昨日、新国立劇場で、芝居を見る。 「線の向こう側」という題である。 出演者は、岸田今日子と二人の男優だけ、休憩無しの2時間、主にセリフだけで進行する。 長年戦争状態にある二つの国、その国境に添ったところに暮らす老夫婦、戦死者の死体のデータを作り、埋めることを生業にしている。 15歳で家を出て行った息子の帰りを待ち続けている。 ある時、戦争が終結、突然国境警備隊員と称する男がやってきて、老夫婦の家の真ん中に国境線を引く。 トイレはA国側、台所はB国側になり、夫婦は、それぞれの場所に行くのに、いちいち許可証を書いて貰わねばならない。 そうした悲喜劇のうちに、夫婦は、次第にその国境警備隊員が、自分たちの息子ではないかと思い始める・・。 これを書いたのは、1973年のチリのクーデターで、オランダに亡命したアリエル・ドーフマン。 新作で、今回が初演と言うことである。 長セリフの掛け合い、今日が初日とあって、まだこなれていない部分もあったが、引き込まれてしまうような内容であった。 男と女の間にある線、国と国の間にある境、人間の生きているところに必ず存在するボーダー。 それは、ひとつの存在の証でもある。 そこで思い出したことがあった。 イギリスの地下鉄の座席は、ひとり分ずつ仕切が設けられていた。 それは決してゆったりした広さではなく、体の大きな人、太っている人には、ちょっと窮屈なほどの幅だった。 しかし、その一つを占めている間は、ひとり分のスペースは、誰にも侵蝕されないテリトリーである。 イギリス人は、狭いスペースをはみださない範囲で、新聞を読んだりしていた。 周りと線引きすることで、自分を守り、同時に、周りのスペースも尊重しているのである。 どんなに混んだ電車でも、人の体に触れないように神経を使うイギリスでは、押し合いへし合いの光景はほとんど見られなかった。 これも、見えない「線」を、引いていると言うことであろう。 線のこちら側と向こう側。 それを意識することで、自己の存在意義を知り、見えてくるものもあるのかも知れない。
インターネットの特徴のひとつは、匿名性と言うことであろう。 お互い、顔も実名も、氏素性も知らずに、付き合うことが出来る。 もちろん付き合うと言っても、ネット上で交わされるメッセージから、相手をイメージし、どこか共通点があったり、感覚の似ていると思われる点があれば、メールや掲示板の書き込みで遣り取りするくらいのことである。 サイトの運営がうまくいっているひとつの要素は、掲示板が生き生きと機能しているかどうかということも、大きいようだ。 私は、自分の冴えないサイトにも、参加型の連句掲示板をいくつか置き、こちらはうまく機能している。 連句という文芸スタイルがネットという媒体とうまく合っているからであり、顔見知りであるとないとを問わず、同じ土俵で愉しむことが出来る。 ゲストブック的な掲示板も置いてあるが、こちらは、書き込んでくれる人は多くない。 覗いてあまり愉しいサイトではないので、気軽に書き込む気にならないのかも知れない。 廃止してしまおうかと思ったこともあるが、サイトの宿帳のようなものだからと思い、そのまま置いてある。 だから、書き込みが無くても、削除されないサーバーのものを使っている。 メッセージに対しては、必ず速やかに返事を書くことにしているが、投稿数が多くないので、それも楽である。 たまに、遣り取りが連続すると、嬉しい。 削除しなければならないような書き込みが、今までほとんど無かったのも、有り難いことである。 あちこち人の掲示板を見て歩くと、サイトそのものより、掲示板だけが妙にニギヤカというのがある。 いったい何のサイトだか、本体はあまり見ないが、掲示板に来る人同士の付き合いが、主なのであろう。 流行っている掲示板は、管理者が概ねおおらかで、類は友を呼ぶというのか、常連のメンバーがいる場合が多い。 中には、実生活でも、付き合いがあるのではと思われるような、仲間言葉で、遣り取りしている場合がある。 見ていて、愉しそうだし、ちょっとその中には入れないなと思う雰囲気がある。 仲間内でだけ通じる言葉を使っていると、覗くのも悪いような気がして、閉じてしまう。 それはまだいい。 其処に新たにメッセージを寄せたとき、常連の人たちから、邪魔者が来たと言わんばかりのリアクションを受けることがある。 「はじめまして」と挨拶しているのに、無視する。 折角仲間内で愉しんでいるのに、余計な人が来てと思うのだろうか。 新参者を飛び越して、前からの仲間との会話を続ける。 せっかくの書き込みは、いつの間にかどこかに行ってしまう。 でも、管理者が気が付いて、挨拶を返してくれれば、こちらもホッとして、また来ようかという気になる。 管理者共々、仲間でがっちり組んで、メンバー以外の人をシャットアウトする空気があると、もうそんなところは2度と行かない。 掲示板に書くというのは、案外と勇気の要るものだから、それがわからないような管理者では、仕方ない。 時々覗いている文芸サイトの掲示板、パスワードを設定しているわけではないが、非常に閉鎖的である。 まず、タイトルの下に「会員制」と表示してある。 一時は、「新加入は、会員紹介により厳選」などと書き加えてあった。 さすがに、最近は、それはカットしたが、感じの悪いこと、類を見ない。 「偉そうに」と、サイト管理者の顔を見てやりたくなる。 また、別の例だが、掲示板に入った新人を、常連が、いびりまくって、とうとう追い出した情景をつぶさに見たことがある。 新人は、別に有害な記事を書いたわけではない。 ただ、前からの空気が飲み込めず、少し、不器用な乗り方をしたのであった。 疑問に思うことがあって、率直に質問した。 それが、前からの常連に気に入らなかったのである。 集中的に、言葉尻を咎めるごとき反応をし、いたたまれなくなった新人が、とうとう引っ込んでしまったのであった。 そんな情景は、当事者でなくても、不快なことである。 広く公開し、アクセスの多いことを誇っていながら、新しい人に対するやさしさのかけらもないのである。 今につぶれるだろうと思っていたら、其処はインターネット、どんどんメンバーが替わるので、ほどほどにメンバー数が保たれていて、まだ健在らしい。 ただ、たまに覗いてみると、その分野のパイオニアとして始めた頃の、キラキラしたものが無くなり、メンバーはほとんど入れ替わってしまった。 みんなが同様のものを、ネットをやるようになり、いつまでも王国で居られなくなったからであろう。 今のサイトの運営をいつまで続けるか、私にとっても、考え直すときが来ている。
新宿で句会があり、出かけた。 小町忌や裏返したる男下駄 5人が選を入れてくれた。 小野小町、歌人であり、美女の代表として喧伝される。柿本人麻呂と同じ日に亡くなったとのこと。 晩年は、幸せではなかったらしいが、小町忌は、晩春の季語になっている。 弦楽の遁走曲や小町の忌 こちらは2人選。 弦楽でない方がよかったのに・・・と言う声もあった。 句会は、連句の発句の修練のために、誰かが言い出して始めた。 先生格の人が加わって、大体14,5人でやっている。 今日は14人が集まった。 無記名で投句、清記が終わってから、互選し、高得点の句から、合評する。 3句ずつ出し、集まった句の中から5句選ぶ。 みんなで忌憚なくコメントをし合い、作者が名乗る。 連句は、その場で発句を出して始めることが多いので、即吟には、皆慣れている。 これは、あの人の句だなあ、とわかる場合もあるが、名乗ってはじめて判る場合のほうが多い。 その意外性と、自分の句に誰が選を入れてくれるかの意外性が、面白い。 5時少し前に終わった。 いつもなら、ここで2次会に移るところだが、幹事役の人が、別の場所で、6時から開かれる句会に、みんなで行きませんかという。 新宿東口からちょっと距離があるが、その辺の酒場をたまり場にしている先輩格の人が、声をかけてきたという。 そこで、まっすぐ帰る年配の人たちを除き、10人がそのままそちらの会に行くことになった。 歩くとかなりありそうである。 冬ならタクシーを相乗りするところであるが、まだ明るく、暖かくもあるので、ゆっくり歩いても、間に合うでしょう、歩こうよ、ということになった。 私の足で、駅まで15分くらいだが、心臓疾患で早く歩けない人がいるので、合わせて歩いたら、30分ほどかかった。 駅を抜け、デパートの裏通りを歩き、やっと目的のところに着いた。 半世紀も経っていそうな、古い小さな居酒屋である。 周りも、同じような店が、並んでいる。 「10人も増えて大丈夫なの」といいながら、先に入口から様子を覗いた人が、「あら、Sさんが居るわ」という。 私にとって、不倶戴天の敵である。 まさか彼女が来ていたとは知らずに、延々歩いてきたのであった。 即座に私は、入らずに帰ることにした。 私たちは、飛び入りだから、主催者には、誰が来るかまで、わかっていない。 黙って帰れば、それで済む。 ところが、一緒に歩いて来た人たちのうち、二人の女性が、一緒に帰るという。 「折角来たんだから、行きなさいよ。私だけで済むことなんだから」と言ったが、二人は、もともとあまり気が進まないところを、来てしまったので、構わないと言う。 じゃ、お腹がすいたことだし、3人で何か食べて帰りましょうと、話がまとまり、一軒おいた居酒屋に入った。 そこで、ビールを飲み、少しばかりのものを食べ、2時間近く経って、店を出た。 疲れもとれ、また歩いて駅まで行った。 ひとりは、電車が違うので、そこで別れた。 新宿を、東西に跨っての、ちょっとした彷徨だった。 帰宅して、遅くなってから、仲間の男性からメールが入った。 「入口まで来て、Uターンしたのは何故か、一緒に行った連中がちょっと白けた」という内容である。 「失礼しました。天からの声で、帰った方がいいと思ったので、そうしました。あとの二人は、誘ったわけではありませんが、私をひとりにしたらかわいそうだと思ったのかも知れません」と、返信した。 詳しい事情など、皆に言うことはない。 女性のなかの少数の人たちが、うすうす知っているだけのこと、「どうして帰っちゃったんだろう」と、あれこれ推測も交えて、噂したかも知れないが、天敵と、同じところには、いたくなかっただけの話である。 そんな場合は、あとから来た方が、譲るべきだから、そうしたまでのことである。 今日は仏滅の日であった。
某大学の社会人向けの講座に行く。 前から勉強したいと思っていた「神学」を、今年から取り組むことにした。 この大学では、三年周期で、週三回夜、神学講座を開講している。 宗教科の教員免許状を取りたい人、単位聴講を目的とする人が主だが、受講のみの人も受け入れている。 私は、その部類である。 神学に関する一通りの科目を学ぶには、週三回二科目ずつを取って、三年掛かる。 夏だけの集中講座もあるが、それは、五年掛かる。 私は、週三回などと言うことはとても無理だし、お金もかかるので、まず週一回一科目で、始めることにした。 今日が初回の授業である。テーマは「パウロの書簡」。 文語体の聖書は持っているが、現在どこでも「新共同訳聖書」を使うので、早めに家を出て、大学の購買部で、それを買った。 受講者は、カトリックのシスターらしき、ベールを被った女性も何人かいたが、ほとんどは、年齢の幅広い社会人である。 夫が受講している「モーゼの五書」という科目は、70人くらいいたそうだが、今日の授業も、そのくらいいたかもしれない。 ずっと続けて通っている人が多いと見えて、慣れた様子であった。 授業は、聖書を頻繁に参照しながら、まず、イエス以前の宗教的風土と歴史について語った。 「皆さんは、当然聖書は通読していらっしゃるでしょうが・・」と言う言葉に、ひやりとする。 私は、聖書は、今までに、断片的に拾い読みしたことはあっても、通読などしたことはないからだ。 仏教の家に生まれ、キリスト教とは、縁無く過ごしてきた。 ただ、西洋の文学や音楽を通じて、それに関連したところを、必要に応じて囓ったくらいの知識である。 あとは、曾野綾子のエッセイが好きなので、もし、今回、どうして神学講座など受ける気になったかと訊かれたら、一番大きな動機としては、曾野文学があるかも知れない。 この人の書いたもの、ことにエッセイや聖書に関する本は、案外と読んでいる。 それに、なんと言っても、合唱曲の大曲は宗教曲であるし、今年は、モーツァルトのミサ曲演奏に参加する。 ラテン語の歌詞、それは祈りの言葉であるが、宗教的背景と、深い意味があるに違いないので、それを知りたいというのも、次の動機である。 1時間半の授業は、ノートを取るのが忙しいくらい、中身の濃いものであった。
春の好きな人は多いようだ。 「春になったら」という合い言葉で、冬の間閉じこもっていた人も、顔を出す。 鳥は歌い、花は咲き、虫も穴から這い出し、街の色さえ、明るく見える。 でも、私は最近まで、春がキライだった。 どちらかというと、静謐で、落ち着いた冬のほうが性に合っていた。 長い夜は、ものを考えたり書いたりするのに適しているし、寒ささえ、気持ちを引き締めるには、悪い環境ではないからである。 それが、暖かくなり、日が長くなると、街中がなにやらザワザワしてくる。 そうなると、私は落ち着かなくなるのである。 いろんな行事も多くなり、寒さにかこつけて不義理していることにも、手を付けなければならなくなる。 暮れにサボってそのままになっていたカーテンも洗わねばならない。 そんなこんなで、あまりのんびり出来ないからであるが、最近になって、私は、やはり寒い冬よりも、やさしい風が頬をなぶる今頃のほうが、いいと思うようになってきた。 それだけ年を取ったと言うことであろうか。 あるいは、人生の春と言われた若い頃を、懐かしんでいるのかも知れない。 暑い夏に入る前の、ちょうど今頃から5月半ばまでが、日本の一番良い季節。 軽い服に着替え、体を動かして、身の回りもすっきりと片づけ、陽光の日差しをふんだんに浴びるとしようか。 そんな折しも、イラクで日本の若い人たちが拘束されたというニュースが入った。 観光客ではない。 イラクを取材しているフリージャーナリスト、イラクのストリートチルドレンのためにボランティア活動をしている女性、もうひとりは、今春高校を卒業したばかりで、やはり劣化ウランの問題に取り組んでいる男性、いずれも、真面目でこころざしを持った若い人である。 解決には、大変難しい問題を含んでいるが、彼らが、何とか無事に、生還できることを祈らずにいられない。
人の一生を4つのステージに区切って考える。 1.生まれてから結婚までの時期。 25歳乃至30歳年くらいまでだろうか。 子どもから大人になり、社会に出、巡り会った人と、新しい人生を踏み出す。 いわば、人生の春の時期である。 2.子どもを生み、育て、独立させ、親の老年期と向き合う時期。 25歳から、50歳、60歳くらいまでに当たる、人生の核となる長い時期。 一番個人差が出てくるときでもある。気力体力も、まだまだ充実して、登り坂でもある。 子どもがいれば、学校、就職、結婚に多少なりとも関わるし、人生の先輩としてアドバイスを求められる時期でもある。 主婦もこの時期の終わりから、子離れし、自分の趣味や生き甲斐を模索し、新しい人間関係を作っていく。 仕事を持った人なら、このステージの終わりには、定年を迎え、また親の介護の問題も関わってくる。 この時期に、親を見送る人が多いが、長寿の時代となって、60歳過ぎてもまだ親が健在という人も、少なくない。 自分の人生とのはざまで悩むときでもあり、まだまだ現役であることを余儀なくされる。 人生のうちの、夏に当たるホットな時期。 3.第2ステージから解放され、自分自身の人生を考える時期。 55歳くらいから、75歳、80歳くらいまでに当たるだろうか。 このステージも個人差が大きい。家庭的、社会的役割を終えて、夫婦で人生を愉しむ人は、幸せである。 この時期、連れ合いに先立たれたり、また、自分自身の病苦や、老後の心配も増えてくる。 人生の秋、黄昏時である。 4.次の世までの残り時間。 私の親たちは、今まさにこのステージにいる。 人の命は限りがある。 穏やかに、生を全うできる環境にある人は、幸せである。 そして、私は、まだ親が居る点では第2ステージを引きずっているが、自身は連れ合い共に、第3ステージにあると言える。 今日、テレビで、60代、70代の人たちの、恋愛と結婚が増えているという現実を取り上げていた。 連れあいを亡くした人、縁がなくて独身で来た人たちが、人生の黄昏期に入って、共にそれを分かち合い、愉しく、暮らしたいという。 テレビでは、その人達が、お見合いパーティで、話をしたり、ハイキングを愉しんでいる様を写していた。 誰も、顔など隠さない。堂々としている。 このような集まりを通じて、結婚に漕ぎ着けたカップルもあり、それにまつわる、周囲の目や、家族の問題にも、触れていた。 「いい年をして」などと、昔から、老年期にある人たちの恋愛や結婚を、白眼視する風潮はあった。 人生50年などと言われた頃からの名残である。 どこかの国の知事さんの言ではないが、生殖能力を終えた女性は、もう役立たずであったのだろうし、男性も、家督を子どもに譲ると、後は悠々自適で、物わかりのよいご隠居さんになって、余生を送ったのであろう。 それが恋愛沙汰など起こすことは、けしからんと言うことになったのかも知れない。 しかし、今は、そんな時代ではない。 子育てと、人生の終焉が同時に来た時代と違い、第3ステージに入ってからの時間が長いのである。 ひとりで、寂しく暮らすより、心の通い合う人と一緒にいたほうが、どれだけ愉しく、充実した人生になることか。 それを、若い者がとやかく言うことはない。 人は、生きている限り、恋をする。 若いときの恋よりも、まっすぐで、純粋だと思える場合もある。 お互いの人生経験を尊重しあい、愉しいことも、苦しいことも、分かり合い、残りの人生を、助け合って、生きて行けたら、こんないいことはないではないか。 私の仲間にも、連れあいを亡くした男性、独身のまま60歳を過ぎた女性達が居る。 その中にあって、唯一の、亭主持ちである私は、時にイジメに遭うが、彼ら、彼女たちが、いい恋をして、新しい人生を踏み出すようなことがあったら、心から応援したい。 そんなことを思いながら、テレビを見た。
昨日は夏のような暑さだったのに、今日は雨の降る一日。 連句の会に出るべく、深大寺へ。 行くときは、傘を差さなくていいくらいだったのに、着いた頃からだんだん雨脚が伸びて来た。 園内の集会所で、連句会。 30人ほどが、五席に分かれての付け合いになった。 捌きの人の花の雨を詠んだ句で始まった。 10時半からが、遅れてくる人も居たので、実際は11時から始まった。 捌きに連衆5人で、28句の「源心」。 終わったのは3時ちょっと過ぎ。 いつもだと、庭園内を散策して、名物の桜や、さまざまな植物を見て歩き、出口近くの蕎麦屋にはいるのであるが、雨がかなり激しくなっていた。 散策というのもきついので、13人が、門の前の蕎麦屋に入った。 ビールと少しの酒、めいめいが蕎麦を注文して、1時間半ほど過ごした。 京王線駅に向かう人たちと、中央線沿線に向かうバスとで分かれ、散会。 私は薄めのジャケットを着ただけだったので、帰りは寒かった。 この会には、私の天敵グループの人たちが出てくるが、今日は何故か、みな欠席。 余計な神経を使わずに済んでよかった。
朝から曇っていた。 郵便局に行く用事があるので、ついでに、先日行った大学に行って、満開の花を見てこようと思い立った。 昨日の、激しい雨で、散ってしまったかも知れないが、先日、まだ、枝垂れ桜が開かずにいたので、それが残っているかも知れない。 スポーツクラブに行った夫が昼過ぎに帰って来たので、昼食用のおにぎりを二つ作った。 食餌療法は、うまくいって、この1週間で、2キロほど減ったらしい。 同じ物を食べているので、私も少し、減ったような気がする。 太る原因は、脂肪と甘い物だが、案外と、盲点なのが、タンパク質の取りすぎである。 肉の脂や砂糖の取りすぎには、みなよく気が付くのに、タンパク質は、悪いと思っていない人が多い。 成人の1日当たりの必要タンパク質は、鰯一尾、肉なら70グラム、納豆も豆腐も半個、卵1個くらいのもの。 数年前、保健所で食事診断をして貰ったとき、「肉、魚、大豆が取りすぎです。」と栄養士に言われた。 甘い物を警戒するより、そちらの方を気を付けた方がいいとも言われた。 一時は、そんな表を冷蔵庫の扉に貼ったりしていたのに、だんだんいい加減になってしまった。 昔の日本人が、御飯を沢山食べるのに、肥満の人が少なかったのは、タンパク質が控えめだったからである。 欧米風の食事スタイルが定着して、だんだん肥満が増えてきた。 タンパク質の摂りすぎで増えた体重は、なかなか戻りにくいようである。 お米は、タンパク質も含まれており、体の中で全部燃えて、滓が残らないので、優秀な食品だそうだ。 それはさておき・・・。 夫に留守を頼んで、午後2時に出かけた。 郵便局は、週末とあって、混んでいた。 20分ほど待って、振り込みなど済ませた。 それから、最初考えた大学構内の花見に行く予定を変えた。 近くの幹線道路をずっと南に下ると、深大寺に行き当たる。 昨日、夫が写真を撮りに行き、「もう一両日中に散ってしまうだろう」と言ったことを思いだし、そちらに行くことにしたのである。 バスで行こうかと、バス停に並んだが、歩いても30分。 日が照っているし、もう風邪もほとんど治って、気分がいいし、歩くことにした。 途中に、航空研究所があり、その当たりの桜も素晴らしい。 なだらかな坂を下っていくと、道路の左側は、ずっと桜並木である。 折りしも、風が吹いて、花びらが降りそそぐ。 その道は、バス通りであるが、坂になっているためか、あまり歩道を歩く人がいない。 花びらの下を歩いているうちに、何とも言えない幸せ感に満たされた。 そのまま下っていけば、深大寺の山門に行き着く。 多分、今日も、人が大勢出ているだろう。 そこでまた気が変わった。 この坂を、もう一度戻りたくなったのである。 桜並木が尽きたところで、反対側に渡った。 今度は、坂を上りながら、道の反対側に並んだ桜並木を、車道を隔てて、見ながら行くのである。 登り切ったところが、航空研究所の門の当たりである。 其処に、自転車を止め、ベンチに腰掛けて、カップ酒とつまみを脇に置き、ひとり花見を愉しんでいる初老の男性が居た。 風流な人がいるものである。 私が男だったら、きっと声をかけ、酒を一杯おごって貰って、共に花の客になったであろうに、残念である。 道路を隔てて、羨みながら、スーパーに行き、夕食の材料を買って帰ったのであった。 バス停やここにもひとり花の客 降る花のやむこともなき甃の上
今日から4月。 今年もこれで4分の一が経過したことになる。 我が生の果てに何ある花がある こんな句を作って、あるweb句会に投句してみたが、きっと、誰も選ばないだろう。 月曜日に外出した頃から、鼻風邪を引き、2日間は、鼻水と泪目に悩まされたが、今日は、もうかなり快復した。 ティッシュペーパーが、一箱無くなった。 こんな時に、一番イヤなのは、電話に出ることである。 わたしに掛かってくる電話は、もともと多くない。 その代わり、掛かってくると、長電話になり勝ちである。 それが解っているので、「電話は取らないから」と、予め、連れ合いに言っておいた。 昨日もう一度、掛かってきたが、連れ合いが出てくれたので、助かった。 急用なら言付けてくれればいいことだが、そうでなかったので、不要不急のことであろう。 先週2度の長電話で、ホトホト閉口した話を書いたが、昨日の電話も、人は違うが、出れば、長電話になる相手である。 電話くらいと思うかも知れないが、私は、電話がキライである。 ことの如何を問わず、出来れば電話は避けたい方である。 しかし、世の中には、電話の好きな人もいて、ほかの手段を使えばいい場合でも、電話で済まそうとする。 電話は、時と場合を選ばず掛かってくるので、場合によっては、本当に凶器になる。 昨日も、夫が居なかったので、電話に出ずにいたら、留守番に切り変わったところで、母の声がした。 母は耳が遠いので、留守録音と知らずに、テープに向かって喋っている。 慌ててかけ直した。 「しばらくご無沙汰したから、具合でも悪いんじゃないかと思って・・」という。 そう言えば、2月末に、母の誕生日に行ったきり、時が過ぎていた。 こちらのことを心配して掛かってくるときは、来て欲しいのである。 「ちょっと風邪を引いたから」と、来週早々行く約束をした。 幸い、両親とも、まだ寝たきりにならずにいる。 時々、電話してやればいいのに、気が付くと、ひと月も、経ってしまう、親不孝な私である。 今日は暖かくよい天気。 「きっと、桜が満開だよ」と連れ合いが、カメラを持って出かけていった。 深大寺で、花を見て、適当な写真を撮ったら、蕎麦を食べてくると言う。 私も行きたかったが、今週の土曜には、合唱の練習があり、日曜日は、花見を兼ねた連句会がある。 それまでに、風邪を治したいので、留守番をすることにした。 久しぶりに布団を干し、家中に掃除機をかけた。 連れ合いは午後帰ってきた。 平日だが、花見客で、結構にぎわっていて、写真が撮りにくかったそうである。 デジカメのカードを借りて、私のファイルにも、入れさせて貰った。
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