人と関わるのが不得手なぺぱが4月より配属されるのは、
とある教育機関の、生徒の支援の担当。
職場の人間関係さえ築くのが怪しい(というか築けない)というのに、
生徒との関係など築けるのであろうか。
きっとムリだと思いつつ、
しかし考えようによっては、
内向的で人とうまく関われないというコンプレックスを抱えた私が、
自分と似たようなタイプの生徒に対しては、
できる支援もあるのかもしれないと思ったりした。
しかしながら、やっぱり冷静に考えると、
おそらく向いてないであろう、
と考えるしかなく、
前任者は、人当たりが柔らかくて落ち着いた感じのベテラン職員であることを考えても、
なぜ自分が後任となってしまったか、という
運命を呪うのであった。
(推測では、異動者の女性の中で年齢が上で、
出身学科がそれっぽかったからではと思う。)
ぺぱのこれからに乞うご期待!(きっと病みかけの愚痴ばっか)
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どうして仕事をするのか、 頭も身体も重い通勤途上、考えた。
異動して、新しいことをたくさん覚えなくてはいけなかったり、 それまで自分には難しいと思っていたようなことを、 しなくてはいけなかったりといった状況は、 仕事をしていれば起こりうることだ。 仕事だから、しなきゃいけないことだ。
すると、その過程は苦しいとしても結果的に、 それまでまったく知らなかったことに詳しくなったり、 それまで自分にはできないと思っていたことを、 できていたりする。
知らなかったことを知るのは面白いし、 できなかったことができるようになるのは、うれしい。 仕事をする意味も、ここに求められるのではないか。
つまりその時に導き出した答えは、一般的な言葉で言うと、 「仕事を通じて、人間として成長するため」。 通勤途上の沈痛な身体と頭から出てきた回答が、 あまりにまっとうで、おののいてしまった。
こんな前向きで、健全な考え方は、 例えば病気であるとか、 自分の力ではどうにもならない大きな困難にぶつかったりしたときには、 役には立たないかもしれない。 加齢や病気によって、「できていたことができなくなる」の方が、 実際には多いのかもしれない。
それでも、まっとうで前向きな考え方を、 自分の中に一本、芯のように通しておくのは、 きっと、悪いことじゃないと思うのだ。
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掃除をしながら、
クイックルワイパーで、
一人でカーリングのまねをしたのは、
自分だけのひみつです。
(楽しかったから言っちゃってるけど。)
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