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2020年07月24日(金)
『シークレット・ジョブ』

『シークレット・ジョブ』@シネマート新宿 スクリーン1


『エクストリーム・ジョブ』の制作チームが再集結とのふれこみ。『エクストリーム〜』では捜査拠点を隠すために開いたチキン店が繁盛しちゃってましたが、こちらの動物園はひとが来ない。さあどうする。

売却が決まっている動物園に少しでも付加価値をつけるべく送り込まれた弁護士と、事情を知らない四人の職員。収益をあげるため、動物園を再生させるため、新園長となった弁護士が考え出したのは着ぐるみの動物たち。ホッキョクグマ、ライオン、キリン、ゴリラ、ナマケモノに扮した職員たちは文句をいいつつも客を呼び戻すため奮闘するが……?

「いや、無理だって」と思いつつも、着ぐるみが確かによく出来ているということもあり「遠ければわからないって!」とか「この角度からなら大丈夫だって!」という無茶苦茶な理屈にだんだん同調してしまう(笑)。そして職員たちを応援したくなる。なんだかんだで皆動物と、動物園のことが大好きなのだ。腰を傷めても出演(?)し続けようとする前園長、新園長に反発しつつも的確なアドバイスをする獣医、ボヤき乍らもトレーニングに励むうち本気になってしまうゴリラ担当の子。そしてあまりやる気がなさそうに見えたナマケモノ担当の子が実は…というところで、もう……。あんなさ〜業務中にも彼氏とのカカオトークに夢中だったあの子がさ〜!「キエー絶対動物園再生して!」と握りこぶし。

自身の出世のためにやってきた弁護士が、だんだん園長として動物園を守りたいという気持ちに変化していく流れも素敵。コカ・コーラを飲むホッキョクグマを看板にしよう! って辺りからもう寓話めいてくるので、ハラハラしつつも楽しんで観られました。『ワールド・ウォーZ』でブラッド・ピットがペプシコーラを飲むシーンから楽しくなっちゃったのと同じ原理です。普段だったら動物にもの投げるシーンでおまっ何すんだと思いますが、コメディとして観ると決めると「演出」として楽しめるというか、作り手側が観客のことを「現実との区別がつく」と信用しているからなのだろうとも思いました。『ワールド・ウォーZ』ではペプシがスポンサーなのかなと邪推したもんですが、今回はコカ・コーラの宣伝になるなあとニヤニヤしたり(笑)。

観終わったあと振り返ると、強烈な風刺に気付きます。お金を動かすため、いきものたちが暮らしている環境をいとも簡単に破壊する。狭いところに閉じ込めて見世物にする。職員たちは動物に扮することで、来場者が動物たちに対して行なっていることに初めて気付いたのかも知れません。こういうとこも、非常時における人間の本性を容赦なく描いていた『ワールド・ウォーZ』と共通点あるなあ、意外にも……。

だからこその、あのラストシーン。ひととき彼らを見つめたクマは「黒ハナ」だったかも知れない、でも違うかも知れない。黒ハナは彼らとわかってこちらを向いたのかも知れない、でも違うかも知れない。動物と人間は心を通わせたのでした、なんて結末にしないところに好感が持てました。安易に動物を購入出来ない理由として、ワシントン条約にもしっかりふれていましたね。

初見の役者さんばかりでしたが皆良かったなあ。弁護士役のアン・ジェホン、ケンチャナヨ精神に溢れる人物像でまあ憎めない。イラっとするとこもあるけど……ってかむしろ、同期の弁護士がいいひとすぎて気の毒になった(笑)。ナマケモノを演じたチョン・ヨビンがチャーミングでめっちゃ好き! 冷酷な上司とかキエーって感じの取引先とか出てくるんだけど皆ちょっとどこかヌケてて、彼らをやっつけてこらしめよう(まあ結果的にはこらしめられるんだが)! じゃなくてうまいこと利用しよう! って方向に転がしていくのも面白かった。成程原題は「해치지않아(傷つけない)」。英題は『Secret Zoo』。2020年、ソン・ジェゴン監督作品。

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・日本版予告編


・『シークレット・ジョブ』動物園を着ぐるみで再建?単なるコメディじゃない「3つ」の見どころ!┃シネマズ PLUS
来場者の行為についての考察に頷く

・동물, 원

韓国の動物園ものといえばこのドキュメンタリーも観たいんだ〜。日本公開してほしいなあ

そしておまけ。

・「コカ・コーラ」を象徴する人気者・ポーラーベアCGアニメ誕生の舞台裏┃コカ・コーラ公式ブランドサイト
・きっかけは愛犬とのじゃれあいだった!? 「あの名作CMは、こうして生まれた」 ──「コカ・コーラ」ポーラーベア篇┃コカ・コーラ公式ブランドサイト

・Coca-Cola Polar Bears Film 2013 produced by Ridley Scott

リドリー・スコットプロデュース作品もつくられている程ですよ。コカ・コーラといえばホッキョクグマ(!?)

・ブラピのペプシCM 【自作】

ブラピとペプシ、こんなのも作られてます(笑)

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・近場ってのと待ってた作品が次々かかるってのもだけど、シネマート新宿の場づくりが楽しくて通いつめているここ最近。韓国映画が沢山かかるのは勿論のこと、シアターNなき今、ハードコア/アンダーグラウンドものはシネマートとイメージフォーラムが一(二か?)手に引き受けてる印象を受けます。頼りにしてます! 延期されている『UNDERDOCS』も楽しみに待ってます



2020年07月11日(土)
『マルモイ ことばあつめ』

『マルモイ ことばあつめ』シネマート新宿 スクリーン1


twitterで指摘されて思い出したが、ユ・へジンは『1987 ある闘いの真実』でも反政府運動を援護する看守役を演じていた。『タクシー運転手 約束は海を越えて』では光州の運転手たちのその後は描かれない。彼らはあのあとどうなったのだろう?

原題は『말모이(マルモイ)』、英題は『MAL・MO・E:The Secret Mission』。2019年、オム・ユナ監督作品(脚本も)。カバンを盗んだ男がカバンを届けるべく走る。字を読めなかった男が手紙を書く。カバンのなかには集めた言葉たちが入っている。男の書いた手紙は時間と空間を超え、こどもたちに話しかける。何故言葉なんか集めるんだ? 金を集めるならまだしも。かつてそういった男は、言葉と文字が果たす意味を知り、言葉によってその思いを記録として残す。朝鮮語学会事件に想を得たストーリーは、学者たちに協力してことばを集め続けた、公の記録には残らない市井のひとびとのにスポットをあてる。

字を覚えた主人公が、読める! 読める! と街中を歩き、次々とその言葉を口にする。ただの記号の羅列が、鮮やかにその意味をもって輝き出す。そのシーンの美しさ。そうして手にした言葉を奪われることへの怒り、悲しみが、彼を行動に向かわせる。前科者であるが故に信用されず、何かあればすぐ疑われてしまう。それでも彼はくさらず、ユーモアを忘れず前に進み続ける。犯罪者といわれるひとたちが仕事を求め、あるいは故郷を追われて首都に出てくる。だからソウル(京城)は朝鮮語の方言を集めるにはもってこい。字を覚えるという「学び」とともに、彼のバイタリティがひととひとを繋いでいくさまは痛快だ。

だからこそ、それが断ち切られる場面はつらい。彼らの名前や言葉を奪っていくのは日本人なのだから尚更だ。何故この時代、彼らが必死の思いで自国語を集め残そうとしていたか。観ているこちらは向き合わねばならないことが沢山ある。『暗殺』『密偵』では登場した、朝鮮人に協力的な日本人はいない。『爆裂野球団!』のようなのどかさももはやない。

とはいえ、ひとりの市民を軍と警察総出かというくらいの人数で追いかけたり、銃弾が心の臓にヒットする等、あまりに劇的というか戯画化されている印象も受けた。事実と違うと当事者の家族から批判された(ユルゲン・ヒンツペーター氏を「光州事件の現場を取材した唯一の外国人記者」とし、斎藤忠臣氏については全く触れていないことも指摘しておきたい。斎藤氏についてはこちら参照)『タクシー運転手』でもそうだったが、オム監督は社会問題をエンタメとして見せるために極端な手法を用いる傾向があるように感じる。ホットクやたんぽぽの語源について等、個々のエピソードは素敵なものばかりだったので、違う構成、演出で観てみたかったと思うところもある。

忘れてはいけない、なかったことにしてはいけない、だからいろいろな形で記録を残す。それは、所謂検閲(一般市民も検閲をする)をくぐりぬけるための符丁のようでもある。そこから過去を知り、史実を自分で学んでいく。監督は学びの一歩を示してくれた。そんなやりとり、機会をなくしたくない。パンフレット巻末に宣伝担当の方の言葉があった。本作が「売れ残って」いたこと、上映劇場にいやがらせがあるのではと不安だったこと。たった一本の映画を公開するのに、そんな心配をしなければならないなんて。『暗殺』ですら日本公開にこぎつける迄にしばらくかかったし、『軍艦島』は某社が買ったという情報はあったものの、その後公開もソフト化もされていない。『マルモイ』を日本で観られてよかった。公開にこぎつけてくれて、本当に有難うございました。

以前はチマ・チョゴリの制服を着た女学生を電車で見ることはあたりまえだった。SNSにはヘイト発言が溢れ、都知事選ではレイシストが11万もの票を集める。こんなのって、やっぱりおかしい。「カバン(가방)」は朝鮮語も日本語もほぼ同じ発音だった。いつか歩み寄れると信じたい、歩み寄るための努力はやめたくない。

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・輝国山人の韓国映画 マルモイ ことばあつめ
いつもお世話になっております。パンフレットに載らない配役もくまなくわかるのほんと有難い。『タクシー運転手』では残忍な私服警官役だったチェ・グィファが今回はことばあつめに協力する郵便配達人役ってところにニッコリ。そして中学生になった娘役を演じたユ・ウンミって、『タクシー運転手』の主人公の娘役だった子なの! こういうキャスティングの妙を知ることが出来るのも楽しい。今回の娘役だったパク・イェナ(めちゃくちゃかわいい!)も、何年後かにこんな役を演じることもあるかもな。
そうそう、『パラサイト』のお手伝いさん役でも印象的だった名優、イ・ジョンウンも出ていてわっとなりました(知らなかった)。せんだみつお似ということで覚えるのも早かった(笑)ソン・ヨンチャンは今回はなかなかの悪役というか……こういうひとって当時は沢山いたと思うんだ。それを悪役として描くしかなかったってところが今作の弱点でもあるかなあ





・Seoul Music
韓国の方による「Seoul Music/京城音楽」解説。46歳の彼らは、今85歳。当時を知るひとがいなくなると、頼りは記録しかない



2020年07月05日(日)
『大地 Social distancing Version』

『大地 Social distancing Version』@PARCO劇場


2011年3月12日に、PARCO劇場で『国民の映画』を観た。そして今回、コロナ禍により閉鎖されていた劇場が再スタートしたタイミングで最初に観たのも三谷幸喜作品。思えば、劇場が封じられてから最初に観た配信リーディングは『12人の優しい日本人』だった。決して三谷作品の熱心な観客ではないが、歴史に残るといってもいい非常時に直面したとき、何故か彼の作品が傍にある。

以下若干ネタバレあります。

三谷さんによるご挨拶(音声)で幕開け。「(現代演劇の礎である)築地小劇場は銅鑼の音とともに開幕しました、再びこの劇場の幕を銅鑼の音とともに開けたいと思います」。黒子が登場、一瞬の静寂、そして打ち鳴らされる銅鑼からの暗転。流石に涙出た。

映画スター、世界中を旅したパントマイマー、大道芸人、劇団主宰、女方、演劇を学んでいた学生……さまざまな出自を持つ役者たちが「反政府主義者」として捕らえられ、収容所に送られてくる。指導員と取引する。政府役人の目を欺く。役者たちはさまざまな役まわりを演じることで生き延びようとする。人間としての尊厳を踏みにじられるような日々をなんとかやり過ごしていた彼らは、ある日ひとつの選択を迫られる。

“Social distancing Version”とサブタイトルがつき、当初の演出とは違うものになった。正直観ている側も、役者同士の距離が近づく度にヒヤリとする。しかし、その「距離を保つ」という条件を逆手にとった仕掛けが面白い。収容者たちの居室が区切られていること。豚の飼育作業から帰ってきた者には臭くて近寄れないこと。やがて観客は、その条件をある種のスリル(というと語弊があるかもしれないが)とともに楽しめるようになる。

ひとりの若者が大人たちと一定期間過ごし、痛みを伴う喪失や苦い思いを経て成長する。三谷さんの作品ではよく見られるフォーマットだが、その登場人物とともに、観客も成長する(ワタシは若者じゃないがな…いくつになっても学び成長することは出来るのや……)。役者たちは理不尽としかいえない理由で「反政府主義者」というレッテルを貼られる。そして「政治の仕組みが変わって」そのレッテルが剥がされる。何が起こって「仕組み」は変わったのか? それは示されない。作品は煽動しない。答えを明示しない。答えは自分で探すのだ、想像力をフルに使って。「利用するんだよ」という言葉の意味を考える。

劇場の灯が消えても、台本をとりあげられても、役者とロウソク一本の灯があれば芝居は出来る。しかし、そこに観る者がいなかったら? どちらが不在でも成り立たない。この舞台にはそれが描かれていた。三谷さんは今作を「俳優についての物語」といったが、これは同時に「観客についての物語」でもあった。

大泉洋は、演じる側として観客の役目をも果たす。三谷さんいうところも「いわゆるあて書き」、悪いヤツじゃないんだけど、なんとなく疎ましがられる。毒づき、ボヤき、手段を選ばず、それは自分のためでもあり、仲間のためでもある。でもその仲間は、彼のことを仲間を思っていないかもしれない……そんな悲哀も抱えている。たちの悪い『泣いた赤鬼』の青鬼のよう。一人称が「アタシ」なところにもニヤニヤ。与えられる役と自身のギャップに葛藤する映画スター役に山本耕史。腹のなかが見えないところがまた“らしい”。女方という職業故ある役割を負わされる竜星涼の激情、「おじいちゃんの狡猾」をかわいげで表現する浅野和之に唸る。そして相島一之の信念の強さにすら揺さぶりをかける三谷さんの怖さにまた唸る。

そして今回の「成長する若者」、濱田龍臣。かわいがられ、守られる存在だった収容所時代と、その追憶を辿る現代(だろうか?)。ふたつの時間を演じるのは彼だけだ。ひとは変われるが、そうは変われない。気の優しい、声がちいさい(そう感じる。しかししっかり台詞は通る)彼が誰かを、何かを守るときが来たとき、どんな行動をとるのか。次世代に何を伝えてくれるのか。それを見たいと思わせてくれる演技でした。今回の座組最年少、2000年生まれの19歳(!)。『龍馬伝』のあの子がこんなに大きくなって……! 今後も楽しみ。

幕が開いた一週目ということや、これ迄とは違う注意点が多い舞台ということもあり、演者にはまだこなれていないところがあったように思う。思い切った動きや発声の範囲を測っているように感じられたところもある。これはやる側も観る側も、徐々に慣れていくしかないだろう。何しろこんな環境で舞台が上演されるのは初めてのことなのだ。演劇や物語を全く必要としない政府の役人が、役者たちの他愛のない(そう描かれていたと思う)芝居によって右往左往させられる場面に胸がすく。非常時におけるエンタテイメントの必要性、という難題には、これからも向き合っていかなければならない。

荒涼とした大地に建てられたバラックのような収容施設(美術:堀尾幸男)は、八百屋舞台によりどの居室も客席から見えるようになっている。奥であればある程勾配が厳しいと思われるが、その最奥中央が浅野おじいちゃんの居室だったというところが恐ろしい(笑)。寒空の自然光を表現する服部基の照明も素晴らしかった。

終演後鳴りやまぬ拍手にまたもや三谷さん、「カーテンコールはありません、皆さっさと帰ってください! 役者さんは出てきません、浅野さんは次回の上演に向けて眠りに入りました!」なんて憎まれ口。笑い声とともに、客席からの拍手はしばらく続いた。あの拍手は「なんかくれ、おまけくれ」といった悪ノリの拍手ではなく、舞台を開けてくれたひとたち、舞台をつくりあげてくれたひとたちへの、心からの感謝と激励の拍手だったと思う。

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役者だけでなく「劇場」の容貌も観られるのがうれしいティザー

・【舞台動画あり】三谷幸喜の新作舞台『大地(Social Distancing Version)』が開幕へ! 初日前のフォトコールをレポート┃SPICE
・PARCO劇場再開!劇世界とコロナ禍が交差する、三谷幸喜「我ながら先見の明あり」┃ステージナタリー


出演舞台が次々と中止になり、悩み悲しみつつも配信等新しい試みに次々と取り組んでいる篠井さんの様子はtwitterで毎日のように目にしていた。そしてこうして舞台に関わっておられる。知ることが出来てうれしかった。
一緒に写っているのは来場者登録のご案内。万が一感染者が出た場合連絡がとれるように、観劇日時、席番、個人情報等を提供するようにとのこと。今後必須になっていくのかな

・入場時に検温と手の消毒、というのはもはや何度も経験しているが、靴底消毒(劇場入口だけでなく、トイレ出入口にもあった)は初めてだった。だよなー鳥インフルが出た地区とか小笠原諸島に入るときもそうだもんなあ。この徹底ぶり、信用したいし感染者出てくれるなと祈るような気持ち

宝塚の観客たちのことを思い出しました。劇場も出演者もこれだけ手を尽くしてくれている、当然こちらも徹底して用心せねばという気持ちになる

・さて新しくなったPARCO劇場。場内の雰囲気はそのまま、キャパは増えた。あの段差がなく非常に観づらいXA〜XC列がどうなっているかはわからないが、自分がいた後方席は千鳥配置で段差もあった。前列のひとの頭も被らず観やすい。
ロビーの動線がちょっと不思議、というのは前からそうか(笑)。トイレが劇場の下階になっていて道に迷う。ホットプレートで温めるロールパンのホットドッグを売るカフェはなくなっていた。歌舞伎座の甘栗売場がなくなったのと同様、こういうのってジワジワさびしいな

・もともとの公演期間分のチケットは全くとれなかった。今回とれて驚いたんだけど(職場で当選メールを開けて、思わず「まじで」と口に出た)……「遠方(県をまたぐ)なので行けない」「遠方じゃないけど渋谷には行きたくない」「同じく劇場には行きたくない」等の要因で、観劇に二の足を踏んだひとが少なからずいるからだと思われる。一度足が遠のいた観客たちはどうしたら戻ってくるか、制作者はこのことを考えていかねばならないんだな……

・PARCO劇場では新潟中越地震が起こった日に『夜叉ヶ池』を観ている。開演直前に本震、その後度々揺れが起こった。あのときの松田龍平の動じなさと武田真治のアドリブ力、今でも鮮烈に憶えている。彼らのことを信じよう、彼らが芝居を止めたときが避難するときだ。PARCO劇場のスタッフならきっと観客を安全に誘導してくれる。そう信じようと思った。これは今も自分のなかで続いている

・こういうとき、いつも脳内で聴こえてくるのは上田現の「ラルゴ」だなー。「だましてもいいぜ ずっと待ってる」