Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
地図と海図 …と台風
劔岳の映画を見てまもなく、イギリスの古地図を探す機会がありました。 日本が、1910年の時点でまだ未踏査の地域を残していたのは、明治の近代化以降1890年から本格的に地形図作製を始めたからですが、イギリスはナポレオン戦争時代から地図作製が始まっているのだから、全域の地図が完成したのも早いのだろうと思っていたら、 意外や意外、イギリス全土の測量地図が完成したのは1895年のことだったんですね。
イギリスの地図作製はナポレオン戦争がきっかけだった…という話は、むかし2005年3月の日記に書きましたが、 イギリスで最初に地形図が完成した地域はドーバー海峡に面した南東部…エセックス州とケント州で1801年のことでした。 これはもちろん、ナポレオンの英国侵攻に具えて、上陸予定地点に防御設備を施すために、陸軍が地図を必要としたからです。
以後、地図作製は全土に広がりましたが、イングランドとウェールズの測量は意外と難航。 そこで測量部は1824年、先にアイルランドの測量にかかり、アイルランド全土の地図は1846年に完了しました。 ブリテン島本島の測量を困難にしたのは、私有地の存在だったようです。 1841年に法律で、地形図作製のための私有地立ち入りが認められるまで、私有地の測量は自由に行えなかったのです。 結局、英国全土の測量と地形図の完成は1895年までずれこみました。
それを考えると、スタートが遅かった日本の地形図作製スピードは驚異的で、1916年には全国の五万分の一図が完成していた…まさに「西洋に追いつけ追い越せ」で進められた明治近代化の典型のような。 劔岳の映画にもちらっと出てきますが、それこそ地図作製は「お国の仕事」で最優先、イギリスのような私有地立ち入りうんぬんのトラブルはなかったのだろうと思います。
ついでに、ちょっと気になって、英国の海図のことも調べてみました。 ダドリ・ポープのラミジ・シリーズを読んでいると、海事局の海図担当室の話がでてきますが(17巻「孤島の人質」)、この海図担当室は1795年に設立された、実はできたてほやほやの部署でした。 英国では海図の整備も地図の作製と時を同じくしています。 こうやって見ると、結局、地図も海図も近代化と同時進行のものなのだということが、身に染みてわかるのでした。
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関東には明日、台風がやってくるようですが、 今日、良いことをひとつ教えてもらいました。 近海にセーリングに出る方はよくごぞんじだと思いますが、 米海軍の台風情報サイト http://www.usno.navy.mil/JTWC
「Tropical Storm 12W (Krovanh) Warning」 というのが、現在日本に接近中の台風11号情報です。 英語ですが情報が豊富で役に立ちます。
2009年08月30日(日)
劔岳・点の記
200年前、未知の海を航海した船は、測深し方位を正確に計り正確な海図を作製することもまた任務でした。 後のその海を航海する者たちへの道しるべに。 未踏の地に赴いた者が地図や海図を作製するというのは、そもそも、そういう意味があることなのでした。 …本屋に行けば当たり前のように地形図が、海事用品店に行けば海図が帰る今では、そんなことはすっかり忘れていましたが。
今からちょうど100年前の明治40年、日露戦争も終わりロシア艦隊にも勝利をおさめ、ほぼ近代化を達成したかに見えた日本ですが、いまだ日本地図上には空白の部分がありました。 それが劔岳…北アルプス飛騨山脈の深奥部に位置するmの険しい山塊部分でした。 正確な地図を作製するためには、山頂に測量用の三角点を設置しなければなりません。 この三角点の設置記録が「点の記」と呼ばれるものです。 「劔岳・点の記」とは、未踏峰である劔岳の頂上に三角点を設置しようとした陸地測量部の測量士たちの、明治時代の「プロジェクトX」。
日本の地形図は、戦前は陸軍省陸地測量部が担当していました。 日本地図の最後の空白を埋める作業は、陸軍の威信をかけた国家プロジェクトだったのです。
折しも設立されたばかりの日本山岳会は、劔岳初登頂をターゲットとしていました。 軍にしてみれば「お国の仕事」で地図を作製する陸地測量部が、山岳会に先を越されるなど許されざることで、 かくして熾烈な初登頂争いが展開されるわけですが、
けれども、 実際に命を賭けて山を登る当事者たちの思い、動機、彼らを駆り立てるものは、それとは全く別のところにある。 測量士たちは、三角点を設置し測量する仕事に誇りを持ち、 彼らを山に案内する麓の村のガイドは謙虚に、雇ってくれた人を山の頂上に到らせることが自分の仕事であると考え、 そして、陸軍省高官には「遊びで山に登っている」と批判された日本山岳会の登頂メンバーも勿論、物見遊山で山に登っているわけではありません。彼らには山に挑戦し克服するという目的があり、そのためには刻苦をも厭わない。 そして、それらの近代的な理由で山頂をめざす人々とはまた別次元に生きる者として…昔から山岳信仰の山として拝まれる劔・立山連峰には、自らの修行のために山に籠もり続ける修験者たちの存在がありました。
英国の海洋小説や冒険小説を読んでいると、この時代…19世紀末〜20世紀初頭にかけて未開の地、外国…異文化の地に赴き、厳しい自然に挑戦し道を開いた者たちの記録に接する機会は多いのですが、 この「劔岳・点の記」をそれら…例えばBBCドラマの「シャクルトン」などと比べてみると、似ているところもあり異なるところもあり、 実際に命がけで山に挑む者たちの心の持ちよう…実際に挑む者たちにとっては事後の結果すなわち名誉や名声ではなく、なすべき事とその達成のみが全てであるのだということ…これは「シャクルトン」にも、例えば南極探検に破れたスコットにも言えることです。
異なるのは、 自然の描き方、接し方。 山岳信仰や人間の営みに関わることなく生き続ける雷鳥、カモシカ、野生の猿などの描き方でしょか。 日本的…なのかな? 同様の感覚は韓国映画を見ていても感じることがあるので、東洋的なのものかもしれない。 チャレンジの対象が外国の異文化の未開の地ではなく、自分の生まれ育った国の山である、という点にもあるのでしょけれども。 山に登る理由が異なろうとも、そこに脈打つものは皆が同じであること、それは案内人長次郎にとっての行者さまであり、測量士柴崎にとっての故郷山形の記憶である。
劔岳は今では、夏山で多少の心得があれば誰でも登れる山になっています。 それは、室堂までバスが通ってアクセスがよくなり、山小屋が建設され小屋まではヘリコプターで荷揚げもでき、登山靴も雨具も防寒具も最新の優れた装備があるからだけれども。 それでも山そのものは、北アルプスの厳しい自然は、この時代から変わったわけではない。 山に登る人は、その本質を、100年前のわらじ、箕笠、背負い子、麻縄ロープの時代を忘れずに、 謙虚に自然と向き合わなければいけないのだと、考えさせられる映画でした。
2009年08月29日(土)
カティ・サーク号その後
2年前の2007年5月に火災に見舞われた英国グリニッジのカティサーク号ですが、修復作業は着々と進んでいるようです。 New Civil Engineer誌5月28日号によれば、
火災後カティーサークは、骨組のみを残して、すべての外板部分を取り外した。 この鉄製骨組(iron skelton)から完全に錆を取り除き、プラスチック・コーティングを施す作業が現在進行中である。 コーティングにより今後50年の防錆効果が期待できる。 今年の終わりまでには厚板(timber plank)の復元まで進むことになるだろう。 復元作業は来年には終了の予定だが、まだ数百万ポンド復元費用が不足しており、カティサーク財団では事業参加者を募集している。
復元状況の写真は下記で見ることができます。
Conservation Photo Diary 2009年6月 2009年7月
来週末は家族旅行のため東京におりません。 更新はお休みになると思います。
2009年08月16日(日)
復元船プリンス・ウィレム号炎上
先週私は「今週はニュースがなく」などと申しておりましたが、申し訳ございません。 実は一つ残念なニュースがありました。日本でも産経新聞と地方紙では紹介されていたのだそうですが、私がそれを知ったのはアメリカのオブライアン・フォーラム(掲示板)経由で、今週の初めでした。
かつて長崎オランダ村に展示され、オランダ村の倒産後は故国オランダの観光会社に転売されたオランダ東インド会社の復元船プリンス・ウィレムが、7月30日、回航先のオランダ北部の町Den Helderで焼失しました。 火災の原因は現在調査中ですが、電気系統のショートによる発火の可能性が濃厚と言われています。
火災の様子を伝える山陽新聞 http://www.sanyo.oni.co.jp/newsk/2009/07/31/20090731010005681.html
Fire Destroys Replica Of Dutch East India Company Flagship Prins Willem (英語)
帆船の炎上というのは、実は絵画では…英国の美術館にあるターナーのナイルの海戦の名画から、ジェフ・ハントやジェフリー・フバンドによる帆船小説の挿絵まで、何度となく見ているのですが、この状態の本物を見るのは初めてで(カティサークの時は報道が駆けつけた時には既にかなり火がまわっていたので)、絵画と違ってやはり…胸が痛いですね、見ていると。
今週に入って他にも記事が書かれるようになりましたが、印象的だったのはアメリカの海洋関係のライターの方の下記の記事でした。
The Long, Strange Journey of the Prins Willem August 3, 2009 · Filed Under Current, Lore of the Sea, Ships http://www.oldsaltblog.com/tag/prins-willem
オランダ東インド会社船プリンス・ウィレム号の復元船が焼失した。が、この船のたどった運命は数奇なものだった。 彼女は1985年に、オランダのフリースランドで、日本のテーマパーク・長崎オランダ村に展示されるために建造された。 このテーマパークが閉鎖されると、プリンス・ウィレム号はオランダに戻り、2003年からデン・ヘルダー※に係留されることになった。
プリンス・ウィレム号を引き取ったオランダの観光会社Libéma社は、この船をデン・ヘルダー観光の目玉とした。 同社は炎上したこの船を再建する計画があると言う。
この復元船プレンス・ウィレム号は、正当性を重んじる批評家からは、実は「ディズニー・レプリカ」と呼ばれていた。 当初の目的がテーマパーク展示であったために、船倉の一部まで船室を拡大するなど(注:プリンス・ウィレム号は建造当時、世界最大の船倉を誇る商船であった)歴史的正確性を欠く部分があったのである。 そして、この船の船殻は鋼鉄製であった(注:これも歴史的にはありえない)。
だがこの鋼鉄製の船殻は炎上にも焼け残ったため、Libéma社は再建を検討しているとのことである。
この例は現代における復元船建造に、一つの問題を定義しているように思われる。 実際のところ、オーストラリアの港に係留されたH.M.S.バウンティ号にも同様の問題はある。 この艦は海軍本部の図面通りに復元されているものの、復元の目的が映画の撮影であったため、実船より30%の拡大復元がなされているのである。 歴史的正確性以外の目的をもって再建される復元船の使命を考える時、このプリンス・ウィレム号の事例は検討課題となるだろう。
復元船の元となったオランダ東インド会社船Prins Willemは、1642年にオランダで建造、1662年にマダガスカル沖で沈没した。
※注) デン・ヘルダーはアムステルダムの北、ノルト・ホランド州の北海に面した港町です。ここからアイセル湖(内陸に切り込んだ内海、首都アムステルダムはこのアイセル湖沿にある。このアイセル湖と北海との間にあるのが有名な大堤防)をはさんだ対岸が、1985年にこの復元船を建造したフリースランドとなります。
このライターの方のブログ、右上にこの方が撮影したサンディエゴ海事博物館のサプライズ号などの映像があります。
2009年08月09日(日)
鉄骨とマスト
私の職場のとなりのビルは、建替え工事中です。 現在、鉄骨組み中で、おととい5階あたりまで来ていました。 そして昨日の朝までは、うちのビルの6階コピー室の窓(建設中のビル向き)の外はまだ何もない空間だったのですが、午後コピーに行ったら、窓のすぐ横に「人」が!
午前中に6階の鉄骨の吊り上げが終了して、午後から設置固定作業ということらしいのですが、 何がありえないって、6階の窓のすぐ真横に作業員…鳶職の人…がいる。
いやそりゃ今までに、窓拭き屋さんとは6階でも窓越し遭遇をしてますよ。でも窓拭き屋さんはゴンドラや吊り椅子に乗ってるじゃないですか? ところが、鉄骨鳶さんたちは、幅50cmほどの鉄骨の上をすたすた歩いてるんですわ。 それってなんと言いますか、昼間仕事中にいきなり、隣にサーカス団が来ちゃった…みたいな感じで、
「やだわ、こんなのハラハラして、落ち着いて仕事してられない」と総務の人が嘆く。気の毒なことに彼女の席からは、窓の外が見えてしまいます。 でもよく見ると、鉄骨にロープが張ってあって、鳶さんたちは命綱をそこに引っかけてるんですね。 「海星」や「あこがれ」でマストに登ったことのある方はごぞんじだと思いますが、あの時に装着する腰の安全ベルトとフック状の命綱…あぁ海星のと同じだ、と思いました。 ただ、マストをまわり込む時と同じで、鉄骨をまわりこむ時は一旦このフックを外して、つぎのロープにかけかえなければならない。
でも作業を見てると、きちんと3点確保(手足の4点のうち、3点を確保して動かすのは1カ所のみ)してるし、 6階というのはだいたい地上20〜25mですから、日本丸だったらもっとマスト高いし、 鉄骨は幅50cmもあって、足場のロープよりよっぽど広いし、 何よりビルの鉄骨は船と違って、地震でもない限り揺れないし、 とか、つらつら考えて、自分を納得させて、安心して仕事に戻ることにしました(笑)。
でも隣のビルは確か10階を超える筈で、そうなったら日本丸のマストより高くなってしまう可能性もあるのか? 鳶職さんたちって、やっぱり凄いですね。
2009年08月08日(土)
AHOY
今週はちょっとニュースが切れているので、わたくしごとですが、 5月30日の日記でご紹介した「AHOY」という信号旗のサック、夏のバーゲンに出ておりましたので買ってしまいました。
やっぱり色が違いますので、信号旗には見えませんね。
おそまつさまでした。
2009年08月02日(日)
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