見つめる日々

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2003年07月29日(火) 
 鼠色の空から絶え間なく降りしきる雨に向かって、まだ幼い白薔薇の蕾は、まっすぐに顔を上げている。それは静かでそして凛とした、真っ直ぐな背筋。まるで一直線に空と繋がっているかのような。私もこの手をそうやって伸ばしたなら空を掴めるんじゃないかなんて錯覚させるほどの。

 十七、十八の頃。同じ年代の友人たちが集って短篇映画を作った。私は演じる側のひとりとして参加した。その撮影の中で、窓から飛び降りるという設定で撮影するシーンがあった。四階の踊り場の窓にのぼり、窓枠を支えに立ち、そこで飛び降りるかのようにしてしゃがみこむという動作と、一階に場所を移しそこの窓から実際に飛び降りるという動作とを撮影しそれを繋ぎ合せて映画はできあがっていた。
 あの時私は。窓に立った時、あぁこのまま飛び降りてしまいたいという衝動にかられたんだった。いつまでもここに立ち、少しでも空に近いこの場所に立ち、そしてここから飛んでみたい、と。
 死にたい、というのではない、飛びたい、という衝動だった。後ろでスタッフの皆が、危ないよとか気をつけてと言うそれらの言葉は、窓に立っている私には滑稽にさえ思えた。その衝動を実現せずに、戸惑いながら窓枠から降りたのは、窓から振り返った時目の前に広がっていた部屋の奥に潜む黒々とした穴を見たからだった。もしあの暗闇を見ずにもう少し長くあの場所に立っていたら、私は本当に飛び降りてしまっていたかもしれない、歓喜に震えて。

 もし私に翼があったなら。この両腕を、どんなに小さくとも翼に変えられるなら。
 私は今すぐにでも飛んでみたい。そして、今日から明日へ、その繋ぎ目へ手をかけ、未来を自分の懐へしかと引き寄せるんだ。
 再生するために。

 地に堕ち、ずたぼろになり、はいずるようにしかこの身体を動かせなくなっても。私はやっぱり夢見るだろう、飛びたい、と。この空を、私の空を、一度でもいい、飛びたい、と。その時、私は、再生する。

 何度でも窓によじのぼり、飛び立ち、でもその度に地に叩き付けられ、傷だらけになり。それでもやっぱり、私はまた窓によじのぼるんだ、私の心の中で。何度でも何度でも。
 いつか必ず飛べることを信じて。私のこの、ずたぼろの、そしてちっぽけな魂を握り締め。

 再生を、信じて。


2003年07月22日(火) 
 月曜日は病院、火曜から金曜は仕事、土曜日は娘を実家につれていき私は買い出し、日曜日は洗濯に掃除に娘の相手。当たり前のことなのだろうが、毎日はそうして瞬く間に過ぎてゆく。いつのまにか私の神経は磨り減って、触ると指先にあっちこっちささくれが引っ掛かるというような具合。でも、それに気づいたからとて、癒す間もなく、日々は過ぎる。

 病で立ち枯れたと思っていたあの大樹には、今も、人が傷口に包帯を巻くように、薄茶色の幅広い布が巻かれている。全身に。これからこの大樹はどうなってしまうのだろう、と、その姿を見上げるたび思っていた。いつか切り倒されてしまうかもしれない、それだけはあってほしくない、なんて、身勝手なことを願っていたりもした。
 それが、つい先日、あの大樹の傍らを娘と二人手をつないで通り過ぎようとした時。
 布と布の僅かな割れ目から、萌黄色の葉がくいっと顔を出しているのを見つけた。ねぇ、ほら、あそこから葉っぱが出てるよ、思わず私は声に出していた。立ち止まって、じっと見つめる。夢じゃない、幻でもない、確かにそこから葉が萌え出ているのだ、しかも何枚も。
 気づいたら、ほろほろと涙が零れていた。
 ママ、泣いてるの? 悲しいの?
 ううん、泣いてるけど悲しいんじゃないの。
 ふうん?
 嬉しいの、とっても。
 全身に茂らせていた葉の全てがからからに乾き、幹もぼろぼろになったあの大樹は、全身を布で巻かれ、それと同時に大枝は全て切り落とされた。私は病を煩った樹にどんな手当てが施されたのか全く知らないし、分からないけれども。そうしてどのくらい時間が経ったろう。そう長い時間じゃなかったはずだ。
 その樹が。今、再生しようとしている。
 なんて力なんだろう。なんて力を持っているのだろう。泣きやもうとしてもどうしても涙が止まらなかった。私はしばらく、娘の手を握りながら、その場に立ち尽くし、そして泣いた。
 そうだ。そうだった。人も樹も、みんな、こうした力を持っているのだ。その存在の奥底に。どんなに弱々しく儚げに見える存在であっても。もちろん誰かしらの手助けがあって布が巻かれたわけだけれども、それでも最後芽吹くのは、己の力だったはず。

 短い間にいろいろあり過ぎた。この数ヶ月間、怒涛のような毎日だった。娘と二人で生きていくことを決め、それにまつわっていろんなことを自分の意志で選択し、実行し、あちこちを走りまわり、いくつもの書類にサインし、そして片付けてきた。その間、様々な思いが交錯し、耳を覆いたくなることもあった。失うものの大きさにばかり慄き、眠れない夜もあった。胃がひっくり返るほど嘔吐し、便器によりかかって放心することもしばしばだった。それでも。
 私は後悔していない。

 ママねぇ、あの大きな樹が大好きなの。
 ふぅん。あの木は病気なのよね。
 そうね、でももう大丈夫だよ、きっと。
 ふぅん。よかったね。

 そうだ。どんなになったって、生きていけるものだ。もうだめだと思うことが何度あったって。これまでもそうだったようにこれからだってきっと。
 生きようとする力は、どんなになっても私の奥底にちゃんと、在る。


2003年07月21日(月) 
 昼頃、娘と遊んでいたら、突如、激しい雨音が耳に飛び込んでくる。それはまさに一分の隙もなく降りしきる雨で、放っておいたら豪流になって私たちをあっという間に呑み込んでしまいそうな勢いだった。ただ一言、すごいねぇ、と私たちはお互いに呟いて、呆然とその雨の様をしばらく眺めていた。

 こんなふうに私の中にも雨が降り、豪流となってありとあらゆる記憶や経験を根こそぎ洗い流してくれたら。そうしたら私は、その時、どんな姿になるんだろう。
 ひきずって歩くには重たい、と、時々感じてしまう自分の荷物の山の気配を背後にひしひしと感じながら、私は、こんな雨さえ降ってくれないこの頃の自分の心を、多分、少し、持て余している。


2003年07月15日(火) 
 窓の外は灰色。ひゅうひゅうと吹く風に木々の枝がざわわと揺れる。そんな木々の姿に比べ、目の前に広がる家々の姿。そこもここも、これくらいの風にも雨にもびくともしない、固く丈夫な壁を持つ。
 ふと思う。この家々の姿は、人の心の壁のあり様に似ているのかもしれない。でも、私はまだ、そういう壁を自らのものとし得たことがないから、本当のところは分からない。もしそういう壁があるならこんな家のような姿をして、その内に住む己を守るものとして存在するのかな、と。

 心の壁を築くことを覚えられるといいわねと主治医に言われ続けてはや幾年。私の心は今、どんな姿をしているのだろう。混沌としたそれは、今、私にはどうにもうまく捉えきれない。


2003年07月10日(木) 
「信頼と再生を切望しているわたしの内面を満たしてくれる本に久しく出会わなかった。日々わたしたちは、新聞紙上でなんとさまざまな悲惨、恐怖と直面していることか。手のほどこしようのない悲劇に打ちのめされ、ついにそれは息苦しい汚物と絶望の山となる。……わたしたちは悪いニュースの山、目撃したくもない山なす苦悩の数々を押しのけて、ひとりでもそこから引き抜き、元の個性をもった人間に、いくつもの庇護の手のなかに、帰さなければならない、何度も、何度も諦めずに。」

「わたしに活力というものについて、また疲れているときにどうやってそれを回復させるかについて考えさせてくれた。…
 問題は、ピリオドをどうやって打つかを学ぶこと。…
 わたしたちはかくも精巧につくられた機械のようなもので、自分自身への期待のしすぎから、機械の扱いを間違ってしまうのだ。どんなに精巧な機械でも、一時にひとつのことしかしないし、疲労を解決するにはときにそれに甘んじることが必要かもしれない。混沌状態をたえず整えなおすことが、まさに生きるということだ。」

(メイ・サートン「回復まで」より抜粋)


2003年07月01日(火) 
「名誉ある人間関係------つまりふたりの人間が“愛”という言葉を使う権利をもっているような関係------というのは、そのふたりにとって思いやりがあり、暴力的にもなり、ときに脅えることもある過程、おたがいに話し合える真実にもっと深みをあたえていく過程と言える。
 そのことが大事なのは、人間の自己欺瞞や孤独をうちくだくことができるから。
 そのことが大事なのは、そうすることがわたしたち自身の複雑さをきちんと評価することになるから。
 そのことが大事なのは、わたしたちといっしょにこの困難な道を歩んでくれると信頼できる人はとてもすくないのだから。」
(メイ・サートン「回復まで」より抜粋)


遠藤みちる HOMEMAIL

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