理由はない。若者は使われるだけ、ただそれだけで終わっていく。
正直に生きればなお使う側の思うツボだ。
立場を逆に利用してやろうと思うならば
踏み越えていかなくてはいけない、戦いは避けて通れない。
時代は若者に味方する。
撃て。
先人は常に屍を越えていく。
下り車内のシートはまばらな乗客で
両端の席から埋まっていく。
ゆったり座りたければ真ん中辺りがいい。
邪魔をされずにくつろげる。
肘も膝も縮こまらせない快適さは
朝の特別な時間だ、眠い時にはありがたい。
へんないきものがキャラクターで 子供の飲み物だってみんな思ってる。 ビタミンが入っているからってごくごく 500mlの一気飲みはどうなんだ。 糖分の取りすぎは良くないよな、やっぱり。
生きていくためには必要不可欠なモノを
集めていくとそれは楽な様で実はかなり
しんどくて痛いものだったりする。
時間はいつもハッキリと
ただそれだけを刻み、死を迎える。
杉花粉症にかかってから十六年経つ。
発症当初はあり得ないほどのかゆみと
涙とくしゃみと体温上昇など多重苦に
耐えるだけで春先を過ごしていた。
アレルギー抑止の薬が効くようになって
ましにはなったが副作用で服用すれば
眠くなる。
杉花粉から逃れる事は未だ出来ない。
ただそれだけ
本当は答えがあるのにない振りをして相手を欺き、
最後には己のみが確信し置いていく。
自己のみが存在を許される者、確信犯。
法律があるがゆえに犯罪と断じられるのか、 犯罪という言葉自体が持つ意味はあいまいだ。 殺人と窃盗は言葉にする以上に犯罪の重みが違い、 その二つの犯罪が同時に行われても被害者が 命を落とさなければ、やはり罪は変わってくる。 法律が定めるところがそうなっているからだ。 決まっているから犯罪をする側に逃げ道を 作っているのじゃないのか、 秤のない当事者の道徳による判断で 犯罪も処罰も行えるようにしてはどうだろう。 微罪を犯すのも命がけになりまた行使する方も 情状の余地を持てるのではなかろうか。
暖冬の年は関東に春先大雪が来ると云われている、
じゃあ寒波激しい冬はどうかというと
やっぱり酷暑だったからか大雪なのだ。
春先長くウインタースポーツが出来ると
喜ぶ人以外には天災でしかない。
深層にある意識があまりに生な感覚で
夢の中に現れたりするとかえって嘘くさい。
現実からかけ離れていくほど夢だと
認識してしまうのだから当然と言えば
当然なのだが。
書き込む予定があろうとなかろうと予定表は予定表という、
予定がない事を示しているのだから役割は
果たしているのだと思うのだけれども、
何日も全く予定が無いときは意味がないような気がする。
予定がないのが予定なのだけれども。
学ぶとか身に付けるとかのたぐいは
三日坊主には向かない。
大体五日ぐらいすると飽きるのか
別の何かが優先されて継続されずに
いつの間にか忘れられる。
始めるときの意気込みは
省みられる事はない。
だから一週間自分
突然の事にはどんなに肝が据わっていたとしても
足がすくんだり、走り出したりするだろう。
ましてや相手は前後不覚の覚せい剤使用者だ。
加減ナシでバットを振り回す。
拳銃を使え?いやいや距離をとらないといけないと。
だから走り出したんじゃないのか、そう取れなくもなくないか。
面白く取り上げた、たった五秒の映像で腰抜けと断ずるには
ちと怪しい、本当は拳銃使っていいんじゃないと思わせる作戦じゃ
ないのか、勘ぐりすぎか。
いよいよ始まった。二十一世紀では最大級の杉花粉飛散。 アレルギーが出てなかった人まで発症するらしい。 毎年繰り返される、この病気はおそらく終わる事はない。 薬もグッズも一大産業なのだから。 生かさず殺さず、春の風物史であり続けるのだ。
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