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2012年11月28日(水)
韓国をワールドカップでベスト4に導いた、ヒディンク監督の「言語改革」

『わかりあえないことから』(平田オリザ著/講談社現代新書)より。

【2002年のサッカーワールドカップ日韓大会。日本はベスト16に進出し、韓国は審判の誤審に助けられた点もあったかもしれないが、ベスト4にまで躍進した。
 大会前の下馬評では、組み合わせの有利さもあって日本の方が上まで行ける可能性が高いのではないかと噂されていたが、韓国は、ポルトガル、イタリア、スペインと強豪国を次々に破って、日本以上の大きな成果をあげた。
 この躍進の陰には、チームの言語改革があったと言われている。
 2000年前後から、韓国代表チームは低迷期にあり、2001年のコンフェデレーションズカップで準優勝を果たした日本に、実力的に追い抜かれたと韓国内のマスコミも騒ぎ出した。
 そこで韓国サッカー協会は、5年ぶりに外国人監督を招くことを決意する。日本でも有名なオランダの名将フース・ヒディンクである。
 韓国のスポーツ界は極端なエリートシステムを採用しており、サッカーでも野球でも、高校の全国大会でベスト4、ベスト8あたりに入っていないと、強いクラブのある大学に進学することが難しい。日本のように、高校時代には無名だった選手が遅咲きで活躍するといった余地は少ない。スポーツの指定校制度があって、トップに至る道は限られている。そのため代表チームともなれば、すべての選手が高校、大学、Kリーグのどこかの段階で先輩ー後輩の関係にある。先に書いたように、韓国社会では、この関係は絶対だ。ただでさえ年齢による敬語の使い分けが厳しいのだから、当然、後輩は、そうとう丁寧な敬語で喋らなければならない。
 しかも韓国語の敬語は、敬意が強ければ強いほど、言葉をつけ足し、長く伸びていく性質を持っている。だから極端に言えば、パスをする際には、いちいち、「先輩様、ボールをお譲りいたします」といった感じの言葉遣いになってしまう。あの激しいサッカーの動きの中で、これはいかにも面倒だ。
 ヒディンクは、そこはさすがに名将たる所以で、何度か練習を見るうちに、「何かがおかしい」と感じたらしい。フィールド内の上下関係が厳しく、使っている言葉も人間関係によって違う。そこで事情を聞いてみると、韓国語では年齢に応じて敬語を使い分けなければならないということがわかってきた。
 ヒディンクは、選手を集めて以下のようなことを伝えた(とここからは私の想像だが)。
「私は外国人であるから、これまでの学閥にとらわれた選手起用はしない(実際、それまでは代表監督が替わると、その出身大学の同窓生が優遇されるというような傾向があった)。そのかわり、君たちもフィールド内では年齢に関係なく対等な言葉を使い、名前も呼び捨てにして欲しい」
 これは、韓国語を母語とする者にとっては、大きな変革であった。しかし、この改革がチームの連携を強め、さらには個々の力を引き出し、のちの韓国の躍進につながったと言われている。
 ちなみに日本チームは、三浦知良選手や中田英寿選手が早くから海外に出て、「フィールド内では上下問わず呼び捨て(あるいはあだ名で呼ぶ)というコミュニケーションを身につけていたので、そうとう早い時期から対等な呼び名の習慣ができていたようだ。】

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 あの2002年ワールドカップでの韓国の躍進の陰には、こんな「改革」があったんですね。
 韓国は儒教社会で、「年長者に対する礼儀」が厳しいというのは聞いたことがあったのですが、サッカー界にも、こんなしがらみがあったのか……

 試合中、一瞬の判断が必要な場面になればなるほど、「パスしようという相手が先輩かどうか?どんな敬語を選択するべきか?」なんて考えなければならないのは、ハンディキャップになってしまうはずです。
 いまの日本人である僕にとっては、「ボールをお譲りいたします」なんて、コントみたいな感じですが、韓国人にとっては、それが「常識」であって、ヒディンク監督という「外国人」の視点がなければ、それを変えることはできなかった。

 韓国人の選手やスタッフのなかにも、その「非効率性」を感じていた人もいたとは思うんですよ。
 しかしながら、それを言い出すのは難しいことだったのでしょう。
 「言葉のハンデ」があるとしても、こういうのが「外国人監督を起用するメリット」なのですね。
 自国出身の監督だと、どうしても「さまざまなしがらみ」も出てきやすいでしょうし。

 もちろん、あの大会での韓国の躍進が、この「言語改革」によるものだけではないと思うのですが、スポーツには、技術的な面だけではなく、こういうコミュニケーションの面での「改善」がチームの強化につながることもあるのです。

 僕はずっと、日本のサッカー選手たちが、チームメイトをあだ名で呼んだり、年長の選手と敬語や丁寧語を使わずに喋るのが、ちょっと不快だったんですよ。
 礼儀知らずの連中だなあ、スポーツ選手なんて、こんな感じなのかなあ、って。
 でも、これを読んで、「シンプルな言葉でやりとりできる環境づくり」もまた、チームを強くするための手段なのだな、と腑に落ちました。



2012年11月13日(火)
世界でいちばん幸福な「ガラス張りの国」

『こんなにちがう ヨーロッパ各国気質 32か国・国民性診断』(片野優・須貝典子共著/草思社)より。


【原油のおかげで、ヨーロッパで最も堅実で豊かな福祉国家となったノルウェーは、世界最高の人権国家である。国連開発計画(UNDP)では、毎年人間開発報告書を発表し、世界各国の生活の豊かさを示す「人間開発指数(HDI)を公表している。
 HDIとは、出生時平均余命、成人識字率、初等・中等・高等教育の総就学率、一人当たりのGDPなどから、人間開発の達成度を数値で表したものだ。つまり、それだけ人間らしい生活を送り、人生に幸福を感じているかということで、幸福の中身には、心身の健康、やりがいのある仕事、円滑な人間関係、快適な住環境、十分な教育といった要素が考慮される。
 毎年、ノルウェーはHDIが世界第1位で、引き続き2011年も、最高に豊かな国であることが証明された。ちなみに日本は第12位だった。
 加えて、ノルウェーは最も男女平等の国で、兵役以外は社会において男女の差別がない。このため、男女が社会的利益を平等に享受しているかどうかを数値で表す「ジェンダー開発指数(GDI)」も、男女間の機会均等や女性の社会進出の度合いを示す「ジェンダー・エンパワーメント指数(GEM)も、ともに世界第1位である。
 一方、ノルウェーは税金が高いことでも知られる。かつでギネスブックで、世界一税金が高い国として紹介されたことがあった。この国の消費税は24パーセントで、所得税は36〜54パーセント。もっとも、所得税は年滅調整で戻りがあるので、実質的には28〜48パーセントになる。
 税金は毎年1月に申告する必要があるが、税金の算出方法がわかりやすいうえ、個人が携帯電話でも簡単に申告できるようなシステムになっている。
 それと面白いことに、年収の14パーセントが翌年に休暇手当として国から交付される制度がある。やはり幸福な人生には、バケーションは必要不可欠なのだ。
 さらにノルウェーには、度肝を抜かれるようなガラス張りの税システムがある。なんとこの国では、誰もがインターネットで簡単にすべての国民の個人資産、年収、納税額、住所、電話番号を閲覧できるようになっているのだ。
 昨今、日本やアメリカなどでは、個人情報の流出が大きな問題になっているが、そもそもノルウェーではこんな問題は起こりえない。ましてや巧妙に嘘をついてまで金を騙し取るオレオレ詐欺の犯人の心境など、到底近いできるものではない。】

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 北欧の国、ノルウェーは、「日本の全国土面積に熊本県を足したほどの広さ」で、人口は約490万人。
 北欧の国々には「高負担、高福祉」というイメージがあるのですが、産油国であることも豊かな国である理由のひとつなので、日本にはなかなか真似できないところはありそうです。
 それにしても、「消費税は24パーセントで、所得税は36〜54パーセント」というのは、幾分かの還付があるとしても、日本よりもはるかに重税です。
 日本の消費税も、この数字に比べると、予定されている増税があったしたとしても、まだまだ税率は低いですよね。
 
 こんなに税金が高いのに、ノルウェーが「幸福な国」であるのは、「税金が高くても、教育がしっかりしていて、将来への不安が少なく、安心して年を取れる」ということの重要性を考えさせられます。
「増税したら、不景気になる」というけれど、税金が本当に将来のために使われるのであれば、「ノルウェー方式」を望む人は、日本にも少なくないはずです。

 それにしても、この「ガラス張りの税システム」には驚かされますね。
 いまの日本であれば、「個人情報保護が……」という話になることは間違いないはずですが、ここまで「すべての人の情報が公開されている」と、かえって、いろんな犯罪はやりにくくなるのかもしれません。
 こういうのは、人口500万人弱の「小さな国」だからできる、という面はあるのでしょうが、ひたすら「個人情報保護」の方向に突き進んでいる日本に住んでいる僕からすると、この「逆転の発想」は、すごく新鮮に思われます。
 大部分の人は、「公開されていても、困らない」し、「公開されている一般人の個人情報を知ったところで、とくにできることもない」。
 僕自身の感覚では、やっぱり「ここまで自分の情報が公開されているのは怖い」と感じるのですけどね。
 ただ、もしかしたら、その「怖さ」は、長年周りから植え付けられてきた「思い込み」なのかもしれません。
 フェイスブックの「実名主義」は、こういう「ガラス張りにしておけば、お互いに悪いことはやりにくいはず」という発想なのでしょう。

 もちろん、いますぐノルウェーの真似をするのは困難です。
 でも、いまのネット社会であれば、日本くらいの国でも、同じことをやるのは、不可能ではないはずです。
 それが、本当に望ましいことかどうかは意見が分かれると思いますが、選択肢としては「ありうる」のではないかな、と。
 
 ただし、「世界一幸せ」で、移民に寛容であったこの国でも、2011年の7月に32歳の移民排斥を訴える男性による銃乱射事件で、69人が亡くなるという衝撃的な事件が起こっています。
 「国際化」のおかげで、この国の幸福が揺らいでいると感じている人もいる。
 世界でいちばん幸福な国でも、けっして、みんなが幸せなわけじゃないのです。