『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2007年12月30日(日) 余韻。

よく、ころんだ日。
気がつくと地面にいる、
やわらかく世界が回転して
床に、ころがっているわたし、わたし。

なぜに、と
あきれられるこの
たやすい足元。

そとに出てゆく。
相棒のせなかにくっついて、外をみていた、
このひとはときどきシェルターとはいわなくとも
くもりがらすの衝立のように
わたしと、外のあいだをふさぐのだ。

年をこえるためになにかがほしくて
みかん色の実をつけた濃い緑の千両と、フリージアを一本
お花屋さんで購入。
うちにある、褪せた紅のよなスカビオサといっしょに玄関にかざりましょう。

そしてころぶ。
ころびつづける。
お薬の副作用は、ココロらしきところがよわったら
強く出てくるのだろうかとぼんやり思う。

今はそれ以上考えたくないよ、
感じてしまうから。きっと
くりかえし訪れたさまざまな死や
心臓を壊すような音で鳴った電話のことを
なにもできなかったあたしを
なにもしなかったあたしを

ヒステリックに、わらう。
元気とはちがう陽気をふりまいて今年はおしまいになるのかな。
おしまいなのかな。
あのひとを悼むための涙はかけらもなくて、
泣く権利なんてないからと言えば、それは
あたしのなかではホントウだった。

なんにもね
なんにも
手を伸ばして触れようとすることさえ
指のひとつを、しっかりと
握ろうとすることさえ


12月30日、つよい風の日。真火



2007年12月29日(土) やわらかすぎたせかい。

せかいが、あっさりと、くずれていった。
ものの一秒かそこらの出来事。

勝手な話だけど
勝手な話だけど
あたし
だれも、みおくりたく、なかった。
ことしは
ことしこそは
だあれも。

「祈っても願っても生はもっとずっと大きな手に握られているの?」

冬の、世界の、どんづまりあたりで
あたしが知る
遅ればせながら
あたしが知ってしまう。
いのちのなくなったこと。

「今度も、あたし、なにもしなかった。」

いままでにいなくなったみおくったひとたちが
鮮やかにたちあがって、あたしのまわりをぐるぐるまわる。

だれもだれもうしないたくはなかった
ことしのさいごに

あのひとにさようならを言わなくちゃいけない。

お姉さん、だった。
あったかいを、くれた。
でも、どこを探してもいないんですね、
お姉さん。

せめて、あおぞらをたくさん
おくります。
あなたが好きだったそら、
あたしの拙い写真でもよろこんで
持っていてくれたそら、
あおいそら・・・・・・
なにもなにもできなかった、ごめんなさいごめんなさい
なんで。


……謝るくらいなら何かしておけばよかったんだ今畜生。


ぐらぐらと
せかいがゆれて
あたしが
ねじふせたなにものかが
地平線の向こうに、巨大にかげをあらわしてく。

ちぎられるように消えなくちゃならないいのちなんて
もう、みたくなかったんだ。


だれか。



真火



2007年12月13日(木) 裂け目からひがしへ、つづく昼間へ。


ぼくが

まだ

傷口の淵にはんぶん足をとられたままでいるあいだ

あなたは

ゆっくりとむこうへ

まなこを強くもちすすんでいった、そのことが

うれしくて

うれしくて

うれしくて

うれしくて

すこしかなしい。




冬の雨はきらきらとひかるのだ。

三冬月半ば、真火



2007年12月04日(火) 囁。


ほんとうは自分はイラナイものなんだって

なにかの誰かのぼくのカンチガイで
いきていて息をして
傲慢にも笑っていたりするけれど

ほんとうはいらないものなんだって




それだけが確かな刻印になりそこらじゅうに
焼きただれる。あらゆるとき、あらゆる場所、
見上げれば浮遊する巨大な岩山…マグリットの絵画のように


みえる

きえない意味の、意味ない縄の


焼き印を押されない羊は
喰われたとてだれも
さがしにくる義務はもたないね




玻璃の文字はがらんどうの音をたて、胸の底にたしかに落ちた。




三冬月三日、真火


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