ってもらった。
洗えるか心配だったが 起立してしっかり洗えた。
濯ぎは無理だったので 濯いで渡して洗うの繰り返し。
すっかり綺麗になった。
洗うという事は 動作を交えて御願いした。
ちゃんと理解できたようだ。

夕食もきちんと食べた。
介助ありで3.40分。結構速いペースだった。
薬を服用してから 暫く遊んだ。

「眠くないの」と聞くが「眠くないよ」の返事あり。
後片付けを済ませて振り返るとテーブルに突っ伏していた。
「お風呂入ろう」と誘うと立ち上がる。

服を脱ぐまでは順調だったが 浴槽に入って貰おうと思ったら拒否。
裸なので「風邪引くよ」と言うのだが「待って」の繰り返し。
体の向きを変えながら幾度かチャレンジして 1番安定する形で入浴できた。
母の様子を見ていると湯船が深くて怖いように感じていると察知したので湯船をあまり直視しない態勢をとったのだ。
怖がる理由はその都度異なる。
足を上げるときに不安定なのを怖がる時もあるのだ。

湯船に入ったら 目を細めている。
入る前の小競り合いはもう記憶に残っていない風に見えた。

お風呂で牛若丸の歌を唄う。
全部を唄う事は出来ないが歌詞を時折思い出した様子。
振り付けも思い出していた。

家について暫くしてから 母の頭はしっかりしてきたようだ。
トイレ誘導の際に「出る?」と聞けば「出ない」と言い。
確かに出なかったし 「出る」といえば ちゃんと出た。
これだけはっきりとした意思表示は 最近はなかったので ほんとに驚いた。

入浴後身体を良く拭いて 薬を塗布。

2階に上がって就寝。
暫く目をパッチリ開いていたので 娘と3人で遊ぶ。
たらこをしっかり抱いてニコニコ。

眠くなってきたようなので 小さな灯りをつけて下に下がってきた。
でもまだ眠っては居ない様子。機嫌は悪くない。

施設では いつも早く寝ていると聞くが 家だと10時は軽く越してしまう。
今日は超遅い。



2007年05月03日(木) 家族の日

憲法記念日。
安倍さん 憲法改正しないでね。
特に9条変えないでね。
 
 今日は 家族揃ってウォーキング。
青空の下 テクテク。
父の話 母の話をしながらテクテクテク。

河原ではバーべキューをしている人たちがいっぱい。
娘が言うのには ブログにアップするためにバーベキューする人もいるのだそうだ。

家族連れ 仕事仲間 学生たちと様々。
固形燃料を使う人 炭を使う人それぞれだった。
でも薪を燃す人は 見かけなかった。
時代が変わったのですね。

本当なら 母も連れて歩きたかったが 歩き続けるのは無理。
以前と比べて ベンチに寝転がって居る人が多かった。
ベンチに寝てしまうとその場所は独り占めすることになる。
気持ちよいのは良いけれど 休みたい人だっているんだろうに...。

道の端にポピーが咲いていた。
「キャー」と娘が叫んだ。
「何だろう?」と思ったら小指の爪の4分の1ほどの小さなポピーが咲いていた。オオイヌノフグリの花より小さいではないか。
その前で 家族3人 しばし立ち止まって眺めた。
日当たりが悪いのか 栄養が足りないのか...。
それでも 花を咲かせている事に感動!

気持ちが乗った夫が更に遠回りをしようと提案。
その気になったのに...。
昼食タイムが済んだ頃 夫の気持ちは萎えてしまってた。
小さな山に登って 電車を使ってバスに乗って戻った。

ご近所は 皆さん近くをウォーキングなさったようで...。
混雑する行楽地へ足は向かなかったみたい。

その後 夫と菜園へ向かって水遣り。
ナスの苗が強い風にあったせいか弱っているのもあった。
明日は苗に風除け作らなくちゃ...。

明日は 母を家に呼ぶ予定。


2007年05月02日(水) 連休が明ければ...


 午前中 銀行や買い物に走った。
菜園の賃貸料の振込期限が迫っていた。
また連休中の催しもので 刃物工場から研ぎやさんが見えるので包丁を持って行き研いで貰う。
普段 家電ショップまでなかなか行けないので 買い物ついでに廻ってプリンターのインクを購入。
確か2週間前に黒のインクを替えたばかりなのに もうインク切れ。

あれやこれやと用を足して家に戻ると昼過ぎ。
でも 用事が順調に片付くと幸せな気分になる。
急いで昼食を摂って 外出。

介護保険のことでちょっとした話し合いである。
うちの地域でもサービス利用の削減はじわりと始まっている。
介護者が追い込まれていると感じる。

ここに来て目立つのは 例の事業所の架空請求の影響ではないかという話になった。介護者の大変さは現場では理解されていたと思う。
だから急激に削減される事はなかったように思う。
「介護者は甘えるな」と追い込まれていくような気がする。
他の地域でも同様のことが始まっているようだった。
この件に関しては また別の機会に書き留めたいと思う。

1時間半位で終わるかなと思ったが結構長引いてしまった。
仲間が成年後見推進ネットを立ち上げた。
その手引書が仕上がったというので見せて頂く。
工夫の多いものだった。
後見人制度と言うだけで素人にはお手上げと言う感じがするのだが 判りやすかった。
頑張るなぁ〜とつくづく感じた。
連休の予定はこれで終わった。

残る日は 母と共に...。
連休が明ければ弟がやってくる。
あれこれ考えた挙句 家と母の施設の間にアパートを借りる事に決めた。
食事は我が家でという事になるんだろうな。
弟は2度目の血尿の顛末は知らない。
果たして弟は母に何回会うかな?


2007年05月01日(火) 介護者の会


 お弁当を作って夫を仕事に送り出して 家事を済ませて菜園に出た。
なすの苗を頂いて もう1週間近く経過した。
夫の出番をなくしてはいけないと思って「忍」の一字で我慢したが もう苗を放置出来ないからだ。

夫が「ナスを植える時は 深く掘って肥料を入れて それから土を被せて植える」と言っていたのでその通りに作業した。
今日取り組むと決めたのには もうひとつの訳がある。
それはお天気。
午後から雨と言うので それなら水遣りも手抜きが出来ると踏んだからである。

苗を定植した頃に雨がポツポツ。
天気予報では風も強まると言っていた事を思い出して 急いで支柱を添えた。いつもなら苗が小さい頃は 低めの支柱を添えるのだが今回は太目の物にした。いつも太いのに替えるのが遅れてしまうから。

雨は急に強まる風でもないので 少し苗に水をあげた。
それから 空芯菜の種まき。
先に蒔いた種は 畝に緑の行列を作っていた。
まだ双葉だが それぞれ尖っていたり ハート型だったりと様々だった。
勢いが1番感じる時でもある。

草もポツポツ増えてきていたので 草取りも。

今年は菜園の片隅に肥料も水を汲み置くバケツも置いてある。
バケツは大きい方が良いかと思っていたが 水を汲むと途中一休みしないと運べないくらい重くなる。ちと失敗だったかもしれない。

じゃが芋も芽を出していた。
生育具合を見ながら芽掻きをした。
まだ菜園には余裕がある。
この次は 何を植えようかと考えている。

1時間半位で引き上げた。

今日は 介護者の会があるのでその準備。
資料は昨日のうちに引き出したが 他にも頼まれた物もあるし...。

昼食を摂って 娘に送ってもらう。
いつもより少し遅れ加減。

会場に着くと地元のNPO団体の学生さんがテレビカメラを持って見えていた。
そうだった 先日のフリマと今日の会の様子を撮影し 活動風景のデモテープを作るといってたなぁ〜。
ほんとに記憶が抜けていくなぁ〜。

急いで会場の準備をした。
連休と会報の送付が遅れたのとで 出席はいつもより少なめ。
でもこれくらいのほうが ゆったりとお話できる。

会はいつもように活発な話が飛び交う。
勿論 笑顔である。

遅れて始まった事もあるが それでも話は時間が過ぎても続いた。
最後に取材に見えた方が感想を言ってくれた。
「すごいです。これだけの人が集まって それでも少ないという事。また笑顔で 介護の心配を語り合えて...。良い会ですね。もっと広めたいですね」と。この方 ヘルパー経験者で ご主人は特養の職員だという事だった。
うちの地域の特養ではないが 近隣地区であり 会員さんの中でショート デイを利用なさっている方もいる。
評判が良いところでもある。
施設見学も出かけたことがある。

会が終わってから 母の所に薬を届けに出かけた。
母の経過を記したメモを持って 娘が罹り付け医に出かけて処方してもらったのだ。
母の夕食は後一息で終了と言う所だった。
職員と話して 母の頭を撫でて そうっと施設を後にした。

色のついた尿は止まっているようだ。機嫌は少し波があったという事だ。
全体的には落ち着いているという事だろう。


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