2009年12月23日(水) |
2010もイベント<ロックンロールお年玉>をやるのだ。 |
みなさ〜ん。これ来てください!
<ロックンロールお年玉2010>
1月9日(土)16:00開場・16:30開演 〜22:30頃終演 @CLUB CITTA'川崎 044ー246−8888 http://clubcitta.co.jp/
出演: 遠藤賢司&カレーライス(竹安堅一、グレートマエカワ、森信行) Theピーズ、 フラワーカンパニーズ、 騒音寺、 ザ50回転ズ、 JAPAN-狂撃-SPECIAL、 キノコホテル DJ:キングジョー(SOFT HELL!)、サミー前田(ボルテイジレコード)
前売3000円 / 当日3500円 チケットぴあ、ローソン、eプラスにて発売中(P340-631 / L72244)
↓「深夜に同会場で第2部が開催」
<クレイジーミッドナイト69〜ロックンロールお年玉2010第2部>
1月9日(土)開場&開演24:30/終演5:00頃
出演: カルガモネンド、 ザ・サイクロンズ、 ザ・シャロウズ、 シベールの日曜日、 thee50's highteens keme
DJ:キングジョー(SOFT HELL!)、サミー前田(ボルテイジレコード)
料金:「ロックンロールお年玉」半券持参1500円 / 前売2300円 / 当日2800円 前売券2300円発売中→ ローソンチケット(L75559) / チケットぴあ(P342-231)
2009年12月22日(火) |
さようなら ぺぺ先生 |
12月13日、ザ・ハプニングス・フォーのベーシスト、ぺぺ吉弘さんが癌で亡くなった。 ぺぺさんとは2002年のハプニングス・フォー再始動以来のつきあいで、個人的にも親しくさせてもらっていた。去年の秋に神戸のホテルで開催されたディナーショウのサウンドチェック後、急に具合が悪くなって病院に行き、本番直前に戻ってきたことがあった。思えば、あの頃から本人はわかっていたのかもしれない。最後の最後まで、友人知人に病のことを知らせず、本人の意思により、お通夜も葬式もない。
長崎の生まれで、1960年代前半に福岡でキャバレーバンド「サンライズ」を結成し(最初はギタリストだった)、嫌がるメンバーのクニ河内を説得し、上京して「ハプニングス・フォー」となったのだ。音楽的なバンマスはクニさんだったが、バンドを仕切っていたリーダーはぺぺさんだった。 ハプニングス・フォーのシングル曲でもある「永田町への道」で、ぺぺさんの歌が聴けるが、スタンダードなボーカルものは絶品だった。渚ようこのアルバム「ギーナサドンバ・リサイタル」とオムニバス「昭和元禄NOW!第1集」で、二つの「べサメムーチョ」が聴ける。そして、ハプニングス・フォーで聴くことの出来る非常に独特なベース・プレイ。これはもっと評価されてしかるべきだろう。「何故?」とか「引潮満潮」とかすごい。 布施明が録音する前は、ぺぺさんがステージで歌っていた「そっとおやすみ」をハプニングス・フォー・バージョンで制作する俺の夢は終わってしまった。ライブテープはいくつか残っているのだけど。
70年代になってからは、プロデューサーの仕事もしていた。有名なところでは映画『八月の濡れた砂』のサントラを手がけている。ハプニングス・フォー末期と被っているバンド「羅生門」についてはインタビューをしたことがあり、「HOTWAX」誌1号に載っている。殆ど知られていないところでは、スリー・ダイアモンズ『ジャズ演歌・昭和男無情』(ワーナー・L6015A・71年8月発売)というアルバムがあって、羅生門にも参加していたポール・リーとともにぺぺさんの歌も聴ける。演歌を洒落たジャズアレンジでカバー。このレコードは本人のアイデアだったと言っていたが、確かにいかにもぺぺさんらしい企画である。 10年ほど前にお亡くなりになっている奥様と静岡の清水に住むようになってからは、ご機嫌なバーを開店して、若者達に音楽を教えていたり「先生」と呼ばれていた。
相手のことを「ユー」と呼ぶ。逆さ言葉は当たり前。あの時代のヤクザなバンドマン、根っからのギャンブラー気質。きつめのアルコール好き。本当におもしろい貴重な人だった。デビュー前の東南アジア巡業での武勇伝はもっと詳しく録音しておけばよかったと後悔している。
先生、大変お世話になりました。またいつか会いましょう。
2009年12月10日(木) |
「HAIR1969輝きの瞬間」は1960年代後半のムードいっぱいの秀逸なドキュメント |
「HAIR1969輝きの瞬間」(飛鳥新社刊)は、1969年暮、川添象郎が仕掛けた伝説のロックミュージカル「ヘアー」の話で、特にGSファンは必読の書だ。著者はカーナビーツの二代目美形ヴォーカリストのポール岡田。カーナビーツ解散直後に「ヘアー日本版」に参加したというタイミングだった。 カーナビーツ時代のポールのリードヴォーカルが聞けるのはオムニバス収録の「ゲットバック」だけだが、最近までアイ高野が存命の頃、何回かテレビなどで再結成しており、初代ヴォーカルの臼井啓吉の姿はなくポールが参加していたはず。 この本は、「ヘアー日本版」に至るまで、女性とのロマンスや、カーナビーツ参加以前のキャンディーズ(未デビューGS)の話なども細かく触れてあり、著者の青春物語ではあるが、60年代後半ならではの現象に溢れていて、この時代が好きな人にはたまらないものがある。掲載されたアーティスト写真、ジャズ喫茶やヘアーのリハーサル風景の写真も非常に興味深いものばかりだ。 このころ、俺は6歳くらいだったが、タイガースのトッポ含む出演者が舞台で裸になるらしいという(当時はかなりスキャンダラスな話題だった)噂や、関係者がマリワナで逮捕された事件は、リアルタイムでなんとなく記憶に残っているし、姉から説明されたような記憶もある。それぐらい世間は騒いだのだろう。この本と、昔出た「キャンティ物語」(幻冬舎刊)を読めば、「HAIR」とはなんだったのかよくわかる気がする。 因みに、以下のようなイベントも行われるが、俺いけないじゃん! GSファンはカーナビーツのラスト・シングル「テルテル天国」を持って、そちらにもサインもらったらよいでしょう(笑)
「HAIR 1969 瞬きの瞬間」刊行記念対談&サイン会
日時:2010年1月9日(土) 安藤和津(エッセイスト)× ポール岡田(著者)トークショー:15時〜 ポール岡田(著者)サイン会:トークショー終了後 場所:新宿高島屋1階JR特設会場(入場無料)
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