前日の八の飲み会でへろへろ。 扶桑町町制施行50周年記念式典の仕込みでへろへろ。 てなわけで、今日は休憩。
飯田にいったり、牧歌の里に行ってもこの期間やはり稽古はあるのだった。 この間通し稽古を含めていろんな稽古を行っていったが、だんだん気持ちが入るようになってきた。 稽古場の雰囲気も悪くはない。 いままで緩やかだった上昇カーブも、やっとこせその角度が上がりはじめてきた感じだ。
そしていよいよ今日は「ありがとう八」飲み会である。 とても切ない気持ちのまま、過ごすことになるだろうが、これまでのこのお店への感謝の気持ちを込めて、なんとか笑顔で終わりたいと思う。
朝起きると弥生が喉に痰がからんだような「マネ」をしている。 おや? と思う。 「保育園やすみたいー」 「お熱があったら休もうか?」 ・・・しかし熱はない。
「どうしたの、ほんとは何で保育園休みたいの?」 「お父ちゃんもお休みで4人そろったから、どっか行きたい」 おー、泣かせるねぇ〜
てなわけで、急遽家族四人でお出かけとなった。
天気は曇り。 動物園や水族館は月曜でお休み(泣) どこに行こうか悩んだ結果、高山に行くことになった。
そして、出発! 東海北陸道を美並以北を走るのは初めてだ。 トンネルが多くて標高の高い場所にあるという印象が強い道路だ。 急な長い坂道が多く、軽四で行ったせいもあり坂道をベタ踏みしてもちっともスピードが上がらない。 むしろどんどん下がっていくような感じである。 うーむ、やはり山方面へのお出かけには普通車が必要だなあ。
北上を続ける間、だんだん天気が良くなってきた。 てなわけで、行き先を変更して牧歌の里に行くことにした。
空気もきれいで周辺の緑がとてもまぶしく、気温は高いが湿度は低い。 文字通りの「避暑地」だ。 夏休みとはいえ平日の所為か、適当なにぎわいで、食事をする場所やアトラクションも空いていて、ゆっくりと過ごすことが出来た。 弥生も秀次も満足してくれたようで、気分転換になったようだ。 実は2週間ほど前、同じ牧歌の里に行こうというときがあったが、その時は残念ながら秀次が熱を出してしまいお釈迦になったのだ。 今回こうしてそのリベンジが出来た。
またいつかこんな風に家族四人そろって遊びに行きたいなあ。
2002年07月28日(日) |
親子ふれあいアドベンチャークラブ!! |
昨年からあっためて来た企画「親子ふれあいアドベンチャークラブ」の当日を向かえた。 この企画は、長野県飯田市で親子45名が天竜川のラフティングを体験する企画である。
天気は晴れ! ウーム、ラフティング日和!!
しかし、出鼻は挫かれた。 親子一組が集合時間になっても表れない。 そして、電話をかけると・・・・ 「・・・あれれ、今日でしたっけ・・・」
!
「今から行きます。」 そして出発は遅れた。 幸先悪いスタート。
バスは動き出した。 しかし、行く先々で事故車を見た。 国道に出る時に、いわゆる「右直」の事故、やり立てのホヤホヤ。 恵那山トンネルを抜けたところでは、園原ICの出口と工事用車両の出口を間違えたらしき状態でガードレールにぶつかった自損事故。 飯田について昼食会場に向かう先では側溝にタイヤのハマった車の自損事故。 極め付けは、付き添いの体育指導委員の車が停車してスイッチを切ってもヘッドライトがつきっぱなしになっている故障。
うーむ、今日はなんだかなあ。
そんな不安とは裏腹に参加者親子はこの企画を楽しんでいてくれている。 昼食会場は山の上にあるのだけれど、道中眼下に飯田の町が見えた時に子供達から一斉に歓声が上がった。 その歓声を聞いただけで、この企画をやって良かったなあと、心のそこから思えた。
そして企画は順調に進み。 ラフティング体験となった。 しかしここでも、ちょっとしたトラブルが。 この企画の代理店の連絡ミスで到着時間と開始時間が先方に伝わってなかったようで、ラフティングの先生達もてんやわんやになってしまった。 いろいろあって予定時間から1時間程遅れてスタート。 しかし、参加者はそんなことは何処ふく風。 すっかりラフティングを楽しんでもらって、また次もやりたいと言う感想をたくさんいただいた。 ありがたいかぎりだ。
バスの出発時間も予定より1時間遅れ。 そして到着も1時間遅れとなってしまった。 でも、きっと夏休みの最高の思い出の一つになったのではないかと確信する。
和泉元彌が「世紀の大移動」成功!!
ダブルブッキングのそのものの道徳的・同義的問題はおいといて、これは素敵な話題だ。 未だかつてどんな大物でもこんなすさまじい移動は見たことがない。 前日に東京で舞台を勤め、その日に可児に入り、翌日朝、舞台を勤めそしてその日の昼には東京の舞台に立っているという。 ほんとにおばかですさまじい移動である。
ビジネスマンが単純に約束の時間に目的地につくだけの問題ではないのである。 舞台は約束の時間が開演時間、すなわちそれまでにメイクやら着替えやらを済ませておかなければいけないのである。 そして、舞台を勤めるためには気持ちを切り替えなければいけない。 舞台そのものを見たわけではないので、結果についてどうこうはいえないが、精神的には相当な疲労を伴う一日になったのではないかと思う。 結果400キロを2時間で移動。 ウルトラマンが40人いないと達成できない移動なのだ。 それをやってのけた。 舞台の出演料よりも移動費用のほうが数段お金がかかっている。 これもまたおばかな話である。 必要に迫られたこととはいえ、ヘリやジェット機をつかってこんな移動を経験できた和泉元彌は幸せものである。 この移動を引き受けた航空会社の勇気にも拍手ものである。
そして、この世紀の移動に公共の電波を使ってわざわざ生放送したマスコミがあった。 この馬鹿馬鹿しい話をこれまた馬鹿馬鹿しくこのテレビ局は伝えた。 この姿勢にも拍手を送りたい。 お馬鹿な話だが、こんなくだらないことをお金を掛けて放送するこの姿勢が素敵だと思った。
世の中こんなおばかなニュースばかりが増えるといいのにと思った。
最近とくに人の命を軽く見た犯罪のニュースが多すぎる。 そしてその被害にあうのは若い女性や幼い子どもばかり。 「身代金」目的の誘拐ならば生きていなければもらえないはずだ。 好きな女子を自分のものにしたいなら、生きていなければその可能性すらなくすことになる。 人を殺すことに罪悪感を感じないから殺してしまうんだろうけど、殺してしまったら目的が達成されないことに気づかないんだろうか。 そこで踏みとどまることは出来ないんだろうか。 相手の命も自分の命も同じ命である。 そして、殺してしまおうと思ったその瞬間踏みとどまって、お互いのその先の人生の可能性を考えないんだろうか。
殺人のニュースを見るたびに胸が痛む。
2002年07月26日(金) |
ジュニアスポーツ教室反省会 |
ジュニアスポーツ教室が一段落したところで各教室の担当者と職員で反省会を行った。 とはいっても、ちゃんとした会議ではなくお酒を酌み交わしながらおこなった。 しかし、ほとんどの人たちが数回顔をあわせたどうしであり、かっちとした会議をしたところで本音は出てこない。 じゃあというわけで、こちらもいろんな意見が出てきたことを記憶できるかどうかというリスクを犯しながら、お酒ガンガンの飲み会のスタートだ。 幸か不幸かみんなお酒が好きな人たちばかりで、これがまた進む進む。 最後にはお店の人から「冷えてるビールがありません」とまでいわれてしまった。 おいおい、いったいドンだけ飲んだんじゃ! というわけで、かなりの話を覚えていない・・・・
でも、肝心な話は意外とちゃんと覚えているものだ。 同じ町に住んでいながら学校によっていろんな特徴がある。 ある小学校の子どもたちはほとんどの子が自転車でやってくるのに対して、別の小学校では変な人が出るといううわさがあったり実際被害も出ていることもあって、親が車で送ってくる子が多い。 3万人しかいない面積も小さな町なのに地域によって差があるんだなあと改めて感じた。 ほかに、教室の最後に各学校対抗のスポーツ教室を行うなど、何らかの形で子どもたちにも目標になるような、そんなイベントがあればいいなあというところで話はまとまった。 今年出来るか来年できるかどうかはわからないけれども、何とか形にしていければと思うのだった。
劇団Beans旗揚げ当時から7年あまりズーッとお世話になっていた居酒屋「八剣伝扶桑駅前店(通称:はち『八』)」が今月一杯で閉店になった。
八は劇団Beansが旗揚げをして間もなく開店した。 そもそものきっかけはオイラが劇団を旗揚げする時にさそった役者の一人が「劇団に参加するがその後の飯を付き合え」という約束から良く行くようになった。 扶桑駅前と言う絶好の立地条件のなか、お客さんはオイラ達しかいないことが多々あった。 それをいいことにとにかくむちゃくちゃ騒いだ。 いろんなものを壊した。 トイレにもたびたびお友達になった。 ここでのお酒を通じていろんな人たちとも知り合いになった。 交流の輪も広がった。 そして、劇団のなかでもここで数々のドラマが生まれた。
そして、このお店はそんなオイラ達を嫌な顔一つせずいつも暖かく迎え入れてくれた。
そんな場所がなくなる。
旗揚げからズーッと一緒だった劇団員がいなくなるような、そんな寂しさが襲う。
八は劇団Beansの歴史と言っても過言ではないような場所だった。
感謝の言葉に尽きない。
今日も稽古だった。 後半の段取り固めを主にやって行ったが、何とか形になりそうな予感がして来た。 役者の中には要領を得ない感じのやつもいたが、時間がたてば解決してくれそうな感じだ。
ここんとこ様々な出来事があった。 隣町の職員が下ネタ沙汰で警察のお世話になった。 ミスチルの桜井が小脳硬塞の疑いで活動を停止した。 政局はますます混沌を深めている。
どれもこれもオイラの胸をいためることばかりだ。
でも、この切なさも力に変えて、この厳しい現実を何とか乗り切って行かなくてはと思うのだった。 だからこそ、芝居と言う方法でその勇気や姿勢をみせて、お客さんにとってのほんの一瞬でもイイから清涼剤になればと思うのだった。
怒濤の4連休も今日が最後。 明日からはまた忙しい日々が始まる。
そんな中ドラゴンズは強いのか弱いのか良く分からない試合を続けているし、グランパスはケアレスミスが多すぎ。 子どもは高熱をだし、劇団もいろいろあって、何となく気分がもやもやしている。
そして、またも!
巨大台風が近づきつつある。
今週来週と屋外のイベントが続く。 台風が影響してくれないことをのぞむ!
以下私信: 劇団TEN主宰のTurumiさんからメールをもらいました。 とても勇気になりました。 ありがとうございます。
2002年07月22日(月) |
祝!1周年!!・・・そして稽古 |
このページを開設してから1年が過ぎた。 いままで日記と言うものをトント付けたことがなかったオイラが、果たしてページの更新なんて言うめんどくさい作業をやっていけるのかと、自分で心配していたが、気がついたら1年続いていた。 そういえば、劇団Beansを旗揚げした時も、何時まで続けられるんだか・・・と思っていたけど、気がついたら7年も経っていた。 きっとこのページもサーバを持ってる会社が潰れない限りは気がついたら○○年経ってたってことになるのかなあなんて淡い期待を抱いていたりする。
さて、今日も稽古だった。 昨日の苦渋の決断を本人を前にして伝えた。 その話があったあと、もう一度チャンスが欲しいと言うことになり、しばらく時間をあけてその役者の芝居をもう一度見ることになった。
チャンスが欲しいと言われた時、ものすごく迷った。 ひょっとしたらあるかも知れない可能性にかけてみようと思う気持ちが、ほんの少しだけ顔をのぞかせた。 しかし、ここでやってもらって同じ結論を出さなければいけなくなった時、当然その役者は何がいけなかったのか聞いて来る。 そのとき、また同じ話をしなければいけない。 ショックを更に受けさせることになってしまう。 だから、やりたくなかった。 でも、やらせないときっと当人もスッキリしないと思うので、やってもらうことにした。 当人にアドバンテージを持ってもらうため、場面や役者選びをすべて任せることにした。
しかし、結果はやりたくなかった理由の、まさにそのとおりになってしまった。
その場で断れず、更にショックに追い込んだこと、そして同時に他の劇団員の稽古時間をそれに使ってしまったことの両方の後悔が襲うのだった。 もう一つ鬼になり切れない自分がいる。 でもそれは集団の成長の停滞を招く。 お人好しであってはいけない。
今回、稽古後の話し合いの中で、ひとり今回の舞台から降りてもらう決断をせざるを得なかった。
非常に苦しい辛い判断である。 ある意味演出が芝居の出来なかった役者にたいして敗北を宣言するようなものである。 やり切れない思いがつのる。
しかし、お客さんを前にした芝居を作ると言う大前提の前には、この厳しい現実の前には、いかんともしがたい事実なのである。
この役者には、もちろんショックはあると思うが自分が何故落とされたかと言うことを、自分自身できっちりと分析する必要がある。 これで人生が終わるようなものでもないので、またチャンスはある。 もう一度しっかりとした足取りで這い上がって来て欲しい。
今日は祝日故仕事がおやすみだった。 久しぶりの世間がお休みの日の休日。 流れてる空気も休日の空気だ。 本当に久しぶりに味わう休日。
でも、だからこそ今まで苦労をかけている劇団員に何か返さないといけない。 と言うわけで、朝から衣装の買い出しに出掛けた。 しかししかしである。 道中大変なことに気がついた。 財布がない! あれれ? 各方面に電話しまくった結果、職場に忘れて来たことが発覚。 とほほ、である。
幸いお昼御飯にはありつけて事なくをえたが、こういう不注意はなくしたいと心に誓ったのだった。
そして、昼からは稽古である。 本番を丁度一ヶ月後に控えた段階での稽古である。 抜き稽古もここへきてやっと二周り目の終りに差し掛かって来た。 この土日の稽古がまずは勝負どころである。 ここで、一定の結果をだして行かないと、この先非常に苦しい状況がまっているのだ。 昼間は役者が揃わなかったりといろいろとあって思うように稽古が進まない。 場面場面のイメージを描きながら進んで行くのだが、形を理解して行くのもままならない状況だ。 いったい夕飯の休憩を挟み、怒濤の夜間の稽古へ。
ここで稽古場の状況は一転する。 役者もほぼ全員揃った。 劇団TENの面々が稽古場に見学に来てくれた。 劇団BeansのOBの面々も。 稽古をする為の土台がこの上ない状況で揃った。 稽古場では普段経験しない緊張感の中稽古はスタートできるのだ。 そして、演出のオイラ自身、他の劇団の役者にみられる稽古はさほど意識はしないけど、見に来ていただいた方が演出ともなればテンションもおのずと上がって来るのである。
いくら稽古であろうとも、この時期はそろそろ本番と同じ前提条件を持って稽古をしていく時期に突入して来る。 それは、やっていないことやスキル不足を理由にダメ出しのレベルは落とせないと言うことである。 そういう意味でこの緊張感でできることにとても喜びを感じながら稽古を進めて行った。
そして稽古の方はと言うと、時間の制約上いろいろと端折ってしまった部分はあったが、何とか今日思っていたノルマをクリアすることが出来た。 いや、強引にクリアさせたと言った方が正確かも知れない。 明日は遂に初めての通し稽古、そして今後のこの芝居の方向を決定付ける重要な打ち合わせを行なう日である。
劇団の誰にとっても幸せな一日で終わっていければいいと思う。
2002年07月19日(金) |
Never Give Up |
昨日の稽古。 うむむむ、である。
女優の一人にダメ出しと警告をした。 一ヶ月後の本番までの時間と現在の結果を考えると、非常にまずい状態だと言うことを伝えた。 今回の芝居の世界の入り口にまだ立てないのである。 本人はとても努力家だ。 今までの努力そのものはとても認めている。 しかし、残念ながら結果にそれが現れて来ないのである。 今やっている世界は努力してナンボよりも、結果を出してナンボが優先する世界である。 簡単な話、見に来てくれるお客さんはそれまでの努力とは無関係に見たままを評価するのだ。 それがこの世界の難しいところであるし、同時に武器にできるところなのである。 時間はないが、早く今閉じこもっているからを破って出て来て欲しいと思う。 そうすれば彼女は劇的な変化をして行くのだと思う。 それを期待している。
早く這い上がってこい!!
ありゃりゃ、自分の日記のぞろ目をゲット。
しかし今日は昨夜さほど飲んだつもりはないのに二日酔い中。 職場に何とか出勤したものの、「しばらく汗かいてくる」とグラウンドに行き酒を抜く作業。 お陰で何とか二日酔から復活!!
今夜も稽古。 やるぜ!
またも緊張の体育指導委員会。
今回はオイラが主に説明する役で、更に緊張の度合いが増すのだった。 ここに至るまで、何度かいわゆる「根回し」作業をやってきた。 まるで日本人社会の縮図を見るようである。 しかし、文句を言っていても始まらない。 それが現実なのだから。
会議中は言葉を選びつつ、慎重に慎重に話を進めていった。 普段オイラが同じ説明をすると15分くらいで終わるところを40分くらいかけて説明をした。 お陰で、なんとか問題もなく会議は進み、時間通り終わることが出来た。
よかったよかった。
結局台風は遙か南の海上を通り過ぎ、呼出もなく終わった。
しかし思うに、台風が来るぞ来るぞと気象庁やニュースや新聞ひっくるめて言い続けるのは、もしかしたら新手の脅迫なのか? と、思うくらいだ。 でも、こんな愚痴が言えるのは、特に大きな被害もなく台風が通り過ぎていってくれた所為でもある。
何カ所かは土砂災害や洪水があったものの、被害の規模としては小さかった。 しかし、被害の大きさは被害者の数字の大きさではかることは出来ない。 問題は被害に遭ってしまった人の、その被害の質なんだと思う。
だんだん蒸し暑くなってきたので、少しこざっぱりしようと床屋に行った。 床屋の帰りに上司から「午前中にプールにいってちょ」という電話が。 もともと午後に行く予定だったが、若干予定が早くなった。 そんなわけで休日出勤で台風対策である。 台風対策と言っても大したことをするわけでなく、風でぶっ飛びそうなものを片づける作業くらいである。 そしてプールは午前中でおしまいに。 午後からはお休みと言っても水質管理はしなければいけないので責任者と共に居残りに。
午後、いつも3時になるとプールにやってくるので「3時の男」と呼ばれているおじいさんがやってきた。 プールの中止を伝えるとやや憤慨。 プールの中止は広報無線で流しているのだが、 「うちは広報無線はうるさいから電源をきっとる」 「わしがガキの頃はどんな天気でもプールはやっとった」 と。 おいおい、プールが出来たのは30年前だぞ。 30年前って言うとおじいちゃんはどう見積もっても40代だぞ! 何時の話しとるんじゃい! と、心の中で思ったが丁重にお帰りいただいた。
そういえば最近ちゃんと休んだ日ってないなあ。 それが仕事だと言えばそれまでだけど。
台風も何事もなく過ぎ去ってくれれば文句はないんだけど、今回のは風が強いみたいだからちょっと不安である。 きっと今晩は緊急配備で呼出であろう。
そんな最中、劇団員の一人から交通事故に遭ったという知らせが・・・ 幸い怪我は大したことはなさそうだが、復帰には数日かかりそうだ。
まさに、嵐の予感。
早く元気な姿を見せて欲しいものだ。
今回はいつもと違う稽古場での稽古。 空調がない体育館で風通しも悪くまるでサウナ状態。 なかなか集中できない状況での稽古である。 しかしこんな日の稽古は、ある意味今まで隠れていたアラやアクがどんどん出てくるもので、演出的にはとても有意義な稽古になるのである。
おかげさまで今までに詰まっていなかったところや、問題にしていなくて過ぎ去っていったところが目に見えてまずい状況だと言うことが分かった。 ちゃんと出来ている役者は多少集中がとぎれても、技術で何とか見れるものになるのだが、そうでない役者は集中を切らした瞬間あっという間に役者でなくただの人になってしまうのだ。
おかげでこれからの課題がどんどん出てきた。 そしてこの先の稽古でもっともやらなければいけないことがはっきりとしたのである。
後1ヶ月、この判断が花開くかどうか、こうご期待!
2002年07月13日(土) |
ジュニアスポーツ教室 |
ジュニアスポーツ教室、今回で夏休みに入る。
この日は元劇団員の一人が手伝いに来てくれた。 当人も子どもと遊ぶのが楽しそうである。
今回のメインは「クロリティ」という輪投げ競技。 5m、3mのところから直径15センチほどのゴム製リングを投げて、1m四方の的に引っかけると言う競技だ。 競技自体は非常に簡単なので、子ども達は過ぎに飽きてしまう。 なんで、教室の前半はレクレーション的な遊びで引っ張って子ども達を飽きさせないようにするのだ。
教室の後半。 クロリティの組合せをやってるときに男の子が一人うめき声を上げ始めた。 おや? これは以前喧嘩して大変な目になった子ではないかい。 喧嘩をしたわけでもなく、どうも組合せのメンバーが気に入らなかったらしい。 とりあえず落ち着かせるために競技場の外に出て座ってもらった。 と思ったら、すっくと立ち上がっていきなり逃亡し始めた!! 体育館の外でやっと取り押さえ、何とか事なきを得る。 しかし、この状態になったらもう目が離せない。 指導員も一人こっちにとられてしまい教室全体に影響が出てしまう。 仕方がないので、家に電話しておばちゃんに迎えに来てもらった。
そしてもう一人気分が悪くなってぶっ倒れた子が・・・ こちらも家に電話。 お母さんがやってきたが、事情を聞いて開いた口がふさがらなかった。 朝ご飯を食べてなかったので、低血糖の症状になったようだ。 おいおい、朝ご飯ぐらい無理矢理でもいいから食べさせてやれよ!
今回はアタリ日だな、こりゃ・・・
水曜日の稽古が台風の影響でなしになった所為も有り、3日ぶりの稽古になった。
人も思うように集まっていなかったので、今までの音きっかけのおさらいやなんかをやった。 こうやって稽古を重ねて行く度に思うのは、やはり温度差の事だ。 この劇団を自分の手で成長させて行こうと言う人と、引っ張る人について行った結果で自分が成長していればいいやと思う人の差がボチボチと見え始めている。 上手い芝居は望んではいないけど、手数が多いに越したことはない。 自主的に提案してくれる人が多くなって行けばいいなあと思う。 そしてそんなアプローチをこれからより一層して行く必要が有るんだなあと、改めて感じた。
そういえば、今度うちの劇団員が七つ寺のプロデュース公演に出演することが決まった。 メンバーを見るとそうそうたるメンバーが集まっている。 そんな中に(劇団Beans)を言う文字が有るのを見ると、とても身が引き締まる思いだ。 でも同時に、そう言ったメンバーを集めて芝居ができる演出がうらやましいと思った。 でも、プロデュース公演と劇団の公演とでは構成員に対する期待の度合いも違うし、愛情のかけ方も違うし、そもそもの目的が違う。 劇団の公演の良さはプロデュース公演の良さに比べても、上回っていると思う。
近い将来、みんなに振り向いてもらえるような、そんな劇団になりたいと言う思いを改めて強くした。
台風一過。
からりとした爽やかな一日。 抜けるような青空が素敵な昼下がり。
テレビのニュースでは政界や経済のゴタゴタが・・・・ 違う夢を見てたり、利権が絡んだりするとスッキリしないもんだなあ。
今日の天気みたいにもっとスッキリすればいいのに。
2002年07月10日(水) |
台風のばかぁぁぁぁ!!! |
台風6号愛知県を直撃の予想。 役場では前日から緊急配備に備えるようにと言うお達し。
台風はだんだん速度を「遅め」ながら近づいてきた。 しかしコースは直撃コース。 劇団員の住んでいる西濃地区では早くも床下浸水の被害が出始めている。 長良川流域では避難勧告も続々と出されている様子。
よって今日予定していた稽古を中止の連絡をした。
ところが、ところがである。
台風は速度を上げながら進路を南よりに変えてあっという間に過ぎ去ってしまった。
あー、これがもっと早く分かっていれば稽古が出来たのに・・・
台風のばかぁぁぁぁ!!!
でも、みんな無事ならそれが何より。
久々にまる一日休みである。
夜、ちかくの小学校まで弥生が空手を習いに行ってるので、その付き添いをする。 いつも保育園の同級生と一緒になってやっている。 結構これがまじめにやっているのである。
空手の型を眺めていると、上手い人下手な人を見分けがつくのが、上手い人はちゃんと見えない相手を想像しながらやっているのである。 オー、芝居と一緒やン! と思いながら眺めていた。
しかし、この稽古でいつも気になるのは、弥生の同級生のお母さん軍団である。 とにかくうるさい。 やってる人達がかわいそうになるくらいうるさいし、言葉がとぎれる間がない。 んじゃ、注意をすればいいじゃん、と思うかもしれないけど、それはそれ。 このお母さん達といつもつきあっているのは家の嫁さんなので、今度一度相談してから一喝しようかなと思っている。
ここんとこ本来の休日である月曜火曜も仕事に出ている。 今週の土曜から始まるプールの準備である。
水質検査も無事通過し、後はお客さんの導線の確保やサイン関係その他細かい準備作業に入った。 プール水に井戸水をつかっている所為もあり、水を入れると必ず鉄分も一緒に出る。 鉄分が入った状態の水に塩素を入れるとバスクリンのような色になる。 それを見ると、あーやっとプールが始まるんだなあと言う気になってくる。 もちろんろ過器を回すと鉄分もろ過されていくので、色はだんだん透明になっていく。
一年間に水の事故で亡くなる人は、交通事故死者の約10倍である。 今年のプールの事故が起こらないことを願うばかりである。
2002年07月07日(日) |
ジュニアソフトボール選手権&よくある話 |
ソフトボール協会主催のジュニアソフトボール選手権の開会式のお手伝いに入った。 朝早くから強い風と雨で、開催出来るかどうか心配だったけど、何とか天気は持ちそうだ。 しかし安心するとトラブルは付き物。 なんと、もってったワイヤレスマイクの電波が切れてしまった。 前日ちゃんと実動作確認をしても、である。 芝居の本番中でなくて良かったとほっと一息。 この開会式は代替手段が見つかって、更にほっとする。
試合が始まり、一応一回の表裏ぐらいは見てから仕事に戻ろうと思った。 しかし! 対戦チームの力の差が激しすぎた。 と言うよりは片方が下手すぎた。 キャッチボールがまともに出来ないレベルなのだ。 開始30分経過、1アウトもとれず。 開始45分経過、まだアウトとれず。 開始60分経過、やっと攻撃終わる。 で、あまりにもいたたまれなくなり、最後まで見ていくことにした。 結局終わってみれば3回コールド32−0になっていた。 すげえ試合だと思っていたら、もう片面でやっている試合が何とまだ1回の表の攻撃中だった。 さすがにおつき合いが出来ない。 あとから聞いてみたら、この1回の表の攻撃で50点近く入れてしまったようだ。 うーむ、まるでラグビーだ。
体育館に戻ってロビーでタバコを吸っていたら、空手をやってそうな強面の人が公衆電話をかけている。 声が大きいので聞きたくなくても聞こえてきてしまう。
「おもえどこでなにやってんだ!」 「これないときはちゃんと連絡しろよ!」 「途中で事故とかおきてたらと思って心配だろ!」 「理由はいいんだよ、理由は!!」 「あん?お前やる気あんのか!」 「お前いくつだ!」 「一人前の大人の年齢じゃねえか!最低限の連絡くらいしろよ!」 「社会人としての基本だろが!!」
かなりご立腹だ。 しかし思い起こしてみれば、どこぞの劇団でもよくある話である。 オイラはここまで声をあらげて怒ることはないが、はらわたが煮えくりかえることがしばしば。 いくら趣味の世界でも集団でやってるんだから、最低限の気を遣えないといけないと、改めて思うのだった。
夕方の稽古には久々に熱海をやったメンバーが遊びに来てくれた。 それでの緊張感のせいか、普段の稽古よりもテンションが幾分高かったように感じた。
2002年07月06日(土) |
小牧市演劇講座発表会 |
知らない間にトップページのカウンターよりも、このページのカウンターの数の方が多くなっている・・・何故何故?
毎年小牧市東部市民センターで行なわれる演劇講座最終日の発表会に行く。 この講座にうちの劇団員も参加しているので、ちょっとばかし興味があったのだった。 いや、もとい。 劇団員がなんらかの形で参加している演劇に係る公演形態の物はできるだけ見に行こうと言う親心なのです(って自分で言うなよ!)
この日行なった発表は、パンフレットによると「設定のみを与えられた即興劇」であった。 もちろん演劇的には何も得るものはなかったのだが、参加者達のいきいきとした表情に目を見張った。 そして、意外や意外、台詞がちゃんと気持ち入りで届いて来るのだ。 その時はたと気がついた。 参加者のほとんどは「芝居らしさ」を求めているわけではなく「生活の延長としての自己表現」を求めている事に。 ということは・・・と思い返してみると、参加者の皆さんの芝居はちゃんと生活に密着した役だったりテーマだったりなのだ。 これは以前、何故「おばちゃん演劇」が人々の感動を呼ぶのか、という検証をしたことがあるが、やはりそういうことだったのだ。 社会人劇団の一つの成功の方向を見せつけられた感じである。 でも、そういう芝居はもっと歳をとってからやろうとも思う。
話はそれたが、さてうちの劇団員たちはというと・・・ 正直目も当てられない状態だった。 いったい小牧まで時間かけてやって来て何をしてたんだか・・・ ルールの違う場所でそのルールを会得しようとする感じもなく、芝居らしさも感じられなかった。
ウーム、先が思い遣られるのだった。
2002年07月05日(金) |
DVD/機動戦士ガンダム「特別版1〜3」 |
ほぼ20年前のアニメ映画「機動戦士ガンダム」を見る。 特別版と言うくらいだからリメイクでもしたのかなと思って期待したら、映像は細かいところでおまけがある程度で、音が5.1チャンネルになっていた。 しかし5.1チャンネルになっていても、家では2チャンネルでしか聞けないのでちょっと残念だった。
実は映画のガンダムをちゃんと見るのは初めてなのである。
見ていて、昔からの映像である意味とても嬉しくなった。 例えばホワイトベースが動いて行く時に、そのセルについているであろう汚れも一緒になって移動して行くのだ。 こういうしょーもないところに感動を覚えながら昔を懐かしむごとく見ていた。
でも、見るにつれて昔見ていたこととは全く違った感動が自分の中に芽生えて来たことに気がついた。 子どものころはただガンダムが動いてライバルであるシャァとドンパチやってることそのものが魅力的だったのに、今見るとそれは物語の主題からすると全くの伏線で、本当に描きたかったことがしっかりと見えて来た。
この物語は一人の少年の成長を描いた物語で、宇宙戦争と言う極めて特異な舞台を設定することで、その成長の変化やスピードを分かりやすく描いている物語に見えて来た。 そして少年の葛藤や苛立ちは、当時それを見ていた自分にとってはリアルタイムな心の動き故、そういった描写に対して勝手に蓋をしてみていた当時の自分に気付き、そして、20年後の今見ると多感な少年期を振り返るような作品に見えて来た。
ガンダムが今の時期にDVDとして復活したのは、きっと作者も当時ガンダムに熱狂していた世代の成長を読んで復活させたのではないかと思う節もあるが、もしそうだとするとその企みにまんまと引っ掛かったわけである。 でも、それが結構心地よくある自分がここにいる。
きっとヤマトではこんな気持ちにはなれないんだろうなあ。
今日は休憩。
いろいろ疲れて、一日のほとんどを寝て過ごす・・・・
日本代表監督候補にジーコ氏が有力と言うことだけど、いったい協会は何を考えとるんじゃい! トルシエが作ってくれた今の土台を無視してしまうんかい! ジーコ氏自身の問題ではなく、協会の体制に問題があるぞ・・・もしもこのまま決まってしまうようなことがあったら。 ビックネームだけで選んでしまうようなことはいかん、断じていかん。 日本人の悪い一面をモロに世界にアピールする結果になってしまう。
そういえば、W杯MVPがドイツのカーンに決まった。 ロナウドが得点王と優勝なので、無冠のカーンにも何かあげましょうと言う同情票なのか? 個人的には嬉しいけど、ちょっとなんかが違うような気がしてならない。 野球の世界のそれとはちょっと違うのかな、考え方が。
うーむ、それにしても日本代表の先行きが不安である。
2002年07月02日(火) |
北区つかこうへい劇団「熱海殺人事件-モンテカルロイリュージョン-」 |
久々に車を飛ばして嫁さんと大阪に観劇に行く。 車を降りた途端、大阪弁が聞こえて来るこの街は、まさに違う街にきたんだなあと思わせてくれる。
今回はシアタードラマシティーの最前列の席での観劇である。 ほんの数カ月前に自分達でやったばかりの芝居を見せられると言うのはなかなかない経験だ。 開演前ロビーに飾られている過去のつか芝居の写真を見ながら、この芝居のことをいろいろと考えていた。 初演からから10年たった今、どんなメッセージを込めて行くんだろう。 役者にどんな姿を追い求めているんだろう。 そして、この芝居を見たあとに自分の気持ちの中で「熱海」をやったことに対して後悔の念が芽生えたりはしないだろうか。
つかの芝居は口立て芝居といわれ、稽古場で作家兼演出のつかこうへい自身から、目の前の役者に相応しい台詞を口頭で伝えながら稽古を進めて行くのである。 当然主演の阿部寛も初演から時が立っているわけで、その時と全く同じ台詞を口にできる肉体でもなければ、経験も違う。 そして、今回の熱海はその10年をちゃんと感じさせてくれる舞台になっていた。 言い方を変えれば、その経験を見せてくれた芝居ではなく、ちゃんとオイラ達が生きている「今」を感じさせてくれる芝居になっていた。 内田有紀の水野朋子もそれ以前のものとは違うキャラでえがかれていた。 一番違うのは、幸せを自分の手で追い求める女になっていたという点だ。 これは彼女のもつキャラがそうさせているだけではなく、まさに社会の上での女性の変化でもあるような感じである。
さて、全体的には久々に恐い芝居を見たと言う感じだった。 最前列で見ていたせいもあるのかも知れないが、阿部寛がみせる木村伝兵衛の狂気の部分が全面に押し出されていて、背筋の凍り付くシーンが何度も襲った。 狂気の部分をちゃんと空気として感じさせてくれただけでこの芝居に必要な部分の殆どと言っても過言ではないと思う。 阿部寛がいてこの作品が初めて成り立つと言う意味がとても由く理解出来る芝居だった。
この芝居は4人の役者で進められて行くのだが、意外だったのは役者それそれ持ってるメトロノームのスピードが違っていたと言うことだ。 しかもバラバラではなく早いのと遅いのが3対1だったのだ。 なので後者1人がでているシーンは、全体的にチグハグな展開だったのが悔やまれる。
つい数カ月前にこの芝居と戦ってたせいもあって、気がついたら目の前の芝居と自分達の芝居を比較しながら見たり、稽古場での風景が突然フラッシュバックで脳裏に蘇ったりして、なかなかお話にのめり込んで見ることが出来なかった。 きっと「熱海」に今まで触れてない状況で見ていたのだったら、大絶賛間違いなしの芝居だった。
2002年07月01日(月) |
今日もプール掃除&弥生犬に噛まれる |
昨日に引き続きプール掃除な日々。 今度こそ順調に行くかと思いきや、プール掃除中に隣の公園のトイレで閉じこもっている少女がいると言う情報で、その子の説得に時間がかかり掃除は一時ストップ。 結局丸一日かかってやっとキリとなった。
ちなみにこの少女は、数時間後この子が通う学校の教頭先生と親が迎えに来た。 親曰く「娘が閉じこもっているのは知っていた」と。 知ってるならみんなが騒ぐ前に向かえに来いよ、バカ! この子は家でも学校でも居場所がないようなそんな感じで不登校気味なんだそうな。 そしてトイレに閉じこもったと言うわけだ。 何だかせつない気分になった。
夕方仕事してるはずの嫁さんから電話がかかった。 弥生が友達の家で犬に噛まれ病院に行くと言う内容だった。 オイラも急いで病院に行ったが、その友達のお母さんも来ていて、弥生よりもショックの度合いが大きかった感じだ。 非常に恐縮していた。 弥生の怪我の具合も、このお母さんの応急処置が幸を奏して大事には至らなかった。 よかったよかった。
で、稽古日だったが子どもも不安定だったので、申し訳ないと思いながらもお休みした。
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