カウントシープ
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飛行機の模型が好きだけれど、ひとつも所有したことはない。船も大好きだけれど、やはり翼があるものがいい。
昔の二枚羽の飛行機も好きだし、名前は知らないがレトロなものが好きだ。本当はそうした飛行機に乗る者の話を書いてみたいけれど、ちょっと想像が付かない。
以前東急ハンズで、古くなった飛行機を解体する過程そのものを展示し、ばらしたものを売るという企画があった。其処には古びた部品が並んで高値で売られていたが、やはりハイライトアイテムはプロペラと操縦席ではなかろうか?
しかし、飛行機といえば翼であって、プロペラだけで飛ぶのはヘリコプターだ。まさか翼を部屋に持ち帰るわけにはいかないし、機体から切り離された翼など、もはや翼とはいえないのかもしれない。 鳥の翼だって、鳥の背に負われているからこそ美しいのであって、切り離された鳥の翼など屍骸の一部でしかないだろう。
2006年01月30日(月) |
相補的であることと平等の矛盾 |
男女平等に扱うべきか、という件に関しては、様々な観点から述べられるだろう。ヒト以外の生き物が社会生活を営む際は、雄と雌では役割を分担して生活している。かつてはヒトも同じように役割分担をしていた。社会における女性の位置、男性の位置があり、相補的に生活してきた。
力を持つものが強いという大前提があり、物理的な力と連続性に長けた知性でもって、男性は女性の上に立ち守る側となった。その背景をもってして、男女は平等の権利を主張しなくてもやれるはずだった。
しかし、共産主義が理念通りに機能しないように、力の不均衡は弱者の犠牲を生み出す。思想を生み出した人間の知性と、その社会で生きている人間達の知性とは必ずしも一致しない。 IQ=100を平均として知能検査を行えば、当然其処には分布があり、ヒトはまったく平等に作られていない。そのため導くものが必要となるわけだが、権力を持ったものが知性が高いとは限らず、知性が高いものが道徳的であるとは限らない。
話は逸れたが、結局男女は平等であるといえば、男女はどちらかが劣る存在ではなく、相補的に合わさって生きていくのであり、違う役割を持つものが同等の権利を主張すること事態に不自然があるのだ。
さて、本当は女性の天皇について考察するつもりだったが、考えがまだまとまらない。
2006年01月29日(日) |
リストカットという行為 |
手首を切る行為にはどんな意味があるのだろう。
死を感じさせながらも、実際には死に遠い行為。おそらく死にたいという意思を示す行為であり、死にたいという気持ちを形に表す確認の行為でもあるのだろう。
死にたいと思いながら死なない行為を続ける。そこにあるのは、死にたいまでの自罰的な思いだろうか。かまって欲しいだけで切るほど、そして手首を切ればかまってもらえるなどと思えるほど、人は簡単にはできていないだろう。
自分の中でもてあました扱いきれないものをどうにかしたくて、自分を自分の一部を壊してしまいたい衝動が、切り刻む行為に繋がっていく。それは良い方法とはいえないかも知れないけれど、切らずにはいられない心がそこで苦しんで立ち往生しているのだ。
どうしようもない自分を抱え続ける力をこの胸に培え、保ち続ける術を探しているうちに、明日がまた来るだろう。
2006年01月28日(土) |
作られた思い出だとしても |
随分ネガティブな話ばかりが続いていてどうしてことか、って感じだけれど、こうした精神とは別に、日常はきちんと生活している。きちんと、っていうか、何を持ってきちんとしているというのかよく解らないけれど、社会的に自分に求められていることをこなしているという感じかな。
そう思うと社会的な物事のせいでおちおちゆっくりしていられないのと同時に、社会的な物事が引っ張りだしてくれるともいえるだろう。以前1ヵ月肺炎で仕事を休んだときには、凄く気持ちが沈んだのだけれど、やっぱり何か成すべきことがあるほうが、精神衛生上良いようだ。
できればみんなが、生きている実感、何か手ごたえとなるものを感じていられたなら、それは幸いなことだろう。家にこもっている人たちは、何かを感じる土台が、後ろ盾が感じられないのだろう。振り返ったときに思い出してよかったと思えるような良いものが沢山迎えてくれるなら、勇気を持って踏み出せるだろう。
たとえ思い出がすべては真実でなかったとしても、そこに欠片の真実が埋もれているし、思い出とはそうしたいろいろな付加によって作られていくものだから、思い出を良い物に作り変える力は、生きていく力にもなりうるだろう。
すべてを任せられる妻を前にして、夫はその存在意義を見出せず、家庭を捨てて旅に出た。
そうしてムーミンパパの家出が始まるのだが、日本に限らずどこの国でも、家庭における男性の意義は薄いものなのか?家庭が子供を育む場所になったときから、夫の存在は薄らいでしまうものだろうか?
ボクの父親は、ボク達にとって母親的な存在であった。あまりに感情にむらがあるため、母親といるときは少しも心が落ち着かない。そのような状況において、父親が家に帰ってくる瞬間とは、ようやく安全が保障される時間だった。
ボクの父親は毎晩帰る時間が遅かった。平均して10時か11時、子供が起きているには十分に夜更かしだったが、ボクは父親の帰りをずっと待っていた。父親が守ってくれる環境が提供されてやっと、ボクは眠ることができるのだった。
ボクは眠れない子供だった。今で言うなら不眠症で、夜眠るのが怖く、眠ってから見る夢が怖くてまた眠れなかった。眠れないボクのために父親は本を読んでくれた。本が手元に無ければ「白雪姫」と「こぶとりじいさん」と「井伊直弼の桜田門外の変」のどれかを話してくれた。母親が『お父さんは疲れているのに・・・』と文句を後ろで言っていたけれど、けして母親が代わりに読んでくれることは無かったし、ボクも期待していなかった。
父親が帰ってこない夜は、とても恐ろしい夜だった。ボクがちゃんと眠ったかどうか、母親が見回りにくる、その瞬間は恐ろしくて身動きできなかった。見つかると酷く叱られるので、ますます眠れなくなった。
父親が不在で、どうしても眠れない夜、夜中の3時頃に、隣の部屋で眠っていた母親を起こして、眠れないと泣いて訴えた。母親は不機嫌そうに向こうに行って寝ろといい、ボクは布団の中で泣いた。
今思えば母親は不眠症で苦しんでいた。自分が眠れなくてイライラしているときに、眠れないと付きまとう子供など、とても受け付けなかったのだ。それをもっと早く知れたなら、双方にとって幸いだったろうけれど、ボクは理解力を持たず、母親は余裕を持たず、父親は伝える言葉を持たなかった。
それでも、ただいてくれるだけで、幸せを齎してくれた。
誰かを愛さなくては生きていけないと思う。だけれど、強さを胸に秘めていなくては、愛することなどできないとも思う。そして強さとは培われるものであり、最初から備わっているものではない。
かなりの劣悪な環境でもってしても、僅かな良いものを拾い集めて人はしたたかに生きていく。そのために記憶は改竄され、付け加えられ、強調と消去を持ってして、生きていけるだけの世界を作り上げるのだ。
そしてようよう生きていくなかで、すっかり疲れ果ててしまう。そのタイムリミットは個人差があるし、その環境にもよるだろうけれど、いずれ人は生きていけないことに気がついてしまう、自分の外側に世界が広がっていることに。
そうなる前に、そうなる頃までに、人は旅立つだけの準備をしておかなければならない。これから広い世界に、ただ1人で踏み出さなくてはならないのだから、それ相応の準備をして、自分を見失わないように、きちんとした鏡を一枚ポケットにしまいこんで、そうして誰もが旅立つのだ。
愛するものを探しに旅立つものには、神のご加護があるよう。本当の愛を見つけられたなら、すべての自分を取り戻すことだって可能かもしれない。
生きていたものが死して、冷たく硬くなってしまうと、もう其処に魂はないように思える。死んだものは到底生きているようには見えないし、其処に於いておけばさらに死の匂いは強くなってくるからだ。
死んだときに漂う匂い、あれは一度嗅いだら忘れられない。体内からそういうガスでも発生するのか、みな一様に同じような匂いがしてきて、その匂いがするものが倒れていたら、それはもう死へ旅立っていくものだろう。
死者になりきってしまった骸など、もう同質のものとして触れることなどできないだろう。それが身内や愛するものならばそこにまた特別な感情が流れるだろうが、もしそれが他者であったとしても、畏怖と先に死んでいくものへの哀れみのような感覚と、どうか安らかにと願うだろう。
この骸から抜け出た魂がまだこの側にいて、死体とともにその辺りにいるのだろうと思うと、そして無念のために成仏できないかも知れないと思うと、思わず背筋もぞっとするのだけれど、そうして目の前に横たわる死んだばかりの人を前に、冷たい手を、光を移さなくなった瞳を、ひとつひとつのかつて生きていたものを前に、冒涜してはならないという思いは強く感じた。
だから、人を食べるつもりならば、殺してすぐにばらさなくてはならないと思う。まだ柔らかいうちに血抜きをして肉片にしてしまわなければ、それは冷たく硬いものと成り果ててしまうのだから(我々は普段そうやって肉を食べている)。
愛するものを食べて永続的に取り込もうという習慣がもしあるとするならば、愛するものを切り刻まなくてはならない。その覚悟をもってしても食らうならば、そこには宗教的な意味合いが深く潜んでいるのだろう。宗教と関係ない倒錯的な行為としても行われるかもしれないが、そうして取り入れたと感じ続けることは果たしてできるだろうか?
ヒトはヒトを食べてはいけないのか?
という問いには誰も答えられないだろう。 ヒトと知らずに食べてしまえば罪にならないのか、其処に餓死するしかない運命が提示されている場合なら、共食いも正当化されるのだろうか?
倫理的な問題はともかくとして、ここで話題として取り上げたいのは狂牛病のことである。 ご存知狂牛病はプリオンとよばれる蛋白の一種が原因とされている。蛋白で構成されるこの物質は本来無生物だが、これが体内に入り込み、脊髄に蓄積されると、正常な蛋白が異常な蛋白に作り変えられてしまう。そうして中枢神経系は犯され、脳がスポンジ状に変化して死に至るのだ。
肉骨粉とは、牛や豚をばらしたあとに残る骨や脳や脊髄などを砕いて細かくしたもので、飼料やペットフードとして与えていた。牛の餌に、牛の一部を砕いたものを食べさせたという点で、知らずのうちに牛は共食いをさせられた。 結果発生したのが異常プリオンであり、狂牛病騒動が広がったわけだが、ここで問題となるのは、なぜ、牛に牛を食べさせたときこのプリオンが発生したのか、ということだ。
興味深い報告として、ヒトがヒトを食べる風習を持つ土地(ニューギニアのクールーと呼ばれる人々)に、この狂牛病にきわめてよく似た症状を呈する病気が存在したという。もしそれが本当なら、異常プリオンは同種を食らうときに発生することになる。
同種を食べてはならぬと、まるで神が知らしめるかのような流れだが、このような行為は昆虫類ではもっと頻繁に起こっている。とりあえず医学的な観点からは、ヒトはヒトを食べてはならないといえるだろう。
2006年01月23日(月) |
それでも世界は存在する |
時々独り言を言う。大抵はいじけているときや、ナルシスティックに一人ぼっちごっこをしているときで(愚かにもそのときは真剣そのもの!)、そういうときに呟く言葉は昔から変わっていない。
『世界が壊れちゃった』
ボクはちっとも進歩していなぁと、これを書きながらがっかりする。この次の段階では『心も死んじゃった』だから、この台詞たちの文脈は『世界が壊れたから心も死んだ』となる。
世界が壊れてしまえばもう生きていられないから、心も死ぬだろう。 逆に、ひとつの心が死んだからといって世界は壊れないで明日も存続するだろう。
ボクの信じているものが、幻だったと感じたときに世界は壊れ、繋がりを失った心は死ぬということなのだが、この背景には、自分の信じる世界を自分好みに保っておきたいというエゴが存在すると見て良いだろう。 自分の好みの世界で、自分に浸って生きるそれは一人ぼっちの世界で、結局他者との関わりを(一時とはいえ)信じられずに、鏡に映った自分だけを見て悦に浸っているだけだ。
一人ぼっちだと信じるほうが楽な世界はもう消え去った。
神様に近づくことが、至上の喜びとされるキリスト教では、その賛美歌においても、その趣旨を含んだものが多い。有名な320番でも、主よ御許に近づかん、と歌っている。
神様の側に召されること、その日まで父なる神の教えに従い生きていくことが、根幹にある世界は、我々母性社会とは随分様相が違う。
我々のいる世界では、母なる存在に見守られ、繋がっていることが根底にある。しかし母とは時に取り込む、食うか食われるかの世界なのだ。 「食べちゃいたいほど可愛い」というのはまさにその通り、母性とは二面性があるため、我々はその、神様に相当する存在であるところの母親に対し、近づきたいと思うと同時に、取り込まれてはならない恐れを強く感じるのである。
そのため我々は、繋がりを感じながらも、鞘のようなものには収まれず、彷徨うことになる。しかしまた、父親なる神とてその腕に抱き取ってくれるのは死するときであるから、やはり魂は迷い子なのだ。
ボクの大好きな羊は、キリスト教においては信者の象徴とされ、導く羊飼いは神の子キリストとされている。そういう背景を知らぬまま、迷える魂の象徴とされるものを集め続けていたのだ。 ボクの手元に集まっている羊達は、散り散りになった心の雲のよう。でも、その多くは友人から送られたもので、散り散りになりそうになっても、他者からもらった心の繋がりが、しっかと結び付けていてくれる。
心の繋がりこそはこの世界における神様のような存在であり、それを具現化したもの、繋がりを双方向のみならず、絶対的存在として天に置いたものこそ、宗教そのものなのだと今の時点では思う。
2006年01月21日(土) |
完全なる法則と秩序などない |
一応毎日ヴァイオリンを弾く、ということにしているのだけれど、仕事で出張するときには流石に持っていくわけには行かない。ホテルでこもって、弱音機を取り付けてやるという手もあるけれど、オケを生業としているわけでもないのにヴァイオリンケースを背負ってあるくのも、どうかと思う。
ボクは、やると決めたことはきちんとやりたいほうなので、それが欠けることがもどかしいのだ。最近では、このエンピツの日記のほかにヴァイオリンの日記をほかのWeb日記でつけているのだけれど、そちらのほうは過去の日記は書けないので、時々書き損じてしまう。その日にちの飛ぶのがとても嫌なのだ。
例えば、毎週水曜日しか書かないとか、日曜日は書かないとか、そうした法則性をもってやりたいものだが、そんなに機械的に何でも統御していてはいけないとも知っている。ボクの中の何割かはそういった安定を求めて自己満足したがり、もう何割かはもっと人間らしく!と訴えるのだ。
・・・揺るぐことのない法則、秩序がもたらす美、美しいものだけで作られた世界。それは、ひとつの美術品や曲の中に求めるべきであり、人間が入ったとたん、それは不完全に傾き、永遠でなくなり、それこそは我々の存在する証明である。それでもなお完全に近いものを求め続ける、そうしたジレンマの中で足掻き続けるのが嫌なら、自分の定義した完全なる世界へ、落ちてしまえ!さあ!
2006年01月20日(金) |
Greensleeves |
久しぶりに『秘密の花園』を見た。友人に貸す前に、少しだけ・・・と思ってみたのだけれど、つい全部見てしまったが、改めてみるとこの映画、とても脇役が素晴しい。 そしてその脇役のひとり、台所女がパイの生地をこねながら歌う歌がお馴染みグリーンスリーブスなのだが、この歌詞がとても悲しいのだ。
友人から帰ってきたとき、やはりグリーンスリーブスの歌詞の話題になった。友人はその歌詞を持ってきたので、一緒に見てみたら、いよいよ胸が張り裂けそうなくらいに悲しかったので、ここに乗せておこうと思う。
Alas may love, you do me wrong To cast me off discounteously And I have loved you so long Delighting in your company
Greensleeves was all my joy Greensleeves was my delight Greensleeves was my heart og gold And who but my lady Greensleeves
I have been ready at your hand To grant whatever you would crave I have both waged life and land Your love and goodwill for to have
Greensleeves was all my joy Greensleeves was my delight Greensleeves was my heart og gold And who but my lady Greensleeves
こんな悲しい歌を、ボクはほかに知らない。
桜の木は、昨日よりも沢山切られることが解った。最初は全体の3分の1くらいだと思っていたから、半分は無くなってしまうことに、もうすっかりしょげしてしまって、毎日毎日通っていた散歩コースも少し変化してしまった。
ついでに言うなら、駅前にずっとあった“おばちゃんの居酒屋”も年明けから閉店の張り紙が出ていたし、その数件隣の居酒屋は、やっぱり年明け早々不審火が出たので、やっぱり休業中。どちらも春になる頃には再開しそうだ。
桜は最初、上をちょんぎられて、地上から一メートルくらいの部分だけが無残に残っていた。引っ掛けられているプレートに『この桜はウッドチップになってリサイクルされます』なんて書いてあって、それがますます悲しくなった。粉々になって最後は消費されていくようなものになってしまうのだ、それはまったく仕方ないことで個人的な感傷以外の何者でもないけれど。
今は穴ぼこだらけになった元・桜並木も、時期に若木が植えられ、春には小ぶりの桜が咲くだろう。どこかの山の中で、この町に引っ越してくるために植えられている桜たちが、すでに枝を伸ばしているだろうから。
日曜日から今日まで、仕事がとても忙しくて、今現在夜の9時半過ぎだけれど、やっとひと段落着いた。といっても、明日も明後日も仕事だし、土日も仕事のための勉強会をいれてしまったので、遠方に泊まり込みで出かけなくてはならない。
こういうときは、やり遂げてからどっと疲れがでてくるものだろうけれど、次から次に仕事が追いかけてくるので、いったい何時がやり遂げたときなのかしらと思う。やり遂げた喜びもまた精神的な原動力となるのだから、こういう状態がいけないとは思わないけれど、余裕がないのは確かだ。
そういう頭でふらふらと散歩に出たら、散歩コースの駅前の桜並木がばっさりとなくなっていた。一メートルくらいの切り株?を残して切り落とされていたそれは、『年をとって倒木の危険が出てきたためやむなく切りました ここにはまた新しい若木を植えます』という内容の張り紙がしてあったけれど、こういう光景は誰にだってやっぱりショックだろう。みんなが大好きな見事な桜並木だった。
ボクも相方もしばらくしょげて、寂しいね、と言い合った。切る立場の樹木のお医者さんなる人達はもっともっと辛かったろう。
しばらくはショックから立ち直れなかったけれど、やがて植えられる新しい若い桜のこと、その成長を毎年見ていく楽しみや、いつかまた咲き誇る花を想像した。
2006年01月17日(火) |
ミュージック・クーポン |
ボク達はVAIOユーザーで、最近2人揃ってVAIOを新しくしたので、その特典としてミュージッククーポンがもらえる。一台に付き20曲、二人合わせて40曲というわけだが、さて、40曲の曲をどうしようかしら?
好きなアーティストの曲はすでにアルバムで持っていたりするし、大体最近ボク達はクラシックばかり聞いていて、最近のミュージックシーンをまったく知らないのだ。例えば先日YAHOOのTOPに出ていた『青春アミーゴ』が何者なのか、この単語が歌なのかユニット名なのかも知らない。
こんな状態は何時からだっけ?と考えてみたら、今の家に引っ越してきてからだと気がついた。今の家にしてからテレビをますます見なくなり、以前は漠然と流していたMTVとかも見なくなったこと。 もうひとつ、やはり相方が病気になったこと。あれからしばらくはやっぱりどこかで欝っぽくなっていたのだろう、とにかく人の声を聴きたくなかった。 そしてヴァイオリン。ヴァイオリンをやりたいと言い出した前後から、ボク達は好んでクラシックを聞くようになった。それまでによく聞いていたサラ・ブライトマンやクレモンティーヌに変わって、CDプレーヤーの中にはヴァイオリンの小曲集がいつも入っているようになった。 何をしたら癌が治るという保障もないなかで、ヴァイオリンをがんばることは、癌を治す力になると信じていた。とにかくすべてが必死だったのだ。
そうして、一年があっという間に過ぎたわけだ。もうそろそろ誰かの声を聞いてもいい頃じゃないかしら?という思いに駆られながら、さて、40曲のクーポンで何をとろうかしら?
今日はレッスンの日だったけれど、仕事も泊まり込みの明けだったので、夕方帰ってきた時点ではお風呂に入っていなかった。 ばっちいままでは先生の前に顔をだせないや!と思って、相方のレッスン中にシャワーを浴びることにする。 弦を直してもらうときとか、姿勢を正されるときとか、思っていたよりも結構接近する機会があるのだ。 弦を直してもらうときは、ボクの顔の前に先生の手があるので(ヴァイオリンは顎で挟んで持っているから)、先生の手にボクの呼気が掛からないように息を止めているのだけれど、これって気にしすぎかしら?
ボクは同性愛者だから、異性に近づくことはないし、先生もまた同性だ。だから、ごくたまに異性と握手とかする機会があると、なんていうか、久しぶりに異性の肌に触ったな、とか思ってみたりする。世界には男と女が半々くらいいるのに、こうして半分を遠ざけるようにして生きているって、なんとなく不自然な感じがするけれど、これがボク達のスタイルなのだ。
冬になると温かさを求めて、ファーストフードでもホットの飲み物を注文したりする。ファーストフードのホットティは大抵飲めたものじゃないし、コーヒーはあまり得意じゃないボクは、こういうときにはスープを注文したいところ。するとメニューはコーンスープかクラムチャウダーということになる。ボクはクラムチャウダーが好きだけれど、相方はクラムチャウダーが嫌い。正確には、クラムチャウダーの中に入っている貝の、砂が入っていてがりっとなるのが嫌いだそうだ。(だから我が家ではシェフの意向により貝のお味噌汁は出てこない)
今日は“丸1日職場に缶詰デー”なので、サブウェイのテイクアウトを職場に運んでもらったのだけれど、そこで持ってきてくれたのがコーンチャウダーだった。『クラムチャウダーじゃないの?』って聞いたけれど、コーンチャウダーって書いてあったと言い張る。ということは、クラムとチャウダーは切り離して考えたほうがいいだろうということで早速調べてみる。
ハウス食品のHPによれば、チャウダーとは小さめの具が入った、スープとシチューの中間くらいの煮込み料理だそうだ。以前からボクは、クリームベースのクラムチャウダーとシチューの違いがよく解らなかったが、具の大きさと煮込み時間にその差がありそうだと勝手に解釈。
クラム(clam)は、やっぱり貝のこと(多分ハマグリ)。 赤いトマトスープ仕立てはマンハッタン風、白いクリームスープ仕立てはニューイングランド風のアメリカのスープということが判明した。
雨の中コンタクトを買いに出かけた。 今までも使っていた、1ヵ月で交代の使い捨てコンタクトのストックがなくなったからだが、一応異常がないかということで、診察を受けなくてはならない。
藪から棒だが、ボクは、顔に何かが掛かるのが非常に苦手だ。例えばサイダーも、顔にパチパチ跳ねるのが嫌だから、コップに蓋をしてストローでなくてはいけないし、雨が顔に当たるのも嫌。プールで顔に水が掛かるのも嫌だし、シャワーのときも直接掛からないように気をつけていて、浴びるときは背後から浴びている。
突き詰めれば目に突然何かが入るのが嫌なのだが、そんなボクにとって、眼圧を調べるための検査はものすごく苦痛だ。 別に痛いわけじゃないのだけれど、突然エアがパシュっと出てくるのが怖くて、目を開けていられないのだ。自分としては精一杯見開こうと思うけれど、ものすごく沢山瞬きしてしまって、ちっとも検査にならないーーー
ということが過去の経験から解っているので、ボクは最初からその旨自己申告して、自分の指でまぶたをこじ開けて検査に望む。ところが、今日の検査機械は、ボクの手が僅かに邪魔をして、きちんと検査できない。検査技師のお姉さんは優しい声でなだめてくれるが、どうしても開けていられず、ボクがその一台しかない機械を占領しているものだから、ボクの後の検査の人がつかえて数人待っている状態に・・・! とうとう奥から別のお姉さんが出てきて、ボクの頭と目蓋をがっちり押さえて、何とか検査は終了した。
待っていた皆さんごめんなさい。本当にボクも恥ずかしくてもう逃げてしまいたかったのだけれど、みんなどうしてあんな恐ろしい検査が平気なんだろう?
「捨てられる夢」については自己分析してみた。
この時期、相方の母親からの干渉が多く、ボク達は参っている。無理もないことだが、向こうの母親はボク達が結婚していることも知らないし、認めない。そしてことあるごとに、「いつかあんたは捨てられる」「そこはあんたの家じゃない」と相方に言うものだから、相方は辛い思いをしている。
ボクは相方を愛しているし、一緒に居たいと思う気持ちは同じくらいで、深く結びついていると思う。何年もいろんなことを乗り越えてきて、一度も手を離すことなく今日までこれたのだから、これから先だってずっと一緒に歩いていけると信じている。
けれど、ボクは恐れている。相方の母親がある日やってきて、相方をボクから取り上げていくのではないかと。ボクの親にボク達の関係を暴露し、お互いが引き離されてしまうことだって、同性愛の世界では考えられなくはない。
夢の中の酷い相方は、ボクが恐れている、母親に取り込まれ、手懐けられてしまった相方なのだ。夢が真実を示すなら、いまだボクはどこかで相方を信じていないということなのか、実はこの類の夢はもう何度も見てきたのだけれど、こういう解釈は今回初めてしたのだが、
今のボクには愛を信じる力が足りないということが解ったのだから、これから先に、もっとその力を培っていけたらと思う。そのために、未来はまだ残されているのだから。
不愉快なほうの夢。ボクが相方に捨てられる夢だ。
夢の中で相方が、異性と結婚する気になったからと「じゃあ分かれてね」とボクに別れを告げるのだ。ボク達が2人で住んでいた家は彼らの家となり、ボクはとぼとぼと家を出るしかない。
坂を歩いていくと、家が見える。それはボクの実家らしい(見たことない建物だ)。そこには病気がちで幽閉され続けている妹がいる(そんな妹はいない)。彼女に一目会いたいと、ボクは実家に忍び込む。 だが、母親に見つかってしまう。同性愛に走ったボクを母親は許さず、もう戸籍からもはずされ、ボクはどこにもいる場所がない。妹には会わさないよ、と母親は言う。なぜかそこには家政婦が何人かいて、クッキーかパイの生地をこねている。家政婦達も一人もボクを見ない。
母親はボクを嘲笑しながら、そのクッキーだかパイだかを適当に包んで投げてよこすと、もう二度と顔を見せるなといって冷たく笑う。
そのとき妹が出てきて、少しだけ話をする。妹は髪もぼさぼさでがりがりに痩せている。ボクを頼ってくれ、優しい言葉を掛けてくれる妹だが、また閉じ込められてしまう。次に末の妹が出てきて、そちらは母親にそっくりの侮蔑の笑いをボクに向ける(母親も末の妹も見たこともない顔だ)。
実家を後にし、再び坂を歩いていくと、犬も後からついてくる。犬達も追い出されてきたのだ、これから犬の餌をどうしようかと考えながら、一緒にとぼとぼ歩く。
坂の上で結婚式が開かれているが、誰の結婚式かはわからない。
すると電話が鳴って、相方からだった。電話の内容は、「先ほどの地震で、あなたの人形が落ちたりして破損したけれど、どうせたいしたことないものだから別にいいよね。まったく、さえない人間のくだらない作品なんだからね」というようなことをいって、ボクは心臓まで凍り付いてしまう。
家は彼らによって改造され、ボクの気に入っていたインテリアも、壁の色も少しずつ変化して侵食されていく。もう何もなくなっていく・・・
相方に話したら、すごく気を悪くされた。とんでもない悪人にされて、さぞかし不愉快だったろう。しかし、ボクにとっても辛く悲しい夢だった。
久しぶりに先生にあった。 先生に会うということは、自分を見つめるということだから、けしてその足取りは軽くはない。しかし、会った後はいつも荷が軽くなって、心のもやもやした感じが和らいでいるのもいつものことで、だからこそ重い足を引きずってでも、ボクは先生のところに足を運ぶのだ。
最近はとても生々しい夢を見るので、それがとても辛い。見ているときはとても怖いし、起きるととても不愉快だ。夢の内容はいろいろだが、今年になって最初に印象深かった夢は、多分1月2日から3日にかけてみた夢だと思う(それを初夢というのだろうか)。
夢の中で、ボクは男の人魚だった。といっても足はちゃんと二本足で、ついでに言うならボクは白人だった。ボクはオリンポスみたいな宮殿風の建物にいて、そこはスクールだった。ボクは普通に二本足で歩いているけれど、所々にある大理石で作られたプールの中に足首まで浸してみたりして、何か居場所を探しているように彷徨っている。
水の中には、真実に通じる扉があることも、そこにたどり着ける資格を自分が持っていることも、ボクは知っている。 しかし、水にもぐろうとすると、ところどころに飾られている大理石でできた女性の像がじっと静かに監視していることに気づく。彼女達は本当は人魚なのだと、ボクは知っている。
女の人魚は、ただ見つめている。ボクが扉を隠している渦に近づいても、それを止めたりしないが、ボクは彼女達の意図することが読めずに、扉を開けていいものか迷っている。
というような夢だった。この夢はここ数日に見たものの中では別に不愉快だったわけではない。ただ、不可思議な白昼夢のような後味を残し、しばらく心の中に残り続けた。
さる1月4日の未明、ボク達はしぶんぎ流星群を見ようと空を見上げていた。だが夜の街は明るく、加えてボクの居住区には薄く雲が掛かってしまって、空を広く見ることはできなかった。
年が明けてから毎晩夜、同じくらいの時間に散歩に出かけていたのだが、すると必ず、出かけた頃には空は晴れていて、家路につく頃には薄い雲が出ていたので、この夜もそうなるかな、と思ったら案の定だった。
観測時間が夜中の2時から3時と、かなり遅めだったけれど、この時間にもっとどこか小高い丘にでも出かけたら、星が流れるのが見えたのかもしれない。
ボクは今までに流れ星を1,2個は見たことがあるけれど、キラキラッと流れて、すぐに見えなくなるほんのわずかの瞬きだった。だから、誰かが隣にいても共有することができない、その瞬間の幻のような喜びなのだ。それが、流星群ならば見た星は別々でも、一緒にその喜びが見られると思うと、また来年に期待しようと思う。
相方は子供みたいな玩具が好きなのだけれど、先日は家庭用プラネタリウムを買ってきた。それを天井に映したら、沢山の星がキラキラとまたたいて、ちゃんと流れ星が流れて消えた。
最近「リトル・ダンサー」というイギリス映画を見た。これはもう数年前、発売当初から所有していて、見ていなかったCD(ボクはそんなのを沢山持っている)のひとつで、正月だし、何か新しい映画でも見よう、ということになり、ようやく手をつけたというわけだ。
映画の中で、ビリー少年が踊るのだけれど、その踊りがとても自由で、楽しそうだったり苦しそうだったり、怒っていたり、いらいらしていたりと、踊りの中にさまざまな感情が表現されている。踊りってこんなに心を表すものなんだ、と改めて実感した。
ボクは踊ったことはないし、多分あまり得意じゃないと思うけれど、あんなふうに踊れたらきっと気持ちいいだろうし、それに変わるものは、これから先は音楽になっていくのだと思う。
気持ちを乗せて、体で表現するということにかけて、楽器を演奏することは非常に長けていると思う。奏でた蕎麦から音が流れ、直に体験できるということは、素晴らしい。今までボクの中でこうした手段は絵でしかなかったけれど、絵はもっと地道な作業だ。
もちろん絵には絵のよさがある。相方の病気が発覚したのが、ちょうど一年前の水曜日で、ボクが絵を描かなくなってそろそろ一年になろうとしている。ヴァイオリンを始めたのが5月の頭で、今は絵よりもヴァイオリンに時間を割いてしまっていて、そのことがとても気がかりなのだけれど、あまり沢山のことを一度にはできないと思って、今は音楽に注いでいる。
絵を描かないのにこうしてサイトを残しているのも良くないように思うけれど、いつでも絵は描きたいと思っていて、今は冒頭にふった、バレエダンサーを描いてみたい。筋肉や、動きや、指先の緊張感や、そういったものを描いてみたいと思う、人の体は美しいのだから。
ボクは大変落ち着きない性質を持っていて、例えばエレベータの前でじっと待っているよりは、自分の足で階段を登ったり降りたりするほうが気がすむし、会議中に話をちゃんと聞いていても、指先は何かの活動を求めて、落書きをしていたり、手慰みに紙を折ってみたりしている。
これは子供の頃からまったく変わらないし、おそらくはもっと子供時代の方が酷かったのだろうけれど、大人になってもこの多動気味は少々目立つだろうな、と思う。 卒業式とか、二時間を椅子に座り続けることが大変に苦痛で、ただ、途中で歌ったりするのが唯一の救いだったくらいだ。ボクからすれば、じっとおとなしく座っていることのほうが異常な気がするけれど、みんなそんな忍耐をどこで身につけたのだろう?
あまりに落ち着きがないからか、単に信仰心が篤い人だったのか、遊びに行った友達の家のおばあさんに、写経をさせられたことがある。ボクん家はキキリシタンです、と習った単語を披露しても、こういうおばあさんには敵わないものだし、子供らしくごほうびのお菓子に吊られて(何たること!)せっせと正座をして写経した。 このときも、左から右にやるのは退屈だからと、最初の一行を書いたら最後の一行を書いて、次は3つ飛びで・・・と虫食い写経をやってはおばあさんをビックリさせていたのだけれど、今もその頃と大差ない。
というわけで、ここのところは夜寝る前(というと1時過ぎだが)、暖めなおした紅茶を片手にホームズを1話見るのが習慣であり楽しみだ。頭がさえているなら話を進め、ぼんやりと見ていたいときはもう見終わった話を見て。
そうして、毎日一時間のイギリス英語のヒアリングをしているわけだが、少なくともホームズを見ている限り、イギリス英語というのは少しシャープで、芝居がかっているように聞こえる。
アメリカに長く住んでいた友達に、アメリカ英語とイギリス英語の違いを聞いてみると、「東京弁と関西弁くらいの違い」と帰ってきた。アメリカ人はイギリス英語を気取っていると感じ、イギリス人はアメリカ英語を田舎くさいと感じるとか。
ボク達は中学生から、いわば強制的にアメリカ英語を習っているわけで、どうしてもイギリス英語に馴染む機会が少なくなるわけだが、イギリス好きとしては、ここはひとつ、イギリス英語に触れてみたい!と思っては見たものの、ホームズは大変早くしゃべるので、いくつかの単語を聞き取るのに精一杯だ。
2006年01月06日(金) |
ジェレミー・ブレッド |
去年の暮れから、シャーロック・ホームズの冒険を見ている。ようやくグラナダ放送の「シャーロックホームズの冒険/完全版DVD」を手に入れたのだ。
このシリーズ自体はずいぶん昔からNHKで吹き替え放送されていて、小学生からの自称シャーロキアンとしては、もう大変に夢中になって見ていたのだけれど、大人になってからはこれが初めてだった。
このDVD、数年前にも上下セットで発売されていたが、そのときは買うことを躊躇った。ホームズ役のジェレミーを見るのが、あまりに切なかったからだ。 ジェレミーは、まさにホームズに相応しい外見と演技をする、まるでホームズ自身のような役者で、彼自身この役で大当たりをひいた。世界中のシャーロキアンに賞賛され、まるで彼自身がホームズであるような錯覚を覚え・・・今でもそう感じてしまうくらい、彼のホームズは見事だった。
だが彼は、10年にもわたる撮影の中で、愛する妻を失いうつ病に係り、また心臓の重い病気にかかり、最後は撮影のさなかに心臓麻痺で亡くなった。確か59歳の早すぎる死は、ファンにも相当ショックであり、その悲しみから、このシリーズを手に取ることを躊躇っていたのだ。
特に悲しいのは、物語も広範になってくると、ジェレミーが弱ってきていることが解ることで、薬の副作用で肥満が進み、彼自身もそれを非常に気にしながらの撮影であったこと、激しい動きはできない体で役に望み続けたことなどを思うと、まだ見ていない後半に手をつけるのが怖くなるくらいだ。
ホームズ自身は、一度モリアーティ教授と滝に落ちて死んだが、熱烈なファンの切望によって、10年の歳月を経て復活し、その後はドイルが亡くなるまで活躍を続けた。だが、ジェレミーが死んでしまったことは、あたかもボクの中に、ホームズまで死んでしまったかのような錯覚を覚えて、
またそう思わせるくらい、ジェレミーはかけがえのない素晴らしい役者だったのだ。
2006年01月05日(木) |
スパイス・クリスマスティー |
クリスマスに、テイラーズのチャイナ・ローズ・ペダルの茶葉を買いに行った。これをある女性に贈ろうと思っていたのだが、ふと見ると横に、クリスマス仕立てのテイラーズの紅茶缶が並んでいる。何でもクリスマス・ブレンドだそうで、毎年ブレンドの中身は違うらしい。
いつもの青い缶の蓋が赤色と、クリスマス仕立てになっていてとても可愛かったし、何せ気分はメリー・クリスマス、ちょうど良いとばかりにそのクリスマスブレンドを包んでもらって、自分の家用にもひとつ包んでもらった。
さて、家に帰って早速飲んでみることにして、まず蓋を開けてビックリ。 何にビックリしたかというと、その匂いだった。そこにはシナモンを基調とした、なにやら不可思議な香りがする。今までどんなフレーバーティだってこんな匂い・・・賑やかな匂いだったことはなかった。 慌ててブレンドの内容を見てみるとシナモン・オレンジ・レモンそれになにやらスパイシーなオイルが並んでいる。恐る恐る淹れてみると、以外や以外、思ったよりもずっと癖がなく、美味しくいただけた。 いや、癖があるといったらもう、癖だらけなのだけれど、美味しいという不思議な紅茶。 もしどこかで見かけたら、手にとって見てくださいな。
今日から仕事始め。3日も休みが続けば昼夜逆転してしまうボク達だが、今年は正月も短く、また終始掃除をしていたこともあって、わりに苦痛ではなかった。 昼夜逆転といっても、普段からボクは就寝が深夜2時、朝は7時半に起きるのが習慣で、それが就寝が早朝5時、朝が10時になるというくらいなので、それほど辛くはない。毎日やりたいことと、やらなくてはならないことが沢山あって、それをこなすとあっという間に1時になるので、自分の時間としてすごせる時間を一時間もとると、もう2時になってしまうのが夜更かしの正体だが、こんな生活をしているから風邪を引きやすいのかしら?
でも、早くに寝るとやりたいことができず、そうすると精神衛生上良くなくて病んでいく、とも考えられるから、このあたりは微妙な配分なのだと思う。今はやりたいことであり、やらなくてはならないこととして、ヴァイオリンが中心を占めている。なんといっても、レッスンがあって、先生の指導があるのだから、それについていくことが一番になって、ほかの好きなこと〜人形や絵を描くこと〜はその次になってしまう。
ここは、何匹ものウサギを追うよりも、じっくりひとつのことをと言い聞かせているけれど、時々わーっと叫びだしたくなるくらい、やりたいことがほかにもあるのだ。
こうして書いていたら、やりたいというよりやらなければならない英語の存在を思い出しちゃった・・・
今年は戌年で、ボクは犬を飼っているから、年賀状にはそのまま飼い犬の写真を使ってみた(毎年は自分で絵を描いている)。 今までは、例えば羊年なら羊の皮を被った犬を描いていた。申年のときは犬の背中にサルが乗っているとか・・・
ところがその法則で描いていたら、今年は犬の格好をした犬を描かねばならず、はたと困ってしまったのだ(年賀状を受け取った方は、そういう背景があったんだなと思ってください)。
何たる融通の利かなさ!最近はあちこち虫食いになっているこの日記も、あちこち穴が空いているのが嫌で、過去にさかのぼって書いていることは、懸命な皆さんはご存知だろう。自分でも自分の首を絞めているとは思うのだけれど、いまさらこの性格を変えることもできないし、何しろボクの相方ときたら、これに輪をかけて強迫的だから、あっちがあんなにしているならボク程度の強迫は可愛いものさ、みたいな安心感があって、結果余計に拍車がかかるというわけだ。
話し変わって、受け取った犬の絵の年賀状、とっても可愛いものが多かった。イラストもとても可愛いのが多くて、犬ってやっぱり愛されている生き物だなと思ったり。本当に、絵から愛しむような雰囲気が漂ってくるような、素敵なものが多くて、絵を見るだけでも楽しい年賀状となった。
最近職場に入ってきた人は、とても料理が上手で、手作りのお菓子も差し入れしてくれる。今までにバナナケーキと、アップルケーキ(家庭的な雰囲気のタルトに近いか?)を持ってきてくれた。
そこで、実はアップルパイを作ってみたいのだと言ってみたら、じゃあ一緒に作りましょうかという親切な申し出!お正月の間に実現しようということで、年明け早々、我が家に来てもらってアップルパイを作ることになった。
以前の日記に書いたと通り、我が家には段ポールにぎっしりの林檎がある。これは職場で配ったり、遊びに来てくれた人に配ったりと、かなりがんばって減らしたけれど、それでもまだ8個あって、冷蔵庫を大変に圧迫していた。 アップルパイを二つ作ると、林檎も4個消費できる。ボクは林檎が好きだから、できれば美味しく食べたかったし、あのちんぷんかんぷんな料理の本を解読しなくてすむなんて、渡りに船、棚から牡丹餅、海老で鯛を釣る、どれも違うけれどそんな気分だった。
アップルパイは、手間はかかるけれど、それほど技術はいらなさそうだった。真面目に作ったら失敗もしなさそうだし、実際に焼きあがったそれも、きちんとアップルパイになった。アップルパイを作ったのだから当たり前だといわれるかも知れないが、ボクは過去に、作ろうと思っていたものとは全然違うものを沢山作ってしまった経験があるのだ。
何はともあれ、アップルパイ第一号はまずまずの成功を収めた。今後の課題は、もらったレシピでもって、もう一度これを再現できるかだけれど、それはできれば今月中にはやりたい。林檎もまだ残っているしね。
2006年01月01日(日) |
いつものブレックファースト |
元旦の朝は恒例のイングリッシュ・ブレックファーストスタイルの食事を摂る。いつの間にかそういう習慣になってしまったが、今年は妙にお雑煮が食べたいな、とも思った。
沖縄では雑煮は食べなかったのか、相方はその存在を知らないし、ボクは知っていても作れない。おまけにボクの母親は大変に料理の苦手な人だったので、ボクが食べていたものも果たしてお雑煮だったのかどうか、怪しいところでさえある。 そもそも我が家では餅はあまり食べないし、鏡餅も飾らないから、鏡開きの餅を食べることもない。(ただし沖縄の祝い餅、ムーチーなどは食べる)
子供の頃、毎年決まって正月に、家でついた餅をくれる人がいた。正方形にきってある餅を、オーブントースターで焼いて、砂糖醤油と海苔か、黄な粉につけて食べるのが美味しかった。そんなことを考えながらも、
そんなことを思い出しつつも、大変に格好ツケでイギリス贔屓のボク達は、元旦からヨークシャー・ゴールドを啜っていたのだった。
ロビン
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