2010年09月22日(水) |
起き上がり、窓を開ける。蒸し暑いと感じるのは私の体調のせいなんだろう。とりあえず着替えたが、すぐ汗に塗れそうな気がして気持ちが悪い。でもこれも、朝のみなのだから、我慢我慢と自分に言い聞かせる。そういえば今朝も風がない。ぴくりとも揺れない街路樹の緑。くたっと垂れ下がっている。見上げる空は、薄い水色の空。 ラヴェンダーとデージーのプランターの脇にしゃがみこむ。ちょっとプランターの向きを変えてみる。これまでできるだけベランダの塀側にくっつけていたラヴェンダーを手前側に。そしてデージーを奥へ。デージーはまだ一生懸命咲いていてくれている。小さな小さな黄色い花。ココアが好きだという黄色い花。確かに、この間ココアをここに連れてきたら、ひげもしゃのような葉の間をたったかたったか走っていた。何が好きなのかはよく分からないが、もしかしたらこの感触が好きなんだろうかなんてちょっと想像してみる。 弱っているパスカリ。今のところ新芽の気配はない。薄い薄い緑色の葉が、ぺらり、ぺらりと枝にくっついている。早く新しい葉が出てきてくれないか、正直そう思う。 桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。みっつの蕾のうち、ひとつがぽっくり咲いた。もしかしたら、これまで見た花の中で、一番きれいにかわいらしく咲いているんじゃないかと思う。何だか嬉しくなって、指先でちょんちょんと触れてみる。 友人から貰った枝、二本の挿し木。両方とも今蕾がある。共に紅い花だと分かった。細い細い蕾の形。これは何という名前を本当は持っているんだろう。 横に横に広がって伸びているパスカリ。蕾ふたつを枝の先にくっつけている。他の二本の太い枝からも、新芽がにょきっと伸びてきている。 ミミエデン、いつの間にかふたつの蕾をつけている。奥の枝からも新芽が萌え出てきており。よかった。ちゃんと生きてる。その紅い紅い新芽は、くいっと首を持ち上げて、陽射しを浴びようと懸命に空に向かっている。 ベビーロマンティカは、あっちこっちに新芽を湛えており。萌黄色のそのつやつやとした葉が、遠くから伸びてくる朝日を捉えて輝いている。 マリリン・モンローはふたつの蕾を抱えて、凛と立っている。ぶわっと塊になって吹き出してくる新葉は、紅い縁取りをもって、我先に我先にと賑やかそうだ。 ホワイトクリスマスのふたつの蕾。膨らむ速度がちょっとゆっくりだ。でも、元気はちゃんとあるようで。足元から、新芽を萌え出させており。私はほっとする。 今朝、アメリカンブルーは八つもの花をつけてくれた。こんなにいっぱい一度に咲くのは初めてじゃなかろうか。私はしばしその花に見入る。一見こんなにもか弱く見える花弁なのに、なんて鮮やかに映えるんだろう。青く青く青く、何処までも青く。それは晴れ渡る海のような色で。だから好きなんだ、私はこの花の色が。 部屋に戻り、お湯を沸かす。ポットいっぱいにふくぎ茶を作る。茶葉がもう半分に減ってしまった。買い足そうかどうしようか、今も迷っている。結局買い足すしかないんだろうと分かってはいるのだが、お財布の事情というのもあって、なかなか踏ん切りがつかない。 カップを持って、机に座る。そよりとも流れてこない風。そのせいといったら何だが、私はもう背中が汗びっしょりで。タオルで拭いながら、どうしてこうも朝暑くなって火照ってしまうのだろうと首を傾げる。原因が自分では全然分からない。友人に、もう更年期障害なのかしらんと言ったら早すぎると笑われたが、どうなんだろう。 メールのチェックをし、ひとつ深呼吸をする。何となく今朝はいらいらする。いらいらの原因がよく分からない。このままだとやがて起きてくるだろう娘に八つ当たりしてしまいそうな気がする。だからもうひとつ深呼吸。調子を整えなければ。 そうだ、と思い立ち、単純作業をやってみる。前期の展示の配布プリントは或る程度プリントし終えたから、後期の分を数部作ろう。私は次々ファイルを開き、プリントの指示を出してゆく。刷り出された文字を斜め読みしながら、頁順を間違えないよう、整えてホチキスで留めてゆく。今回、モデルになってくれた二人以外に、三人の女性が手記を寄せてくれた。五人分の手記。それだけで、私には、重い。 O氏に初めて会った。アンコールワットフォトフェスティバルで選ばれた私の作品群を見て、これはいいとO氏が評してくれたことをきっかけに、メールのやりとりが始まり、会うことになった。私はO氏の、居場所というシリーズに、とても惹かれるものを感じていた。 会って即、写真の話が始まる。O氏が、その存在を撮りたいんだとしきりに繰り返す。私が気配を撮りたいと思うのと、多分それは重なり合うと感じながら私は聴いていた。彼は居場所を撮影するのに伴って書いた手記も持っていた。百ページ以上になるその手記には、彼が出会った人たちが宝石のように散りばめられていた。それを読み、写真を見た、それだけで、O氏というのが、蝶番のような役目を担っているんだなと感じられた。あちら側とこちら側とを繋ぐ、蝶番。私には、到底できないものだった。 彼と話しながら、細江先生の、「写真は関係性の芸術だ」という言葉を思い出していた。私には、目の前で話し続けるO氏が何だかとても眩しく見えた。羨ましいという感情は、不思議となかった。ただ、眩しく、きれいだと思った。そのまま突き進んでほしいと思った。 O氏が、私の写真を、あなたの写真はどちらにもいける写真だと言う。紙に鉛筆で図を書きながら、O氏が繰り返す。こちら側にもあちら側にもいける、そういう写真だ、と。私は自分の写真をそんなふうに分析してみたことはなかった。だから、その言葉は新鮮に私の耳に響いた。あぁ、私が出したものを、そうやって受け取ってくれる人がいるのだ、ということに、とても励まされる思いがした。 彼が居場所というシリーズを撮り始めたのが2005年、それから三年、そのシリーズに取り組んでいたらしい。2005年といったら、私は何をしていただろう。離婚して、途方に暮れて、でも娘と二人で何とか生きていかなければならなくて。あぁそうだ、私のリストカットの一番酷い時期と、もしかしたら重なっているかもしれない。そう思った。だからかもしれない、彼の撮った居場所の写真は、私にはとても親しいもので。同時に、切ないもので。だからとても貴重だと思った。それは、被写体になってくれた彼、彼女たちにとっても同じだろう。自分がここに在た、という証拠。それはどんなに貴重だろう。 この続きをぜひ撮って欲しい、と私はO氏に伝えた。それを撮った上で、一冊の本として、この手記と写真とを発表して欲しい、と。O氏は照れたように笑いながら、頑張りますと応えてくれた。私は、それが形になったところをもう想像していた。きっと、多くの人にとって大切な本になる。そう思った。
郵便ポストを覗くと、一枚の葉書が届いている。もう八十を数えるお年の女性からだった。丁寧な流れるような文字。季節の挨拶に続けて、先日の電話では、と話が続いている。ご心配おかけしました、ありがとうございました、と繰り返し書かれている。私は文字を辿りながら、よかった、とほっとする。電話では、彼女は、もう諦めた、としきりに繰り返していた。もう存在自体なかったものと諦めようと思う、と。 でも、そんなこと、容易じゃぁない。自分という存在をなかったものとするなんて、そんなこと、できやしない。でも、彼女にそう思わせるほど、彼女はあの時追い詰まっていた。 でもその後事態が変化し、今に至る。よかった、と思う。八十を数えるほどに生きているなかで、この数ヶ月、いや、今年という年は、どれほど重苦しかったろう。 最後に、娘さんとお二人の健やかな日々をお祈りしております、とそう書かれている。近いうちに、娘と二人でお返事を書こう。私は心にそう、メモする。
じゃぁね、じゃぁね。ママ、ごめんね。わかった。うん、じゃぁね。手を振って別れる。 出掛けに、思いっきりお味噌汁を零して、ソファーをぐちゃぐちゃにしてしまった娘。むやみやたらにごしごし拭くから、余計に汁がソファーに染み込んでいくのが分かる。でも私は手伝わなかった。ハムスターと遊んでいて零した代物だ。彼女にちゃんと最後までやらせるのがいいと思った。 雑巾の絞り方も何も、中途半端でやっているから、いつまでたっても終わらない。それを私は少し離れたところから眺めている。いつ手をだそうか、と考えている。でも、彼女の前でそれは止めておいた。本当は今すぐにでも雑巾を持って、私が後始末を始めたいくらいだったけれども。 自転車に跨り、走り出す。坂道を下り、信号を渡って公園へ。公園の緑は、朝陽を浴びて黒々とした影を池の水面に描き出している。空は水色というより白くて、まるで色飛びした写真のよう。 大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。今朝も大勢の制服警官が通りを行き来している。正直気分が悪い。私は警官が嫌いだ。警察官というものが信用できない。あの事件で関わって以降、それは変わらない。 ぞろぞろ歩く制服警官を追い抜かし、私はY駅方面へ真っ直ぐ走る。ただひたすら真っ直ぐ。大勢の人たちがビルの中に吸い込まれてゆく。今日一日、この人たちはここで仕事を為すのだなぁと、何となくビルを見上げる。ビルの向こうからは、朝陽が煌々と手を伸ばしている。 さぁ、今日も一日が始まる。私は自転車を駐輪場に停め、歩道橋を渡る。 |
|