2015年09月30日(水) |
どうでもいい堂々巡り |
昨日分のエンピツ日記は、私にとっては絶対に忘れたくない事柄ではある。
かといってWEBに思いの丈を晒すのは、少々みっともない感じもする。 「いい男」だなんて、本当ならば極力回避する表現なのだが、 そうとしか言えない出来事だったから仕方がない。
もしもこの後、日記の更新を怠ったらば、いつまでも 「江戸前のいい男」について書かれた文章が表玄関を飾ることになる。
それはいかにもまずい。
ということで、これから内容のない駄文を連ねて、上書きするのだ。
しかしここで、内容のない駄文も相当にみっともないことになるから、 また上書きしたくなるだろう、ということに気が付いた。
まるでミュンヒハウゼン男爵の話みたいな、どうでもいい堂々巡りだ。
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2015年09月29日(火) |
ほれぼれするような江戸前のいい男 |
大川の向うの街へ。
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「ほれぼれするような江戸前のいい男。」
生まれて初めて、そのような人にお行き会いした。
顔だち、肌の色つや、話しぶり、その他の所作、物腰。
ああ、かっこいいなあ。 この初老の男性が話すのを、いつまでも見たり聞いたりしていたい。
まるで昭和の映画から飛び出てきたようだ。
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東京は、氏素性のわからない、お金しか持っていない人ばかりで、 山の手であれ、下町であれ、川向うであれ、 地域の文脈を身中にもっている人は消滅したと思っていた。
でもそれは、自分の研究不足であったことが、 本日、喜びをもって実証されたのである。
2009年09月29日(火) 生活の隅々に入り込むゲーム的思考 2005年09月29日(木) 2004年09月29日(水) ルナティックタイフーン
世界の終わり、否、SEKAI NO OWARIの「プレゼント」なる曲。
ひとりぼっちになりたくない ここにいてよ、と歌っている。
合唱曲にアレンジされているものを偶然聴いたのだけれど、
これが若者の歌か?と驚いた。
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「お母さん、独りぼっちになりたくないなんて思ったことがないよ」
そうAに言ったら、そんなデリカシーのないのは人ではない、 とでもいうような反応。
今日日のティーンエイジャーは、そんなに孤独が苦しいのか?
自分の周りに「独りぼっちになりたくない」と主張する人がいる。 そう思うだけで、こちらは苦しくなりそうである。
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反動のせいか、Billy Joelの「My Life」の
I don't care what you say anymore, this is my life Go ahead with your own life, leave me alone
というくだりが、頭の中をリピートする。 私はそうして、精神的なバランスをとっているのだろう。
2011年09月13日(火) 夜空に輝く美しい月にいる 2006年09月13日(水) 知りたいのはそれだけだ 2005年09月13日(火) 同じ糠床の中に居る 2004年09月13日(月) 厄年センサー
長年にわたり愛読させていただき、勝手にWEB日記の師匠と仰いでいる「JIROの独断的日記」から。
「選挙結果を無視して、デモで法案が成立したり廃案になったりすることは民主主義の体制的安定制を脆弱にしてしまうのです。」
安倍政権の推し進める安保法案への反対デモについて、このように記載されていた。
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安保法案には反対、安倍政権はとうてい支持できないと思っていたが、 デモに対する、くすぶるような小さな違和感と、 何かが望まない方向にひっくり返るのではないかという心配は、 この一文でああそうかとすっきり胸におちた。
どんな政治評論家も、経済評論家も、市民団体も、このことに気づいていない。
慧眼、とはこの方の意見のようなことを指すのではないか。
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