まゆ日記
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予定より二時間も寝すごした。 昨日つけてもらったカーテンがすこぶる快調な効きぐあいで、部屋はいつまでも真っ暗だったのである。久しぶりにこんなに寝たような気がする。 旦那の病院にいってから会社に行き…とここまではいつもの行動なのだが問題は時間帯。出社はほぼ11時であった。 しかも今日は店を早仕舞いするというので実質3時間くらいしか仕事ができなかった。だけど、すこしは溜め込んでいた伝票の山が減ったし、よしとしよう。 お昼ごはんに持ち帰り丼を店長からいただいたのだがすでにカロリーメイトを1箱食っちまってて、今夜の夕飯にすることにした。よかった〜(´∀`)
今日で2005年がおしまい。 激動でしたね。だけど辛い別れがなかった。よかった。 今年やりのこしたこと、旦那の携帯を解約することだけ。
新しい年のよい出会いがありますように。 みなさん よいお年を。
みんながみんな「これから大変だよ」って言って心配してくれていたのはこういうことだったのかもしれない。 自分が今までどんなに旦那に守ってもらっていたのかが、わかった気がする。 どんな形であれ早く旦那が退院してくれればいい。それから先のことはまた考えることにする。
けれど今が、本当にいまが、淋しいし辛い。
仕事納めの夕方、会社宛にきたお歳暮の争奪戦大会だった。 大ジャンケン大会である。σ( ̄▽ ̄)は缶ビール12本をゲット。これから1週間はビールを買わなくて済みそうだ。 仕事から帰って、会社の二人の人に来てもらってカーテンのレールを取り付けてもらう。さすがプロ。あっという間に終了。 つけたカーテンもばっちりだった。 明日も店は開くので、のんびり仕事をしようっと。
ボーナス2万円でした…○| ̄|_
2005年12月28日(水) |
ドキュメント まゆ家引越し |
12月24日。 朝から吹雪。これはもう笑うしかない天気である。運転するのにも道路がどこだかわかんない、5分コンビニによれば、車は雪で埋もれているといったような感じだ。 そんななか、早々に食事を済ませ、お子をまみゅ宅に連れて行き(お子は完璧に楽しみで楽しみで仕方がなかったようである^^)、ダッシュで家に戻って引越し荷造り最終作業である。直後に仙台兄夫婦も到着。 とにかくこうなると片っ端からダンボールにぶち込む作業になってきて、どの箱の中身がどうなっているのか、やっている自分もだんだんわかんなくなってきていた。そのうち、山形から電車で手伝いに来てくれた実家両親の仲人した夫婦2組(先日旦那の見舞いにも来てくれてた)1組は奥さんに用事ができちゃって無理だったけど、とにかく到着。 早速荷造りを手伝ってくれている。みんな現役転勤族なので、こと引越しにかけてはプロみたいなもんである。 予定では9時か9時半に着く予定の引越しトラックが、遅れに遅れて10時半に到着。一足先にσ( ̄▽ ̄)、引越し先のアパートに荷物の一部を持って移動し、トラックがタンスやらでかいもの関係を待ちながら、荷解きしたり、荷物をどけて場所を確保したりなんかしていた。 トラックがタンスをはこんできた〜と思ったら、タンスは雪まみれの、でろでろ状態。雑巾は何枚も濡れ雑巾と化し、部屋にはもう「靴のまま入ってください!」ってな感じで、板の間の床もでろでろ。σ( ̄▽ ̄)靴下びじょびじょ。 続いて届いた机も、そんなもんで、もうとにかく、濡れ雑巾を大量に作成しましたって感じだった。 ケーブルTVの配線工事の人がやってきたのは午後一の約束の時間通りだったのだが、そのころようやく昼ごはんにありついたぞ状態で…。 しかもそのときTVもPCも届いていなかったものだから、あとで実家父と仙台兄が二人で配線をしてみたら、1つのチャンネルしか映らない状態になってしまい、PCは全くネットが出来ないようになっていた。 だがそんなことに気がつくのはその日の夜のことで… 実際荷物を部屋につっこむだけつっこんだあとで、仲人夫婦の、来てくれた奥さんのおそろしくてきぱきした指示で、夕食の準備のできるような台所になり、寝るための布団を引くスペースを空けて、とりあえず食事の取れる茶の間状態のものを確保するまでには、それほどの時間はかからなかったのも、すっごいと思った。 仙台兄が「プロジェクトXみたいだよねえ。なんだか自分、感動しちゃったよ」と、電車で山形仲人夫婦1組半が帰ってから改めて出来上がった茶の間もどきを見ながら言う。 んじゃσ( ̄▽ ̄)地上の星を歌うか?と、笑ってから、おもむろにお子を迎えに行って帰宅。すると、茶の間もどきはお子のランドセルやらカバンをかけているポールに緑のリースが飾られ、窓に「Merry Xmas!」の大きな飾り、テーブルには緑と赤のランチョンマットがならべてあって、義姉が用意したごちそうと、兄がセレクトしたピンク色のケーキ! これにプラスまみゅ家のごちそうと、ほんとうにもう、大クリスマスパーティになってしまってて、σ( ̄▽ ̄)は本気で泣きそうになったんだけど、お子は「うわ〜すごい」と大喜びでそれどこの騒ぎではなかった。 ケーキはイチゴ味のクリームのケーキで真ん中には果物がたっぷり、まみゅ家のごちそうは鳥の唐揚げにサラダにイチゴにウインナーを春巻きの皮で巻いたのとか盛りだくさん。 みんながみんな、ガバガバ食った。実家両親もσ( ̄▽ ̄)も兄夫婦も飲んだ飲んだ。お子ははしゃいだ。 引越しの荷物の移動だけでもなんとか無事に乗り切ったって安心感でいっぱいだった。
12月25日。 お子は夜中まで兄に遊んでもらったようでいつまでたっても目が覚めない。 実家両親と兄が元の借家の片付けに行き、σ( ̄▽ ̄)と義姉はお子の相手をしながらお子の本棚や机の中身の整理をしたりなんかして過ごす。 元の借家の掃除も済んで戻ってきた実家両親と兄、義姉とお子と、σ( ̄▽ ̄)でラーメンを食べに行きその足で旦那の病院にいく。 ちょうどその時間は病棟のクリスマスパーティをやっていた。カラオケやったり、サンタさんの格好をした看護師さんがプレゼントを配ったりしている。 ほかの患者さんには小さなケーキと飲み物が準備されていたのだが、旦那は流動食をチューブ経由でいれているので、なし。 でもプレゼントは旦那もいただいた。 旦那は兄夫婦の顔を見て号泣して、プレゼントを看護師さんからもらって号泣して、σ( ̄▽ ̄)を見て号泣して、実家両親の顔を見て号泣して、とにかく号泣しっぱなしである。 顔を拭いていると「記念に一枚いかがですか?」とカメラをもった職員の人が近づいてきた。 お子にトナカイさんのカチューシャをつけてもらって、旦那と三人で、カシャッ…のはずが、またも旦那、号泣… 二枚目でようやくましな写真が、撮れたんだろうか。 病院の駐車場で兄夫婦はそのまま仙台に帰り、その後、アパートに戻ってから再度σ( ̄▽ ̄)外出。 お子にサンタさんは今朝こなかった(用意できなかったのよ、昨日)ので、今日こそと、DSの犬のソフトを購入。 今日も今日とてとにかく雪のせいで道が混みまくり、いつもの三倍の距離を運転しているような感じだった。 12月26日。 朝、お子はいつもよりゆっくりモード。 今日から学校なのだが今日が終業式である。 前の登校班の集合時間より20分も遅いのだ。そんなに学校にここ、近いのかなあと思いながら、だがいつものゆっくりモードに輪をかけてゆっくりなので結局あと数分ってとこでお子をばたばた急き立てて送り出す。 「アパートの前に7時50分に立っていて」と班長さんに言われたと言うのだが、いったいどこにいけばいいんだろうと不安いっぱいになっているお子につきあって、外に出てみると、吹雪の中、歩いてきた一団が、お子の登校班の子供達だった。 学校への進行方向にむかって10歩くらいもどったとこが、集合場所だった。だから班長さんの子はお子に向かって「アパートの前に立っていて」と言ったのだった。なるほど。 お子を送り出してからσ( ̄▽ ̄)も出発。今日は実家両親に家の中のことを任せて手続関係を一気に行うつもりだった。 駐車場が混んでいたから中も混んでいるかと思ったら案外空いている市役所。20分くらいかかったかなあ。住所変更と住民票を念のため3通作ってもらうまで。 その次に近くの銀行1行目の、通帳の住所変更。これが何枚も何枚も届出の紙を書くことになり、えらく時間を食ってしまう。 続いて電力会社。もともとアパートの二つの部屋の境の壁をすこし壊して二つをつなげて使うんで、二つの部屋分の電気の手続が必要なんで、説明やらなにやら結構ここでも時間を食う。 その後、銀行2行目。ここはσ( ̄▽ ̄)がメインで使っている1個だけの通帳の住所変更なのでわりと簡単だった。 さてその次に警察。免許証の住所変更である。免許証の住所変更だからと住民票を出したら、住民票は返してくれた。へー、原本提出の必要ないんだ〜と意外に思ったりする。 で、ここにきて昼近くになり、旦那の病院に急いだ。 旦那の病院には約束よりずいぶん遅れて到着。職員の人が焦って待っていた…その割には、旦那は着換えもしていない^^; 1時からリハ専の、おおもとの病院に旦那を連れて行き、えんげ検査をするのである。予約はリハ専でやってもらっていた。 最初、σ( ̄▽ ̄)とこの会社にリハ専から電話が来て「えんげ検査の予約をとりましたので、介護タクシーのお手配などをお願いしたいんです」とのこと。えんげ?れんげ?ろんげ?なにそれo(・_・= ・_・)o って感じだった。 えんげ検査って食べたものをちゃんと飲み込めるかどうかの検査なんだって。旦那の場合、両方の脳からの出血だったんで、喉の中も麻痺しているとこがあるだろうから、食べるものはどうだろう?って感じなんだそうな。 おかゆだの、固形のバナナや、とにかくすこしづついろんなものをバリウムでくるんで、ごくんってしたとこを放射線をあてて見るんだってんで、どんなかんじなんだろうって、介護タクシーに乗り込むσ( ̄▽ ̄)と旦那である。 検査の予約時間には大渋滞の雪道にもかかわらず、なんとか間に合った。早速検査開始である。 放射線をあてるのでσ( ̄▽ ̄)や、来てくれた旦那の親は直接どんな感じなのかは見ることができず、廊下の長椅子で雑誌を見ながら待っていた。検査は30分程度です、って話だったのにやたらに時間がかかった。なんなんだろうなあって1時間後にようやく旦那は泣きながら出てきた。 バリウム交じりのお食事は激マズだったらしい。それはさぞ嫌だったろうと旦那をなだめる。ちょうど昼ごはんの流動食もしちゃいましょうってことで、口からいつものチューブをいれている。 それが済むまでそれから20分くらいかかり、結局2時間くらい軽く時間がかかってしまった。 リハ専からつきそいしてくれた看護師さんが「この調子だと、先生(主治医)に相談の上ですが今夜の夕ご飯から、流動食じゃないお食事ができそうですね」とのことである。 …よかったよ… 本当に、と心の底から思った。
繋がりました…ネット。 なんとなんと、IPアドレスが変わっていたんだそうです。帰宅すると書留で書類が届いていて、開けてみるとマニュアルと設定表が…。全く違う数字の羅列で、そのとおり入れてみると、無事に繋がりました。
σ( ̄▽ ̄)にもできたんだぁ。
2005年12月24日(土) |
残骸(しかもネットまだできませんです) |
24日の引っ越しは猛吹雪のなかまゆぼうの嫁入り道具であるドレッサーが粉々になっちまっただけの被害でなんとか終了しました。あああ疲れたでし(T_T)
本当に引越しするんだなあと思うのって本当に前夜にでもなんないと実感なかったりなんかして。 荷物がまとまらないっす。いまだに。
明日の朝一でかたっぱしから箱詰めですね^^;
2005年12月22日(木) |
メタボロ通信簿と忘年会 |
日中は猛吹雪。 なのになのに今日は通信簿を受取りに学校に行かなくてはならず夏場であれば車で10分の距離を40分かけて向かうことになる。 なにせ…「前にもしかして、トラックいる?」って感じで横殴りの風で吹き飛ばされる雪のおかげで視界ゼロ… 会社には同じ小学校に通う子供をもつ、人がいるのだが、よほどその人に「うちの子、3年△組だから、通信簿σ( ̄▽ ̄)の代わりにもらってきて」って頼みたくなった。 ただでさえあんまりよくない成績のお子、劇的に、メタボロの通信簿なんだろうと思っていたら案の定…。三段階評価で「よくできる」がゼロだった。だが、しかし父親の重病なんつー出来事があったのにもかかわらず、2学期は欠席もせず「もう少し」が減っている。あらまあ…びっくりである。
車をだそうとしたら駐車場では雪溜まりになってしまっていて、脱出するのにσ( ̄▽ ̄)のほかに通りがかりのひと3人がかりで30分。 スコップ片手に頭から吹雪にあたって濡れ鼠になっていた…○| ̄|_ ほんと、よほどJAF呼ぼうかと思ったけど、JAFがいつになったらくるのやら状態だったのでなんとかがんばった。
夜は忘年会である。 お子のクラスの集まりが同じ時間帯で重なっていたので忘年会は欠席の予定だったのだが、そのほうが出席者がσ( ̄▽ ̄)羅家族をふくめて3組だけだったので、前日にお流れになったという連絡をもらったのだ。 浴びるほど酒を飲んできた。美味かった。楽しかった。 で、また吹雪の中、今回はちゃんとタクシーに乗って帰宅する。
今日、チャコを養女先に連れて行った。 お子が「ママ、一緒に行ってもいい?」と聞いてきたので「ダメだよ、今日は夜遅くなっちゃうし、第一さっき、宿題まだ終わっていない(マジ、ラッキーって思った)って言ってたでしょ」と偉そうに言い置いて、実家母がネコの砂(トイレ)を綺麗にしているのを横目に荷造りして、車に積む。 ネコの砂を積んで、最後にゲージにいれたチャコを車に乗せる。 チャコは自分からゲージに入っていた。
今日は日中、実家両親の間に挟まるようにして、過ごしていたとのこと。こんなことははじめてだ、と二人は口をそろえていた。
車に乗せたらさっきまで静かだったのにチャコは「にゃ〜にゃ〜」と心細そうにないている。もともと車に乗っているのが好きじゃないネコだったと思いながら車を走らせる。 頭の中にたたきこんだ地図を思い浮かべながら運転すること20分、その家の玄関のそばに出ていて、チャコを引き取ってくれる人は待っていた。雪の中。 挨拶を交わした後、とりあえずゲージを玄関に運ぶと、なんと玄関には畳半畳ぶんのネコ用ゲージが2つ… 「ゆたんぽを入れておいたから、温かいと思うんだけど」と、もう、チャコを待っていてくれたっていう準備だったんだ。ゲージからそっとチャコを抱き上げるとそのお宅のお嬢さんがそっとチャコをなでる。するとチャコは喉をごろごろごろごろ… 「うっわ〜かわいい」と言ってくれて… 普段ほんとうに懐かないというか性格がいまいちというかとにかくほっといてくれって感じのネコだったので、このときばかりは本当にほっとした。 ネコの砂とか、買い置きの餌とか運んで挨拶して、玄関をさがったとき、もう我慢できなくて、声を殺して泣いた。 養女先の人は「お子さん連れて顔を見に来て、いつでもいいからきっと、来て」と言ってくれた。 懐かないネコかもしれないけどチャコはここの家で可愛がってもらえるのに違いないと思って、安心して、車を出発させた。
途中の川原に車を止めて泣いて、コンビニのトイレに入って化粧を直して、次のコンビニで立ち読みして、ほぼ1時間かけて顔を戻して帰宅する。
お子を連れて行けるわけがなかった。 σ( ̄▽ ̄)のこんな号泣は見せたくないもの
2005年12月19日(月) |
今日は泣きます 泣かせてくれ |
なつかなかったら、そのときは安楽死(σ( ̄▽ ̄)がやります)ということでようやくネコの行き先が決まった。 なんとしても慣れてくれ…
旦那のひげそりをするためだけに朝、30分早く家を出るσ( ̄▽ ̄)。 旦那はひげそりの機械を止めて左手でσ( ̄▽ ̄)に謝るように祈るようにする。 「σ( ̄▽ ̄)が同じような病気になっていたら、あなたはσ( ̄▽ ̄)にあやまってほしい?σ( ̄▽ ̄)が悪いんだって、責める?」と聞くと、旦那。・゚・(ノД`)・゚・。 こんなときにこんな風に泣くなよと、行く場のない言葉を旦那に向けるまゆぼうである。
2005年12月18日(日) |
吹雪の中でケーキを買いに行く |
今日はお子の誕生日である。9回目。 退院した日がちょうどクリスマスイブで「最高のクリスマスプレゼントだ」と旦那がこれでもかっていう笑顔満面だったのがつい昨日のことのようだ。 今日は一日押入れの中の荷物整理をしていて、一段落ついてからお子の誕生日ケーキを買いに行ったのだが吹雪の中で車を運転しながら、わんわん泣いていた。 パパのいない誕生日の夜は過去なかったんだから。 こんなにσ( ̄▽ ̄)一人に悲しい思いをさせやがって。
はじめて旦那を憎んだお子の誕生日である。
24日に引越しすることになっているのでとりあえず今使っていないものを片っ端からダンボールに箱詰め作業。 我が家の一室は…すさまじいことになっている。
チャコを引き取ってくれる人が見つからない。 ぎりぎりまで探してだめなときは獣医さんに頼んで死なせてもらうことにした。
夕べのうちに翌朝放送されるであろうFM番組にリクエストと、あとは最近の旦那のことやなんかを簡単に書いて、毎朝癒されているよっていうようなメッセージを書いてメールを送った。 今朝、旦那の病室でFMをつけてからひげそりして、顔をすっきりさせたところで会社に向かい、駐車場に到着エンジンを切る、と、たぶん、なのだがその直後にσ( ̄▽ ̄)のメッセージが読まれたのだそうだ。 …放送で読まなくていいよって書いたはずなのにきれいに全部ながながと、読まれたらしい。 出社後、お当番で掃除をしてるんだけど、後から来た人二人が「聞きましたよ、FM」 …なんかもう、こっぱずかしいったらありゃしません。
一年に一度、この時期しかもσ( ̄▽ ̄)しか毎年リクエストしないブライアン・アダムスの「クリスマス・タイム」でございます。 実際聞いてたら、σ( ̄▽ ̄)号泣してたかもね^
車のCDチェンジャーが壊れたようです…○| ̄|_ お子は自分の好きな曲を何回も聞きたいほうなので、かなーり不機嫌です。
それはさておき、いっきなり大雪なので朝、お子が学校に行くのとほぼ同時に出発するのだが、どえらい渋滞だし道路はがっしょんがっしょんとものすごい音でがたごとしているしってんで、ほんと大変である。自分の運転する車で車酔いしそうなくらい揺れる揺れる〜なんだな。 だもんで、旦那の病室にはほんとうにほんのすこししいられずお着替えをロッカーに入れるんで精一杯だった。
旦那のお友達に今日軽トラックを持ってきてもらって、旦那のバイク3台を運んでもらった。 このくそせまい借家になんと旦那は動く動かないを抜きにして計3台、バイクを置いていたのである。このたびの引越しの癌になりそうなものだったのだ。 で、考えた末、旦那のバイクお友達兼仲良しお友達というと、この人しか思い浮かばなかったのである。 幸いこの人は本当にいい人で、なんとかバイクを運んでもらうことができた。実家両親は大喜びであった。 午後に実家両親は懇々と旦那に説明してきたとのこと。旦那もあの人にやってもらうんだったらときっと納得しているに違いないと思っている。
明日も雪降るんだろうな。今月中に1mいくのかな。
朝6時「マイアヒ〜」の携帯のタイマーでお目ざ。うだうだ布団の中に居ると実家母が起こしに来てくれてパジャマ姿のまま茶の間へ。暖かな茶の間でもそもそお目しかえ。 顔を洗って弁当箱のご飯だけを食いたいだけ詰め(おかずはすでに詰め終えている)お子を起こし着換えさせていると洗濯機が回り始めている。 着替えが終わり朝食。お子の食欲のなさをなだめすかしながらなんとか口に食物を突っ込んでやり(σ( ̄▽ ̄)はがぶがぶ食している)お子の歯磨き・顔洗いをさせながらわし顔洗いして化粧開始。σ( ̄▽ ̄)の顔の下地を塗っているときにお子は時間割を揃え(前の日にしろよ…○| ̄|_)お子がコートを着て玄関にいくころにマスカラをしこしこ。 いってらっさいのころ口紅を人を食ったようにぬりまくり、おもむろにσ( ̄▽ ̄)お着替え。仕事服になったら充電を済ませた携帯片手に弁当箱・旦那の替えの服を詰めた袋を持って車を出すのが7時40分。 だいたい数十メートル車が進んだあたりでお子を追い越し8時10分くらいに旦那のリハ専につく。旦那の顔をぐりぐりふいて目やにやら唇周りを拭いてひげそり。8時30分くらいにリハ専を出て会社に向かい8時44分会社到着。
あとはいつもの勤務。
退社後、車に積もった雪をどけて、窓ガラスがなかから見られるようになるまで車を暖め続けること10分、前が見られるようになってから車を動かし学童保育所へお子を迎えに行く。 帰宅すると今日σ( ̄▽ ̄)がまとめておいた旦那の汚れ物がきれいに洗濯されて部屋中に干してある。それを横目に晩酌。 毎晩のようにσ( ̄▽ ̄)の旦那のことで泣く母を相手に、酒を飲む。σ( ̄▽ ̄)の代わりのように泣いている母を見ながら、疲れを癒したりしている冷血人間のまゆぼうである
見つかりません。困っています。・゚・(ノД`)・゚・。
2005年12月11日(日) |
雪景色 綺麗でもあるし 迷惑でもある |
旦那の病院には朝一で行きたかったのだが、σ( ̄▽ ̄)が寝坊したんで今日も9時過ぎに到着。雪道と吹雪の朝で、道路状態はがたがたの最悪。 旦那のひげそりを済ませてから帰り道に靴屋さんで、ちょっと値段が張るけど意外に履き心地のよかった完全防水ブーツを取り置きしてもらって一旦帰ろうとすると、お子が「ママ、長靴欲しい」とおねだり。 「買ってもいいけど、お子のお誕生日のプレゼントにしてもいい?」と聞いてみた。すると「えー、じゃあ、お誕生日にならないと買ってもらっても履いちゃだめなの?」と言う。 「いや明日から履いていいけどさ」 それだけでお子は大喜び。これで完璧予算オーバーだったけどこのまえ実家父に「いい加減にまともな長靴、買え( ゚Д゚)ゴルァ!!」とお金をもらったんで、とんとんってとこかな。
午後から狂言の年内最後のお稽古。近くの神社に行きお参りをする。 禰宜さんに手水の仕方、お参りの作法を教えてもらう子供達。戸外と同じでいっきなり寒かったのだが、騒ぎもせず神社の中で正座・背中ぴんっ。…後ろで座ってみていてすがすがしい気分だった。 雪景色の中、拍手を打ちお祈りしてから狂言のお稽古。そのあいだ、久しぶりに他のお父さんやお母さんとお子には内緒でケーキセットでお茶をする。 ケーキなんてほんと、久しぶりに食った。 狂言の稽古の関係者で旦那の病気のことを話した人は一人だったし、他にもう一人、この人はテニスの役員の人のご近所さんで話を聞いたという人だけで、この二人がみんなに話をしたわけでもなかった(内緒にしていることではないのでかまわないのだが)んで、結局旦那の話を改めてしなくてもいいような、会話の流れだった。今後の子供達の狂言の舞台での衣装をどうしようかとか、こういう謡のときの衣装はこうだああだ、そういう話ばかり。 旦那のことを心配してくれる人を増やさなくてもいいのかなって感じだったんで「その後、どうです?ご主人」と聞かれない限りは別にいいかって感じもまた、居心地がよかったりする。
稽古が終わってお子達は舞台のお掃除。綺麗目のタオル持参で、ヒノキの舞台を拭き拭きする。 しかしなんと贅沢で幸せな子供達なんだろう。総ヒノキの舞台で狂言のお稽古ができちゃうんだもんな。 「家でなんて床磨きなんかさせたことないししたことないのに」と目を細めるほかのお母さんの言葉に、σ( ̄▽ ̄)思わず「床磨く前に床面積を出すためにまず片付けないといけないんですよね」と思わず言ってしまい失笑を買うまゆぼうである。
予想外に雪が降り、道路が渋滞しまくってて、しかも朝は寝坊まゆぼうだったためお子を耳鼻科に連れて行ったら駐車スペースもないほど混んでいたんで、受診は後日にし、そこからだと旦那のリハビリ病院(以下リハ専と呼ぶ)は目と鼻の先なので、「パパの顔見てく?」というとお子「イクワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*ヨォ !!!!!」 病院にいくとなんと旦那は鼻からチューブを入れられて流動食を摂っていた…うそだろう! で、看護師さんだか、ケアマネージャーさんだかに「口からのチューブだったんですけど!」と大騒ぎ。んじゃ何、夕べの食事も鼻から??ってことかよ…。 前の病院からの書類読んでんのかよと言いたくなってしまった。 それはともかく、何とかひげそりを済ませて帰宅。
ぼちぼち引越し準備をしようと、まず不用品の整理に取り掛かる。結構モノはないつもりだったが、σ( ̄▽ ̄)の荷物で何が一番量があるかというと実家父曰くビデオテープなのだそうだ。ほっとけ。
午後4時から6時がお子のテニスで、今週はサボる気なさそうだったんでほっと一安心。「HP見ましたよ。よかったですね」と役員の方に声をかけていただいた。ほんとうに嬉しいと同時にリモコン泥棒もばれてるのよね、と思った。 なんか、いろんな人に旦那の病気の話をしまくっているように思っていたσ( ̄▽ ̄)、ここの室内練習場も旦那のリハ専に近いので「ちょっと出かけてきますね」と別の子のお母さんに声をかけると「どこいくの?」と言うんで「リハ専にちょっと行ってこようかと」と答えた。 「え、お見舞い?」 「へ?言ってませんでしたっけ。旦那脳内出血で入院してて昨日リハ専に移ったんですよ」と言うと、 「えー、知らなかった。大丈夫なの??」 …そうかそうか。しゃべっていなかった人もいたんだぁ、と思って少し説明してから、ちょこっと旦那の病院に向かう。 4時半くらいに旦那の病室に行ったら、今度はちゃんと口にチューブが入っていると安心したけれど、…夕飯早っ、4時半だぜ… 夜中、旦那腹減らないだろうかと少し心配になってしまったまゆぼうである。 だいたい土日やったらめったら道が混む一帯で、平日だったら車で5分なのに往復ざっと30分はかかってしまった。
テニス終了後、いらない本を処分しに古本屋へ行き、そこで小一時間お子と立ち読み。その後に買い物してからご飯を食べたので何もかもが遅くなっちゃった。
今日は午前中いっぱい仕事して、昼に病院にいく。 病室についたσ( ̄▽ ̄)が目にしたのは、まるで夜逃げ状態の旦那の荷物。大量のバスタオル・着換えそのほかもろもろのほとんどが風呂敷包みや紙袋に収められた状態になっている。 実家両親がすべて荷造りしたものだった。旦那は車椅子に乗ったまま流動食のお昼ご飯の真っ最中。σ( ̄▽ ̄)を見るなりまた泣いて、まもなく流動食が済んでベッドに移されて看護師さんが「今日で会えるのは最後だから元気でリハビリしてね」と挨拶していただいたのにもまた号泣。 σ( ̄▽ ̄)らは実家父の車に夜逃げ荷物を積んで病院内の食堂へ行きラーメンを食う。密かにここのラーメンは美味なのである^^
1時半に介護タクシー(実は毒舌姐さんのご主人がタクシー会社にお勤めで、今回の移動をお願いしていた)の迎えが来るはずが、とっても早めに到着いただいていて、σ( ̄▽ ̄)とかゆっくり昼のラーメンのスープを堪能し呑気に1時過ぎに病室に戻るとせっかちでとっととラーメンを食い終わった実家父が「もう迎えにきてもらっているんだよぉおおお!」と怒鳴る始末。 看護師さんに車椅子をおしてもらい、ナースステーションに挨拶に行く。旦那はここでも号泣である。 「がんばってね」 「奥さん、これからもしっかりね」 そんな言葉をかけてもらって、夜の夜中にこのナースステーションの隣の病室、ICUもどきのこの部屋で一晩おそろしい血圧計の数字を見ながら昏睡状態の旦那の手を握ったことを走馬灯のように思い出しながら、やっぱり泣いちゃったσ( ̄▽ ̄)。それを見て旦那がまたも号泣…
ところが、出入り口に介護タクシーがいない。 …1時半に来てるはずなのに。だけど実家父はこの車椅子は介護タクシーのを借りてきたのだと言ってるので来てるのは間違いないし、ってんで寒々とした廊下で待つこと数分。実家父走り回って介護タクシーを見つけた。 ちょうど救急車が来たのと重なったので他のとこに移動していたらしかった。 介護タクシーの助手席には実家母、追いかけて実家父の車、σ( ̄▽ ̄)はあとから自分の車で移動した。
リハビリ病院には2時まで入るように指示されていて、1時50分くらいに到着した。入院の手続をしている間に旦那と旦那の夜逃げ荷物はとっとと病室へ移動。それから入院に当たっての家族への説明とか、旦那の診断とか、こんど担当するお医者さんの説明とかとにかくとにかくたくさんあって、2時間近くかかっていた…こんなに時間がかかるんだとは思わなかったってくらいである。 今度の病院はわりと新しいので、築何十年の市立病院とはなんか全然雰囲気が違っている。ただ、3階建ての3階の病室から見える景色は別の棟なんで、眺めがよかった前の病院とは大違いである。 ただ、この病院からσ( ̄▽ ̄)の勤務先はほんとうに目と鼻の先なので、なんだかんだあと用事を済ませても残り1時間半くらいの勤務に戻ることができた。
夜逃げ荷物を旦那の病室のロッカーに収納していたら、なんと前の病院での病室のテレビのリモコン(使ったことないのに!がはいっていて…ここにくるのはもうないんだなあと、涙を流しながらお礼を言ってきたって言うのに、仕事が終わったあと、いつものようにいつものナースステーションに行く羽目になるとは思わなかった。 涙ぐんでがんばってねと送り出してくれた看護師さんに「間違ってテレビのリモコンを持って行っちゃったんです」と返しに行ったときどんなに恥ずかしかったか… いやσ( ̄▽ ̄)らしいっていえばらしいんだけど。
また自分の新しいタイムスケジュールがはじまる。
夜に病院にいくとたまたま夜勤らしい担当の先生がいた。 「いろいろお世話になりましてありがとうございました」「いよいよ明日転院ですね」と、よくある会話のあと、σ( ̄▽ ̄)「こんなに早く転院ってことになるとは思いませんでした」 というと担当医「長期入院のほうでしょうね。なにせ(脳の出血が)両方でしたから意識障害がずいぶんありましたから」とさっくりおっしゃる。 あらためてぞーっとしてみたりなんかする。 そのほか夜勤の看護師さんにもそこそこ挨拶ができたんで、まあよかったよかったと思う。
で、徒然なるままに。
旦那の手術のあと、昏睡状態だったとき。旦那の着換えをする看護師さんを一度だけ手伝ったことがある。そのときに旦那のパーツ(片腕だの片足だの)がただでさえデブなのに加えて昏睡状態なのもあって、むやみに重かった(今はだいぶ痩せたけどそれでも車椅子の乗り降りは看護師さん3人が必要)。 つい「よく、殺人事件とかって、バラバラにするとかいうのあるじゃないですか。そういうのって、足だの腕だの、特に頭部なんて重いですよね。持ち運び大変だろうなあって思うんですけど」となにげに言ってみた。 すると旦那の体を拭き拭きする看護師さんは「それよりも私は、切るほうが大変なんじゃないかと思うんですよね。人体ってなかなか切れないからよほど切れ味がいいものを使わないとって」と返事をしてくれた。 なるほどと頷きながらこういうノリのいい看護師さんって大好きって思った。
担当医は二人いて、二人とも年齢不詳である。 今日あいさつができたほうは若はげだし、もう一人は見事な若白髪である。私服でいるのをそれぞれ見たことがあるのだが見事にユニクロちっくのふつーの服で、しかも年寄りじみていないふつうの体型であった。つまりは私服だといきなり若い感じなのである。 ある日、意識のはっきりしてきた旦那に話しかけながら若白髪先生が「まゆ旦那さんって、ほらジャニーズのあの人に似てるよね。あの人」と看護師さんに言ったことがあって、その看護師さんは年配のほうだったので「ジャニーズっていうとあおい輝彦ですか?」と聞き返すと若白髪先生が「そうじゃなくって、ほら、ジャニーズのあの人」 …いまどきジャニーズと聞いてあおい輝彦の名前がでる看護師さんも相当だと思うが、若白髪先生がいったいどのジャニーズの人間を指して言ってのかがいまだに不明である。 二人とも今年来たばかりの先生で看護師さんたちと世間話をするほど親しくはないのだそうだ。 この若白髪先生、無精ひげがすごくて、旦那のひげそりしたあとにうっかり会うとつい、顔を押さえつけてそってしまいたくなる衝動をおさえるのがσ( ̄▽ ̄)大変だった。
いま思い出す、入院中の(・∀・)ニヤニヤな話である。
誕生日って人から「おめでとう」って言ってもらうのほんと、いい気分です。 旦那に朝「σ( ̄▽ ̄)今日誕生日だぞ」と言うと旦那、またも。・゚・(ノД`)・゚・。 泣くほど嬉しいのか?σ( ̄▽ ̄)の誕生日。 すまないって思って泣いてるのかなあと思って「来年の誕生日には今年の分も含めて新車でも買ってもらおうかな」と言うと旦那はまたウワァァァァァァヽ(`Д´)ノァァァァァァン!って感じでした。 いやな奴。
まだまだσ( ̄▽ ̄)の人生激動チックなのですが、そうそう出来ない経験だと思ってこの恐ろしいポジティブシンキングを貫きたいと思いますです。
2005年12月06日(火) |
進捗状況にけちつけられた気分ははげしく不快であるが |
今日、上司Eがσ( ̄▽ ̄)の伝票入力が遅れている(いや旦那入院のときの休んだのは取り戻したのだが、新店舗化したもんでその影響でシステムの変更のためにスタートが遅れたのだよ)ことについての指示のようなものがあったんだけど、せっかく新店舗化にともなう新しい伝票の入力に慣れてきてスピードが出てきたんで入力が終わるのの目処もたってきたっていうのに、なんかそれについて上司Eからちゃちゃを入れられたような感じがしたものだから午後はσ( ̄▽ ̄)結構不機嫌だった。 別の上司同士がまったく違う話題で「ボーナスが出てから辞めようと思っている社員がいるようだ」とか雑談してたのにも、「ボーナスって出るのかよ」とぼそっと口にしてしまうσ( ̄▽ ̄)。なんたって夏のボーナス2万円だったもんね。居心地いいけど給料が激安過ぎで困ったもんだ。フルタイムのパート職員ってありえるんだろうかと思う。
それはさておき、今日は旦那の病室に行って、だけども前にいた会社でそこそこいい給料だったけど毎日泣きそうな真っ青な顔をして、かつ出来損ないの事務員だのなんだの責められ続けて毎晩旦那に泣きついていたころよりも給料激安だけどみんないい人ばっかりで優しい職場に今いて、旦那は病気になったけどσ( ̄▽ ̄)が痛い思いをしていない今のほうがずっといいと思うよと旦那に言うと旦那はまたも号泣。 σ( ̄▽ ̄)の代わりにσ( ̄▽ ̄)の母が毎日毎日泣き暮しているのだからσ( ̄▽ ̄)がへらへら笑っていられるのだとも思うまゆぼうである。
9日の午後、旦那は市内のリハビリ専門病院に転院が、正式決定した。今日の夜に病室に行くと看護師さんが教えてくれた。その看護師さんに「まさかこんな早く、リハビリ病院に転院なんて話になるとは思わなかったもんですから」って言いながらσ( ̄▽ ̄)泣いちゃった。したっけ、寝てた(なんか今日のリハビリと車椅子に長時間乗ってたのにものすごく疲れたみたいで、夕方から寝てたようだ)旦那も泣き出した。 聞こえてるんですね…旦那。 こういうときは聞き逃せよと思うまゆぼうである。
みなさんには、元気付けてもらって励ましてもらって一緒に泣いてもらってあっという間の2ヶ月弱でした。起きた出来事そのものは悪夢のようでもありましたが、みなさんのおかげでここまでこれたみたいなもんです。 ほんとうにほんとうにありがとう。何べんお礼言っても足りないくらい感謝しています。 これから先も、くじけたりめげたりいっぱい情けないこと逝ったりすると思いますが、そのときは、あたたかな叱咤、よろしくお願いします。
お子は「こども芸術祭 舞台芸術の部」に出演のため、朝9時集合で狂言クラブの仲間みんなでバスに乗り込み片道一時間。 田舎なのにものすごくりっぱなコンサートホール(見た目りっぱなのに音響はさいてーかも^^;)に到着。 すさまじく汚い舞台(ふつう舞台ってのは靴をはきかえるものなのだがみんなそこで作業をしている人は完璧土足だった)に足袋一枚にならなくてはいけないお子たちは、たかだかリハーサルだってのに二の足三の足をふんでいる状態。 ま、リハーサルはスリッパはいたままでいいのよってかんじだったけど、それはともかくその後すこし早くお昼を食べて早めに着物を着せてそれから出番までほぼ1時間…よく、お子、「ママ〜〜〜嫌になったあああ、着物脱ぐぅ〜〜〜」と叫ぶようなことなく、他の団体の太鼓だのヨサコイだの見ていられるもんだと思った。 そして、お子の出番。 リハーサルでは力いっぱい場所を間違ったお子、本番では、一発で見事な立ち位置だと思った。 扇子の表裏も待ちがわず… 前に旦那が見たときはお子、めいっぱい間違えて周りをきょろきょろしまくって「…二度と見に行かない」とまで言われちゃったんだよね。 お子が退場の時にはやっぱり我慢できなくて泣いちゃった。
その後も衣装をつけたまま約3時間、他の団体の演技を見てから着換えて帰ってきたので、σ( ̄▽ ̄)もお子も果てしなくつかれきっている。
引っ越すことになっちゃいました。激せま〜になってしまうので、頭痛いです。
2005年12月02日(金) |
別の病院に説明を聞きにいく |
旦那は近々、リハビリ専門病院に転院できそうである。で、今日σ( ̄▽ ̄)と実家父、旦那両親と4人で転院先の病院に面接&見学に行ってきた。 予想通り、事務手続の仕方とか、この病院のあらましとかそううのの説明を中心にしようとしていたので、旦那の年齢・症状・その他もろもろを言うと、ケースワーカーのひとΣ(・∀・;;;)してた。こんなもんなんだろうな。
朝、気がついたら12月1日で、月に一度の運試しなのである。スポ少のテニスのコートをとるためのくじびきなのだ。 前回、σ( ̄▽ ̄)参加しなかったんだけどくじびきに参加したのは5人だけで、2月は全然コートがとれなかったそうで、いまコーチ陣がどこか冬場に使えるとこを探し回っているそうである。 で、人数勝負なのでこの際だからまゆ実家両親にも行ってもらった。 σ( ̄▽ ̄)ですか…いきましたよ。旦那のひげそり終了後。 なんと67番だった…○| ̄|_ でも「最後のほうの番号をひいてもらって、あとから来た人にいい番号が出やすいようにしていただいたんだから」と、役員の人に言ってもらえてすぐに立ち直るσ( ̄▽ ̄)。 あとでメールをいただいたところによると、あとから来た役員の人が5番をひいたそうで、3月は無事コートが確保できたとのことである。 安心安心。
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