2007年04月17日(火)
卒業に関係の無い講義をいくつか取る。 ひとつは一応卒業単位として認定されるけどもそれは既に着定数を満たしていて、もうひとつは卒業単位にもならない。
教育心理学という講義は教職免許を取るのに必要な講義だけども卒業に関係ない。 でも、そんなんじゃなくて今回取ったのは本当に全く縁のない講義。
名前を見てこれだ!と思った。
講義の無い日はだらだらしていて死んでいる。 問題だ。死んでいてはいけないと思いつつもどうしても起きていられない。
講義のある日は疲れる。 内容が濃いのか脳みそが薄いのか。
僕が学んでいるのは工学の化学だ、でも俺が知りたいのは科学で学問で、面白いものなんでも知りたい。
化学科ではない教授と話をした。 文系のフィールドワーク系の人かと思ったら理学部だったらしい。 非常に面白いキャラクタで個人的には好きな教官だ。
彼の講義は科学なのだ。 ただ、それが現実と凄く近いところを、親近感のある内容を紹介する。 だから、子供のようにみて、ついついのめり込まれてしまう。
化学には考えられない、講義なのだ。
小中の時に、国語の授業があった。 国語の授業は大好きだった。 教科書を読んでいたら怒られないからだ。
国語の教科書の内容はまさにごった煮で評論風のものや、ノンフィクションと呼ばれるもの、古典に漢文、日本文学から海外の翻訳ものから童謡から、戯曲の台本に、詩に俳句に短歌。
そういう、ある程度狭められた中の良質な選択肢群だったから。 国語の教科書は好きだった。
彼の講義が大好きな理由は其処にある。 今現在の僕には触手が伸びないような分野のビデオ(環境ビデオとかドキュメンタリビデオが主)ばかりを、15回の講義中に10本以上も見せてくれる。
それがうれしい。
たまに、思うのは、感じることが出来なくなってきていることだ。 感じることが出来なくなっていることだと俯瞰的に分析してる時点でだめなんだけどもつまり勢いで物事をする癖がなくなっている。
もったいないな、と。やっと思えるようになった。
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2007年04月06日(金)
目が覚めて、横で恋人が死んでたらそれはそれでトラウマだろうな、と。
生きていて欲しいけど、友達の自殺の決意を別に僕が力いっぱい止めなくちゃいけない理由は無い。 もしも思い付きじゃなく、きちんと考えた結果ならもう、聞く耳も持ってもらえないだろう。嫌がろうとも止めるけど。
それはたぶん、僕はあまり友達がいなくて、友達が減るのは嫌だていう、自分勝手な理由なんだと思うけど。
でも、なんだ。あれだ。人に責任を押し付けて死ぬのはどうかと思う。 たぶん、それは凄く行いやすい、自己の中で完結させやすい事なんだと思う。別に自殺幇助のことを指してるわけじゃない。 人に任せる、託すと言うのは凄く楽なんだ。 でも、たぶん、間違いなく託された方は迷惑だ。 本人が何と言おうとも不幸だ。
そんなことをつらつらと思った。
夜は嫌だ。 変なことを考える。 何も考えられないくらい、 そのくらい切羽詰った、 余裕のない状況の方がいい。 何も考えなくても「判断」は誤らない。 や、誤ったけど、たぶん全力で考える。
考えるけど考えない。 どういえばいいんだろう。 ロジックに当てはめない考えが出てしまう。 そう、そんな感じ。
野を素足で歩くような、そんな感じ。 出来るものならアスファルトを靴で歩くような人生がいい。
でも。 や、なんでもない。
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