まゆ日記
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2008年05月29日(木) |
今度の日曜日は運動会です |
降水確率90パーセントだそうです。
かわいそうなお子たち。 6年生の最後の運動会は1年生の初めての運動会同様雨でお流れになるんでしょうか。
仙台店の男の人が先週の土曜日に、実家の秋田県湯沢市で結婚式をあげた。 社長や常務&常務夫人(同じ店で勤務&この男の人をと〜っても可愛がっていたそうな)、仙台2店舗の店長、山形店勤務の同期入社の男の人と、およばれ。
社長は昨日一昨日とその話を朝礼で報告した。 一昨日は代休で休んだ人が多かったから昨日も。
奥さんになった人は高校の同級生だったとのこと。
高校のときはしゃべったこともなかったそうだが、仙台で仕事をしていて、夜、店長たちと飲んでいたら、同じ飲み屋でとってもきれいな人が声をかけてきたそうな。 店長たちはずーずーしくも、 「俺に逆ナン?(≧∇≦)b 」 って本気で思ったらしいのだが、 「卒業以来久しぶり〜こんなとこで会えるなんて」 ってな感じで声をかけてきたのだそうな。 このきれいな人が彼に対して積極的だったのだそうな。
それから数時間後、彼らはやくざやさんに絡まれて新聞沙汰になってしまう羽目になったのであるが。
秋田県湯沢市は、小野小町生誕の地という伝説つきの、秋田県の中でも美女がてんこもりいるところなのである。 披露宴の招待客は、新婦の地元の友人は美女ばっかり、勤務先の友人で呼ばれた仙台の人(新婦も仙台のどっかの会社にいるらしい)は、多くを語れぬそれなりの人ばかりだったようで、本当に見ごたえのある披露宴だったとの事だった。
この新聞沙汰のことについて書いた自分の日記をさがしていたんだけど見つからず、このネタを書くために数日要してしまったまゆぼうである。
工務店さんからの電話が来た。 流し台総とっかえしかないそうで。
ネットとかで格安のとかリサイクルショップ探してみるとかしてみようかなと思うまゆぼうである。
工務店さんは流し台の点検ってしなかったのかな…
なんと、流し台の下から水漏れしてたんですよ。 つかいまころ発見ってのも鈍いっちゃ鈍いんですけどね。
で、あわててさっき工務店さんに電話したら明日、きてくれるって返事なんですが、そのときに、 「流し台、少し持ち上がりませんか?」 とおっしゃるのでやってみたところまったく動かず、 「びくともしません」 と返事しました。 すると工務店さんは、 「まゆぼう(本名の名前)さんでは無理ですよね」 と笑いながらおっしゃいました。
笑い事じゃねぇよって思いながらもそれより、σ( ̄▽ ̄)は本名の苗字ではなく、名前を言ったことに、すこし(# ゚Д゚) ムカつきました。
引っ越して10日以上経過したわけですが。
なかなか家そのものに慣れないというのはおそろしく労力がいることです。
前回のアパートに引越ししたとき、荷解きやらその後の一切合財を実家両親がはりきってやってくれていて、ほとんどなんにもしなくてすんだんです。 今回の家については、土日に手伝ってくれた実家両親が月曜日に帰って、それからは毎日帰宅後ぼつぼつ片付けてって感じでした。 だもんでそれがはかどらず、寝るのも結構遅かったりしてました。
正直毎晩、どっかり疲れきってます。
風呂とトイレだけは新しいので毎晩の風呂は、本当に疲れがぬけるようです。 やっぱりこれだけでも新しくしてよかったと毎晩思っています。
2008年05月18日(日) |
引越し後始末は続くよどこまでも♪ |
金曜の夜に実家両親が来て、今日の午後に帰っていった。 引越しの後片付けを手伝ってくれた。 本当にありがたいことである。
作り付けの本棚をたくさん設置していってくれたおかげでビデオテープもマンガ本も文庫本も大量に収納できた。
というわけで、大量の廃棄物が玄関先に置かれている。 ・洗濯機 ・電子レンジ (親戚から新品同様をもらったため) ・ガス台 (元からこの家にあったのをつかっていたのと取り替えたため) ・組み立て式のドレッサーとビデオテープストッカーの解体済みパーツ
さて…専門業者さんにおねがいせねば。
一袋25円のもやしを買ってきて、ヒゲ根をひとつひとつとる。 実家母はほぼ専業主婦をしていたんで、安い食材をあーでもないこーでもないと手をかけて調理する人なんで私も自然とそれを真似るようになっていた。 だが、ここ何年ももやしのヒゲ根をとるなんて余裕はまるでなかった。 テレビの料理番組で、 「もやしはヒゲ根をとると美味しくなります」 なんてーなことをやっていて、おぉ!っと思い出した。
ヒゲ根がないもやしが普通だったのを。
お子がテレビを見たりゲームをしたりする横で黙々ともやしのヒゲ根をとる。 25円のもやしが時間って調味料でことさら美味に見えてくるから不思議。
これが時間の贅沢。
現在三人家族の我が家だが、旦那は施設入所中でこの家には私とお子の二人。
築30年の5K。 一部屋あたり6畳大の細かな区切りのある部屋ばかりではあるのだが、この家の空気はいままでの2Kのアパートよりも広々としている。
これがいまの空間の贅沢。
2008年05月14日(水) |
でてこない〜。゚(゚´Д`゚)゚。 |
・買い置きの洗顔せっけん
・お子&σ( ̄▽ ̄)の予定がびっしり書き込んであるカレンダー
誰か知りませんかo(・_・= ・_・)o
2008年05月12日(月) |
お子のはじめてづくし |
家に私といるときは必ず同じ部屋でふとんを並べて寝ていたお子。 引越しに当たってお子の部屋も準備できるので、 「いつかはお子一人で部屋で寝たいって言うんだから、そのときはちゃんとベッドも買わないといけないし、だからこそカーテンも自分で選んで欲しい」 ってなことを話したところお子は、 「ぜ っ た い に い や。 ママと絶対に一緒の部屋で寝るの。 ぜったいにいやなの」 と言い切っていた。
昨日の夜になって急に、 「ねえ、ママ。 お子の部屋で一人で寝てみたいんだけどな」
運んだとも。 実家父と二人で折りたたみのベッドをお子の部屋まで。
えっちらおっちらと。
お子は隣の部屋にいる実家父とのドアを開けて、淋しいといいながらベッドにはいったようなのだが、私にああ言った以上、私と実家父にむりやりベッドを運ばせた以上と思ったのだろう、一人で眠ったようである。
お子が生まれてから実家にお泊りなど何度もあったが、同じ家の中で寝るときに違う部屋でというのは、昨日がはじめてのことだった。 夕べはまた、ほんのり優しい淋しさの中でふとんにはいったまゆぼうである。
引っ越し荷物は山のようだし、パソコンは繋いでないし、どこになにがあるのかわからなかったりしていますが、実家両親と兄夫婦とお子&私の寝床は確保できました。 引っ越し後の初めての夜です。
3年前の12月に引越ししたときも似たようなことを書いています( ^∀^)
人間あまり成長がないですね^^; 今日現在もいまいち自分のものが片付きませんw
すみません。当分、更新休みます(*_ _)人
昨日はGMさんからテレドラ駒沢オフ出席者のみなさんのお声を聞かせていただけました。 すっごく楽しそうなのがもうまるわかりってんですか。 お話できてほんとうに嬉しかったです。 GMさんには大感謝!
そんななか、住む家の掃除をしたり荷造りしたり、どこまでやってもなんだか片付かず…
そんなわけで当分お休みします。 すみません(*_ _)人
本日は観桜会。 歓迎会+送別会+桜は散ったけど花見の宴会である。 勤務時間はσ( ̄▽ ̄)がいるとこが9時から午後6時。 工場のほうは8時半から午後5時半。
だいたい工場のほうに合わせ宴会は午後6時半からになる。 ということは6時までの勤務を通常通り行うと宴会に出席するのは時間ギリギリか遅れるってのがいつものことで、工場のほうの人たちから文句が出ることしばしば。
今朝、元対面の上司が社長に話をしたところ社長は、 「各自調整して、時間に間に合うように」 =いつもよりちょっと早めに退社していいよ ということになった。
課長にそれを元対面の上司が話したところ、 「なら3時にあがってもいいよね」
課長の背中から後光がさしたようにみえたまゆぼうである。
夕べ、山形市に住んでいる実家父の姉の夫、つまりは伯父から電話が来た。
「まゆぼうちゃんのお引越しのお祝いにね、お家のね、畳、新しくしたいんだよ」 と。 伯父が言うには、去年伯父の家も畳を交換したのだがとってもいいのだと。 「家具とかいれるとね、どうしても大変だからね。 最初に畳がきれいなのっていいよ」
小さい頃から聞きなれた穏やかな柔らかいあたたかい物言いの伯父の声。 すでに米沢市内の畳屋さんに連絡をしたから、私に明日にでも電話入れておいてほしいという。
「おとうさんにはね、黙っていてね。 伯父さんと伯母さんからの気持ちだからね」
実家父には黙っていればいいんだね
で、電話を切ってから実家母に電話した。
実家父には黙っていてほしいといわれたから、実家母に連絡をしたのである。
実家母は、驚いていたのだが、次第に涙声になり、 「心配してくださいってお願いしたわけでもないのにみんながまゆぼうのことをそうやって心配してくれてるんだね。 ありがたいね」 と言った。
思わず涙が出た。
電話をきったあと、お子が、 「ママ、どうしたのっ! なに泣いてるのっ」 「子供はね、痛かったり淋しかったり悲しかったり怒られたりすると泣くけどね、大人はね、嬉しくて泣くことがあるんだよ」 「えーーーそうなのー? 嬉しいことがあったの?」 「うん。あったの」
今日、手続きで仕事を中抜けしたついでに畳屋さんに直接足を運んだ。 この畳屋さんは、どうして山形の人から連絡をいただいたんでしょう?とおっしゃったので、おそらく伯父は去年畳替えしたときの業者さんに米沢市の畳屋さんを紹介してもらったんじゃないだろうかと話した。 夕方仕事を終えてから、住むことになる家に来てもらい古い畳をはがして運び出してもらった。
本当にありがたい気持ちでいっぱいだった。
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