昨夜、ふとしたことから自分の書いた日記を読み返してみた。
私は何でも書いちゃうと気が済むタイプのようで、これだけ日記を書いていても、書いたものを読み返すことは滅多に無い(なので誤字脱字もそのまま放置されている)。時折「昨年の今頃は何をしてたっけ?」とて、かっきり1年前のものを読むことはあるが、初期に書いたものなど、自分で書いておきながら、何を書いていたかなんて、サッパリ覚えちゃいなかった。
日記を書き始めた頃は、愚弟がまだ入退院を繰り返していて「今回で7度目の手術」なんてことが書いてあった。その当時の出来事は人生の一大事レベルの大事件だったはずなのに、詳細など綺麗サッパリ忘れていて「そんなに何度も手術してたっけか?」と他人事のように驚いた。しかし書いたものを読むと記憶が蘇ってきて、日記には到底書けなかったことなども次々と思い出してしまった。いったい、どうやって自分と折り合いをつけていたのだか。まったくもって謎である。
あの頃の私が今の私を見たら、きっと嫉妬するだろうなぁ……と思う。
あの頃の私は「弟が完治してくれることだけで充分です」なんてことを本気で思っていた。それ以降も、願い事と言うにはささやか過ぎるような、つくづく涙ぐましいようなことを思って生きていたようだ。
最近の私は傲慢になっているなぁ……と、当時の日記を読んで反省した。
現在の恵まれた環境は、周囲の支えあってこそなのに、そのことを忘れかけていた。もちろん私自身の頑張りもあるので「すべて皆様のおかげです」だなんて卑屈なことは思っちゃいないが、自分1人でやってきたように思うのは勘違いも甚だしい。
愚弟が事故にあった翌日、東京から駆けつけてくれた友人のありがたかったこと。遠い大阪南地方から、地元駅まで来てくれた友人に抱きしめられて泣きそうになったこと。影となり日向となって支えてくれた年長の友人達。一緒に頑張ってきた乙女な母と愚弟。そして、これから共に歩いてくれるという未来の夫。彼らにはどんなに感謝しても足りない。
「もっと・もっと」と思うのは人間のあるべき姿だし、そうでなければ前へ進めない。だけど、今の状況に満足したり感謝することも忘れちゃいけないよなぁ……という当たり前のことを、今更ながら気付いた。
当時の日記は稚拙で卑屈で、自分自身で読み返すには少々キツイ代物である。人として恥ずかしいことも沢山書いているのだけれど、書いたものを消さずにいて良かったと心から思った。
……なんて新年早々、いつになく殊勝なことを思った。そんなことを言いながらも、すぐにまた俺様的発想でもって自分勝手な思考に身を浸してしまうのだろうけれど、大事なことは出来るだけ忘れないでいよう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
昨日は未来の夫の実家へ新年の挨拶に行ってきた。未来の夫の母……義母は某ニュータウンで1人暮らしをしている。
彼と親しくなって結婚の話がチラリと出て「父親は高校時代に亡くなって、母親は1人暮らしをしている」と聞いた時は、ちょっと引いた。相手の親との同居が嫌だとか云々ではなくて、私の家の事情から結婚後も色々な面から実家を助けていかなきゃいけないので「夫の親と同居」では、自分の動きが取り辛い……という理由で。しかし彼は3人兄弟の末っ子(長男、長女のいる次男)で、長男は大阪市内で医師をしていて同居こそしていないけれど、母親の面倒は彼がみているし、将来的にニュータウンの家も長男が貰うことになっている……とのことで、新居は私の実家の近くに構えることになった。
寡婦になって17〜18年の義母は年齢よりずっと老けて見える。
ニュータウンの家は所謂ところ豪邸の類。だが、その生活は長屋暮らしの我が家よりも、ずっと慎ましくて、義母の身につけているものも乙女な母よりずっと地味だ。義母の生活をよく知らないうちは「悠々自適の暢気な1人暮らし」だと思っていたけれど、どうやらそうでもないらしい。子供達が行き来するのも控えめのようで。お正月は年末に長男一家が顔を出しただけで、長女一家は来ないとのこと。夫の実家は、なんとなく寒々しくて侘しい感じがした。義母がどうして電話好きなのか、ちょっと分かったような気がする。
私は末っ子次男の嫁になる人間で、未来の夫の実家云々のことに口出し出来る立場でもなく、彼が次男である恩恵を受けているのだけど、なんだか複雑な心境。自分の母親は、なんだかだ言いつつも我がまま放題に暮らしているだけに。
未来の夫に「結婚して生活が落ち着いたら、ちょこちょこ顔を出しにいかないとね」と話をしたが、彼はイマイチ実感が持てていないらしい。次男って、こんなものなんだろうか。それはそうとして、義母を大事にしてあげないとなぁ……と思った。
正月早々「あぁ…結婚するんだ」ってことを自覚させられた。
お正月も本日で終了。明日からまた日常生活が始まってしまう。1月ちょっとで結婚式だし、腰痛をなだめつつ、ガッツリと頑張らねば……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
元旦くらいは何もせずに1日過ごそう……と言う志に従い、昨日は1日ダラダラ過ごした。
台所仕事と洗濯だけは逃れられないのだが、それ以外は何も手につけず、まったり・まったり。乙女な母と愚弟は映画を観に出けるのを見送って、私はコタツの中でお笑い番組など鑑賞。お笑い好きなのに、ここのところはM1と正月番組くらいしか腰を据えて観る機会がない。深夜に放送しているものは、ちょこちょこチェックしているけれど。取り立てて心に残るコンビはいなかった。贔屓にいしている南海キャンディーズもイマイチな感じ。露出し過ぎてネタを煮詰める時間が無いのだろうか? バラエティ番組でのネタと、時間の枠の中で目一杯ネタを披露する漫才は全く別物だと思う。
テレビを観た後はゲームなど。年末、Fから貰った『プリンセスメーカー4』を。ゲームは所詮、遊びだが、いい加減に手を付けたのが悪かったのかゲーマーらしからぬ無残な結果に。また、ちゃんとやり直そうと思うが、仕事が始まったら嫌が応でも封印されてしまうのだろう。封印を解くのは結婚のバタバタが終わってからになりそう。
そんなこんなでご機嫌に「だらだら日和」を満喫した訳だが、幸せ一杯……とは言い難かったりする。腰痛が酷くて、1日中、腰を庇う感じで動いていた。年末に予定を詰め過ぎたのが敗因か。私の場合は背骨とか脊椎間の異常からくる腰痛ではなくて、慢性的な疲労と凝りによるもの。整形外科では「綺麗なレントゲンです」と追い返されるが、東洋医学的には要治療。4日の仕事初めは残業せず、整骨院へ行かなくては。疲れが溜まっているのか、お正月のご馳走も美味しく感じなかったのは残念である。
夕食を食べに来た未来の夫は「のんびり過ぎる1日」を、いささか持て余していたと言っていた。忙しく動くのがデフォルトになっていたから、かえって落ち着かなかったとのこと。……不憫だ。私は「休み足りない」と思っているくらいなのに。
今日は夕方から未来の夫の実家へ。夕食をご馳走になりにいく。まだ関係がはじまったばかりだからかも知れないけれど、彼のお義母さんとは上手くやっていけそうに思う。電話をするのも、遊びに行くのも、億劫に感じないのはありがたい。手土産は何を持っていこうかな……なんてことを考えつつ今日の日記はこれにてオシマイ。
2006年01月01日(日) |
あけましておめでとうございます |
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
……年の始めのご挨拶は定型文で。以前はこう言った型通りの言葉を嫌っていたが、年を重ねるにつけ「いいもんだなぁ」と思うようになってきた。名言を残した先達のように気の効いた言葉が浮ばないとなると無難な路線がよろしかろうと。
今朝は目が覚めると携帯電話に「おめでとうメール」が幾つか届いていた。昨夜は日付が変わる頃までは辛うじて起きていたのだが、岡村の炎のシリーズを見届けることなく寝てしまった。毎年頑張るよなぁ。その健闘には頭が下がる。それにつけても、あの大掛かりな仕掛けを毎年考えている人も凄いと思う。日本のマジシャンなのか、海外のマジシャンなのかは知らないけれど。大掛かりなマジック(今はイリュージョンって言うんだっけか)は仕込みと練習が命と聞くので、ただひたすらに「凄いなぁ」と感心するのである。
元旦ばかりは新居の片付けもお休み。年末は新居に食器棚が届いたので100均で買ってきた食器を並べたり、洗濯物干の台を組み立てたりと働き詰めだった。中古物件ということもあるし、私自身がすでに自分の家事スタイルを身につけていることもあってか、新婚&新居だというのに、いきなり生活感があふれまくっていて「綺麗だけど落ち着かないね」って感じが全くない。もう何年か暮らしているような錯覚さえ覚えてしまう。テーマは寛げる家。お洒落でなくてもいいから人の集まる家にしたい。
今日は自宅でまったり過ごす。夕方、未来の夫が夕食を食べに来るまでは、私も自分の好きなことをして過ごすつもり。久しぶりに本の感想でもまとめてみようと思ったり。1日中のんびり出来るだなんて、なんて素敵なんだろう。家族が起きてくるまで、珈琲を飲みつつPCに向かう幸せを満喫中。みなが揃ったら、お雑煮を作ろう。
それにつけても元旦っていいなぁ。昨日と何も変わっちゃいないのに、ちょっと特別な感じがすると言うか。今年も良い年にしたいなぁ……なんてことを思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。