2014年05月28日(水) |
矢野久美子とハンナ・アーレント |
在宅の安楽をかみしめながら、明日からの出張の準備。 旅がらす2回戦目である。
矢野久美子著「ハンナ・アーレント――「戦争の世紀」を生きた政治哲学者」を読む。
私のように、映画に続いてこの人に迫りたいという人には良い入門書になっている。
主に20世紀の前半を生きた人であるから、 私とは「同時代を生きた」とは言えない。
けれども、今の日本の政治−憲法解釈を変更して集団的自衛権を行使しようと動いている−を理解し、 向かいつつある状況を回避するために私が何をするべきか考えるとき、 この人の言葉ほど心強く脇を固めてくれるものはない。
ハンナ・アーレントの残したものが大変有難いのは言うまでもないが、 それを一般読者へ上手く伝えることができた著者の矢野久美子さんも、素晴らしい仕事をされたと思う。
2005年05月28日(土) ジンジャー 2004年05月28日(金) 子殺しという生態
夜汽車の客となり、日本海を北上する。 県境の山を越えて、再び山国へ。
ヘッドフォンをつけて、ノートPCから音楽を聴く。 時代錯誤とも言えない、ポータブルとも言えないスタイル。
「黄昏のビギン」。 言わずと知れた、永六輔作詞、中村八大作曲、歌はちあきなおみである。 永六輔さんは文化人とかテレビやラジオのパーソナリティと評されるが、 その前に、偉大な作詞家なんである。
昭和の歌を残した人々がほとんどみな彼岸へ行ってしまった今日で、 ご存命であり、しかも、現在もリアルタイムで語りかけてくれることを、 嬉しいことだと思う。
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しみじみした後で、ハナ肇とCrazy Cats。 お馬鹿な歌が、PCから私の聴覚にのみ出力される。
もしも何かのひょうしにヘッドフォンのコードがPCからすっぽ抜けたりしたら、 相当な音量で「♪そんなこたどうでも!い〜じゃねえか!」とか、 「さば言うなコノヤロ〜!」なんていうのが、静まり返った車内に響き渡ってしまう。
もう少し言うと、出張帰りのスーツ姿のおばさんのPCから、である。
まずい。 ジャックの部分を手で押さえ、絶対にその手を離さないよう注意し続ける。
こんな状況に置かれた者でなければわからないことだけれど、 今の時代に公衆の面前でクレイジーキャッツの歌を聴くというのは、 猛烈に背徳感を感じるんである。
何しろこの狂った猫達の歌は、 コンプライアンスとか、安心安全とか、絆だとかいう、砂糖菓子のような約束を、 ラッパを吹き鳴らして根こそぎなぎ倒していくからだ。
2007年05月27日(日) お受験母 2006年05月27日(土) 2005年05月27日(金) 梅涼 2004年05月27日(木) 適正表示
2014年05月26日(月) |
ぼんやりと感じる浮かれた気持ち |
ホタルイカ文化圏へ。
北陸は、新幹線開業に浮き足立っている。 駅前広場が整備され、おわら風の盆や蜃気楼をPRすることに邁進している。
数年前まで、錆びた貨物列車ばかりのさびれた駅たちは、 東京や大阪を往復するビジネスマンであふれかえっている。
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広域インフラは、両刃の剣だ。 採算がとれると判明した資本が、地方へ流入して 人も文化も歴史も収奪される。
地方が溶脱していくそのことは、もう既にあちこちの地方都市が経験していて、 「ストロー現象」と、定義さえされている、
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その景気の良さは、祭りの前のような浮かれた気分は、 本当にあなたたち自身から発せられたものであるか。
巨大なコンクリートの櫓を目の前にして、考える。
誰がどんなふうに「浮かれている」かには、きっと温度差がある。 そしてもちろん、地域が損なわれていくことを「嫌だ」と思っている人もいるのだ。
そして、私が興味があるのは、 直接何の利害関係もなく、また新幹線の開業にとりわけ強い関心があるわけでもなく、 他の出来事にも同程度に関心をもっていて次の瞬間はそちらへ思考が移ってしまうような人が、 「ぼんやりと感じる浮かれた気持ち」なんである。
そうしたことを、よく研究したいのだ。
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