徒然なるままに…
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昨日も先輩から電話がかかってきた。 どんだけ暇人なんですか。(いや、本当は忙しいはず) 来週辺りに先輩の家にご飯を食べに行くことになってしまった。 めちゃくちゃ料理の上手い人だから嬉しいんだけど、餌付けされている感が無きにしも非ず。 別にいいんだけどさー。
最終的に、ローソンのミッフィーポイントが120点たまった。 私はミッフィーボウル2つとマグカップが1つもらえれば良いから、あとの1つは寄付だなぁ。
今日も着物でお茶のお稽古。 先週に比べて、だいぶ楽だった。 ちゃんとタオルで補正したからかな。
とりあえず、着物は着れるようになった。 帯も…簡単なものなら一人で大丈夫。
だいぶ前に、クリスチャンであることを私に打ち明けてくれた友達からパソコンにメールがきた。 そのメールに聖書からの引用がしてあって…正直困った。 更に、その人の目には、私が「隣人愛」を実践しているように見えるらしい。 ええええ。 そりゃあ表面上は、好きな人・嫌いな人に関係なく誰にでも同じように接するようにしてるけど、 実際は、好き嫌いは激しいし、損得考えて動くし、隣人愛とは程遠い。 まぁ、嫌いな人であれ、全く知らない人であれ、その場に居合わせる(=時間と場所を共有する) というのは何かの縁かもしれないから、無碍にはできないな、と思ってのことなんだけど。 これが彼女(か、キリスト教の誰か)が言う「隣人愛」なら、私は隣人愛を実践してると言えるのかもしれない。 ただ、私にとってこれは「愛」ではないけれども。 どうせなら、「人情」とかって言ってくれた方が受け入れやすいんだけどなぁ。
さて、何て返事しようか。
夜11時頃、知らない番号から電話がかかってきたと思ったら、一時夜中によくメールをしていた先輩だった。 そういえば、半月前ぐらいにこの先輩からきたメールに返事をしていなかったなぁということを思い出し、多少気まずくなりつつ。 2時間ほど喋っていたんだけど、前半は割とまともな話。 後半はなぜか先輩の彼女の話。 先輩の彼女はものすごく心配性というか、焼きもち焼き?らしく、先輩は苦労しているようで。 先輩が彼女に尽くしてるっていうのが意外だった。 しかし37歳のオッサン…じゃなくて男性とこんな話をすることになるとは。。。
あー疲れた。
休みがないとか言いつつ、今日はビアガーデンで飲み会。(そしてなぜか浴衣) 思いがけず深い話ができた。 久々に熱く語ったなぁ。
背後で飲んでいた別の集団が、鳥取からきた人たちだということをひょんなことから知って、しばし話し込んでしまった。 公務員のおじさん、おばさん達で、慰安旅行?かなんかで京都に来ていたらしい。 びっくり。
てな感じで、なんだか私は誰とでも仲良くなれると思われてしまったみたいなんだけど、 たぶんそうではなくて、ある種の年代の人と、オタク気質の人に好かれるだけなんじゃないかと思う。 あと、ほぼ他力本願のみで、ローソンのミッフィーのポイントが総計90点集まったんだよーと言ったら、「人望ですね」といわれた。 うーん、人望あるんですかね。 でもね、いくら人望があったとしても、人に好かれたとしても、本当に好きな人に 好きになってもらえない(というより恋愛対象として見てもらえない)っていうのは、ものすごく悲しいんだよ。 妹のような存在としてしか見てもらえないって悲しいんだよ。 ものすごく可愛がってもらっているのにこんなことを言うのは我儘だと思うけど。
でも、はっきり言って、嫌だ。 嫌だ。 嫌なんだよー。 はぁぁ。
たまにはこういうことも吐き出さないと。 やってられないよ。
昨日、この夏最大のイベントが終了。 今年はだいぶ楽をさせてもらったけど、朝から晩まで色々と動き回る。 懇親会がすごく楽しかった。 2年前に熊本で会った人と再会して話すこともできたし(私のことを覚えてくれていたのには感激)、 3年前にこれまた熊本で会って、去年再会した人にも昨日会えたんだけど、名前を覚えていてくれたし。
こういう繋がりってすごく大事。 熊本に行ったことで、ずっと京都にいた人に比べて知り合いが多いのは私の強みだなぁと。 残念ながら、まだ活かし切れてないけど。 恐らく来年以降、この人脈が活きてくるはず。
充実した日々であることは確かだけれども、内容盛りだくさん過ぎて、8月いっぱいは休めそうにない。 そして9月はお茶会。 で、熊本に行って、東京に行って。 うーん。 頭が痛くなってきた。
今日は着物を着てお茶のお稽古。 心身共に疲れ果てた…。
その後、先輩と久しぶりに晩ご飯を食べに行く。 2、3時間ほど色々と話をしていたんだけど、かなりの収穫あり。 収穫と言っても、先輩から一方的にというのではなく、先輩の絶妙な合の手に助けられて私自身から生まれた収穫。 人と話すことによって(つまりは伝えたいという意思によって)漠然と考えていたことが明確になる。 全く言語化しようとも思っていなかったことが、至極当然のように、言葉として出てくる。 言ってから、自分でハッとする。 自覚している以上に、私は深いところまで考えていたらしい。
ほぼ日刊イトイ新聞に連載されている、山田ズーニーさんの「おとなの小論文教室。」がすごく好き。 ここに書かれていることってすごく大事だと思う。 他の人にとってどうかはわからないけど、私にとっての「充実した人生」の断片が、ここに書いてある。 というか、「あぁ、こうありたいな」と思えることがたくさん書いてある。
おとなの小論文教室。を読みながらふと思ったけど、私が宗教を嫌う理由は恐らく、 宗教によって、人はある面で「考える」ということを放棄するから。 これってすごく恐いことだと思うんだけど。
軽薄に言ってみると(軽薄に言ってみる必要なんてないんだけど)、 「迷える子羊でいいじゃーん。迷うって別に悪いことじゃないじゃーん。」 てな感じ。
先輩と喋っているとき、疲れているはずなのに、何故かものすごく頭が冴えていた。 たぶん、お茶のお稽古は頭を使わないから、その反動。(今日は普段の二倍くらいの長丁場だったから。) ああいう状態ってなかなかないんだよなぁ。
最近、周りであまり良くないことが続いてる。 自分ではどうしようもできないことって、本当に辛いんだなぁ、と。
上手く言葉が出てこない。 概念から言葉への変換が上手くいかない。 同業者の人はそんな経験ないんだろうか。 色々なものが崩壊しつつある。 意識が分散して、色んなところで色んなことを考えてる。 で、音楽に逃げる。 音楽なら、言葉にする必要はない。
今は、日常的に会う人以外には会いたくないな。 たぶん、今、ものすごく、変。
頭が痛い。 ここ何日か、本を読みながらいつの間にか電気つけっぱなしで寝てしまう。 何かの切り替えが上手くいっていないような感じ。
防犯ブザーを先着順で配っているというのを聞いて、貰ってきた。 一応、「夜中に帰宅する事の多い女性限定」で貰えるらしい。 敷地内で襲われた人がいるそうで。 物騒だなぁ。 貰った防犯ブザーは簡易懐中電灯付きで、ブザーの機能よりもそっちの方が便利そう。
釈然としない理由が分かった。 深みがないからだ。 あくまでも自分からは距離を置いた客観的な対象としてしか見ていないから。 生き方そのものにまで反映するほど、その人にとって大きな存在ではないのか。 逆に考えれば、深みのない、その程度の「ものの見方」だから、生き方に反映しない、と言うことも可能か。
どこまでいっても、テクニカルだ。 もちろん、皮肉の意味で。
この人を選ばなくて良かった。
あー、もう駄目だ。 どうすれば良いのか分からない。
ある分野の専門家に言われたら、その人の言っている事の方が正しいのかも… って思うのって無理のないことだと思うけど。 私なんてまだ短い期間しかやっていないわけだから。
確かに、言っていることは分かる。 間違ったことを言っていないのも分かる。 なのに釈然としないのは何故。 既存の観点に捕われているから、未だに問題が解決しないっていう可能性はないのか?
妥協できるところは妥協しよう。 けれども、妥協できないところで無理に妥協すると後で後悔するから、それは絶対にしない。 こんなことで曲がってしまうような信念だったら、ここまでこだわりを持ってやってない。 間違っているかもしれないけど、自分のやっていることを信じるしかないのか。
励ましてもらおうと思って(というか、話を聞いてほしくて)、ある人に電話したんだけど、いなかった。 そりゃそうか。今の時期、帰省してるよね。 自分でどうにかしよ。
初めて送り火を見た。 買い物の帰り、家のすぐ近くで右大文字が見えたんだけど、想像以上に近くて、大きかった。 すごいなぁ。
覚悟を決めた。 質疑応答5分なら何とか乗り切れるという算段。 こうして自分を追い詰めるのは、限界を知るため。 あるいは限界を広げるため。 まだ追い詰めても大丈夫。
「我々は語ることができるより多くのことを知ることができる。」 (マイケル・ポランニー著『暗黙知の次元』)
当たり前と言えば当たり前のことなんだけど、当たり前のことを言うっていうのはとても大切なこと。 それに、結構難しいことだと思う。
しかし、なんでまたこんな本を読んだんだっけ。
とある人にメールを送ったんだけど、返ってきたメールが恐い。 京都の人って丁寧さがかえって恐い。 でも、ところどころ可愛らしい?表現もあったり。 よくわからん人だ。
あるものをどう見るかというのは、その人のものの見方にすごく影響される。 どういう「○○観」(「世界観」みたいな)を持っているかによって、見えるものも、見え方も変わってくる。 私はまだものの見方が定まっていない。 けれども、私の周りにはものの見方が定まった人がたくさんいて、その人自身のものの見方でコメントする。 その人がどういう見方をしているのかがまだよくわかっていないから、ものすごく混乱する。 色々な見方ができる対象だからこそ、面白いし、みんなが興味を持ってくれるんだけど、 みんな自分の興味に引き付けて色々と言うから、私は把握しきれなくなってしまう。
やっぱり、しばらく外からの情報をシャットアウトしないと駄目だなぁ。
京都に戻ってきました。 世間ではこれからお盆だっていうのに、私のお盆はもう終り。 お墓参りもしたし、祭りも見たし、普段会わない人にも会ったし。 夏の終り。
10日に実家に帰る途中、三ノ宮で友達と1年ぶり?ぐらいに再会。 3時間ほど、ケーキを食べながら喋っていたんだけど、色々とあった様子。 話を聞いていると、どうやら彼女は周りの人に恵まれていない感じが。 受け取り様によっては、そういう状況ってものすごく勉強になると思うんだけど、 マイナス思考の時にそういう状況だと愚痴の原因にしかならない。 でも昨日メールがきて、転職先が決まったらしい。 転職先でも色んな人がいると思うけど、ひとまず安心。
実家に帰ったら、誕生日のケーキが買ってあった。 9日から連続ケーキ。 でも、誕生日を祝ってくれる人がいるというのは嬉しい。 気持ちだけで十分満足したから、プレゼントはいいやって感じ。
11日は鳥取へ。 夜はしゃんしゃん祭。 赤と黒の浴衣を着た富士通のおにーさんが素敵だった。 今年もNHKのどーもくんがいたので、疲れ果てて哀愁漂う姿を写真に収める。 でも夜だと綺麗に写真撮れないなぁ。
12日は打ち上げ花火。 午後8時からだったんだけど、その前に、10年くらい前の手持ち花火が残っていて、使えるのか?と母と二人でやってみた。 やってるうちに8時になってしまって、あー花火見にいかなくちゃ、と急いで手持ち花火を消費する。 「楽しむ」というより、「消費」。 何か違うなぁ。 その後、打ち上げ花火鑑賞。 最後の1分ぐらいがすごく綺麗だった。 そろそろ、母以外の人と花火を見に行きたい気もするけど。。。
13日(今日)はお墓参り。 従姉の子に久しぶりに会ったんだけど、この前まで赤ちゃんだったのに、もう子供になっててびっくり。 成長早いなー。 3歳と5歳の男の子がいるんだけど、5歳の子はよく喋る。 しかし、鳥取弁に限らず、子供が方言を喋ると途端にじじくさくなるのは何故だろうか。
で、京都に戻ってきたんだけど、鳥取に腕時計を忘れてきてしまった。 今週末に母が荷物と一緒に送ってくれるんだけど、それまで不便だなぁ。
こんなに嬉しい誕生日(とその翌日)は初めてかも。
お昼頃、先輩が後輩を外に連れ出してなんか怪しいなぁと思っていたら、その後輩がケーキの箱を持って帰ってきた。 で、開けてみたら「○○たんじょうびおめでとう」と書いてあって(ヤプログ参照)。 ちゃんとロウソクを立てて、火をつけて、吹き消して。 こんな、いかにも誕生日!っていうことやったのは何年ぶりだろう。。。 後で聞いてみたら、一緒にお茶のお稽古に行っている先輩が注文してくれていたらしく。 その先輩は今日は来れなかったみたいだけど。 何でここまで良くしてくれるの?っていうのが不思議。
何はともあれ、ケーキは美味しく戴きました。
明日は実家に帰る。 帰る途中で三ノ宮に寄って、友達と会うことになった。 明後日は鳥取へ。 で、13日には京都に戻ってくる予定。 慌しいなぁ。
今日は誕生日でした。 誕生日おめでとうメールを貰いました。 部屋に入ったら、ハッピーバースデーの歌を思いがけず歌ってもらいました。 先輩に美味しいお寿司をご馳走してもらい、美味しいお酒を飲みました(これは誕生日関係なし)。 色々と話を聞いて、ものすごく気分が楽になりました。 しかし明日の準備がまだ終わってないので、今日は徹夜です。
自分が何歳になったのかも怪しい誕生日だったけど、いつになく楽しい誕生日だったなぁ。 後は、ぎゅーっと抱きしめてくれる人がいれば最高なんだけど。
とか言っている場合じゃないんだよなぁ。 明日の準備。。。
4年前くらいに別のところでプライベートモードで書いていた日記を久しぶりに読み返してみたら、 見事に恋愛方面の悩み方が、今と全然変わっていないことにびっくり。 うわー、成長してない。 今も同じようなことで悩んでるもん。
そろそろ、ちゃんとしないとね。
Gを見た。Gを。 ゴッキー。 声も出ません。 もうやだ。
自分がやっていることの意味とか意義とかっていうのは、最初は自分自身では見えてこない。 自分よりも経験を積んだ人と話していると、それが何なのか気付かせてくれる。 他者の視点の効用。 でも取捨選択が大事。
私が本当に困ったときに話を聞いてもらう人。 昨日SOSのメールを送ったら、今日返事がきた。 そのメールの内容を読んで、泣いてしまった。 たぶん、私がわざわざメールを送るほどに切羽詰まってるんだろうということを察してくれたんだと思う。 この上ない救い。 今は京都にいないけど、もうすぐ戻ってくるみたいで、水曜日に一緒にご飯食べましょうということになった。
あぁ、もう少し頑張れそう。
最終的に頼りになるのは自分だけ。 人の言うことに振り回されるのはやめようと思った。 私がやりたいことに関しては、私が一番良く知ってるんだから。
曜日、というか、時間の感覚がなくなってきた。 活動する時間と休息する時間がぐちゃぐちゃ。 10日から3日間ぐらい実家に帰るから、それでリセットできるか。。。
見たくないものを二つ見てしまった。 ひとつは虫。 芋虫みたいなので、やたら長い。 先輩にお願いして、自然の中へ返してあげました(割り箸でつまんで放り投げてもらった)。 もうひとつは…何だっけ。 忘れてしまった。
夏バテ気味。 液状のものは大丈夫だけど、固形物を胃に入れるのが辛い。 誰かと一緒にご飯を食べに行くと食べれるんだけど、家で食べるのが辛い。
今日のお昼、先輩と後輩と一緒にご飯を食べたんだけど、その時に1年前の私がどんな感じだったかという話になった。 先輩曰く、「今より意固地で、心を閉ざしていた」。 うーん、当たっているような。 別に閉ざしたくて閉ざしていたわけじゃないんだけど。
私がやろうとしていることは本当に複雑で難しいから、一人でやるのは無理だよ、と言われた。 人の力を借りた方が良い、とも。 ずっと私の観察力、知識力が足りないから進まないんだと思っていたけど、どうやら原因はそれだけではなかったらしい。 こういうことを指摘してもらえるだけでも、だいぶ楽になる。 気分的に楽になるだけで問題は全く解決しないけど。
全然進まなくて結構切羽詰まって泣きそうだというメールを送ったら、 「泣くこたあない( ̄◇ ̄)」と返事が来た。 やっぱり色んな人に助けられてるなぁ。 つくづく思うけど、私はものすごく人に恵まれている。 これは才能に恵まれているよりも、ある意味で幸せなことなのかもしれない。
疲れた…。 昨日の夜、というか今日の夜中、急遽ある事を今日の午後からやることに決まって、ずっと資料を作っていた。 朝まで資料作って、セミの鳴き声にうなされながら机に突っ伏してうとうと。 その後、家に帰って午後まで寝る。
来週もやるんだよなぁ。 果たして体が持つのか。
今日は早く帰って寝よう。。 日が変わらないうちに家に帰るのは久しぶり。
胃が痛い。 コーヒーの飲み過ぎかなぁ。
あぁ、とうとう8月。 夕方、マイボスが突然やってきて、色々とアドバイスをくれた。 少し前までプレッシャーをかけられてて(マイボスはプレッシャーをかけてるつもりは全くなさそうだけど)、 うわーどうしようかなーと思って変な方向に行きかけたんだけど、それを察したのか、今日は控え目なアドバイスを。 王道を行けば良いのか。 王道なのに誰もやってないのが不思議だけど。
家にパソコンを持って帰らないようにしたら、無駄に過ごしていた時間が減った気がする。 あと、持ち運びする荷物も減ってすごく楽。
昨日は、今年になって初めてスイカを食べた。 でもって、今日は桃。
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