2006年04月25日(火) |
私が時間を飛ばしている間に、アネモネや花韮、ラナンキュラスだけじゃなく、ミヤマホタルカヅラまでが花を咲かせていた。ミヤマホタルカヅラ、この花の蒼はなんて美しい蒼なのだろう。いつまでもいつまでも見つめていたくなる。これっぽっちの私の指先よりも小さいくらいの花だというのに、この蒼は世界に広がってゆく。私は、小さな小さな花びらから薄く漂って世界に広がってゆくような蒼の気配を見つめているのがとても好きだ。殆ど世話もできず、幾つかの薔薇の挿し木が枯れてしまうなかで、ミヤマホタルカヅラ、君はしぶとく今年も咲いてくれた。ありがとう。もう少し待っててほしい、今、一瞬一瞬を越えるだけで、私は精一杯だから、君の世話をまだまだできないと思う。でも、きっとその時を手にするから、それまで、待っててほしい。 久しぶりにテレビを見た。桃井かおりが主演するというそれだけの理由で見たのだけれども、以来、何度も録画したビデオを見返してる。一年しかない、ではなく、まだ一年ある。自分の死を受け容れられるようになるまでは、生きることにしがみついていたい、と。死神にとりつかれないように生き急いでいる…。 ドラマの中にちりばめられているいろんな言葉が、今の私には、とても響いた。今も響いている。多分当分、これらの言葉は私の中で囁きのように小さな声で木霊するのだろう。 主治医から再び入院を勧められている。乖離症状がひどすぎるためだ。パニックやフラッシュバックの頻度も、自分から見ても多くなってきているように感じる。でも、今は無理だ。新入生になって新しい世界に飛び込んでいった娘を私は今見守っていたい。今あの娘をしっかり見守らなくて一体どうする? 見守らなくちゃ私は私を赦せない。じゃぁいつ入院し、治療をすればいいんだろう。夏休み? それも、難しいかもしれない。でもいい。死神が私におんぶしてきてるわけじゃない。単にPTSDの症状が悪化してるだけの話だ。大丈夫。そのくらいの荷物なんて、つきあって生き延びていける。
誰の為でもない。私は私の為に生きる。何処までも何処までも生き延びてみせる。そうしていつか死神におんぶされる時がきたら、「あぁ、もう充分生きた」と笑って死神に向かって思いっきりの笑顔でそう言い切って死にたい。そんなことを最近よく思うのは、多分、娘にそれを伝えたいからなんだろう。私の背中を見て育つあの娘に、言葉にせずとも、伝えられるように。 話が飛ぶが、今、私は天然石をつかってブレスレットを作っている。商品とする品だ。知り合いのヒーラーさんに浄化してもらったものを、一粒ずつ繋いでゆく。心の中で、これを受け取ってくれた人の、これっぽっちでもいいから、何処かで支えになりますようにと願いながら。 役に立つと、いいのだけれども。それらを手にしてくれる人が、何処かにいて、そして、それがその人の小さな小さなでいいから、支えになってくれたらいい、と。
こんなことを、強く意識しながら生きてるのはきっと、怖いからだ。正直にはっきり言う。怖くて怖くてたまらないからだ。今だってちょっと気を抜くと、山のように溜まった薬を全部この身体に放り込みたくなるし、でなけりゃ包丁で自分の左腕をざっくり切り落として死んでやりたくなる。 でもそれだけは、しちゃいけない。私の人生がどんなものであろうと、私は生き延びなくちゃいけない。生き残らなくちゃいけない。それは娘のためではなく、いや、もちろん娘の存在が私を生かしてはいる、けれどそうじゃなくて、生き残ること、最期まで生き延びることは、私の義務だからだ。私の仕事、私の役目だからだ。 だから踏ん張る。 今年も咲いてくれたミヤマホタルカヅラのように、今年も蕾を膨らましてくれている白薔薇の樹のように。 今、外では雷が鳴り響いている。雨が横殴りに降り付けて。この雨が降っている間だけでも、声を上げて泣いたっていいよね。今だけひとりで声上げて。 |
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