日記日和
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2005年04月30日(土) 満足じゃ。。。

昨日は、みんな一緒の昼食の後、我が家の4人は義弟たちにくっついて、奈良公園に行ってきました。

私たちは半年前にも行ったので、特に珍しいということもなかったのですが、昨日は、とにかく人力車のお兄さんたちがいっぱい。

観光客の多いこの時期は掻き入れ時なんでしょうね。

普通の人力車だけでなく、後ろに二人乗れる座席がついた自転車を走らせているお兄さんもいました。



そして明けた今日。

出勤するダンナを見送った後、「明日は手伝いする」と言っていた子供の言葉を信じてテレビを見たり、新聞を読んだり、ネットも少し・・とのんびりしてたら、8時。

そろそろ洗濯でもしようかと思った頃、子供たちが起きてきたので、
1、洗濯
2、掃除
3、terraの散歩+洗い物
のどれがいい?と子供たちに選ばせませた。

結果、娘が洗濯、息子が掃除を選んだので、私は一番お気楽なterraの散歩に出かけました。

後の用事を考える必要がないので、いつもよりゆっくり歩いて帰ってみると、洗濯機を回してる間に娘が息子の分までおにぎりを作ったそうで、息子も掃除を中断して、かぶりついていました。

そうね、朝食をすっかり忘れてたよ(謝)


お嬢も成長したね〜





その後、子供たちにも手伝わせながら衣替えをし、昼食に。


午後からは子供たちを開放して、私は、夕食にピザを焼くつもりで、その準備。

生地をこねたり、具を切ったり、ホワイトソースやゆで卵、マッシュポテトを作ったり、魚介類を酒蒸ししたり・・・

4種類作るつもりなので、トマトソースなど市販のものを使っても準備には手間がかかります。

ま、今日は時間がたっぷりあるので、あせらず、のんびりと。

ついでにビザの生地でterra用のパンも焼いてやりました。



あとはダンナの帰りに合わせて生地に材料を載せて焼くだけです。





今日みたいに、どこにも出かけず一日丸ごと自分のペースで過ごすのも贅沢だな〜

満足度100%のGW2日目です。


2005年04月29日(金) いよいよ、ですね。


今日は、義弟とそのお嫁ちゃんが関東から来るので、義父母も一緒にみ〜んなでお昼ゴハンを食べてきます。


義弟たちは、旅行の途中なので、そのまま移動するようです。




いよいよGWの始まり、始まり、ですね〜


皆様、よい休日をお過ごしくださいませ。


2005年04月28日(木) terraは笑ってませんよ。


今朝、terraの散歩から帰りかけたときのこと。

三叉路になった一方から、おばあちゃんらしい人とお母さんらしい人、そしてその少し後ろから小さい男の子(後で2歳だとわかりました)が歩いてきました。

男の子は何か言いながら声をあげて泣いています。

おばあちゃんかお母さんに叱られたのかな・・思い通りにならないことがあったのかな・・

自分の子供のときはとてもそんな風には思えませんでしたが、小さい子供は泣いてる姿も可愛いなぁと思いながら、家がそちらなので、その人たちの方へ歩いて行きました。


すると、terraを見つけたおばあちゃんが「ほら、わんわんやで。わんわん来るよ」

子供の機嫌取りのエサにterraを使うのね〜。大いに結構!と思っていたら・・


続いて出たのが、「そんなに泣いてたら、犬に噛まれるで」


???

何てこと言うんですか。。。

terraは子供が泣いてるからって噛みませんよ。

いつもそんな言い方されていたら、その子は犬嫌い、犬を怖がる子にならないかしら・・と余計な心配をしながら、とにかく、あまり関わり合いになりたくないな〜と、さっさとその親子を追い越しました。




その親子も向かう方向が同じだったようで、後ろを歩いて来る気配がします。


今度は、「自分で歩かんと抱っこしてもらって・・」

これは、おばあちゃんの声だから、今、男の子はお母さんに抱っこしてもらっているのね・・と振り返らずに想像してたら、追い討ちを掛けるように

「2歳にもなって抱っこしてもらってたら、わんわんに笑われるよ」


また、ですか〜


terraが声のする方を気にして振り返るたびに、「ほら、わんわんが笑ってる」




こういうのって、どうなんでしょう?

誰かのせいにしないで、ちゃんと言ってきかせれば、小さい子だってちゃんとわかるものですよ。


詳しい事情がわからないので、勝手なことは言えませんが、2歳なんてまだまだ抱っこ年齢だと思うんですけどねぇ。


古くは「おまわりさんに、叱られるよ」

「病院に行って注射してもらうよ」

「あのおばちゃんが怒ってるよ」

そして、

「わんわんに噛まれるよ」「わんわんに笑われるよ」



まぁ、わんわんに笑われたって、痛くも痒くもないとも思うのですが。。。


2005年04月27日(水) 会報届く


さきほど、所属行政書士会の会報が届きました。

組織やその中心となる先生方がわかるようになってきたので、以前より親しみを持って興味深く読みました。


また、私も今回は、編集後記を書かせてもらっています。


それに関しては、先月末に最終の原稿チェックのメールが入った時、用紙も充分にあり、詰まってもなかったのに、何故がデータが保存されたままになってて、それに気付いたときには、締め切りが過ぎていた・・という失敗がありました。


ちょっと直したい箇所があったんだけどなぁ・・・

と悔しがっても後の祭り。



でも、ま、これで広報部員としての活動は終わったので「いい記念になりました」ということにしておきましょう。


2005年04月26日(火) 責任転嫁、ですか?


昨日の福知山線の事故は、想像を超える被害で驚いています。

亡くなられた方、怪我をされた方・・
お気の毒としか言いようがありません。


昨日、何度かJRの記者会見がありましたが、そこで語られた話を聞いてちょっと嫌な気持ちになりました。

脱線の原因について、置石の話です。


粉砕跡があったということで、それも事故の原因の一つだったかも知れない。
本当に置石がありそれで事故が起こったのなら、一番悪いのは石を置いた人間です。
それは間違いないと思います。


ただ、まだ乗客全員が救出されていない、そんな段階で、置石の話がJR側から出てきたということに引っかかったのです。

責任転嫁、責任逃れをしてるように感じられました。



現場で被害者と対応している社員の方々は大変な思いをしているはずです。

では、エライ人たちは何をしてるんですか・・?





全く話は変わりますが、

雪印乳業の食中毒事故以来、私は全く不買というわけではありませんが、どこか雪印の商品を避けています。

先日娘にその理由を聞かれ、不衛生な製造ラインとか期限切れの原料を使ったことで多くの食中毒患者を出したことを簡単に説明しました。


でも、それ以上に私が印象に残っているのは、記者に囲まれた社長が「私は寝てないんだ・・」と逆切れした場面。

その前後に記者との間でどんなやり取りがあったのかはわかりませんが、あの場面だけを見た私には、「私のようなエライ人間が夜も寝ずに働いているのに、何をごちゃごちゃ言ってるんだ」と聞こえました。


その傲慢さが今回の事故につながっているんじゃないの?と一人、納得したものです。





昨日のJRの会見を見て、何故かあの時の雪印の社長の姿を思い出しました。





この事故では、すでに多くの犠牲者が出ていますが、せめてもうこれ以上増えないことを祈っています。


2005年04月25日(月) 大変な事故です


terraの散歩から帰ってきて、この頃手入れの手を抜いて、あっちこっちに毛玉が目立つようになったから、今日は念入りにブラッシングしてやろう・・とソファーに座ってterraを膝に乗せ、テレビをつけていたら・・


まず、ニュース速報で、続いて、特番で大きな事故を伝えています。


映像を見て、ぞっとしました。

尼崎で電車が脱線して傍のマンションに突っ込む事故が起きたそうです。




車に衝突して脱線したとか、脱線後衝突とか・・

事故前、伊丹駅でオーバーランしたとか・・・

まだ情報が錯綜しているようで、はっきりした原因は伝えられませんが、原因は何にしろ、大変な事故だということがわかります。




多数のけが人、そして亡くなった方もいらっしゃるようです。

今も救助作業が続いているようなので、その数はまだ増えるのかもしれません。



どんな場所で起こった事故でもそれを目や耳にすると、重く暗い気持ちになりますが、尼崎には友達も住んでいるし、何度か訪れたことのある場所なので、特に悲しい気持ちになりました。




今日は、この事故の情報をずっと気にして過ごすことになりそうです。


2005年04月24日(日) 独擅場、何と読む?


さっき本を読んでいたら、文中の独擅場という言葉に(ドクセンジョウ)と振り仮名が・・

これって(ドクダンジョウ)と読むんじゃないの?と漢字をよく見ると・・

「独壇場」だと思っていたのが「独擅場」なんですね。

でも意味は独壇場と同じように使われています。

気になったので、ちょっと調べてみました。


すると、元は「独擅場」と言われていたのが、誤用の「独壇場」の方が広まり、結局、定着してしまったようなのです。


それを説明した文章には、「独壇場」と「独擅場」の棲み分けでは、まさに「独壇場」の独壇場と書かれていました(笑)


「擅」と「壇」が似てることから起こった間違いのようですが、それだけで、本家の地位が奪われてしまう日本語の脆弱さも指摘されていました。



同じように漢字が変化したものに、捧腹絶倒→抱腹絶倒があり、

漢字はそのままに読み方だけ変化したものはとても多くて

攪拌 こうはん→かくはん
堪能 かんのう→たんのう
情緒 じょうしょ→じょうちょ
宿命 しゅくみょう→しゅくめい
消耗 しょうこう→しょうもう  など、数多く・・

今、私が使っている言葉は、全部変化した後のものだったんですね。


そして、現在、その変化の途上にあるものとして、

御用達 ごようたし→ごようたつ
固執 こしゅう→こしつ
早急 さっきゅう→そうきゅう
重複 ちょうふく→じゅうふく
相殺 そうさい→そうさつ

一所懸命→一生懸命

などが挙げられていました。


たしか、私たちが子供の頃は、「一所懸命」だと教わり、その間違いの例として「一生懸命」が挙げられていたように思うのですが、うちの子供たちは、「一生懸命」だと言い切りますし、今、「いっしょうけんめい」と打って変換しても「一生懸命」という漢字にしかなりません。


それから「御用達」という言葉を見たとき、「ごようたつ」と読むか「ごようたし」なのかを迷うことが多かったのですが、それも仕方なかったんですね。



こんな風に、言葉が使いやすく変化するのは仕方ないことなのでしょうか。


これもまた「日本語の乱れ」と言うのでしょうか。

確かに今日の本のように、知ってるはずの日本語の意外な裏の顔に(?)戸惑うこともありますが、言葉も生き物であるのなら、変化していくこともまた、仕方ないのかも知れません。


2005年04月22日(金) 後日談あれこれ


最近の日記の後日談のようなものを少し。



まず、昨日のメールの方からは、丁寧なお礼メールが届きました。

いい方向に行きそうな材料が書き加えられていて、「イイぞっ♪」という感じです。



次は左右が苦手、という話。

日記を読んだ妹からメールが届き、

「・・絶対になれない職業、バスガイド。右手を出しながら『左をご覧下さい』なんて・・」

なるほど〜と感心していたら、別の要件で電話で話した際に、「私は小学生の時から自覚があったのに、今頃気が付くのは遅すぎ」と、痛い指摘がありました。

ごもっとも。




それから、個人情報保護法について。

あの日記を書いたすぐ後に、美顔機器だか何だかの勧誘の電話がかかってきました。

「チャ〜ンス!」と思って、(多分マニュアル通りに)畳み掛けるように話すお姉さんの言葉を「ちょっといいですか?」と止め、「うちの電話番号はどうやって手に入れたんですか?」と聞いてみました。

「いえ、順番に掛けているんですよ。××××ー△△ー□□00番から□□01、□□02・・と順に。ですから、お客さまの都道府県はわかりますが、お名前などはわかりません」とのお答え。

そんな効率の悪いことしてるとは思えないけど、きっとこれも対応マニュアル通りなのねとあきらめ、セールスの続きを言おうとするお姉さんに「すみません、仕事中なもんで〜」と電話を切らせていただきました。

ちゃんとした会社なら、それなりの手は打っているよね。

ちなみに、その時は仕事中っていうか、名刺がなくなってきたんで印刷してただけなんですけどね(汗)



さらにず〜っと前にスリッパ卓球のコトを書いたのですが、あれは依然、我が家のブームです。

するのは決まって夕食後。
みんなが顔を揃えていて、かつ、特にすることもなさそうだと見抜くと子供たちが準備にかかります。

準備といっても上の物を移動させ、テーブルを少し動かすだけなんですけどね。

うちのはキャスター付きだから、娘一人で簡単に動かしてます。


大体、1対1の対戦から始まるのですが、娘も腕を上げ、息子はさらに上手になり、私たちがすっかり置いて行かれています。

もうダブルスの際、娘と組んだら無条件でラケット、相手チームはスリッパの原則(!)が崩れています。




そうそう、娘のたまごっち。

まだまだ健在です。
どんどん世代がかわっていくんですね。
育て方を色々変えて、狙ったキャラに成長させています。

ちなみに今は「ござるっち」
忍者がモデルのようです。
「お母さん、あんまり世話せんとほっといてね〜」と娘が言ってたけど、ほっらたかしにしておくとなりやすいキャラらしい・・

「ござるっち」は低血圧で朝が苦手だそうで、お目覚めは10時。
その分宵っ張りで11時まで起きてるんですよ〜


次は、まじめにコツコツお世話して、「まめっち」を目指すぞ〜!!←完全にハマッテル母(=私)


2005年04月21日(木) また、先輩に助けていただきました(感謝)


外出先から午後2時頃帰宅。

日記を書く前にメールチェックすると・・

サラリーマンの知り合いから、メールが届いていました。


職務著作についての問い合わせ。

現実にご自身が職務上作成したものを個人の著作物にしたいけれども、それが可能かどうかという質問です。


著作権法の原則としては当然、作った人が著作権者となるのですが、特定の要件を満たした場合のみ、著作権は法人(会社)のものとなります。

その要件とは・・ちょっと小難しい言葉の羅列になりますが・・
    〇法人等(法人やその使用人)の発意に基づくものであること
    〇法人等の業務に従事するものが職務上作成するものであること
    〇自己の著作の名義の下に公表するものであること
    〇作成時における契約、勤務規則、その他で著作権が従業者に留保される旨の定めがないこと 



今回のケースでは一応全ての要件を満たしているようでした。

あくまで、職務として作成したもので、作成したものが個人の著作物になるという会社との約束もないとのこと。


法律に照らし合わせると「出来ます」とは答えられない状況でした。


ただ・・



実務としてみたときに、何か打開策がないのかお聞きしたくて、先輩の先生に問い合わせてみました。



すると、ちゃんと打つ手はあるんですね。

「物は言いよう」「話の持って行き方」という微妙な話ではありますが、出来ない話ではないと。



早速その旨、返信いたしました。

ただし、その会社の実情はわかりませんので、今後の会社との関係も考えた上で、判断してもらいたいことを申し添えました。





あっちこっちで「知的財産権、著作権」と言ってまわった甲斐あって(?)最近、分野を絞った問い合わせをもらうようになりました。



知的財産権関係、そして、入国・在留資格関係・・

ウェルカムです\(^o^)/


2005年04月20日(水) 保険もできたそうですが・・


少し前にこの日記でも触れましたが、昨日は、個人情報保護法とプライバシーマークについての研修を受けてきました。

講師の先生も言われていましたが、この個人情報保護法に関することは、厳密な行政書士業務というよりはコンサルタント的な要素が多いようです。



予備知識をほとんど持たずに研修を受けたのですが、わかりやすい話で興味深く聞きました。

個人情報保護法の対象となるのは、5000件以上の個人データを有する事業者ということで、私は勝手に個人データ=顧客データだと思い込んでいたのですが、違っていました。

そもそも5000件というのも、過去6ヶ月に1日でも5000件の日があれば適応対象となるんですね。

そして、この法律でいわれる個人データには、顧客に加えて、社員や求人に応募してきた人、入社時の保証人から、社員の扶養家族まで・・とにかく「個人」が識別されるものは全て含まれるそうです。


そして、現在は5000件ということになっていますが、将来的にこの数がもっと小さくなる可能性は大だとか。


私は、「5000人の顧客を持つ事業者」という思い込みで、かなりの規模の企業しか対象にならないと考えていたのですが、そうでもないようです。

例えば、アンケートなどでも、性別・住んでる地域・年齢層だけを記入するようなものはともかく、住所・氏名を記入すれば、もう立派な個人情報となるのです。




この法律が対象事業者に求めているものは、個人情報を適正に取得し、利用目的を出来る限り特定すること、個人情報を安全に管理すること、そして、本人の同意なく第三者で提供しないことや本人の求めに応じて訂正・利用停止の措置をとらなければならないこと・・などです。


これが守られていなければ、各業界の監督大臣から勧告・命令などを受け、違反した場合には罰を受けることとなります。




事業者側の話ばかりになりましたが、私達情報を提供する側は、自分のデータの開示、場合によって訂正や利用停止を求めることができますし、その利用目的を知ることもこの法律で認められています。


日本は、諸外国に比べ、社会全体の個人情報に対する意識がとても低いとされていますが、一人一人が自分の情報の行方にもっと関心を持つようになれば、自ずと全体のレベルアップにつながるはずです。



昨日の先生は、例えば、植民地支配をしていたイギリスなどでは、起こりうるトラブルに前もって準備しておくが、農耕民族である日本人は、何かが起こってからでないと行動を起こさないという意識の違いがあると言われていました。

台風や大雨など、災いがあってから対処することに慣れている民族だからか、こういう個人情報の管理に関しても、何かトラブルが起こらないと動かないのではないかと。


確かに罰則はそれほど厳しいものではありませんが、損害賠償を請求されると大変なことにもなりかねません。

企業向けの個人情報保護法対策の保険も出来たとのことですから、それで、金銭的な部分はカバーされるかも知れませんが、社会的な信用失墜はどんな保険を持ってしても防げないのではないでしょうか。


自主的に営業停止したことで、社会的な好感度がアップした某通販の会社は初めてのケースだったから受け入れられたのでしょうし、体力のある会社だったから営業停止期間の損害にも耐えられたのでしょうし。




この法律のことは別にしても、必要以上に自分の情報を外に出さないことが重要ですよね。

今度、何か勧誘の電話がかかってきたら、うちの電話番号をどこで手に入れたか聞いてみようかしら・・・


2005年04月19日(火) 右はお箸、左はお茶碗。わかっちゃいるけど・・(涙)


くだらない話なんですが。



例えば・・

これから我が家に来ようとしてる人に、電話で道順を説明するのは比較的楽。

(特に女性の友人からは)東西南北がわかりにくいという話も聞きますが、ここは、山側が北、川が南。西は大きな市の方向・・と、わかりやすいので、「道路よりも南です」とか「あの信号をもう少し東へ・・」と説明し易いんです。


左右なら「〇〇方向から来たら・・」という説明をつけて「右」とか「左」とか言わないといけないので、出来るだけ東西南北で表現します。




困るのは、助手席に乗って道案内をするときで、フツー、実際に道路を走りながらは「ここを東へ」とか「西へ」とは言いませんよね。


「右折」「左折」ということが多いと思うのですが、どうやら私はそれがとっても苦手なんだと最近気が付きました。


自分自身は左折する気満々で、「そこ右折」と言い放ち、曲がってから「アレ?」なんてことはしょっちゅう。


その一番の被害者はダンナで、そういえば昔はよく怒られました。
でも、まだ左右苦手の自覚がなかった頃は、内心(ダンナが聞き間違えたんだろ・・)と思ってたんですね〜(反省)


最近は、ダンナの方がちゃんと学習したようで「右やな?お箸の方やな?」と確認を怠らなくなりました(笑)



左右が苦手なのは、道案内に限ったことじゃなく、「右の目の下に何かついてるよ」と注意してもらったら、確実に左目の下を触る自信があります(キッパリ)



この頃は、子供たちにもすっかりバレて、先日は左右を言い間違えた息子が「あ、お母さんみたいなコトしてもた・・」


ま、いいんですけど(涙)




そういえば、妹は昔っから「私、右と左が苦手・・」と言ってたっけ・・・
ずっと「私は大丈夫。」と思っていたのですが、大きな間違いでした。。。


もしかして、こんなコトも遺伝するのかなぁ・・?


2005年04月18日(月) ソフトバレーボール・デビュー


最近、運動といえば、terraの散歩くらいの私。

日頃から運動不足を感じていて、(何とかしなきゃ・・でも、何したらいいのぉ??)と悶々していた私をひょいと救い上げてくれた奇特な方がいて、今日は朝からソフトバレーをしてきました。



元々身体を動かすのは好きな方ですが、球技はあまり得意じゃない。
あ、ソフトボールは中学時代にやっていたので、まだマシか・・

特にバレーボールは、中学の授業でやったときの腕の痛さが強烈で、絶対にするもんか!と思っていました。

受け方が下手なこともあったのでしょうが、バレーボールの後、数日は内出血して紫のきったない腕になっていたのです。




でも、でも、今日のは、ソフトバレー♪

普通のバレーボールに比べてボールが大きく、そしてとっても柔らかなんです。

今日が初日の私もメンバーに入れてもらってゲーム形式で練習したのですが、周りは7、8年の経験がある人たちばかりだから、私の下手さは際立っています。

それでも、レシーブしても腕が全然痛くないから、躊躇せずにボールに飛び込んでいけるんです。

(これもビギナーズラックと言うのか)サーブも面白いくらい入ったし、先輩方に「反応がいい」と褒めてもらって、すっごくイイ気分で帰ってきました。


あれだけ身体を動かせばダイエット効果もあるかな・・・



な〜んて。



練習の後には、お楽しみのおいしいランチ。

痩せるハズありません(汗)


2005年04月16日(土) 船の甘酸っぱい思い出


昨日、船旅のことを書いた後も、昔のことを色々と思い出していました。

日記を読んでくれた同郷の友人からも懐かしくて・・とメールをもらったり♪


一つ、くすぐったい出来事を思い出しました。

高2の春休みに、友達と神戸ポートピアアイランド博覧会(ポートピア'81) に行きました。

例によって夜フェリーに乗って、目覚めたら神戸。
丸一日遊んで、夜になって帰りのフェリー乗り場に着くと、同じフェリーで帰ろうとしてる同級生(♀)3人に会って、即合流して乗船。

さらに、そのうちの一人の部活の大学生OBが、帰省するため同じフェリーに乗り合わせていました。

私たちだけだったら、夜更けまでおしゃべりして過ごしていたと思いますが、その先輩がみんなを船内のラウンジに連れて行ってくれたのです。

ラウンジとはいえ、当時、外でアルコールを頼む度胸はなかったと思うので、多分ジュースを飲んだんでしょうね。

船内が込み合ってた割りにそこには、あまりお客さんもいなくて、働いてる若い男の子も、にぎやかにしてる私たちの話題にちょこちょこ入っていました。
その男の子が同い年であることとか、通ってる高校とかも聞きました。


そのまま閉店まで楽しく過ごし、私達5人は先輩にお礼を言って、船室に戻って寝ることに。

硬い床にじゅうたんが敷いてあるところに、毛布を借りての雑魚寝ですから、決して寝心地はよくないのですが、遊び疲れて爆睡してた・・ハズ。



突然起こされて、寝ぼけた頭で身体を起こすと、少し離れたところにラウンジで会った男の子が立って手招きしていました。

少しずつ目覚めた頭で、誰か忘れ物でもしたかな・・と近寄って行くと、指で外を示します。


船室から出ると、もう空は明るくなっていましたが、海風は冷たくて一気に目が覚めました。


結局、特別に用があったワケではなく、みんなが起き出す時間まで二人で話していました。



多分、これも船の中という微妙な空間だったからそういう展開になったと思うんですよね。

女の子たちが寝てるところに入っていける状況も普通じゃないし、もし、閉鎖された場所だったら、私もつい数時間前に会ったばかりの男の子に付いて行くことなんかなかったハズ。



連絡先も何も聞かないまま別れたので、友達との小旅行に、ちょこっとオマケが付いた感じで楽しい思い出になりました。





で、終わるはずだったのです。



それが・・・




一緒にポートピアに行った友達の有難いおせっかい(?)で、連絡が取れる状況になり、その直後から付き合い始めて、交際は2年余続きました。




船にまつわる唯一の甘酸っぱい思い出です。


2005年04月15日(金) 船旅の思い出


今、内田康夫の「貴賓室の怪人」という本を読んでいます。

世界一周の船旅で殺人事件が起こるのです。


この本を読みながら、そういえば、長いこと船に乗ってないなぁ・・とふと思いました。




私は高校まで四国で過ごしたのですが、本四架橋もない頃でしたので、四国から出るにはとにかく船に乗るしかなかったのです。

あ、飛行機はあったはずだけど、空港まで距離があるので利用したことがありませ〜ん。



小・中・高の修学旅行も集合場所は、まず港でした。

小学校の修学旅行先は、九州の別府。
早朝船に乗るとお昼頃に別府に着くのです。
その日の午後と翌日の午前中を別府ですごして、船に乗って帰るのです。

地獄めぐりや猿山、水族館と見所が多いうえ、船の運行具合がよかったんでしょうね、九州の他の地はともかく別府へは、小さい頃から何度か行っています。

そういえば、父の職場の人たちと大勢で、別府に日帰りで遊びに行ったこともありましたっけ・・


中・高の修学旅行では、集合が夜で、翌朝神戸だったか大阪だったかへ到着して、そこでバスに乗り目的地へ。
帰りは逆に早朝に四国へ着くように帰ってくるので、時間の無駄がありませんよね。

船中2泊するので、「〇泊△日」と表記するとすごく長い旅行のようになります(笑)




学生時代に下宿先から帰省する時もやっぱり船を使っていました。

長期休みに入って早々だと四国に向かう船中で同級生の誰かしらに会うんですよね。
みんな当然のように2等船室なので、車座になって、ビール片手に近況報告をしたりして・・
それほど、親しくなかった友達とも、不思議と話が弾みました。


そして、夜が明けて、船が四国の港に近付くと、自然と足がデッキに向いて、故郷の懐かしい景色がだんだん大きくなってくるのをじっと見ていました。

それだけでも、あ〜帰って来たんだ・・とほっとしたのですが、船が接岸する頃に、出迎えの人の中に父の姿を見つけると、さらに安堵が広がったものです。

あの瞬間、好きだったなぁ。




でも、そんなのんびりした船旅も学生時代まで。

就職してからは、お金よりも時間を惜しむようになって、帰省するときは、新幹線で広島県内まで行き、そこからは高速艇を利用するようになりました。

確かに高速艇も船ですが、シートに座ったまま本でも読んでいれば着いてしまう(約1時間)ので、「船旅」とはいえませんよね。

その高速艇でも同級生と乗り合わせたことがありましたが、みんなお行儀良く静かに座った船内では、あまり話も出来ませんでした。



本州と四国を行き来するフェリーに最後に乗ったのは、里帰り出産した息子をこっちに連れて帰るときだったかな・・・

すでに瀬戸大橋も開通して、車だけで帰省できるようになっていたのですが、生まれたばかりの赤ちゃんを長時間車に乗せるのが心配で船にしたのです。

そのとき、初めて個室を利用したのですが、あまり上等ではない(失礼!)ホテルの1室といった感じでした。

でも、授乳やオムツ替えに人目を気にせずに済んで助かりました。




その後は、なるべく時間がかからないようにと、帰省も車か新幹線ばかりだったけど、もう子供たちも大きくなって、のんびりした船旅も可能なハズ。

2等寝台をとれば、雑魚寝しなくて済むし。


でも。

あのフェリーって、今も運行してるのかしら?

それが心配。。。


2005年04月13日(水) 『私を抱いてそしてキスして』・・・壮絶・・

図書館で借りてきた、家田荘子さんの「私を抱いてそしてキスして」の感想をさっきまでかなりの時間をかけて打っていたのですが、アホみたいなミスで全部消してしまいました(号泣)


力が抜けてしまいましたが気を取り直して・・・


この本はサブタイトルにあるように、一人の女性エイズ患者と過ごした壮絶な記録です。



1987年にエイズと診断された一人の女性が亡くなり、日本で初めてのエイズパニックが起きました。

私もその記事をどこかの週刊誌で読み、ショックを受けたことを覚えています。

さらに当時は、病院で検査技師として働いており、ウィルス検査を担当していましたので、エイズの要因であるHIV(ヒト免疫不全ウィルス)やその検査法にも興味を持っていました。

私自身は、病院に出入りする薬品メーカーの方や専門誌、または学会などで情報を得ていましたので、かなり正確なものだったと思いますが、広く報道される中は、歪んだ考えを植えつけるものもあったのではないかと思います。


その一つが「黒人=エイズ」「米軍人=エイズ」という誤ったイメージでした。

当時、黒人の米軍人と結婚して日本に住んでいた家田さんは、マスコミの取材や周囲の人々の言葉にかなり傷つけられたのだそうです。


そして、その偏見や誤解を解きたいとの思いから、家田さんはエイズと関わることになったのです。



ご主人の転勤に伴いアメリカに移住して、彼女は、本格的にエイズに向かいます。

ホームナースボランティアターになる為のセミナーを受講し、資格を得ます。

言葉の問題、「エイズが怖い」という率直な思いなど、困難もありましたが、彼女は強い意志と前向きな姿勢で、一つずつ、少しずつ乗り越えていきます。


そんな中で、女性患者ジーナと出会います。


家田さんが、多くのエイズ患者にどう接して欲しいか尋ねると大抵、「感染前と変わりなく。人間として同じに。」という答えが返ってきたそうです。

不幸にもHIVに感染し、発症してしまった人たちの声としては当然のものでしょう。



ただ・・

自分を含め大多数の人(この場合だとエイズではない人)が、それとは一部が違う人(この場合、エイズの人)と接する際に、前を変わりなく、同じに(=普通に)というのは意外と難しいことではないでしょうか。



最近、私自身が「一部が違う人」になったことがあり(それはエイズに比べると深刻さは全く違うものですが、社会から浮いてるという点では似てます)その時の周りの人の反応は本当に色々でした。

高圧的な物言いのあと見限るように去ったり、始終腫れ物に触るような扱いをされたり・・でも中には、ちゃんとこれまでと同じ目線で、ごく自然に接してくれた人もいました。

有難かったです。

「人間として信用できる」気がしました。




話が本のことから離れてしまいましたが、家田さんはいつもジーナに対して、人間として尊敬しながら接していたように思います。

ジーナは、お産の際に感染したのですが、それがわかってから、息子を取り上げられ、母親を含む家族からは距離を置かれ、そして婚約者にも去られたのです。


家田さんも、最初は部屋の臭いに閉口し、エイズの怖さも抱えたままそれでも、ジーナとハグし、同じお皿の料理を食べることによって、少しずつ理解し合っていきました。



また、苦しさからドラッグに手を出したり、いつもジーナが子守りしていた赤ちゃんをその母親が殺してしまうというショッキングなこともあったりして、ジーナが苦しいとき、助けを求めるときに、いつも家田さんが傍にいたのは、ボランティアターとしての使命や義務感ではなく、ジーナへの友情があったからなのでしょう。


この本、エイズを取り上げていますが、結局は人と人との結びつきなんですよね。

それも「死」がとても近くにあって・・うまく表現できないけれど、魂同士の結びつきのような気がするのです。 




ジーナだけでなくその他にも友人をエイズで亡くして、家田さんはこの本の執筆後もエイズについての理解を広めるため、活動されてきたのだろうと思います。



ただ、

今の日本は、エイズに関して、残念ながらよくない方向へ向かっているようです。


エイズに効く薬も開発され、今では以前ほど恐れることのない病気なのかもしれませんが、それにしても、近頃の性に関する奔放さは、危なっかしくてハラハラします。


ドラッグの問題も、またアメリカほど市民権を得ていないゲイの人たちのことも気がかりです。


(正確な数を出したいところですが、実はさっき、正確な感染者数やその推移を調べていて、日記まで消してしまったので、再びは調べる気になれないのです・・ゴメンナサイ)


2005年04月12日(火) たまごっちと玉緒っち


今、娘のたまごっちのウ〇チを流したところです。

たまごっち、また流行ってるんですね〜

今度のは通信ができて、友達のたまごっちと結婚したり、貯まったポイントでスーパーやおもちゃやさんの店頭にある大きなたまごっち(?)でショッピングしたりも出来ちゃう。

進化してます。



先代のたまごっちが流行った時に、息子の友達のママが持っていました。
「時々かまってやらないとスネてしまう・・」と言いながらピコピコやってる姿がうらやましかったなぁ〜

でも、私には縁のないものだと思っていました。

当時、私にはまだまだ手のかかる娘がいて、「自分の子供だけで手一杯、他のものまで育てる余裕なんてありませ〜ん」状態だったから・・



その少し後、帰省中の義弟らとおもちゃやさんに行って、どんな経緯だったかよく覚えてないのですが、店頭にあった「玉緒っち」を義弟に買ってもらったのです。
多分、義弟が気に入って、でも自分は育てられないから・・というようなコトじゃなかったかしら。

玉緒っちというだけあって、「中村玉緒」を育てるゲームです。

彼女がバラエティーに出始めて、世間がその面白さにハマっていった頃だったんでしょうね。


「自分の子供だけで手一杯なのに・・」と敬遠していた私でしたが、やり始めるとすっかり夢中になりました。

子供と暮らしながらでも、ゲームを楽しむ時間くらい、いくらでも作れるものですよね。



子育てでいっぱいいっぱい、余裕がなかったのは、手でも時間でもなくて、私の心だったんですね、きっと。。。




さて。

娘のたまごっちですが、お腹が空いていたようなので、ホットドッグを食べさせました。

ぴょんぴょん飛び跳ねて可愛いので、おやつでもやりたいところですが、あまり食べさせ過ぎると虫歯になるのだとか・・



昨日、そうとは知らない息子がたくさん与えて、娘に叱られていました(笑)



いつもはエラソーにしてる息子がたまごっちに関しては、当然ながら、娘の言いなり。

息子にしてみれば、立場逆転はしゃくだけど、「〇〇に進化した〜」という娘の声も気になるし、たまに触ってみたい・・・と言ったところでしょうか?



小さいゲームを挟んで、そんな二人のやりとりを見るたび、ニンマリしてしまう母です。


2005年04月11日(月) 入学式


朝から娘が通う小学校の入学式に出席してきました。


昨日までは桜が満開であんなに綺麗だったのに、昨夜の雨でかなり散ってしまって残念。

雨に耐えた花びらも、今日は風が強かったので、たくさん舞っていました。


あ、でも。

桜吹雪の中を入学式へ向かうのも、風流でいいかも。




厳粛な雰囲気のなか進められた先月の卒業式とは打って変わって、入学式はにぎやかで、ひたすら明るく笑いがいっぱいでした。


担任の先生に名前を呼ばれたら返事をして立つ、それだけのことなのに、元気いっぱい「はいっ」と答える子、声が緊張してる子、聞こえないくらいの小さい声の子・・ピョンっと元気に立つ子もいれば、上品におしとやかな子も・・いろんな子がいました。



最初の校長先生の「ご入学おめでとう」の言葉に、

・・・・・(少しの間があって)

「ありがとう」

(一部の律儀な子たちは)

「・・・ございます」


不揃いなのがまた、ほほえましくて、会場の雰囲気がすごく柔らかくなりました。




さらに、PTA会長の挨拶の際に、これまで通っていた幼稚園や保育所に比べて学校というのは広いところだよ、と説明する例として「この体育館の幅も広いし、天井を見てみて。すごく高いやろ?」と言うと、みんな首が後ろに落ちるんじゃないかと思うくらいに上を向くし・・・。


私は来賓席に座らせてもらっていたので、その様子が真近で見られて、可愛らしさに何度も頬が緩んでしまいました。




1時間足らずの式だったのですが、終わり近くになるとだんだん退屈してきて、身体もくねくねするし、ブラブラさせてる足の振幅も大きくなってきます。
正直ですね(笑)


私達外野には、そんなことも丸ごと可愛いのですが、先生方は明日からこの子たちに学校や社会のルールを根気よく教えていくのですよね。



自分の子供の入学式のときは、感激や不安でいっぱいで、そんな余裕はありませんでしたが、先生いうのも大変な仕事だなぁと今日はしみじみ思いました。



これから、本当に色んなことがあるでしょうが、今日入学式を迎えた子供たちが、元気で楽しい学校生活を送れることを心より願っています。


2005年04月10日(日) 人間の歩く速さ


昨日「人間の歩く速さ」で検索してこの日記に来てくれた人がいました。

はて?

「人間の歩く速さ」について書いたコトなんかあったかなぁ・・と見ると、一昨日terraの散歩の中で偶然使っていたのでした。


検索者の希望には添えなかったでしょうね、ごめんなさい。



同じ検索ページにあった「人間の歩く速さ」について書かれたものをサッと読んだのですが、「人間の歩く速さ」(=速度)は、時速3キロと書いてるものから6.6キロと書いてるものまで様々。

普通は時速4キロとされてるんですね。


それにしても、時速3キロと6.6キロって、2倍以上じゃん。

ま、実際の人間の歩く速さも人それぞれだから、ま、いいか(笑)



ちなみに、時速6.6キロというのは、不動産物件の広告で「駅より徒歩何分」と表示される時のもので、「人間は1分間に110メートル歩く」と計算されていて、時速に直すと6.6キロになるようです。


2005年04月09日(土) 職務上請求書


新聞で行政書士の不正業務についての記事を読みました。


弁護士・司法書士・土地家屋調査士・税理士・社会保険労務士・弁理士・海事代理士・行政書士は、「職務上の請求書」を使って、第三者の戸籍謄本や住民票を取り寄せることが許可されています。


私も行政書士会に登録した時に、戸籍謄本や住民票の写し等職務上請求統一用紙というのを所属する行政書士会より1冊もらいました。


当然ながら、職務上必要な場合に限り認めらることですが、記事にあった行政書士は、取り寄せた住民票や戸籍謄本を報酬を得て興信所等に横流ししていたそうです。


また、取り寄せた戸籍謄本が一因で縁談が破棄され、損害賠償訴訟を起こされている行政書士もいるし、さらに「職務上の請求書」そのものを売っていたケースもあったとか。




請求書を渡してもらう時に、1枚ごとに番号がつけられているので誰が使用したのかわかるようになっているという説明を受け、実際、私の手元にある請求書にも番号がつけられています。

おかしな使い方をすれば、すぐにバレそうなのに・・・

勿論、バレなければやってもいい・・と言ってるワケではありません(念のため)


行政書士の信用を失墜させる行為ですから、怒りを覚えます。


今回、不正が判明した行政書士は自らあるいは、処分を受けて廃業となるようです。




それにしても・・・


数年前の出来事がここで一気に表面化したのは、今月より施行されてる「個人情報保護法」の影響かしら?

5千人以上の個人情報を扱う企業に、適切な取扱いの義務が生じるという認識で、私にはあまり関係ないかな・・と条文もまだちゃんと読んでないのですが(汗)



再来週に、「個人情報保護法とプライバシーマーク」の研修を受けることになっているので、その時しっかり勉強してきま〜す。


2005年04月08日(金) 桜を求めてterraとさまよう(大袈裟)


この時期、花粉症の人には気の毒ですが、まだその仲間入りをしていない私にとってはterra(シーズー犬)の散歩が一番楽しい時です。

ちょうど桜が見頃なので、散歩のたびに神社や公園を回ったり、歩いてる途中で遠くにピンクのかたまり(=桜)を見つけるとそこを目指したり・・と桜を求めてさまよっています。


思いもかけないところに立派な桜の木があったり、昨日は、枝垂桜を1本見つけ、ちょっと得した気分になりました♪



どこの家の子もそうでしょうが、うちのterraも散歩は大好き。

「サンポ」という言葉が聞こえるだけで、飛び跳ねるように玄関へ向います。


私と散歩するときのterraは、いつも程よい距離で歩き、リードを引っ張ることもない代わりにこっちを見ることもありません。

なので、私もterraの存在をそれほど意識することもなく、自分が散歩してるような気分で、見慣れた景色の、季節ごとの小さな変化を楽しんだり、また一人で考えごとをするのに最適な時間として重宝しています。



ただ、私以外の家族と一緒だと、歩く速さや勝手が違うんでしょうね、terraに引っ張られたり、逆にterraを待ったり、ということがあるようです。

よく愚痴られます。。。


特にダンナは、CMで見るような時々立ち止まって、こちらを見上げ、目が合えばまた安心したように歩き出す・・という散歩に憧れているようで、よく「terraを散歩に連れて言っても面白ない」と嘆いています(笑)



賢い犬は散歩させてる人間の歩く速さに合わせるそうですが、なんといってもterraですから、それは無理というものでしょ。






今朝もterraを連れ、3〜4箇所で桜を見て、その途中で菜の花の香りを満喫して・・と楽しんでいるうちに軽〜く1時間経過していました(汗)


イケナイ、イケナイ・・
子供たちの春休みも終わったし、私もそろそろ「お休みモード」から脱却しないと(反省)





今日の始業式、二人ともいつもより緊張した面持ちで登校して行きました。


2005年04月07日(木) スリッパ卓球


子供の春休みも本当に終盤になり昨日はダンナも休みだったので、半日ほど義父母と一緒に過ごしました。


途中、疲れやすくて人ごみの中でのお花見は無理な義母に、毎年お決まりのコースで車の中からお花も見てもらいました。


もうすっかり満開になっていた桜をはじめ桃、木蓮。

それから一面の菜の花畑。

綺麗にチューリップを咲かせたお家の前も通って・・



私も春の花を堪能しました♪







え〜っと・・


先日の日記に子供たちが夜中にこっそりゲームをしてた・・と書いたのですが、あの夜やってたのはゲームではなく、卓球だったことが翌日判明しました。

部屋を片付けてるときにラケットが目に入り、卓球をしたくなった娘に息子が付き合ったらしい・・


うるさくなかったでしょうか?<ご近所の皆様・・・(謝)




それ以来、卓球漬けになってる我が家です(汗)




昨夜も夕食が終わった途端、子供たちが「卓球やろう」と言い出して、いつもはお尻が重いのに(!)さっさと手分けして、夕食の片付けやダイニングテーブルの準備にかかります。


うちのダイニングテーブルは、4人家族にはちょっと大きすぎるサイズのもので、真ん中にネット代わりにビニール紐を張れば、即席卓球台に変身します。



個人戦(?)の後、「せっかく4人いるから、ダブルスしよう」ということになったのですが、うちにラケットは2本しかありません。


そこで登場したのが、子供が小さいときに履いていたウルトラマンのスリッパです。


「スリッパ卓球」をテレビで見たときは、難しそうに思っていましたが、やってみると意外と大丈夫。

子供用の、小さくて底が薄いのが返ってよかったのかも。



卓球の下手さ加減は、ダンナと私と息子は似たようなものですが、娘はさらに少し下手なので、娘と組んだら二人ともラケットを使えるとか、独自ルールを作ってやってみたら・・・



これが面白い!


家族だから容赦ない言葉が飛び交うし、空振りしたり、お見合いしたり、勢いあまって球じゃなく味方のスリッパを飛ばしてしまったり・・で、お腹が痛くなるほど笑えました。



こんなに笑ったのはいつ以来だろう・・・?




「次は笑うの禁止な〜。笑ったら相手チームに1点やで」と息子がまた新しいルールを言い出したのですが、夜も更けたので昨日のところはそこで打ち止めにしました。






こうやって、昨夜を冷静に振り返ると・・・


おバカな家族ですね。。。 


2005年04月05日(火) ちょっと嬉しい電話


子供たちと「今日のお昼ゴハン、何食べる〜?」と暢気に話しているときにかかってきた電話。

また、子供の友達からじゃないのぉ・・?と思いながら出てみると、同業の方から知的財産権に関する問い合わせの電話でした(汗)



知的財産権というのは、知的な創作活動をした創作者の権利を保護するようにした制度です。

この日記にもよく出てくる著作権も知的財産権の一つです。

知的財産権の中に、特に産業財産権と言われるものがあり、普段から耳にする機会が多い特許権をはじめ、実用新案権、商標権、意匠権の4つを指します。


産業財産権の4つを簡単に説明しますと、

特許権・・新しい発明を保護
実用新案権・・物品の構造、形状の考案を保護
商標権・・商品やサービスに使用するマークを保護
意匠権・・物品のデザインを保護

するものとなっています。


特許庁から出てる手引書で見て、私自身もお客さんに説明する時に使わせてもらったのですが、そのわかりやすい例として、携帯電話があります。


携帯電話の 液晶技術=特許権
      アンテナの収納構造=実用新案権
      ブランド名=商標権
      (例えばスマートな)デザイン=意匠権

で、それぞれの創作者の権利が保護されているのです。



これら産業財産権というは、創作者の申請したものが特許庁で認められて初めてその権利が発生するものという点で、創作したら自動的に権利が発生する著作権との違いがあります。

また管轄も産業財産権は特許庁、著作権は文化庁と異なり、基本的に、産業財産権は弁理士の、著作権は行政書士の取扱い業務となっています。





昨日の問い合わせは、産業財産権のなかの商標権に関するものでした。


我々の直接の業務ではありませんが、特許電子図書館で商標検索が出来ることなど、私のわかる範囲で説明させていただきました。




昨日の電話は、名刺交換をした懇親会以外では、あまり話したことがない方からだったのですが、知的財産権のコトから私を思い出して電話をくれたことがちょっと嬉しかったです。


2005年04月04日(月) 真夜中のお楽しみ


昨夜・・・

子供たちが珍しく部屋の片付けをしていました。

激しく散らかっていた上、始めたのが夕食後だから終わるのは何時になるかわかりません。



ま、私は最初から手を出す気もなかったので、日付けが変わる前には、さっさと寝ました。

今朝も起きるのは5時前。
朝寝坊出来る子供たちに付き合ってられませんもの。



そして、一眠りして目を覚ましたのが1時前で、気になって子供たちの様子を見に行くと部屋は真っ暗で、二人の姿もナシ。


はて?


二人を探して階段を降りかけると案の定、楽しそうな話し声が聞こえます。


でも・・寝ぼけ眼でふらふらしながら、階段の途中で下の様子を伺うと・・


何故か、リビングは真っ暗です。



さっきの話し声は幻聴?

じゃあ子供たちは・・どこ?



ま、いいか・・とそのまま布団に戻りました。

(だって眠気には勝てないんですもの)



少しすると、子供たちが上がってくる気配がしました。

私の足音は無言の警告となったようです。



どうせ、ゲームでもしてたんでしょ。。。




息子だけなら夜中に一人でゲームしてても、何時まで起きてても、私も気にしないし、向こうも電気を消したり、変な小細工しないのに、昨夜は娘も一緒だったから、お互いなんだかヘン・・・


息子にしてみれば「自分の秘密のお楽しみ時間」を娘にもこっそり経験させてやった・・というところでしょうか。





昨夜、娘は私と一緒にお風呂に入ったときに「今日はお兄ちゃんともterraともケンカした・・」とちょっとしょげてたけど、これでお兄ちゃんとの関係修復はバッチリかな?

よかったね<娘



ちなみに、terraとの方は、ケンカしたと思っているのは娘だけで、terraはきっと「気持ちよく寝てるところをジャマしに来たから威嚇してやった」だけ。




さて。


子供たち、今朝は何時に起きてくるのやら・・・


2005年04月03日(日) 大量の天ぷらを揚げる。


昨日は、ダンナの誕生日でした。


ダンナの好物なので、誕生日のメニューは毎年天ぷらと決まっています。



他のコトはともかく、胃袋だけは満足させていると自負していますので(汗)昨日も気合を入れて揚げましたよ〜


エビ、タコ、竹輪、茄子、玉ねぎ、サツマイモ、ししとう、ゴボウの天ぷらを二つの大皿に山盛り。


いつもなら料理が全部出来上がってから一緒に食べ始めるのですが、天ぷらは揚げたてが命。


待ってる間に衣がへにゃっとなるのがもったいなくて、昨日は揚がったのから食べ始めてもらうと・・・

ダンナは当然ながら、子供たちもお腹空いていたのか恐ろしいくらいの勢いでお皿が空いていきました。。。


特に玉ねぎは、男性陣が好きなので、取り合うように食べていました。

2個分揚げてるんですけどね(汗)



ゴボウは、かき揚げです。

手も黒くなるし手間もかかって面倒だけど、私自身が大好きなので、苦にならないんですよね。


炊き込みゴハンにしても、キンピラにしても、あの香りがたまりません。





「揚げ物をすると匂いに酔ってしまってあまり食べられない」という話を聞くことがありますが、粉を油にまみれながら揚げても、私は全然平気で食べられてしまいます。


これっていいのか悪いのか・・・


昨日も出遅れた分、全部揚げ終わってから、がっついてしまいましたし。。。





大量の天ぷら+ケーキで、昨日の摂取カロリーは想像するのも恐ろしい・・・



これから、薄着の季節になるというのにダメじゃん!!


2005年04月01日(金) 在留特別許可に思う

え〜っと・・・昨日の日記の訂正から。

昨日書いた「黒豹シリーズ」ですが、下巻に入って間も無く本来の主人公である、黒豹こと黒木豹介が登場しました。


私の中では「やっぱりね」という思いと「え〜っ」が半分ずつ。。。


だってね、黒豹は、前のシリーズで死んでしまったんですよ。

さらに、筆者のあとがきも黒豹が有名になりすぎて、嫌がらせなどを受けることも多くなり、苦痛だから終了するという内容で、今後は企業ものを書くことにし、その準備に際しての奥さんの内助の功まで書いていたのに・・。


色〜んな事情があって、黒豹再登場ということになったのでしょうが、少しばかり白けてしまいました。



とりあえず最後まで読みきったのですが、これまでとはちょっと違うところに着目したのが我ながら面白かったです。


この黒豹が対峙するのはいつも国際的な犯罪組織で、今回のもそうです。

登場人物が「日本は非合法な異形組織に無頓着すぎる」という趣旨の発言をし、日本の出入国チェック機構の甘さを指摘、「在留特別許可」の多さにも触れていました。


在留特別許可についてちょっと説明します。

オーバーステイ(不法滞在)の外国人は、本来なら日本から出国しなければなりません。
でも、日本人と結婚したので・・あるいは、日本人との間の子供を育てているから・・また、日本での在留がかなり長期に渡っているなどの理由で、そのまま日本に残ることを希望する人が少なくありません。

その人たちの理由を個々に考慮・検討したうえ、法務大臣が与えるのが「在留特別許可」です。
これは正式な制度ではなく、あくまでも温情というか、特別な理由がある人のみにとられる措置です。
日本人と結婚しているから、長く日本にいた実績があるから、といって簡単に認められるもののではなく、個々に入管の調査官のかなり厳しいチェックがある、

というのが私の認識です。


この小説では、その在留特別許可件数が近年非常に増加している、つまりその分チェックが甘くなっていることが、犯罪に絡む外国人の滞在を認めることになっている、としています。

現実の社会でも、そういう面もあるのかも知れませんね。

知識がないためにオーバーステイになってしまった外国人の家族が離れ離れにならずに幸せに暮らせるようにする、救いの手である半面、外国人による犯罪の増加を思えば、そういう外国人を合法的に日本に滞在させることになりかねない危険もあるんですよね。


どんな法律や制度にも言えるかと思いますが、それによって守られる人がいれば、それを悪用する人間も必ずいます。



これまで研修などで、入管の方の話を聞く機会が何度かありましたが、不法入国、不法滞在をなくすために尽力されているのがよくわかります。

ただ、外国人との関わりについては、今後、数も増え、複雑にもなっていくでしょうから、入管の方々の業務はさらに煩雑になるのでしょう。




エライ人たちは、将来を見据えた法整備や制度改革を抜かりなく考えて・・くれているんでしょうか。。。


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