仕事Aに引続き、B、Cが発動。 リミットも近いし、クライアントは少々厄介な感じ。
それでも、冷静に難所を切り抜けよう。 こういうときは、先手必勝ということで、積極的な姿勢をくずしてはだめだ。
単独プレーヤーになってもう2年なのだし、 きっと少しは上手くやれるだろう。
2005年08月29日(月) 言訳無用のボディブロー 2004年08月29日(日)
週末の2日間、不安定なAの衝撃吸収マットに徹したが、最後に油断した。
こういう、家の中がざわついているような時には、 大人も子どもも早寝早起きを旨としなければいけないのだが、 つい佐藤優氏の「自壊する帝国」を読み始めたら止まらなくなった。
しかも悪いことに、美味しそうなロシア料理やなんかと一緒に ウオトカを飲む場面がしばしば登場するので、 つい、−ウオトカも極上のキャビアも家にはなかったけれど−、 傍らにジンを置いて、のめり込むことになった。
*
ソ連は目に見える宗主国も植民地ももたない帝国である、というのが、 ソビエト連邦を理解するための重要な出発点として、繰り返し書かれている。 そうした視点から著者は、ソ連共産党中央委員会の「絶大な権限をもつが絶対に責任を負わない」という本質を内につかみ、 人脈を構築し、帝国の自壊という瞬間に立ち会う。
あらゆるエピソードには、 盗聴、情報操作、陰謀という管理社会のしくみにくわえて、 二重権力、実態の空洞化という、このシステムが自壊してゆく様子が登場する。
こういうものは、私は「何か近未来的なものの足音」と誤解していたが、 つい最近まで過去に明確に存在し、現在でも不明確に存在する。 不思議なのは、なぜ、自壊した帝国の亡霊の足音が、わが国できこえるのかということである。
呼び寄せている霊媒者は一体誰なのか。
佐藤氏の仕事は、小説仕立てには極めて向いている。 国家という生き物の氏素性、性格、信仰、こういうものを詳らかにしていくのは、インテリジェンスを刺激する作業であるし、関係する人間を如実にあらわす。氏の仕事ぶりからは、表層的なものを追っていても、他国というのは何も本質をみせてくれないことがよくわかる。心理カウンセラーのごとく相手の深層に同調するセンスと教養が必要だ。
というわけで、内容は面白く読んだ。 ただし、くれぐれも、子どもとの付き合いに疲弊した夜には、おすすめしない。 週のはじめにひどい朝を迎えたくなければ、早く寝ることだ。
2004年08月28日(土) 勝って嬉しい花いちもんめ
「ビルの十階から落とした卵も割れません」という文句の衝撃吸収マットのごとく、 ここ数日、いつになくナーバスなAを、受け止め続ける。 もっとも、Aも同じように主張したいかもしれない。 女親は退屈で困るが仕方が無い、と。
ゲン直しに、プールへ。
流されるプールでもなく波に漂うプールでもない、シンプルな市民プールは、 休日でもずいぶんと空いている。200円で入れる。
男親の不在からも、女親との閉塞感からも自由になったAは、 ゆらりと浮かぶ感覚や、ずっしりした抵抗を楽しんで、 魚のように水と遊ぶ。
そのうちには、浮き輪や水中メガネをかなぐり捨てて、 ぷかぷかひらひら浮かんでいる。
乱反射する水面からざばと顔を出し、大きな声で、笑う。
2004年08月27日(金) 男と女戒厳令
麻生氏が総裁選立候補にあたり打ち出した「日本の底力」なる政策構想。 豊かさの実感、という方針のもとに、義務教育の早期化と書かれている。
なぜ、義務教育を早めることが、豊かさの実感に結びつくのかまるで理解できない。
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時を同じくして、「脳の土台小さいうちに」と銘打った、 脳科学者の小泉英明さんのインタビュー記事を読んだ。
小さい子ども達にとって、実体験に裏付けられた意欲というものがいかに大切か、という話。
実体験は、脳の内側の古い皮質を育てる。 古い皮質は、生きる力やパッション(情熱)を駆動する領域である。
これに対して、知育というのは新皮質を育てる行為だそうである。 ここだけ育てていては、−小泉氏曰く−、 物知り博士だけど自分からは何もしない「宝の持ち腐れ人間」ができるのだそうである。
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日本で教育という場合、学校教育、社会教育、家庭教育の3つが位置づけられる。
そして学校教育は、誰でも知っているように、 これらのなかで、知育教育を最もシステマティックに行うところだ。
つまり学校は、良い意味でも、悪い意味でも、勉強をしに行く「学び舎」なのである。 小さな子どもの心根に残り、生きる力やパッションの土台となる実体験を育む場所ではない。
小さな子ども達は、心身が育つ喜びや、他者への信頼、そして自分への自信を、 一人ひとりにぴったりの場面で味わうことができる場所にいることこそふさわしく、 それはどんなにやり方を工夫しようとも、学校教育で実現することはできない。
そんなことは承知の上だ、と麻生氏がもし言うのなら、それはなお恐ろしい意味を私に想像させる。
学校という管理された集団教育システムの中で子ども達に均一に獲得させようとする、 「実体験に基づくパッション」とは何か。
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前出の小泉氏は、インタビューの最後にこう結んでいる。以下抜粋する。
「…脳から科学的に教育を知る。これは単に頭のいい人間をつくるためではありません。他者の多様性を尊敬の念をもって受け入れられる、相手の立場を大事に考えられる人間をはぐくむためです。人を思いやれる世代をつくること。そして、まだ研究が進んでいない「憎しみ」の本質を脳科学から研究し、憎しみの連鎖を断ち切ること。これが脳科学と教育のきわめて重要なテーマだと考えています。」
小さい子を都市に連れ出すのは、もはや楽しいことでも幸せでもない。
いらぬ緊張と疲労がたまるばかりだし、 それに、東京の暑さと空調は、思いのほかAと私を消耗させた。
這う這うの体で、家に戻る。
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荷物を片付けて、なじみの風呂屋へ行き、なじみの蕎麦屋で夕食をすます。 「何か胃の休まる面白いものを」との無茶なオーダーに、 いつもの明るいねえさんが、蕎麦米を使ったサラダで応えてくれた。
蕎麦と茗荷の香りが、滋養となって広がっていくのを感じてやっと、 やみくもに背負っていた何か重たい荷物を、私は、ゆっくりと下ろした。
2005年08月24日(水) 環境省の仕事
空港へ。
2年前と同じ北側展望台から、 2年前と同じエアインディア機を見送る。
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ターミナルでは、成功と無事を祈りながら、どこかうわの空でHと別れた。 感傷的になるのを避けたのではない。
ここ数日の報道にある、国政の行方のせいである。 自民党総裁選挙を口実に、今まさにおかしな方向へ未来が舵取りされようとしている。 このことが、Hの見送りに思いを集中できないほど、私を憂鬱にさせている。
この国の行方に比べれば、Hたちが標高6000mの氷壁をゆくことのほうが、 よほど安全で冷静な行為にみえる。
何とかして、この国で子どもを育てなくてすむ方法はないかと、 今、真剣に思う。
2005年08月23日(火)
Hは最終調整で山へ。
寒冷地仕様のこの身体は、 気温30度を越える日が続くと、もう駄目である。
とにかく避難と、握り飯に水筒をもって、標高2000mの「裏山」へ。 牛が放牧されている亜高山帯の高原へ、仲間入りをしにいく。
カラマツの林をあがり、ダケカンバが見えてくると、 間もなく樹林帯を抜けて、霧の高原。 ヤナギランやマツムシソウが満開。コケモモは赤い実をつけている。
駐車場からひと歩きして高原にでれば、 冷凍庫のような、ひんやりした空気が肌をなでる。 身体から熱気が一気にはがれていく。
高原のロッジで一休み。 Aは、よく歩いたねえ、と、中高年ハイカーに声をかけられる。
暑さが和らぐ夕刻まで避難していたかったけれど、雨が降ってきた。 干してきた布団が気がかりで、一番暑い昼過ぎに、慌しく下山する。
お布団がぬれちゃうから早く早く、と山道に子どもをせきたてる。
2005年08月20日(土) 何者かになりたい症候群 政治編 2004年08月20日(金) 「うちの社長は駄目社長」と客に言う社員
2006年08月19日(土) |
テンカウントをダウンして待つ |
来週はもうインドへ出発だから、今日は最後の週末。
Aは時間を惜しむようにして、Hと一緒にいる。 私には他の用向きを誘導して、Hを独占しようとしている。
Hを見送るAの様子は、ここ数年の遠征登山のたびに違っていて面白い。
当然だけれど、赤ん坊の頃とは気持ちの複雑さが違う。 今は、長い別れのつらさや引き止めたい気持ち、 そして寂しくて仕方がない気持ちがきちんと育っている。
大人の私は、といえば、仕事が一段落した疲労の中にいて、 本日は完全にシステムダウンである。
Hが妙に家族を思いやる気配を、もちろん気づいているけれど、 これに反応すると、おかしな寂しさが家の中に漂うから、 出発のその日まで、私はこのままダウンしていようと思う。
2004年08月19日(木) 教育クライシス
2006年08月17日(木) |
電源の町、風雪の土地 |
仕事Aはひと区切り。帰りに寄り道。
大町市は電源開発の町。黒部ダムの玄関口なんである。 街中の、どうみても人口スケールにそぐわない大規模なインフラは、 すべて水力発電−ダム−のためにつくられたといってもよい。
立山黒部アルペンルートも、今は観光ルートであるけれど、 本来は電源開発ルートなんである。この大町市が長野県側の入り口。
国土交通省やなんかの管理事務所や出先機関も、やけに存在感がある。 山の奥で、兆単位の金がうごく町。土木の町。直轄事業の町。
でも、街の中を丁寧に見て歩くと、もっと古い歴史や文化がみえてくる。 北アルプス山麓の厳しい風雪に耐える風情が、感じられる。 夏の日差しが照りつける街角や、汗をかきかきの会話からも、冬の情景が浮かび上がってくる。
2005年08月17日(水) 何者かになりたい症候群
世間はお盆休み。そして、終戦記念日。
「菊と刀」のルース・ベネディクトが分析したかどうか知らないが、 いわゆる「終戦の日」が、お盆の時期に重なっていることは、 日本国民にとって幸いである。
お盆は、国民的な夏の休暇として周知されている。 夏の終わりを感じながら、ゆっくりと考える時間が与えられる。
茄子の牛や胡瓜の馬、そして迎え火に迎えられて、 先祖とともに食事をし、数日を過ごす。 なんとも静かで優しい信仰のかたちである。
そして、このごく素直な気持ちから生じる祖先信仰とともに、 戦争と生と死が、しぜんと一つに重なり合う。
失われた魂は、国ではなく家に、 制度ではなく血筋の中にこそ在るのがふさわしいと、 誰もが素直にそう思う。
そして、子孫の代まで、もう誰も悲しい思いをしてはいけないと、 誰もが自分の文脈の中で強く思う。とてもリアルに。
もし終戦が、このお盆以外の時期だったら−年末とか年度当初とか−、 60年も戦争をしないでいられただろうか。
お山仕事再開。
カストロ議長は、もう権力の座に戻ることはないのらしい。 色々元気を装っているが、いずれにしてももう高齢だ。
そして、アメリカよ頼むから土足で上がってこないでくれよ、 と、予防線を張っている。
その当事者のアメリカは、イラクを食い散らかした挙句に、撤退を仄めかしている。
イギリスでテロが未遂に終わり、大統領は、脅威は去っていないと、 迷彩服を着て叫ぶ。
自分に向かってくる暴力の理由を考えたまえよ、と思う。
2004年08月14日(土)
山の家に家族が集合。
父が嬉しそうに娘ということにしている、Sちゃんとその家族も。 ただしHは荷造りで不参加。
欠席裁判でHの話題。
「今回の遠征も難しいと思う、その理由はメンバーが一緒だから。」 という私の見解。人を選択できないHの弱への心配を告白する。
Yさんが、 「もしダメでも必ず実りはある。仲間を大切にしたことは、人生をきっと豊かにする。」 と、真剣な優しい顔でアドバイス。
まったく考えつかなかった意見に、相槌をうつ。 いつの間にか私は、身内を頂上に押し上げたい、まるでステージママのようになっていたなあと反省。
登頂は、Hにとっての悲願で成功は喜びだろうけど、 人生をふり返って、いつか気づく充実感や達成感というのがあっても、いい。 とにかく元気で帰ってくればいい。
大きな目で見よと、ごく自然に確信をもって言ってくれたYさんに少し感謝した。 そして、奥さんのSちゃんも、Yさんのこういうところがきっと好きなんだろうと、 余計なお世話で勝手に思った。
雨が降らないので、こういうお外の仕事の時は、ありがたい。 一度降ってしまうと、なかなか森の中というのは乾かないから。
夜に子ども達のお祭り。 顔を見知った大人集団の中で、子ども達はリラックスしている。 遊びや踊りに疲れると、大人の誰かにすりつきにくる。 どの親の膝の上にも乗り放題だから、なかなか面白い組み合わせになる。
2004年08月10日(火)
続く暑い日。中休みして伊那谷へ。
仕事の種類は、おおまかに仕事A〜Dぐらいになるが、しばらくはAが続く。 という訳で、本日もお山へ。 Hは、インドへ送る荷物のパッキングや保険やなんかで多忙。
お外のお仕事。 平地よりはマシだけれど、標高1200mのこの場所も、やはり暑い。
タカノツメの枝は、レモングラスの香りがした。 クロモジとも少し違う、爽やかな芳香。
一段落したところで夕立になって、 雨に白くけむる山道を、ぬれながら歩く。 雷はすぐそのへんの尾根にいる。
なんだか、林間学校の生徒みたいだなと思った。
首都圏の暑さとは違う、野蛮な暑さが続く。
「熱中症保健指導マニュアル」なるものが、環境省から出されているが、 今年の6月に最新の知見を踏まえて改訂された。
備忘録として、以下抜粋。
熱中症とは
・熱中症とは、暑い環境で生じる障害の総称で、熱痙攣、熱失神、熱疲労、熱射病という病型がある。
・体内の水分や塩分(ナトリウムなど)のバランスが崩れ、また、体温の調節機構が破綻するなどの原因で起きる。
・死に至る可能性のある病態である。そして、予防法を知っていれば防ぐことができ、応急措置を知っていれば、救命できる。熱中症を疑った時は、死に直面した緊急事態であることを認識すること。
予防方法
・日常的に運動をして熱ストレスに対する抵抗力をつけること
・一般常識で判断できる、暑さを避ける工夫をすること
・活動レベルにかかわらずこまめに水分補給に努めること
・運動前には、運動開始2時間前にコップ1〜2杯の水を飲むこと
*
熱中症というと、なにか新しい怖い病気のようだけど、決してそうではない。 だから、予防方法などは、まあ、当たり前のことばかりである。
ただ、油断すると死にますよ、というところが、 察するに、「最新の知見」に該当するのだろう。
これをまるめて理解すると、 「自分の身体をいたわりましょう、命を大事に。」ということか。
だとすると、暑中見舞いという習慣は、 親類縁者が、お互いで注意を喚起するという意味があるのだろうか。
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同省では、紫外線保健指導マニュアルも発行していて、 こちらも今年6月に改訂、発行している。
どちらも環境省のウェブサイトで見ることができる。
2005年08月05日(金) 生き残った者 2004年08月05日(木) 合体ロボットの歴史
熱気のこもる部屋での仕事を急いで切り上げて、 子どもたちの食事を作りにゆく。
調理場は39°。 大鍋に湯を沸かしてスープを作り、 二升の米を炊く。
山ほどのナスを、高温の油で揚げていく。
茄子は、このあたりでは、完全に飽和している。 誰かうちの畑のをもらってくれ!と、みんなが貰い手を求めている。 かくして、千にひとつの無駄もない優秀な結実ぶりが、マーケットを凌駕するのだ。
綺麗な翡翠色に、ほどよい揚げ色がついたら、引き上げ時。
茄子は、加工されることで、驚くほど美しく発色する。 浅漬けのつややかな濃紺色の果皮も、 熱を加えて現れる、翡翠色の果肉も、料理人をうっとりさせる。
夏野菜の喜びと冬野菜の魅力、どちらが上か。 いやそれは愚問だ、大事なのは採れたての旬の野菜であることだ、 などと駄考しつつ、盛りつける。
2004年08月04日(水) 家なき子
カンカンと日照りの中、仕事。 西陽も容赦ない。
Hは山岳関係のお座敷がかかり、今晩は東京出張。 Aと二人で、静かに夕食を食べ、静かに風呂に入り、静かに床に入る。
そういえば、あと幾日もしないうちに、 こんなHのいない日常になるのだった。
今日の不在はその予行練習みたいなものだけど、 もうAは、寂しそうな様子。
今回も成田空港の見送りで大泣きするだろうか。 寝息を立てるAの顔を眺めながら、考える。
2004年08月02日(月) 休業脳
仕事が一段落したので、Hと「吾朗さんのゲド戦記」を観に行く。
すごいチャレンジをしたなあ、と感心する。 そして、非常に大変だったとは思うけれど、 こういう仕事の機会を得られた吾朗さんが、少し羨ましい。 グウィンに直接会うことができるというのも、ミーハー的に羨ましい。
2005年08月01日(月) 情報公開 2004年08月01日(日) 水難事故多発
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