昨日は神奈川県内で、午後から夕方まで、合唱の練習があった。 ウイーンの聖堂で、モーツァルトのレクイエムを歌うというプロジェクトに参加している。 11月はじめの公演にむけて、練習にも、一段と熱が入ってきた。 参加者120名、現地の聖堂のホームページには、発表もされているので、あと3ヶ月あまりは、気が抜けない。 月に3回の練習は、毎回3時間半、練習会場が主として指揮者在住の神奈川県内なので、東京西部地区に住む私どもには、片道2時間かかる道のりである。 練習は、午前中、午後、夜間と、一定していない。 100人を超す人間が、合唱の練習をする場所は、限られるし、楽器のあるところでないと出来ないので、会場探しのスタッフは、苦労していた。 しかし、ともかく、練習計画は、すべて決まり、演奏旅行のスケジュールも、大体詰まってきたので、あとは、指揮者と演奏者が一体になって、音楽を完成していくだけである。 休憩時間には、めいめいお腹を満たしたり、練習風景を撮ったビデオをスクリーンで見たりする。 昨日は、舞台の中央の大スクリーンで、ビデオを見ているとき、大きな揺れを感じた。 私は最前列にいたが、かなりの揺れで、地震だと解った。 少しザワザワしたが、舞台の横にいた指揮者と、私の前で、バイオリンを弾いていた人たちは、電車の通る振動だと思ったそうだ。 そのうちに、埼玉県辺りで震度5という知らせが入った。 家にケータイを掛けるために、会場を出た人もいた。 夫のケータイには、息子から、親たちの行方を心配して、問い合わせのメールが入っていたらしい。 こう言うときは、ケータイは便利である。 5時半に練習が終わった。 夫は、合唱団の相談役兼会計という役割を担っているので、指揮者ほかスタッフと、打ち合わせがあるという。 私は、同じ方面に帰る人達と一緒に駅に向かったが、幸い、利用する電車が全部動いていたので、帰宅することが出来た。 ただし、1時間程余計に掛かった。 震度5以上になると止まることになっているガスもそのままだったし、物が落ちたりした様子もない。 ニュースによると、震度4とのことであった。 今朝は、かなり涼しい。 この1週間の暑さが一段落したのだろうか。 棚上げにしていた懸案事項も、片付けねば・・。
>ある男が、私に暴言を吐いた。 昨年11月始め、こういう書き出しで、日記に書いた。 その3ヶ月程前の夏に起こった出来事だった。 長い文章だが、少し引用する。 >その人は、兼ねてから、相手が男と言わず女と言わず、暴言めいたことを言うクセがあった。 悪意のないことはわかるが、歯に衣着せぬと言うのか、相手をグサリと傷つけるような、ものの言い方をする。 マスコミ関係で長く働いていて、それが、習慣のようになっていたという噂もあり、そんないい方が許される環境で、今まで過ぎていたのかも知れない。 キャラクターはなかなか面白いし、ありきたりでない意見も持っているので、私も、好感は持っていたし、呑み仲間として付き合ってきた。 時にバトルになることがあっても、ここまでという一線は守って、今までは、修復できる範囲のことだった。 しかし、そのときは、その一線を越えていたのである。 親しさの中にも、礼儀というものがあるが、彼のはいた暴言は、表現者としての私を侮辱するものであり、私の人格に関わるものだった。 勿論周りの人にも、聞こえている。 ひどいことを言う、と思った人は少なくないと思う。 でも、誰も、たしなめなかったのは、日ごろ私がその種の発言には、黙っていないことを、みな、知っているからである。 第三者に為された暴言にも、聞き流さず、咎めたことのある私である。 だから、きっと、私が直ぐに反応して、バトルになることを、多分、予想したに違いない。 余計な口は挟まない方が、と思ったのだろう。 しかし、私は、反論しなかった。 というより、何か言うと、ワッと嗚咽が漏れそうな、胸にこみ上げるものがあったのである。 相手は、多分、自分の言葉が、それ程、私を傷つけたとは思っていないようだった。 また追い打ちを掛けるようなことを言った。 いつものように、直ぐに言い返されると思った言葉がないので、戸惑ったと言うこともあったかも知れない。 そのあたり不器用な人なのである。 私は、しばらく我慢したが、耐えきれなくなって、席を立ち、廊下に出た。 途端に涙が溢れてきた。 そのまま廊下の隅にあるソファに腰掛けて、ジッとしていた。 >どのくらいの時間だったのか、わからないが、どうやら、気持ちが落ち着いたので、元の席に戻った。 「何処に行ったかと思って探してたんだよ」と、暴言の主が言う。 そんな茶化した言い方で、収まると思ったらしい。 何を言ってる、探してなんかいやしないのに、と思い、無視した。 >その後、最近まで、私は暴言の主とは、顔を合わす機会がなかった。 避けていたわけでなく、偶然のことである。 趣味の会ではあるが、グループがいつも一緒というわけではない。 ただ、ほかの人から「彼、大分反省して、気にしてるよ」という話は聞いていた。 しかし、第三者から聞いても、本人が直接私に何も言ってこない以上、そのままの状態は続いた。 10月終わり、顔を合わせる機会があった。 向こうから近づいてきて、あのときは、自分はそんなつもりで言ったのではない、あなたが誤解したのだ、と言うようなことを、しきりに説明する。 ゴメンね、とは言ったが、本当に謝っているのでないことは、自分を正当化しようとする言い訳めいた言葉でわかる。 第一、悪いと思っていたら、もっと前に何とか言ってくるはずである。 周りの人から、いろいろ云われて、しぶしぶ来たのである。 顔を合わせる機会は、時々あるし、周りの人も、間に入って困るだろうし、などと、彼なりに考えたのだろう。 私が受けた傷の深さを、認識していない。 そんなことくらいで怒る方が悪いとでも、言いたげであった。 18,9の小娘じゃあるまいし、大の男から、満座の中で言われたことである。 簡単に片づけないでほしい。 「みんなの前で、私を侮辱しました。それは、ほかの人も聞いていることです。私の人格に関わることだから、誤魔化さないでください。当分、お付き合いしたくありません」と私は言った。 「そう、じゃ、仕方がないね」と言って、彼は離れていった。 人をバカにして、今頃何よ、と私の胸には、新たな怒りがこみ上げてきた。(後略) この記事は「女の敵は女?」という題で書いた。 その一件について、私の親しくしている女性達から、「男が謝っているのに、許さないのはあなたが悪い」と責められたことについて、書いたものである。 その場にいたわけでもなく、よく事情も知らずに、そんなことを言うのか、と私は思い、日ごろ進んだことをいいながら、やっぱり男の側に立った見方をするのかと、裏切られた思いを抱いた。 女の敵は女だというのは、こういうことだと、つくづく感じ、その勢いで、書いた記事だった。 ちょっと感情的になっていた面もあり、あまりに個人的事実に基づいているので、その部分は引用しない。 その後、暮れ近くになって、件の人とは、偶然同席する機会があった。 会合の後で、男ばかり5人が飲みに行くことになり、帰りかけた私が誘われた。 その人も一緒である。 一度は断ったが、考え直し、付いて行った。 女は私一人である。 小さな飲み屋で、6人がテーブルを囲んだ。 彼が私の真向かいに坐り、「ここに坐っていい?」と言った。 「どうぞ」と私は応えた。 いつものように、気の置けない同士の世間話をしながら、ほどほどに飲み、料理をつまんだ。 みんな私と彼との、一件は知っている。 しかし、私たちも含め、誰も、そのことには、ひとことも触れず、和やかに飲んで、店を出た。 帰りの電車の中で、自然に涙が出てきた。 一緒にいた男の人たちの、さりげないやさしさが胸に来て、その人を廻る男の友情は素晴らしいと思った。 私の他に、誰か、女性が混じっていたら、こういう風にはならなかったろう。 その後、私は、他のことで忙しくなり、余りその会に出なかった。 周りの人たちは、彼と私が、まだ戦闘状態にいると思っていたらしい。 私が出ていかないので、「彼、まだ気にしてるよ」と教えてくれた人もいた。 私は笑いながらも、飲み屋での、素晴らしい時間のことは、誰にも話さなかった。 その人が、突然脳出血で倒れたのは、今年5月終わりである。 40日間、ついに意識を戻すことなく、先週亡くなった。 通夜の席には、私たち趣味の会の仲間も出席した。 太く熱い人生を駆け抜けた人であったことが、古くからの友人達のスピーチから伺えた。 私たちの知る彼の人柄と、重なるところが多かった。 「もし、そういうことがあったら、賑やかに飲んで食べて送ってほしい」と家族にいつも言っていたというので、私たちも、大勢の弔問客に混じって、ビールで献杯の後、思い出話に花を咲かせた。 彼は、私にとって、ケンカ相手であり、本音で話が出来る人だった。 独特の感覚と、少年のような無邪気さも持った、得難い個性だった。 5月初め頃、神奈川県で、連句の会があり、その時顔を合わせたのが最後である。 碁敵の憎さも憎し懐かしく
昨日は、日本列島がどっぷりと雨に浸かった一日だったようだ。 合唱の練習があり、午後4時頃家を出たが、すでに雨が降り出していたので、折りたたみを止め、大きい傘にした。 練習は夕方6時半から9時半までの予定。 早めに行って、会場内のロビーで食べるために、途中でお弁当を買った。 100人を超す人数なので、練習会場は、大きなホールのあるところに限られる。 係の人たちが苦労して場所を確保するが、横浜と東京地区で、一定していない。 いずれにしても、家からは、1時間半、2時間のところが多い。 月3回の練習。 11月はじめの、ウイーン公演に向かって、指揮者始め、みんなの目の色も、真剣度が増してきた。 30分前に着き、ロビーでお弁当を食べ、練習会場にはいる。 今日は、人数を4つに分けて、お互いに聴き合うというアンサンブル練習。 100人で歌っていると解らない個人の欠点が良くわかる。 いい練習法だと思う。 欠席の多い人、暗譜していない人には、刺激になったと思う。 終わって、会場を出ると凄い雨。 駅までは1分くらいの距離だが、傘がしたたる程だった。 神奈川から東京を跨いで、駅に着き、もうバスはないので、タクシーに乗る。 家の前で止め、門の鍵を開けて、家に入るまでのわずかな間にも、雨水が、靴の中まで入った。 こんな日が何度かあって、やがて梅雨明けとなるのだろう。 知人の訃報を知らせる留守電とメールが2件。 5月終わりに、脳幹出血で倒れ、意識が戻らぬままの死だった。 私の連句仲間であり、ケンカ友達であり、口の悪い兄のような存在だった。 独特の感覚と、少年のような無邪気さも持った、得難い個性だった。 5月初め頃、神奈川県で、連句の会があり、その時顔を合わせたのが最後である。 もう一度ケンカしたかった。 そう思ったら、涙が止まらなかった。
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