『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2002年06月26日(水) 夜生。


日付の感覚が、すっかりふっとんでいる、きょう、このごろ。
明日は勤務日かとずっと思っていたがそうではなかったらしい。
眠るサイクルが24時間単位ではなく12時間単位で
しかも、まともな状態で起きていられる時間が数時間だから
たぶん、日付の感覚が消えてしまったのだと思う。

今日は、なんにち?

今日は、なにようび?

とくべつでもない質問ですっかり混乱してしまう自分がいる。
この間はばったり会った先輩に、
今週末に迫っていたOB会の日程のことを知らされて、驚いた。
その会が6月末にある、という記憶はあるのだけれど
その記憶は、
その6月末が今週末である、という認識とうまく結びつかず
つねに「来月である」ということに、あたしの頭の中ではなっていた。


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体重が落ちた。
それとともに、
体力が落ちた。

あるいは現実への抵抗力が、なくなった。

目覚めてから数時間すると眠ってしまう、おかげで
朝ごはんを家族と共にしようとすると、夜ごはんのときに眠ってしまう。
夜ごはんを共にすれば、朝ごはんには起きられない。
どっちを犠牲にしたとしても
家人には、不満と心労が募るのである。

夢がとろけだして現実になりかわりはじめた。

あるいは

現実から顔をそむけて夢のなかに生きている。

どっぷりと。
喉元まで飲み込んだどろどろした夢は
うっすら甘い機械のような匂いがする。
危険信号、とあたしはそれを呼ぶが
けれど現実に戻るにはまだ
勢いがたりない。

図書館の自分の背よりもはるかに高い、洋雑誌のびっしりと並んだ書架のあいだで
しばし、うずくまって、泣く。
じぶんの手のひらを見つめて、泣く。
涙が出ないまま、こころのなかで、
泣く。


元来、夜行性というわけではなかった。
けれど今はすっかり夜行性になってしまった
あたし、という名前の動物。
なんにしろ、からだのなかに、
しっかりした支柱をもっているひとがうらやましかった。
妬みというわけではなく、ただ
うらやましかった。まぶしいようにうらやましかった。

「まっしろで、まっすぐなほねを、からだのなかにかんじて」

幾本かのそれに頼って
それでも、意味のあることばを吐き出したいと
ずっとずっと思っていた。


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 「無駄金と薬ばかりは飲み干したよ。さあ、次は、どこへ行ったらいい?」


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さむい。

さむい。

さむい。


  さむいねと話しかければ寒いねとこたえる人のいるあたたかさ   俵真智


困るのはさむいねと話し掛ける人がいないということ。
ひとりでいるのはしんどいのだけれども
かと言って、誰かが傍にいればしんどくないのかと言えば、
それはまた違う。

なんて、わがままな、ぼくだろうか。

ゆっくりお茶を入れて飲み干す。
ふとんにもぐりこむ。
ぼんやりと窓の外をながめて
そうして眠る。
片付けなければならない、あれやこれやの事柄からすべて手を離して
わたしが眠りにつく。

それらの事柄からわたしが手を離されるのは、いつになるのだろう。


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最近てがみの返事が滞り気味。どうもごめんなさい。




2002年06月23日(日) 誰かのための花束。


ワールドカップの真っ赤に波立つ応援席もいいけれど、
暗闇の中でほのあかるくうかびあがる
うすももいろのあの釣鐘のような花のこともわたしは記憶に刻み付けておきたい、

と、思う。


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  6月23日待たず 月桃の花散りました ふるさとの花


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今日は、沖縄の日です。
沖縄決戦終了の日、投降の日。

8月15日ばかりが有名で
12月8日がうずもれているように
6月23日というこの日付も、また、
ちいさくちいさく
うずもれているような気がします、365日という一年間の日々のなかに。


誰も、ひとが死なない日なんて、一日たりともありはしないのです。

ひとが、ひとを、殺さなかった日も、やっぱりありはしないのです。


ただ。
ひとが、ひとを、殺すのをやめた日。
ひとが、死ななくてもよくなった日。
そういう日も、幾日となくあり、
365日のなかでひっそりと息をしているのだろう。
わたしはそれを、知らないけれど。

たとえば
だれかが、もっと、ひととして生きようとした日。
わたしの誕生日は、そんな日だったようです。
ロシア革命記念日。

ソ連という国が消えたと同時に、消えた日。


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昨日、展覧会を見にいきました。
知り合いが出展するというので
久しぶりに、絵を見に行きました。

わたしは、絵を描くのは好きだし、ものをつくることも好きなのに
展覧会のようなものには、滅多に足をはこびません。いつからか。
そこにまで足を運んでゆく原動力というものがすっぽりと
自分のなかから抜け出して行ってしまったらしく。ただ、
知っている誰かがそこにいる、という口実がわたしを動かすだけになりました。

エンターテイメントが、毎日から消えていく理由。
それは、わたしがひとりじゃ何もしようとしなくなったから。
ただただ自分の楽しみだけを理由に足を運んでいく力を手放したらしい、それだから。

「まるで半分死んでるみたいね。」

くすり、と笑っても、
言葉ではなんとでも、言える。
楽しみだけを理由になんでもしているように
傍からは見えるでしょう。


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自分でえらんだ花を持っていきました。
サトくんのときも、そうだったけれど、わたしはやっぱり、
誰かに花をあげるときは、一本一本を自分で選んで摘み取りたいと思います。
誰か。
誰か。
その誰かがなにか特別な誰かであればあるほど
そう思います。

藍色のブルーファンタジア。
ころんとして紅いストロベリーキャンドル。
名前を知らない、みどり。
それでかこまれた、まっしろなバラ、2輪。

花屋さんにお仕着せで頼むと、こういう色の組み合わせの花束は滅多に作ってもらえないから
一輪一輪、花を投げ入れてある銀色のスタンドからえらびとって組み合わせて
ひとつの花束を編みました。
白いりぼんを結んでもらいました。

先の三月。ともだちの誕生日にも、やっぱり花を編みました。
黄色いスプレーバラと、うすい黄色のりぼん。

サト君には、ただ、ひとかかえもふたかかえもあるコスモスを、あたしはあげたかった。
風にそよいで雨に打たれてしなだれて踏みつけられて
それでもまた立ち上がる、
うすもも色に、濃いもも色に、ふるふると震える、でも強い強い花を、
あたしは、
あげたかったな。

いつのまにかそれは、墓前にそなえる花になってしまった。
あなたに届くわけではない花に、なってしまった。
それでもわたしは
あなたに、ひとつの花束を編みたいと思いつづけて、ここにいる。

この手で、あなたに、
ひとかかえの花束。


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月桃の花を知ったのは2年前の夏くらいで
沖縄を舞台にした映画のタイトルテーマ、でした。
うすくらがりでぼうっと光るようにきれいでした。
でも野性味あふれて、その筋も茎も繊維もなにもかもが役に立つということでした。
確か、そういう花でした。

焼け野が原になった沖縄を、わたしなんか知りません。
それはいくら知ろうとしても、届かないことのひとつです。
でも、届きたいことのひとつです。


台風直撃を覚悟で宮古島をたずねた折、
碧の海とまっしろな砂浜とがらすのかけらを拾いあつめて
茶色く乾いたさとうきびの森の中を歩いて、シークワシャーを齧って
そうして嵐が来て。

案の定、帰る予定の日に飛行機は飛ばず、道は川のように雨水があふれて
わたしは泊まっている宿の部屋にこもって
大風にうねる外の風景をみていました。
それから見慣れない天井とを、ベッドに寝転がって、ずっと見ていました。
一緒に泊まっていたのは出稼ぎにきた建設屋のおじさんたちで
ごはんにはアーサー汁や沖縄のおそばを出すような、素朴な宿泊施設でした。
決して、リゾートなんかじゃない沖縄のうちでした。

本島までやっとのこと戻った翌日。
戦跡めぐりをしてくれたタクシーの運転手さんは
英語なまりの日本語を話していました。
沖縄の旧陸軍大本営跡の、その場所は、
岩をけずりとって掘られた、複雑に入り組んでねじまがる細い通路でつながれた暗い洞で、
いたるところから、水がしたたっていました。

「ここで生きていたひともいるのだ。」

遠い昔のお話のように、でもホラー映画よりも生々しく
現実は遠くて、そうして肌に触れてくる闇は怖かった。
ひととおり通路をくだりのぼり、足元をすべらせながら
やっとのこと、逃れ出てきた外の世界は、青くて、青くて、碧かった。
まっしろな太陽。
焼けつくお日さま。


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57年目の今日。
日本と韓国が一緒になってサッカーの世界試合なんかを主催している。

こんな風景を、誰も、想像なんてしなかったんだろうな。
だあれも。


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展覧会でみた絵のなかに、「蔓」という絵がありました。
銅でできているみたいな、植物でした。
すこし、気に入った、絵。
その隣の、ぼんやりとした、粘土色の薄灰色の水色の、絵。


「うすみどりの芽が海の砂漠から伸びてくるの、それで花を咲かせるの、
 でもその砂は水でできているの。でも砂なの。でも海なの。海の底なの。」


こんな、拙い感覚で、
それでもことばがつうじたなら


わたしの選んだあの花の色は、たぶん、まちがっていなかったんだろう。


まっしろに咲いた花と
とりかこむみどりと青紫と
でも、
そのなかに降りかけられた、ひとしずくの紅。

あかいいろが好き。
いつも、どこかにひそんでいる、
そうして何かをささえている、
あかいいろが、好き。


月桃の白い花びらのなかにも、ひっそりとあかい色が沈んでいると思う。
6月23日を待たないで
散ってしまったという、花だけど。


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  ねえ。わたしのなかにもあかいいろはあるね。
  血、という名前のつけられた
  とてもたくさんの「きれいな」あかいいろが、
  ほんとうは、あるんだよね。


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日付になんて意味はないかもしれない。
でも、あの乾いて重たい空気の下に、たくさんたくさんたくさん流されただろう
たくさんの人のからだのなかにあった、たくさんのあかいいろのために
わたしは今日を
おぼえていられたらいいと、おもう。

「せんそうはまだおわらない。」

なんと言われても。
紺碧の海とまっしろな砂浜とまぶしいひかりと
あつくてやさしいものだけが、あの島を作っているのじゃないと
おぼえていられたら、いいと思う。


あなたがやさしさだけでできているのではないように。

わたしが病気だけでできているのではないように。

すべてのことばがあなたと共有できるわけではないように。




2002年6月23日、記  まなほ



2002年06月19日(水) 今日みたく晴れなら。


久しぶりにバイト以外で、外に、出てみました。

うん。

おおよそ、
10日ぶりに。

今朝未明。
このあいだの精神科通院のときに、あまりの眠れなさに
お薬を変えてロヒプノールとかいうのになったというのに
いつのまにか相変わらず中途覚醒するようになった自分に
腹を立てて、(だって、3時間半じゃ睡眠は足りないと思います……)
午前4時、目を覚ましながらもベッドに居座り続け
居座り続け、
居座り続け、、、
起きているのにくたびれたころに、二度寝する。

…あまり二度寝といいませんね、これは。(笑)

そうして。


落ちる。

………前は兄の上に落ちたと書いたような気がするけれど、今度はベッドから落ちる。

(だって寝返りをうったらその先にマットレスがなかったんだもん)


「・・・・・・痛ッ!!!」


そしてあたしは無事(?)に目を覚ましました。
いつもは眠っている、昼間に。


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カーテンをあけて窓を開けたら、今日は久しぶりにひるまもきれいに晴れていて、
目の前の高校からは、なんだかわからないけれどはしゃぐ生徒の声が
聞こえていました。内容はわからないけど
ちょっぴりなつかしい
母校の、だれかの、声。
まぶしい、声。

あまり明るいところを見るのに慣れていない目は
ひるまの晴れたひかりをみると、きぃんと痛み。

はしゃぎすぎて馬鹿さわぎしすぎて
先生にたしなめられている台詞なんかを、
耳が、ふと、とらえれば
くすくすと笑いながら、涙ぐみそうになる、
あたしがいます。


ねえ、高校生のころ。
17歳のころ。

あたしはね、とってもね、シアワセ、だったよ。
生きていたなかではじめてなくらい、とっても
シアワセ、だったよ。

……届いたらうれしい、そのころ一緒にいた誰かへの告白。


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久しぶりのお出かけ先は、病院(皮膚科)、でした。
なんか、ぜんぜん色気ないやねえ、あたしってば。(苦笑)

まだ、気分的に喪中のあたしは。
あの、黒い帽子をかぶって
自転車を走らせて

あ。
そらって、こんなふうだったっけ。

あ。
この道って、こんな色だったっけ。

あ。
いつもの朝の、交通整理のおじさん。

あ。

あ。・・・

風を切って、走る。
そのきもちのよさを思って
まだ、あたしは人間なんだなと、ふわりと思いました。

だから、まだ、だいじょうぶ。

だいじょうぶだよ。

(どこかで泣きそうになってる誰かへ)


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しかし。(苦笑)

そんなきもちのよさを吹き飛ばす勢いで、
皮膚科はなかなか精神修養ではありました。
じぶんが
ただ、怠け者でここから動かずに座り込んでいるのでは、なく、
精神的に、どこか病んでいることを引きずり出される瞬間の、連続。
そこはかとなく絶大な恐怖。ところかまわず震え上がるからだ。狭くなる視界。
ぶれる視界。足の、力が抜けてく。崩れ落ちそうになる。
あいた椅子に座ることもなく(今座り込んだら二度と立てない)壁でからだを支えながら
がたがたと、震えながら
ピルケースから、白い錠剤ひとつ取り出して、のみくだす。

うまく息ができない。できない。

酸素切れの金魚。

ぽこぽこ

ぽこぽこ

あたしはおさかなではないのだから
水のなかでは死んでしまいます。

(そうでなければよかったのに)

お薬だけをもらって帰りました。
清算のときに
震えて硬貨をうまくつまみ出せない手に
いらだたしさと、あせりを、感じながら。

外に出ればそこは知らないせかいだった。
ああ
また、切り離されちゃった。

わたしだけ蚊帳の外。
または
わたしだけ卵の殻のなか。

逃げ出すように薬局を出て自転車にカギをつっこむ、
なのに押し込めない。
おかしい、おかしい。
がちゃがちゃとカギを入れては回そうとするのに開かない。
そうしてふと、
その自分が格闘している相手の「24インチ」というサイズに気がつき、
籠の黒さに気がついた。
じぶんのばかさかげんに薄笑いしてしまう。あるいは
押し殺して気がつかないふりをしていた内心の動揺に
気がついて。

5メートルかむこうにあった、「あたしの自転車」を探しあてて
そうして今度は、ぶじ、がちゃりと音を立ててカギをあけ、歩きだす。
26インチの、うすみどり色の相棒をひっぱって。


昨日。
バイト帰りに乗った電車でいつしか眠り、浅く浅く眠るなかで
ひどくきもちのわるい夢を見て目を覚まし
目を覚まそうと努力しながらまた夢に引きずり込まれ、恐怖にまみれ、
目を覚まし、そしてまた悪夢に引きずり込まれ、
いやというほどそれをくりかえしながら電車をおりて
ふらふらと、転びそうになりながらあずけていった写真のカートリッジ。

プリントされたそれを、ひきとる。
「おなじみの」フジカラーのフィルムショップで。
愛用しているハイネックの長袖のカットソー、
そろそろ袖の短いものに変えないと、湿疹とかゆみが悪化してしそうなため
お店の人に相談をしてみようと、「行きつけの」お洋服やさんに寄り、
「いつもの」お姉さんとお話をする。
そして、フィニッシュ。
東京やら東京大学やらに行ってしまったモノズキな友人たちのために
「行きつけの」紙雑貨屋さんで、何枚かのポストカードを買った。


・・・・・・いそいで、いそいで、辿る。「正気に返るためのいくつかの手順。」


そうして、また、
自転車に乗って帰り道をたどる。

まっすぐに
まっすぐに

落ちていく鴇色のおひさまにむかって自転車を走らせていく。


これだけが、あたしの一日です。
働いているみなさん、ごめんなさい。
なにもつくらず、なにも苦労せず、
食いつぶすばかりで、ごめんなさい。
おかねを使うばかりで
なにも生産することはせず、ごめんなさい。

ごめんなさい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


サトくん。
ごめんなさいを数え上げると、息がつまっていくね。
足元が、どんどん狭まって、もろくなっていくみたいだね。
近づけないひとが、どんどん増えていって、どんどん、かなしくなって、
瓦礫の上に立って、ごめんなさいを言い続けて
足元がくずれたら
いっそ楽になるかもしれない、
そう思っちゃうようなときも、、、、、ある、ね。


最近、よく、ものをなくします。
わすれもの。
おとしもの。
買ったはずなのに見つからないもの。
記憶がないの。


そんなじぶんに、
苛立たしさとふあんを思いながらあたしは今日も
ここにいました。生きていました。


「今日みたく晴れなら」


きっと。

泣くのではなく。

眠るのではなく。

微笑んで、笑って、おどるような足取りで、

あなたのとこまで、会いにいける。

きっと。

きっと。



          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・親愛なるきみへ。臆病でちびなうさぎより。



2002年06月16日(日) 朝と昼と夜と。


たまには短いことばを書いてみたい。

冗長なんじゃなくて。
殺ぎ落とされたことばで、いらないものなんてひとつもなくて
鋭利な、シンプルな、
ことばを。


ずいぶんとおかしな夢だけど。
でも本気でそうだったりする。

あたしは、嘘はつかないことにしている。隠し事がいくらたくさんあっても
嘘はつかないことにしている。


吐くときは盛大に吐くことにしている。
一生、
それこそ
白い骨になっても飛び散ってだれかの耳にはいることなんてないくらい
後生大事に。自分でも本当だと信じられるくらいに、盛大に。


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たとえば、隔日に日記をかいてみる。

この日記の設定を決めるとき
あたしはなんとなく習慣で、それに冗談もふくめて
翌日に跳ぶ場所を「あさって」と指定したのが、ほんとうになってるな、
と笑いながら、書いてみる。


ほらね、ほんとうになったでしょう。


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ひとあめごとに緑がもりあがっていく。
それに重なるように
わたし、が、落ちていく。


雨は好き。

でも、このからだとこころは、雨にきらわれている。


わたしには
ゆくあてのない片思いがいっぱいあって、
みんな、それに気がついたその場所で、かたまって、ころがって、
打ち捨てられて
泣いてる。


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ああ、朝鮮朝顔が、見たいな。
あの、毎年根元まで切り詰められるくせに
春になればにょきにょきとのびていって、どこまでものびていって
あたしの頭を追い抜いて雨宿りができるくらいのびて
そうして、
やさしいオレンジ色のおおきな喇叭形の花を、無数に垂らす
あの、朝鮮朝顔の花が、

みたいな。


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正体不明の、アトピーさん、というちびっちゃい怪物が
少々、駄々をこねはじめた、からだは、
常時
微熱をもって、そうしてがさつく。激しくがさつく。
傷としわに覆われた腕に噛みつくと、見慣れた血がどこからかにじむ。
黒ずんだ皮膚がおちていく。
ばらばら
ばらばら
細胞の欠片。

もしかしたらあたしの通ったあとには道ができるかも知れない。

冗談で笑う。
高村光太郎ごっこ、アゲイン?

「ぼくの前に道はない」


こわれていく皮膚に爪を立てる。
剥がれ落ちたあたしの細胞は死んでしまったから其処からすてられる。
あたらしく現れる皮膚は
まだ、息ができていない、うすいピンク色をさらして
外界はまだ見たくなかったと、言う。


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ちいさなかたすみでいい。
きちんと息ができる場所が
ただそこにあれば、それがわたしにはほんとうの
いちばんの夢。

いちばんの嘘。




2002年6月16日、夜時間  まなほ



2002年06月14日(金) 眠りの代償。処方箋。

仕事のない日々はスベテ眠っていたおばかさんなあたしが直面したひどく現実的な朝。


7:33am


やばい。
やばい。

お薬がなくなってる。
今日のお昼のルボックスがどうしても足りない、50mg、たりない。

「SSRIは継続して飲まないと意味がありません。」

常識。
目に見えて減っていく皮膚科の軟膏と抗アレルギー剤のほうにばかり気をとられていたら
気がついたらこちらを見落としていた。
こまめに通っている(筈だ)から大丈夫だと信じ込んでた。そうしたら
ぜんぜん足りてない。
毎日の雨に外に出るのを怠った罰ですか、これは。

いらないお薬ならいっぱいあるのに。


 →→→→→ ソウシテあたしハ仕事ヘト出カケテユク。殺人的ナ人込ガ待ッテル。


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それにしても二週間ごとに通わなければならない病院が二ヶ所あるというのは
ちょっとばかり酷なスケジュールなんだな、と経験してみてはじめて知った。
子どものために日々あちこちの病院通いを繰り返していたというあるお母さんの
そのエネルギーに、脱帽。

母親失格なんてかなしいことを言わないで。
あなたは十分すぎるほどがんばっているのに。


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8:25am

家を出てゆく。きっと出てゆく、
着るものが決まらなくてスカートを二枚、重ねてはく。
白のコットンの三段ティアードスカート、
その上に、ペチコート。
それからまた、黄色の小花のフレアーギャザー。
裾からちらっと白のピコフリルがのぞくのは見逃してね。
これだけ重ね着をしていると、たとえば誰かに「カネコ系」と言われても笑って認めてしまいそうだ。
腕に巻いたウッドビーズのブレスレットは、桃象さんの色だよ。
今日こそ遅刻すまいと決めたのにもう遅刻が決定している。
ダークレッドの靴で歩き出す。
そうして
バスを待つあたしの背後から
ふわふわとそいつはやってきて、もう、すでに。


 「 笑ってとあなたは言う、赤い靴で踊ってと囁く、それでも紫陽花は散ってしまった 」
  (こっこ「水鏡」)


家を出てから、たったの4分と半分かで。
喰われてしまった。

たとえば昨日の夕刻すぎにサッカーの試合に見とれてた兄が
おやつ用に作っているのを忘れてたカップメンがのびちゃうくらいの時間。

それが、

あたしの、正気の時間?


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とくん、とくん、とくん。

心臓が波打って揺れる。

それが胸骨の奥から喉のほうにせりあがってきたら、そろそろ、危険信号。

とくん、とくん、とくん。

指折り数える。

とく、とく、とく。

時計の秒針を見くらべる。

とくとくとくとくとくとくとくとく。


………もう、収拾は、つきません。


あきらめて

朝の電車の中で一睡もせずに窓の外を凝視している「あたし」のことを
きっと誰かが憎んでいる。眠りたいのにラッシュアワーで押しつ押されつ、
もう、めったうち。

「ランチョンミートにでも何にでもしてください。」

「こっぱみじんに」

「 AS YOU LIKE、すべてあなたのお気に召すまま。」


………ああ、でも、できることならせめて、胃にやさしい味にしてね。


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10:00

信じられないかもしれないけれど
それでもあたしは笑うの。
それでもあたしは冗談を言うの。
そうしてフロアを笑いで満たすの。
着々と仕事をこなしながら。

「そういうふうにできている」

決まってしまった役割を捨てることのなんてむつかしいことだろう。
あらかじめ無茶だったかも知れない誰が決めたともわからないその役割の采配。
それをこなせずに食み出してしまった自分を責めて止まないひとの、
なんて多いことだろう。

べつに、あなたは、わるくないのに。

なのに。


もしもせかいがほんとうに劇場の舞台だったのなら
悪いのは演出家なのよと笑ってあたしも言えるのに。


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15:07

日本が試合してたこともきちんと知ってるわ。
だって、上司とそのことをお話したもの。
まるで以前から興味あるふりをして
きちんと笑いも交えてお茶を飲みながら話をしたし
その緑茶をきちんとした手順で入れたのは
ほかでもないあたしだった。

そうして、18:32
日本が勝ったことも知ってる。
病院の待合室のテレビはいつもつけっぱなしになっていて
選手のコメントが次々とうつしだされてた。
駅の前ではユニフォームをひっかけた男の子たちが大騒ぎしていて
いつもなら関係もなさそうなおじさんやおばさんまでが通りすがりに言葉をふらせてた。
四年前の役員合宿、さいごの夜にちょうどぶつかったアルゼンチンとの試合、
お酒そっちのけで映りの悪いテレビを一生懸命調節してみた負け試合のあとの
がっくりして部屋へひきさがっていったみんなを思い出して
ほんのすこし、感慨にふける。

ここまできたんだね。


22:30

韓国がスタンドをまっかにうめて、あの祝祭のエネルギーを波打たせてる。

はためく大韓旗。

アジア、

そして勝利。
勝利。

勝利。

うれしいのはうれしい。
あんなふうに沸き立たないにしても
あのひとのように叫ばないにしても
歓喜の声を、あげないにしても

ね?


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だけどそれをよそ目に見ながらお薬をのむあたしも、いる、の。


いいかげんな私への、今日のおへんじ。
おくすりがかわってしまいました。
結局いちにちじゅう抱え込んでしまったぐらついた不安感を持って
寝ても、醒めても、背中にかみついてたままのあいつを連れて帰り際にドアをたたいた
ある精神科の今日の最後の患者さん。

パキシル20mgをあたしにあげる。
ロヒプノールもあたしにあげる。
見慣れたメイラックスもまたあげる……?

おかしい色が違うと思ったらミリグラムが倍量になっていた。
見慣れたはずの白くてひらべったい精神安定剤は
なぜかサーモンピンクの色になって、お薬袋からざざっと出てきた。

青いシート。
薄橙色のシート。
ピンクの錠剤。
色とりどりのカラーパレットがそのうちできるかな。


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世界をぶったぎったようにあたしもぶったぎって
あっちとこっちで別々の顔をして分裂したまま暮らしていけたら
プラナリアのように足元からはんぶんに別れて同じものがあっちとこっちに
サヨウナラする、あんなふうに
びょうきのわたしとびょうきじゃないわたしがいるみたいに今日も過ぎてく。


沸き立つ現実からチョキチョキと切り取られたひとがたが
ひらりらと風に舞ってビルのあいだを駆けめぐって鴉につつかれて

ときおり降る
雨に湿ってた。


今日はあと1時間と15分残ってる。

あたしは、どこへいけばいいんだろう。




6月14日、22:45 まなほ



2002年06月12日(水) あたしが其処へ逝かない理由


久しぶりに図書館へ、勤務に行った。
2月ごろに熱を出して体調が悪化してから、ずっと契約をやぶってばかりいる。
急に起き上がれなくなって休んだり、朝は遅刻の連続。
そんなあたしを上司は心配してくれて、それとなく首切りを匂わされて
あれはいつだったっけ。
記憶がない。

いつかこういう日がくると思っていた。
まわりの人の「やさしさ」に拠りかかってこの生活を続けているのは
百も承知していたから。だからこの現実は当然の結果だし、
自分は平静な気持ちでうけこたえできると思っていた。
実際のところ、表面的には十分に冷静だったと思う。
まるで「まっとうに社会生活を営んでいるいちにんまえのおとな」みたいに
あたしは振舞うことができていた、と、思う。

でも、ほんとうは、すごく不安だった。

そのことに気づけないほど、あたしは、ばかではなくなっていた。

あたまのすみっこに
いつも、
いつでもある
薄暗い染みみたいに
いつも考えて
新着雑誌を抱えて地下書庫に向かいながら
ダムヴェーターを動かしながら
製本のリストを照合しながら
コピー機の前に立ちながら

いつも
いつも
暗い染みみたいに
頭の裏に「それ」が貼り付いていること。

そしてあたしを狙っていること。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


勝負に出てやろうと思った。
あたしには、「あたし」を守る義務があるんだ。
あたしはその義務を果たさなくちゃ、いけない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ぶちまけた。
病気悪化の要因のことも精神科通院のことも、すべてぜんぶ、
ぶちまけて
「あとはそちらの判断にすべてをゆだねます。」
3時間かけて必死にメールを書いて、そのままぐったりして
打ち込んだことばを送信する。

あたしのいのちをつないでください。
そのときたぶん、そんな気持ちでいた。
しにたいというきもち。
不安さん。
消えたいさん。
あたしは役に立たないから。
居るだけで汚れを撒き散らしてひとの迷惑になるだけだから。

「だから、もう、サヨナラ。」

そう言わないために、
逝かない理由をひとつでももっていなければならない。
あたしは、足掻かなければ、いけない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


足掻いた結果にあたしが得たもの。
七月の終わりまで保障された、週に二日の、出勤日。
そして、そのときの勤務評価で決まる、9月以降の半年の契約。

あたしは打ち勝てたのだろうか。
絞め殺すみたいにじわじわと心の隅からひろがってくる
真っ黒なたやすいゼツボウや、じぶんが切り捨てられる現実に。

「あたしを置いていかないで」

ただそれだけのわかりやすいことばでできた、あたしのたったひとつの願いを
常に裏切っては、あたしをからっぽにまっしろにして
かなしいことでたぷたぷに満たしてしまう。
ぼんやりと「逝くこと」を指向させただろう、あしたがくること。


ただかなしんで、
かなしんで、かなしんで、なげいて、そのやさしさのために
黙って世界から消されてゆくひとがいることには、もう我慢ならない。
サトくんが居なくなって、逝ってしまって、
あたしはそう思うようになった。たとえそれが自分であってもやっぱり
言う言葉は、同じことだと思う。
(理屈ではね。)

あたしはちっともやさしくなんてないけれど。
あたしはちっとも、いいひとなんかじゃ、ないけれど・・・だけど


「消されるのはいや」


こんなこころづよいことを言いながら、その一方で、その半面で、
相変わらず
死にたいさん、は、消えない。

「消えたい」
「くるしくないところに、いきたい」
「痛くないところに、いきたい」


白状します。
あたしはこの世界の邪魔者で、ちっとも役に立たなくて、
心ばかりじゃなく身体までもが病気もちで人に迷惑ばかりをかけている、
居るだけでそこらじゅうをゴミだらけにする汚い身体をもっていて
もう、どうしようもない。
明日のことなんて考えられず、なおさら、来年のことなんて、
「将来」という立ち塞がるもののことなんて思うだけでそこらじゅうをぶち壊したくなる

そんな生きものです。

あたしの目にうつる、ひとりの「あたし」。

なにか、「びょうき」という名前のものに支配され
世界から追放されかけている「あたし」は
そんな姿をしている、おろかなものです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


一遍の詩をみつけた。

自分で書いたくせに、自分で忘れ去っていた、一遍の詩をみつけた。

そのころあたしは「ある日じぶんが死ぬこと」ばかりを考えていた。
何がそうさせたのかわからないけれど、とにかく考えていた。
たとえば、自分が死ぬ、お葬式があるだろう、お通夜に参列するのは誰だろう
泣いてくれる人はいるのだろうか。

もしも、誰かが、泣いてくれたとして

その涙のゆきさきがないこと、があたしを痛めつけた。
受け取り手であるはずの「あたし」がその場所に居ないことを
あたしはひどく、残酷なことだと思った。
ひどく、ひどく、じぶんのまいにちの暮らし方の方法に真っ向から反する
まったく残酷で卑怯なやりかただと思った。

行き場のない涙。
行き場のないかなしみ。
手渡せないことば。

ばかなあたしは、じぶんのために流された涙ならば
それを見届け、受け取らなければならないと思っていた。
しっかりと心のうちに留めて、受け渡しを完了させなければならないと思う。

たとえ、あたしが死んでも。


  たとえば ぼくが ある日 死んで
  きみをひとりで のこすことになる
  もう きみをなぐさめにいけなくて
  それがつらくて ぼくは 逝けない


死ぬことにとりつかれはじめていた、19歳の小娘が思った死をえらばないひとつの理由。
それは「じぶん」のために流されるなみだを受け取ることができないという、ばかげた理由。
あるいは、ひとつの思い上がり。
けれどあたしにとっては19年ぶん積み重ねた自分自身のぜんぶを賭けている、理由。

もしもある日、「それ」が総攻撃をかけて襲ってきたなら
あたしは、このことばを思い出すことができるだろうか。
最後の日。
おしまいの日。
最後の抵抗をするつよさを掘り起こして
「それ」との賭けに勝つことができるだろうか。


じぶんを全うするために。


あたしは其処に逝けないと。


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久しぶりに図書館へ、勤務に行った。
案の定、帰り道をたどりきらずにあたしはだめになった。
襲いかかってくるのは、震え、恐怖、無力感、魅力的な逃避ということば。
世界はどんどん遠くなり無彩色にいじけていく。轟音。怯え。
そのなかを歩いてゆくということ。
それははっきり言って、つらい。
涙ぐんで、逃げ出したいとしか考えられない。

だけど、もうしばらく、あたしは、自分を痛めつけるこの行為をやめないだろう。

それは、じぶんでもぎ取ってきた楔。
あたしをこの世界に留めつけるために
あたし自身がえらびとった、楔。

それだから。



 「 どれだけめちゃくちゃでもいい、ただ、生きていてください 」



それだけが、あなたへの願い。
あたしへの、課題。




2002年、初夏 雨の朝に  まなほ



2002年06月09日(日) 「強く儚いものたち」

うちに閉じこもり
痛みに泣き
ぼうっとしたまま床にぺたりと座って
何をするでもなく
眠り
眠って

ふと気がつけば、そこは植物が繁茂するまいにちになっていました


あなたがいなくなったころ
ただ無彩色にひろびろとしていた風景は
あなたが骨になったころ
うっすらと、点々と、緑に染まりはじめていて

そうして、今
そらが、ひと雨を降らせるたびに
おそろしいくらいに世界の色は、膨張しています。

あなたのいない世界が
すこしずつ、あるいは急激に
夏に向かって歩んでいることにあたしは気がつきたくなかったよ。
ほんの少し、でもあらゆるものにまんべんなくまぶされた罪悪感のようなもの。


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毎年のこと、

ある日、「トマトのにおい」がして、あたしは夏の訪れを知ります。
自転車を走らせる真夜中の道で、
電車を降り立ったホームで、
学校の門の脇にある、ねむの木の下で、

ちいさなちいさなころあたしが名づけた
「トマトのにおい」
夏のやってくる前駆形、かたちのない樹木からの手紙。
ひとはそれを、「草いきれ」、と呼ぶのかも知れませんが
あたしは本当の呼び名を知りません。

ただ、むっと青くさく、懐かしく
そしてうっすらと甘くあたしをすっぽりとつつみこむ、「トマトのにおい」。
足をとめて、空を見て、深くふかく息を吸い込むと
かたちのない夏が、あたしのなかに少しずつ入ってきて、
つま先から少しずつ満たされていく。

それを

今年もあたしは、知ってしまいました。
真夜中の、交差点ちかくの、プラタナスの街路樹の横で、ふと
気がつけば、夏にとりまかれていた。
あなたの味わえない夏に。

どこも、くるしくない
どこも、いたくない
ただ、姿を見せずにのたりのたりと移り変わっていく季節が
あたしのなかに、とろとろと、とっぷりと溜まり、
そうして、充満するまで。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


反魂草が、さきました。

今年もまた、律儀に、あのコスモスに似た細い茎と細い葉で
とてつもなくあかるく笑うように揺らめくしぶとい黄色い花が
咲きました。

電車の窓からその黄色いかたまりを見つけてあたしは
たいていの場合、ひとごみと圧迫感と不安にさいなまれて涙ぐんでいるあたしは
ただっぴろい画用紙のまんなかに、空のきれはしを刷毛でひとぬりしたように
コップいっぱいのつめたくてあまい水を、与えられたように

微笑みます。

どんなゆがんだ笑顔でも
その一瞬だけは
黄色の花とあたしだけが
せかいじゅうのすべてだから。

あたしは、微笑む。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


あたしは、あなたに、見せたかった。

いちめんにひろがる黄色い菜の花。
いちめんにひろがる薄桃色のれんげ。
いちめんにひろがる浅緑のねこじゃらし。

いちめんにひろがる
いちめんにひろがる

つよくてはかなくて
でも、毎年
くりかえし咲くことを忘れない、植物。

あなたと、手をつないで
動くもののなにもない
でも、いのちであふれている場所に
耳に聞こえない音で湧きかえっている場所に
あたし、立ってみたかった。


ことばは、ひとつも要らない。

ただ、手をつないで、黙って、そこに立ちつづけるだけ。

それだけでよかった。
それだけできっと
十分すぎるほど
十分だった。

なのに、ね。あたしは、ね。そのほんのぽっちりの時間さえ持たないで。


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反魂草が散っていきます。
その黄色い花びらをしおれさせて、色褪せて
ぱらぱらと散って、誰の目にもつかなくなって
土になって
そうして、緑の茎と糸のような葉とを、もっともっと茂らせる。


夏が、きます。


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「 一瞬の今を千秒にも生きて そのうれしさを 胸にきざもう 」

(サミュエル・マルシャーク作・林光作曲「森は生きている」より)


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たとえばあたしのまわりから
だれも、だれひとりもが、いなくなったとしても
この、はかなくて力強い風景を思い出すちからさえ、残っていたなら

あたしは。

生きのびていけるかもしれない。



傷だらけの腕でも。

醜く変色した脚でも。

薬まみれの体でも。



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読んでいただいてありがとうございました。

よろしかったら、お手紙をください。
ことばにならなければ、数字を、ください。
何か、もしも、感じていただけたなら、そのときは。どうぞ。

ひとしずくの水を降らせるみたいに、ことばや、数字が、
「あたしはここにいるよ」、そう教えてくれます。
それと同時に「あなたが今そこにいる」、そのことを、
あたしに教えてくれる。

たぶん、忘れたらいけないこと。「ひとりではないこと」。

ただ、泣いて、嘆いて、儚くなってしまうだけでは
反魂草の黄色い色も、みどりのトマトのにおいも
からだじゅうを満たすことはできないような気が、します。

ただの小娘のざれごとです。

けれど。

このからだを維持して、
そしてまた、くりかえされる、強くて儚いもので満ちた
次の季節の風景に出会いつづけることが、
今はもう居ないサトくんからあたしが受け取った、ひとつの宿題なのだと
あたしは思っています。


あなたの傍にゆくかわりに。




2002年、初夏  まなほ



2002年06月06日(木) 白昼夢、黒月夢


 「白昼夢、黒月夢、そしてわかりやすい恋」


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  「 RUNA 」



  あのひとはもう 目をとじてしまいました

  そう言って、男は立ち去っていった


  あのひとが次に目をあけるのはいつですか

  あたしは自分がこぼしたことばを聞いた


  かつん かつん かつん

  足音は消えていく

  そうしてあたしは目ばかりになる


  あしたのための約束をやぶって

  あたしのための言葉もなしで


  今日という一日がうすれていく

  消えはてることもできないくせに

  いま触れているものが何よりも遠くてうすい

  陰をしている、そのことが


  こまどりのために鐘を鳴らしたのは、だれ?

  (それはわたし、とめうしが言った)

  それならば

  あのひとのために鐘を鳴らすのは、だれ?

  (すくなくともあたしではない、そう誰もが首をふる)


  あのひとはもう 目をとじてしまいました

  あたしはまだこうして目をひらいているのに

  あのひとは もう

  目を閉じてしまいました



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消したくても消せない、このまひるの夢は
たぶんとてつもなく「わかりやすい恋」だった。

見えなくなる、おつきさまみたいに。
日々、かたちをかえて
消せない現実を、あたしは抱いてあたためている。
まざまざと立ち現れる陽炎のようなたまご、
だけどまだ涙が出ない。

世界でいちばん強力なけしごむがほしい。

わかったと思っても次の日になればもう元にかえる、
くりかえす願望と現実はメビウスの輪っかみたいに表裏一体で
そのなかを走り続けて、歩き続けて

(サトくん、あたしはどこへ行けばいいんだろう。)

答えのない、質問だったね。

やすらかに眠らせてあげられなくて
ごめんね。

ごめんね。



まなほ



2002年06月05日(水) 出来損ないピエロ。


この世の中には壁がある。
目には見えない壁がある。
舞台の上でピエロが泣いて、あっちのほうじゃ旦那方が別れの涙
壁の見えないピエロのまぬけ、舞台の上から
落ちて死ぬ

「壁のうた」


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不安さんがやってきた。


あたしのなかには
怖い怖いさん、とか、
切りたいさん、とか、
消えたいさん、死にたいさん、などなどが棲んでいる。

不安さんはそのなかの一人で、たまに顔を出す。
背中のほうからやってくる、黒っぽいひとだ。
気がつくとぱっくり大きな口をあけてひとを丸呑みできる胃袋のでかいひとだ。
気配がないので回避するのに苦労する。
というか、回避不能。

「夜中に目を覚ましたら、もうソレはやってきてしまったあとで
 あたしはすっかり、闇に食われていました。」

そんな表現がぴったりなように、しずかにぼーっと現れて
ぱっくりあたしを頭から食らうひとだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 あ、今気がついたの。
 これじゃまるであなた
 「千と千尋の神隠し」のようだネ。

 カオナシ。
 ふくれあがるほうの。
 あたしあなたのことが好きよ。

 関係ないけれどあたしはあの映画がかなり好きだ。
 できたらもう一度見たいかなと思うくらいだけれど
 だけど、映画館にひとりで足を運ぶ楽しみを以前はきちんと味わえたのに
 気がついたらそれができないようになってしまったので
 その思いは叶えられずにいる。
 まだ上映している映画館が遠いせいも少なからず理由にあるけど
 ひとりは、こわくて、
 そうして動く原動力には、弱すぎてつながらない。

 宮崎もの(というかジブリ作品)はほとんど見ているけれど
 「紅の豚」がとても好きだ。あと、「おもひでぽろぽろ」。
 ちょっぴりマイナーかも知れない。
 でも、好きだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


とにかく、不安さんはやってきた。
ついでに混乱さんも連れてくるのでちょっとタチの悪いひとだ。
ぐちゃぐちゃにひっかきまわされる頭の中を整理するのはときどき難しい。
耳の中からまるで何かがこぼれ出すのを止めるみたいに両耳をおさえて
がんばってみるけれど、だめなときも、ある。

じぶんの歩く地面は
安定しているようでほんとうはものすごく頼りないのだ
ということが、よくよく身にしみる。
ほんとうは
わたしが今しているこのスガタカタチなんて
ひどく頼りないものなのだということも。

「みんないってしまう」

ただ、その事実に翻弄されるあたしがいるのだと思う。
みんないなくなってしまう。
あたしのまわりから。


「嵐が来るよ、そして行ってしまう、いつも。」(Cocco「焼け野が原」)


そのとおりなのだ。
そして、あたしは、それがこわいから
こわくてたまらないから
周りから注がれる命の水がなければあたしは干上がって
いとも簡単に
正気をなくすような気がしてならないから。


……逃げ回るのです。笑いながら。たぶんね。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


今朝一番最初にしたことは兄の上に落っこちることだった。

いえ、
だからね、
文字通り。
落ちたんです。

てくてく歩いてとにかくバイトに行く支度をしなければならないと
家中のあちこちをうろうろしていた。

なにしろ首切りされるところを、すべての事実をぶちまけて、
それこそ精神科通いのことも緊張体質のことも新しい仕事を探せないことも
ぶちまけた長たらしいメールを「飛び降りる」気分で上司に書ききって
結果、お情けで7月までは置いてもらえることになったんだから。
しかもすでに一日無気力なまま休んでしまったのだから。
もう休めないでしょう、いくらなんでも。(笑)

かばんの置いてある部屋では兄がゲームをしていた。朝の頭休めのひととき。
そこを、ちょっとゴメン、といって何かを取ろうとしたときに
ぐらりんと足元がふらついて、どさっと倒れた。
文字通り兄の真上に落っこちたわけで、、、。

だいたい、いつも、よろりら、と歩いてはいるけれど
階段から落ちかけたこともあったけれど
実際に、水平にまで倒れたことはなかったので、たいへん驚きました。
(驚くとかそういう問題ではないと思う)
とりあえず兄もプレステも隣においてあったオレンジジュースの入ったマグカップも
全部無事だったので、いや、よかったなあと、思った。
(こんな発想でよいのやら)


とりあえず出かける。勤務先まで2時間弱。クルシイから目を瞑ってうごかない。

電車の中でうつらうつらしていると
まるで現実のような夢をたくさん見た。
たくさんたくさんたくさん、みた。
むかしの友達が乗り込んできてあたしを見て、にまっと笑うとか
かばんから何かを出したのに、電車の床に落としてしまって拾えない、とか
現実と区別のつかないリアルなものをたくさんみた。

あれが本当に夢だったのかあたしにはよくわからず
降りるとき何度もうしろを振り返って
自分の座っていた場所に「もうなにもない」ことを確認せずにはおれなかった。
ときどきそういう夢を見る。
リアルすぎて現実と区別のつかないこと。
あたしはこうやっていつか。夢に食われていくのかな。

にこにこと笑いながら。
上司に向かって、軽口をたたきながら。
家に帰って、冗談を言っては、両親を笑わせながら。
はしゃぎながら。
ピエロのように。

ただ
こころの中で
いつも
いつも

たえまなく脱力感とか虚無感とかいうやつに襲われていて、
こんなことをして何になるのだろうとかいうむなしさや自己卑下やから逃れられずに、
それでも目の前にいる人を笑わせるために気がつけば体を張って「奉仕」をしてしまう、
どれだけ疲れはてていても自分にとってツライと思う現実を語るとき、
それを思いっきり茶化して笑い話に変えることだけは忘れないでいる。

そのぜんぶにうっすらとまぶされた埃のようにほんとうは感じている。


「あたしは、ここに、いていいのだろうか。」


そう思い続けながら
どこかおびえながら
それでも笑いながら笑わせながら暮らしているというだけのことだった。
不安さん、に食われたものの一日というのは。

ただ何をしても何を言っても
自分をとりまかれたこの
まだあたしには表現しようのない
自分だけがその場所から浮き上がっているというような感覚や
不釣合いな言動ばかりしているのではないかという恐れや
自分がはっきりと場違いであるという「確信」や
そんな、浮遊感から逃れられずに。

じわじわと締め付けられていくように。追い詰められていくように。

「きえてなくなりたい」

そう思い始め
真剣に検討しはじめる、その前に
あたしは不安さんを打ち負かさないといけない。


そのことだけは、はっきりしているんだけれど。



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数日、更新をさぼりましたら、心配のお手紙をいただきました。
どうもありがとうございました。

こうやって、生かされていくのかなあ。
思いました。

インターネットをなんとなく嫌うお医者さん、がいるような気がしますが
同じような心の不安定さをかかえた人たちで、寄り集まることを
嫌うお医者さんがいるのは確かですが(というか主治医がそうですが)
でも、それで命をつないでいる人も、たしかにいるような気がします。
口を酸っぱくして言葉を尽くして説明をしないかぎり
元気なひとには、まったく通じない「恐怖」の部分があるのだということを
そしてその説明をする力がないからこそ
打ち負かされているのだということを
なにも言わなくても感じ取ってくれるひとがそこにいるなら。


午前4時半です。
あまりの眠気に睡眠薬を飲まずに眠りについたら
きちんと2時間半で目がさめてしまいました。
なんでだよう!
時計に向かって文句をいう午前2時過ぎ。草木も眠るのにあたしは眠れない。

朝なのに雷が鳴って
雨が降り始めています。

雷鳴。
割れたそらが怒っているよ。
最近なにかといわず
あたしの頭の上のそらは機嫌がわるく、不安定に
その胃袋に抱えたものをぶちまけています。

なににたいして?

どこへ向かって?



・・・・・・あなたの頭の上のそらは、いま、どんな色をしていますか。



まなほ



2002年06月03日(月) がじゅまるの、樹

誰か私を止めてよ
押さえつけてあの樹に縛るの
だれかお願い、止めてよ
きつくきつくあの樹に、縛るの

あー朝がきたとき、わたしは、生きてるのかしら、がじゅまるの樹の下で?

(こっこ)


6:50


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さみしくなんてない
ただ、動けないだけ

つらくなんてない
ただ、眠れないだけ

きれいであたたかくてやわらかいものをみうしなってしまった
ねえ、あなたはどこ?

ねえ、あたしは、どこ?

包帯ぐるぐる巻きの腕
なのにまだ、
傷を増やすことをやめない、飽き飽きしたの痛みに耐えてばかりいることにはもう。

だれかあたしを解放してよ
この体から
ばかみたく自分を痛めつけてばっかりいるこの体から
あたしは早くとろけ出して自由になりたいよ

ねえそれでもまだ
あたしはどうしてもこの外に出て行って
笑いながら
生活ってやつを営まないといけないんだね
お薬だってきちんと飲んだよ、錠剤6粒ごろごろ並べて、飲んだ。
ちっとも楽になったとか思えないのに
朝がやってきて、また、あたしをひっぱたくから
動きなさい動きなさい動きなさいって
そう、あたしを、ひっぱたくから

ずうっと眠っていたい


今日は曇りだ

青いそらが見えない


だれかたすけて
ここからあたしをひっぱりあげて青いそらのなかに還して
たすけて

だれか


7:50


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生まれてきたから死ねない

だから、生まれてきて、ごめんなさい


8:20


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新着リストやランキングを見たら、説明のことばがちがっていた。
ことばを変えるちからがあんまり出ない

「ずたぼろになった恋でも死なないときはある。W杯開催、その祝祭の歓びのなかに。」

ワールドカップの開会式、あの祝祭を祝ったのは、きのうのこと、です
あの歓びは、どこに、どこにいったのかな
読んでみたい方は、きのうを探してください
ごめんなさい

わがままばかりで


9:40


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力出せないまま毛布にくるまって眠ってしまった
腕が痛い肩が痛い足が痛いからだのなかで炎があばれている
なにそれと気負って外に出かけていく「ゆうき」みたいなものが手のひらからこぼれて
最後のしずくくらいで笑って
倒れる

たいした痛みでもないくせに、たいした炎症でもないくせに、たいした剥落でもないくせに
大袈裟にくるしんで、心の病気まで抱えて、
ごめんなさい
もっとひどいつらさに苦しんでいるひとがたくさんいるのに。
あたし自身、もっとひどい痛みも顔の変形までも耐えてきたって言うのに
いまさら
ごめんなさい。

目を覚ましたら午後の2時過ぎ。
少しだけ正気
だけど仕事は行けなかった。行くといっていけなかった。
有限不実行。やっぱりあたしはいらないような気がする。

がんばれということばを雨あられと降らせてもらう。
降らせてくれるひとがいるだけ
しあわせなんだ。


夏はきらい。
あの熱いおひさまも陽だまりも蒸せるような緑もみんな好きなのに
三年前から、あたしは夏に嫌われてしまったみたいに、病気ばかりが生き生きとして
つられるように我慢が増えリミットのついた爆発物が増え不安がふえて
ただ、だれもの邪魔者になっていく
おびえて暮らす
なにもできない
じっと座って自分のからだで自分のからだの拘束衣をつくって
部屋の隅のほうで「さむさ」にかくかくふるえながらあなたが撤退してくれるのを待ってる、

「それだけ」


ばかだね
あんた
そんなに生き生きしちゃって

あたしが死んだらあなたも死ぬのに


17:20


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ひだまりらせん コトノハ > http://www.enpitu.ne.jp/usr9/98366/

あの夏をとどめておきたかったから。
ただ、綴りたかったから。


19:30


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めたくたな一日のおしまいに

長い長い距離をとびこえてがんばれを降らせてくれたひとたちに、 「 ありがとう。 」

すこしだけでも
嬉しいこともあったよ。

どうもありがとう。
「生きているせかい」にあたしを引きずりもどしてくれたひとたちへ。


お風呂上りに髪をほどいた。
染めてもいない、黒いままの髪。
髪留めをはずして、きちんと結っておいたゴムをはずして、ぷるんとひとつ頭を振った。
朝、なんとかして出かけるつもりで結い上げた自分をひとごとのように思い出した
少しだけくせのある黒髪を梳かしながら
誰かの記憶みたいに

でも、泣かない。

まだ、泣かない。


いつかね
いつかね

この髪の毛をずっと長くのばして、みつあみにして風にそよがすの。
18歳だったころみたいに、長くてふんわりした黒髪を。

そして風になるの。


おやすみなさい。



まなほ



2002年06月02日(日) 恋という病。


W杯開催に寄せて。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 「祝祭に響くアリラン日韓の人らのほほえみ涙さえ浮かぶ」


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調子が悪くて一日中眠っていた。
もう眠りたいと思いながら生きていた。


ワールドカップ。
家族は観戦している試合の数々。
正直言ってあたしはこの反逆する身体を引きずってここに居るので精一杯で
そこまで気が回らないのです
ごめんなさい。
ごめんなさい。


ただ、

開会式の様子を放送すると兄が教えてくれたので
あたしはだるくて熱い身体をできるだけ早くすっとばして
テレビ画面の前に座り込んだ。


ひらひらと舞う、白い衣装、
ユーモラスな足取りでくるくると回転するひと
舞い踊るしなやかな腕
祈りをささげるムーダンの長い袖は目にまぶしく
その背後で打ち鳴らされる祝いの太鼓
一斉に叩きつけられる音・音・音。

あっけらかんとして
てんでばらばらに足並みはそろわず
けれどそれを上回る強さでひとつになる
命にあふれ、たしかにその土に根付き、青空に向かってさけぶたくさんの身体、

「歓喜。」

あのチャングの響きが聞こえる。

ドン・タタクタクン
タククタ・クタクン

打ち鳴らしうたえ
ちからの限りうたえ
打ち鳴らせ

うちならせ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


あたしは恋をしている。
韓国と言う、この国に、たぶん
あたしは恋をしている。

それはおそらく、生まれてはじめてきちんと恋をした人が
韓国の人だったせいもあると思うけれど、
それは本当に生身となまみとがぶつかりあうぼろぼろになるような恋だったけれど
そうして
日本人であるあたし、と
韓国人である彼、という存在を
哀しいほどくっきりと刻みつけながら転がり落ちるような恋だったけれど。
最後には、右と左にわかれて、サヨウナラを言うこともできずに立ち去る、
そんなような、出来損ないの恋だったけれど。


ただ、
それを別にしても

朝鮮半島にあるこのひとびとが受け継いでかたちづくってきた
ただただ、喜びにあふれて揺れ動くその姿に
たぶんあたしは恋をしている。

未来絶対手をつなぐことなんて不可能なのだ
それだけの哀しい溝を、あの戦争で作ってしまった、
もっとも近くてもっとも遠いといわれる国。
近寄れば傷つくことはまぬかれられず、遠ざかれば糾弾される、あの国。

あたしたちを翻弄したもの、国籍と、それが背負う歴史とは
すでにひどく痛めつけられてしまったあとで
それを飲み干すことなんて、たかだか17歳かそこらの小娘には無理な話だった。


ただ
あたしは
あの音を今でも
忘れない。

体の底のほうが揺らいで、
肩も腕も
リズムを作らずには気がすまなくなる
土を踏み鳴らし、
踊りだしたくなる。

いつかあたしは
まっしろなパジとチョゴリを身に付け
藍色の上着を羽織り紅と黄色の帯をこの体にまとって、踊った。
白い麻布でしっかりと体にくくりつけた、なめらかに美しい女体のような太鼓。
あの体の芯に食い込むような音を打ち鳴らして
耳にとがるようなけたたましいケンガリの音
もっと
もっと
もっと
そう、追い立てるような響きに心地よく身を任せたまま遠くまで
命と土とを吸い上げるようにくるくると回転し
頂点に向かってゆく、あの昂揚感。

薄桃色のふんわりとしたチマ・チョゴリに身を包んで暮らした日の思い出。
無造作に広げられた牡丹色の絹の襟の、繊細にうつくしい刺繍に溜息をつき、
ゆったりとしたその衣装に袖を通し、帯を結び、チマを重ね、
締め付けるもののなにもない体を自由に操ってあたしは暮らした。
ふわふわと揺れるスカートの裾をさばきながら
対照的にきっちりと結い上げた髪にかすかな誇りを感じながら
しっかりと頭を上げて。

胡蝶にもなれるだろう。
そんな気がした。


ただ極彩色とも思える
でもそれが何より似合う。
風と色と人と、心の色と。


歓び、ということばのほんとうの意味をあたしに教えてくれたのはこの国だと思う。


「あなたが語ってくれた、はじめてのわたしの異国」


その日からわたしは日本を感じるようになり
その日からわたしは
誇りという、うつくしいプライドを知った。


絶対につながれないはずの手が
テレビ画面のむこうでつながれていた。
それがただ、一瞬の祝祭のあいだだけの夢だったとしても。

アリランアリラン、アラリヨ

同じあの曲にあわせて手をとりあい楽しげに踊る様子が
あたしにはとてもうつくしいものに思えてならず、
信じがたいものに思えてならず
この幸せがずっと続けばいいと祈らずにはおれず
うっすらと涙がにじんだ。


アリラン、アリラン、アラリヨ



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 あなたに会えたら、言うことばは決まっている。

 「ありがとう。」

 めちゃくちゃに傷つけあった恋だったけれど
 最後の日にはもう、まっすぐに顔を見ることさえ叶わなかったけれど、それでも
 あなたの祖国への恋は、あたしの中では終わっていないのだから。
 おそらく
 あたしがこの世界からいなくなるその日まで。

 あたしはあなたが教えてくれた国に、
 恋をし続けるだろう。
 


 2002年6月2日、記  まなほ



2002年06月01日(土) 「碧空無限」

「碧空無限」


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薄い痛みの日、からだが壊れてゆく日、その夕暮れ。


目を覚まして思い出した

掘り出してみつけた

うっすらの埃

昔ノオト。

その中からひとつのことばを、季節が音を立てて変わっていく今日

あなたに。


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   「みずのぴあの」


   しずかなのがいいね
   だあれもいなくて
   ぼくだけ
   みずにゆらめいている
   しずかなのがいいね

       ・

   あったかいのがいいね
   なんにもきこえなくて
   ぼくだけ
   かぜにおよいでいる
   あったかいのがいいね

       ・

   くらいのがいいね
   どこへもいかなくて
   ぼくだけ
   おひさまにねむっている
   くらいのがいいね

       ・

   いきてるのがいいね
   だれもみんな
   ぼくらが
   そらをはしっていく
   いきてるのがいいね



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1996年、夏。


たいせつなものはすべて、この手の中に握らなければならないと知っていた。

そしてそれを手放さずにいることも。

呼びかけ続けることも。

本当にたいせつなものは
自分の手におさまりきれないほどに
たくさんはないということも。

誰かをふかく、傷つけることのこわさも。


18歳だった。


碧空無限。

アオイソラ、ムゲン。



あの日

あなたたちと見ていたとうめいな空にあたしは近づくことができただろうか。

一歩でも。




2002年6月1日(土)、記  まなほ


オシラセ :

こんなのも、作ってみました。
文芸ジャンルにて、
http://www.enpitu.ne.jp/usr9/98366/
よろしかったら、お読みください。
ただし、、、二週間限定日記になる予定です。(苦笑)


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