がみちゃんを祝う。
家中の椅子をかき集め、使っていないテーブルや食器を引っ張り出し、 花を飾り、客間を開放する。 来客は次々にやってきて、コートを脱ぎ、久しぶりの会話をする。
年をとった親の元へ、友人達が自分の親のように集まってくれるのは、ありがたいことと思う。
あと何回、こうした長閑な宴席をすることができるだろう。 席につく、その1回1回が大切な貯蓄になる。
2006年03月31日(金) 報道のねらい 2005年03月31日(木) メンテナンスフリーな子どもの親は誰か 2004年03月31日(水) 書を捨てよ街へ出よう
本日は、よれよれのまま上京しなければならない。 桜の喧騒に巻き込まれたくないし、気が乗らないが仕方がない。
日曜には帰るよと母に告げたら残念そうであった。 今生の別れみたいにして私の出発を見送る、昔の祖母のようになってきた。
一緒に住んで、今度は生活を支える役目を私が負うべきではないか、とも時々思う。 かといって、私は東京で生きていくやり方をもう忘れてしまったし、彼らは東京がなければ生きていけないだろうし、そんなに簡単にはいかないだろう。
2005年03月30日(水) 緋寒桜 2004年03月30日(火) 噴火と出産
今ひとつ、風邪の完治に手が届かない。 だるいと思っていたらやはり微熱が残っている。
安静を放棄しているから仕方がないが、それもあと数日だ。
2006年03月28日(火) 2005年03月28日(月) 饒舌教育の効果はありや 2004年03月28日(日) ボサノバの神様
病み上がりで木曽谷を南下する。
木曽谷を何度か行き来するうちに、気がついた。 国道19号が木曽川に平行している区間が少ない。
この幹線道路は、たいていの箇所で山の中腹をはしっている。 所々で、はるか下方の谷底に集落−いわゆる木曽街道の宿場町−が見えて、 この谷の暮らしや文化は、どうやらそっちにあるようだった。
甍の波を上から俯瞰しては駆け足で通り過ぎていたけれど、 今日は思い切って、集落内の生活道路を通過してみた。
長い下り坂を経て集落に入り、山を見上げると、 稜線は遥か遠く、月まで届きそうである。 川の両側に迫る、果てしなく長い山肌に、 ほとんど閉じかけた本のような状態で挟まれている。
V字谷の本当を知るならば、谷底から見上げなければだめなのだと知る。 当たり前と言われればその通りなのだけれど。
2006年03月26日(日) 生と死のはしご 2005年03月26日(土) 深夜仲間
2007年03月24日(土) |
治癒のショートカット |
インフルエンザA型患者となり二日目。
大昔の技術と功績という貯金で開業を続けているような医院の医師の、 −私はそこの先生が決して嫌いではないのだけれど− 「タフミルってのを出しておきましょう」とか、 「フクサヨウ?よくわかりませんけどね」という、 まことに鷹揚な診断のもと手渡されたタフミルならぬタミフルを服用するのは、少し勇気が要った。
しかし、10代をとうに過ぎ、週明けに絶対人に頼めない重要な仕事を2件かかえている私には、 不謹慎ながら「幻覚なんぼのものじゃ」の心境で飲むしかないと決め、二日服用した。
しかしこれが、ばっちり効くので驚いた。
いつもの「水を飲み何も食わず寝て治す」方法から比べると、 何かとてつもないショートカットをしてしまったとためらうほど、あっさり治ってしまった。
もちろん、「なんぼのものじゃ」といいつつも、 少しぐらいは魑魅魍魎に篭絡されまいとする修行僧みたいな心境でいたけれども。
2006年03月24日(金) ビーフとストーブその2 2004年03月24日(水) 年度末公道占有
Aのいない夜。Hと二人でバーに行く。
脳挫傷のY君はまだ調子が悪いらしい、などと四方山話をしながら、 二人とも、どうやってあの件にもっていこうかと考えている。 ウッディ・アレンにでも撮らせれば、なかなか面白い場面かもしれない。
そして、二杯目のシングルモルト・ウイスキーを楽しんだ後で、 私は次の遠征登山の計画についてOKの返事をし、 Hは私のある重大な提案に賛成をした。
何かの条約締結を交わした元首みたいに、私達は そういう方針でしっかりやっていこうと、心の中で握手をかわした。
もう何年も腹に抱えていたものを吐き出すことができ、 ようやく自分に未来がやってきた、と心から思う。
そうして、翌朝から私は発熱した。
2006年03月22日(水) 2005年03月22日(火) 彷徨えるカーナビ車 2004年03月22日(月) 慕情先生
2007年03月21日(水) |
結論を出すのだけが上手い愚か者 |
スコットランドでそこそこ腕試しできたというのに、 その後さっぱり山へ行けず窒息しそうだったHは、逃げ出すように山へ。
窒息男から解放された私とAは、本屋さんへ。 最近のAは、長い章立ての物語を受け入れられるようになってきた。 はいここまでと区切っては、もったいぶって読み進める。
*
最近の子どもの絵本から、長文が消えている。 「てにをは」さえも消えている。
絵本など縁のない暮らしの人には知る由もないけれど、 このことを私はとても憂いている。
つまり、どういうことかといえば、 【たろうちゃんは、山へ行きました】という文章があるとすれば、 【たろうちゃんやまへ】という、乱暴な短縮がなされている。
【まりちゃんは、あかねちゃんにりんごをあげました】は、 【まりちゃん、あかねちゃんにりんごあげた】という按配である。
気持ちが悪いから、勝手に修正して読んでいる。 絵本作家が、こういう「端折り」を安易に使うことに、子どもへの眼差しを疑う。 ほとんど手に取らないが、皮肉なことに「早期教育」とうたった本ほどこの傾向が顕著であるように思う。
*
要点をまとめて話すというのは確かに大切なスキルだけれど、それは、 長い物語、そして長い思考に耐える力をつけた後の話だ。
結論を出すのだけが上手い愚か者には私自身なりたくないから、そう思う。
2006年03月21日(火) ハリー・ライムを探せ 2005年03月21日(月) 我ら思う、故に価値あり
生温い2月、このままですむわけないと信州人は誰もが思っていた。 作物が芽を出してから冷え込めば台無しになる、そのことを恐れていた。
そうして花冷えの3月を迎え、氷点下の朝は、もう一週間になる。
息を白くして寒いねといいながら、 季節のバランスがとれたことに、やはりどこかで皆安心している。 幸い遅霜には至らなかったようである。
ただ、花を咲かせた梅には気の毒であるけれど。
2005年03月19日(土)
確定申告を済ませたら、なんだががっくりきてしまった。
自分の仕事は社会の重要な一部分と信じ、誠実であるよう努力している。 苦しいことはあっても、つまらないと思ったことは一度もない。
けれどもなんだか今日は、自分の仕事がひどくちっぽけに感じられる。 そんなに張り切ったって、しょせんこれぽっち、雀の涙なんだよと、 どこかで誰かがあざ笑っている。
仕事も生活もこんなに満足して暮らしているのに、 年に一度、収入という変な物差しをあてられる嫌な日。 それとも、実際のところ、私はもう少しナーバスになるべきなんだろうか。
深く考え込みながら帰宅すると、恩師から葉書。 ちょっとした仕事の報告をした、その返事。 「…着実に成長しているようで嬉しく思っています。「存在」ではなく「関係」こそが大切なのです。続けて見つめていってください。云々」
恩師の言葉に支えられ、気持ちを立て直す。 そう、天職と思うことができる仕事にたどり着ける幸福には、 もともと値札なんてついていないのだ。
2006年03月16日(木) 2005年03月16日(水) 性と生殖に関する口角泡
国土交通省が公表した、国内の水力発電所ダムの水利使用の再点検結果。 新たに、電源開発(東京)の道内全十カ所の発電所、道の三発電所を含む六百四十一発電所で取水量データ改ざんが判明。河川法の許可審査手続きを得ずに川の水を機器冷却水などに使った事例も電源開発、北海道電力や道などの発電所を含む九百二十三発電所で見つかった。
私はこれは、見過ごすことができない重大な問題と思う。 農業用水やその他の利水についても調べるべきだと思う。
*
川への最大の環境インパクトは、流量が減ることなんである。 当たり前だけれど、水が流れなければ、川は川ではなくなってしまう。 このことは深刻な問題になっていて、 実際、千曲川なんかでは長い樹林帯ができている。
それの何が問題か。何もかも全てである。 川は、国土の血管なのだ。
運ばれるべきものが滞り、溜まってはいけないものが道を塞ぐ。 国土がむくみを生じてくる。 豪雨の時に大きな被害が出るのは、あれは脳溢血みたいなもんである。
*
川の水は、商社が買っている。源流部で大量に取水している。 工業用水になったり、ペットボトルで売られたりする。
もちろんそうした商業ベースの便利がなければ私達の暮らしは成り立たない。 しかし本質的には、人の身体から血を抜いて売るような行為だと思っている。
2006年03月15日(水) よれよれ申告 2004年03月15日(月) Mayor! Mayor!
第一部完、という感じの区切り。 明日は確定申告をしなくてはいけない。
Hが、ホワイトデーだな、なんて言う。 何がいい?と聞かれる。
今は「仕事の人手」以外に何も欲しいものはないのだが、 こういう時はちゃんとリクエストするのが礼儀だから、 ケーキを頼むことにした。
2006年03月14日(火) ナヌークと扶養家族 2005年03月14日(月) 札のかけかた 2004年03月14日(日) 春風とジャムの一滴
疲弊。 24時間仕事をする機械として生きている。
少しずつ全容を現してきたその成果を目にして、 ああ自分は何とニセモノでちっぽけなんだろうと思う。
なにしろまったくひどい代物だ。
2006年03月13日(月) 離れた場所、離れた島 2005年03月13日(日) 24時間営業・徒歩10秒の未来
繁忙期に9時5時でPCに向っていて仕事が納まるわけがない。 そのことにようやく気付いた。 足りない分は徹夜すればいいやという考えは、 もうそろそろやめにしなければいけないと、身体がサインを出している。
夕飯時の数時間を仕事にまわすやりくりをさせてくれとHに相談すると、 自分のトレーニング時間を減らされるのではと警戒するから、 なんだか嫌になってそれ以上話をするのをやめた。
この人は、いつだって私のSOSに気がつかない。 せいぜい私の屍を踏みつけて山に行くがよいと、心の中でひとくされ。
2004年03月11日(木) come back to home
2007年03月07日(水) |
honey beeその2 |
ちょっとした会合。
ひとたび築かれた好ましい関わりというのは、 それが何であれ、決別するときに痛みがあるものだ。 ましてや、他者から強いられた決別であればなおさらである。
その痛みを理解しなくてはだめだよと、 軽口をたたく学生君にむかって、心の中で説教する。
結論を急ぐと、教訓を得るチャンスを逃すよ、とも。
2004年03月07日(日) ファイトレメディエーション馬鹿
有史以来、ヒトは直立歩行の負荷をかけている。 だから疲れたときは横になるのがとりあえず有効と、このたびの事件で実感した。 「寝てれば治る」というのはあながち間違いでない。
というわけで味をしめて、横になって駄考。
*
世界が時代の波にさらされ動揺するとき、 信頼できる表現者が何を考えているかは、気になることだ。
そういう理由で、村上春樹氏が次に何を表現するのか、この数年間ずっと気になっていた。 もちろんその関心と期待は、彼の作品の要である長編作品に向けられたものだった。
でも、彼がした最近の大きな仕事は「グレートギャッツビー」の翻訳だった。
彼がこのフィッツジェラルドの小説をいかに大切にしてきたとはいえ、 翻訳である以上、自分の世界を100%反映させてものではない。
少し驚き、なぜだろうと思った。 この人は再び、世界とコミットすることをやめたのだろうかとすら思った。
だからその真意が書いてあるかなと、訳者あとがきを先に読み始めたのである。 そこには、自分の人生上の計画を少し前倒しして翻訳にとりかかったとあって、 その理由には別のことが書かれているけれども、 翻訳版を読み終えた後、この前倒しは彼にとって世界とのコミットメントであったのだと、勝手に思う。
彼はどうしても、この物語を今この時代に再生したかったのだ。
古びた言い回しの煤を丁寧にぬぐい、物語の本質である輝きまで磨き上げ、 現代に生きる物語として大修理をした。
その成果からは、この作品の真髄であり村上氏が言うところのアメリカン・ドラマツルギー −人々の崇高な理念で始まり、経過は幾分喜劇的であり、最後は悲劇である−が、 今のアメリカというふるまいの中に、少しも変わらない姿で存在することが、浮かび上がる。
たぶん村上春樹氏はアメリカを映す鏡を磨いたのだろう。 そこに映る姿の一部は、すでに日本にもしみついている。
2005年03月06日(日) 下山道 2004年03月06日(土) 家畜人ヤプーである状態
二足歩行再開。そしてH帰国。
よいクライミングが出来たであろうことは、 ネットでウォッチングしていたから掌握済みである。
水を得た魚のように登り、満面の笑みをたたえ山頂に立ち、 ホストクライマーらしき人と親しげに肩など組んでいる。
なんか変なニックネームでよばれ、成果が報告されている。 おまけに誕生日まで祝ってもらっている。
本人の自己申告もあわせれば、 どうやらHは、そこそこのクライマーとして受け入れられたのらしい。
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たぶん、Hはまたひとつ、引き返すことができない道へと世界を広げた。 そういう節目は、傍で長いことウォッチングしているからわかる。
面白いといえば面白いからそのつどやりなさいよと背中を押すのだが、 それはつまり安定から遠ざかることだということも、最近は自覚している。
2005年03月04日(金) 大人の時間 2004年03月04日(木) 国民給餌法
直立歩行までは程遠く、白目をむいてアワをふくような日を送る。 Hが帰国するまで数日だが、百年後ぐらい遠くにある。
どこからともなく助けの手が差し伸べられて、 飯が届き、おかずが届き、Aは誰かの大人に付き添われる。
我家はすっかり他人に助けられて存続している。 そして、この困惑をどういったらいいのだろう。
* 家庭の一大事において、他人の助けを経験したことがない。 むしろ親の代から避けてきたと言ってもいい。 家の中の事情について外の助けを得るのはみっともないという雰囲気で育った。
だからどちらかといえば、「優しい助け合いの集団」に身をおかないことが自分のアイデンティティであり、 身をおかずともやっていかれるよう自立することを目標に生きている。
それは大変でしょうちょっと待ってなさいと、優しい世話を身に受け、 彼ら彼女らに足を向けて寝られないほど感謝する境遇にあって、 この助けを受けた自分はこれからどうすればよいのだろう。
届けられたタッパーの浅漬けひとつみても泣けるほど戸惑っている。
2006年03月03日(金) ひとくぎり 2005年03月03日(木) 低俗の海へ 2004年03月03日(水) 寒の戻り
いつものように気持ちよくラジオ体操をしていたら、 腰に嫌な鈍痛がきて、夕方にはいよいよ動かなくなった。 そして今や、二足歩行が困難な状態にまで陥っている。
情けないほどどうしようもない身体になってなお、 明日は木曽の山へ入りますなどと整体師に告げたから、 冗談もたいがいにしなさいよという顔をされる。
痛みを伴わない格好が極めて限定されるなか、PCに向う。
*
それにしても、足腰がきかないと、自分の身体は重たいものだとよくわかる。 馴染みのない方向から受け止めるずしりとした感触は、他人の身体みたいである。
まったく、自分はたいそうな物体を操縦しているものだと感心する。 この緊急事態に及んでも、そんな馬鹿なことを考えてしまう。
2005年03月01日(火) 転調力 2004年03月01日(月) 合併合戦
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