最近エイズの問題がマスコミをにぎわすようになってきた。 アフリカの方では国民の50パーセントが感染している国もあるとかないとか。 日本では10代20代の若者に感染者が増えてる。 原因は言わずもがなである。
エイズによる差別が世界中の問題になっている。 裏を返せば差別を恐れ検査していない人もいるわけだから、公表されている数よりももっと感染者は多いはずだ。
エイズと言う病気はおそろしいが、もっと恐ろしいのは「貞操観念」がないこと、そして「差別」だ。 やるのは構わないが責任とれるだけのことをしてやれと言うことだ。
うーむ、しかし10代の連中はそんなにやっているのか。 オイラの10代の頃は謎の世界だったのに・・・・
オイラは何を言っているんだろう・・・・(汗)
遂にモビリオ荷物車デビュー! 仕事の関係でどうしても荷物を取りに行かなければならなかったのだが、これがまた意外と荷物がのるのる。 みかんの段ボール箱で軽く30箱。 もちろんセカンドシート、サードシートを倒してのことだが。
うーむ、このままだと間違いなく劇団の荷物車への道を歩むことになるだろう。 これを読みながらほくそ笑んでいる劇団員もいることであろう。
これから立ち稽古をしていく上で重要なファクターのインプロを行った。 立ってる役者のフォーカスを意識しながら行っていくものだ。
役者の反応は様々だった。 無意識にできる人や、今までできていても改めて頭で考え始めてドツボにはまる人もいたし、難なくこなしている人もいた。 もう一回きちっとおさらいも兼ねてやっていこうと思っている。
話は変わるが最近近隣の公務員の不祥事が多い。 しかも、賄賂ウン千万とかいうゴージャスな不祥事ではなく、女絡みのショボイものばかり。 同じ人生棒に振るなら、もっと思いきった棒の振り方があるのではないかと思うのだった。 でもなあ、気持ちはわからんでもないよなあ〜。 結構シビアな職場だもんなあ。 不祥事を起こした町の首長も、職場環境のあり方について言及してたし。 周りからは守られているように見える公務員も、仕事量自体は対しておおくないかもしれないけど精神的につらい仕事が多いと本当に思う。
2002年11月27日(水) |
職員旅行2日目その2 |
続いて、祭の森へ行く。 この祭の森は、昆虫博物館と茶の森が併設されている。 なんてことない、地元企業の社長さんの道楽である。
この祭の森は山の岩盤をドーム状にくり抜いてつくられた大空間を利用している。 ジオドームと以下呼ばれていたっけかな。 言い方を返れば人口の洞窟だ。
ここには高山祭で登場する屋台を模した「平成屋台」と呼ばれる山車が8基展示されていた。 そして各々1時間一回りでからくりが上演される。 中にはからくりが終わると同時におみくじをまき散らすものまである。
うーむ、しかしだ。 一つ一つの山車は絢爛豪華でとても素晴らしい。 各々に芸術品としての主張をちゃんとしている。
だけど、である。
これだけ集めて、豪華ですってな感じで、有り難がるように演出してあっても、それで何?って感じでさっぱり理解できない。 展示自体に発展性がない。 ジオドームと言う空間も魅力がない。 山車も高山祭に登場してこその山車なのだ。 からくりも見せ物ではなく、奉納と言う形の宗教行事なのだ。 これで、一基でも高山祭に登場出来るようになればもう少し印象も変わるし、展示そのものも変わって魅力的な場所になるのになあと思う。 で、なんと言っても、ここに入るだけで1000円もとるのはいかがなものかと思った。
そして、ここを後に東海北陸道で雪山を眺めながら体育館へ戻った。
2002年11月26日(火) |
職員旅行2日目その1 |
前日のお風呂の感動とは裏腹に、その晩は悲惨だった。 隣に寝ている上司のいびきが並じゃない。 うるさい。 寝れん。 やっと寝れたのが、その上司が夜中の3時頃むっくりと起きあがって、一人でビールを飲み始めてからだった。 でも朝の目覚ましも、やっぱり上司のいびきだった(涙)
この日は高山を経由して帰ることとなった。 白骨温泉を後にして158号線を西へ。 天候は空に所々青空が見える程度の曇り。 安房トンネルを抜ける。
おお! 一面の雪だ!! 山も何もかんも真っ白!! 車の中も歓声が上がる!
トンネル一つ抜けるだけでこんなに景色が違うとは驚いた。
雪が嬉しいのでわざわざ雪の積もっているところをタイヤで踏んでく車もあった。
何カ所かおみやげ物屋を経由して、高山に着く。 陣屋前の駐車場に車をおき、高山の町並みを散策する。 数年前に来て以来だが、それから少しの変化に気がついた。 町を歩いている観光客に若い女性が増えた。 ドラぼぼ(ドラえもん+さるぼぼ)が新しくキャラとして加わっていた。 嬉しいのでさっそくお土産にした。
(続く)
1年に1回の職員旅行。 行き先は白骨温泉。 あいにく天候は雨。 午前中に嫁さんと一悶着あったせいか、ここなしか気持ちがおもい。 そしてこの天候が更にこの気持ちを増幅させる。
中央道をひたすら北へ北へ。 雨はただただ降り続く。 せっかくのアルプスの山々も雲に隠れて、どこを走っていても同じ風景が続くのだった。
松本インターを降りて今度は158号線を西へ。 ここまで天気が悪いんだったらいっそのこと雪でも降ってくれりゃあいいのに、と思いながら白骨温泉を目指す。 標高がだんだん高くなっていく。 だんだんしぶちみたいな雨になっていく。 雪への期待は高まる。 朝の情報では上高地は雪だったのだ。 そして期待は高まる。
158号を曲がり、白骨温泉に向かう。 温泉をいったいどうやって発見したんだ、と言うような険しい道を、更に標高を上げていく。 なんだか、温泉好きの人達の執念を感じるような道だ。
外気温は1度になった。 しかし、しかしだ。 雪なんてどこにも降ってないし残ってない! 路面も小雨でちょっとお湿り程度。
てなわけで、ちょいと興ざめしながらホテル着。 しかし、このホテルなかなかサービスがいい。 仲居さんの愛想もいい。 飯もうまい! そして、何といっても風呂がたまらない。 真っ白なお湯で、入ると身体の芯から暖まってくる感じだ。 効能も記憶できないくらい書いてあった。
お風呂を出ても外がどんなに寒くても身体のポカポカがなくならない。 肌もツルツルだ。
ここに来て初めて温泉に入りたがる人の気持ちが分かったような記がする。
2002年11月24日(日) |
扶桑町50周年記念「ベートーベン/交響曲第九番第4楽章(208小節から)」 |
扶桑町50周年記念事業の最後。 第九の演奏会である。
この演奏会、恐らく日本で初の試みが、 一つはオーケストラではなく吹奏楽団が演奏をすると言うこと。 そしてもう一つ、第4楽章の208小節めからの演奏だと言うことだ。
前者は前向きな試み、後者は情けない話だ。 言ってみれば歌のおまけとして吹奏楽なのだ。 本来第九は「合唱付き」であって、歌が主役ではなく演奏が主役なのだ。
この吹奏楽団、うちの体育館でよく稽古をしていたのだが、第九の稽古を聞いたことなど一度もないのだった。 だからとても不安で不安で見に行った。
何故見に行ったかと言えば、合唱に嫁さんが出るからだった。 ここ最近嫁さんに見られることが多かったのだが、久々にオイラが見る立場になった。
合唱は半年以上の稽古時間を使ってやってきただけあってさすがにここ最近聞いたことのないくらいまとまった合唱だった。 中でも男の人たちがこれだけ多い合唱団も珍しく、迫力満点の合唱団だった。 申し訳ないけど付け焼き刃の練習しかしていない吹奏楽団とは月とスッポンである。
少なくとも合唱は良かった良かったと思うのだった。 嫁さんも元気に歌っていたし。
まずはお疲れさんだ。
今日は日記はおやすみ!
くしゃみが昨日から咳に変わった。 どうも風邪になったようだ。 確かにここんとこ鼻も喉も調子がよくなかった。 夜更かしもし過ぎたかなあ。 しばらくは早寝に努めないとなぁ〜。
話は変わるがイデオロギーの違いで世の中いろんなことが起こる。 ミスコンの新聞記事がイスラム教徒の怒りを買いものすごいことになっている。 アメリカとイラクの関係もしかり。 近いところでは巨人とその他の球団の関係もしかりだ。 環境やそれまでの歴史やいろいろな違いこそあれ、何とか円満にいけないものだろうか。
そして同じようなことは身の回りにも起こっている。 自分自身が当事者であったり、傍観者であったりする。 だけど、そこには傍観者など存在しない。 傍観していることで、それが役割として身の回りに作用している。 集団から離れることで、それが役割として作用していることもある。
だからこそ前向きで行かないといけないと思うし、目の前の現象を人の所為にして逃げることも良くない。 何かがまずければ自分が動かないといけない。 そこには積極的に傍観するという動きも当然存在する。
自分が変わらなければ周りは変わり続ける。 何となく最近そう思う。
インプロに関してインプロワークスのホームページに質問をしたら、丁寧な返事が帰ってきた。 まあ簡単な話、正解はなくて集団の状況に応じて臨機応変にやって下さい、とのこと。 そして同時に、実践して問題点が出てきたら今後のために教えて下さい、とのことだった。
実は何が正解かまよっていた部分もあって、今オイラが考えてやっていることが方向としてあってるのかどうかと言うことが確認したかった。 そしたら、その方向でおやりなさいということで、勇気をもらった。 絹川さん、ありがとうです。
稽古の方はボチボチと読みをやっていった。 そして、音もかけながらイメージどおりにハマっていってるかどうかを確認していった。 再考しなければならない部分も出てきたなあ。
稽古後は劇団員の一人一人とちゃんと会話しようと思い、昨日もそうだったが可能な限りこれからも1対1で話をできる場を設けて、いろんな思いを聞いて行こうと思っている。 今日も一人と対話をした。 いろんな話が聞けたし、いろんな気持ちも伝えることが出来た。 今後もこうやってできる限り多くの人と話をしていければなあと思っている。
ネットオークションにビデオを出品していた。 予想外の金額で落札された。 これにはビックリ!
というわけで、第三舞台のDVDボックスを早速申し込んだ。
先日七ツ寺で芝居を観た時のチラシの束を何気なく観ていたら、七ツ寺の季刊紙に「ソウルガーデン」の劇評がのっていた。 読んでなんじゃこりゃ? と言う感じ。
劇評の欄に何かを書く場合は、その人がどんな職業であっても端から見ると劇評家だ。 でも、その仕事を全然果していないではないか。 これでは、オイラが芝居を見に行った「感想文」となんら変わらない。 むしろ、芝居を見る人の理想が見えない分、飲み会での四方山話のレベルだ。 ウーム、こんな「感想文」を「劇評」として載せてしまってもいいのか?
もうちょっとなんて言うのかな、同じ切り口で話をするにしても、この先演劇に求められているテーマはこうだから、この展開では物足りないとか、いいとか、そんな感じで書いてくれると芝居をやっているものとしては凄く助かるんだけどなあ〜。
でも、この地方のレベルってそんなものなのかな。
今回の稽古は主にできたてホヤホヤのダンスの稽古。 今回はダンスそのものをみせるというよりは、それを使って場面の雰囲気を盛り上げていく使い方をする。 なので、振付師もそこいらのところをちゃんと理解して作ってきてくれた。 まだ芝居そのものの稽古には入っていないので、ダンスを芝居にはめた時に多少の不具合が予想される。 でも、殆ど出来上がりましたよん、という形になっている。
でも、一つ別の人にオーダーを出したダンスがあるが、そちらはそれそのものを見せることが目的なので、稽古量も他のダンスに優先して増やしていくんだろうなあ。
最近思うのは、演出を始めた頃はダンスにカッコよさを求めていたけど、いまはそのダンスから受ける印象がお客さんに芝居の中でどう映るかと言うことをしっかりと考えるようになってきた。 というか、気がついたらそうやって考えるようになっていた。 そのせいか、いくらかっこいいダンスでもダメなものはダメだと思うようにになってきた。 もちろんそうならないためにも、劇団の振付けで実績を上げている人にオーダーは出した。 本当は新開拓をしないといけないんだけどね。
さて、もう一人の振付師のダンスは、どんなんかなぁ〜。 楽しみ楽しみ。
てなわけで、稽古。
稽古開始時間までは、公演会場で今回の舞台プランの打ち合わせ。 技術的に可能かどうかを検討する。 いろいろと構想と実際と会わない部分もでて来るかも知れないが、それはこれから検討していく。 仕込み方法などを検討して、その上でどんな舞台にしていくか決定していく。
稽古はインプロを中心に行なった。 身体のオファーのおさらいと、言葉のオファー。 おさらいだと思ってやってみたら、欠席していて初めての役者にはスッテプを踏まえずにいきなりのジャンプはしんどいことが分かった。 おさらいするにも在る程度前のステップに戻らないと、そこに初めて加わる役者を混乱させて終わってしまう。 これでは当初の目的から外れてしまうので、先に進みたい気持ちをぐっとこらえて、これからはそういったことにも気を付けて行こうと反省した。
稽古後の飲み会ではいつもの仲間と台本と役作りについて大激論。 でも、ひとしきり議論してからちょっとさみしい気持ちになる。 こういった場で、他の劇団員とも世間話ばかりでなく芝居の話が出来たらなあと・・・
2002年11月16日(土) |
乳牛テクノロマンス「ロック ゴウ ボウル」 |
現劇団員の所属する乳牛テクノロマンスの第2弾。 ワンシュツエーションコメディーを基本としている舞台。 就職活動を巡るなんやかんやで物語は進んでいく。
就職活動を巡るやり取りがどうにも腑に落ちなかった。 目の前で展開される話が真面目すぎるのかな。 例えば自分自身が就職する頃を思い出してみると、周囲を見渡してもあんなに真面目に就職する職種そのものについて語ったやつはいなかったし、就職するにあたって職種だけが問題ではなかった。 問題はその職場に勤めている自分を想像した時に、どんな生活をイメージするかだった。 簡単に言えば「就職する=やりたいことをする」ではなかったと言うこと。 どちらかと言うと「やりたいこと>就職」なのだ。 そして、その視点が見える部分が皆無だっただけに、リアルさに欠けるし腑に落ちない話に見えてしまったかな。
そして、あえてワンシュツエーションを選択しているのは分かるけど、話の展開が遅すぎる。 どうにも客席で退屈してしまった。 脚本そのものの構成力は素晴らしいと思うけど、如何せん長い。 いろんな謎もでて来るけど、その謎の明かされ方や明かす時間帯が問題がある。 お客さんがそのことを忘れかけた頃や他の謎に興味が引かれたところで謎解きが始まってしまう。
日常会話のリアルな描写としては分からないでもないけど、空気を同じくする他者に見せる芝居なのだから、もっとお客さんに親切にしてくれたらなあと思う。 そして、日常会話のリアルさを求めた割に登場人物の名前を芝居中呼ばなかったのも気になる。
芝居そのものの出来については、お姉さん役の女の子の芝居がせっかくのいいテンポで回ってる芝居を止めまくっていた。 とてももったいない。 他の役者はちゃんとレベルアップしてるし、みんなで共通した理想系を持って芝居づくりをしてるのになあ。
舞台の構成やらなんやらはとても好感が持てた。 前回公演で音楽の使い方が下手っぴだと、演出に言ったことがあって、その影響かどうかは分からないけど、今回は全く音楽がなかった。 その潔さは素敵だ。 ちゃんと演出の仕事を(ほんの少しだけど)するようになったなあ。 えらいえらい。
芝居が終わったあと、とても久々に会う奴がいてそいつと一緒に御飯を食べた。 ずいぶん前から知ってるけど、こんなに長く会話することって初めてだった。 それがなんだか妙に嬉しかった。 そしてその彼は来年からオイラと同業者になるのだった。 しかも隣町の。 いいなあ〜リッチな町で。
そう言えば、芝居で不思議なことが一点。 なんで屋上で靴を履き替えたんだろうなあ・・・
2002年11月15日(金) |
お見舞い&嫁さんの修羅場 |
オイラ達夫婦の仲人をやってもらった親戚のおじさんのお見舞いに行った。
とても残念なことにほとんど意識がない。 声を出欠けても返事がない。 末期のガンではあるが、そうやって意識がない分痛みもほとんど感じていない。 不幸中の幸いというところだ。
そして周辺では来るべき日の準備が進みつつある。
話は変わるが、昼間嫁さんが壮絶な現場に遭遇した。 家の近くの道路で対向車が突然止まった。 そして嫁さんの車も当然動けなくなる。 よくよくみると運転席で近所のおじいさんが、首カックン状態でうなだれている。 嫁さんが車を降りて近づいてみると、おじいいさんはよだれを垂らして口から泡を吹いている。 これは一大事だ! 脳梗塞の疑いがある。 脈はある。 呼吸もある。 さっそく救急車を呼ぶ。 しかし、回りは幼稚園のお迎えやなんやかんやで渋滞中。 なかなか着かない救急車。 その間にだんだん脈も弱くなってきている。 やっと救急車が着く。 なんとか命がある間に病院へ運ばれていった。 その後どうなったかはまだ聞いてはいないが、たぶん命は大丈夫だと思う。 その後嫁さんはあまりの緊張で胃痙攣を起こし午後の仕事を休むことになった。 看護師だったからバイタルチェックができたけど、看護師だったからことの重大さのよる緊張がよりいっそう深まったのではないかと思ったのだった。 きっと、オイラが遭遇してもそこまでの一大事だとは思わず、ひょっとしたらクラクションでも鳴らして別の道を行っていたかもしれない。
今日の稽古に新入団員が一人。 芝居経験は全くないとのことだけど、職業柄表現は一通りやっているようで、劇団員とインプロで混じってやってもらったけどひけはとっていなかった。
何かを表現することで相手に分かってもらう。 これは芝居に限らず日常生活でも大事なことだ。
自分が何かを伝えたいと思っていることが表現にならず表出のレベルで止まってしまうこと、それはまわりが判断することかもしれないが、まわりに分かってもらえなければ結果それは独り善がりで終わってしまう。 自分で意識していなくても表現ができる人もいる。 でもそれは稀な存在だ。
今やっているインプロはそういった表現と表出の狭間をゆらゆらしてる人にとっては有効な手段だと言うことも分かった。 知らず知らずのうちに自覚させられるのだ。 でもそれは、自分自身も稽古場で実践しながら、そしてそのあと参加者達のいろんな話を聞いて、自分自身のもやもやが確信に変わっていくところでもある。
それから、台本の解釈についてもいろいろと議論が別れる部分をみんなに聞いてみた。 議論しながら詰めていく部分はあるが、しかし芝居は一回性と言う性質もあり議論の分かれた部分をファーストインプレッションで聞いていくのも大事なことだ。 結果、劇団員のなかでもその解釈が二分したので、今回は演出である自分が思う方を優先した。
芝居は役者の物と言われがちだけど、役者だけで作り上げていくものではない。 まして演出一人のものでもない。 全員で作っていくものだ。 改めてその意味を感じたのだった。
2002年11月13日(水) |
安全地帯「ANZENCHITAI CONCERT TOUR 2002」 |
ほぼ10年ぶりの安全地帯としてのライブ。 久しぶりの名古屋市民会館。
開場前、隣の中ホールで明石屋さんまのコントライブの開場時間にでくわし、当日券もあると言うことでものすごく心引かれた。 でも、いかんいかんと振り切って大ホールのライブ会場へ。
お客さんはオイラよりも10年以上人生の先輩とお見受けする人たちばかり。 たぶん、「安全地帯」ではなく「玉置浩二」から入った人たちだなあと言うことを察した。 ライブが始まってからもそんな感じの客席だった。 ソロライブの時によくやる曲ではものすごく盛り上がって、そうでない曲ではまわりでくっちゃべってるという、ものすごく嫌な感じの客席だった。
それとは裏腹にライブそのものはものすごく良かった。 10年前に始めて観た安全地帯のライブは活動停止直前で、ある意味テンションバリバリで他の人を寄せつけない感じで、演奏はアコースティックな楽器だったけど、R&Bのハイテンションな感じだった。 MCもほとんどなし。 ギターの弦を引きちぎりながらガンガン演奏するライブだった。 でも、それがものすごくカッコよかった。
そして今、10年ぶりに観た安全地帯は、やっぱりMCは殆どなし。 ライブ中に話した言葉は 「今晩は安全地帯です。名古屋でライブが出来てとても嬉しいです。」 「ありがとう!」 これだけである。 90分間ただただ演奏し続けた。 はじめ3曲くらいはみんなが知ってるアップテンポの曲を御挨拶がわりに。 そして、ニューアルバムの曲を(今の安全地帯を)次々と演奏していく。 割と淡々とした曲が多いのだけど、楽曲も演奏も素晴らしいので飽きることなくきける。 一曲一曲がものすごく密が濃くて、もっと聞きたいと思わせながら終わっていく感じだ。 後半は安全地帯のヒット曲の嵐である。 しかも、アレンジも変えてより良くなってる。
ただ、昔の曲の時に思うのは、今回交通事故でギターの武沢さんが出ていないのだが、サウンド的にその部分でどうしてももの足りない感じはあった。 演奏は素晴らしいんだけど、その一点だけは残念だった。 チケットが送られてきた時に武沢さんが出ないので、払い戻しに応じますと言うただし書きがはいっていたが、ここまで演奏に影響が出るとは思っていなくて、払い戻しすると言う意味も納得が行く。
玉置浩二はテンションが上がって来ると落ち着きがなくなるのだが、今日は終止落ちつきがなかった。 でも、それがオイラが観たいライブなのだ。 オイラが観たいと思っているのは、ソロライブの時にMCたっぷりして笑顔を振りまいてる玉置浩二ではなくて、ハイテンションで落ち着きのない諸刃の剣みたいな玉置浩二なのだ。 それが見れてとてもうれしかった。
サウンドも90年代に流行ってたHi-Fiっぽいサウンドを少しゴージャスにした感じで、よりクリアなそれでいて骨太なサウンドになっていた。 それもまたオイラの好みのサウンドだったりするし、このバンドにあってるサウンドだと思う。 明かりも久しぶりに曲の気持ちにのっかった演奏を邪魔しないどころか演奏を引き立てていく素敵な明かりだった。
ほんとに久々にスッキリするライブを観た。
大家火だるま!
もと横浜の選手だっただけに親会社のTBSは凱旋登板と大PR! しかしその甲斐なく滅多打ちにあった。 でも、日本で通用しなかったから大リーグに行ったわけで、日本の選手に滅多打ちにあっても不思議ではない。 決して大リーグが日本より上と言うわけではない。 野球の質が違うのだ。 で、以前までは技術レベル以外の部分での差が大きかったので毎年日米野球は日本とって悲惨な結果を招いていた。 だけど、今は大分変わってきた。 だから、大家が大リーグで活躍しても火だるまになっても別に不思議ではない。
松井のバッティングを見ながら、以前落合が言っていた話を思い出す。 落合は日米野球の時に快心の当たりをしても、打球がフェンス間際でおじぎしてしまったことにショックを覚えたと言う。 簡単な話、大リーグの投手のパワーに負けてしまったと言うことだ。 そしてその後悩んでバッティングのバランスを崩して思うように打てなくなってしまった。 今、松井は同じような気分に曝されているんじゃないかと、ちょっと不安に思いながら日米野球を観ている。 特に松井はイチローや新庄と違ってパワーヒッターだ(ということになっている)。 だからこそ、日本人はホームランを期待するし、アメリカでも同じ期待のされ方をするんじゃないかと思う。 でも、環境も違えばボールの大きさやもともとのガタイの違いもあり、そうそうホームランを量産出来るような環境ではないと思う。
日本で成功しなかった選手が成功したからといって、日本で成功した選手が成功するとは限らない。 でも、反対に日本で残した成績どおりの活躍はできるかも知れない。 それは、野茂や石井やイチローや、そして新庄でも日本にいた時と同じくらいの成績はおさめている。
松井については過剰な期待をせずに、見守っていきたいと思う。
で、話は元に戻るけど、大家のインタビューをしたアナウンサーはつくづくバカだと思う。 大家と話が噛み合ってないばかりか、怒らせてしまっている。 タダでさえ滅多打ちにあった大家があれでは報われないよなあ。
いやあ、びっくり!
五分五分ぐらいの戦いを繰り広げると思っていたらば、、、、勝ってるよ! いやあ、びっくり!
そろそろ、日本人がメジャーに行くことが「夢」では、なくなってきたかな? そう感じさせる戦いでもある。
この先も頑張れ日本!
普段と変わらない一日。
妹夫婦はサッポロへと旅立っていった。 いいなあ、旅行。
いよいよ結婚式当日だ。
お互いつきあい始めてから12年。 人生の3分の1以上つきあって、やっとゴールイン。 端から見るとそんな感じに見えるのだろう。 オイラの結婚の時期が二人の結婚の時期に影響したかもしれないし、どちらかが優柔不断でなかなか決められなかったのかもしれない。 でもそれは、二人の中でしか分からないことなので、あくまで推測のかぎりだ。 でも、結婚披露宴で友人のスピーチの度に「12年、長い!」という言葉が出てくる。 その度に何故か心がちくちく痛かったりするのだった。
会場は小牧ロイヤルホテルの15階のレストラン。 名古屋空港から離発着する旅客機が見えて眺めがいいのだ。 しかも時間帯は夜である。 眼下に星くずのように明かりがちりばめられた中で披露宴は進んでいった。
前日から弥生がナーバスだったが、その気持ちは絶頂に達していた。 妹に近づくどころか、顔を見るのも嫌になっていた。 式が始まるまでずーっと泣きそうになっていた。 でも、子どもなりに偉いなあと思うのは人前式が終わる頃にはちゃんと自分の中で心の整理をつけて、結婚を祝福する気持ちになっていった。 ちなみに秀次も今日が何の日かしっかり分かっていたようで、大人しくしていた。
披露宴も佳境に入り、さだまさしの「親父の一番長い日」みたいな感動があるかと思いきや、意外とあっさりしたものだった。
披露宴が終わり家に帰ってきてから、重大な問題点に気付く。 どうやって数えても引き出物が一つ多いのだ。 さっそく妹に電話をかけて会場で引き出物がなくて大騒ぎしてる人がいないか聞いてみた。 そしてらやっぱりいて、(酔っぱらって)大騒ぎしていたようだ。 てなわけで、さっそくもといた会場に引き出物を届けに戻った。
どこかなどこかなと捜してみるとホテルのロビーの喫茶コーナーで歓談中のグループを見つけた。 滝高校演劇部OBの2次会になっていた。 妹夫婦はこの演劇部がきっかけで出会った。 そして偉いことに今でもぼちぼちと演劇を続けている。
ここで断っておくが、オイラが芝居を始めたのは妹たちがきっかけだったわけではない。
で、この二次会にプチ参加させてもらった。 少しの時間だったけど、いろいろと話をさせてもらった。 妹の別の面を垣間見ることができた。 静かだけど、幸せな光景だった。 なぜだかわからないけど、心の中で「大丈夫だ」と思う俺がいた。
明日遂に妹が結婚をする。
あわただしい一日になるかと思いきや、特にこれと言って特別なことはなく、普通に過ごした一日だった。 普段と違うことと言えば、弥生がおばちゃん(妹)と別れることがつらくて少しナーバスになっていたことくらいか。
稽古場でインプロを開始した。 インプロの手法は市販されている本を使用した。
これがまたハマるハマる。 稽古場は今までにない活気と緊張感に包まれた。 いい意味でのテンションの高い稽古場だ。
このインプロの残酷なところは役者の得手不得手を露呈する。 しかし、それをしっかりと意識化させてくれるので、役者は何をトレーニングしていけばいいのか、何を意識していけばいいのか気付かせてくれる。
メニューはたくさんあるので、一気にやっていくことは出来ないが、ゆっくりとゆっくりと積み重ねて、いつかその成果が見えてくればと思う。
インプロとはimprovisationを縮めた言葉。 日本語で誤解を恐れず訳すと「即興」という意味だ。
この先一年くらいかけて、このインプロを基礎トレーニングとして採用して行こうと思っている。 このトレーニングは基本的に芝居をする上で役者に必要な要素を台本解釈以外はすべて含めていると言っても過言ではないトレーニング方法だ。 このトレーニングを芝居の稽古と平行して月に2回くらいやっていくことで、一年後には役者が見違えるようにたくましくなっていることを期待している。
いままで、うちの劇団ではこういった体系的なトレーニングをほとんど積めずに経験だけでやって来た嫌いがある。 今回からボチボチと本当の意味での基礎的なトレーニングを積んでいければと思っている。 そして少なくともその中の何人かは、何処に出しても恥ずかしくないレベルの役者として成長してくれればと思っている。
社会人劇団としていろいろな意味で物理的な制約はあるが、野望は尽きない。
今日は休憩。
昨日までの怒濤の一週間が終わり、やっと休憩かと思いきや、祝日出勤だった。 トは言っても午前中だけだが。
昼からは親戚のおじさんが撮った弥生の写真が、江南市民文化祭の特選になっていると言うことなので、家族4人で見に行った。
おお!あったあった。 弥生の実物よりも大きい写真に、弥生も照れ照れだ。
この写真を撮ったおじさんは、今病床で癌と戦っている。 が、このままだと遺作になりそうだ。
桑名市文化祭照明手伝い二日目。 本番日。
今日は現地での打ち上げがあるのでオイラが車を出すことにして、照明チームを拾っていった。 そして現地到着。 朝からリハーサルだ。 このリハーサルは昨日から続いていて、ほぼ二回廻り通しをやった。 二回廻り通しと言えば、簡単に聞こえるかも知れないが、バレエ・舞踊・ヒップホップの三団体が各々90分程度の出し物を行なう。 曲数にして51曲。 通しで4時間程度の舞台だ。 てなわけで、一日中照明ブースに缶詰め。 ちなみにオイラの仕事は照明卓の段組みと、なんちゃってオペ。
そして本番。 さすがに疲れて来たのか、時々集中力が途切れそうになる。 しかし、なんとかガンバった。
段組みもお客さんや出演者に影響のない程度には何とかなった・・・・と思う。 出演者三組目のヒップホップでは、チョビットオペの真似事もした。 指が十本では足りない部分の補助である。 ラップの曲になった時のホリとサスの明かりだし。 出演者は子どもが多いので、親達のカメラやビデオの砲列が客席に並ぶ。 そんな中オイラのオペである。 つたないオペが親のカメラにおさまり、一生の記念になるかと思うと、申し仕分けないと思いつつ、与えられた仕事なのでなれない手付きでやってみた。 リズムにあわせながら明かりのボタンをカチカチと押すのだが、これがなかなか難しい。 初心者にはこれでもかと思うくらいボタンも重いので、上手くリズムに乗れなかったりする。 特に、ホリはビデオカメラには目立って映ってしまうのである。 終えた後、やっぱり申し訳ない気持ちで一杯にならざるを得なかった。 でも、やってみてとても楽しかった。 いつか機会があれば、またお手伝いがしたいと思う。
本番終了後、バラシはあっという間に終わって打ち上げに参加させていただいた。
モダンバレエの先生に 「どうだったですか?何でもおっしゃって下さい」 と聞かれたのだが、特に見るべきところもなかったと言うのが正直な感想だったので、 「皆さん身体柔らかいですねぇ〜。うちの劇団員にも見習ってもらいたいものです。」 とか何とか言ってその場をごまかした。 しかしこの先生、出演した子どもの親達が普通なら「ありがとうございます」「お疲れ様」と、お酌の一つもあればいいのだが、誰一人として次にこないのだ。 ウーム、なんともせつない光景だった。
劇団でいつもお世話になっている照明さんが人出が足りないと言うことで、今日明日の二日間お手伝い。
久々にいわゆるホールでの仕込み&なんちゃってオペレーター。
いつもは仮設舞台でやっているので、いわゆるバトンがあって、プロセがあってっていう舞台のルールを忘れかけていた。 てなわけで今日の仕込みはいろいろ思い出すのが大変だった。 でも、まあなんとかみんなに迷惑をかけない程度には出来たかなと思っている。
本当に久々にやったので全てが新鮮で全てが楽しかった。
また明日頑張るじょ!
今日は犬の日。 11月1日で「わんわんわん」だそうな。 そして秀次の3回目の誕生日! まだオイラの11分の1か。 わかいなあ〜。
昨年は誕生日直前に1ヶ月入院生活をしてたけど、この一年は大きな病気もなく無事に生活出来た。 よかったよかった。 とはいっても、せっかくの誕生日に風邪を引いてしまった。 咳でなかなか寝つけない寝不足のはなたれ小僧になっている。
早く良くなれよ。
そういえば、トップページのカウンターが「8008」 ハーボットのカウンターが「4004」だった。 単なる偶然だけど、何となく嬉しい。
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