ワールドカップの騒ぎを苦々しく思っている人もいるらしい。 それどころじゃない状況が、日本でも、世界のあちこちでも起こっているのに、ということだろう。 でも、そういう現実はそれとして、みんなが熱中しているサッカー、開催地でなければこれほど関心を引かなかったに違いないが、とりあえず、平和なこの国で、ワールドカップが行われたことを、私は素直に愉しんでいる。 今日は、学生時代の合唱団の同窓会に、連れ合い共々出かけるはずが、私は足の爪先を痛めたために、急遽、欠席、うちで一人で、韓国ートルコの、三位決定戦を見た。 通常だと、3位決定戦は、あまり盛り上がらないそうだが、韓国もトルコも、どちらも死力を尽くしての好試合だった。 スタンドは圧倒的に地元韓国の応援団で占められ、私はトルコに勝ってほしいと思っていたが、結果は3対2で、トルコが勝った。 終わると、トルコの選手が、韓国チームの一人一人の肩を抱くようにして、スタンドの声援に、ともに応えていたのが印象的だった。 明日は、決勝戦、ブラジル対ドイツ、私はブラジルを応援するが、どうなるか。 ひと月続いたスポーツの宴、明日で幕を閉じる。 2002年06月30日 00時41分05秒
「秘書」のところに、またウイルスが来た。ウイルスバスターが入り口で食い止めて、感染はまぬがれたが、困った話である。 発信元に、心当たりがあるので、調べたら、さる有名な政財界のセミナーに属する人だという。 「秘書」は、その人を直接には知らないので、やはりなりすましかということで、警告メールを送ったそうだ。本人が知らずに、アドレス帳から、あちこちにばらまかれているかもしれぬからである。 「秘書」は、ホームページに、ネット用のアドレスを表示しているが、今回のウイルスは、そのアドレスにではなく、標準アドレスの方に送られてきたということで、うっかり開けたら、アドレス帳に乗っている人たちに広がって、多大な迷惑をかけるところだった。 ネット社会は、原則匿名であり、どこの誰とも知らぬ人とも交流可能である。その利点を、よい方に持っていけば、限りなく世界が広がるし、知識も増え、別の人間を演じる楽しみもある。 しかし、一歩間違えれば、大きな危険も潜んでいる。時に、いろいろなサイトに見受けられる、トゲのある書き込み、個人攻撃、それらは、管理者によって、削除はされているにしても、見苦しいことである。 ルールを守り、礼儀正しくつきあっていれば、気持ちよく、参加できるネットの世界、自戒も込めて改めて考えさせられる。 ウイルスメールは、私も何度か、受けたことがある。いずれも水際で食い止め、被害はなかった。 ホームページには、ネット用のアドレスを表示してあり、時に、ウイルスメールかと思えるような、容量の大きいものがくることがある。 そのようなものは、送信者名や件名から大体わかるので、開かずに削除する。 サイトの中には、ウイルスが含まれているものもあるらしいので、このごろ私は、知らないホームページを開けたり、あちこちネットサーフィンすることも、控えている。 インターネットセキュリティも、中以上に設定してあるので、見られないサイトもある。危険を冒してまで、見たいものが、そうあるわけではない。情報量はぐっと減るが、私は、その程度で結構。 私のホームページは、サーチエンジンにも登録せず、自分が参加しているサイトの一部にしか知らせていないので、見に来る人も少ないし、リンクも最小限度にしているので、広がりもあまりないと思う。 ボードもメンバーを決めて愉しんでいる。 ネットを大いに愉しむと言うことには、ほど遠い代わり、危険は少ないし、私のページからウイルスで、人に迷惑をかけるということも、避けられていると思う。 ホームページの中には、ウイルスや、不愉快書き込みを懸念するあまり、はじめから必要以上に、警告や注意書きをしているものがあるが、せっかく覗いてみようかと思っている、善意の訪問者にとっては、あまり感じのよいものではない。 多少のことは覚悟で門戸を広げるか、安全第一で、限られた人たちと、その範囲で愉しむか、人それぞれのやり方があるだろう。 私は私のやり方でネットを愉しんでいたいが、それが通用しなくなったら、潔く、この世界とおさらばする。 2002年06月29日 10時09分03秒
木曜講座の帰り、本屋に寄った。 私のうちは、親の代からの書物で、家が傾きそうになっているので、なるべく本は買わず、図書館で借りてすませるが、それでも、時々、本屋に行く。 横積みにしてある本を眺めていると、世界の動きがわかるような気がするし、雑誌などは、目次と、書き手をみるだけでも、世の中の流れが想像できる。 雨の日などは、本屋の棚を片端から眺めて歩く。そして、やはり、文庫本の1冊くらいは、買ってしまう。今日は、1時間半ほど過ごした挙げ句、旅行の本、俳句の雑誌、それに井上ひさしの「作文教室」を買った。 昨日、パソコンが返ってきて、ファイルのインストールや、保存してあるデータを戻すのに、半日かかった。そのうちに、サッカーのトルコーブラジル戦が始まり、中断。 今日は、午前中かかって、メールソフトの復旧や、ホームページのメンテナンス、やっと正常に動き出した。やはり、ハードディスクが壊れていたようだ。メーカーは、取り替えたと言ってるので、一応信用することにして、今後は、なるべくまめに、記録を付けておくことにした。 1週間、連れ合いのpcから、ボードや日記に書き込んでいたが、お互いに、落ち着かないことであった。 自分の机に座り、リニューアルした自分のパソコンから、日記を書く次第。 2002年06月27日 23時21分52秒
ワールドカップ韓国ードイツ戦を見た。(テレビで) 韓国の勢いは、とどまるところを知らず、なんだか決勝にまで行きそうな気がしたので、私はドイツを応援した。 ところが、ドイツが勝ってしまった。 サッカーのスタイルが違うが、ドイツの方が、一枚上だと思った。韓国の粘りも、相当なものなので、いままで、熾烈な戦いを演じて、勝てない相手にすべて勝ってきているので、もしやと思ったが、やはり最後は、実力の差で結果が出た。 よく頑張った、お疲れ様といいたい。 最後は、ブラジルードイツで決するのだろうか。 新しい冷蔵庫が来るというので、朝から待ち、業者が運び終わるのに立ち会い、運転開始と庫内の掃除、使い方を飲み込むのに、一日費やした。 すべてが、順調に流れ出した頃、外出していた連れあいが帰ってきた。 主婦の仕事の中には、体を動かさなくてもいいが、ただ家に待機していなければならないという、仕事もあるのである。 最近は、女が大半仕事(報酬を伴った)を持つようになり、専業主婦は、役立たずのようにいわれる。テレビで、「専業主婦は、奴隷だ」といった人がいて、それが男の意見なら、敵だから仕方ないが、女がいうのだからあきれた。 だいたいが、大学教授とか、企業の管理職とか、偉そうな人たちである。私は、この種の女が嫌いである。 お金は一銭ももらわなくても、地域社会で昔から、子供や年寄りを支えてきたのは、普通の主婦たちだった。 ボランティアなどという言葉のない時代から、黙って、自分の愛するもののために、働いてきたのである。 いまは、少数派になってしまったが、私は、主婦1年生の頃から、その人たちの背中を見て、いろいろなことを教わってきたのだった。 声高に、自分のしていることの価値を主張しないからといって、主婦の年金を引き下げる必要が、何処にあるのだろう。 経済的効果で、人間の価値を計る社会というのは、潤いのない、ぎすぎすした世界のように思える。 2002年06月26日 00時40分16秒
10日前に冷蔵庫が壊れてしまい、修理を頼んだら、コンプレッサーがだめになってるので、取り替えねばならないが、部品、修理工事ともで6万円ほどかかるという。 「エー、なんでー」と思ったが、要するに寿命なのだそうだ。12年使ったのだから、寿命といわれれば、そうかと納得する。そして、コンプレッサーを換えても、いつまで保つか分からない、あまりお奨めしないという返事だった。 連れ合いは新しもの好きなので、そんな話を聞くと、すぐに買い換えたがる。 私は、あきらめるのに、時間のかかるタチなので、息子の部屋に残っている小型冷蔵庫に、その日その日の食料を買って、しばらく過ごしてきた。 しかし、買い物が忙しいし、氷がないと一日も過ごせないうちの飲み助が、やいやい言うので、今日電気屋に行き、新しい冷蔵庫を買った。 明日、届くそうな。いままでの場所と、サイズが合わず、幅が狭くなる代わりに、奥行きが深くなって、少し出っ張るというのが、気に入らないが、家電メーカーは、時々モデルチェンジしないと、営業が成り立たないのだろう。 電気屋の帰り、緑化センターというところで、鉢植えの花を買い、庭に移した。日々草と、サルビア。 昨日は、朝顔のプランターに、棒を立てたり、網を張ったりした。去年咲いたブルーの朝顔から、たくさん種が穫れたので、適宜土に蒔き、赤や白などのものを買い足して、いずれ、朝顔のネットができることを期待している。 昨年、ベランダに糸を張って、色とりどりの朝顔を楽しんでいるという人の話を聞き、来年は私もと、種を大事に仕舞ってあったのだった。 朝顔や秘めたることの秘めしまま 2002年06月25日 00時37分14秒
この数日、連れ合いのメールボックスに、ウイルスが立て続けに入ってきて、その送信元が、どういう訳か、連れ合いの古いメールアドレスになっているという。つまり、誰かが、連れ合いの旧メールアドレスを使って、あちこちにウイルスを送りつけているということになる。 これは、なりすましといって、誰かが別人のアドレスを借りて、その人になりすますというもので、今、流行っているそうだ。 連れ合いは、そのアドレスは変えてしまって、もう1年近く使っていないし、しかもネット上のものなので、標準アドレスと、ネットの旧アドレスの両方を知っていて、アドレス帳に入れている人でないと、送られてこないはずだという。 「いったい誰だろう、気味が悪い」と気にしながら、その都度駆除し、心当たりに問い合わせたりしている。 気味が悪いといえば、私もちょっと気になっていることがある。 私も参加しているあるサイトに、連句の書き込みをした人がいて、ハンドル名の下に下線が入り、名前の色が青くなっていた。 これは、メールアドレスを入力していることを意味する。カーソルを当てると、下のバーに、アドレスが表示される。 ハンドル名に覚えはないが、何気なくカーソルを当ててみたら、アドレスが表示されたが、そこに使われている英文字と数字は、私のホームページや、本名のアルファベットに、かなり一致するものだった。 偶然の一致かと思うが、ちょっと気味の悪い話ではある。 偶然でないとすると、誰かが私のホームページアドレスと、名前の一部を、自分のメールアドレスにしていることになる。 その書き込みの主は、一度登場しただけで、それ以後見ないが、誰だか分からないだけに、気にはなる。 サイトの責任者に問い合わせるわけにはいかず、問題のメールアドレスの主に、直接訊くのもためらわれる。 しかし他の人には、関係ないことであるし、何か被害を受けたわけでもなし、本当の偶然かもしれないので、静観することにした。 2002年06月24日 15時44分53秒
2年前、物忘れがひどくなったように思い、脳神経科に行った。 図書館で本をみているときに、ふらっとしたり、駅の長いエスカレーターを上る途中に、突然、自分の体が斜めに立っているような気がしたり、人との約束を忘れる、といったことが、重なったためである。 脳波は異常ないので、MRIで調べることになったが、その前に、知能テストをすることになった。それで、問題があれば、機質的な検査をしましょうということである。 知能テストは、小学生の時以来、しかも精神科の分野、ちょっと抵抗があったが、思い立ったら吉日と、受けることにした。 主として記憶に関するさまざまなテストをして、後で結果を訊きに行ったら、数字と図形がちょっと弱いが、特に物忘れ的な問題はないので、MRIもいらないでしょうと言われた。 そして、もし、心配なら、予防的な意味で、ビタミンEと、銀杏の葉エキスを、日常的に服用したらどうですか、アメリカでは、アルツハイマーの治療薬として使っているから、という話であった。 早速買いに行き、せっせと飲んでいたが、そのうち面倒になって、今は、思い出したときに、飲む程度である。 そのころ、老親の介護で、いつも忙しく、疲労困憊していたので、一過性の物忘れだと言うことになったのだった。 数字が弱いというのは、うなづける。算数、数学は、学校に通っていた頃、一度も良い点を取ったことはなかった。電話番号などは覚えられないし、数字に関することは、すぐ忘れる。 図形についても、私はよく道を間違えるので、なるほどと思う。 「君は形状オンチだね」と、連れ合いも言う。 人の顔、ことに男の人の顔は、覚えにくい。背広にネクタイをしていると、皆同じ顔に見える。 一番困ったのは、連れ合いの仕事関係の人、何度紹介されても、印象に残らない。 外国にいたとき、日本人の集まりで挨拶しただけの人は、まず、次に会ったときに忘れていた。 これが、外国人だと一度で覚えるのはどういう訳だろう。 女性の場合は、日本人、外国人を問わず、何か一言でも話をすれば、覚える。 日本人で背広を着たときの男の人というのは、没個性的で、人間的な話題を交わすことがなかったからかもしれない。 現在、私は、そうした義理のつきあいで人と会うことはなくなって、だいたいが趣味を通しての人間関係なので、以前のようなことはなくなった。 しかし、道は相変わらず覚えられない。 今日は、連句の集まりがあって、出かけたが、いつもの場所と違うところだった。 前に一度行ったから分かるだろうと、高をくくって、住所も電話番号もメモしていかなかった。 ところが、駅を降りてからの道が、私の記憶と違って、反対方向だったらしく、途中で公衆電話で番号を調べたりして、たどり着いたものの、すっかり疲れてしまい、まだメンバーがそろってなかったこともあり、そのまま家に帰ってきた。 頼まれたものを人に渡す用事もあったので出かけたのだが、それがなかったら、もっと早く引き返したと思う。 道が分からないと言うのは、一番いらいらすることである。 地図をみても私は東西南北がよく分からない。それに、日本の道は、実に不親切にできている。 何でも外国に比較するのはいけないが、例えば私の暮らしたブラジルでは、どんな小さな道にも名前があり、1メートルごとに番号が付いていた。 文盲の人も多いので、どんな人でも分かるようになっていた。 私の父は、80代後半に入ってから、行き先が分からなくなったり、自宅に帰れなくなったりし始めた。外に出ることが好きで、毎日の散歩を欠かさなかったが、一人で出られなくなったことを自覚してから、寡黙になり、ぐっと老いた。 私は、父親似である。たぶん、同じ道を辿るのであろう。 2002年06月22日 17時31分12秒
私のパソコンは、この半年近く、エラー、フリーズ、osの再インストールを繰り返して、一度はメーカーに修理に出したが、いっこうに改善されないので、これは、器械そのものが悪いんだろうと思い、今朝から連れ合いが、メーカーに掛け合い、器械を取り替えるべく交渉した。 何しろ、昨日夕方6時から始めたスキャンディスクが、今朝になっても終わらないのだから、どうかしている。 システムの復元という機能も付いていることになっているが、一度も出来たことがない。 再インストールをする度に、ファイルの保存をするが、やはり、何かが失われる。精神的苦痛も大きいし、インターネットの交信も支障が出てくる。 買って、まだ一年経たないと言うのにである。 メーカーは、なかなか自分のほうに非があるとは認めず、こちらの使い方が悪いか、あとから入れたソフトのせいに原因を持っていこうとする。 1時間半粘って、ようやくメーカーは、器械そのものまで交換はしない代わりに、メインボードと、ハードディスクを取り替え、それでもだめな場合は、返金するというところまで、約束した。対応の相手が、途中から代わっての挙げ句だった。 「まあ、それで妥協するしかないな」と連れ合いは言って、長い電話を終えたが、私は、言葉が出なかった。 朝から食事もそこそこに、なかなか繋がらないメーカーのサポートセンターに電話するために、私のパソコンの前に陣取り、メーカーの専門家を相手に、必死に食い下がっている姿に、打たれたからである。 使い手は私だが、この器械については、トラブルが起きるたびに、日頃「秘書」と呼んでいる連れ合いに応援を頼み、時には八つ当たりして、あれこれ、助けてもらっているのだった。 それに対して、私は、あまり感謝の言葉もかけていない。 それでも、妻のパソコンを、何とかしてやろうと、時間と労力を惜しまずに、奮闘している連れ合いに、私は、言葉に表せないものを感じたのだった。 明日、メーカーが器械を取りに来る。それに備えて、ファイルの保存に半日費やした。 しばらく、また「秘書」のパソコンから入力することになる。 夜、本多劇場に「詩のしの詩(うた)」を見に行った。このところいつも一緒に芝居見物に行く友人と一緒。 渡辺えり子作演出。宇宙座公演。なかなか凝っていて、愉しめた。 今月は、文学座の芝居、ほか。7月にはこまつ座。 芝居は、臨場感があって面白い。 連句と似ているところがある。私の連句ボードも、何とか機能している。 2002年06月20日 00時47分32秒 毒と薬 梅雨も本格的になり、雨の日が続く。 雨は嫌いではないが、自転車が使えないのが困る。 2,3キロまでの距離は、だいたい自転車で用を足すことが多いのである。 今日は、本降りなので、午後からの講話には、バスで行った。 中学、高校の国語教科書から、鴎外、漱石が消えたという話。その代わりに、スポーツの記録文や、中学生の日記などが入っているそうな。 「そんな毒にも薬にもならぬ文章を載せてどうなる。分かっても、分からなくても、本物の名文を載せてこそ、国語教育。子供に媚びる必要がどこにある」と、意気軒昂な講師の話で、たちまち時間が過ぎた。 今日は傘を持っていたので、花を買うのはやめた。必要最小限の食料品を買って帰宅。 私のパソコンは、今朝、メーカーが取りに来た。ハードを取り替えて、戻ってくるのに、10日ほどかかりそうだ。 前回の失敗で懲りてるので、保存は、念入りにしたが、はたして大丈夫かどうか。 器械が戻ってくるまで、ホームページの更新はできないが、ウエブ上の書き込みなどは、連れ合いの器械から、できるよう、設定してある。メールも、私のパスワードでログインして、Yahooから取り込めるようにしたので、とりあえず、支障はない。 私は、どちらかというと政治オンチ、よきに計らえですめばその方がいいと思っている。 でも今の日本の政治や社会状況は、為政者に信頼が置けず、とても安心して任せられる状態ではない。 自分の暮らしや、周囲の人たちの状況から、考えさせられることは、少なからずある。 ただ私は、それを、自分のホームページでは、扱わないことにしているし、その種のページのリンクもしないことにしている。 しかし、関心のあるサイトのページに自分からアクセスして、覗いてみることはある。ところが、時として、種々のウエブサイトの中に、ウイルスでも混じっているのか、アクセスして開いているうちに、突然こちらの器械がフリーズしたり、エラーが出ることがある。 今回、器械がおかしくなった原因の一つに、それもあった。 あまり見慣れないサイトを開けてみたり、ネットサーフィンは、しないほうがいいのかもしれない。 私のパソコンが、セキュリティを高めに設定しているせいかもしれないが・・。 2002年06月20日 23時34分51秒
60数名を集めての会合も、どうやら大過なく終わった。 3人の幹事の一人として、昨秋から、場所取り、会場との打ち合わせ、前幹事からの情報収集、案内状作成送付、出欠の確認、弁当、茶菓の手配、会場下見、そして今日、会場設営、配席、受付、集金、テーブルのセッティング、司会進行、エトセトラ・・。 いろいろな人たちが献身的に手伝ってくれて、無事、一連の行事が終わった。 私は、厨房と座席とをいったり来たりで、席の温まる暇が無く、肝心の連句は、ちっとも付けられないままに終わったが、歌仙のうち、5句何とか採ってもらったので、まあまあ。 雨も降らず、ほどほどの気温、会場側も、好意的に配慮してくれて、時間内にすべてが終わった。 主宰はじめ、出席者たちも、喜んでくれたようでほっとした。 誤算は、今日になって欠席の人が3人いたこと。多めに頼んだお弁当が、結局余ってしまい、会場の人たちに進呈したり、希望者に持ち帰ってもらったりした。 すべて終わってから、我々幹事3人と、今回の総合企画をし、事実上我々を指揮した人を交え、4人で近くの小店で、ビールを飲んで、お互いの労をねぎらった。 われわれを指揮した人は、会の主宰の片腕として、昨年あたりから、急に表に立つようになったひと。 「なんだか最近威張ってるわねえ」なんて、無責任に悪口を言ったりしていたが、よく話してみると、それなりの理由と、苦労があるのだった。 いろいろな批判、抵抗があることは十分承知して、あえて、憎まれ役を買って出ているところもあり、それは素直に認めてもいいだろうという気になった。 多少、強引なところもないと、ある程度、大きくなった組織の運営はできないのかもしれない。 政治の世界に、規模は違うが、共通するところがあると思った。 それぞれの置かれている立場を理解しないと、人の言動を、軽々しく批判することはできないなと、あらためて思った。 疲れて帰ってきて、一息ついてから、ホームページを開けてみたら、ここの13日付の日記について、関連したメールをくれた人がいて、嬉しかった。 掲示板があれば、きっとそこに書いてくれたのであろうが、廃止してしまったので直接メールを送ってくれたのだろう。 私は、薔薇の句について書いたのだが、偶然薔薇の句をいくつか、ある本の中で目にしたというのである。 崩れた薔薇を愛する心は、普遍的なのですねと、結んであった。 2002年06月17日 01時01分18秒
サッカーのワールドカップがたけなわである。 私も日本の試合はもちろんのこと、毎日どこかのチームの試合を見ている。 今日はイングランドとデンマーク、私ははじめからデンマークを応援した。 ・・と言っても、冷蔵庫が壊れて、中のものが腐ってきたので、それらを捨てたり、電源を切って、ついでに長年したことのない冷蔵庫背後の掃除などしながらの、テレビ観戦、ベッカムがシュートを決めるたびに、スタジオは大歓声。 結局デンマークは一点も取れずに終わったらしい。途中から私は見る気がなくなって、結果だけ聞いたのだった。 何で日本のファンが、イギリスの国歌を歌うの? 君が代は拒否してるのに、よその国の君主を称える歌なんて歌わなくたっていいじゃない・・・なんてぶつぶつ言いながら、冷蔵庫の整理をしていたのだった。 イギリスとドイツのチームは強いが、愛嬌がない。 そこへ行くと、アルゼンチン、メキシコ、ブラジルなど、ラテン系の試合の仕方は、実に華麗で、サービス精神に富んでいる。 どちらが贔屓でもないところは、弱いチーム、負けているチームを応援する。 だから、私が応援したチームは、大体一次予選で消えてしまった。 これからは、日本とブラジルを応援する。 明日は会合があり、私は世話役の一人なので、今日は、備品を買いに行ったり、美容院に行ったり、なんだか落ち着かない一日だった。 パソコンにさわる暇もなかった。一応、毎日目を通しているボードやサイトを見て、早めに寝るとしよう。 2002年06月15日 23時18分54秒
このところ雨が続き、どうやら梅雨に入ったらしい。 先週終わりまで、蒸し暑さが続いたので、かえってほっとする。 木曜日の午後はいつも、大河内昭爾さんの、文学談義を聴きに行く。 今日は原口統三の「二十歳のエチュード」を取り上げる筈が、例によって脱線して、話は縦横に跳び、1時間半があっという間に過ぎた。 とにかく、この方の話は、面白い。昭和文学史の生きた話が聞ける。 文芸評論家であり、「季刊文科」を主宰し、一方で長いこと、女子大の学長もしていた。 会場はいつも、中高年男女でいっぱいである。 私も通い始めて1年になる。 終わると、先生はいつも近くのコーヒーショップに、みんなを誘うので、私も時々つきあって、違う話を聞いたりする。 今日は講座の帰りに、駅前の花屋で、薔薇の花を買った。 今頃は、紫陽花がきれいだが、私は、本当は、薔薇が一番好きだ。 どんな色でも、薔薇ならいい。 今日は、紫に近いピンク色にしたが、店を出ると、色がくすんで見え、やっぱり真紅にすれば良かったかなと、ちょっぴり後悔した。 男の人から薔薇をもらったら、とても嬉しいだろうが、直接もらったことはない。 薔薇崩れ激しきことの起こる前 作者は誰だったか、定かでない。でも、なぜ句を覚えているかというと、私はこの句があることを知らずに、 薔薇散って激しきことの起こりける と言う句を作ったからで、かなり経ってから同じような句があったことを知って、愕然としたのである。 短い俳句では、よくあることらしいが、私はしばらくの間、俳句を見るのがいやになったほどだった。 雨の日の薔薇、クリスタルガラスの花瓶に挿し、室内に置いて眺めている。 2002年06月13日 18時49分02秒
昨日、ゲスト用の掲示板を外すことを予告した。 2日ほど経ってからと思ったが、どうせ外すなら早いほうがいいと思い、先ほど更新した。 表紙の写真は紫陽花だが、違うものにした。これは深大寺で撮ったもの。実は、昨年のものである。 掲示板が消えて、少しスペースが空いた。 レイアウトを替え、メールのマークを目立つものにした。 メッセージは、直接、メールで貰えたら嬉しい。 良いものは、この日記の中で、反映させていくつもりである。 私は、気が変わりやすいのか、ホームページの手入れが好きで、始終、素材を替えたり、背景色を変えたりしている。 「そんなことより中身が大事」と言われそうだが・・。 シナリオも、まだアップしたいものがあるが、しばらくこのままにしておく。 2002年06月11日 22時31分07秒
このホームページを始めたのは、昨年の暮れだが、今年になって器械がダウン、修理に出し、2月に戻って来てから、また全部作り直した。 それまでは、練習台みたいなものだったので、消えても惜しくなかったし、少しばかりのページを、また入力し直して、1ページずつ増やし、今は、全部で30ページになり、カウンター数も、2400を超えた。 自分でも日に何度かアクセスするが、ホームページの中で動く分にはカウントされないので、少なくとも、2/3は、他の人のアクセス数であろう。 あまり面白くもないような私のサイトに、訪問してくれる人がいることはありがたいことなので、お客さんの書き込み用にと、掲示板もつくった。 それと別に連句用のボードも二つ作り、使い方は少し違うが、うまく機能している。目的がはっきりしているということもあると思う。 しかし、何となく作った掲示板のほうは、ほとんど書き込みが無く、今までに、ちょっと知っている人が、挨拶代わりに書き込んでくれたほかは、自分のサイトの宣伝(と言っては失礼だろうか)をかねて、1,2度訪問してくれた人がいる程度で、あまり有効に使われなかった。 私のホームページは、面白おかしいものではないし、所謂ネット語で交わされるような会話に、あまり縁がないし、何となく、気軽に書き込むという感じではないのかもしれない。 少なからぬ人が、見てくれてはいるらしいので、たぶん私のところに来るお客さんは、主に似て?シャイで、控えめで、あまり自己顕示欲の強くない、善良な人たちなのだろう。 今まで、不快な記事は一度も投稿されたことが無く、みな、礼儀正しく、美しい日本語を使う人たちだった。 だから、掲示板が無くても、今までと変わらず、訪問してくれて、その気があれば、連句のボードに参加し、さらにその気があれば、メールでメッセージをくれるだろう。 私からのメッセージは、この日記で充分、今までも、会ったことのない人たちへ、ここでいろいろなことを伝えてきたつもりだから、それはこれからも変わらない。 そんなわけで、一両日中に掲示板は外すことにした。 今後、訪問者用の掲示板を持つとしたら、やはり目的をはっきりすべきだろう。 介護の問題などを、話し合うとか、テーマのある話題を、こちらから提案するとか、工夫が必要かと思う。 しかし、今の私は、連句のボードの運営と、ホームページのメンテナンス、そしてこの日記だけで、結構忙しい。 一人でこつこつやっているのだから、あまり欲張るのは考えもの、地味でいいから、長く続けたいと思っている。 いままで掲示板に書き込んでくれた人たちに、感謝! 2002年06月10日 21時24分48秒
昨日とはうってかわって、さわやかな一日だった。 今日から明日まで、連れ合いが北海道に行ったので、自分の時間を有効に使うつもりが、またしても、パソコンのエラーで、スキャンとデフラグをすることになり、4時間を無駄にした。 全く腹の立つ話である。 器械が悪いのではないかと、メーカーにさんざん言ってるのに、テキは、こちらが素人であるのをいいことに、なんだかんだと逃げて、絶対、器械が悪いとは言わないのである。 1週間前にosの再インストールをして、調子よくなったと思ったら、また、ファイルがおかしくなった。 はじめは、ホームページ制作ソフトのせいかと思っていたが、どうもそうではなく、ウインドウズに問題があることがわかった。 デフラグをやったら、直ったからである。 憤懣やるかたない思いで、しかし、器械のそばを離れると、状況が解らなくなるので、結局張り付いていることになってしまった。 しゃくだから、今度電話をかけて、今日の状況をしっかり伝えるべく、細かくメモしておいた。(もうヒタチなんか、買わないぞ!) そんなことで、読むはずだった数冊の本が、落ち着いて読むどころでなく、あきらめて、サッカーのテレビ観戦、16日の会の雑用などしながら、器械とつきあったのであった。 昨年の日記を見ると、ちょうど今頃、シベリア行きに備えて、ロシア、シベリアに関する本を読んでいたのだった。 教えてくれる人があって、チェーホフの「すぐり」などの短編、長谷川四郎「シベリア物語」、澤地久枝」私のシベリア物語」、小林勝「軍用露語教程」など、せっせと読み、感想など書き送っていたことを思い出す。 紫陽花祭りをやってると教わって、高幡不動のあじさいを見に行ったのは、もう少し後だったかもしれない。 再びめぐってきたこの季節、私には、いろいろなことが錯綜して、ちょっと悩ましい季節でもある。 思いがけずの夜更かしとなり、あと2時間もすれば、夜が白む。 少し寝るとしよう。 2002年06月07日 02時57分17秒
今日は日本の初戦、6時からの対ベルギー戦に備えて、電話やパソコン関係の用事をすませ、連れ合いも外出したので、独りテレビの前で、アイロン掛けをしながら、終わりまで見た。 なかなか迫力ある試合で、日本のゴールも2回あり、思わず歓声を上げてしまった。 結果的には、引き分けになったが、一時は、勝つと思われる展開もあったので、伯仲して、良い試合だったのではないかと思う。 サッカーで思い出すのは、ブラジルにいたときのこと。 在住中、ワールドカップの年に当たり、その期間は、国を挙げての興奮で、仕事も学校も、半分休み、飛行機まで欠航になってしまうには驚いた。 金融機関も休んでしまい、バスの運転手も、ブラジル戦の日は、出てこない。 息子の通う日本人学校も、通学バスが来ないので、現地にあわせて、休みにしてしまった。 親が危篤だからというので、帰国しようとした人が飛行場に行くと、クルーがサッカー観戦に行って、飛行機が出ず、泣いて訴えたがダメだったという、嘘みたいな話も聞いた。 日本ではとても考えられないと、最初は思うが、何年か住んでいると、そんなことも不思議に思わなくなり、何となく納得してしまうのである。 だからサッカー選手の社会的地位は高い。 街中での話題も、サッカーのことが多いようだし、国のサッカー競技場の周辺は、いつも熱気があふれていた。 そのころのサッカーは、ブラジルが世界で1,2を争う地位にあり、ライバルはイタリア、アルゼンチン、負けて帰ると、興奮した人たちから半殺しの目に遭うなどという話もあって、選手も、命がけだったのかもしれない。 私は、あまりサッカーには興味が無く、何であんなにみんなが大騒ぎするのだろうと、思っていたぐらいだった。 しかし、帰国して、しばらく経ったとき、ブラジルからサッカーチームがやってきて、日本のチームと親善試合をした。 それを見に、国立競技場に行き、試合を目の当たりにして、とても懐かしかった。 雪の中の試合で、暑い国から来たブラジルチームは、寒さに対応できなかったらしく、負けてしまったが、彼らにとっては、まさかの敗退であったはずだ。 この10年ぐらいの間に、日本のサッカーは、ずいぶん強くなり、ワールドカップに参加できるまでになったが、それには、ブラジルから教えに来た人たちの力も、大きな役割を果たしている。 ジーコ、ラモス、ロペス、いま活躍しているサントス、みなブラジル人である。日本女性と結婚して、帰化した人もいる。 テレビ観戦しながら、ブラジルにいたときのことも、いろいろ思い出した。 2002年06月05日 01時27分1
昨日は、私の所属する連句のサークルで、吟行があり、昭和公園まで出かけた。 昼頃に公園に着き、そこから、公園内の会場に歩いていったが、思いの外遠く、途中ベンチで一休み、おにぎりを食べてまた歩いた。 40分ぐらいはかかったのではないだろうか。 歩きながら俳句を作るつもりが、広い公園の中、道を間違えそうなので、ひたすら地図を見て、歩くことに専念した。 景色や草木をじっくり見る余裕がなく、会場に着いてから出した句は、どれもあまりぱっとしなかった。 行きずりの嬰の笑顔や風薫る 新調の時計忘れる芒種かな 日移りて躓く石や夏木立 参加者9人、いつも中心になって活躍している常連の人たちが来ず、ちょっと寂しい句会だった。持っていったお菓子もだいぶ余ってしまった。 最近、この人たちは、何か理由があるらしく、会の活動に消極的で、別口で集まったり、何かやっているらしい。 それはどうでもいいが、昨日は、俳句の達人が何人もいて、いろいろなことを教わり、連句とは違うおもしろさもあって、なかなかよい一日だった。 私の「嬰の笑顔」が得点を稼いだのは、意外だった。 終わってすぐ帰宅。シャワーを浴びていたら、どっと疲れが出て、3時間ほど昏々と眠り、目が覚めたら、夜の10時近かった。 最近、夜更かしが続き、すっかり梟族になっていたので、久しぶりに日の当たるところに出たために、体が過剰反応したようだ。 生活の仕方を考えねばと、思い知らされた。 ホームページも、手持ちの原稿はだいたい消化したので、しばらく更新もやめて、ボードだけに留めることにする。 ボードは生き物なので、面白い。この日記、連句のボードの運営、それだけで、結構忙しい。 2002年06月02日 10時12分44秒
私のホームページは、知ってる人には、ほとんど知らせてないが、そのわずかな友人の中で、時々この日記を読んでくれている人もいる。 照れくさいので、こちらから感想を訪ねたりしないが、読んでくれていると思うと、こちらも、書く気になるし、普段なかなか話せないことも、メッセージとして、伝えたいと思ったりする。 文豪の書いた日記は、はじめから世に発表することを目的にしているから、常に読み手の目を意識している。 しかし、私の日記は、言ってみれば呟きのようなもの。 気取らず、心に浮かんだことを、何の意匠も凝らさず、書いているだけで、見知らぬ人が読んでも、面白いものではあるまい。 政治、宗教などの堅い話題があるわけでもない。 男の人が喜ぶような、艶笑話が載っているのでもない。 私は、どんなことも、自分の身に引き寄せてしか、ものを考えられない人間なので、所謂論争もダメだし、抽象的な話題も苦手だ。 頭でなく、ハートで、言ったり書いたりすることを、身上としているので、私という人間に興味のない人には、何の価値もないものだと思う。 5月も終わり、今日から6月。 今はまだ涼しい日が続くが、そのうち、カッと暑い日が訪れるだろう。 これから吟行に行く。どんな句が出来るやら・・。 2002年06月01日 10時12分28秒
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