目がさめたら大きな風がふいているのが苦手でしかたなくて 叩きつける雨の音がからだに痛くてしかたない おふとんから外に足を出すのがこわいんだよとか とうてい、信じてもらえないようなことを言っている びくびくと震えるのは なんでだろうって自分でも思ってみれば不思議で
風の音がきこえると無性にげんきがでるとか そういう時期も、あったような気がするんだけれど
どこに消えたどこに行った あのときの飛び跳ねるような わたし?
とりあえず台風で
風の音がたぶんわたしよりも苦手なんじゃないかって そういう人を知っていて風が吹いてくるとそのひとのことを思う 音沙汰がなくても そうやって思い出している人はすごくたくさんいる こちらから声を出すことが少ないから さよならって思われてるかもしれないけど
ちっとも、忘れてなんかいないよ
沖縄音楽 アイスクリーム 沿線の黄色い花群落 つめたい雨 ミヤザワケンジ たくさんの地図 売れてなさそうな映画 ふてくされた顔
まつわりつく思い出と一緒に 誰かのことと一緒に わたしのまわりには無数のものがちらばっていて わたしからこそぎ落とせないものが すなわちそれであって
10年も思い続けてやまないひとのことも 15年も会ってないひとのことも このあいだ、ばいばいって言ったひとのことも 同じようにしぼりとられるように思い出してしまうとき 昨日にしがみついているわけでなくて、ただ こうしていることのほうがナチュラルだということ 口に出したらつまらない話ばかりで 誰に向かって言うわけでもないけど
……わすれたらきっとらくちんなんだと思う、すくなくとも こうじゃないわたしに少しちがうものになれるのはたしかだと
台風なのに雷鳴までなりひびく 大きな風に大きな音 ばりばりとくずれる こわいことみんな早くとおくへ行ってしまえ ほんとうは ぜんぶわたしの中に潜んでいると わかっているけど
9月29日、夜
2004年09月28日(火) |
みちたりた月、ひとがたの漂流 |
さいごまでたたかえないのは 卑怯だっていつも思っていて それでも、ずるずるとそっちに行ってしまっているような気が してならない
ぼくはなにになりたかったんだろう
かたっぽだけつらいならなんとかやってゆけるし いつか終わるからと言い聞かせることににも少し慣れたけど 両方つらいときの暮らしてゆくやり方は ちっともうまくなれず
坑欝剤は効かないのであるけれど 性格が悪いんだから仕方ないよって そういう方向で半分あきらめながら でも、頼りたいときが出てきてしまう
気温が低くなる と同時に さがってゆくもの
……別に、たいしたことじゃない、どれもこれも
ひとなみの生活パターンと行動範囲のなかに ちゃんとおさまっていることができたら、 少しは、生きていてもいいと言ってもらえるのかも 知れないのに、目障りだどっか行け、ばかりじゃなくて。
ひとつののしられるごとに ぼくはたからものをひとつなくし あしもとをひとつなくし いきているりゆうをひとつなくす
ばかみたいに
くりかえしこわすたからもの やわらかくあたたかだったものが ひえきって ただつみかさなる泥まみれの ひからびたものにかわるとき
お人形のおしゃべりはかんだかく 地面から1.3メートルのところをうかんでいく ごめんなさいここにいてごめんなさい 何をしてもぼくが正しくなることはありえないと思う 選択肢をつくることも選び取ることも、ぼくには権利がないと思う その場所がぼくの思うところの漂着地点で できるだけ気配を消して邪魔にならないようにしなくちゃいけないって 肉体を消せないにしても、それに近いところへゆけと なぜそうなるのか、よくわからないけれども
そとの月があかるいと言って 今日は、くもりのち晴れ みちたりた月が おそらのまんなかにさしかかる
9月28日、夜
庭の韮の花がきれいだよと相棒さんにてがみを書いたら 返ってきた返事でどんな花かわからないと言うので じゃあ今度写真を撮っておくねとこの前約束したんだけれども 気がついたら毎日毎日が すぎてしまっていて 今日もまた、すぎてしまった。
縁側につづく窓をあけて外を見たら 物干し竿の下で、もう半分は 緑色の実を結んでしまった韮が すっくりといくつも立っていた、すでに遅い。
花のいろは一年に一度、ほんとうにそれだけ。
お隣との堺に芽を出した一株が 咲き始めるのがなぜか遅かった、それだから そこだけはまだ花が残っていて 半球を描く星のような白。
明日こそはちゃんと約束を守りたいと思った、いろいろに負けないで。
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はずみで「ブラッドレッティング」という本を買ったのだが オーストラリアの女の人が書いた本、 (買うべきではないという声があることはとりあえず無視して) その本が私の役に立つかどうかは、ともかく 自傷にまつわるイメージについて憶えがあることは、あった 人の手首を見るのがわたしはすごく怖いのでした とくに、血管が透けて見えるような手首が 見ると空中にふわっと血脈だけがうかんで、それが ばっさりと痛くて痛くて痛くて逃げたいんだけれど イメージだから逃げられなくて泣きそうになること 元気だと忘れているイメージのこと
今まで気がついたことがなかったかもしれないな 考えてみれば不思議なイメージかもしれなかった そういうものが頭の周りをぐるぐる取り巻いているのって
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白い曼珠沙華を見ました 蝋細工のようだといつも思います 精巧で、息をしていないみたいで 生きているはずなのに、はじめから 生まれてこなかったみたいで
……たぶんぶっこわれる一歩手前だというのはわかっているんだけれども くるしいと言いたくなるその鼻先で手のひらを返して あんたなんかその権利はないと自分で自分を締め上げるから 先に行くのがいやなのに止められることがない、止める理由がない。
口から生まれる言葉のひとつも信じられない 警戒心でじぶんを棘だらけにしておいても 人のことを傷つけるのは避けられないんだ ぼくは、そのように、できてしまっているから
ブレーキがたくさんついている 捏造だとわかっていてもだめで すきだよとか言われてもだめで 一本の綱渡り、ふみはずしたらおしまい。
前か後ろかどっちかしか道はないのに どっちに行くのもだめだって おまえはどこにも居られるわけがないんだって 何も選べないし何処にも行けないし 何をしてもだめなんだ、あれもこれもそれもだめだ、 そういうふうに大きな声でたくさんたくさん 逆らえない声がする
人に好かれるはずもないし 人に頼る権利なんて増して ひとかけらもない
前にきたとき ぼくはどうやって ここを出て行ったんだろう
2004年9月24日、朝〜夜
2004年09月19日(日) |
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ひらがなをすてることが どれだけわたしに痛手かなんて よくわからなかった
キノウをあたらしく書き換える 自分らしさが減ってもいいから 覆い隠されたくて そういう理由で手を加えるのははじめてだった
なぜ、こういうことをしないといけないのか 自分の中の機構がよくわからないけど 守りたいものがたぶんあるのだと思う、 たぶん、守りたいものが
……まもりたいもの。
まもりたいもの、すきなもの、すきなひと、 それがあると 醜くなるのはかんたんで ひきかえに外に刃向かうことも傷つけることも いくらでもできるようになってしまう わたしは、そうじゃない方法をほんとうは探したかった どうやったらできるのか、 わからないけど
戦うのは、かんたんだけれど、かんたんじゃない、 守る、という言葉のもとに同じものをぶち壊すのも きっとすごく、たやすい気がする 何のことも傷つけないなんて幻想でしかないかも知れない ただのきれいごとでしかないかも知れない 少なくとも どうしようもなく出来損ないの私にとっては それはすごく遠い遠いところにあって もう10年もそこばかり目指しても 実際のところちっとも近づけてはいないのだ
あしあとをすこしずつ消していく 気配、薄くなれ 薄くなれ 消えてしまえないから薄くなれ
約束は守らなければいけないと思っているから だから
なくなるかわりに。
2004年9月19日、ひるま
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