やっと演出が病み上がって出て来た。
しかしまだ体調は悪そうである。 稽古もセリフを流してる程度でもう一つ気持ちが入っていない。 この演出の芝居をみていつも思うのだけど、とにかく動き過ぎ。 1秒と制止がしていられない忙しい感じである。 身体は楽器なのだから、その楽器の形が変われば出す音にも思う少し気を使って行かなければ。 だからセリフが言葉としてお客さんに届いて行かなくなるのだよ。 それが出来なければ、制止してちゃんとセリフを言おう。
あ、なんかほとんど私信みたいな日記になってしまった。
うーむ、本番1週間前にして演出が体調不良で不在。
てなわけでオイラが代わりに芝居を作って行く。 一応課題をもらっていたのでその課題を一つ一つこなして行く。 みんなもなんとかその課題をこなしていってくれた。
こんな感じで本番まで行けばいいかな。
不安なのはオイラのシーンと演出の出るシーンだな。
久々に家族4人とも休みで家族サービス。
午前中に先ずは弥生用に日本モンキーパークにハム太郎を見に行く。 劇団員が気を遣ってくれてオイラに招待券をくれたのである。(ありがとう!) 平日のしかも冬とあってお客さんは数えるほど。 駐車場にも車が10台足らず。 従業員も暇そうである。 これならゆっくりしていられるぜ!
しかし、思わぬ事態が発生!!
秀次がモンキーパーク催事館の前にあるでっかいゴリラの人形を怖がり始めたのである。それがきっかけになって、ハム太郎の展示を見ても音が大きいだけで怖がり、ハム太郎の人形が大きいだけで怖がりと、とにかく散々である。
そして、更に悲惨な事態が!!
雪である。 愛知県の天気予報は晴れ時々曇りだったのに・・・ ちなみに木曽川を挟んだ岐阜県美濃地方は曇り時々雪だったのだ。 やはりこのあたりは愛知県の天気予報だけでなく岐阜県の天気予報も見なければいけないのである。 まあ、大変。 おかげでモンキーパークは猿を見ずして切り上げ。
で、今度は1時間ほど車を飛ばして、車好きな秀次用にカラフルタウンに行って車を見る。 ここはイトーヨーカ堂の大規模店舗でスーパーと映画館とアミューズメント施設、そしてトヨタのディーラーが全部入っていて、今新車で売られている車が全部見れるのである。
大興奮の秀次!
しかし、彼の目当ては本物の車ではなかった。 そこに飾られている色見本用のミニカーである。 おいおい、せっかく大きな車が沢山あるんだからそれを見ろよぉ〜。
で、ついでに嫁さん用に無印のお店へ。 嫁さんは密かに無印が好きだと言うことは知っていたが、よーく考えたらカラフルタウンに一番行きたかったのは嫁さんではないかと言うことに気がついた。 うーむ、秀次は出しだったのか!
まあ、でも秀次は車を堪能し、弥生はハム太郎を堪能し、嫁さんは時間こそ短かったけど無印のお店を堪能し何とか3人とも満足してくれて嬉しいオイラである。
通し稽古をビデオで見た。
おー、やってるやってる。 良いところも悪いところも全部出たって言う感じである。
オイラに限って言えば、なんとか感情の起伏が見えるようになってきた。 台詞のないところで気が抜けていたりして体が左右に揺れたりする。 いかんいかん。 でも、こうした間を詰めていけば何とかなりそうな感じである。 一緒に出てる役者にも感想を求めてみたが、今のところ可もなく不可もなくといった感じである。 本番までには「可」ばっかりになれるよう頑張っていこうと思う。
あと何回通し稽古が出来るんだろうなあ。
ついにやってまいりました、通し稽古。 今までは本番1ヶ月前から通し稽古をやってきたのだけど、今回はいろいろあって2週間前を切った今やっと本格的な通し稽古。 昼と夜の2回通し稽古を行う。 芝居のサイズは105分あまり。 まあまあのサイズである。 できればいろんな間を詰めて100分程度にはしたいところ。
初めて本格的に段組をして行った稽古なので、1回目と2回目でいろんな事をためしてみたり、高さからもらったインスピレーションで稽古でやってなかった動きもしてみた。(ごめんね、絡んだ役者さん達) 初めての通し稽古にしてはまあまあうまく行った方だとは思うけど、これが本番2週間を切った段階での稽古と思うと、お話自体のメリハリが出来ていない状態なのでどうにも納得できない。 例えば、役者が何に対して希望を持って生活していくかと言うことが全くと言っていいほど見えない。 お客さんが役者やお話に対して感情移入していくためにはそこの作りこみが大切である。まだあと10回近く稽古日がもうけてある。 テンポやスピードといった「型」に対するアプローチだけでなく、感情の起伏やメリハリといった「気持ち」に対するアプローチを、時間の許す限りしていかなくてはいけない。 そして、少々のミスは目をつぶっていく時期に来ていると思う。
本番にお客さんを気持ちよく迎えるために何が出来るか? 残り少ない稽古時間だけど、これからが本当の勝負の時期である。
2002年01月26日(土) |
稽古・・・・あれれ?! |
さあ、ついに2週間前の稽古開始!
と思って稽古場に行ったら・・・あれれ? おいおい、人がおらんじゃんかさぁ。 今日は絶対通し稽古だと思って期待していたのに・・・
この時期に芝居を成長させないと、ほんとに公開ゲネプロになってしまうじょ。
もう今は、全体の成長には見切りをつけて芝居全体を見てピンポイントを引き上げて行かなくてはいけない時期に来ている。 明日は通し稽古が何回出来るかなあ。 せめて2回くらいはやらないとなぁ〜。
うーむ、ボヤキになってしまった・・・
今日はお休み
コミュニケーションはやっぱり難しい。 人によかれと思ったこととがなかなかそうは伝わらない。 やっぱり「よかれと思う」時点で押し付けがましいのかも知れない。 だから伝わらないのかも知れない。
相手が喜べば自分も嬉しい。 相手が悲しめば自分も悲しい。 相手に問題があるのなら自分にも問題がある。 それがコミュニケーションのあり方だし、そういう世界で生きている。 一方的にどちらかが悪いと言うことは、常識的な言動をしている限りはまずない。
人の振り見て我が振り直せ。 昔の人はいいことを言ったものである。 今まさにそんな感じである。
2002年01月23日(水) |
デジタルリマスタリング |
最近デジタルリマスタリングしたCDを何枚かかった。 オイラが昔からこよなく愛している「オフコース」と「チューリップ」のCD。
音が良くなることで何かいいことがあるんじゃないかと思って買ってみた。 しかし、である。 この2枚はそのデジタルリマスタリングの明暗がはっきりと出た。 「オフコース」の方はもともとごっついバンドサウンドを基調に音づくりをしていたので、いろんなところがはっきりと聞こえれば聞こえるほど、その作品をじわじわと味わうことが出来るし、またさらなる発見や感動があってよかった。 しかし「チューリップ」はもともと全体のほんわかした雰囲気に、当時の録音技術の限界が幸いして、結果骨太サウンドになっている感じである。 ところが、デジタルリマスタリングして音がはっきりと聞こえるようになってしまった分、聞こえなくてもいい音「特に余分なリバーブの残響」が見事に再現されてしまい、当時あの曲を聴いて感じた感動の部分が見事に破壊されてしまったという感じ。 もちろんお互いいわゆるベスト版を聞いたので、お互いの絶好調の時期がずれていて、そのずれた時代からお互い主に選曲されているので、これだけで「オフコース」がよくて「チューリップ」がよくないという事にはならないのだけど、基本的にはシンセサイザー等のデジタル楽器がにわかに多用され始めた頃のものをデジタルリマスタリングしたものを聞くのは新たな感動を呼ぶのだけど、それ以前のものについては、あまりおすすめ出来ないなあと思う今日この頃。
最近物事が2日続くことが多い。 日記のタイトルを眺めていたらなんとなく思ってしまった。
研修行って来ました。 宿に行って帰ってくるだけののんびり旅行。 多分オイラの人生史上もっとも長い時間酒を飲み続けたのではないかというくらい延々と飲んでしまった。 バスに乗って箱根について、宿に行って、風呂入って、飯食って3次会まで突入!という具合でずーっと酒漬け、いつ寝たかも記憶にないくらい。 まあ、一日目は土砂降りだったので観光するところも特になく、これも致し方ないと言ったところか。 で、夜中は脱水で起きて水をがぶ飲みして、しばらくしたら落ち着いたのでまた寝た。 二日目は快晴。 箱根登山鉄道−大涌谷−富士山眺望という具合。 もともと雨バージョンの予定も組んであったのだけど晴れてやれやれ。 富士山もたまらん綺麗だった。 バスの中で気のいい運転手さんとお茶目なガイドさんにいろいろと助けてもらった。
普段職場の旅行は車で動くことばかりだけど、こんなふうにバスを貸し切ってのんびり行くのもいいなあと思った。 また行きたいと思った。
今日から二日間箱根に研修。 しかしあいにくの雨。 雷までなっている。
では行って来ます。
今回初の通し稽古!
取りあえず、今までで一番高いテンションで臨めたと思う。 その甲斐あってか、またいろいろなことが発見できたし、自分の役の気持ちが場面場面でバラバラだったのが、なんとなく一本の線に見えかけて来た。 そして、いろんな課題も見えて来た。
全体的には段を組んだ仮舞台で稽古するのが初めてだったので、普段の平面の稽古と勝手が違うようである。 劇団史上もっとも起伏の激しい舞台は最も使えない舞台になるのか、最も効果的な舞台になるのか、それは残された時間をどんなことを意識して過ごして行くかにかかっている。 平面が段になるとそれだけ移動する距離が長くなることに早く気がつかないと行けない。 移動が完了してセリフを言うんじゃなくて、移動しながらセリフを言う等して余分な間を詰めて行かなくてはいけない。 自分の立ち位置だけじゃなくて、舞台全体の絵を見ながら立ち位置を作って行かなくてはいけない。 そして、もっともっと気持ちを強く押し出して行かなくてはいけない。 まだまだ、とてもお客さんにお見せできるレベルの物ではない。
これから芝居が成長して行く時期だ、やることはまだまだたくさんある。
芝居のクライマックスの稽古。
とにかくテンション高くテンポもスピードも最高速度でやるシーンである。 役者がそれぞれ順番でリフを言っていきだんだんとテンポとスピードを上げていくのである。 ずーっと前にやってシーンでとりあえずこの段階でテンポを上げて欲しいと言われていたので、そのとおりやってみる。 そしたら、残念ながらオイラが早すぎるというダメをもらった。 あれぇ〜? 他がテンポを作り切れてないだけだぞぉ〜。 しかし、このシーンを生かすも殺すも実は一番最後のオイラの台詞に懸かっている。 この手のシーンはその前の台詞がどんなにへっぽこでも終わり良ければすべてよしなのである。 しかしそれに誰も気づいていない。 誰も気づいていないからヘラヘラしていたわけではなく、誰も気づいていないから人一倍気合いを入れていたのである。 いかんせんどうにもこうにもそれ以前の台詞がへっぽこの度合いが過ぎてしまっている。 これでは、作ろうにも芝居が作れなくなってしまっている。 何度も何度も繰り返して、ようやく理想に近くなってきたあたりで、やっと最後の締めが良くないといかんということに気がついてくれたようだ。 まあ、それだけオイラもその台詞を言うのに苦労していたって訳なんだけどね。
それから、今日初めてやるシーンをやってみる。 ある球技のスポーツのマイムなのであるが、見るのは好きだったからイメージは出来るんだけど、やったことがないからその動きを体が覚えていない。 そして、一番大事なお客さんに想像させなきゃいけないボールが見えてこない。 オイラが見えないものをお客さんが見えるわけがない。 今まではダンスシーンが一番苦労しそうなシーンだったけど、それを牛蒡抜きしてしばらく苦労しそうなシーンの一番手になってしまった。
さて本番どうなる事やら。 興味のある人は是非とも本番にその成果を見に来てやってくださいね。
2002年01月18日(金) |
プレゼンテーション研修2日目 |
今日もアイリス愛知。
特筆すべきは伝達ゲーム。 ある図形があって、それを口頭だけでみんなに説明をして同じ図形を書いてもらい、普通は同じ図形はかけないので、コミュニケーションの難しさをそこで体感してもらおうというもの。 オイラは図形を書かされる側。 この手の話は、舞台図面の説明を電話でするのと同じで、まずはその図形全体のイメージを伝えてから話し始めないといけない。 しかし、ほとんどの人がそういった経験はないので、説明者はみんな最初っから「まず円を書いて・・・」から始めてしまう。 何とか言葉の端々に何となく出てくるその人の図形のイメージを拾っていきながら書いてみるのだけど、いかんせん説明する側がそのイメージを理解していないのでまるで違った図形になってしまう。 なかなか口頭だけのコミュニケーションは難しいのである。
そこで出てきたのはロケット発射の図。 ロケットの第1段に内容7% 第2段に音声22% 第3段に視覚(視聴覚資料23%、体の動き49%)71% これは人が情報を理解するための割合である。 なんと視覚効果が7割! その瞬間プレゼンテーション研修の頭から芝居の頭にトリップして考えてしまった。 人にものを説明するときは動いた方が特だよ、ということを言いたいらしい。 しかしオイラには、いくら台詞に感情込めていっても体がちゃんと動いて立ち位置もちゃんととっていかないといかんよ、という資料に見えてしまった。 うーん、今まさにそんな状況である・・・・いかんいかん公費で来てる研修だった。
で、昨日のリベンジの話であるが残念ながら出番無し。 そういう意味では少々消化不良ではあるが、研修自体は今まで自分で考えていた何となくしているイメージが論理化されて非常に実のあるものになった。
2002年01月17日(木) |
プレゼンテーション研修1日目 |
今日から二日間、アイリス愛知という名古屋城の近くので研修。 その名も「プレゼンテーション研修」。 プレゼンテーション研修と聞くと賢明な人はパワーポイントの研修かと思う人が多くいるのだけれど、今回の研修は口頭コミュニケーションを主体とした、いわゆるお話の組み立て方の研修。
プレゼンテーションの本質は口頭を主体とした説得的コミュニケーションである。 しかも、口頭でコミュニケーションを図ると言うことは、伝えたい内容、説得したい内容を如何に印象良く伝えていくかと言うことである。 その場にいる聴衆を、如何に味方に付けて巻き込んでいくかという手法である。 そして、そのための「演技」をしていくと言うことである。
あ、これはもしや・・・
研修が進んでいくうちに、どこかで聞いた話ばかり。 そう、芝居をつけていくときに気をつけなさいと言っているようなことと同じ事を聞いているような気分。 もちろん、プレゼンテーションは芝居ではないので誇大な表現は必要ない。
お、これは、グループ発表があるぞぉ、ふっふっふオイラの出番だ! と勝手に思い、人前で話をするならば一回は笑いをとらなければいけないと自分でプレッシャーをかけ発表をする。
そして大爆笑!
しかし、講師からの厳しいダメ出しが・・・ ・声が大きすぎる ・テンポが速すぎる(早口という意味じゃないよ、念のため) うーむ、こんな経験は初めてだ。 普通は反対のことを言われるもんだけどなあ。 要は相手を威圧しているという印象をもさせないことと、相手の想像できるスピードを超えて話をしていかないことが大事だということなんだなあ。 まあ、プレゼンテーション自体職務上の堅い話を住民の皆さんに好意的に納得してもらおうというプロセスだから、当たり前といえば当たり前のだめ出しか。
明日はプレゼンテーション職員をふるまってみようと心に誓ったのであった。 。
やっぱり風邪をひいた。 朝からだるい。
おかげで夜の会議はパスである。 稽古にもいけない。 明日からは名古屋に2日間研修である。 とほほ・・・
そういえば、今日はジュニアスポーツ教室の最終日に「何か出来ることがあれば」と声をかけてくれたお母さんとの打ち合わせ。 ちなみにこのお母さんはオイラの高校の陸上部の2つ上の先輩でオイラ達からすると当時憧れの的だった先輩である。 高校時代からとても強い選手でインターハイまで行った人である。 大学時代は中京大学というそれはそれは陸上界ではとても強い大学に進学し、いまでも中京大学の歴代記録に名前を連ねている。 オイラは元々高校時代はまじめに部活をしてなかった所為で、さすがに顔は覚えてもらえてなかった。 大学時代はそれこそ中京大学なので、オイラのいたような弱小陸上部とは世界が違って、なかなか声はかけずらいのである。 で、その先輩とお話をするのは夢のような世界だったりするのである。
ある意味とても幸せな一日である。
さあ、今後に備えて寝よ。
今日は嫁さんとオイラの休みが一緒だったので2日遅れの誕生日プレゼントとしてDVDを何枚か買ってもらった。 しかし! そのうち1枚が再生する止まるという半ば不良品みたいなやつでちょっと困った。 悔しいので張り付けの刑だ。 そのタイトルは
「アポロ13」!!
そういえば先週の稽古くらいからぼちぼちと風邪が流行るようになってきた。 役者で風邪持ちが増えている。 これは参った参った。
そう思っているうちに弥生が風邪ひいた。 夕方に寒気が来たらしくそのまま医者へGO! ちなみにその医者は嫁さんが勤めている病院。 保育園に迎えにいたときはピンピンしていたが弥生が行ったもんだから、嫁さんビックリ。 医者ではお腹を「もしもし」してもらって薬をもらった。
早く良くなってくれるといいなあ。 そういえばオイラも最近鼻水が止まらない。 これはヤバイ。
今日は昼から稽古。
午前中は祝日出勤だった。 ちなみにうちの成人式は今をときめく和泉元彌という狂言師が来て、新成人に狂言やいろんなしきたりの話をして厳粛なムードの中問題もなく終わったようだった。 何年か前まで成人式の仕事をしてきたけど、ここは田舎だけあって新成人の羽目のはずし方も、ぬいぐるみを着てきたりする程度の微笑ましいはずし方である。
稽古はオイラの出ているシーンが沢山出来て嬉しかった。 元々オイラはイメージトレーニングをしてきても稽古場で作り上げていく方なので、稽古回数が多いととても嬉しいのである。 何度かやっているうちにシーンをどうやって作っていこうかという想像力もふくらんできて、あと何回か通し稽古を重ねていけば何とかなりそうな感じである。 しかし、稽古期間があまりに開くと最初の稽古が思い出し稽古になってしまうので、出来ればこれからは通し稽古がたくさんやりたいなあ。 他の役者達もぼちぼちとキャラクターの雰囲気が出てきた。 しかし、まだエンジンのかからない役者や、悪い癖が出始めている役者がいるので、それがちょっと気がかりである。
そして何と言っても演出のケガの具合がとても気にかかるところ。 早く良くなって欲しいものである>FFやらずに摂生しろよ
今日も稽古! 自分の出る場面の稽古をやった。
久しぶりにやる場面だったり、最近までやってた場面だったリをランスルー状態の稽古。 何分久しぶりのところは最初は思い出し稽古になってしまう。 出番が少ない分実際の自分の稽古としては何日かおきにやってる状態なので、今までやって来たものを一本の線としてやろうとすると、これがまたなかなか難しい。 どうしても場面場面でムラが出来てしまう。 でもこうやっていくつかの場面を通してやることによって、更に今まで見えなかった部分が見えるようになって来た。 だけどいかんのは稽古している舞台の上で試行錯誤してしまうこと。 すっかり演出からダメをもらってしまった。 ちゃんと決め打をできるところまでイメージトレーニングをしな行かんなあと反省。
さあ、明日は久々にお昼から稽古ができる。 がんばんべぇ〜。
2002年01月12日(土) |
ジュニアスポーツ教室最終日 |
ジュニアスポーツ教室の最終日。
先ずは手始めに、以前「伊東家の食卓」でやっていた、鍋で風船を落とさずに走る方法で競争をやってみた。 体育館には鍋蓋がないので代わりにフリスビーに取っ手を付けた代用品でやってみた。 前日の実験ではずいぶん上手く言ったのだが、いざ子ども達の前でやろうとすると、なぜか上手く行かない。 でも、子ども達にやらせると意外と上手く言ったような気がした。
そして今日のメイン種目はドッジボール! でも普通にやると痛いのでボールはソフトバレーボール。 ちょっと細かいルールを付けたら、一部「ドッジボール命」の奴らがワーワーとうるさいので、そいつらを最初外野に回して開始。 ドッジボールはローカルルールがいろいろあるので、一度公式ルールに近いルールでやって見ようと思った。 意外とこれはこれで上手く行くものだ。 そして、短いけど楽しい時を過ごす。
子ども達は大分まとまりだ出て来たように思えた。 初回はどうしようかと思っていたんだけど、いろんな種目をやって行くうちに、どんなことをやって行っても誠心誠意付き合って行けばちゃんと受けてくれるし、手を抜くと簡単に見抜かれてしまうんだなあと言うことも感じた。 いろんなことを子ども達から教わったような気がした。
31才最後の一日、とても幸せな気持ちになった。
今朝上司に「出勤するのが遅い!」とお目玉を食らう。 一応始業の10分前には来ているが、上司の要求は15分前だそうな。 一件無駄だと思われるこの5分間が人間関係を築いていく上で大きな5分間だと懇々と説教される。 てなわけで、これから5分前行動を心がけようと思う次第です。
稽古後の飲み会もそろそろ適当な時間で切り上げないといかんしなあ。(おい!まだ行くつもりかい!)
あー!ちくしょー!
今日は演出不在の稽古。 演出はどうも膝を怪我したらしい。 何をしたかは当人もわかっていないようだ。 医者からはしばらく歩くな走るなと言われているようだ。
本番1ヶ月前でこの一大事件! うーむ、果たしていつ完治するのだろうか、不安が募る。 でも、そんなことばかりも言ってられないので稽古は変わりに進めていく。
今回の芝居の小道具ができてきたので、まずはそれになれる稽古。 初めはなかなかうまくいかないが、何度か繰り返してきて何とか形になりそうなところまでやってきた。 そして、新人さんの稽古。 役者をやり始めて体の動きを意識するのはなかなか難しいが、それでもある程度はやってもらわないと話にならないので、やや厳しめにやってみる。 それでも直らない癖があるので、あとはこの辺をどうやったらお客さんに見せなくて済むのか、それを考える。
でも、演出がいないときに演出の代理が回ってきたときは、そろそろ芝居づくりもやって行かなくてはいけないなあと思う。 今はそういう時期なんだなぁ。
さて、本番まであと1ヶ月。 そろそろ追い込みの時期に入ってきた。
プロ劇団なら1ヶ月前からようやく稽古が始まるのだけれど、彼らは一日に8時間程度の稽古を1ヶ月毎日こなしていく。 8時間×25日=200時間! これを社会人に置き換えると・・・ 200時間÷2時間(1日あたり)=100日! 3ヶ月毎日稽古しないといけない、でもそうはいかないので半年ぐらい準備にかかる。 当然プロに比べて1回1回の稽古の密度も低くなるので、プロ並みの芝居に仕立てていくことは容易ではない。
せめて今使っている公共施設の閉館時間が30分でも長くなれば変わっていくのになぁ〜。
ここ数日、演出のあり方について考えさせられることが多い。 いろいろ考えて分かったことは、そんなにたくさんある訳じゃないけど、稽古場では最も言葉を尽くさなければいけない役割だということ、が分かった。 それから役者には絶対に分からない視点を役者に伝えることが仕事なんだと思う。
演出は少なくとも芝居の出来不出来に関する責任者であり、同時に芝居の世界を支配する王様でもある。 役者は王様に仕える子分である。 子分は王様により役割が与えられ、その物語で生きることを許されるのである。 そして、王様の世界観を実現させていくのである。 しかし、王様は少しでもその仕事をさぼったり能力がないと見抜かれると、あっという間に下克上が起こってしまうのである。 奥ゆかしい子分の場合はその下克上は隠密裏におこなわれるのでなお厄介である。
だからこそ王様は言葉をつくし全身全霊で子分たちを統率しなければならないのである。
そして、一生懸命王様に尽くそうとしている子分が、もしも王様の世界観を勘違いをしていたり全く分からないでいたら、やはり言葉をかけて修正してやらなければならないのである。 一生懸命尽くそうとしている子分たちは、自分が何故いけないのか、どこがいけないのかということは分からなかったりするのである。
王様の世界観を理解する為に子分たちは必死で努力をしていく訳だけども、王様が言葉を尽くしてはじめて子分たちは理解できる。 役割としては上下関係かも知れないけど、実際は違う人間同士のコミュニケーションである。 お互いすりよる姿勢を見せないとお互い理解ができないのである。
その為に役者は実際の稽古場で表現をする訳だけれども、演出は言葉でその形をイメージさせていかなくてはいけない。 だからこそ、他の誰よりも最も言葉を尽くしていかなくてはいけないのである。
芝居がお客さんに理解されるということは、先ずはその芝居の様式がお客さんに理解されるということである。
例えば、全くフラットな舞台があったとする。 その舞台上を適当な立ち位置でなんの約束事もなく動いてしまったら、その芝居はお客さんとしては、なんだか分からない一見前衛的な芝居になってしまう。 だから物語上の力関係で立ち位置を構成していかなくてはいけない。 例えば、いくつかの段差で構成された舞台があったとする。 その段差一つ一つに意味付けをしていかないと役者は混乱する。 そして役者が混乱すればお客さんはもっと混乱する。 だから、段差一つ一つに対して場面にあわせた意味付けをしていかなくてはいけない。
そうして物語における関係性の力関係を、舞台上に一定の約束事のフィルターを通してトレースしたものが立ち位置になって来る。 その立ち位置がお客さんには芝居の様式の一部として映るのである。
今回のうちの劇団の芝居では、舞台上に具体的な方向性を持った段差が存在する。 そうすると水平方向のベクトルと垂直方向のベクトルとが同時に舞台上に存在することとなる。 物語を支配する役者は、この二つの方向性のバランスを考えて動く必要があるのである。 そうすると自ずと他の役者の立ち位置も決まってくるのである。
個人的に思うのは今回の舞台は、ある一つの平面で場面を完結させるのではなく、象徴的なシーン程段差を飛び越えた方向性を持ったアプローチをしていった方が、舞台上の気持の流れや空気の流れをお客さんは掴みやすいと思っている。 要は、空間を出来うる限り広く使っていくということである。
具体的には、気持を伝えたい(あるいはぶつけたい)相手に対して物理的な距離を近寄っていくのではなく、距離をおいたところで気持の線をお客さんに見せていく芝居をしていった方がより舞台上の絵としては綺麗に見えるし、そうした方向で芝居を作っていった方が、今回のような舞台では有効な手段だと考えている。
そして役者はそんなことを意識しながらこれからの稽古をやっていく必要があるのではないだろうか。 しかし、これはオイラの個人的な意見なので、当然第一の観客である演出との擦り合わせが必要となって来る。 そして他の人達も、演出がどんな芝居を求めているのか引き出していくアプローチが求められる。
本日、2002年稽古初見参!! 劇団の稽古は実は前日から始まっている。 しかし、仕事の関係で行けず。
で、言ってみたらば・・・・あれ? 演出がいないぞぉ。 芝居作りも遅々として進んでないぞぉ〜。 うーむ、困った困った。
結局、演出が来るまで演出助手が代役をたてながら役者の所作やピンポイントの場面作りの稽古を進める。 しかし如何せん、この場面はこうなるはずと言う理想形を知ってる人が誰もいない。 うーむ、困った困った。
そして稽古時間も終盤に差し掛かって来た時、演出がやって来る。 演出助手の作って来た芝居に対して、意見交換。 しかし意見交換が上手く行かず、時間が刻々と立って行く。 うーむ、困った困った。
そして稽古も最終局面。 ダンスの立ち位置決めのダンス。 初めてやる場所(立ち位置によって踊りが違う)に立つ。 おかげでやってないところは踊れない(当たり前か)。 そして立ち位置決め。
(舞台図の書かれたホワイトボードを見ながら考える演出)
演 出 「どこがいいの?」 オイラ 「目立つとこ」 演 出 「んじゃここね」(とても目立つところに名前を書く) オイラ 「やったー」
(しばらく物を考える演出)
演 出 「やっぱりここね」(さらに目立つところに名前を書く) オイラ 「やったー」 演 出 「たぶん、○×○×がやってもできんで。」 オイラ 「!」
おいおい、ちょっとまてよ。 その言い方はないんでないかい? もうちょっと気の効いた物言いは出来んもんかねぇ。
てなわけで立ち位置的にはオイラの芝居史上ダンスとしてはもっとも目立つ立ち位置になった。 それはそれでとても嬉しいが、演出の物言にちょっと憤慨したオイラだった。
この時期いろんな人からいろんな年賀状が届く。 昔の仲間、高校の仲間、大学の仲間、仕事の仲間、今の仲間、恩師・・・・
年賀状で懐かしい名前を見る度に、共に過ごした時間がフラッシュバックする。
ある年賀状に 「おまたせしました。3月に結婚します。」 と。
こころなしか肩の荷がおりたような気がした。
彼女とは大学時代を共に過ごした仲間である。 とても素敵な人で、長い髪でチャーミングという言葉がぴったりの人だった。 そして古臭い言い方だけど、「憧れ」の人だった。 共に時間を過ごしていく中でいつしか気持が動いている自分に気がついた。 でも「憧れ」という妄想は自分の中で勝手に壁を作るらしく、今の自分にはきっと つり合わない人なんだろうとひとり勝手に思い込んでいた。 彼女もきっとそう思っているに違いないと。
しかし、そんな自分がバカだった。
暫く時が過ぎ、違う人と付き合いはじめた。 そのことを知った彼女は何年もかけて伸ばしてきた髪をバッサリと切ったのだった。 薄々は感じていた癖に、本当に気持に気付かなかったバカな俺がいた。
知らないものの強みなんだろうか、卒業してからも時々彼女に電話したり故郷まで遊びに行って会ったりもした。 でもそんなあるとき、もう時効だと思い、とある空港で飛行機を見ながら質問してみた。 そしたら、思ったとおりの返事が返ってきた。
彼女に幸せな話がないのは、自分のせいなんだろうか? あの時のあの発言で、あの時のあの行動が彼女を傷つけたんじゃないだろうか? そんなことを悶々と考えたりもした。 ♪あえない時間が愛育てるのさぁ〜、という歌があったが、あわない時間は妄想を育てるようである。 本当のところはわからない。
でも、今年の年賀状で幸せな報告が聞けてなんだか嬉しくなった。
今だから言える話だけど、もしも大学時代お互いの気持を打ち明けあっていたら、きっと今はその人と暮らしていたんだろうなあ、なんてことを思った。
今日から仕事。 そして仕事始めは駐車場の雪掻き!
前日からの雪の所為で体育館についたら駐車場が雪に埋まって大変なことに。 ニュースでは名古屋が記録的な大雪で大変と言っていたが、積雪量は11センチ程度。 しかし、ほとんど岐阜県と言うこの扶桑町はもっと雪が深いのだった。 試しに体育館で計ってみたら25センチくらい積もっているところも合った。 やはり記録的な大雪である。
お昼からぼちぼちと晴れはじめた、とおもったら今度は雨! おいおい、勘弁してよぉ〜。
そんなわけで一日中ぬれまくリの日々。
とにかくすごい雪!
この地方の雪に対するイメージは「白い天使」である。
しかし!
ここまで降ると白い悪魔に変わってしまう。 夜中から救急車は走り回るし、車は動かんし、寒いし・・・・ 出勤日に雪じゃなかったのがまだ幸いなところである。
なんでも41年ぶりの降雪量。 まだ降り続いている・・・
明日は晴れるのかなあ。
毎年正月に会う人がいる。 東京で音楽している人である。
いつもいろんな話をする。 そしていろんな刺激がある。
今回のメインテーマは「テンポの話」である。 曲作りのテンポはどうやって決めて行くか。 芝居のテンポの作り方はどうなのか。 音楽作りのスタンス、芝居作りのスタンス。 そんな話をバカ話しで脱線を繰り返し延々と話をした。 実はこのバカ話しこそ一番の刺激になるし収穫かも知れない。
内容はもったいなくってちょっとかけない。
2002年01月01日(火) |
おけましておめでとうございます |
皆様あけましておめでとうございます。
昨年は長男の秀次が入院したり、日本は更にデフレになったり、アメリカで同時多発テロや戦争でいろんな意味で不安要素が増えたりで、気分が思いっきり晴れるようないい話がなかったのですが、今年こそはいろんな不安を払拭するような素敵な話題のある素敵な一年になればいいなあと思っています。
兼松個人としては、公務員として住民サービスにますます頑張ったり、劇団Beans代表としてお客さんにますます喜んでもらう為に頑張ったりして、ひいてはそういった活動が世界の平和につながって行ければと思って精進して行きたいと思います。
もちろん夫として、親としてまずは家族の平穏を第一に考えて行くことが第一歩だと思っています。
昨年中は皆様にいろいろとお世話になりました。
今年も変わらぬ御愛顧の程よろしくお願いいたします。
|