みんな消えてなくなっちゃえばいいのに

2005年09月29日(木) しあわせでした。

彼は家族と過ごすことを決断しました。

ゆうべは彼と電話で話しながら泣いて、
切った後泣きながら携帯の彼のメモリを全てクリアしました。

彼と出会わなかったほうが良かったんじゃないか、と思ったりしたけど、
そんなことなかったです。

今まで彼に愛されてしあわせでした。



2005年09月18日(日) カーディガン

別れてから、私は眠れない。
彼は元気かしら、と心配になる。
寝付きはいいんだけど、夜中に何回も起きちゃうんです。
そして、昨日から不正出血。心と体はリンクしているのね。病院に行きたい・・・

今日は彼に預かってもらっていたカーディガンが
宅急便で届きました。
今までこの子は彼の部屋にいたんだなぁ。
添えられた手紙には、私の名前が何度も何度もでてきて
彼の想いを感じました。

夜は彼と電話する。
せっかく別れたのに我慢できないわたし。

「どうすれば都と一緒にいられるかなぁって考えてるよ」

「離婚すればいいんじゃないの?(笑)」

なぁんて、ばっさり言っちゃうぞ。
だって他に方法ないでしょ。
のんびり堂々巡りしてるあいだに、他の誰かに取られちゃうよっ

会いにきたい、という彼に、それは断りました。
別れた意味なし。



2005年09月17日(土) 不誠実

今日は3:3の飲み会。
男性陣は、気配り上手な男の子ふたりと、被害妄想の子ひとり。
前回と違って、男の子達が社交的なひとだったので
今回のほうが気楽で楽しかったです。

自己紹介で「都です。」と名乗ると、「スナックみたいですね」と言われ、
この日は「スナックみやこ」ということで、「都ママ」と呼ばれたり
スナックネタが続いてました(笑)

そういえばこういう席でよく言われる言葉。

「いつもこんな感じなの?」

こんな感じってどんな感じ?

「いつもこんなにおとなしい感じなの?」

はい、すみません。いつもこんな感じなんです。
私的にはだいぶ喋ってるつもりなんですけど。


飲み物注文してくれたり、食べ物とってくれたり、
気配り上手な男の人だいすきです。

その点にかけては、元ダーリンはピカイチだったのですが。



2005年09月15日(木) 「ずっと一緒にいてくれるの?」

昨日とおとついと彼からのメールに返信してない。
かわいそう。
朝、彼からメールが入る。
「おかえりなさい」と返信する。

どういうわけか、みいくんからお誘いメール。
普段何もない時は何もないのに、こういう時だけ全部重なる。

夜、彼と話す。
もう別れたい、不自由な身分から解放されたい、と正直に言いました。
お互いにいくら好きって言ったってどうしようもないこともあるでしょ。
今の状態がずっと続くと思っているような彼がこわい。

そもそも彼に離婚する気はないし、仮にその気があったとしても
彼に子供がいる時点で全てはアウト。
もし略奪婚してしまったら当然勘当。それは嫌なんです。
親兄弟、親戚と縁を切りたくない。祝福される結婚がしたい。
子供に一生消えない傷を負わせる張本人が私だなんて、
子供から一生恨まれ続けるなんて、まっぴらです。


「どうしても辛かったら、離婚して迎えにきてくれてもいいよ☆」

「そしたらずっと一緒にいてくれるの?」

・・・こんな反応がかえってくると思ってなかった。
ありえない事として、言ったのに。

「ひとりでも意外とやれるかもよ^^」

「やれない。どんなに都に依存してるか、都にはわからないよ。」

彼がかわいそうでたまらないと、
友人たちに話したら、私が彼をかわいそうと思う以上に
私のほうがかわいそうだと言われた。

私の望みは、誰からも祝福される幸せな結婚をして、
当たり前のことを当たり前に、平凡にしあわせな人生を生きること。
人並みの“ふつうのこと”ができる、ってとっても素晴らしいことです。

そもそも彼に出会わなければ、今私が生きていたかどうかもわからないから
もし彼が離婚したから一緒に居て(するから一緒に居て、ではなく)
と言うなら、親兄弟と縁が切れても
私はずーっと死ぬまで彼の傍にいてあげるのもいいなぁ、とも思う。今のところは

でも心配しなくても時間が全てを解決してくれるから。



2005年09月13日(火) 「もう別れよう」

彼が家族の顔を見ながらいろんな事を考えられたらいいなと思って
帰省中の彼にメールする。

「ダーリンもう別れよう」



2005年09月12日(月) 不幸になる量と幸せになる量

今まで私と別れる場合のことしか考えなかったので、
私と別れる場合と奥さんと別れる場合の両方の
不幸になる量と幸せになる量を考える。

離婚してしまったばっかりに、彼が出世できなくなったらいやだなぁ

「都と別れるの、なんかいやじゃない?」
という彼の発言がちょっと面白かった。
「雨の日って、なんかいやじゃない?」みたいで。


つらくてたまらない
早く別れたい

私と別れると言ってほしい



2005年09月11日(日) 今のわたしがあるのは

ところで、今となってはどうでもいい事だけど、みいくんは結局
私が友達にメールアドレスを教えてもらって、メールした後、
2〜3日後に盛り上がりに欠けるメールが戻って来て、クールダウン。
サヨウナラ。

彼とは別れることを決めたのはいいけど、結局
お互いのことが好きだね、ということを再確認してしまった
だけのような気がしてきました。
本当に別れられるんでしょうか・・・

彼とこのまま付き合い続けていたら私は幸せになれない。
もし仮に彼が離婚することを選んだとしても、
私も彼も親兄弟、親戚と縁を切ることになる。

彼が離婚することはないので、そんな心配はしなくていいのだけれど。

私と別れた後、彼は大丈夫かな、寂しくないかな、と考えるのは
私の高慢で、別に私がいなくたって彼はちゃんと生きていけるし、
私よりももっと素敵な彼女に出会えるかもしれない。

真剣に私が別れ話しをした時、彼は別れたくないとは言いませんでした。
都をこれ以上幸せにしてあげられないから、一歩ひくしかない。
今までのように見守っていなくても、都は生きていけるはずだね、と。

彼に出会った頃の私は、大量服薬で救急病院に搬送、その後一人暮らしから
実家へ強制送還。薬は取り上げられて、とても不安定な状態でいました。
彼にひかれるきっかけになったのは、
「子供の頃に、どうしてか理由がわからないことで親に怒られたりした?」
と、突然彼に言われたことでした。

当時の私は、「明るいほう」と「暗いほう(本来の自分)」の私を
使い分けていて、彼にはつとめて「明るいほう」だけで接していたので
びっくりしました。完璧にやれてると思ってたのに。

今のわたしがあるのは、彼と出会ったことが全て。
そもそも30まで生きる予定じゃなかったし。



2005年09月10日(土) 年内

彼のまわりでは、一体何人のひとが私の存在を知っているんだろうなぁ
と思います。
え、そのひとも知ってるの?え、そのひとも?
っとびっくりするほど彼はよく喋っています。
私の友達で知っているひとは少ないのに。2人だけ。

このままの状態がずっと続くと信じて疑わっていないように見える彼が
少しこわくて、この前別れ話をしました。
おそらく年内に別れることになりました。

「28〜30才の2年間、都を見守ることができて、しあわせでした。」

もう過去形になっている彼の言葉に、涙が出そうでした。


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