見つめる日々

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2006年06月27日(火) 
 この部屋の周辺には、何故か紫陽花や蔓薔薇の姿が多く見られる。つい数日前まで鮮やかな花びらを誇っていた紫陽花が、今、次々に色あせてゆく。夏が来たんだ。
 正直、夏は苦手だ。暑いから、という理由はもちろんあるが、それよりも、眩しすぎる、そのことが私をくらくらさせる。
 陽光が強ければ強いほど、世界の輪郭はくっきりと浮かび上がる。光と影のコントラストが強烈になって、見なくてもいいものがぐいぐいと露わになって私の目の中に飛び込んでくる。そんな世界の中に立っていると、私は眩暈を覚える。そして、こんなにも鮮烈に強烈に姿を露わにする世界に、臆してしまう。昔は夏が待ち遠しかった。夏と水は私の中では直結していて、私が自分の死に場所に選ぶ唯一の場所、海或いは水中というものの中に、いつまでも浸っていられる。いつまでだって水の中に沈んでいることができる季節。海女になりたい、なんて本気で思っていたのも、あの頃だった。
 でも、今、私にとって海あるいは水中と直結しているのは、冬という季節だ。私は冬になると海に会いに行きたくなる。冬の海はあたたかい。何処までも何処までもやさしい。いや、冬だからこそ波が荒かったり普通なら入らないだろう海の中は、まるで母の胎内にいた頃のイメージを私に与えてくれる。確かに、海から出たらとんでもなく寒くて震えが止まらなくなる。でも、そういうときはもう一度海の中に入る。海はそんなとき、とてつもなくやさしくやわらかく、そしてあたたかい。

 先日、Sと話をしていたとき、二人とも同じところで立ち往生してしまった。私とSとは、性犯罪被害や機能不全家族などといった体験を共有しているのだが、そのSと私との電話の中で、私の娘の話題になったとき、立ち往生してしまったのだ。
 理由は簡単だ。まだ私たちが、父や母と一つ屋根の下で暮らしていた頃、親に愛されていたという自信がまったく持てずに、それどころか父母の刺すような視線からどうやったら逃れられるか、びくびくしながら毎日毎日を過ごしていた私たち。そのせいにしたくはないが、それでもあえて言うと、親から無条件に愛されているという確信をもてないでここまで生きてきてしまった私たちには、いざ愛したい相手愛されたい相手と出会っても、愛し方が分からない、接し方が分からない、どうやって愛しているという気持ちを伝えたらいいのか分からない、どうやって子供と向き合ったらいいかわからない、と。その壁に改めてぶつかって、二人して途方に暮れた。
 親から自分は無条件に愛されているのだという絆を、どう努力しても培えずに私たちは大人になった。だからいざ、自分が子供を持ったとき、私はあなたを愛してるわということを、どう子供に伝え、抱きしめていいのか、どうやったら子供がそれを自信に変えることができるのか、それが全く分からないのだ。
 情けないな、とつくづく思う。でも、情けないけれど、分からない。手探りで一歩一歩進んでゆくしか術がない。
 今娘は、葛藤している。学校のこと、学童のことはもちろんだけれども、自分は本当に愛されているんだろうか、と、彼女の中でそんな想いがゆらゆらと陽炎のように揺れ動いている。その姿が明らかに私の目に映ってくる。そんなとき、あまりに自分が情けなくて、唾を吐きかけたくなる。でも、どんなに葛藤しようと迷子になろうと、私は私なりの術を自分で築いていかなきゃならんことも、今はもう充分すぎるほど分かってる。

 以前から漠然と思っていた。そりゃ理想でしょ、現実には無理よ、と笑われてしまうかもしれないが、でも。それは、安心できる場所を作ること。
 外界で何があろうと、この場所に帰ってくれば大丈夫、安心して休むことができる、と、そんな場所作り。そんな場所がもしあったなら、どんなにいいだろう、と。
 今、はっきり分かる。私はそういう場所を作りたい。私と言う存在がそういう場所になりたい。娘にとって。私の愛する者にとって。
 私が、欲しくて欲しくてしょうがなかった「場所」。その場所を求め、夜な夜な街を徘徊した、あんな思いは、できるならさせたくない。
 だから、手探りでいこう。今日一歩進んだつもりで、でも明日になったら実は一歩も進めてなかったりするかもしれないけれども、それでも手探りで、それを掴んでやろう。私は私に言い聞かせる。なんとかなる、なんとかする、きっと。なんだかんだ言ってここまで生き延びてくる力が私にあったのだから、そのエネルギーをもってすれば、きっと何とかなる。そう信じて、手探りでいこう。今日、明日、明後日。私の努力は果たして報われるのか否か、今そんなことで不安になってもしょうがない。やれることをやるだけだ。
 帰ってきたくなる場所になりたい。
 声を上げて、その胸に飛び込んで泣ける、そんな場所でありたい。
 私は、そのためにだったら、這いずってでも努力する。

 自分が得られなかったもの。欲しくて欲しくて、一番それが欲しくて、でも、得ることができなかったもの。一体それは、どうやって得たらいいのか分からなかった。長いことずっと。
 でも、今は思う。
 自分がしてほしくてしてほしくて、でも結局得られなかったことを、真正面から見つめ受け入れ、そのうえで、私が愛してやまない者たちをどんなときも両手を広げてここで待つこと。私が過去を受け入れ、赦し、自分なりの術を掴み取ることができたなら、きっと、その私の願いは叶う、そう信じて。
 人にはきっと、どう努力しても叶わないこと、努力すれば叶うこと、その人それぞれに、あるのだろう。そしてまた、その「努力」なる代物も、その正体は実は、闇の中だ。
 でも私は馬鹿だから、そういった目に見えることはないものたちに、何処までもこだわるんだろう。私はあのときハグしてほしかった、私はあのとき、ただ母や父の腕の中で声を上げて泣いて、頭を撫でてほしかった。目を閉じてもう遠い遠い過去を振り返れば、いくらでもそういった記憶が蘇る。
 そういった記憶が私を苦しめ、束縛していた。長いこと。でも。
 そろそろもう、私の番だ。自分の痛みを叫ぶことは、案外容易だ。でもそれはもう、充分やってきただろう。もちろん消化不良のまま残っているしこりは、見ようと思わなくてもはっきりと見えてしまうけれども。
 でも、そんな私にはきっと、できることがあるはず。

 私には根っこがない。恩師にかつて言われた言葉だ。おまえは枝葉はこれでもかというほど茂っている、が、根っこがない、そのまま行ったら倒れるぞ。根っこを生やすんだ、自分という場所に根っこを下ろすんだ、そしてしかと立つんだ、と。
 あれからもう十数年経っているはず。でも、いまだに私には根っこがこれっぽっちしかない。そんな私に、場所作りができるのかと問われれば、難しいですね、無理かもしれませんね、と答えるしかない。
 でも、たとえ結局、叶わなかったとしても。
 後悔を引きずったまま、死にたくはない。
 だったら、できることをひとつずつ、実際に為してゆくしか、ないじゃないか。

 今日、娘がわんわん泣いた。だから私は両手を広げて、こっちにおいで、と言って、そして彼女をハグした。すると娘は、もっと大きな声でわんわんと泣いた。こんなにこの子の中には澱が溜まっていたのだな、と、改めて思い知らされる。
 その時、思った。
 努力をやめてなるものか、と。

 今、もし誰かから、どんなふうになりたい?と問われたなら、答えはひとつだ。
 家になりたい。
 帰りたい、そしていつでも帰ることができる場所。外界でどんなにぼろぼろになっても、ここに帰ってくれば翼を閉じて休むことができる場所。
 私はそういう場所になりたい。

 さぁ、眠れなくても横になろう。私の今のこの願いを望みを叶えるためにも、自分がしっかりしてなくては無理だ。
 ニュースは毎日、これでもかと思う残酷な事件を垂れ流し続けてる。それらを見つめていると、私は恐怖を覚える。もしかしたら自分がそんな残酷極まりない加害者になってしまうかもしれない。絶対にそうならないという保障は何処にもない。だから、そうならないように、しっかり立ってやる。私は自分に言い聞かせる。まずは自分がしっかり立つことだ。そして、自分が体験してきたこと、それはそれで受け容れ、赦し、そして、私は、新しい地平を目指すんだ、と。
 焦ることはない。まだ時間はある。すべては私次第。そう信じて。


2006年06月24日(土) 
 あまりにも眩しい陽射しが続く日々。視界全てが光にぱっくりと食べられてしまったかのような。もう夏なのだなと、夏が苦手な私は小さく溜息をつく。
 が、それは陽射しや暑さに対してだけのこと。ベランダに娘と二人で蒔いた種たちが、次々に芽を出す様子を見やるのは、とてもわくわくする。今日はどのくらい、明日はどのくらい? 家から出ることが最近殆ど出来なくなっている私には、彼らの様子を観察することは心臓がばくつくくらいに嬉しいもの。
 そう、私が家に引きこもっている間に、紫陽花は美しいその色合いを空に向かって思い切り拡げているし、びわの木にたわわに実った実をついばみにくる鳥たちが、めいめいに囀る道端。まったくもって時流から、同時に世間から立ち遅れている自分につい苦笑してしまう。

 娘と交換日記を始めた。言い出したのはもちろん私。交換日記なんて言葉を知らなかった娘はきょとんとし、私が説明すると、自分から書く、と飛び跳ねた。
 私が交換日記を、と突然言い出した理由は、彼女に、文字を綴ることの楽しみを知ってもらいたかったからということがひとつ。他人に言われたことをそのまま書き写すのではなく、書く事柄を自分で選んで自分で綴る術を身につけてほしいと思ったことがひとつ。あとはもう、単純に、一緒にいる時間が短いから、交換日記をして少しでも彼女のことを知りたいと思ったから。
 娘といえど、彼女はこの世に生まれ堕ちたその瞬間から、私にとって一個の命を持った他者だ。もちろん、一緒に暮らし、一緒に笑ったり喜んだり怒ってみたり泣いてみたり。彼女と為す事柄が私の日常の殆どを占めている。けれど。
 私と娘は親子であり母娘であり、同時に、同じ女という性を担って生きる他人だ。
 だから、知りたいと思う。もっともっと知りたいと思う。
 そんなこんなで交換日記、今日は娘の番。どんなことを書いてよこすのだろう。

 この一ヶ月というもの、自分の住む場所から、十数メートル程度しか離れていないだろうスーパーにも、長いこと行けなかった。もちろん、トイレットペーパーやら飲み物やら、どうしても買いにいかねばならないことはたくさんあって。どうしても買い足さなければならないときにだけ、こっそり出掛ける。誰も私を見つけないで、誰も私を呼び止めないで。いっそのこと透明人間になりたいと思った。もちろん分かっている。道ですれ違う人たちが私にいちいち注目なんてしてないことは。もしかしたら単なるモノとしてさえ認識されていないかもしれない。人間なんてその程度。
 それでもしんどいから、自転車でさっと行ってさっと帰ってくる。本当なら、娘に作ってやる食事のための代物もわんさか買ってこなくちゃいけないだろうに、その半分程度しか買うこと叶わず。あーあ、と溜息も出るけれども、だいぶ慣れた。今私は外界に触れるのがひどくしんどい。そんなのだめだよ、さっさと出ろよ、営業して仕事とってこいよ、等々。心の中で私の中の一人が言う。いい加減おまえその状態から脱しろよ、その人が言う。けれど私は俯くしか術はなく。言う通りだよ、でも、今、できない。私の中の誰かが、消え入りそうな声でそう呟く。

 久しぶりに娘が実家に遊びに行った今日。風鈴がりりんりりんと涼しげな音を奏でる。相変わらず風の吹く街だなと思いながら、私はその風鈴を見つめる。風鈴の向こうには晴れ渡る空。じきに日没を迎え、橙や茜に染まりゆくのだろう空。エネルギー補給には、うってつけの天気、のはず。
 でも、正直に言うと、早く昼が終わって欲しい。夜になってほしい。溢れる陽射しは、今の私に何故か罪悪感や焦燥感を与えるばかり。だから、夜になってほしい。あちこちのくっきりした輪郭が闇に沈む時間に。
 そうでもしなけりゃ、何をして時間を過ごしたらいいのか分からない。今の私は、ひっくりかえったジグソーパズル。私の中に幾つもの私。


2006年06月03日(土) 
 気づいたら、四月が散り、五月も飛び去っていた。私の中には、その時間の量や重さが全く残っていない。だから私は歩きながらふと振り返る時、一体自分は何処にいるのか、いつの時代を生きているのか、分からなくなって途方にくれる。
 マイナス面を突き始めたらきりがない。だからできるだけ、距離を置く。あぁあそこに穴ぼこがまたできた、あぁあそこに棘があんなにもいっぱい刺さってる、それがありありと私の目の前に光景として広がっている。本当は駆け寄って穴を埋めたいし棘を抜きたい。でも、そのエネルギーが今はない。だから、私は一歩下がる。一歩、二歩下がったところで、傍観している。私の命を奪うほどの傷じゃなければそれでいい。
 時間や風を傍観している私の横で、娘は自分の世界を少しずつ作り始めている。時々彼女はそれがもどかしくなるようで、本当はまだママにくっついていたい、でも、というような気持ちに陥るようだ。そういうときは半べそをかきながら、彼女はハグを求める。だから私は思い切りぎゅうぎゅうと抱きしめる。そしてキスの雨を降らす。そうすると彼女はきゃあきゃあ笑って私の腕の中から逃げ出そうと試みる。だから私は余計にぎゅうぎゅう抱いてわざとちゅうをする。

 今はまだ、活字を読むことはもちろん、文字を書くことも億劫だ。あまりにも心の中がぱんぱんに腫れあがっていて、手のつけようがない。これはじきに、膿となって噴出すのかもしれない。そのときはそのときだ。

 テレビをつけニュースを眺めれば、散々な代物ばかり。でも、今は何だろう、薄いヴェールを隔てて現実を見ているようなところがある。

 自分が分からないとき、私は今まで必死に探してた。でも、探しても探しても無駄な時もある。今がそのひとつなのかもしれない。だから一歩下がる。二歩、三歩、下がる。そして自分を傍観者にする。私は私であり、同時に私と言う名の他人なのだということを、つくづく思う。
 もうしばらく、時間がかかる。私の空が晴れるにはまだもう少し時間が。

 遠く雷鳴が轟く。風が今、駆け抜けてゆく。


遠藤みちる HOMEMAIL

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