浅間日記

2013年05月23日(木) 私家版 甘えの構造

穂高へ母を連れていく。

この方の場合、病後の経過が良いのか思わしくないのか、
どうにもよくわからない。
調子が悪い悪いと言っては、遊び歩いているからだ。

そこで思い切って、しっかり休養のとれる場所へ、
逗留してもらうことにした、という訳である。

同宿の人から、母娘で仲が良くて羨ましいですよ、と声をかけられる。



別にそういう訳じゃないよ、仕方がないんだよ、と心の中で思う。

もちろん母は好きだ。
でも仲がいいとか悪いとか、そんな平面的な問題ではなく、
(もっと言うと、母と娘はそう簡単に仲が良くなどならない)
とにかくこの人が生きていてくれなければ自分は誰かの子どもとして存在できない、

その厳しい状況にまだ耐えられないから、そうするのだ。

2010年05月23日(日) 
2007年05月23日(水) 
2006年05月23日(火) 大河への憧れ
2005年05月23日(月) 
2004年05月23日(日) 



2013年05月22日(水) 差し引かれたものと連理の枝と

高倉健主演「ホタル」。

「寿命が尽きるまでは生きようと決めたでしょう・・・」
「・・・二人で一つの命じゃないか」

二人で一つの命か、と一人ごつ。



引き続き、
三船敏郎主演「静かなる決闘」。

二人で一つの命になるために、
生を受け親の愛情で満たされたはずの人生は、運命によって差し引かれる。
例えば、不運な手術によって梅毒をうつされたり、
例えば、悪い男に騙されて未婚の母になったり。



一人では成り立たない、二人で一つの命。
生と死は、常に隣り合わせにいるから、
二人称の近さで支えあわなければ生きていかれない。
そういうものだと思う。

2009年05月22日(金) 放棄できない病
2007年05月22日(火) 
2006年05月22日(月) 全天候型人生を迎える日
2005年05月22日(日) 金網デスマッチ
2004年05月22日(土) 個人主義



2013年05月15日(水) 君は、僕のためにこそ死んでいく その2

予算委員会。

「戦地における兵士の性欲処理の是非」について、延々と議論している。

馬鹿なんじゃないだろうか。

そもそも、兵士というものは、すべからく性的興奮するのだろうか。



国が行う戦争の切り口が、安倍政権に入ってから異常なほど、
ある種の人々には「興味-ロマンと言い換えてもいい-をそそるもの」になってきている。

その切り口は、全部、何一つ、ある種の為政者の自己陶酔であり、
国民が共有する前提になっていない。

戦争は、一部の為政者によって決定され、民衆が扇動される。
個人の人権は台無しになり、サッカー観戦もSNSも合コンも何にもできない。

それどころか自分や家族や愛する人の生命を奪われ、財産はすっからかんになり、
人生を台無しにされ、歴史にひどい傷跡をつくる、そういうものだ。



恐ろしい崖っぷちにいるこの国で、
自分が保っているのは正気か、それとも無関心か。

自民党が政権が早く失脚すればよい、と心の中で望むだけでは、
この危険な局面はどうしようもないのだが。

2009年05月15日(金) 三万人の死者
2008年05月15日(木) 鳴りわたる、1つ目の鐘
2007年05月15日(火) 道徳ソングか情景か
2006年05月15日(月) マクマーフィの最期
2005年05月15日(日) 



2013年05月14日(火) 私の赤ちゃん

小学校の、家庭訪問ウィークである。
昼下がりに家へ帰ってくるAと、少しゆっくり過ごす。

定石どおり、年齢にふさわしく、取り扱いが難しいお年頃で、
小さい子どものように突然はしゃいだりするし、仲間との会話は20代の娘のようで生意気である。

そして、往々にして私と二人きりの時は、押し黙っていて愛想がない。

暑いからジェラート食べに行こうか?と誘うも、
予想どおり、まあいいけど、と連れない返事。

こちらがサービスしているというのに、まったく失礼な態度である。

冷たいジェラートを無表情で口へ運ぶAを、
まったくややこしいなあと思いながら眺める。

よくよく観察してみると、このAの態度にはどこか懐かしい覚えがある。

そうだ、小さな赤ん坊の頃にそっくりだ。
まだ言葉を覚える前の、母親にすべてを依存していた感じだ。

なんとも無防備で、可愛いではないか。

成長したAは、色々な子どもの集団の中に身を置く中で、
話題に気をつけ、態度に気をつけ、他の仲間との関係に気をつけて、
上手くやっていく術を身に付けた。それは主に言葉によって保たれている。
そうしたことが、できるようになった。



そうだからこそ、成長の荒波の中で、
私との関係にだけはなんにも気を使うことなく、
どうぞよしなに、御随意に、と態度を丸投げしている。

そうだ。
目の前でジェラートを食べているそろそろ年頃のこの娘は、
紛れもなく私の赤ちゃんだ。
これから一人前になっても、いつまでもずっと。
ありがたいなあ、という幸福感に包まれる。

すぐにでも、よしよしいい子だね、と抱っこしてあげたい気持ちに駆られたが、
本人の名誉のために、そのジェラート美味しい?と聞くのに留めた。

2010年05月14日(金) 役務疲れ
2007年05月14日(月) 仕事放棄・子育て支援
2006年05月14日(日) 当然とは何か
2005年05月14日(土) 慕情の日
2004年05月14日(金) 三倍速の一日



2013年05月10日(金) Welcome to our joyful family of investors

野口祐子編著「メアリーポピンズのイギリス」。
映画で学ぶ言語と文化、というサブタイトルがついている。
面白かったのでいくつか備忘録に記す。



映画「メアリーポピンズ」の時代設定は1910年になっている。
19世紀ビクトリア朝時代が終焉し、新しい時代への移行期である。
時代をはさんで二つの価値観が混在し、映画の中でも象徴的に描かれている。

ビクトリア時代の中流以上の家庭では、映画の子ども達がそうであるように、母親が子どもを育てるという習慣がなかった。就学前の子どもの世話は、ナニーとよばれる乳母の役目であった。

親と過ごす時間は、午前中の1時間、就寝前の挨拶ぐらいで、子ども部屋はリビングから離れた最上階などにあり、そこで食事もとった。

就学年齢になるとナニーは家庭を去ることが慣わしとなっていて、そのことは子ども達とナニー双方に心理的な不安定をもたらした。

コックニーは下町言葉を意味するが、正確な定義としては、「一生を都会から離れられない労働者階級」だそうである。

ロンドンの劣悪な生活環境下で、孤児達は煙突掃除をさせられ、健康を害したり事故で早死にすることが多かった。

作中に出てくる父親のバンクス氏は、チャールズ・ディケンズの作品「ハード・タイムス」に出てくるグラッドグラインドという人物に良く似ている。何事も数値化し、徹底した功利主義者である。

大英帝国の心臓部を支えたのは、バッキンガム・パレスの王宮でもなく、ロンドン西部ウェストミンスター地区にあるイギリス政府でもなく、金融街シティであった。

映画の中ではバンクス氏の仕える銀行の頭取が、嫌がる子ども達に2ペンスを預金させるためにそのことをPRした猛烈なコマーシャルソングが歌われ、その後、怯える子ども達から2ペンスを奪い取った頭取はこう言う。

「Welcome to our joyful family of investors」

メアリー・ポピンズが西風に乗って子ども達の元を去ることを知っているのは、煙突掃除人バートだけである。映画の結末は映画が製作された1960年代のアメリカにとって好都合な家族像として終わっている。




最後に、編著者の一文を抜粋する。

「それでは、現代の日本に生きる私達にとって『メアリー・ポピンズ』はどんな意味があるのでしょう。

・・・映画『メアリー・ポピンズ』には、今日の社会に生きる私たちにも他人事ではない課題が詰まっています。

子ども達が親に求めていること、家族のあり方、子育ての仕方、想像力の重要性、他社への共感能力、社会の規範に縛られない発想、格差社会、帝国主義的なものの見方など、これらはいずれも1910年のイギリス、1960年代のアメリカにとどまらない課題です。

映画から各自が思考のヒントを得ることができるでしょう。同時に、映画には現代の感覚からずれることもあります。

ではその「ずれ」と感じられる違和感はどこから生まれてくるのか?
映画が提示する考え方と自分の考え方はどう違うのか?

このような疑問を発することが多分か理解にも歴史理解にも重要なことです。これを「問題発見能力」と呼びます。

与えられた問題を解くばかりが勉強ではありません。自ら疑問を持ち、それについて調べ、考えてみる。これが能動的に生きる姿勢の基本です。

そして大学教育で目指しているのもひとりひとりの学生の「問題発見能力」を高めるための教育です。」

抜粋終了。

2011年05月10日(火) 東日本大震災 官僚不信宰相
2010年05月10日(月) それを想像しない権利
2006年05月10日(水) 3時間と一生
2005年05月10日(火) 夢ログ
2004年05月10日(月) 命の著作権



2013年05月09日(木) 社会的に評価の定まった男

明日の準備がまったくできていないから今日は徹夜してでもやる、とH。
ご苦労様なことである。

色々な山登りの活動を巡って、Hの身辺が忙しい。
月並みな言い方をすれば、テレビ、雑誌、新聞で取り上げられていいる。
(まるで安物の健康食品の売り込み文句のようだ)
明日は、その一環で、スライドショーのお座敷がかかっている。

山関係のマニアックな場でとりあげられるのは致し方ないとして、
この4月にフランスの「よく登ったで賞」みたいなものをもらってからは、
一般向けのそのような情報媒体で取材を受けることが数回続いている。



別に自分が忙しいわけでも、一般大衆に晒されるわけでもない。
でも、何か嫌な気がする。やっかみだろうか。

「新聞で見ましたけど旦那さんはすごいですね」という類の善意の声かけに応えるのが疲れたということもある。

でも多分、自分のなかで一番もやもやと引っかかっていることは、
自分の連れ合いが「社会的に評価の定まった人物」に変貌していくことなのだろう。

終生連れそうつもりの男がそんなつまらないものになってしまったら、
もうロマンスもへったくれもなく、さっさとハンコをついて「決済」の箱に入れたくなるではないか。

2011年05月09日(月) 東日本大震災 現代佐渡金山
2006年05月09日(火) 放送網の占拠
2005年05月09日(月) 筋力不足
2004年05月09日(日) さらば黒ヒョウ



2013年05月08日(水) もうそれは手に入らない

納得がいかない、あるいはあきらめがつかない、という寒さから、ようやく解放された暖かい日。

種から起こしたカボチャの苗やらトマトの苗がすっかり駄目になってしまったよ、と家主であるKさんの奥さんが残念そうに言う。

そのとおり、今年の農作物被害は甚大だ。
この辺りには、株価の上昇にうかれている人間など、誰もいない。

消費地はスーパーに品物が並ぶ夏や秋まで危機感がないが、生産地は違う。
春先のこの有様では、収穫は絶望的で「もうそれは手に入らない」ことがわかっている。

スイカもリンゴもナシも桃も、すべて霜にやられた。
苗ものの野菜と違い、やり直しはきかない。
ではもう一回開花のやり直しを!と願っても、花芽はもうつかないのだ。



桃やりんごは、今年の収穫が壊滅的となっても、
施肥や剪定やら、手入れの作業は例年どおりやらなければ、
来年、ものによっては再来年の収穫に結びつかない。

何と切ない作業だろう。
産まれる見込みがない子のために十月十日を過ごすようなものではないか。

2010年05月08日(土) 祭りの精神文化
2007年05月08日(火) 
2006年05月08日(月) 教育騒乱
2005年05月08日(日) Ping9



2013年05月07日(火)

山の家での休みも終了。

子ども達はそれぞれの持ち場へ引き取られ、
久しぶりにビジネスモードになる。

再開し始めた仕事の段取りに、午前中奔走する。

最近、こうした節目の時にする仕事相手とのやりとりは、
メールでなく直接電話するのがよい、という知恵がついた。

自営業者が勝手に孤独の穴に落ちないように、
人と人がつながって仕事をしているということを忘れないように、
少しばかり図々しくなったのである。

それにしても、仕事でやりとりするメールの文章というのはどうして、
行き過ぎた馴れ馴れしさとか、慇懃無礼な冷たさを
ああもたやすく伝達できるのだろう。

2010年05月07日(金) カビは表面から生え、腐敗は内側からすすむ
2007年05月07日(月) 過酷なレッスン
2006年05月07日(日) 男合宿
2005年05月07日(土) 悪の研究
2004年05月07日(金) 不機嫌スパイラル


 < 過去   INDEX  未来 >


ipa [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加