くじら浜
 夢使い







すすきがさわさわと   2001年09月30日(日)

ここにくると
やっぱり一度立ち止まり
溢れてくる

それは公園のベンチだったり
見上げた夕日だったり
触れ合った午後の陽射しだったり

決して色褪せない
決してたどりつけない

いつも
溢れてくる






そのときぼくはうろこ雲と一緒に流れていた   2001年09月28日(金)

秋の空は澄み渡り
刻一刻と変わり続ける






ゆめつかいどっとこむ   2001年09月26日(水)

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少年のかさぶた   2001年09月22日(土)

少年の頃は擦り傷だらけだった(笑)
その擦り傷がやっと乾きかけて まだ中途半端なかさぶたができた頃、
そのかさぶたをどうしても剥がしたい衝動にかられる。

完全なかさぶたを剥がしたら、
その下の傷はすっかりきれいに無くなっているはずだけど、
どうしてもその途中の生乾き状態のかさぶたを剥がしてみたい!

バリッ!

ぅぅ、、やっぱり、、
イ、イタイ、、
痛い、痛い、痛い、、(涙)


先日階段で転んで肘に擦り傷ができて、、
久しぶりに少年に戻りました。←いつもだけど、、






じゅんぎとやまごろ   2001年09月20日(木)

じゅんぎは山を登っていました。
じゅんぎは山が大好きです。
だから、山も じゅんぎのことが大好きでした。

さて、この山の名前は やまごろ でした。
じゅんぎの家は、やまごろのところに近かったので、
じゅんぎはいっつも登っていました。

ところが ある日、やまごろが 『CLOSED』になりました。
どうしてかというと、
誰かから「あぶない」と言われたからです。
だからじゅんぎは その日、
夜になってからやまごろに登って、
頂上に着く前に、そこでお泊りしました。

さて、起きたとき、
じゅんぎはまだ日が出てないことに気付きました。
じゅんぎは朝日がのぼった時に、
やまごろのてっぺんまで登る決心をしました。
じゅんぎは家に帰って準備して、朝日がのぼるのを待ちました。
朝日がのぼるとき、じゅんぎは力を入れて やまごろに登りました。

正解!
じゅんぎは出来ました。
じゅんぎはてっぺんまで行って、
うれしい!と思いました。
やまごろは じゅんぎの友達だから傷つけるわけない、
と思いました。

そして、日が沈んだ時に
じゅんぎは下りていきました。

The End

【 9月19日 こころからじゅんぎへ 】






こころの石ころ   2001年09月19日(水)

川がながれてました
中をのぞくとまぁるい石がふたつ
ころころころがってました

その石のはじまりを見たくなったこころは
川のずぅっと上の水のはじまりまで
ぼうけんに出ました
たったひとりで出ました

水にぬれながら 虫にさされながら
やっとたどりついた水のはじまりは
大きな岩の小さな小さな穴から
ほんのわずかなしずくが一滴 ぽとりと落ちて
次の一滴がまたぽとりと落ちて
それが永遠に続いていました

水のはじまりを見たこころは
今度は石のはじまりをさがしました

でもそこには大きな岩と
でこぼこだらけの石しかなくて
それでもこころはまぁるい石を
さがし続けました

すると
歩いていくうちにでこぼこだらけの石は
だんだんだんだん
形が変わってきている事に気づいたこころは
今度は水を見ると
だんだんだんだん
流れがはやくなっている事にも気づきました

うれしくなってまた探しながら歩いていると
川のよこにできた水たまりには
鳥やさかなが水あびをしていて
水はきらきら光っていました
そして石も少しずつまぁるくなってきましたが
それでもまだまだでこぼこです

こころはまた歩き出しました

そして 気がつくと
そこは 最初にまぁるい石ころを見たばしょで
そこにはやっぱりまんまるい石ころが ふたつありました

こころは知らないうちに
石ころのはじまりだけではなくて
石ころのはじまりから終りまで見たのです
そして
水のはじまりも見たのです

こころはまぁるい石ころをひろって
マミィにあげました

【 9月15日 じゅんぎからこころへ 】






台風17号   2001年09月18日(火)

発生しました。
ワクワク ドキドキ






冬眠   2001年09月17日(月)

地球の鼓動を全身で感じ
土の匂いと
木々のざわめきに
耳をかたむけ
眠っている間に冬はもうそこだよ
つきさす冷たい空気で目醒めたら
また新たな歴史が重なるよ






新月   2001年09月15日(土)

明け方に 真っ白な三日月

明日 新月を迎える

真っ赤に染まらない事を
ひたすら祈ってます






獣に還える   2001年09月14日(金)

人が人を殺めることは悪いこと。
誰でも知ってることを人間はやってしまう。

自然界ではその摂理のために 動物同志が食い食われ
それが肉になり土になり 植物にも循環し
それは自然なサイクルだけど
動物の中で人間だけが己の欲の為 権力誇示の為思想の正当化の為に
殺人を平気でやってしまう。

人はヒトには戻れないのだろうか

人は自分が動物だということをいつの間にか忘れ去り
木の匂いを嗅ぐこともなく
土を踏みしめることさえ忘れ
空を飛ぼうとさえしない。

だれもが簡単にできるはずなのに。






台風の目 ( 2000.8/14 の複写 )   2001年09月13日(木)

昨日のお題が”目”だったにも関わらず,
目について書くのを忘れていた。
目とは,そう”台風の目”の事で,
実は私が台風の時一番好きなのがこの台風の目なのです。
猛り狂う天の神がほんの一瞬だけ休憩をする神秘の空間。
闇の中におりた一筋の光。

台風の通り路だった私の田舎は,
それゆえに”目”に遭遇することも多かった。
それが来る時は決まって正午近くで,
当時台風の時はガラス戸も雨戸もみんな閉めきる為,
昼間でも蛍光燈を付けていて,時々停電するとロウソクを灯していた。
家族全員暇をもてあまし,停電なのでもちろんテレビもつかず
ラジオから流れる台風情報をただぼんやりと聞いている。

すると・・・・,
突然外の騒音がピタッと止む。

私達はお互いに”来たか!”と顔を見合わせる。
私は急いでロウソクの灯を消し縁側のガラス戸を開け,
そして雨戸を一枚静かにひらく・・・・。

真っ暗だった家の中が太陽の光線でいっぱいになり,
空を見上げると真っ黒な雲がひとつひとつ消えていく。
裸足のまま外に駆け出し,
私はただその大空を唖然として眺めているだけだ。
さっきまでの轟音も,爆風も,天の怒りも,
まるですべてが幻だったかの様に,
そこには静寂な空間だけが存在する。
雲が半分くらいなくなった頃太陽の光線はますます強烈になり,
私は辺りを見渡すと南の方に鮮やかな虹が奇麗に半円形を描いている。

しかし,その神秘の空間もほんの一瞬で,天の神は再び怒り猛り狂いだす。
そして私たちはまた闇の中に舞い戻るのだ。

一瞬ゆえに美しいのかもしれない。


2000.8/14







事実と真実   2001年09月12日(水)

たとえばここにひとつの事実があって
その事実を少しづつ積み重ねていったら
真実になるのだろうか

たとえばここにひとつの花があって
そこに花が咲いていることは事実であり
種から茎が育ち
根と葉から自然の恵みを吸収し
結果として花開いたことは事実であり
でもその結果というのが真実なのだろうか

人は花に水を与え
その水をやる行動は事実で
花開くことを願う気持ちが真実なのだろうか

太陽はその葉に惜しみなく光を与え
だた与えることは事実なのか真実なのか

蜜蜂はその花びらから蜜を吸って
蜜を吸う行動は事実で
蜂の真実と花の真実はどこにあるのだろうか

たとえばそこに大きな真実があって
そこに辿り着くために事実を積み重ねているのだろうか

たとえばそこに目に見えぬ真実があって
真実はいつもそこにあるのだろうか






見えない大きな力   2001年09月11日(火)

過ぎ行く夏に惜しみなく涙を流そう
涙枯れるまで泣いて
夏にさよならしよう

太陽からもらったエネルギーは
ジリジリと皮膚を焦がし
そしてしっかりと細胞に組み込まれたから
流した水滴で表面の褐色だけを洗い落として
夏にさよならしよう

まためぐり来る夏をしっかり受け止める為に
今年の夏は今日でさよならしよう

いつもそうやって
夏の終わりを乗り越えている

明日からは
秋の風を全身で受けよう






   2001年09月10日(月)

少年はいつも屋根の上から
竜郷湾を見ていた
あの外国舟で遠くに行きたい
いつも思ってました

少年は外国船まで泳いでいきました

そして竜郷湾から太平洋に出ました






やっとわかったこと   2001年09月09日(日)

それはいつも傍らにあり
手を伸ばせばそこにあり
いつもいつでもかわいがり
守って愛して育てていた

でも
本当に癒されていたのは自分自身で
決して離れることはないというエゴと
安心感で
ぼくの穴を埋めていたのは君の方だった

ぼくはぼくの為に君から巣立たなければならない

変わることのないものは
君は君であり続け
ぼくはぼくであり続け
培った歴史と時間はまぎれもない事実で

君はそこにいつづけて
ぼくもここにいつづけて
移ろいゆく感情も事実で
決して変わらぬ感情も真実

出合った感動と
交わした言葉と
積み重ねたつながりは
この世で一番大切なもの

君は君の為に巣立つ
ぼくはぼくの為に巣立つ

帰る場所はいつもある
変わらずある
ここにある






終わりなき夏   2001年09月08日(土)

物理的な破壊現象を目のあたりにすると
人の心も一緒に壊れるんだろうね。


ちょうど20年前のこの時季
あれだけ夢中になっていたことを
たぶん老いるまでやっていくんだろうと思っていたことを
ぼくは挫折でやめた。

その破壊現象はその年の夏が終った瞬間に
いつもいた海岸で起こった。

「海の家」が次つぎにあとかたもなく壊されていく
たったそれだけの光景だった


それは「人工的なもの」であって
もともとないものを人が勝手に造っただけで
それが元にもどっただけのことだが
やっぱりそれは夏の象徴であり
ぼくたちみたいな中途半端なサーファーにとっては
心休まる場所であり
いつもそこになくてはならないものだった。

毎年その破壊現象は見てきたわけが
その年はすべてが違っていた。


夏の終わりに波乗りをやめ
夏の終わりに海の家が壊され
そしてその光景が強烈に心に焼き付いてしまった。

だから
夏が強烈であればあるほど
いつもこの時季は心がチクチク痛む






きらきらきらら   2001年09月07日(金)

夜明けの青空にちぎれたうろこ雲がきらきらきらら
照らす光はオレンジ色にきらきらきらら
ポトリと落ちたぼくの透明な水滴が
きららのまっ白な背中にきらきらきらら
ぼくを見上げるきららの瞳がきらきらきらら
きららと見た朝焼けはきらきらきらら

すべての宇宙のつながりのなかで

【 きららへ 】






午前5時15分の朝焼け   2001年09月06日(木)

見上げる大海原のできたての青に
生まれたばかり強い意志と
真っ白な満月が

白いうろこは天海いっぱいに広がり
やがて千切れて弾けて
オレンジは白や灰や青と混ざり合い

刻々と変化するその光景を作るのは
変わらずに放っている光の核






それは、   2001年09月05日(水)

培った歴史であり
費やした時間であり
流した血の量であり
落とした水滴の流れであり
抉った肉の塊であり
暗闇に見えたいっぽんの道であったり
絶えることなく繋がる雨水だったり
四季の変わり目であったり
浅い叫びだったり
深い眠りだったり
そういうものだから。






大事なものと大切なものと好きなもの   2001年09月04日(火)

大事なものはいつもそばにあり
大切なものはいつまでも変わらず
好きなものはいつもおもっている

すべて揃うことはなく
全部失うことはなく

どこまでも欲張りで
わがままで
傲慢です。









線香花火   2001年09月03日(月)


ぼくの中途半端な愛しかたが
君の胸を徐々に切り裂いていた

たとえつなぎ合わせることが出来なくても
少しずつぼくが結んでいくよ

君からもらった数えきらないほどの好きと
数えきらないほどの愛しているを
ぼくは自分の胸にナイフを入れて仕舞っておくよ

そして
もう一度線香花火をやることがあったなら
すぐにぼくの胸からそれを取り出して
今度こそあの時できなかった打ち上げ花火を
あげるよ。








いっつもいっしょ   2001年09月02日(日)

いっつもいっつも
いっしょに遊んで
遊びながら
こころが つながる
みんな こころが つながった後は
みんな そろって
明日に向かう

この遊びを はじめたのは
じゅんぎとこころとマミィです


【 8月31日 こころからじゅんぎへ 】







こころの唄    2001年09月01日(土)

こころころころ
せみを追いかけころころころ
魚を追いかけころころころ
トラにほえてころころころ
カラスのなき声まねてころころころ

ころころころところがって
夏を追いかけどこまでも
ころころころところがって

ぼくの心と
きみの心に
ころころころと音がする

ころころこころ


【 8月29日 じゅんぎからこころへ 】





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