妹から、小1の甥っ子の答案の写真が送られて来た。 虎猫と耳の垂れ下がった犬のイラストが描いてあり、「どちらがなんびきおおいでしょう」という問題。 ゴロンゴロンと転がっているような字で書かれた甥っ子の回答は以下の通り。
(し き) 5−3=2 (こたえ) ねこのしまおが5ひきおおい。
しまおって誰よ……と思ったら先生も同じだったようで、赤ペンで「しまお」の下に線が引かれ、「だれ?」と書き込んであった。 それを見て、飲んでいたお茶で噎せそうになった。 どこから来たんだしまお。 5匹全部しまおなのか? 何故計算式は合っているのに解答で間違えるのか。(妹の子供だから) どういう事なのか甥っ子に訊いてみて欲しいと返信した。
夜になって返って来たメールによると、甥っ子は「ねこのほうが」と書いたつもりだったらしい。 「ほ」→「しま」 「う」→「お」 妹は早速、甥っ子に「ほ」の正しい書き方と長音についてレクチャーしたとか。 何でもこの答案は面談で担任から直接「これはかなり面白かったです」と言われて渡されたものだそうで、妹は大層がっかりしていた。 「折角先生にそう言って貰ったのに……しまおの方が良かった」 良かったとか言うな!
甥っ子には是非、 ・提出前に自分の書いたものを見直す事 ・質問に合わせて答える事 を身に着けて欲しい。 「どちらがなんびきおおいか」と訊かれたなら、「ねこのほうが2ひきおおい」ではなく「ねこが2ひきおおい」とすべし。 頑張れ甥っ子。
元からスポーツ全般に対する興味は薄いが、今回の五輪には憎しみすら覚えるので、心の平安のために先週末からテレビは殆どつけていない。 せめてニュースぐらいは見たいのだが、ニュースも大半が五輪関連。 そればかりかニュースの枠すら競技の中継のために潰される事もあり、最早正気の沙汰ではない。 民放ならさもありなんだが、NHKまでもだ。BSのワールドニュースが2週間も休みってどういう事なの。働き方改革とか言って体良くサボってんじゃねえよ。受信料返せや。 テレビ局の人間って頭おかしいんじゃないの?と思わざるを得ない。
ツイッターを見ていたら私と同じような人がいて、その人は「五輪見たくないからYouTubeでショパン・コンクールの予備予選をBGM代わりに流している」とツイートしていた。 何そのお得情報!という訳で、ここ数日は音楽之友社の特設サイトのお世話になっている。予備予選の結果付きなので、その場で自分の耳の判定も出来るという優れもの。 五輪同様、本来は昨年開催予定だったのが、武漢肺炎の世界的大流行のせいで1年延期になったそうだ。 そしてそのお蔭かどうかはわからないが、アーカイブで見られるという僥倖。 パンデミックが無かったとしても、私のような一般庶民は、そうそうワルシャワなんて行けないもんな。 昼間は殆どずーっと流しているものだから、ネットから離れても、一日中頭の中でショパンの何かしらの曲がぐるぐる回っている。幸せだからいいけど。
世界的コンクールの予備予選だが、皆が皆上手な訳ではない。 上手な人もいれば、えっこのレベルで出て来たの?それとも調子悪いの?という人もいる。 でも、それだけではない。 「ミスタッチが無いのにつまらない演奏」というのがあるのだ。 いや勿論私は弾けないんで、上手は上手なんだけれど。 画面に目を移すと、ちゃんと感情込めて弾いているようには見えるのだが、聞いていてつまらないのだ。 その人は落選組だった訳だが、何なんだろうねあれは……と帰宅した主人に言ったところ、彼はこんな話をしてくれた。 「どこで読んだか忘れたけれど、『音楽は再現の芸術である』って評論があってね。 楽譜に書かれた音をなぞるだけではない、作曲家が楽譜に書き切れなかった諸々を汲み取って表現してこその音楽なのだっていう話。 シオンが気が付いたのはそういう事だよね」 なるほど……あの奏者に足りなかったのは、そういう所なのか。 主人にも何人かの演奏を聞いて貰ったが、 「あーこれはなんか聞き流しちゃう系の演奏。弾いてる本人だけ楽しいってタイプ」 と判定、果たしてその人も落選していた。 そんな主人が注目しているのが、日本人YouTuberピアニスト。 その人の演奏は、「安心して聴ける演奏」と主人は言っており、勿論予選通過。 こうなると、主人にも全員分の演奏を聴いて貰って、誰が優勝するか預言して欲しくなって来る。 全部は聴いていないが、私が注目しているのは医学生ピアニスト。 いい演奏をする人なので、休学して本選に集中して欲しいぐらいである。 10月が楽しみだが、今度もネット配信してくれるのかな……。
開催直前に、随分味噌が付いたものである。 五輪開会式に関わった2人の芸能人、小山田圭吾と小林賢太郎について書いておこうと思う。 因みに私はどちらも存じ上げない。 けど一応コーネリアスの音楽はむかーしラジオで耳にした事がある。 そして数年前に子守の手伝いに行っていた時、甥っ子と一緒にテレビの前でピタゴラスイッチ待機中に「デザインあ」のクレジットを見て、この番組で流れているのがコーネリアスの音楽なのだと知り、そう言えばそんな雰囲気だなと思った程度である。 今回の報道が出るまでは、この人がコーネリアスのメンバーだった事も、その鬼畜の所業についても全く知らなかった。 一方の小林賢太郎という人については、問題のコントを発表したお笑いコンビ「ラーメンズ」の存在すら知らなかった。 ネット検索して、元相方には見覚えがあった。大人のピタゴラスイッチに出ていた人だ。 なるほど、教育テレビにも食い込んでいるようなネットワークがあって、そこから開会式に呼ばれた人々なのかなと何となく推測した。 さてこの2人、どちらも過去の問題行動が明らかになって五輪の担当から外された訳だが、辞任と解任、そして決定までの期間を考えると、その対応の差に物凄く違和感を覚える。 しでかした事の酷さを比較すると、小山田の方が問題としては大きいと思うのだ。なのに解任ではなく辞任。しかも五輪委員会は擁護、続投させる事を一度は表明している。 一方の小林に対しては、ホロコーストネタはユダヤ絡みだからなのか、同じ五輪委員会の判断とは思えないほど、対応が迅速であった。しかも解任、クビである。 イスラムとユダヤは世界的にアンタッチャブルだからな……そらそうなるわなとは思ったが、本人の謝罪コメントは小山田のそれとは違って、物凄くしっかりしていて、少なくとも私は読んで納得出来るものであった。
因みに私は、作品と人格は切り離して考えるべきだと思っている。 作者がクズの詐欺師だったとしても、「一杯のかけそば」に涙した人は多かった。 グレインジャーがSM好きの変態だとしても、「リンカンシャーの花束」が名曲である事は変わらない。 セクハラ大魔王だとしても、デュトワの作る音楽は素晴らしい。 作品は、背後の物語ではなく、作品自体で評価されるべきである。
しかし若気の至りだとしても、何十年も昔の話が甦って、現在の自分の足を引っ張るなんて、恐ろしい事である。 私は人前に出ないように、目立たぬように生きて行こうと思ったのであった。
五輪がとうとう始まってしまった。 この日記の過去ログを見てもわかる通り、私は石原ジジイが第1回目の招致を始めた時からずーっと一貫して東京での開催には大反対である。 なので、五輪関連不祥事が出て来る度に、「それ見た事か」という気分になっていた。 もしかしたら、私の呪いがここに来てやっと効いて来たという事か? だったら遅過ぎる。招致決定前に効いてくれないと。 日本での開催反対理由は、貴重な血税を遣ってまでやるほどの事ではないから。 都民が負担するなら別に構わないが、日本国からもお金が出てるんでしょ? それは困る。 3回に亘る招致活動、開催のための準備、これらに総額幾らの血税が投入されたのか。 2回目の招致が失敗に終わった後で石原に恫喝されたマスコミ各社は、掌を返す前にその点を詳らかにして欲しかった。 そして復興五輪などとこじつけたくせに、資材や人材を五輪準備のために東京に集中させた事。 被災地は断固として聖火リレーなど断るべきだった。利用されているだけなのに何故怒らないのか。 兎に角腹立たしい事ばかりなので、私は五輪関連番組は見ない事にした。 開会式も勿論見ていない。そもそも他国開催でも殆ど見た事無いのだが。(見れば良かったと後悔したのは、ロンドン五輪の開会式とソチ五輪の閉会式。ゲルギエフとマツーエフとバレエ見たかったな……東京五輪の開会式よりこっちを再放送して欲しいぐらい) 勿論競技も見ない。特に応援もしない。メダル獲れた人には、良かったねぐらいは思うけれど。 なので、「選手への応援と五輪反対は別です。五輪やめろ!」と言ってのけた蓮舫の二重基準っぷりには吃驚だ。二重なのは国籍ばかりではないらしい。 あの人は、自分で自分に矛盾を感じないのだろうか。 どうせなら、私ぐらい筋を通してみろよ。
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